連続ARTS小説

NOVEL

2023/5月下旬
「教育や医療、インフラにもっとお金をかければ、米国経済は将来力強さを増すだろう」。「偽装資本主義を導いたのは、不変の経済法則ではなく、私たち自らが創造した法律である」。ジョセフ・スティーグリッツのいうように混迷した経済活動から足を洗うことができるだろうか。新たな火種が発生するかのような緊張が、従来タイプの偽装に重点すれば、またチャンスを逃す。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2023/5月下旬
キーワードシリーズ・(聴松)。先日の天秤座ピンクムーン。心地よい爽風の中、井の頭公園を散策する。池に映った見事な満月の姿。捕まえそうになって飛び込むところだった。李白のように。しかし、踏みとどまったのはその絵から聴こえてきたからだ。その音とその絵。互いに奏で合うかのように。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2023/5月下旬
スポーツ=ピンナップ=政治=経済=ゴシップ。全て並列対等である。大衆紙の記号。大昔からスタイルは不変。つまり(タンジュン)なのである。そこにフクザツが楔を打ち込む。そのフクザツとは何か。もちろん(リレーショナルARTS)であり、(スラッカーARTS)である。大衆=男=女という記号を量産してきた。今だに継続している。そして=子供が加わる。夢が会社員ということで。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松

2023/5月下旬
「ひとは何をしたか。ではなく何のためにしたか。」が大切だ。山本周五郎の短編黒澤明脚本「雨あがる」に出てくる台詞である。アートが洪水のように氾濫している世界ではあるが、アブストラクトアートが、それも何のために描いているのかすらもおぼろげな仕事があまりにも多い。はっきりと「世直しのため」と言い切るアートがあるだろうか。批評や公正を盾に逞しい反抗心を表現するアートこそ今の熟成したシステム世界では必須だ。THE
PANAMA PAPER問題はまだ氷山の一角だ。奏松画廊matsukyu

2023/5月下旬
かってタイムラインでプレゼンした幻庵因碩、江戸時代の囲碁棋士。豪放磊落なキャラで盤外にも大暴れした。しかし、時代は真逆の方向へ舵を切る。<小さいことはいいことだ>。たとえジョークでも大口は厳禁。誰しもこじんまりとした人生・をよしとする。<#metoo>ムーブメントがワールドワイドに。当然アート作品も経済が右肩上がりのビッグサイズはイミナイジャン~。つまり価値無し&ヘタということになる。
奏松画廊matsukyu

2023/5月下旬
ITが芸術作品を分析解析する時代になりつつある。たとえば、作家がどんな色彩を重ねて微妙な表情を漂わす色艶になったのか。あるいは下書きの線が全くない描き方が解析される。X線から多様な解析が判断される。もはや曖昧な解説者はいらない。スティーブンブリーナは、過去の有名な作品、たとえばエドアールマネの優美な屍体をデジタル数値価して、アブストラクトアートであるかのように「リプレゼンテイション」する。しかしパロディではない。そこには1ミリたりとも「からかいや風刺」はない。もちろん「アプロプリエーション」手法でもある。従ってリキテンシュタインやウォーホルたちとアナロジーしてはいる。ただ素材が違うだけである。過去芸術への大いなる揺さぶり反骨心がクールだ。
奏松画廊matsukyu

2023/5月下旬
パッヘルベルのカノン・が静かに流れる。玄関前からタクシーが離れる。二階の窓から次男が垣間見る。芝生に父親がうなだれている。「ママはどうしたの」「出て行ったよ」。映画<普通の人々>のラスト。シカゴ郊外のミドル。かってはWASPのエージ。象徴的崩壊のラストシーン。母親のメアリータイラームーアのファッション。白い丸襟ブラウスにカメオ。アーガイル柄のセーター。タータンチェックスカート。アッパークラスへの憧憬。隣人のバースディパーティで株式の会話。「今は下がっているから売るな」。レーガノミクスが効果薄い。ジャパンはその時代<ジャパンアズナンバーワン>。ドル高円安。その後バブルへ。それにしても普通の人々の住宅といってもシマグニとはケタ違い。さりげないこの映画を精査するエクセレント
な審美眼。
★★★★★ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊matsukyu

2023/5月下旬
年俸3億。政策を左右するビジネス。とことん敵を追いつめる。そのためには手段を選ばない。映画<女神の見えざる手>。主人公は、ロビイスト。クール&タフな女性。非恋愛。男はエスコートサービスから調達。敵を探るマシン。遠隔操作する盗聴ゴキブリ。近い将来、(ドローンタイプ盗聴&カメラゴキブリ)が遠隔操作される・・・。ルームからクルマからあらゆるところに出没。ゴシップマガジンには格好の味方に・・・。 
奏松画廊matsukyu

2023/5月下旬
(未だ描かれたことのないもの・モノ・monoを描きそれを絶対的に作品にする)。セザンヌの覚悟だった。リスペクトするメルロポンティの(意味と無意味)の中に記載されている。ポンティは、椅子のvisualと椅子という意味が互いに行き来して椅子の現物が、認識できることを哲学研究した。contemporary系ARTS領域と深くリンクする。(ARTSに翻訳する)というシワザが、未だ存在しない作品を太陽のもとに晒す。(人物画専門画廊)シリーズもまたその領域だ。
作品化されることでクラリセージの賢い開眼を現象学的対象にする。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2023/4月下旬
映画・演劇の観客、書物の読者、音楽の聴衆、美術の鑑賞者。彼らを世界はカタってこなかった。怠ってきた。だから送り手はもはやシニアだ。しかし、受け手は若々しい。これからの関係性に大きく関わる。例えば(リレーショナルARTS表現)というジャンルがある。鑑賞者が重要な仕事をする。人物画専門画廊シリーズでは、入会者が相互に表現する。互いにプロデューサーとして。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/4月下旬
「悲しきカンガルー」というパットブーンの軽快なメロディが流れている、週末の金曜日深夜に。36歳で自らのベッドで亡くなったモンロー。睡眠薬の常習だった。死因が不明だった。人生そのものが「アプロプリエイション」だった。多くのスターや著名人たちが彼女の恋をさらった。そして盗んだ、そのイメージを、伝説を。まだ「アメリカンドリーム」がヘルシーだった。かってレオキャステリという伝説のアートギャラリーがあった。そのご主人が亡くなった後、妻のバーバラのフェイバリットアーティストがリチャード・ベティポンである。彼女は、ベティポンの松茸を盗んだに違いない。そんな弾む時代が輝いていた。
そして、春の宵が更けてゆく・・・。「私の孤独」というシャンソンがある。FB友であるスキなシンガーほのかさんが甘く囁いていた・・・。更にパトリシアカースジェレミーアイロンの「If
you go away」が続けて甘いメロディを奏でている・・・。GALERIE SHO2013より。
奏松画廊matsukyu

2023/4月下旬
美術史の中からアプロプリエーション(借用)する。その女性像。壁にランダムに添付。もちろん額はない。男性が美術史を作り上げてきた。そのすべてに反骨する。ナンシースペロ。これからの時代に女性の目覚ましい台頭は必須。(クールな平和主義)。その時代に遅れてはいけない。しっかり並走する。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2023/4月下旬
B級映画が娯楽エンタメをハリウッドが世界に向けて量産してきた。消費経済の勢い以外に大切なメッセージをマーケティングしてもいた。それは「女性らしさや男性らしさ、子供らしさ」などの固定化した階層区別意識のイメージ化、つまり刷り込みだった。シンディシャーマンは、その刷り込みに逞しい反抗心をアイロニカルにプレゼンした。エンタメ映画のありふれた仕事柄の女優たちを偽装して「女性らしさ」を剥奪するダイバーシティこそ女性たちの地位向上につながる。「刷り込まれたスクエアな石頭」を柔軟にすることをARTSに翻訳した。
奏松画廊matsukyu

2023/4月下旬
ナイキのシューズをギャラリーで陳列プレゼンする。ハイムスタインバック。大量生産日常品を高等美術化することで固定観念から脱する。しかし、この脱は依然は通用した。つまりアートに翻訳することで異議申し立てが成立した。今、世界的課題の脱は(脱経済文化社会)の脱だ。だから鑑賞者はスタインバック主義の手法に異議申し立てデモボードを新美術ヅラするミュージアムの門前で叫ばなければならない。生活者もまたサプライヤーだから。消費者の意識行動が遅延できないまで地球が疲弊している。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/4月下旬
ダイバーシティ・シリーズがあるが、ひとによっては多様性の解釈が違ったりもする。たとえば、シマグニの街では原色が氾濫してカタチは不揃いのブサイクたちで満載だ。建築デザイナーの黒川紀章はもつ煮込みのような街と揶揄した。だからそれはそれでいいんじゃないかと。欧米から長年にわたってキャッチアップしてきた。何も政治や経済や食や衣だけではない。そこには多様な思想がある。特にビジュアル改革はあきらめてはいけない。たとえ多くのコストがかかろうとも。★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&シリーズ。&ダイバーシティ・シリーズ。
奏松画廊松久matsukyu

2023/4月下旬
かって社畜という言葉が流行った。ひと言でいうと滅私奉公。公職や会社の為にサービス残業なんのその。そしてその先に過労死。欧州では人権条約違反。企業経営者はひとでなしの犯罪者。大規模な不買運動。そんなシマグニマイナスイメージのオンパレードペーパーがある。谷本真由美サン(日本が世界一貧しい国である件について)。2013。彼女の悲嘆が痛いほど伝わってくる。しかし、シマグニは先進国ではない。途上国である。例えば(visual公害)という件。風景公害。あらゆるアイテムを総点検すること。口を酸っぱくしてmessageARTS表現を持続するしかない。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2023/3月下旬
パートタイマー。バイトワーカー。ノマドワーカー。フリーランサー。そしてギグワーカー・エコノミー。心地よい響きがある。ネットシステムが熟成しつつある。完全なマシンワークに到着する途中。多くの不安定なワーカーたちが増加。
低コストになってかえってアンチヘルシーだが。煽る経営コンサルやジャーナリズム。ローカル定着を狙う。しかし、ヤングは都会の魅力に惹きつけられる。かえって(心も身もギクシャク)しかねない。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2023/3月下旬
アートが経営資源のひとつになる。最近その手のSNSやメッセージペーパーが散見される。しかし、アートはどちらかというと消費経済の対岸として反骨してきた。たとえばウォーホール、リキテンシュタイン、更にはラウシェンバーグ等々枚挙にいとまがない。
だからそのアートを経済の資源にするなんて。その経営者たちはどうゆう思想の持主だろうか。以前タイムラインでプレゼンしたが、京都で会社経営を長期にわたって持続するアトキンソン社長。低生産性の原因を鋭く指摘。
労働者じゃなく経営者が無能だと。そんな程度の経営者たちが(アートをいじくる)と、バンクシーのようなからかい上手アートが話題になる。
★麻布十番&広尾界隈にて。奏松画廊松久

2023/3月下旬
白と赤は、男と女、乳と肉、性液と血、相互に補足しあい生命や活動を象徴する。黒は死や抹殺の色。社会人類学者・ビクターターナー。白黒赤は人類の生理的経験に基づいている。日々の(いとなみ)がいかに大切かと。
ハとタのタントラヨガは、風の時代にはより潜在意識の覚醒に大切だ。このリレーショナルARTS表現を高める・深めることが創造力想像力生命力を推進することに他ならない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/3月下旬
かって複製芸術の時代というベンヤミンの思想が流行った。ほとんどのコンテンポラリーアートがベースにしている。素材は政治、経済からカルチャー・・・。日常品まで。さらには過去のアート作品すら素材に。
だから(美意識)はアーティストたちにとってはごくごく一部でしかない。もはや(おぞましいセンス)までアートに翻訳される。欧米人も富士山芸者の延長線から脱却してない人たちがほとんどだ。つまり視野狭窄。
もちろんシマグニピープルも。アート教育や美術館が長い間啓もうしているがいっこうに効果が出てない。どうしたらいいのか。奏松画廊をチェックするしかない。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2023/3月下旬
(私は作品を展示した展覧会に関心がない)。(現代美術といえども私にすれば伝統芸術である)。ヨゼフボイス。エコロジーの仕事に先端性を発揮する。例えば植樹作業。緑の党・創立者のひとり。こうゆう行為そのものがARTS表現なんです、と。
つまりリレーショナルARTSだ。80年代のセリフ。今だとエコビジネスを推進する会社や担当者そのものが、リレーショナルARTS表現家である。(日本はもう東洋とは呼べません。むしろ超アメリカ主義です)。
そうゆう視点にほぼ潜在意識が作用・反作用されてない。相も変わらずボックスギャラリーで抽象表現主義作品を得々として展示するドンカンさ。それは無意識のパワハラに近似する。✳️✳️✳️✳️✳️カフェ友・恋活・卒婚・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/3月下旬
キーワードシリーズ。(物派)。かってギャラリーに物ものモノmonoを展示する。木や石や布等を。消費経済の物も当然展示される。その延長線に(ヤンキー人類学展)というプレゼンがあった。反社とはいいがたいが半反社くらいだろうか。
何か普通人からするとヒヤヒヤする人たち。例えば、大きなデコラ派手なバイク。祭りのデコ山車など。リチャード・アーツシュワッガーやハイム・スタインバック。
(美術業界の視野狭窄・意識狭窄・感性狭窄)な約束事を暴くことで実は曖昧な業界であることをプレゼンした。美術業界への逞しい反骨。俗物の思想に通じる哲学だろう。⭐⭐⭐⭐⭐カウンセラー奏松画廊

2023/3月下旬
表現の自由があれば(生き方の自由)もあり、憧れるワケーノたちがいるにはいるが、多様性がない。6070年代にはリスキーな生き方が多々あった。たとえば就職しない選択。自給自足。今、AI&ioT時代というと全てがスタートアップビジネスに群がる。
そのジャンルから遠い仕事だと村八分かのようだ。表現だって抒情的な写真があれば抽象的なvisualもある。ところが最も少ないジャンルが(改革的反骨ARTS)ジャンルだ。
企画する主催サイドもまた大衆迎合的(いいねアート)になびく。フレーム枠を超えたARTS仕事にチャレンジする。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2023/3月下旬
彼女はワシントンからテキサスの大牧場へ嫁いできた。「結婚する前もしてからも私は私よ」。当時極端な保守エリア。人種差別。シナリオは既にダイバーシティ思想が芽生えていた。映画「ジャイアンツ」のエリザベステイラーが光る。
ラジオから真珠湾攻撃の被害状況が流れる。ハムエッグ&コーヒーにフルーツ。<格差と時差>がオイルで成功したジェームスディーンを通じて明らかに・・・。虚しさが漂う。
久しぶりに大昔の映画に感動する。奏松画廊matsukyu

2023/3月下旬
大方の経済的議論にはこれからの成長は微々たるラインしか描けない、と考えてるひとたちが多いのではないだろうか。ほんとにそうだろうか。彼らの議論、分析には「風景」や「創造」や「整理整頓」や「断捨離」などの極めて重要なキーワードが抜けている。
ま、いってみれば「芸術的文学的キーワード」である。ところが霞が関は文学部とかが不必要論に傾きつつある。
確かにマルセルデュシャンが過去のアートに別れをプレゼンして以来膨大なアート作品が堰を切ったように溢れている。ところが対費用効果でゆうとそれほどでもない。
もちろん戦略的アートととして政治経済ジャンルに利用されてはきた。しかし、民主主義がそこそこ熟成してきて政治の役割あり方が問われている。
改めて議論から欠落しているキーワードをカる時代ではなかろうか。ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu

2023/3月下旬
85歳の今も最高裁判事で活躍する。先例を覆す。男尊女卑への逞しい反骨。若き頃、厳格権威主義ハーバード大ロースクールにわずかながら合格した。しかし、戦うためにやめる。50年代(アメリカ・負の遺産)がたっぷりと残る。
女性の地位向上のために孤軍奮闘する女性法科教授。伝説の実話。映画(ビリーブ)。平和ボケから目が覚める一本。
⭐⭐⭐⭐⭐カウンセラー奏松画廊

2023/3月下旬
イーゼル絵画の古典的な機能に疑問と不満を持つアーティストたちは多い。特に歴史のある既存新聞メディアや人気の高い映画産業からのプロマイド写真の持つ信頼性を疑問視した。そのアーティストがジョン・バルデッサーリだ。
自らのありふれた現実の写真と比較文学することで、つまりモンタージュ手法を用いて対比するビジュアルでプレゼンした。
コミュニケーションイメージ操作の偽装化に強い反抗心を浴びせることが芸術性の新しいカタチであることを証明しようとした。奏松画廊のメインアート作品とアナロジーしている作業だ。奏松画廊matsukyu

2023/3月下旬
富士山と満開の桜と銭湯のペンキ絵と三波春夫。この象徴的セットは(シマグニの制服)といっても過言ではない。ロジェカイヨワは(制服もまた変装)だと。黒白リクルートスーツもまた変装にほかならない。その変装を逆手にとることもまたARTSだ。
アイロニカルな反骨の自由表現。新入社員後もその黒白スーツで通勤し(仕事は白黒つける)センスが欲しいかと。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2023/3月下旬
マクルーハンの有名なセリフに「メディアこそがメッセージである」。この名言に忠実にアート化した作家がジェニーフォルツァーだ。電光掲示板、広告看板等々街中に突如現れ消える。ま、いわばストリートアーティスト。
究極の伝達手法である言葉のみを使用した。その言葉を更に進化したカタチでプレゼンしたアーティストがいた。ローレンスウィナー。ギャラリーの壁や床に直に書きつける。
もはや「アート作品への指示書かのようなシワザ」が他者への発注とゆうことで作品が仕上がる。時代遅れの「オリジナル性」へ反抗、懐疑を促進した。
伝統的絵画ビジュアルへの挑戦者は、あらゆる既存の芸術的概念を揺さぶることでアーティストとゆうよりは「アーティスティックな批評家」だ。奏松画廊メイン作品にアナロジー。
自負するわけではないが、物語にして解りやすくプレゼンしている奏松松久の先端的な走りが素晴らしい。奏松画廊matsukyu

2023/3月下旬
アートプレゼンスタイルが多様化している。たとえば、ウォルター・デ・マリアというアーティストの作品は、宿泊鑑賞。宿泊代は200ドルくらい。メキシコの草原にステンレス鋼を数多く立てて雷を危険承知で鑑賞する。中国のある作家は火を素材にしている。
しかし、リノベーション&構造改革的アーティストが激減して、「自然とコラボ」するかのような一般ウケ狙いに批評家たちの経済奴隷化した体たらくがカミナリオヤジを招くだろう。
奏松は、パーソナル ARTSレッスンいう二時間の<ARTS的感じ方&考え方を鍛える>レッスンでWORDS ARTSが素材。奏松画廊

2023/3月下旬
青島幸男の「人間万事塞翁が丙午」という小説がある。もちろん中国の諺である「人間万事塞翁が馬」のもじりである。とにかく中国から言葉の輸入ものは多い。これもそうだ。
「百聞は一見に如かず」「李下に冠を正さず」「鹿を追う者は山を見ず」「人事を尽くして天命を待つ」「他山の石」「心頭を滅却すれば火自ずと涼し」・・・。数え上げれば枚挙にいとまがない。更には「纏足」。
セクシャリティの象徴であった。時代は大きく変わった。経済的そして観光的輸出入で関係は大きい。JETROアジア経済研究所新刊コーナーより。奏松画廊matsukyu

2023/2月下旬
口を酸っぱくしてプレゼンしている。(リレーショナルARTS表現)ジャンル。「はっきり言ってよくわからん」という人が多い。
例えば、ドローンがブーメランのように戻ってくる。農薬散布して。撮影して。人命救助して。タクシーとして。その風景鑑賞や効用は計り知れない。
世界・人生と大きくリンクする。関係性が極めて高くなる。このジャンルと(脱皮するARTS表現)ジャンル。21世紀にとって重要ジャンルARTS表現だ。世界の問題課題を解決するきっかけになるからだ。
★★★★★#カフェ友・#卒婚・#恋活・#ミドルシニア応援・#ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/2月下旬
イメージの古層を手繰り寄せ、不確かなものに明晰なアウトラインを与える。ブレない逞しいアート思想を携えた振付。「空間が深呼吸する」。
一年で最も寒い冬に凍えるメッセージだ。天児牛大の山海塾。時代が大きな曲がり角に来ている。原始の空気感に震えるかのような緊張に襟が糺される。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2023/2月下旬
「スノボでダブルゴールドメダルを取ったらしいですね」「十代ですよね」「素晴らしいね」行きつけのコの字形は小ぬか雨の中なんとも心地よい。
「で、どんなお仕事ですか」「古道具屋です」「ところで私はどんな仕事に見えますか」「解体業」「ほぉ」確かに固定観念・社会通念を打破・解体する仕事ではある。これから聞かれればそう応えようと思った・・・。
★★★★★奏松画廊タイトルARTS&「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2023/2月下旬
家族写真、証明写真、肖像写真、報道写真、風景写真、スナップ写真、スポーツ写真、フード写真等々、そしてゴシップ写真、プロマイド写真。かって6070年代。
新宿で石を投げればカメラマンに当たるとまでいわれた。今、スマホの数だけ当たる。ID・AI写真が当たり前のシステム。人物画専門画廊シリーズ。
程よい距離感の関係性を重視するシステム。つまり恋物語。(風の時代は恋物語)の時代である。
★★★★★#カフェ友・#卒婚・#恋活・#ミドルシニア応援・#ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/2月下旬
白黒をつける。口に出してはっきり発信する。このスタイルを明確にARTSに翻訳。
ジェニーホルツァー。「メディアこそメッセージ」を。マクルーハンの言葉を借りるまでもなく野球場、街中の電光掲示板、列車、バスにメッセージアートで包んだ。今や広告看板がそのスタイルを当たり前にしている。
しかし、シマグニピープルは(嫌われることを恐れて)口をつぐんでいる。スポーツ選手たちが、楽しみたい、という。それは偽装メッセージに他ならない。
★★★★★「 Questioning the meaning of graphic ARTS&design operation」シリーズ。奏松画廊松久

2023/2月下旬
「身ぐるみ剥がされた」ビジュアルが一人歩きしている。世界中のモニターで。自画像がオンパレードされて「ピーピングお祭り」が見放題だ。
監視されることになれていない人々も大勢いる。奥ゆかしい日の本ピープルは特にそうだ。昨今ピケティの経済格差がプレゼンされ話題をさらった。これからは「ビジュアル格差社会」が到来する。
フォトは、ARTFORUM2015APRILより抜粋されたビジュアル格差を予想するかのようなコンテンポラリーアート作品。奏松画廊matsukyu

2023/2月下旬
色を剥ぎ取る。それだけで抽象アートだと以前タイムラインでしゃべった。東京は晴天続きだが、いたるところで雪景色が。この風景を好む方は多いかと。
つまり抽象はワカラナイという人は多いが無意識のうちに理解している。感じている。アーティストたちが何故、断捨離表現するか。拙者の場合は(シマグニの低民度)を剥ぎ取ることに心血を注ぐ意図がある。
例えば、少子化。消えゆく既存メディアもこぞって賛成しない。有識者たちも。
しかし、イギリス、フランスのような人口になれば先進国が目指している(コンパクトシティ化)が快適になる。奏松画廊 ARTSはそれに呼応している。それをAIが気づかせてくれてはいるが(ユルイオソイ)、シマグニ民度が。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&Messageシリーズ。奏松画廊松久

2023/2月下旬
アメリカCIAのエクセブショナルパフォーマンス賞をもらった極めて衝撃的なリポートである。
親中派の著者だったが、中国共産党の百年に亘る西側からの屈辱をひっくり返す恐ろしい戦略の事実である。2049年は、党の百周年にあたる。
翻って当然過去の忌まわしい事実を実施してきた国にも相当の仕返しを企んでいるたろう。旧アトリエ近くのJETROアジア経済研究所図書館新刊コーナー展示より。奏松画廊matsukyu

2023/2月下旬
ARTSgalleryもしくはアートギャラリーに移動すると作品になる。と何度もプレゼンしてきた。コンセプチャリスト・チャールズレイ。
自ら彫刻となって作品化した(1973)。それ以来ギャラリーで料理を振る舞うリクリットティラバーナャ(ベトナム2000)。そして(リレーショナルARTS・人物画専門画廊2002)シリーズへ。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/2月下旬
アーカイブプレゼンから(感じる&考える)シリーズ。
ARTS galleryに入る移動することで、人で有ろうとモノであろうと忽ちARTS表現に変貌する。
更に(ハタヨガパフォーマンスARTS施術所)で熱望すればインスタレーションARTS表現になる。
コラーゲンやヒアルロン酸が大きく増量して若返る施術となる。

2023/2月下旬
「服を着る」ことが「意味をまとう」ことに他ならない。衣服そのものがモードを創るのではなく、衣服について書かれた<コトバがモードを創る>。
女子高生が制服を「強制された若さ」から「抵抗する若さ」に着替えたときARTSに翻訳される。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。吉祥寺御殿山近くの焼き鳥屋にて。奏松画廊matsukyu

2023/2月下旬
映画とARTSは、密接な相互関係がある。例えば、ゴダールの(小さな兵隊)とコンセプチャルARTSのmessage artsジャンル。あるいはジガベルトフやエイゼンシュタインのミニマルARTS映像。
あるいはウォーホルのエンパイアステートビルを撮りぱなししたvisual映像ARTS。微妙なズレを視覚化。風景がズレる。地球温暖化。地震。更には南沙諸島の(砂の長城)。諍いよりは風力発電に。その頭脳のズレこそ・・・。
★★★★★「Name the title itself is contemporary ARTS」シリーズ奏松画廊松久matsukyu

2023/2月下旬
アート&デザインが時代を変えるトリガーになる。そんな願いは過去にもあった。機械産業が大きく前進しだしたアールデコスタイル時代。
幾何学的なデザインがマシンのデザインと連動していた。そのセンスは、すでにデザイナーたちには敏感に悟られていた。ロシア革命で西側諸国の仏パリ亡命したロドチェンコと妻のステファノーバ。
ファッションデザイナーだった彼女は、アールデコスタイルとアナロジーしている。奏松画廊matsykyu

2023/2月下旬
シンガーやミュージシャンをアーティストという。「彫刻が持っているものを、私の作品は持っていない」とドナルドジャッドはいう。個性が進んだというが。化粧や美容は進んだ。
しかし、それは(美の術)のエリアだ。一部(ありのままに)が発見される。(表現の自由)がギリギリめいっぱいフレームを打破する。
★★★★★SHADOWシリーズ。&新宿伊勢丹にて。奏松画廊松久

2023/2月下旬
ブルックリンのいつものレトロバー。昼酒が似合う初老の小説家。ジェフブリッジスがいいね。実はほんとの親子だった。
ロウアーイーストに住むモラトリアム青年の。育ての親は出版社経営でアッパーウエストに住む。(小説が売れない)もどかしさ。不倫をするフリー女性編集者。よくある物語。
しかし、なぜかNYCの風景とレトロな音楽・サイモンガーファンクル・と俳優のvisualが救う。大都会の孤独。ラストのギャラリーでの朗読会、なんとなくほっとする。(さよなら、僕のマンハッタン)
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/2月下旬
(脱皮するARTS表現)シリーズ。その3。 かって無題が流行った。無意識、無関心、無節操、無駄、無理、無作為等々。これだけ地球に問題課題が噴出する時代には、それこそ無関心どころではない。
あってはいけない。写実や抽象表現あたりでごまかしてはいけない。固定した常識的考え方を脱する。脱カーボンのように。脱視野狭窄する。
★★★★★カフェ友・恋活・卒婚・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/2月下旬
明瞭会という同じ高校を出た先輩後輩たちが交友と校友を深める親睦会が月いちである。東京在住の方たちがほとんどだ。
昨日は、元アサヒビール社長会長で元NHK会長だった、福地先輩の講演だった。映画プロデューサーの先輩とワンショットして頂いた。奏松画廊matsukyu

2023/1月下旬
「僕自身一番影響受けた映画は、ブニュエルとダリのつくった(アンダルシアの犬)だったね」
「冒頭の月を剃刀が横切り眼球が切断されるイメージは(もっと奥深くものを見ようと思ったら自分の目を剃刀で切り裂かなければいけない)というロートレアモンの詩のフレーズとアナロジーした映像で、肉眼で見える網膜的イメージを超えた(目を閉じたまま見ることが出来る世界)で、オクタビオ・パス(世界を滅亡させようと思ったら爆弾が必要じゃなく目をつぶるだけでいい)という有名な言葉があるが、それが映画だという感じがしたね」。
寺山修司とかわなかのぶひろ先生(阿佐美映像ゼミプロフェッサーだった)との対談で。かわなか先生編集の月刊イメージフォーラム(1980創刊号)。かわなか先生は渋谷のイメージフォーラムを経営している
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2023/1月下旬
昨日もプレゼンしたようにアートは芸術ではない。ARTSだから美術家というネーミングは視野狭窄だ。といって氾濫しているアーテイストやクリエーターもまたそのレベル・ラベルだ。表現のワールドワイド化を発信するためにこれからはプロフィールの肩書を( A R T S表現家)としたい。
A R T S思想家であり、ARTSを領域とする表現を開拓する探検家でもある。更にはその世界概念を啓蒙する。 A R T S啓蒙家だ。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2023/1月下旬
青い月夜の浜辺には・・・。浜千鳥。童謡詩人・鹿島鳴秋。作曲は宮城道雄。ここは都会の庭園。紅葉が夜景に映えた。琴の奏でる(パフォーマンスARTS)。杉並邦楽アンサンブル。晩秋の空気感が共鳴した時間だった。
★★★★★荻窪・太田黒公園にて。奏松画廊松久matsukyu

2023/1月下旬
最近プレゼンしたコスタリカ・オサ半島。生物多様性の見本市。しかし、シマグニでは、動物虐待法ひとつなかった。半世紀前までは。だからロンドンではシマグニに犬を輸出するなとデモが。
あらゆる都市が啓蒙マシンとなった。この時代、デモの博覧会に。市民デモが多様化していた。街頭啓蒙運動・ARTS表現の大きなうねりをプレゼンした。(街そのものが画廊)になっていた。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/1月下旬
4K8KのVISUALスタートで話題だが、テレビ離れのヤングやシニアも多いことだろう。「発狂した巨大なコピー機」廃残物廃棄物の垂れ流し。
美術作品の複製、広告の図柄企業ロゴ。恐怖の殺戮現場・・・。多様な催眠療法が大衆をワナに。グレチェン・ベンダー。テレビ批評をアートに翻訳した。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ奏松画廊松久

2023/1月下旬
ワイドラペルの中に亡き母の写真を忍ばせる。スタイリッシュな気難しさと50年代のブリティシュセンスが溶け合う。ドレスデザイナー。エスタブリッシュメント。衣服と建物と風景が見事だ。映画(ファントムスレッド)。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/1月下旬
視るから読むまでの視野を拡大する。あるいはそうせざるを得ない。ARTS表現領域を理解するためには。例えば多くの人が紅葉狩りを楽しむ。視るから風情を読むまで。その中で恋物語に費やす時間を楽しむ。
美意識に囲まれて創造したい。それはリレーショナルARTS表現となる。毎年繰り返されるが飽きない。百年時代。恋物語の創造こそセロトニン・色艶の大いなる発露だろう。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/1月下旬
婚のスタイルに昨日触れたが、女性労働スタイルもまたフリースタイルになって当然だ。もちろんリノベーション反骨アピールは必須だが、女性たち自らもまたチャームアップすることが必須でもある。例えばメガネ。シマグニレディたちはこじんまりし過ぎだ。メガネデザインが多様化した今、吟味が足りない。ヘアスタイルしかり。シューズしかり。
以前もプレゼンしたが(マイナスを更にアピール)することが、かえってマイナスを隠すワザだとメッセージした。太っていることを平気にする。それにフィットするセンスを身に着ける。もし仮に自身で自信がないマダム・レディは、雑談倶楽部でアドバイスします。
★★★★★「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2023/1月下旬
チョチョリーナ・AV女優とのマリッジビジュアル。アーテイスト・ジェフクーンズ。ロードサイド看板でアピールした。個人のビルボード広告。そのアイデアを逆手にとってビルボードを三点、個人で借り切る。その役柄は復讐に燃える。素晴らしい女優の名は、フランシス・マクドーマン。ゲンキハツラツ62歳。タイトルは(スリービルボード)。キーワードは(コンテンポラリーアート)。
広告をARTSに翻訳した。コピーは(WORD ARTS)。HOW COME CHIEF WILLOUGHBY? ビルボードのカラーはレッド。そしてラストシーンは、ビルボードが燃える。インスタレーションARTS。ローコストがまたいい。
★★★★★渋谷・東急プラザ屋上にて・パフォーマンスARTS・奏松画廊松久matsukyu

2023/1月下旬
(悪書追放)。世間には追放しなければならないものが多くある。例えば、(悪風景・悪人物・悪権力)。そして悪禍。ここに吉祥寺にかって在住した詩人・金子光晴のメッセージを引用する。(人間は元々心身壮健であってこそ生きてる張り合いも湧いてくる。
しかし、心身壮健そのものが禍の種となって腑に落ちないことのために命を失うに至る。古今東西、例が多い)。
何ともアイロニカルに反骨だ。駅に設置された白い箱。その中に廃棄すれば禍の種は枯れる。彼は白い箱そのものがおぞましくも俗悪なものに見えた。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/1月下旬
「Name the title itself is contemporary ARTS」シリーズがある、奏松画廊に。タイトルが重要な意味思想を持つ時代だからである。過去にも膨大な意味思想を暗示してきた作品はある。
しかし、ここ当分は(具体的改革)のプレゼンがとても重要。例えば脱炭素。民主主義への進展。国内の諸問題課題等々。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/1月下旬
ミドル・シニアが元気だ。(だから恋活・卒婚)。ロマンスプロデューサー・クラリクラブ。クラリとは明るいを意味する。開眼してくれる。昔は洗眼する医療薬として珍重。セージは賢いを意味する。セージというニンフに王子がひと目惚れし大恋愛する。物語を創造する。
AI時代に夢を叶えるレディ・マダムたちが増えてきた。余裕ある紳士たちがサポートする。ロマンスこそ経済を活性化する。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/1月下旬
田舎。借金苦。狂言誘拐。そして銃がいとも簡単に火を噴く。白い雪景色に赤い血が飛ぶ。わずかな金のために。ラストシーン。女性警察署長と画家のご主人。(3セント切手の図柄に採用されたよ)(素晴らしいわよ)。以前もプレゼン(スリービルボード)したが、フランシス・マクドーマンドがやはりいい。
96年公開だが、今も同じだろう。(小さな幸せ)に感動する・今のアメリカ。価値観を再考するのに相応しい一本(ファーゴ)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2023/1月下旬
文化体験を目的とした海外観光客を20%から50%にする。2020年までの文科省プランだ。<伝統的な日本文化>だけでなくこの70年近くだけでなく明治以来の<欧米キャッチアップ文化>も立派な日本文化である。その広義の文化概念こそセンス交流に大切だが・・・。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
使用前と使用後。NYCにあるディビスという整形外科医の広告。三行広告風である。同じ新聞広告の挿し絵を拡大したアートだ。アーティストはアンディウォーホル。1961。広告デザインをほぼそのままアートに翻訳。ポップアートがシンプルで元気があった。
しかし、ロバートインディアナは、楽天的アメリカンドリームの変貌が政治の事件を契機にとカタる。ケネディ暗殺。キング牧師暗殺。ベトナムへの介入。ブラックパワーやステューデントパワーの台頭。アメリカンナイトメアーの始まり。
それから多様なコピーアートがスタートした。リキテンシュタインはカタる。セザンヌ以来の美術は内面ばかりへ向いてきた。ポップアートは消費社会を直視したと。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊松久

2022/12月下旬
<回帰>がキーワードだと伝えた。和のレトロカルチャーが次第に勢いづいている。その気分は概ね江戸の回帰模様だ。たとえば和装。
しかし、鎌倉時代末期以降には常識から逸脱する自由奔放なスタイルが流行った。<婆娑羅>だ。
<BEYOND THE FRAME ART>が遠い昔の和カルチャーに根付いていた。<鋭い和>こそ発展発信するべきだ。奏松画廊matsukyu。

2022/12月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その22。
極まりない・とまではいかないが、ユルい。人として恥ずべき事を平気でする。人倫道義に反する。キーワードは(破廉恥)。あらゆるアイテムにおいて。たとえば無電柱化。風景の破廉恥。暴力的看板の破廉恥。目利きぶる破廉恥。
そして経営の破廉恥。消費者の破廉恥。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。soumatsu art gallery

2022/12月下旬
13&14&15&17。さてこの4つの数字は。SDGsカテゴリーの気候変動に具体的対策。海の豊かさを守る。陸の豊かさを守る。パートナーシップで目標達成。(オサ半島)。コスタリカ・非武装永世中立国。
平和で社会福祉充実。幸せ度は高い。エコツーリズム発祥の地。生物多様性世界一。乱開発から激減した森林を復活。(守り人)。映画タイトルは(最後の楽園コスタリカ)。アメリカ制作。経済発展開発が楽園なのか4つの数字が楽園を導くのか。それとも清濁併せ呑むのか。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/12月下旬
ダンスが相撲と同じように五穀豊穣を祭る。そんなダンスがセネガルでは、あらゆるシーンで生活に溶け込んでいるらしい。週末の夜明け方まで飲む人たちが多いが、明け方まで踊り狂う。
料理のダンス、夫婦喧嘩のダンス・・・。踊ればまるくなるかも・・・。コンテンポラリーアートが地域創生のきっかけにしてはいるが、ダンスとともに<オドル>こともまた手法では・・・。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。古人燭をとりて夜遊ぶ」。
夜遊びの奨励。詩人は勿論李白。これから忘年パーティの時節。時間が泊まりに来るホテルも大忙しかも・・・。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。

2022/12月下旬
アート・の視野が大きく違う。文学、哲学、地理、歴史はアートジャンルに入る。だから昨日プレゼンしたローレンスウィナーのような文字そのものに拘るアーティストが出てくるわけです。ジェニーホルツァーもそうだ。
ワードとビジュアルコラボアーティストは相当いる。つまりアートは芸術ではない。日本語では芸術・美術になっているが。サイエンスを理科・科学と受け取らない、欧米は。経済学や心理学は科学ジャンルに入る。アートリテラシーが誤解されている。
近頃、リベラルアーツがシマグニ大学で国際標準化を目指して注目ではあるが、視野狭窄のままスタートしても成果はたかだか知れている。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/12月下旬
昨日のプレゼンでリベラルアーツに言及した。アートではなくアーツ。ARTSだ。複数形。毎日シマグニの地図を見ている。天気予報で。ブゼムというアーティストは天気図そのものを作品に。1968/9/26の。
つまり地理学、哲学、文学、歴史の領域がARTSに入っているからだ。当時コンセプチャルアートは黒船だった。そして長い時間が経過してもひとつの基軸・サイエンス領域が大きく発展。
自然科学や社会科学に。時代が大きな曲がり角に来ている。視野狭窄であってはならない。インドから東南アジアへ新羅針盤となるARTSプレゼンを発信したいかと。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/12月下旬
偽善。偽悪。二枚舌。多くの移民が一緒に暮らす大国で唯一信じることが出来ること。それは正義であり真実である。徹底的に嘘を暴く。その汚れ役のひとつに弁護士という仕事がある。アメリカのケースでは大企業のお抱え弁護士のギャラは月額55万ドルくらい。
ひと月5700万円。TVドラマ(ダメージ)。訴訟の敵には、これでもかというくらいダメージをくらわす。その破壊力の大きさと連続が偉大な弁護士として活躍。
自由の女神を模したブックエンドを趣味が悪いと切り捨てる。ARTS表現しかり訴訟しかり。どこかの金魚のうんことは大違いかと。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/12月下旬
対岸のほのかなイルミネーションが美しい。ハドソン川に面しているタワマンベランダ。ハイソたちが住むアッパーイースト。私立の小学校・一年間の授業料が5万ドル(約500万)。
かってキャッチアップという言い方があった。まるで届かない。(The Undoing~フレイザー家)。TVドラマ。まさに世界は多様性かと。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/12月下旬
(戦後は終わった)という言い方がある。そして(芸術は終わった)という言い方もある。で、(土の時代は終わった)という言い方。つまり価値観が大きく舵を切る、という。
しかし、いくら新をあらゆるジャンルにつけてもなかなか険しい。何故だろうか。確かに(みんなで渡れば怖くない)とはいうものの、みんなで右向け右にならない。卒婚も再婚も(人生一度きりだから)は前向きなスタイル。しかし、(私なんか)が口から出る人がシマグニはとてつもなく多い。
潜在意識を開発開拓するために奏松画廊はお手伝いしたい。そのひとつのメニューに(ロマンスプロデューサー奏松画廊)が存在する。

2022/12月下旬
カラダを身体を移動する。つまり動かす。たとえ指一本でも。そのリアリティは解放への扉だ。生への性への未知へ道へ。笠井叡。そのダンスインスタレーションARTS表現は鑑賞者へのリレーショナルARTSジャンル。
(ハタヨガパフォーマンスARTS施術所)は、女性たちが解放へ前向きに扉を開く大いなるきっかけに過ぎない。これから女性たちが更なる飛躍を試行するためにも。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊クラリクラブ

2022/12月下旬
「演劇は、消費できないことに有効性があるか、と」「反近代的である演劇」「現在が陥っている無味乾燥や非人間性を解消できるのではないか」近代がもたらした<FRAME ART>へのアイロニカルな消費経済社会への反抗心が逞しい。別役実の言葉だ。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
黒い風船と仮面が香港学生デモで話題に。その(仮面は制服としての効果)を生産する。規則の奉仕者となる。
しかし、制服も仮面も変装である。官僚的・永続的・規則的である。ロジェカイヨワはメッセージした。マスクこそ制服そのものだ。
制度として義務化されつつあるファッション。(マスクと反マスクとMASK)変装のARTS表現が(インスタレーション&パフォーマンス)にARTS翻訳され、最先端性を獲得しつつある。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/12月下旬
アートジャンルほど多様性というワードがはまる。反芸術、否芸術、非芸術、写芸術、動芸術、瞬芸術、盗芸術、古芸術、精芸術、あげたらきりがない。デュシャンも墓場の影でマッサオだろう。
そして今は、SNS芸術が全盛。額縁はスマホサイズ。スモールイズビューティフル。
★★★★★パフォーマンスアート&ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊松久

2022/12月下旬
東京学なる専門領域があるかどうかは別にして久しぶりにTV東京を拝見した。高校時代の後輩・宮本隆二クン(NHK時代は紅白歌合戦の司会)が進行役で。相撲解説で有名な杉山さん(高校時代の先輩)も出ていた。
NHKが前のオリンピックのために渋谷に越してきたことは初めて知った。それにしても宮本クンは相変わらずトボケた表情でコメディアンすれすれのとこがあるかと。
拙者、東京生活は半世紀以上になるが知らないことは多い・・・。奏松画廊松久matsukyu

2022/12月下旬
反芸術、反美術があるように(反夫婦、反家族)があってもいいという。20代30代は80%以上の男女がそうらしい。そんなに女性の独立を望むなら(大人女性を女の子と言うのか)。
そのあたりのちぐはぐさがこの問題を一向に進展させないひとつだろう。夫婦別姓を選択することの是々非々あたり。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/12月下旬
多様性を拒絶する、かのような<回帰>は、偽装だけにしてもらいたい。ダイバーシティが世界に拡散しているさなかではあるが、ジャパンで「女装して女性の気持ちマーケティング」を学習する。
「つけまつげは思いのほかまぶたが重かった」「アイラインに悪戦苦闘した」・・・。スカートでのクルマ乗り降り。シチュエーションも考えた商品開発への取り組みがやっと始まったらしい。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
量から質へ。大から小へ。保持から離脱へ。風の時代がスタートして一年近くが経過する。リッチであることの価値観が儚い美学として浮草に。ステータスから落ちる。
しかし、(エストロゲンリッチ)は、これから更なる輝きへ。右手にコラーゲンを左手にヒアルロン酸を手下として従える。これほどのリッチさを見たことがない・感じたことがない。
何故か。女性ならではの色艶リッチへ向かうからだ。その大きな手法に(ハタヨガパフォーマンスARTS施術)が存在する。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/12月下旬
「マネキンチャレンジ」という流行りコトバがある。かってシンディシャーマンのハリウッド女優や看護婦等々に偽装するアートを紹介した。1960-1990の女性蔑視時代にアイロニカルにアート翻訳。
それが今頃になってアメリカで大ウケしている。一般ピープルがまるでハロウィーンパーティの延長であるかのように・・・。まさに<回帰>だ。
一般市民(ひょっとしたらクリントン派かもしれない)そのものがトランプのジョーカーであるかのようなアイロニカルにポリティクスを翻訳している。
★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
外車を颯爽と街中でプレゼンする人は多いかと。特にシマグニではステータスとしてビジュアル化している。その一台にベンツがある。
ドイツのアーティスト・ハンスハーケは、そのメーカーの背後にある考え方に迫る。アパルトヘイト。
社会を批評するアート。ドイツの歴史的国家政策があったからとも言える。
★奏松画廊松久matsukyu

2022/12月下旬
「東洋のパリ」と呼ばれたサイゴン。今はホーチミン。アーティストであるファンフィトンは「ベトナムの中で型にはまらないアートを受け入れるギャラリーがある、わずかながらも」と嘆く。
アイロニカルな風刺が効いたアートを得意とする。アジアの出遅れた風たちが、回帰するまでもなく時代が同調している、かのようだ。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
商品広告や天気図、しょっちゅう登場するタレント。そして名勝風景。あらゆるvisualメッセージが固定化している。例えば、天気図を額縁に入れてギャラリーでプレゼンするとそれは天気図でなくなる。ビール瓶も同じ。
ギャラリーの床に敷き詰める。ビールでなくなる。タレントのミニチュア3D彫刻を壁に貼付するとそれはタレントではない。よく手を変え品を変え販売する。ミニマルアートがminimal ARTSになって繰り返し反復される。
歴史上は過去のジャンルではあるが手法は今だに健在だ。大衆はcontemporaryARTSは解らない。という人が多い。しかし、いつのまにか潜在意識を覚醒させられているのだが・・・。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/12月下旬
長期低迷からなぜ抜け出せないのか。大方の経済関係者たちが疑問としている。90年代以降、内部留保が溜りに貯まった。その行き場が株主還元だった。雇用者たちの給与が上がらぬままだ。
そして、人を必要としない時代が始まった。伸びしろが大きいジャンルを最優先する政策が必須だが・・・。つまり「ブサイク」を大きく修正回帰するビジュアル資本主義を進展させる。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
芸術的なぼろ。ぼろな芸術とは違う。70年代初めに流行ったキッチュというアート思想だ。つまり大衆が馴染む生活の中に浸透するアート。昨今、迎合しないタレントたちのシワザを露悪趣味よろしく大衆は覗き込む。
(諸価値が衰退する時代は全てキッチュな時代である)。Gドレフレス。(俗悪)という非価値な価値。まさに非芸術(反芸術ではない)。
ここに潜在意識を掘り起こした石子順造。古今東西・あらゆる名画の代用品グッズもまたこの範疇に入る。そして今、この芸術的ぼろは百花繚乱している。既存メディアそのものがこのジャンルだ。
★★★★★俗悪の思想・石子順造よりデッサン&(吉祥寺ココロを動かす映画館)が廃業してその後新規開店した(謎の俗悪的プレイ館)デッサン。奏松画廊松久matsukyu

2022/12月下旬
かって、<何もしない>ことがアーティスティックなセンスである。流行ったことがあった。そのセンスを拡散したアーティストがジョンケージだ。久しぶりにペーパーで見た。
4分33秒間演奏しない、演奏会。「感じる&考える」ことの大切さをプレゼンしたに違いない。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その21。
自分自身の馬鹿馬鹿しさを笑う。究極のユーモア。つまりブラックユーモア。例えば、息子「腹減ったなあ」母親「こう雨が続いたんじゃ仕事がないよ」「テルテル坊主でも下げようか」
母親「まあ、待ちなよ。もう四五ん日雨が続けば二人でテルテル坊主になるから」生活苦のため首吊りをする。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。
詳細はプロフィールにリンクする奏松画廊でチェックされてください。奏松画廊松久

2022/12月下旬
世間ではパワハラが常態化していると言っても過言ではない。世界的大手自動車メーカーで従業員を自殺まで追い込んだ責任は重大だ。あらゆるハラスメントが蔓延している。例えば、(表現の不自由)展がそうだ。
アートなら何でも可能という錯覚を生産した。その錯覚がまた展開されようとしている。広島トリエンナーレで。
しかし、これは政治プロパガンダ的暴行以外の何物でもない。ネーミング開発をする。(アーハラ)。今後伝染する可能性をハラんでいる。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ2018・奏松画廊松久matsukyu

2022/12月下旬
「地域デザイン科学部」「芸術デザイン学部」「地域資源創生学部」のような新学部がラッシュしているらしい。国立大の学部再編事情。卒業してその地域に根付いてリノベーションする人材になって頂ければ結構だが・・・。
<成長戦略> のひとつだが、投資がいまいちだ。ちなみに米ハーバード大学やMITと日本大学教授の給与差は約二倍以上も開いている。(ハーバードは二千万弱日本教授は七百万弱)
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
(下手の横好き)(岡濡らし)。色艶の非常識から生まれた。変則スタイルを通ぶって殊更好む。横・は、そもそも道理に反する。ヘボに限って理不尽にも好きになってしまう。
濡らす道に外れることも非正規な道理。で、三連休。たまにはフラッと外れた道も楽しからずや。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2022/12月下旬
モノトーンが流行り男女の境目がなくなりつつあった。経済的な豊かさとは裏腹に時代の先がなんとなく見えないふりをしていたかのようだった。「朧気で見えない」が集大成する時節が80年代の半ばくらいだろう。
小泉今日子が髪を切りアーティスト風になった。男女の境界線が朧気になりつつあった。このあたりからアイロニカルな反抗心が溶け始めつつあった。奏松画廊matsukyu

2022/12月下旬
かって70年前後に新宿で石を投げればカメラマンに当たる、と揶揄された時節があった。今、小説がさっぱり売れないという。何故か。小説家から小説屋になったからだという。数字が全てを決める。
たとえば視野を拡げて(小さな説得)を小説というコンセプトにするとSNSマーケティングが最も有利かと。全世界にクチコミするからだ。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2022/12月下旬
いわゆる東洋の美という伝統意識がある。花鳥画と山水画に代表される。装飾性を極力排除する。何かしら靄のかかった空気感の(無の風景)こそ潜在意識をくすぐられる。
しかし、花や鳥、山や水は装飾モチーフとして重宝されてきた。生活用具の中に自然を愛でる。TVドラマ(ダメージ)の中で白人富豪資産家パーティ。嘆き卑下されるシーンがある。
2050頃はアジアが中心になると。しかし、今の20代30代が指導層になるその頃に(おとうさん・おかあさん・女の子)と使い方の意味も知らずに乱発する今を思うとペシミスティックな感情にならざるを得ない・・・。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/12月下旬
英文解釈というジャンルがある。(世界を情緒的に解釈する)というアート的ジャンルがあった。アレ・ブレ・ボケ。しかし、それが政治の季節とリンクする危うさを孕んでいた。
そこから文学部はいらないというコンセプトにつながった。このころはまだARTS領域に文学は一部でしかないことを気づいていなかった。何も英語の文章だけで世界は理解できない。
visualがその多くを主張する。中平卓馬は大きく舵を切る、図鑑データのような信頼性に。(視野狭窄・意識狭窄・感性狭窄)から脱することが解釈されていなかった。このあたりからコマーシャリズムが勢いを増加してゆく。 ⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/12月下旬
「自由主義でもない。民主主義でもない。日本主義だ」。三島由紀夫さんの命日・今日は。短い人生だった。が、作品は長生きする。(サド侯爵夫人)。異端と多様な価値観がテーマ。
戦後演劇作品の中で高い評価を獲得。早くから利賀村で地域再生に貢献してきた鈴木忠志さん演出。来月是非鑑賞したいかと。インスタレーションアートでもある。

2022/12月下旬

★★★★(個人映画)というジャンルがあった。狂気・逸脱・奇形。孤立を恐れることなく前衛するスタンス。そこから非構造が生産される。それは日記として記録される。制度的な色眼鏡から離れる。
世間はよく多様性という言葉を頻繁に使っている、近頃は。それは固定化・社会通念化した(表現の自由)枠内での言葉遊びに他ならない。
例えば、Instagramプレゼン。visualの日記。創造の日記。想像の日記。そこから悦楽はあまり垣間見えない。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊
★吉祥寺シアターにてプレゼンされるSCOTパフォーマンスステージ告知チラシ。奏松画廊松久matsukyu

2022/12月下旬
(話がパルコ)。意味不明とかワケワカンナイとか。そんな時に使った・流行ったよね。その渋谷パルコがリオープン。が、解りやすい。時代はあらゆる情報やビジュアルが交差氾濫している。
既視感・リ情報・リリ情報もまた氾濫。サプライズしない。それともひとつは(広告告知プレゼン)が新鮮味の欠片もない。
(これがアートなのか)というような(アート翻訳)されたとてつもないマーケティングデザイン創出してない。これじゃ衰退していくのも時間の問題かと。奏松画廊松久matsukyu

2022/12月下旬
(アートを物語に翻訳)する。もはやキャンバスも絵具もいらない。固定観念・社会通念を打破する。唯一性という古典絵画・彫刻の地位を時代遅れにした。言語そのものは視覚でもある。ローレンスウィナー。
例えば、Amazonで販売する物語。FacebookやInstagramでのプレゼン。読むことも眺めることもできる。奏松画廊松久とアナロジーする作家だ。

2022/11月下旬
(銀ギラ銀にさりげなく)と(ギンギンに行こうぜ)との間には相当な距離がある。マッチの歌の後には概ね(ガンバリマース)がくる。
しかし、ロックの後には(ヨロシクッ)がくる。常識・良識なんかクソクラエ。存在はお願いするものじゃなく(奪い取るもの)。
自由で自在な存在。ベンヤミンのいう破壊的な精神のシンボル表現。
★★★★★SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/11月下旬
コナンドイル、シャーロックホームズ、ゴッホ、モーツアルト、ルイスキャロル、スピノザ、カント、ベートーベン、エリックサティ、そしてアンディウォーホル。
皆アスペルガー症候群。自己表現は大きな困難克服のカタチ。この映画の主人公はその症状を持つ。仕事は会計士。世界中の裏帳簿を仕切る裏社会の掃除屋。
数字の天才であり、スナイパーである。この設定がこのシナリオが見事だ。映画(ザ・コンサルタント)。

2022/11月下旬
パワフルな暴風雨に襲われる。日々膨大なイメージにもまた襲われる。メディアそのものがメッセージだ。たとえばトランプや習近平を知らないが知っている。
ハリウッドスターもNYCの風景も・・・。もはや頭の中でコラージュアーティスト。SNSメディアが更に視野拡大。しかし、止まっている人も多々いる。
サイズとかマチエールとか素材とか・・・、リアルな認識でしか作品確認ができない。価値観が止まっている。シマグニだけではない。世界にいる。
戦略的に。これじゃ成長できるわけがない。もしくは成長の足を意図的に引っ張っている。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&代官山デッサン・奏松画廊松久matsukyu

2022/11月下旬
無邪気な建物。おもちゃがあり、戦闘機がある。そしてユーモラス。元トラック運転手。デザイナー・フランクゲイリー。
もっとのびのびとした表現にしたい。ところがシマグニでは建物visualをストライプにしただけで近隣からクレームがくる。
目立つことをことさらケギライする。出る杭は打たれる。潜在意識に蓋をする。視野狭窄のままで(阿吽の呼吸が息づく)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/11月下旬
潜在意識が眠っている。97%も。つまり表現自由をからきし使いこなしていない。覚醒させる唯一の手法にサマーディがある。
自我という意識と眠っている意識の交流交換。具体的なポーズは瞑想すること。その先に新たな認識が獲得できる。
更に(ハタヨガパフォーマンスARTS施術)を通してコラーゲン・ヒアルロン酸の生成につながる。
何故世間ではこうも多くのサプリが繁盛しているのか。(気の交流)がなされてないからだ。
多くのマダム・レディたちはエストロゲンが大きく減少している。奏松画廊雑談倶楽部はこの手法で貢献している。

2022/11月下旬
(ARTS表現家は、その身体を携えている)。けだし名言かもしれない。ARTS表現家は、その身体を世界に貸すことによって、世界をARTS表現に変える。
元はバレリの言葉。例えば(しゃべる口、動かす手足)だ。ハタヨガパフォーマンスARTS施術にチャクラマッサージがある。
オーラルチャクラマッサージは効果が高い。元来体内にコラーゲンがある。骨や関節の中に60%くらいは。
それが経年劣化して少なくなる。(コラーゲンを再生)する重要な(チャクラオーラルマッサージ)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松

2022/11月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。 その16。 多くの人は一時的に感情を露わにする。瞬間湯沸かし器だ。それが人間らしいと。欲情、怒り、恐怖、喜び、憎しみ、悲しみ哀しみ・・・。(パトス)。
しかし、クールがビューティだ。クールに継続する。つまりAI化にできるだけ近づくことがカッコいいと。アナログを訓練する。想像力&創造力が高まる。
必ず効果は出る。詳細は奏松プロフィールにリンクするHPでチェックされて下さい。soumatsu art gallery

2022/11月下旬
潜在意識の開発。人は多様な隠れた才能を保持している。しかし、置き去りにして活用されない。健康診断をするように隅々までチェックする。
バランス感覚の欠如を診断。国の財政でいえば(カルチャーバランス)が不釣り合い。予算があまりにも少ない。主要行政になびく。
給与が鈍化しているにもかかわらず消費税は上がる。和洋・洋和センスのバランス。つまり脱視野狭窄。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/11月下旬
(浅い川も深く渡れ)(夏炉冬扇)。あまり聞きなれないことわざではないだろうか。ま、備えあれば患いなし・というところだろう。
近頃は効率ばかりが優先されるが、無駄と思える努力がいざという時に必ず役に立つ。その訓練に(瞑想ヨガ)がある。肉体と精神のバランスを開発する。
その効能は見違えるほどだ。奏松画廊松久は既に七年近くこの地味な訓練を週三日持続している。特に気が出入りする七か所のエネルギーエリアがある。
性器と尻穴の間(女性は蟻の戸渡り)。臍の下。みぞおち。胸。首筋。眉間。頭頂。逞しい生命力の訓練は戸渡りをマッサージすることで健康寿命がまるで違う。
想像力、創造力、疲労回復力等々訓練することで蘇る。97%眠っている潜在意識が。雑談倶楽部は気の交流を通して特に(美意識回復)の気づきを与える。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/11月下旬
(色とは物のこと)。物には全て色がある。光を照らすことで物たりうる。そこから色彩を発する。色即是空。
しかし、色に固定化は無い。空無である。つまり無限だ。まさに今問われる多様性ではあるが、西洋的(配色の妙)が作為的に整う。
この配色思想は(自然の物象に対して不遜な言い方)だ。潜在意識を開発開拓することは、その自然の色に少しでも近づく。
そのARTS表現のひとつに(リレーショナルARTS表現・人物画専門画廊シリーズ)がある。些か小難しくなった台風一過のプレゼン。
自然の潜在意識を探りに旅にでたいかと・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2022/11月下旬
(気を交流)させる。外のエネルギーと交換する。そのためには圧迫してるものを剥がす。そうしないと気の交流はない。
開放されないからだ。つまりまったく効果がでない。最も効果が高い(ハ)と(タ)の交流。つまり陽と陰。
(ヨガのパフォーミングARTS施術所)こそ表現の自由をおもいっきり獲得できる。
★★★★★SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/11月下旬
惜しげも無く(愛し合う肢体)が色艶・熟女を解き放つ。アラフィフのいささか弛んだ肉体がなんとも唆る。女優兼監督・エマニュエルベルコ。
夫婦がそこそこ離れて暮らす意味を問う。(モンロワ・愛を巡るそれぞれの理由)???? ARTSカウンセラー奏松画廊クラリクラブ

2022/11月下旬
二十年前になる。(人物画専門画廊)というシリーズ作品がある。コンセプトは余裕・恋愛・品格。会員募集はタブロイド、HP。
まだSNSが発展してない頃だったが、マスコミで大いに話題に。紳士会員はほぼ経営者。大手管理職。デザイナーなど専門職。
落ち着いた淑女殿方限定。Artgalleryに移動すると(翻訳された????️rtsになる)。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2022/11月下旬
(ヘアリボンの少女)。1994N。東京都現代美術館が購入した。ロイリキテンシュタイン。「マンガのような絵に六億も・・・」と都議会で批判が。
しかし、今では50億になるという。公共施設にcontemporaryARTS作品があまりにも少ない。せいぜい抽象表現作品どまり。
私企業にも。(新資本主義)とは視野狭窄・意識狭窄・感性狭窄から脱でなければならぬ。以上ッ。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2022/11月下旬
書道展によく「知事賞」や「総理大臣賞」や「文部科学大臣賞」等々権威づけのプロモーションインセンティブが、長い間何の疑問もなく堂々とプレゼンされてきた。
そうする狙いは出品作が増加されることだ。すると当然マニーが増加される。そのために架空人物に賞を付与する。いわゆる偽装化アートの詐欺行為である。
多くの自治体でまるで事務的に無責任体質が跋扈していた。アートを知らない民度をこバカにしたしわざである。日比谷界隈スケッチより。奏松画廊matsukyu

2022/11月下旬
かって牛乳瓶の木箱があった。その小さなボックスを逆手にとって茶化すアート作品があった。その箱の中に小さな作品を入れる。それを銀座の通りに置いとく。
皮肉めいたシワザ。これもひとつのリレーショナルARTS表現だ。アート作品の価値とは何か。牛乳一本の価値なのか。それともシワザそのものに大いなる価値があるのか。
俗悪と礼拝との境を取り払らわれて以来長い時間が経過した。新資本主義が答えをプレゼンしてくれるのか。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2022/11月下旬
横丁という場がスキだ。寄り道、横恋慕、横しま、横着、横槍を入れる。そんなセンスが非常識を訓練しなくても身に着く。
大昔、阿佐ヶ谷から住まいはじめて、下北沢、吉祥寺と半世紀近く(横好き)だ。上手も下手も清濁併せ呑む。アイロニカルな反骨は持続する、これからも。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/11月下旬
ひとつの一行やひとつのmessageが大きな作用を及ぼす。例えばここ二年近く既存メディアで連日大騒ぎしている。
そのスタッフの狂乱めいたmessageに踊る人はどれくらいいるのだろうか。(48億の妄想)というタイトルのミステリーがある。筒井康隆。
TVが世間の全てを操っているかのような未来社会をナンセンスタッチで物語化。1966N。
しかし今、多様化したメディアで阿波踊りは風前の灯火になりつつある。それはひとつの幻影(ブーアスティン)でしかない。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2022/11月下旬
持続すべきもの。持続する必要がないもの。持続してはいけないもの。例えば(文化的もの)。視野狭窄ではいけない。新しい文化財を発見する。育てる。
体育同様(文化育)こそこれからの国柄であってほしい。奏松画廊松久matsukyu

2022/11月下旬
ミニマルアートの先駆者。ダウンタウンアートシーンのパイオニア。まだソーホーという地名すらなかった60年代後半にこの地に住み着きアート作業に邁進した。
アート思想家。ドナルドジャッド。賃料が安いのもあるのだろうが、ファクトリー風の広々として作業がはかどるかのような・・・。
このミュージアムは世界中からファンが。半年先まで予約が取れないという。パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2022/11月下旬
映画ジャンルにアート映画がある。ビムベンタース、ラースフォントリアー、レオスカラックス、アッバスキアロスタミ・・・。
渋谷のユーロスペース。さらにイメージフォーラム。商業映画だけじゃなくたまにはアート映画を鑑賞するセンスを持ち合わせたいね。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2022/11月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その17。
名前、年齢、学校、住まい、仕事等々ライフスタイルが固定している。そのようなイメージが固定していると伝えた方がいいのだろう。
しかし、そのイメージを打破する。あるいは反骨する。多くの人々はイメージ管理された虚像を発信しているに過ぎない。(固定観念)を疑う。
あえて逆手に取る。たとえばグレイヘア。バストアップ。アナログを訓練する。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。
詳細はプロフィールにリンクするHPでチェックされて下さい。soumatsu ARTSgallery

2022/10月下旬
師の柄杓は凛としてゆるぎない完璧なかたちをしていた。だれもが卓抜した美意識と器用な手先に畏怖を感じた。
それでいてかなずしも完全な美しさを喜ばない偏屈さ。高麗の井戸茶碗を(ゆるきもの)だと打ち割ったことがある。緊張感のなさが気に食わなかった。
ちょうど十文字に割れたので継ぎ直して使っていた。師に褒められた。師もまた花入れや灯籠を欠いたことがあると聞いて弟子は驚いた。
師とは利休。弟子とは古田織部。早世した小説家・山本兼一(利休にたずねよ)より。

2022/10月下旬
その男はレーサー。その女はシナリオライター。ともに子供がいる。寄宿スクールに預けている。その場はドービル。
VISUALが美しい。海辺が・・・。老人と犬が散歩している。ふとジャコメティを思い出す。ジャンルイトランティ二アンとアヌークエーメ。
彼女が端正だ。最近お目にかかれない。この手の美貌に。「男と女」。クロードルルーシュ。フランシスレイの音がVISUALのように奏でられる。
来月からプレゼンされる(art deco)。ダイスキな庭園美術館。soumatsu????️rt gallery

2022/10月下旬
(芸術は麻薬の如きものであるに違いない)とデュシャンは言った。60~70年代にかけて夥しいコンセプチャルアートの洪水に襲われた。
世界中のかなりの人たちが麻薬中毒症に感染したわけだ。この頃から(コトバそのものがアートに翻訳)されることになる。
例えばジョン・バルデッサリのシナリオ、河原温の電報、ブゼムの68/9/26の天気図等々。実際の天気図とともにワードアートが添えられている。
そして伝染していった。広告ジャンルに、ファッションにインテリアに普通の人々に・・・。
★★★★★1974芸術倶楽部&パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/10月下旬
台風一過。穏やかな天気図。何もなかったかのような天気図。コンセプチャルARTS作家・ブゼムは、何を表現しようとしたのか。1968。
人は一喜一憂することで、平和であることの喜びをよりかみしめることができる。まるで変化する株式数字もまた天気図のようだが。
ジョン・ケージの音を閉じた演奏もまた聴衆の心を揺さぶることで平和をより感じられることを表現したのだろうか。
そして今、ARTS表現の先端性はどのあたりを動いているのだろうか。それは抽象的な平和を表現することではない。
(世界の問題課題を解決する)気づきをARTS表現することだ。近頃のcontemporaryARTS性が発揮されてない作品が多々見られるのは覚悟が足りない証拠だ。
★★★★★奏松画廊

2022/10月下旬
地方創生、格差、継続。使い古された手垢のついた言葉たち。ARTS表現家やアーティスト、そして政治家、経済家等々は(自分の言葉・ことば・コトバを使いたい)。
俳優でも落語家でも(芸より人を磨け)と。例えば、田舎を活き活きしたい。若者が離れていく。何故か。彼ら彼女らが望む大きなひとつに恋活がある。
田舎はときめかない。農業は地味で厳しいとよく大人は諭すが、彼らだって心の内では解っている。
欧米の田舎農業家にあるこジャレた雰囲気がない、シマグニに。唯一の公民館や居酒屋で楽しむにはあまりにもダサい。コロナ禍で大盤振る舞いしている財政。
出そうとやれば出来る。今の政治家に大きく足りないこと。(腹をくくった勇気と太っ腹)。かっての角栄さんのような。60年代の絶望的な状況に虚しさが漂うシニアは厳しいかと。
★★★★★奏松画廊

2022/10月下旬
(物まね・ものまね・モノマネ)は、ひとつの大いなる芸である。例えば清水アキラさんの谷村新司まね。もはや三ツ星の域。
しかし、現代美術ジャンルでは咀嚼力が大いに不足している。歯周病になりつつある。欧米のモノマネが一つ星すらない。
美術展で作品解説やカタログ解説で情けないくらい自信のないすらすら感のないコトバ運びに距離感があり過ぎる。
鑑賞者が創作者ということをまるで眼目にない。美術学校や美大の教師たちの責任は限りなく緩い。

2022/10月下旬
浅草の一女・小石川の二女・麻布の三女と言われている。東京府立一女であり、二女は竹早、三女は駒場。
芝木好子は一女出だ。彼女の作品に(洲崎パラダイス)がある。木場が材木問屋で活況だったころ特飲街で賑わった。
惰弱の男に女は愛想を尽かすのだが、切れそうで切れない男女の絆を描いている。男女を超えた情けの深さ。乾いたAIテクノ時代に欠乏してるかと・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2022/10月下旬
多様な写真がプレゼンされる。SNSメディアが大きなメッセージを発信したためにあらゆる社会的距離感が生産された。
その中には被写体の持つ人間関係が炙り出されることがある。それはその時代に生きる活きる活かされるvisualがにじみ出る。
その被写体の社会的位置そのものがデスマスク(再生)される。ソンタグは階級意識を指摘した。つまり(写真は距離感のARTS表現)である。
(程よい距離感)は、熟成したミドルシニアのプライドである。それは卒婚や活恋に大いに役立つ。相手を尊重し前向きにさせるからだ。
★★★★★ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/10月下旬
アートが多様化して久しい。しかし、アート鑑賞の仕方はまだそんなに多様化してない。ボックスの中で、が主流だ。
かってプレゼンしたが、砂漠の中で花火をテント宿泊して鑑賞するアートがあった。もちろん街中にあるオブジェ・スカルプチャー等々は多々ある。
議論したり発表したり・・・。もちろんアートだ。そして(雑談倶楽部)がある。多様なコミュニケーションスタイルだ。
身も心も開放されて社会通念から縛られないスタイルもまた雑談のひとつだ。以前プレゼンしたが、(人物画専門画廊)という作品がある。
余裕・品格・洗練を携えた色艶交流倶楽部だった。暑さ寒さも彼岸まで。アート・ファッション・グルメ・トラベル・・・。
真っ赤に染まる紅葉のようなとろけるLOVEこそ ARTS表現だ。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/10月下旬
マリリンモンロー、エルビス、キャンベル、エンパイアステートビル、そして事故惨事写真。(一瞬にして解る)ARTSをプレゼンした。ウォーホール。
広告アートディレクター出身の彼は延長線にその作法を作業し続けた。しかし無題とつける作品がある。ロールシャッハテストvisualをシルクで刷った。
NYCは住民一人当たりの精神分析医が一番多いらしい。抽象表現作品へのアイロニカルな反骨なのかはわからない。
★★★★★奏松画廊

2022/10月下旬
かってプレゼンしたかと。台北のアーティスト。ボックスギャラリーで鑑賞者たちひとりひとりにメモ用紙をわたして感想メッセージを描いてもらう。
その行為そのものを A R T Sとして(再定義)した。奏松画廊松久もまた二十年位前になるが、(人物画専門画廊)というタイトルのシリーズ A R T Sがある。
長い間封印している。いつかプレゼンしたいかとは思う・・・。具体的には、Facebookの余裕品格色艶タイプで美意識をアピールする交流画廊。
勿論身分は確定された淑女紳士限定。(HPやタブロイドペーパーで実際に募集した)。プレゼンする時は身分は黒塗りになるが。
この A R T SのことはAmazon販売の(えいじゃないかッ)にWORDS A R T S・物語でプレゼンしている。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/10月下旬
過去の偉大なアーティストをミニチュア化する。たとえばウォーホル、リキテンシュタイン、ジャスパージョーンズ等々。視野狭窄に貶める。
なんともアイロニカルなシワザだ。(再構築アート)。もしくはアプロプリエーション手法アート。
そんなアーティストにペティポン、ビドロ、スチュートバンドがいる。ウォーホルは自らも揶揄して「コピーアートをコピーしなさい」と。
もはやオリジナルという視野狭窄概念は、(器の小さい古物)としか言いようがない。ダイバーシティ・シリーズ。soumatsu art gallery

2022/10月下旬
(良薬、過ぎたるは毒になる)。直参旗本・日向半兵衛。老中・松平定信の緊縮政策が多々諍いを誘う。田沼時代を懐かしむ庶民。自殺者が後を絶たない。
何か出世欲のない人生。しかし、剣の達人。飄々して演じる水谷豊がいい。用人役に岸部一徳。巧い。いつの時代も(白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき)。
スポーツライター・原作・海老沢泰久。勧善懲悪ものはウケがいいかと。ドラマ(無用庵隠居修行)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/10月下旬
ポスター、TV、デジタルサイネージ、メディアペーパー、ブック、プロモーションツール等々マーケティング手法では欠かせない。
その利点をアートメディアとして活用した。ジェニーホルツァー。しかし、ビジュアルメッセージはない。自由詩のようなワードでプレゼン。
野球場の電子掲示板から列車の車体、Tシャツ・・・。ポスターからスタート。もともとは抽象表現アート。ロスコ―に憧れていたらしい。
今、ワードをメッセージをプレゼンするFBfはそこそこいる。大いなる、そして全てワールドワイドを網羅したSNSメディアで。
しかし、一見アートでありながらアートではない。そこには(アート思想+作品)というコンセプトがないからだ。soumatsu art gallery

2022/10月下旬
(拈華微笑)。聞きなれない言葉だろう。魅惑的なマダムが俯き加減に何気なく笑みを浮かべる。言葉は交わす必要がない。世間は言葉・ことば・コトバで溢れかえっている。
口も眼も閉じて瞑想する。熟しきった肉体の一部がつままれた時、身も心も解放へ向かう。ハタヨガパフォーマンスARTS施術所。

2022/10月下旬
恋、進学の悩みは勿論のこと家出から転職、はては政治からY談といった若者たちの日頃からのうらみつらみが一文字ずつ極彩色で塗分けられたvisualイメージ。
深夜放送リクエストハガキ。1970。大人たちのプリントバイアス(活字偏重癖)価値観にカウンターパンチを炸裂させた。今のSNSメディアに近似していないだろうか。
かって幼少期に活発な創造力想像力を発揮した。しかし、大人になり自己規制に陥る。
そのはけ口は本離れを促進し(殻に閉じこもる)。深夜メディア固有の心地よい共有意識が芽生える。当時の視野狭窄意識メディアからSNSメディアは大きく脱皮した。
★★★★★奏松画廊

2022/10月下旬
(CLARY CLUB)のコンセプトをリテラシーしてない方がまだ多くいる。改めてコンセプトをプレゼンする。
その① クラリセージ・ハーブのミドルシニアエージへのヘルシー効果。クレバーな恋物語の創造。
その② リレーショナルARTS表現という現代美術ジャンルである。身も心も余裕ある関係性の中から解放されるライフスタイル発見。
その➂ レストランやカフェ、トラベル、更には卒婚・再婚等々(消費経済活動の見えざる手)と共にアップデートする経済への貢献。
と真摯にカタるとチャカす方が必ずいる。例えば、ゴタクを並べてるが早い話が(大昔の女衒商売)なんだろう、と。しかし、昔も今も多々清き水ではない。
濁り水が増加している世間。偽装化された清き水へ進んでも解放されない。

2022/10月下旬
改めて書庫に光がさしこんだ・・・。タイトルがNICEである。たとえばこのマリリンモンローもグーだが、(山口百恵は菩薩である)(官能武装論)(三波春夫という永久革命)・・・。
著書量は多い。ジャズ評論家・平岡正明。既に亡くなったが、ジャズとレフトウィングと演歌がセットになっていた。
そのわりにはナイーブな優男二枚目。SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2022/10月下旬
各地に伝統工芸がある。たとえば漆塗りのお椀。その使い方は食べ物に。しかし、機能を外れると。コンテンポラリーアートになる。織物もしかり。
マフラーや着物。が、機能を外す。するとアートに。陶器も。火鉢がある。が、金魚が泳ぐ池に。ギフティド&タレンティド。
近い将来、マーケティングはアートへ向かう。ギフトショーを眺めながらアート素材を思考する。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/10月下旬
フロッタージュというアート手法がある。コインの上にペーパーをのせエンピツでこする。ま、「写す」技法。東洋では「写経」のような修業的手法もある。
しかし、その手法がアートになる西洋。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」のアート思想がズレこんでいる。
更に写しながら表現力へ向かうアートとうちなる無心へ向かう祈り。しかし、「写経」のみならず写すアートが日の本再発見であり、再発信になりつつある。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ2016。ドローイングアート。&「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。テーマはBONSAIシリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/10月下旬
60年代後半から、政治の季節は無関心へと向かう。脱政治。文化もまた脱文化へ。カウンターカルチャー・アンダーカルチャー・サブカル・・・。
アーテイスト関根伸夫は、円筒形の大きな穴を掘ったプレゼンをする。穴の中に何かがあるのでは、と。そしてdiscoverJapanキャンペーンCMが・・・。
ひとことで言うなら(脱シマグニ)と。つまり再定義をする。再発見をする。そして今、脱経済へと。再定義を試みる。
しかし、大方の民はなかなか六畳間から四畳半へシフトしづらいかと。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/10月下旬
かってジェスチャーというコミュニケーションスタイルが流行った。ボディーランゲージ。たとえばヌーディスト。身も心も開放されたアート。
何かを纏うことで人は身構える。程よい距離感を好感する。都会人の習性。アメリカで孤独を感じる人が70%近くいる。
AI時代は身ぐるみはがされる個人情報が。ともにかってプレゼンした。もはや纏う行為シグサが意味ないかと・・・。
★★★★★ダイバーシティシリーズ&パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/10月下旬
大正から昭和にかけて吉祥寺は文化人でにぎわっていた。その中心的画家に織田一麿がいた。亀井勝一郎は特に好きだったらしい。
「同じ町に住んでいるのでいつも町でお会いした。気軽でユーモラス。飄々としてどこかとぼけたところがあった」と。
野口雨情、野田宇太郎、美濃部達吉、小畠鼎子、石井漠、そして金子光晴等々。たましん地域文化財団の室長をされている保坂一房氏の講演にて。
おとぱサロン・武蔵野プレイス・奏松画廊松久matsukyu

2022/09月下旬
これがアートか?あるいはアート化。と感じる考える作品が増加している。たとえば、一般のひとから募集したスカートやブラウスやスラックスなどを木箱に詰める。プレゼン後それらのものは返却される。
あるいは、机と筆記具を用意して来場したひとに自由なフレーズを書いてもらう。園芸を愛するひとの日々の記録を写真に収める。台湾の作家だ。つまりいきつくとこまでアートが視野を拡大した。
★★★★★テーマは(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)BONSAIシリーズ。 soumatsu ARTSgallery

2022/09月下旬
新たな愛に目覚める。そして新しい人生の始まり。出逢いと人生の機微。50歳まで美しく年を重ねる。夫とも一見穏やかな暮らしぶり。が、若気の至りだったシングル時代。
そんな物語映像がパラレルに。ある日年下のコンビニパート・キヌアリーブスに出会う。一瞬にして惹かれる魅力的な妻・ブレイクライブリー。かなり年上の夫、アランアーキン。
元妻のモニカ・ベルッチ。NYCの郊外に引っ越してきた。シニアばかりのその地。visualが素晴らしい。(50歳の恋愛白書)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2022/09月下旬
大きな批判にさらされた。モンサント社。アグリカルチャーが重要な問題課題に。農業ビジネスの巨大資本に抗い戦うアート。空の種袋をプレゼン。
タイトルは農場名・作物の種類・種をまいた畑の反数を明記。アメリカの小規模農家の窮状を訴える。これからのアートだ。
★★★★★ケイトエリクソン&メルジーグラーのアート作品。奏松画廊松久matsukyu

2022/09月下旬
★★★★★(非常識を訓練)するシリーズ。
その11。
社会のルールを守る。当たり前だ。しかし、非ルールとの境界ギリギリまで言動の羽根を拡げることはなかなかしない。程々に抑制する。つまり(解放)されてない。
自己を解き放つ・と自分が見えてくる。プラス思考&志向ばかりだとワンサイドしか見えない。
(非常識を訓練)すれば、想像力&創造力が逞しくなる。必ず効果がある。アートレッスンの詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。soumatsu art gallery

2022/09月下旬
何故、アートオークションされた価格は法外なのか。その中にシマグニアートはほとんど入ってないのか。中国アートが上位価格を独占するのか。(偽装絵画・石膏像)という手法。このアイロニカルな反骨は何故注目されるのか。
政治経済活動に(偽装・改ざん・やらせ・隠ぺい)が度々暴露される。その現実と大いにリンクしているのか。アランマッカラムのアート作品はそのことをプレゼンしてくれる。奏松画廊松久matsukyu

2022/09月下旬
退屈が人生の敵である。たぶんかって宮廷の高官たちは、サーカスのような「おどろおどろしい」奇妙なビジュアルしかけを楽しんだに違いない。
生活のために必死に応えた芸術家たち。アンチンボルドもまたそんなひとりだったのだろう。芸術は娯楽ではない。
★★★★★(パホーマンスアート)シリーズ&「ダイバーシティ」シリーズ。

2022/09月下旬
新天地を夢見ていた。小さな島国で噂話が絶えない、ことに耐えきれない。アイルランドから多くの移民が海を渡った。その地はブルックリン。1950年代。スイムウェアや海辺で着替えるしぐさ。
丸襟のレース付きブラウス。ワイドラペルのスーツ。<ヴィンテ―ジビジュアル>が素晴らしい。何気ないシナリオでアート映画。優しい物語でアートになる。映画「Brooklyn」。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。soumatsu art gallery

2022/09月下旬
かってフォルマリズム・抽象表現主義が議論のムーブメントを巻き起こした。ロンドンの美術学校教師・ジョンレイサムは、グリーンバーグ(芸術と文化)が学生に大きな影響を及ぼすのはけしからんと。
任意ページを学生に噛み砕かせた事件で学校を首になった。戦うことそのものが ARTS表現だった。

2022/09月下旬
アートとは、どれひとつとってもオリジナルなものはない。種々なイメージが混ざり合い(衝突する場)だ。アートの意味は、どこから来たのではなく(どこに向かうか)である。意味形成の責務を作者から鑑賞者へ。
シェリーレビィンは、イメージ借用派として執拗に攻撃を浴びせてきたひとりだ。情報が二次三次と姿を変えて発信される今こそアートの意味を再点検する時節では・・・。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2022/09月下旬
NYCガゴシアンギャラリーが恐ろしいまで支えた、戦略的高値で。イメージコンサルタントをアート業界で始めて雇う。自らはほとんど発注作業のみ。その名はJeff Koons。
元ウォールストリートの証券マン。天才的錬金術師。制作行為に意味はない。アイデアが芸術の作り手となる。ル・ウィットのコンセプチャルアート宣言。「私の作品は一度見ればその人の作品だ。
頭の中に入って取り除くことはできない。」ローレンス・ウィナーは画廊、美術館、美術商らの特権的占有を覆そうというアイロニカルな意図をプレゼンした。作品の具体化を否定する。
作品の制作より芸術について論じることを重要視した。それはアドアートにつながりサスティナビリティしている。今そのアート思想が大きく注目されている。
★★★★★(パァホーマンスアート)シリーズ&(Message Art)シリーズ。soumatsu art gallery

2022/08月下旬
(作品の具体化を否定)。以前何度もプレゼンした、コンセプチャルアートの定義。裏を返せば、美術館、既存メディア、画廊、美術商らの特権的芸術占拠を覆す仕業だった。
だからこそアイロニカルに奏松画廊とネーミングしたわけだ。例えばFBfにエステティシャンがいる。コンセプチャルアートに興味があるマダムとする。
しかし、作品を具体的に創作するわけではない。しかしそのマダムはコンセプチャルアーティストといえる。
そんな何度もちゃぶ台をひっくり返した時代を経て(今美術)が存在する。以前コの字型で隣のオヤジらしき客から解体屋と言われたことがあった。なかなか言い得て妙と感じた。
リレーショナルARTS表現(人物画専門画廊シリーズ)がある。何故ARTじゃなくARTSなのか。そんな複雑骨折をそのまんま引きづりながらでも悦楽の手法があることをプレゼンしたいからだ。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/08月下旬
以前タイムラインでプレゼンしたが、効果が出てきた。再度喋る。平安時代に烏帽子・が流行った。24時間着用。食事、就寝時も。常識だった。
そして大正から昭和初期に中折れ帽でその美学が復活。しかし長い間(チャビンツルピカ)の横柄な pictureが。変化の兆しが。
シニア芸能人達が(ワカツクリ picture)を反省しだした。銀髪&金髪・を志向。ま、拙者の銀髪が好影響を与えたかと。勿論messageが共に効いているが。
このFBfの中には既存TVを崇める方が多々いるが、SNSメディアにプレゼンする矜持を。下北沢のある舞台前にて&吉祥寺&渋谷デッサンsoumatsu art gallery

2022/08月下旬
大昔から職人画家がいる。風景画、人物画、抽象表現画等々。同じことの繰り返し作業。コンセプチャル ARTS表現の反対にある。
同じらしいことを何度も見れば飽きてくる。無意識に感動が脱落する、鑑賞者。鑑賞者は創造者だ。だから無意味な鑑賞者を沢山増やしてはいけない。
✳️✳️✳️ ARTSカウンセラー奏松画廊????️????️

2022/08月下旬
奏松画廊は「作品そのものよりアート思想を販売する」とカタった。(もちろん作品もマーケティングしている)。オランダのミーケ・へリチェンは、モノではなく考え方を売っている。
そんなポスターアートディレクターだ。素材はワードアートが主流である。
カルチャー&クリエイティブ資本主義が本格化しだしている。たとえば経済政策のひとつに電柱地中化ビジネスがある。
若干コストはかかるが、海外からの観光ビジネスで十分ペイできうる。2020オリンピックへ向けてアグレッシブに「上を向いて歩こう」よね。奏松画廊コレクションより。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2022/08月下旬
セロトニン、エストロゲン、ドーパミンを出す努力は何か?何故出すのか?ヨギーニたちは知っているに違いない。その大きなひとつに(ハタヨガパフォーマンス ARTS表現)がある。
手法はチャクラマッサージ。✳️✳️✳️ ARTSカウンセラー奏松画廊????️????️

2022/08月下旬
何度見ても素晴らしい。シャレたセンスに誰しも憧れる。夏休みの日記に書かざるをえない。少女少年の創造欲を掻き立てる。(ミッドナイトインパリ)。ウッディアレン。
主人公の青年がひとりでセーヌ川を散歩するシーン。手すりがない。風景にこだわる。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊&clary club
https://www.soumatsu.info

2022/08月下旬
(カーペットバッグ)というコトバがある。身軽に旅をすること。もとはカーペットバガー。安物のカーペット地でつくった手提げバッグ。がま口をボストンバッグにしたようなカタチ。
南北戦争後の奴隷解放。北部人たちがこのバッグに全財産をつめこんでやってきたことから由来する。流行作家・ハロルドロビンスのカーペットバガーズ。
アメリカ的野心家の意味がある。今では、バックパッキングにつながる。そんな気軽さもなかなか遠慮せざるを得ない時代に。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2022/08月下旬
改めてプレゼンするが、シマグニ風景は既に長らく多文化共生している。明治以来。京都や金沢ですら。電車やバス、そして電信柱電線、建物、橋等々。
海外旅行客から(いっそのこと電線やガス線、水道線等々を空に吊るしたらどうか)と舌を出されて揶揄われている。しかし、東京でこの理不尽にデモはない。
許容する度量は大きいが民度は低いと言わざるを得ない。人々は我慢強いのか従順なのか。その結果、個人主義が我が物顔で跋扈する。だから反機能政治より性事を楽しむ悦楽が心地よい。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/08月下旬
「イメージ使用料」。アート作品とは別に食器や時計などに使用する。よくミュージアムショップでのグッズなどモチーフ使用料。たとえばアンディ・ウォーホルの場合。
約300万ドルの収入。FBにもイメージコンサルタントがいる。もちろん<目利き>でなければ・・・。
★★★★★テーマは(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)アクリルアート。BONSAIシリーズ。soumatsu art gallery

2022/08月下旬
かって(平凡・週刊平凡)という芸能情報雑誌があった。平凡出版。サブカルの対極に。しかし、このネーミングが秀逸かと。つまり(反復・連続)のミニマルアートのように右肩上がり経済。
平凡な人生を全うする。地道に。その低民度ピープルたちにハマった。今、(よろこび組と平凡)。海を越えて(アートに翻訳意訳)された。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。西荻の隠れ家的カラオケスナックにて。

2022/08月下旬
小説を書くより小説を論じる。美術作品の制作より芸術について論じる。(作品の具体化を否定)することが流行った。制作行為は意味ない。(アイデアがARTSの作り手)である・と。
それはとりもなおさず(サムネイル・文書・コトバで指示するだけ)で作品化となる。コンセプチャルARTSの領域が世界を席巻した。それは広告表現に大きく作用した。
この70年代、女性アーティストの目覚ましい台頭。芸術と反芸術。境界が消えた。メディアそのものがARTS化した。誰でもがアーティストになれた。そして今、更に拡張している。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・生涯現役・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2022/08月下旬
デジタルアートが先端性が高い、とリテラシーしている識者たちが結構いる。その誘導的寛容性になびく大衆もまた多々いる。たとえば鯉が泳いでいる。いっときの余興的興奮はある。
しかし、アート思想が別に先の流れをスイスイ泳いではいない。ま、しいていえば「油絵具とか水彩絵の具あたり」がメタモルしただけだろう。
科学は道具でしかない。奏松画廊コレクションより。テーマは「ダイバーシティ」。ドローイングアート2016。とアクリルアート「リブレゼンテイション&アプロプリエイション」。
テーマは「BONSAI」。奏松画廊matsukyu

2022/08月下旬
ファーで縁取りされた帽子の内側や、肩に掛けられた首飾り。(壮麗さ・富・権力誇示)を演出。コロンブスがベネズエラの先住民が美しい装身具で身を飾る。ことを発見する。略奪。
そして新世界。ヘンリー8世の肖像画。画家はホルベイン。家具から金細工デザインも。チューダー朝廷美術が大きく華開いた。16世紀。真珠の流行。
この世で最も美しいとされる真珠は、重さ60カラット。洋梨形。(ラ・ぺルグリナ)。メアリー1世の結婚贈り物。松濤美術館で息をのむ。
★★★★★カフェ友・恋活・卒婚・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2022/08月下旬
水は高見から低きに流れる。しかし、デパートは閉鎖が続き断捨離という消費概念から遠ざかっている。かってジンメルが説明した(階級間の区別)から脱する。
上流への憧憬が雲散霧消した。それは消費経済だけではない。映画や美術もカルチャー、サブカルもまた上下のヒエラルヒーが徐々に消えつつある。
供給者が多様化し鑑賞者は創造の担い手になりつつある。それは男性から女性へのジェンダーギャップが消えつつある証かと・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/08月下旬
リラックス・シンプル・ナチュラル。気持ちよく暮らすキーワード。リフレッシュするためのヒーリング。そしてフレグランス。例えば(モリナール オム)。
南フランス・グラース。150年前から。刈りたての草の香り。そしてシスト・岩バラの濃密な香り。コートダジュールの夕焼けをイメージ。今、透明板がそのフレグランスをいささか遮る。
(ヴアイタライジング&エナジャイジング)。潜在意識を開拓開発し、エネルギーを獲得する。香りの施術がWITH COBID-19時代に(心に効く)かと。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2022/08月下旬
セッティングビジネスは(ARTSカウンセリング)のエリア。人物画専門画廊作品は(リレーショナルARTS表現)のエリア。
どちらの表現が高い価値を生産するかは紳士会員や女性会員の余裕力に委ねられている。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/08月下旬
(人々のライフスタイルや関係性を研究する領域)。これを社会学という。アンソニーギデンズ。つまりリレーショナルARTS表現はその領域から開発された。
その概念は現代美術ジャンルからビジネスまで応用された。日々のウォーキングや掃除洗濯、食事や恋物語等々。
そこにある潜在意識・視野・感性を探れば素材はゴロゴロと鉱脈化している。人物画専門画廊シリーズはその脈とリンクするARTS表現だ。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/08月下旬
(明治以来日本の文壇が私に教えた一切のことは全てにおいて{西洋に追随せよ}ということだった。それは私の遺伝の中から全ての古臭い固定観念を叩き出せと命じた。
現実している日本文学はどこにもそんな舶来種のイズムはなかった。もはや時遅し。私はどっちに行けばいいのか。(日本か西洋か)。萩原朔太郎。既に50歳を過ぎていた。
かって丸山真男もまた(あなたの心に古事記が住んでいる)といった。血液型AB。多分朔太郎もまたAB型に違いない・・・。
私の文学的前途は暗黒、虚妄の懐疑に収束する。端正なマスクは懊悩する
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2022/08月下旬
かって「大きいことはいいことだ」とゆうCMのメッセージが流行った。しかし、時代はよりコンパクトに小さくて高性能が尊ばれてきた。
アートは、百花繚乱してはいるが、相も変わらず号やサイズにこだわる業界でもある。「BEYONDO THE FRAME ART」が大勢を占めている。それに更なるSNSフレームが勢いよく押し寄せ 、アートは激変している。
そんな中で「逞しいアート思想」を携えた作品が輝きを発信するだろう。奏松画廊コレクションより。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。&「リブレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。テーマは「BONSAI」。奏松画廊matsukyu

2022/08月下旬
「ブランド品を欲しがるのは下流です」「スイムウェアを毎年買い替えるのはエコじゃないです」「景色しか変わらないなら別に行かなくてもいい、海外に」。
さとり世代という。十代から二十代半ばの世代。消費経済を煽る大人たちから極めて嫌がられる。<積極的な風景改革>の足を引っ張る。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。soumatsu art gallery

2022/08月下旬
リモートが進んでいる。とはいうものの体面で会う喜びはまた格別。その大きな小道具にフレグランスがある。
真夏の柑橘系から自分スタイルに自信を持つレディ・マダムにラグジュアリーな時間をプレゼントする。
そんなひとつに(トッカ)というイタリア語でタッチ・感触という意味のロマンティックな香り。ジャスミン、フリージア、ランの花。保湿からUVまでケア。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/08月下旬
前々から伺いたかった場所だ。都心にもかかわらず静寂な気分に浸る。文京区の関口にある芭蕉庵。井の頭公園から引かれる上水の工事で現場監督だったらしい。
その住居跡。東京散歩も味わい深いね。奏松画廊

2022/08月下旬
週末だけ開かれるディスコ。アルコールは一切ない。あるのはフルーツとジュース。巨大な倉庫を真っ黒に塗りつぶす。(12・ウェスト)。
アーティストも七番街のデザイナーもデパートバイヤーも優れた才能は(ほとんどがゲイ)だった。時代は(キャリアウーマンルック)。テイラードの上着、ストレートパンツ、シルクブラウス。
そしてブルーミングデールのポスター。(サタデージェネレーション)なるコピー。ジーンズライフ。だからではないが、女性の時代がスタートする。70年代NYC。消費が追消費する時代。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・クラリクラブ奏松画廊

2022/08月下旬
従来の枠を超えたい欲望の大きなひとつに(性革命)があった。ジョンアップダイク、フィリップロス、ヘンリーミラー、ノーマンメイラー等々。
ヒッピー、ウーマンリブ、ゲイ。あらゆるジャンルアートが性のフィルターを浸透して芸術を再解釈する試みがアメリカに見られた。
しかし、孤独がより深まった今、改めてクラッシュ&ビルドが求められている。リレーショナルARTS表現がその大きな役割を担っている。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/08月下旬
欧米へのキャッチアップが優先された70年間は、行動労働が評価された。しかし、<断捨離の積み重ね>が必須の時代が到来している。優先することは、<批評するアート思想>だ。
そこから削るものことmonoが見えてくる。かって難解な文体で話題になった小林秀雄は「かなしさは疾走する。涙は追い付けない」といった。このまま走れば未来に遺恨を残す。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。アトリエ近くのニューオオタニプールサイドにて。soumatsu art gallery

2022/08月下旬
公民館・コミュニティセンター・市民会館等が全国にある。活用の仕方が問われている。かっては啓もう型のシャワー効果があった。
今やシティズンファーストエンタメが主流。シニアが地域に根差している。ワカモノが都会に出ていく。少しでもチャーミングな舞台として活き(粋)がえらせる。息を吹き返したい。
俳優・モデル志望が夢破れて鳴かず飛ばずでくすぶっている。(世界のパフォーマンスアートステージ)は提案・批評がテーマの骨子にある。これから民間の空き家も多様な活用が必須だ。
コンパクトな演劇舞台とカフェとバル。そして恋が活きる。ワカモノがそこで未来をカタれる。肩組んで。老若男女が。演歌歌手が唄うこと以外に役者として活きる。固定観念を打破する。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2022/07月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その35。
百年ぶりに科挙の合格。天荒・未開の荒れ地を破る。誰もが思いもよらない。(破天荒な偉業)。豪快で大胆な様子・ではない。破天荒な記録。破天荒な大事業。破天荒なアート思想。
常識を超える。破壊する。必ず効果が出る。奏松画廊をチェックされて下さい。

2022/07月下旬
時代が大きな物語から個人の物語へシフトする。80年代は(ポスト○○)という言い方が流行った。自分の幸せ探し。その大きなひとつに恋物語がある。
リオタールは狂騒する高度消費社会をアイロニカルに批判した。90年代になってバブル風船は破裂。ポストモダンが賞味期限切れに。もちろん政治もまた同じ運命に。ポリティックスから離れて選挙戦そのものが風船化している。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/07月下旬
精神的独身者。多くの結婚生活者はその範疇に入るかと。だれしも良き伴侶こそいちばんの親友かと。そこには(おとうさん・おかあさん)とコバカにする上から目線は存在しない。
かってポストモダンというジャンルが流行った。平たく言えば過去の芸術線上にない外れたはみ出したシワザ作品。そこに表現されるのは(アートではなくてARTS)だ。
過去と結婚はしているが独身としての独立性自我をケイタイする。いわば(ポストシングル)ということに。ようやく普通の人々もそこに到達しつつある。
(雑談倶楽部・クラリクラブ)は、ポストシングル時代に相応しいARTS領域ということになる。
★★★★★奏松画廊ARTSgallery

2022/07月下旬
(えッ、夫ですか。もう家族の一員で異性じゃないんです。だって家族と夜をともにするなんておかしいでしょ)。
とあるセックス系セラピストが多くの顧客から回答をえたいちばん多い主婦たちの意見だ。サプライヤーするしかないと。何を?もちろん政治的なメッセージではない。これは(性治的な外注)のことだ。
もはや男たちだけが多様な夜を感じる時代ではない。これから多様な昼寝と夜寝が存在する・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー(clary club&奏松画廊)

2022/07月下旬
人の歴史とは(執拗に塗り続けてきたペンキの原色)。人類の文明とは色。メキシコとアメリカとの国境地帯。1970頃。(ボーダーランズ)。(国境というもひとつの国)。
それは折り合いをつけるために敢えて原色化するvisual。まるで彫刻作品のような真っ青な空色の中にムーブする真っ白の立体。(パリテキサス)。
ヴィムベンダース。無国籍映画映像。今、カラーが折り合わない。いつまでも。ひとつはカラーが不鮮明になりつつあるからだろうか。シマグニ人のカラーが欧米カラーへと向かうのと近似している。
優生からすると近寄り過ぎると嫌悪感が派生する。嫌われれば当然内向きになる。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2022/07月下旬
かって大きな紙袋を提げてショップから出る、ことがカッコよかった。しかし、そんな客はエバレーンにはいない。デザインは、ホワイト、ブラック、グレーのモノトーン。
ベーシックだ。ワンピースが100ドル前後。売り場は、ニューヨークとサンフランシスコのみ。商品は2,3時間で届く。ミレニアル世代を中心にファンを増やす。
売り上げ30億。<ディスラプター>と呼ばれる。ライドシェアUberや民泊サービスAirbnbも。<破壊者>は日に日に勢力拡大。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2022/07月下旬
人は場面ごとに多様なTPOを使い分ける。特に装いや言葉使い。(ジェンダーディスプレイ)。子供のころからその訓練を積み上げて(女に生まれるのではない。女になるのである)。
ボーボワール。「今日は就活だからジェンダーしてみるか」とか、「デートだから女らしくしてみたい」とか・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/07月下旬
固定観念に束縛・形成される傾向がある。例えば親の躾。学校教育。教科書。そして大人になってから多くの時間を既存メディアに束縛される。時として判断力を失う。
何故か。紐付きだから。時の政権だったり大手企業商品だったり。その概念をテーマにARTSに翻訳する。サラチャールズワース。
グラビア雑誌から切り抜き、例えば大仏写真と青空写真との対比。東洋をイメージする西欧人のステレオタイプ的な固定観念を疑わせる。元は雑誌編集者。美術から逸脱するARTS行為のひとつ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラ

2022/07月下旬
馬車で遊覧。art decoレトロホテルバー。BGMジャズが流れる。ひとりグラスを傾ける洗練されたエスコートレディ。映画スタジオ。都会を彩る小道具たち。
そして小粋な小道具に雨がある。ラブコメディにシャレたセンスが光る。(レイニーデイインNYC)ウッディアレンの新作。こころが晴れる一本かと。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/07月下旬
街角のカフェで楽し気に笑顔が語り合う。そんな風景を垣間見る時多くの人々は羨望の気分に浸るかと。しかし、パリの風景は意外と険しい顔つきで議論しているらしい。
とにかくあらゆる物事を批判する。それが習慣に。それは正常な精神状態にあるらしい。だからファッションは決して流行に従わない。
奇抜で目立つ。個性的で各人各様。そして何よりも行動に移す。ストライキやデモで。(異議申し立て=自由)という暮らしの鉄則。全ての国民がARTS表現をして生きている。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/07月下旬
久しぶりに(へうげもの古田織部)を思い出した。天才を殺してはいけない。女性の時代である。戦略プロデューサーを目指せ。石を投げれば作家に当たる。
これからの中国には勝てない。アジアから世界に勝てるアート人財を。視野狭窄から目覚めよ。

2022/07月下旬
(カウンターカルチャー)という言い方があった。つまりカウンターパンチのような反撃。隙間を狙って倒す。ロックがその旗手だった。ハード、グラム、プログレッシブ等々。
それは隙間ならぬ大きく消費された。アートやデザインと同じように。セックス、ドラッグ、パンク。レゲエもまた反撃。今その手法すら消えている。
ゴミ回収の美学が無意味だと。(ブランク・空白・固定・脱)から再生が潤うのに。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/07月下旬
物語を創る。ひと月だけの。例えば大阪から都内に、札幌から横浜に。仙台から埼玉に。岡山から千葉に。あらゆるところから修学ならぬ修恋旅行。そんなトランクライフが当たり前になる。
⭐⭐⭐⭐⭐恋活・卒婚・再婚・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/07月下旬
(記号的消費)。わかりやすく言えば(こだわる消費)ということに。最近では、無農薬や肉飼育の手法等々に生産者の名前が。
商品のトータルコンセプト・ファッション性・稀有・テイスト・伝統が価値を決める。そして今は物語化消費へ。
かってボードビリヤールが分析して以来、消費経済があらゆるジャンルへ波及した。更に個消費へマーケティングしつつある。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/07月下旬
多様なストレス社会である。そのためにセラピストという仕事がある。映画で一対一で治療する場面がよくでてくる。
医療系からメンタル系、リラク系、カイロ系、その他ではフード系からハーブ系、芸術系・・・。とにかく多岐にわたる。
最近密かに注目されているセラピーにセックス系がある。顧客は女性専科だ。卒婚再婚もそのひとつ。よく(性格の不一致)という。正確には(性の不一致)が大きい。よく男性どうしの会話で(あのこはユルい)という発言が飛び出す。
女性から言えば(ヘタ)ということになる。上手な前戯は、自然と膣がシマって奥へ手招き導いてくれる。AIがいずれ全盛になってもこの仕事だけはロボットに譲りたくない・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/07月下旬
(IF,IF,IF)と首を振りながら会話の途中に叫ぶもひとつの自分がいる。トゥレット症候群という。このアイデアがグーだ。時は50年代NYC、ハードボイルドのフィルムノワール。
何といってもこの映画の最大の魅力は(レトロvisual)だ。クルマ、腕時計、中折れ帽ライブジャズバー、art deco建物等々垂涎の絵が連続する。これを鑑賞するだけでも大きな価値がある。
主役・エドワードノートン。探偵役として表情が素晴らしい。テーマは骨太の悪徳公共工事。それにしてもniceな一本。(マザーレスブルックリン)。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/07月下旬
★★★★★<非常識を訓練>するシリーズ。
その4。
「人の行く道裏にあり花の道」。開拓する、道を。そのいばらの道にこそ神の手が作用する。アイロニカルな反骨心とともに。過去の先陣が光の道を創造してそれをなぞる。悪いとは言わない。
しかし、確立は低い。<裏道>というキーワード。想像力&創造力を高めるには非常識を訓練する。必ず効果は出る。<アートレッスン>の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。
下北沢鈴なり横丁界隈のカラオケバル(スナックではない。つまりシャレオツなんです)&SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2022/07月下旬
レジリエンス・回復力。解放されてない気や場がケア・チャクラマッサージを通して(意識・視野・感性)を解放させてくれる。ヒアルロン酸目薬がある。視野の大切なケアだ。
カラダのあらゆる場がチャクラを通して解放される。女性は蟻の戸渡り場をチャクラ&解放することでドンドン前向きになれる。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/07月下旬
13。この数字からドラマが始まる。忌み嫌う。ひとり+14人に。ビジュアルが素晴らしい。パリに越してきた、NYCから。シニアカップル。一緒に連れてきたメイド。ロッシデパルマ。
このコミカルな個性派女優。(マダムのおかしな晩餐会)。フランスでは「不倫は夫婦を長持ちさせるコツ」というコトワザがあるらしい。まさに文化である。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2022/07月下旬
(消費を通した自己実現)という言い方をした上野千鶴子サン。ボードビリヤールの記号的消費のパクリ。多様なジャンルで使いまわしができる。例えば選挙。
ファッションの自己主張は得意だが、こっちはサッパリ消費されない。何故か。ひとつは政治が反機能する時間が長過ぎた。反・脱から戻したい。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/07月下旬
世界をカタる道具が多々ある。コトバ、アート、フォト等。しかし、カタられてきたわりには意外に視野狭窄のままだ。たとえばアートは今だにARTS化として消化されていない。
単なる道具のままでいる場合が多々ある。社会変革を志向・思考する道具への道が消失し過ぎている。つまりライフスタイルが楽になったからだろうか。
道具を使って想像しなくても手に入れることができるからだろうか。それともその道具たちはその役割を終えたのだろうか。
もはや道具たちの一次二次情報からリプレゼンテイション&アプロプリエーションされたARTS表現が視野を視界を大きく拓く時代になっている。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2022/07月下旬
(さかしま)な心情がひきこもりを誘発する。そして隠遁へ。そんなノベルがこのタイトル・ユイスマンス。一方で実生活は公務員。
当時の社会事情からすればなかなか本音は創造・想像の範疇でしかなかった。デカダンスに憧れを抱く青年が昔は多々いたが。政治が機能しなくなって久しい。低投票率はワケーノたちのデカダンな心に正比例しているのかもしれない。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/07月下旬
★★★★★<非常識を訓練>するシリーズ。
その5。
かって昭和を代表する映画があった。森繁の社長シリーズ。植木等の無責任シリーズ。(ちゃらんぽらん)というワードアートがオオウケした。
そして今、(チャラい)という軽佻浮薄なセンスがまた流行る。<無責任>というキーワード。想像力&創造力を高めるには非常識を訓練する。必ず効果は出る。
<アートレッスン>の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。地元吉祥寺御殿山自邸近くのKINOKUNIYA前&青山デッサン。soumatsu art gallery

2022/07月下旬
「日本の労働者はちょっと働いたらすぐ煙草休みにする」。明治維新後司法省顧問で呼ばれたフランス人ブスケの言葉だ。あるいは「滑車の綱を引く前にヨイトマケを歌う」。
モースの言葉。江戸時代の労働は、遊びと分離されてなく楽しみが含まれていた。<自分が時間の主人公>だった。近代化の資本主義とは違って非効率だった。
さて、時代が大きな曲がり角にきている。どちらの働き方を選択するのか。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2022/07月下旬
「猫に小判」とゆう諺がある。たとえば、マティスの作品を「私でも描ける」と。あるいはピカソがまるで「ワカラナイ」と。更には、「BEYOND THE FRAME ART」がどうしてアートなのか、と。
またコンテンポラリーダンスがなぜアートなのか、と。ひとつひとつ点検してゆけば疑問が深まるばかりだろう・・・。となるとアート価値とは何か。
歴史的には戦略的に、たとえばオークションで価値を創造する手法。あるいは経済的に戦略化する手法。あるいは宗教的とか。あるいは欧米とアジアとの地域的とか。
あまりにも複雑多岐な分析をしなければ、「アートバリュー」が判明されない。まさにこれからの時代を「カルチャー&クリエイティブ資本主義」がスタートし、牽引するだろう。奏松画廊コレクションより。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ2016。奏松画廊matsukyu

2022/06下旬
(作品がmessageを持たないとすればそれは人生に対して何もしてないことと同じ)(新しいアイデアが不可能な政治家はたんに大衆のために働いているに過ぎない)。
進歩と変革をテーマにするギルバート&ジョージ。アナロジーするアーテイストだ。たまにこの手の仕事を推進するのを見かけると勇気をもらえる。

2022/06下旬
かって時代が動く時、枠から外れることが必須だった。(脱藩)。今その脱が重要なキーワード。例えば家、土地から離脱する。
トランクひとつでトラベルライフ。都内はコンパクトバスがそこそこ走る。ドローンタクシーとともにドローンバス。
輸入書・教科書を丸覚えから脱する。多様な価値観が上下の価値観に勝る。そのひとつにリレーショナルARTS表現がある。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/06下旬
(坊主は黒い布、看護士は白い服)に通念になっている。葬式は黒と白、慶事は赤と白。しかし、今や大方無視無関心な装いに。色眼鏡という言い方がある。その色は何色だろうか。
(時代の視野・意識・感性)が色や色艶を狭窄するきらいがある。ネアカ・ネクラあたりもチャカす意識が色にリンクする。色分けしない時代になることを願う・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/06下旬
発信力の低いアートがほとんどだ。つまり社会的メッセージを逞しくアピールする。しかし、相も変わらず大歩危しているアートたちが多すぎる。偽装・改ざん・やらせ・パワハラ・セクハラ等々。
問題課題は、(民主主義へのいやがらせ)だ。もっとセンスを研ぎ澄ませば聞こえる。ぬるま湯のセンスであってはいけないことが。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2022/06下旬
1971。最初のブティック名(SEX)。パンクロック。アナーキストとの結婚。(反デザイン)。ビクトリア・アルバート博物館コレクション。ビビアンといういささかカワイイ名前からは程遠い。
晩年は環境活動家。イギリスの懐の深さ。階級社会の怨嗟。ビビアンウエストウッド。同じシマグニあたりの揉み手デザイナーとは大違いかと。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2022/06下旬
(アドボカシー)。聞きなれないワード。市民への啓発活動や政府への働きかけ。過酷な状況に追い込まれた女の子や女性への支援。プランインターナショナル。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/06下旬
渋谷のスクランブル交差点。多くのひとが、まったく無関係だが、多様なイメージが暗示される。そこにはサブリミナルな意識層が積み重なる。バルデッサーリやデービットサーレ。
そのプレゼンは見る人にゆだねられる。作者も無意識に重ねられたイメージ層を作品化する。だからこそではないが、(逞しい問題課題テーマを意識化する)アートこそ今主義だ。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2022/06下旬
明日からTOKYOは(解除から解放へ)。しかし、欧米は依然厳しい。イギリスはことさらである。肖像画コンペ。30年以上継続。以前プレゼンした、アンドレ・セラーノ。ホームレスのような人々。
世界の片隅に追いやられた無視される人々。ひとりの人間として敬意を表すことができるだろうか。有事で膨大な人たちがそうなる。
先入観や偏見とは。ヘイトスピーチが人の心にどれだけ影響するのか。それは時として武器に。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2022/06下旬
華やかな中に見せる(たよりなさ)と、中性的なクールさとかたくなな頑固さ。併せ持つ魅力。そんなマダムがたまにはいたりする。
そのお相手に相応しい殿方は(ジバンシィジェントルマン)のフレグランスが漂う・・・。往年のヘップバーンが大活躍した(昼下がりの情事)。曇り空に放つあやうい恋物語。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/06下旬
経済成長が鈍化している21世紀。新たなビジネスチャンスは何か。地域創生はお盛んではあるが、ほとんどが「アートフェスティバル」だ。一過性でしかないケース。<経営者の意識>が、<ビジュアル&カルチャー資本主義>を引き出すかで決まる。
もちろんかって明治より資産家パトロンたちはいた。そんな大物が出自しづらいビジネス界ではあるが、アパレルメーカーや商社から独立したようなスタイリッシュカンパニーとかネット金融関係とかそこそこチャーミングな人物が出始めている。
そのためにはアートミュージアムがダイナミックな<リノベーション>をする覚悟でガラポンし、牽引しなければならない。東京大改革がそのきっかけになれば、再びアジアのリーダーシップを奪還できる。
ちなみに2016のアーテイスト別高額落札はトップはピカソ。7番にバスキア8番にウォーホル。そしてなんと中国アーテイストたちが、2、3、4、9、10番と勢力が一段と幅を利かしている。もちろんシマグニアーテイストはまるでおよびでない。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2022/06下旬
ゴルフで冠イベントは定着している。広告費として税制上処理できるからだ。これからはスポーツだけでなくアートジャンルに適用したい。これを育てる。寄付という欧米型の処理がない。その代わりとして。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/06下旬
自分好みのベルト、メガネ、アクセ等々。「ファブ社会」。聞いたことがあるかと・・・。「いつでもどこでも誰でも」必要なモノを必要な量だけ作れる。
アメリカは10年以内に人口70万に一か所のファブラボを設置予定。将来的にはマンションやコミュニセンターやカフェにラボ設置。もはや<ダレデモアーティスト>の時代がくる。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。soumatsu art gallery

2022/06下旬
アートギャラリーの白いウォールに直接ワードアートを描きつける。そのワードが平凡なワードであってもそうゆう場に(陳列されること)で特別に注目される。そんな手法と素材を多用したローレンスウィナー。
街頭ではデモプラカードがアートそのものだ。アパレルショップのデジタルサイネージもまた流行りだ。特別な意味を持たせると蘇る場合がある。リブレゼンテイション手法ならではの再生は多々ある。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2022/06下旬
ひと夏への淡い期待。若い人のみならず、ミドルもシニアも。リゾート地コニーアイランド。元女優と若き監視員。映画「女と男の観覧車」。そそられる好奇心。
ウッディアレン新作。主演女優ケイトウィンスレット。1950年代の勢い溢れるアメリカ。レトロVISUALがNICE NICEだ。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/06下旬
夏の昼下がり。日曜日。水泳パンツ一枚の男。隣人の旧友宅を一軒ずつ訪れる。ニューヨーカー誌の短編小説。シャレたセンスが光る。多様なプチブルアメリカ家庭の光と影。見せかけの繁栄。その実態が炙り出される。
自宅にたどり着いたその男の家は廃屋になっていた。ニューシネマというライフスタイルの枠から外れたvisualが深いアメリカの実像として暴露されていく。(泳ぐひと)。1968。それにしてもプール付き邸宅が中産階級とは。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2022/5月中旬
キーワードシリーズ・(聴松)。先日の天秤座ピンクムーン。心地よい爽風の中、井の頭公園を散策する。池に映った見事な満月の姿。
捕まえそうになって飛び込むところだった。李白のように。しかし、踏みとどまったのはその絵から聴こえてきたからだ。その音とその絵。互いに奏で合うかのように。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/5月中旬
キーワードシリーズ・(ARTSに翻訳する)。
ボックスギャラリーに商品を移動展示するとそのスニーカーはARTS作品になる。ことはたびたびプレゼンしてきた。美術館博物館に鑑賞者が入場すれば(ARTSに翻訳された入会者)になる。
奏松画廊の人物画専門画廊シリーズもまた入会者はARTSに翻訳された物語の演技者になる。
リレーショナルARTSジャンルは(余裕恋愛物語)の作者であり鑑賞者である。だから互いの価値観が近ければ幸せ物語が創作される。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/5月中旬
ITが芸術作品を分析解析する時代になりつつある。たとえば、作家がどんな色彩を重ねて微妙な表情を漂わす色艶になったのか。あるいは下書きの線が全くない描き方が解析される。
X線から多様な解析が判断される。もはや曖昧な解説者はいらない。スティーブンブリーナは、過去の有名な作品、たとえばエドアールマネの優美な屍体をデジタル数値価して、アブストラクトアートであるかのように「リプレゼンテイション」する。
しかしパロディではない。そこには1ミリたりとも「からかいや風刺」はない。もちろん「アプロプリエーション」手法でもある。
従ってリキテンシュタインやウォーホルたちとアナロジーしてはいる。ただ素材が違うだけである。過去芸術への大いなる揺さぶり反骨心がクールだ。
BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991より。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
パッヘルベルのカノン・が静かに流れる。玄関前からタクシーが離れる。二階の窓から次男が垣間見る。芝生に父親がうなだれている。「ママはどうしたの」「出て行ったよ」。
映画<普通の人々>のラスト。シカゴ郊外のミドル。かってはWASPのエージ。象徴的崩壊のラストシーン。母親のメアリータイラームーアのファッション。白い丸襟ブラウスにカメオ。アーガイル柄のセーター。タータンチェックスカート。
アッパークラスへの憧憬。隣人のバースディパーティで株式の会話。「今は下がっているから売るな」。レーガノミクスが効果薄い。ジャパンはその時代<ジャパンアズナンバーワン>。ドル高円安。
その後バブルへ。それにしても普通の人々の住宅といってもシマグニとはケタ違い。さりげないこの映画を精査するエクセレントな審美眼。
★★★★★ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
mono・モノ・もの・物を消費するよりコト・ことを消費する時代だ。つまり物語・ストーリーをプロデュースする。そのドリーミーな消費に(ロマンスプロデュサー)がいる。
エレガンスが自分を尊敬し相手を尊敬する定義だとすれば(ARTSに翻訳)されたクラリクラブはクリエイティブなセンスに相応しい出逢いかと。クラリは開眼する。
セージは賢い人。セージというニンフにひと目ぼれする美しき伝説恋物語。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2022/5月中旬
1960年以降マスメディアは急増発展した。氾濫するイメージやオブジェ。ほとんどのアーティストたちが、その素材から色彩、スケール、形態等々美術領域の中で、格闘して思想化してきた。
しかし、ロバートラウシェンバーグは、メディアから発信されるジャーナリズム素材、政治や社会的素材をアグレッシブにリプレゼンテイション&アプロプリエーションした。新聞の切り抜き、写真、絵葉書、プリント生地切れ端、ロープ等々・・・。
メディア情報化素材とリアル素材のコラージュ手法。大量複製、大量生産、大量消費という豊かさへの右肩上がりの「隷属と反抗」をアートに翻訳した。複雑怪奇なシステム社会へのアイロニカルなプレゼンであった。
BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991より。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
年俸3億。政策を左右するビジネス。とことん敵を追いつめる。そのためには手段を選ばない。映画<女神の見えざる手>。主人公は、ロビイスト。クール&タフな女性。非恋愛。
男はエスコートサービスから調達。敵を探るマシン。遠隔操作する盗聴ゴキブリ。近い将来、(ドローンタイプ盗聴&カメラゴキブリ)が遠隔操作される・・・。
ルームからクルマからあらゆるところに出没。ゴシップマガジンには格好の味方に・・・。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ 奏松画廊matsuky

2022/5月中旬
「教育や医療、インフラにもっとお金をかければ、米国経済は将来力強さを増すだろう」。「偽装資本主義を導いたのは、不変の経済法則ではなく、私たち自らが創造した法律である」。
ジョセフ・スティーグリッツのいうように混迷した経済活動から足を洗うことができるだろうか。新たな火種が発生するかのような緊張が、従来タイプの偽装に重点すれば、またチャンスを逃す。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
子供は欲しいが父親は必要ない。選択的シングルマザーという生き方がある。わずかながら。眉をしかめる人も相当多いかと。
しかし、まだまだ男社会であることに変わりない。多様性をうたいながらではあるが社会的システムが慣習が法律的にも順応していないからだ。
彼女たちに有利な法整備が進めば前向きなシングルマザーになる。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/5月中旬
二本指で指摘するポーズ。イメージは何か。熱心でない・努力をしないような人々を表す。サービス業で不安定な被雇用状態。コロナ禍で炙り出された。
しかし、1990年代contemporaryARTSに登場する。例えば有名になる前のマドンナをピックアップする。B級C級の半分劣等感にさいなまれる状態。
無名の悲哀が見え隠れする時期。固定されたイメージが舞うグラビア・グラマーに憧れているが到達できない。そのひとりにカレン・キリム二ク。(スラッカーARTS)ジャンル。
そして今、SNSメディアに多く登場する無名だが、NICEなスラッカーアーティストたち。神楽坂フランス????????ビストロにて。
⭐⭐⭐⭐⭐ ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/5月中旬
危機に遭遇した時に真価が問われる。火事場泥棒、常日頃から口も利かない間柄がドサクサ紛れの殺意を描く。しかし、動物であることを感じ、今まで以上に自由を確認する。
成熟した豊かさに若干距離を置くセンスもまた懐かしむ。この70年で回帰的和レトロセンスが発進されるほど余裕すら生じた。この間に幾度となく試されてきた、ユサブリを。
風景にドンカンであるだけでなく生き方にもドンカンになったのだろうか・・・。ARTFORUM2015より。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
物語は風刺劇のFRAMEを超える。秘密保護法の規制。自衛隊の非戦闘地域での後方支援に関する「ひとつの噂」。ふざけた社会派を自称するチャリT企画という劇団がある。
悪ふざけと社会派の中庸。不特定多数の特に反応することなく流されて生きる大衆へのメッセージ色を逞しくしたプロパガンダ。アイロニカルな反抗心が不吉だ。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
伊勢丹を出た後久しぶりに歌舞伎町ジャズバーへ。そしてG街に誘われるように入った。海外旅行客たちの遊園地だ。
一年前よりは更に増えていた。映画屋たちが集うバーへ。神代辰巳監督ファンコーナーがある。奏松画廊松久matsukyu

2022/5月中旬
スポーツ=ピンナップ=政治=経済=ゴシップ。全て並列対等である。大衆紙の記号。大昔からスタイルは不変。つまり(タンジュン)なのである。そこにフクザツが楔を打ち込む。
そのフクザツとは何か。もちろん(リレーショナルARTS)であり、(スラッカーARTS)である。大衆=男=女という記号を量産してきた。
今だに継続している。そして=子供が加わる。夢が会社員ということで。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松

2022/5月中旬
「ひとは何をしたか。ではなく何のためにしたか。」が大切だ。山本周五郎の短編黒澤明脚本「雨あがる」に出てくる台詞である。
アートが洪水のように氾濫している世界ではあるが、アブストラクトアートが、それも何のために描いているのかすらもおぼろげな仕事があまりにも多い。
はっきりと「世直しのため」と言い切るアートがあるだろうか。批評や公正を盾に逞しい反抗心を表現するアートこそ今の熟成したシステム世界では必須だ。
THE PANAMA PAPER問題はまだ氷山の一角だ。ARTFORUM2015より。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
アメリカの結婚事情。たとえ愛した人であってもいずれ離婚する場合を想定して事細かな契約書を交わす。何故か。その前提となるかのようなドラマ。(インポスターズ)。
魅力的主人公の女性が男と女の事情に隙いる。副題・美しき詐欺師。時代は女性の活躍が目指しい。が、それをエサにして男性たちがクイモノにされる。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2022/5月中旬
フランチャイズ化、物流がシステム化、商品そのものが均質化。ネット通販が更に加速。更には街の風景すらも均質化されつつある。そこそこの街に住んでいればライフスタイルそのものが近似してくる。
デザインの均質化。たとえば、パリの郊外にあるような介護施設や共同アトリエはまるで城のような館。森に囲まれて手入れの行き届いた庭の芝生。行政のセンス。
可能な限り<ビジュアルコンサルタント>として奥行のあるセンスを発揮して頂きたい・・・。ディズニーシーのファサードにて。
★★★★★テーマはダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
北米のパリ。世界中からアーティストが集まる。名作・赤毛のアンの舞台は今、豊かな自然に包まれた景色が芸術的だ。
カナダ東部に位置するプリンスエドワード島。輝く湖水は絵画的な表現に溢れていた。
⭐JCB THE PREMIUMというPR誌の風景より。

2022/5月中旬
キーワードシリーズ・(シス)。タイムスやBBC、CNNが大きく取り上げる。(グッバイヒュッゲ、ハローシス)。フィンランド語で苦難に耐えうる力。不屈の精神。2017。
既に調べはついていたからだ。もはや幸せ度を競う時代から遠のいていき来るべき恐怖に備える。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/5月中旬
今は昔、イギリス・コベントリー。重税に苦しむ民。それを悲しんだ領主の妻・ゴダイバ。「おまえが裸で町を一回りしたら税金を安くしよう」と。
しかし、民は不謹慎なと窓の扉を閉めた。が、トムというおやじだけはのぞいて見ていた。これを世にいう(のぞきやトム)。税を下げるということはそれぐらい事件だったのかも・・・。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2022/5月中旬
アンティークはまぎれもなく<リプレゼンテイション>アートだ。モノマネが流行る。特にウタマネ。カオマネ。コエマネ。メイクマネ。ハイパーリアリズムやトロンプルイユに通じる。そして、どこかのシマグニもまた、マネの天才だ。有楽町国際フォーラムで大江戸骨董市にて。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
遠くで汽笛を聞きながら・いちご白書をもう一度・酔いしれて・雨の旅人・秘恋・と春の宵に弾んだ。
シャンソンシンガーのオーナーはGAY。W大のフランス語講師でもある。28日はその吉祥寺にあるスナックで歌うという。誘われてみたいかと・・・。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ &ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2022/5月中旬
敢えて陶器茶碗を割る。そして少しずらしてくっつけ直す。また、漆碗を敢えて使い古したように塗りむらを創る。で、バスケットツイード。敢えて袖口や裾は縫い合わせない。
意図されたほころび。潜在意識から零れ落ちた美学が通底する。崩すことが極みへと導く。風の時代が故のすり抜ける粋に写真女子たちも惚れる。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/5月中旬
コツコツとコレクションしたインテリア。丁寧に育てたフラワー。長年住み慣れた家。家族のように連れ添ったペット。それらの愛着が一瞬にしてクラッシュされる。見慣れた風景がズレこむ。
まるでブレたフォトのように・・・。もと通りのビルドに再生されるには気の遠くなるような時間を必要とするだろう・・・。ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
「資生堂ショック」「制度より風土より上司」「女性は協賛タイプ」「子育てと介護は似ている」「ケアの連鎖」。
<ダイバーシティ>をテーマにシンポジウムが頻度を増加している。女性管理者は男性管理者と違う方向で活躍するべき。
オレについてこいじゃなく・後ろから羊飼いのように追い込んでいく手法が最適かと。有楽町国際フォーラムにて。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
自転車通勤。ポリエステル100%スーツ。足を曲げてもシルエットが崩れない。ジャパンブランド、ナリフリ。
サイクルファッションがサイクルデザインとともに<なりふりを構いだしてきた>。イギリス発のラファ。蛍光のパイピングと反射材。
風景にビジュアルがセンスアップしている。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
茶陶器に柄が〇や△がある。数百年前のことである。斬新過ぎてふざけていると。その名は古田織部。リスペクトすべき芸術家である。
今、茶人、茶室、茶器等々が敬遠されつつある。狭い密室で茶器は口移し。ふざけた禍がふざけたARTS表現を生産することがある・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/5月中旬
自由を模索してウエストコーストに走った。ベトナムウォーに失敗して冷戦構造が始まった時代に「答えは舞う風の中にある」と・・・。ヒッピーカルチャーがアメリカもまた一筋縄でないことを世界にアピールした。
しかし、ロバートベクトルは、カリフォルニアのクールな風景、たとえば真昼の照り付ける太陽が眩しい住宅街の不気味な静けさを細密画でリプレゼンテイションする。
そこには過去のザワメキすら表現されないかのように・・・。ARTFORUM2011より。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
かってアーティスト池田満寿夫は「富士山だけは描かない」と。頑なに固持していた。
何故か。彼もまた旧来の日本そのものを象徴する風景を政治経済文化と重ね合わせて、<リノベーション&構造改革>の足を引っ張る素材として考えていたからだ。
日本画(今だにシマグニはこうゆうジャンルがある。フランス画なんていわない)もまたその素材だ。しかし、横山大観のこの絵はワールドワイドに伝わる。
イラストレーションとして。メトロ日比谷線ポスターの前にて。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/5月中旬
かってベンヤミンは複製芸術の時代を分析した。今、デジタルARTS表現作品が真逆の一点オリジナルに固執する。どこが仕掛けているのか。クリスティーズ。
元来この組織はいわば証券取引所のような組織だ。会社ではないが、アーティストたち。それが古典絵画であろうとデジタルアートであろうと。
だからこそバンクシーがアイロニカルなシュレッダーアートをプレゼンした。デジタルアートだけじゃなく、音源、動画、記事、ツィート・・・。
もちろん奏松のFacebook・タイムラインプレゼンも。しかし、リレーショナルARTSやスラッカーARTSジャンルを通過して最先端価値作品よりも金融資本主義的アート組織が自ら価値観をプレゼンする時代だ。
Amazonのような組織に膨れ上がるような・・・。ま、風の時代にはスピーディにジャッジが出るだろう。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/4月中旬
(怖いのはみんなと同じホラー。でもほんとに怖いのは意識)。六歳の児童が素直に感じる考えるドキュメント映画。フィンランド。
宗教的に窮屈ないじめを感じている中東移民の子供たち。テロリストと同じ人たちと誤解をうけているからだ。
教育コンテンツのみ。日本賞。世界中の子供が何を感じているのか・考えているのか。子供が故に率直に表現される。
小さいころからすでに社会的関係性を意識せざるを得ない環境。高い意識センス。つまり潜在意識の覚醒を囲い込んでいる。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/4月中旬
ゆっくり行進するのはもうやめよ、未来に向かって飛躍するのだ。安物の真理なんかうんざりだ。心臓から古いものを叩き出せ。街路は我らの絵筆。
広場は我らのパレット。時代がかった書物では千ページを費やしたって革命の日々は歌えない。街路へ出ろ、未来主義者たちよ、太鼓を打ち鳴らせ、詩人たちよ。
マヤコフスキーの芸術軍への指令より。1918年
ほぼ百年前の新しい表現空間を求めて実験を試行したロシアアバンギャルド。エルリシツキーのポスター(赤いくさびで白軍を叩き出せ)。が象徴的である。
地政学的に極寒地が多い。肥沃な地への憧憬は西側には理解しずらい。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/4月中旬
歯磨き、電気プラグ、洗濯バサミ、フライドポテトなどごく普通の日常品が素材だ。消費経済をアートに翻訳した。プレゼンはボックスギャラリーからモニュメントまで。
日常品は、大きくするとシュールなセンスに変貌する。それはあたかも洪水のように溢れるスーパーの商品やコマーシャルをシニカルにちゃかす。
手法は「リプレゼンテイション&アプロプリエイション」。誇張したり、借用したり。クレスオルデンバーグの作品は一見ユーモラスだが、反抗心は逞しい。
BEYONDO THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991より。奏松画廊matsukyu

2022/4月中旬
ジェニーホルツァー、ミーケヘリチェン、そしてポーラシェア。三人とも女性。ワードビジュアルを素材にしている。
シマグニではかって女性誌の半5段広告でタイトルをびっちりつめこんだレイアウトがあった。そのワードアートをだれひとり話題にしなかった。相も変わらず黒船だよりである。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ & 銀座G G Gにて。奏松画廊松久matsukyu

2022/4月中旬
歳時記がある。春夏秋冬その時々の風景、自然、事象、その土地の伝統等々。暮らしのいとなみから(生きることの喜怒哀楽)がARTS表現であることを再生する。
大衆賛歌。それは高等芸術に異議申し立て行為。以前プレゼンしたタイのARTS表現家・ティラバーニャ。ギャラリーで食事をふるまうプレゼン。
あるいは自転車の後ろにビデオカメラを据え付け風景記録する。道であった人にリュックからガスコンロと食材を取り出し料理をふるまう。
(芸術は退屈な習慣を断ち切り人を精神の高みへ連れていく)と洗脳されてきた。彼の作法は(過去の固定観念と逆行する)。
しかし、今だに過去ラインから導線する高等芸術で21世紀&新美術ズラする。
ここ一連のオリパラ事件暴露は、ラインを引きずったままの人々を逆洗脳するしわざとしてスタートアップしたはかりだ。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊
(HP・雑談俱楽部・クラリクラブや人物画専門画廊シリーズやFBタイムラインシリーズやInstagramシリーズやTwitterシリーズやAmazonシリーズ等々は勿論このジャンルを包囲する)

2022/4月中旬
キーワードシリーズ・(艶気)。読みはうわき。西鶴の好色を受け継ぎ江戸で流行らせた。山東京伝は物語の中で艶次郎というキャラクターを流行らせた。
鼻は低く丸顔。どちらかというとブサのタイプ。自らの美男子とは違う主人公で笑いをとる。それが粋だった。
その京伝、浮世絵師でありながら黄表紙やファッション史も書いた見事な粋人だった。もう十数年くらい前になるが、両国の回向院に墓参したことがあった。尊敬するひとりである。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/4月中旬
あらゆる仕事が奪われる。近い将来、AIテクノが「リプレゼンテイション」する。バルデッサーリが再構成したアートから遠のかざるを得なくなった。
比較する必要がなくなったからだ。明らかに後退である。天井をぼんやりと仰ぐことしか残されてない・・・。「ズレ」こんだセンスとの虚しさに混迷している。
もちろん最初から石頭でズレたひとたちは大勢いた。そのひとたちですら虚しさに襲われるだろう。ARTFORUM2016より奏松画廊matsukyu

2022/4月中旬
一時ほどの経済的勢いはないが、現代アートミュージアムが急増している。北京。香港。キュレーターは学生たちに人気の職業。
欧米のアートプロデューサーやキュレーターたちも大いに注目する。AIやSNSがオープンになり、堰を切ったようにワールドワイドな展開になりつつある。
1960~90年代のアメリカムーブメントBEYOND THE FRAME AMERICAN ARTに追随するかのようだ。隣のシマグニあたりの視野狭窄が何とも情けない。
先般もNYCから来日した批評家ボリス・グロイスに「見過ごされ排除された存在を見せていくことが重要だ」と指摘されるようではおぼつかない。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ

2022/4月中旬
イメージの素材が氾濫している。そして、二次三次情報と歪曲させられて伝わるリスクも孕んでいる。借用したり、引用したり、盗用したり、と。
更にメディアもSNS、FB、Twitter等々・・・、情報が整理整頓されぬまま増殖しつつある。
といって老舗のペーパーメディアは石頭のイメージから脱却する気は毛頭ない様子だ。そんなジャーナリズムの記事やフォトそのものを素材にしてきた奏松画廊メインアート作品。
石頭を柔軟にする眼は、批評的反抗心を持続する発信力が逞しいからだ。ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu

2022/4月中旬
(社会の理不尽)を追及するmessageをアートに翻訳する。これからのアーテイストが目指す方向だとタイムラインで述べた。
小規模農家の窮状を(作品をメディア)としてアピールする。農民から寄せられた空の種袋をプレゼン。キャプションに農場名、作物の種類、畑の反数等を記載。
ケイトエリクソンとメルジーグラー。アイロニカルな反骨をベースに組織変革へ挑戦。消費経済への警鐘をアートに翻訳したウォーホルのDNAアーテイスト。
★★★★★吉祥寺のとあるバルで&エリクソン・ジーグラーの作品。奏松画廊松久matsukyu

2022/4月中旬
「はてさて妙なこともあるものじゃ。うなぎに変化か」と檀家にとぼけられる。生臭坊主がこっそり隠していた。さて寺は山の芋をうなぎに化けさせる・と信者が増えた。
ま、寺も繁盛と。で、(山の芋を蒲焼きにする)。つまり早とちりの間抜け者のこと。ま、まんざらでもない。そんな彼岸明けは初夏の陽気になるような・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/4月中旬
イワシは8万、タイは7百万、タラも数百万、マンボウはなんと3億産卵する。もっとも数尾しか生き残れないらしい。
しかし、大昔の人々は超自然的な力を信じていた。子孫繁栄のシンボルとして。仏の足の裏に二匹の魚の絵が描いてあるという。
更に魚座があり水瓶座がある。密教の曼陀羅にも。如何に性のシンボルかがわかる。(生と性)が大いなるリレーショナルARTS表現であるかがわかる。弾む春の到来。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/4月中旬
古き良きアメリカを求めるひとたちは多い。1950年代の。しかし、その後の消費経済やサブカルチャーが世界に与えた影響を誇らしげにアピールするアーテイストがいる。
そのひとりであるリチャードプリンス。雑誌や広告そのものを素材にした。
エロティックでアイロニーなイメージを「リプレゼンテイション」した。ARTFORUM2015より。奏松画廊matsukyu

2022/4月中旬
大昔「当たり前田のクラッカー」というセリフがテレビで流行った。男らしさ&女らしさ・が当然の社会システムだった。
「親分みたい」とからかわれる。男の子はいわれない。イギリス人俳優エマ・ワトソン。
「セックスチェンジ・デー」富士吉田市の高校生制服交換。<世間の当たり前を見直す>光と影にくさびを打ち込む。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。

2022/4月中旬
英育、芸育、体育、健育、道育、活育、勝育、耐育、AI育、いろいろ教育は多様性が必須。しかし、脱落していた育がある。「服育」だ。
ユニフォームは格好の育になる。社会に出てユニフォームを重用する会社は多い。スポーツユニフォームもしかり。小学生から「服育」を、それもセンスアップしたデザインを。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ &「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/4月中旬
TOKYOでの新生活。欲望が渦のように取り巻く。(見せびらかしてイライラさせる)。ショーウインドーのシワザ。ギリシャ神話では悪戯好きのタンタロス。
しかし、過ぎて地獄に落ちる。更に刑罰が。欲しいものに手を伸ばすと離れる。これをタンタロス状態という。欲望にはキリがない。殺してまで手に入れてはいけない。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2022/4月中旬
contemporary系ARTSはもはや多様な思想があり、手法があり、表現がある。ここには(いいね・わるいね)はない。それぞれの道があるだけだ。
これをおしなべてフラットに評価することはあり得ない。上から目線以外の何物でもない。民主と自由を開発した人々のおごりたかぶりだ。
曖昧な美意識は必要ない。必要な意識改革のみARTSをけん引できる。パンデミック事件が何故ユーロで炸裂しているのか。落ち着いて思考する時期にきている。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2022/3月中旬
かってサイケデリックアートが流行った。ピーターマックス。舞う風に答えはある・とウェストコーストに向かった。クスリとコラボして創作。
世界では許容法制化しているとこもある。シマグニでは一般大衆はユルい。影響されやすい。パフォーマンスアートの二本指はアイロニカルなポーズ。
経営でもかってお縄頂戴しなければ大物になれない・といわれた時節があった。ユルさは当分持続するかと・・・。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ奏松画廊松久matsukyu

2022/3月中旬
ここ数年(エシカル消費)というコトバが出始めてきた。SDGsというコトバはわりと浸透しつつある。このふたつのキーワードはとても重要。何故か。
とても哲学的だからだ。経済活動・経営活動とはかなり距離感があった。インハウスフィロソファーという聞きなれない職種がある。
アメリカで近年注目されてきた。企業内に哲学者的人財を雇用。元々経済ジャンルの人々は商人である。儲け中心主義。エシカル・倫理観はユルい。
scienceジャンルはAIが大きくカバー。しかし、artsジャンルは、カバーしきれていない。
企業内スタッフとして哲学文学consultantやvisualconsultantが活躍する時代になる。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/3月中旬
マティス、ピカソ、ドガ、ロダンらの作品や古代ローマの足の彫像、360万年前の人類祖先の足跡・・・。美術館から借りた資料。更には靴や特許の設計図。
「歩く・ことの概念を突き詰め」たプレゼン。フェラガモ博物館。以前紹介したルイーズローラーの(作品以外のもの)をプレゼンする。
たとえば陳列ケースやパンフレットなど。その手法は、鑑賞者が作品をともに創造する概念でもある。あらゆるジャンルで拡張した。
阿佐ヶ谷のブルースライブバーにて。奏松画廊

2022/3月中旬
アーティストやデザイナーの役割が大きく変わろうとしている。AIの活躍で(新しいコンセプト思想を提案すること)や(使い勝手の良い機能的社会を提案する)ことにシフト。
従来の顧客依存症的役割から脱皮する。ピケティの分析でフランスもまた格差が矢面に。クリエーターの役割もまた大きな曲がり角に。
(自由・平等・博愛)の再登場が期待される。つまりさらなるワンランクアップソサエティへ。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ奏松画廊松久matsukyu

2022/3月中旬
多くの人が絵が下手というだけで創造性がない、と思い込んでいる。しかし、カラオケでは自信満々だ。
アート&デザインというと目に見えるモノのカタチを描くことと考えがちだが多様なビジネスが広がる。
学校創りから会社の創造性、更には行政の在り方、民主主義の行方等々政治経済ジャンルがウエイトが高い。
これからは米アートデザインコンサルティング会社のように社会の多様なビジネス展開に未来がある。
★★★★★テーマはダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊

2022/3月中旬
ARTS表現ジャンルに(リレーショナルARTS表現・人物画専門画廊)シリーズがある。生活の中でスーパーに買い物に行く。多様な商品が眩しいくらい。買わなくても手に取る。
その行為そのものがリレーショナルARTS表現なんです。あるいは、男女がデートをする。事前に多様なシナリオを創作する。この恋物語こそリレーショナルARTS表現なんです。
あるいは、美術館博物館、アートギャラリーに出向く。鑑賞者であるがその行為そのものがリレーショナルARTS表現なんです。
そして、ビッグに成長したSNSメディアで多様なプレゼンがある。その行為そのものがリレーショナルARTS表現なんです。
⭐⭐⭐⭐⭐ARTSカウンセラー奏松画廊

2022/3月中旬
自由と正義のアメリカが「階層区別社会」に陥っている。固定化されたボックスに縛り付けられている。「全てカネでカタをつける」。
反抗心旺盛なアーティストたちはあらゆる手法をここ数十年間試みてきた。
しかし、「がんじがらめのシステム」は「ブラック&ホワイト」問題が溶融しているにもかかわらず低層のピープルたちに反抗心すら消失させつつある。
80年代にシニカルなコピー手法で反抗してきたシェリーレビンはすつかり暗い抽象画を描かざるを得ないほど閉じ込められている。
ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu
2022/2月中旬
寿老・こそ有難いという表現にふさわしい。では(寿ぐ)とは現実的にはどうゆう状態だろうか。よく豊かさだね・とかあるが、(ゆりかごから墓場まで)。子育の仕方・夫婦の育ち方・働き方・さらには(幸せの仕方)。
人が少なくなる分AIがカバーして余りあるようになる。science領域が大方AIにとって代わられる。経済はこの領域。今まで尊敬されてた士・師業あたりは消える。
潜在意識(97%は未開拓)を開発開拓する士業になる。たとえば(ARTS士)。(ARTS家)。まるで想像だにしなかったクラリ(開眼)する展開に。
★★★★★吉祥寺七福神巡り延命寺(ARTSgalleryから10分)にて・奏松画廊松久matsukyu

2022/2月中旬
NYCにこだわるARTS表現作家のひとりにウッディアレン監督がいる。小さな作品。予算も。翻って美術家・アーティストというひとたちは今だに大きいことはいいことだを指向している。
理由を尋ねると答えられない。何故か。ARTS思想がないからだ。経済がscience領域で動いているにもかかわらず。例えば戦略的マニーで数十億が踊る。それはカジノゲームと同じ。
首から上が単純過ぎる。潜在意識に至っては論外だ。学校で教わったことをそのまんま消化不良のまま作品化する。何度もプレゼンするが(芸術・美術というジャンルはない)。
あるのはARTS領域だ。だから、リレーショナルARTSジャンルがある。更に(脱皮するARTSジャンル)がある。
★★★★★奏松画廊・松久

2022/2月中旬
大坂の老舗デパートがリノベーションするニュースがあった。大量集客・大量販売が効かない。顧客ひとりひとりに寄り添う。つまり個客マーケティング。
その担当はホテルのコンシェルジュと同じ。例えば婦人服売り場フロア。多様なブランドがブースに。アートギャラリーもまた多様なギャラリーブースが必須。
そして広告から個告へ。鮪や鰹の一本釣りのように。SNSメディアもそうなりつつある。そのひとつに個人メディア。(ロマンスプロデューサー奏松画廊)のような。
いわばカウンセラー奏松画廊。個客の恋物語をプロデュースする。その丁寧なパーソナルカウンセリングサービス。だからこそ対面接客が必須。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/2月中旬
都市別GDPランキング。NYCを大きく上回りNO.1なんです。TOKIOは。価値が高いことはグーですが、総合力で。数字力で。そこに(センス)という価値が入ってない。
数字で測れないからです。ガラスウォールが乱立して(反復&連続)アートを表現してはいる。つまり右肩上がりをシンボル化。
ミニマルアートが偶然にも(ビッグアートを暗示)しているとは・・・。しかし、かって流行った大きいことはいいことだ・が経済的に終焉して、ミニマルな(エクセレントカルチャー)時代を志向し始めている・・・。
★★★★★SHADOWシリーズ。吉祥寺の高知産直魚が旨い日本蕎麦屋にて。奏松画廊

2022/2月中旬
風鑑・風人・風日・風生・風気・風発、そして風神・風師。この風が流れる。すでにスタートアップしている、風の時代。風生松下涼・李白。談論風発するように議論が盛んになる。その発する人は、見識のみならず風采が優れている。
★★★★★奏松画廊・松久

2022/2月中旬
物モノmono・が溢れている。整理整頓。何もこれだけではない。人そのものが大きく断捨離される。過去の思想、哲学、芸術、教育、経済、政治・・・、もまた意味を成さない。
たとえば、インテリア。真っ白の空間。階段箪笥ひとつ。ウォールにはアブストラクトアート、それもスモール。テーブルはない。そうゆう瞑想的空気感。
ウォールデコをたまに眺める。このライフスタイルはいわば(自分内革命)である。新自由主義の功罪は多々あるが、(新常識&非常識)主義。
もしくは新自由&規制主義。バランスを自在に操るアートインテリジェンスが必須だ。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久。(ウォールデコ)の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。

2022/2月中旬
固定観念・社会通念にまみれた過去を切り落とす。大きな勇気がいる。しかし、子育てが終わったマダムたちが(堪えた感情を解き放つ)ケースが増加すること必至だろう。
バックスミンスターフラ―というデザイナーが透明なドームスタイルコミュニティを未来志向してから長い時間が経過した。あらゆる街・町・村がまとめられてコンパクトなドームに。
そこは互いの住民が互助のこころを。助け合う。税金もフラットに分かち合う。いろんな仕事ロボットさんが国から支給される。豊かな社会資本主義システム。
ここではデモククラ―とは何か。全てが〇〇ファースト。このコミュニティは、住まう人全てが議員。リーダーは順番で抽選。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2022/2月中旬
まだかたくなに息絶えている物ものモノmonoたち。薄っぺらな意識だけでしか生きられない。もつ煮込みのような風景もまたしかり。
といって視野狭窄なボックスガラスビルをガラスメーカーのいいなりになってテクノガラスだからトイレにniceだよ・なんてマーケティングされるとホイホイ調子にのるデザイナー。
木もしかり。多すぎるシマグニだから伐採してよと霞が関からの上意下達。更にそれを喧伝する古色マスコミ。
シマグニは無宗教とはいわれるが、(軽諾寡信)宗教だ。サァ、どうする。風の時代がスタートアップしてるが、・・・。
★★★★★奏松画廊・松久

2022/2月中旬
再生細胞への期待が大いに高まっている。(逞しい生命力)をいかにして獲得するか。(溢れる魅力)をどうしたら取り戻せるか。(想像を超えた創造力)を生産できるのか。
地味な努力しかない。ハタヨガパフォーマンスARTS施術所がひとつの解決である。それはAIの対極に位置する。(気の交流)は目に見えない。
無心のメディテイションをすることで(交流する音)が聞こえる。せせらぎのような音。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2022/2月中旬
最近リベラルアーツ学がいたるところで散見される。そこにコンサバは入らない。しかし、能の鏡板。この画は歌舞伎でリプレゼンテイション&アブロブリエーションされる。
その舞台は(リレーショナルARTS)だ。古色領域ではあるが、そこには大いなる関係性がリンクする。松を見立てる。風景を羽目る。
★★★★★奏松画廊・松久

2022/2月中旬
相変わらずデフレをマイナスイメージにしているひとたちもいる。しかし、資産価値とは何かが問われている経済社会になりつつある。たとえばシェアリングエコノミー。
既存業界はクラッシュされるが、ニューエコノミーが創出される。量や規模のGDPが現実と大きく <ズレ> こむ。アダムスミスの「見えざる手」が「見えすぎちゃってこまるの」。
になりつつある。かって平安時代に婆娑羅が流行った。常識や形式を打破し新しいコンセプトで自由奔放に暴れる奏法やファッションが模索実験された。奏松画廊matsukyu

2022/2月中旬
青い空・白い雲・満面の笑み。広告表現ならではのkeyvisualだ。商品の裏側は微塵も出せない。右肩上がりの消費経済。急ピッチで欧米をキャッチアップするその影では(血・汗・涙は想像を絶する)。
だからこそマーケティングは勢いづいた。本来ならARTS領域表現だが、アートデザインでしかない。今だに女性の価値や価値観は低い。さあ、どうする風の時代のコスパは・・・。
★★★★★奏松画廊・松久

2022/2月中旬
アールデコスタイルに郷愁のみならずエクセレントセンスを感じるのはなぜだろう・・・。日の本の伝統的意匠に通じるカタチが認識されるからだと思う。
西欧とアジアの行き来が頻繁になり各種のアイテムが刷り込まれている。もはやアートとデザインの垣根が低くなり境界がぼやけたりズレこんだりして、ライフ&ジョブスタイルの各アイテムを総点検することが必須だ。
ホントの断捨離とは何か。それは何もモノだけではない。インテリジェンスの呪縛的断捨離こそこれからのスマートライフにかかせない。
ビジュアルにウェイトをシフトした「考える&感じる」ライフスタイルにスィッチオンするために、新しいウォーキングスタイルを見出そう。奏松画廊matsukyu

2022/2月中旬
名人・コロッケさん。剛腕・清水アキラさん。テープ芸。NICEなARTS。人間のID(アイデンティ・身分証明)についての疑問。ローナシンプソン。写真はあっても顔はない。
仮名はあっても名前はない。判明できることは(魅力的なマダム・レディ)だということ。シンプソンは黒人女性をおおざっぱに分類する個人情報をアイロニカルにプレゼン。
顔認証が進展する時代に向けてアイデンティ・身分証明とは何んなのか。人物画専門画廊シリーズもまたこの疑問に大きな揺さぶりをプレゼンする作品だ。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2022/2月中旬
自らの物語を創造想像する。つまり他人から影響されない。世間体を気にしない。雑誌や古色メディアから離れる。例えば(脱ロマンス)。恋に落ちる・という。
しかし、脱落したくない。「お金は汚いものではない」「女が野望をカタれる時代がきた」。ドラマ・マネースキャンダル。投資会社レディの物語。
男と女の役割概念が大きな曲がり角に。投資の対象がAIテクノ会社以外に。例えばカルチャー・サブカルに。関係性の視野を大きく持つ。マーケティングを新創出する。今年のキーワードは(脱)。
自らの殻を脱する。シマグニの偽装概念から脱する。新たなリレーショナルARTS表現ジャンルへスタートアップする。
★★★★★#カフェ友・#卒婚・#恋活・#ミドルシニア応援・#ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/2月中旬
夢を描く。それは写実だろうか。それともぼんやりとした非具象だろうか。たとえば経営コンサルあたりが、明快な夢でなければ成功しない、と。アドバイスする。とにかく具体的な夢。
本当だろうか。それは違う。夢は最初はおぼろげでいい。徐々にハッキリクッキリとカタチになればいい。たとえば和菓子職人がへらでちょっとずつ整えるように・・・。
★★★★★シルクスクリーン(松竹梅)アート。奏松画廊松久

2022/2月中旬
昨年のプレゼンに頻度を増加した。(潜在意識の開拓開発をする)。奏松画廊のARTS表現のひとつに(脱皮するARTS)ジャンルがある。リレーショナルARTSジャンルのネクスト。あらゆる関係性から脱走する。
殻を破る。殻を脱ぐ。その手法にハタヨガパフォーマンス施術があり、更には(パーソナルARTSレッスン)がある。すでに風の時代に入った。さあ、どうする・・・。
★★★★★奏松画廊・松久

2022/2月中旬
(感じる&考える)授業のひとつに(歴史総合)が加わる、この4月から。以前から何度もプレゼンしてきたARTS領域。歴史、哲学、文学、音楽、地理。高等学校でコンセプトを理解する。
自らの道を手探りする大きな手掛かりになるだろう。霞が関が文学部はいらないとかっては言ってたが、これでバランス回復されるかと・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/2月中旬
コンテンポラリーアートが産業経済に大きな影響を及ぼすきっかけになった。下フォトのプラスティック製品のみならず、アート~経済、経済~アートとゆうように行き来して豊かな発展を遂げてきた。
だからこそではないが、欧米ではアートをことさらリスペクトしている。これは「The Penrose Annual 1950」とゆう1895~1982年頃までロンドンのランドハンフリー社が発行した印刷技術レポート誌だ。
上はベンニコルソンの1937年作品。それにしてもシャープな精緻印刷が既に完成していた。誌の中に実物印刷サンプルが差し込みで入っている。巻頭ページにニコルソンのアートが発色を見事に再現している。
ジャパンはこの頃昨日の図案カット大集成(1933年)のような単色か二色の 粗雑な印刷、紙であった。奏松画廊matsukyu

2022/2月中旬
夢の入り口あたりを少しうろついて挫折。しかし諦めきれない。そんなミドルレディを描く。(女と男の観覧車)(ブルージャスミン)・・・。ともにビジュアルコンサルティングがグーだ。
時代がドリーミーだけにその光と影は鑑賞者に刺さる。80を超えてそのセンスは健在。 ARTS表現作家・ウッディアレン監督は年齢で仕事をしない・の典型かと。
★★★★★SHADOWシリーズ奏松画廊松久

2022/2月中旬
デパートがリノベし、SONYがクルマ創造にチャレンジし、いよいよ銀行がアイデアを担保にする時代が到来している。例えば銀行がサザビーのようなARTS&アートの業態に変貌する。
作家には作品のみならず思想をも担保する。そして二十歳になったら才能やvisualやフィジカルを担保する。先般経団連の新年パーティでは抱負ワードが踊った。
チャレンジ、夜明け前、日はまた昇る等々。日の本は宝の持ち腐れと言われて久しい。銀行がリスクを負って前進する。それこそ新資本主義の大きな柱になる。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/2月中旬
アメリカの芸能界。俳優組合や監督組合がある。経験が少ないタレントは組合に加入できない。実力主義が徹底されている。
しかし、シマグニでは芸能事務所が強い実力を発揮してきた。何も芸能タレント世界だけではない。芸術関係もまた各種団体の実力が及ぶ。
最も個人主義が発揮される世界ですら組織が幅を利かす。江戸時代に版元がアーティストを抱え込む慣習スタイルが持続されている。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/2月中旬
「破天荒、豪快」。今の若い人たちに最も不足している。盤外にもわたって打ち手と激闘を繰り広げた幻庵因碩。
清濁併せ呑む人間味。過去には奇人が多くいた。FRAMEの中にこじんまりと納まった人たちばかりでは構造改革は遠い。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/2月中旬
将来の仕事は何が希望か。ユーチューバーとかプロのゲームプレイヤーとか。古くは公務員・それもマニーが安定してるからと。どうして金にこだわるのか。
タレントといわれる連中も永田町を目指す個性派がほぼいない。(ちゃぶ台をひっくり返す豪傑)がいない。中卒がいない。無学がいない。
アウトロー風情が少なすぎる。過去と違って食うことに困らない。レールから脱線しなければ大物にはなれない。
しかし、そのこじんまりした人生を誰が求めているのか。育てているのか。奏松画廊松久matsukyu

2022/2月中旬
★(非常識を訓練する)シリーズ。
その25。
(ホモルーデンス)。遊びこそ感じる&考える大いなる訓練だ。とホイジンガ―は唱えた。そのコアキーワードは、自由性、非日常性、没利害性が修練される。
その非日常性の中に当然非常識がある。この正月休みを海外で遊んだ人たちも多いことだろう。で、非常識が訓練されただろうか。
★★★★★詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。奏松画廊松久

2022/2月中旬
(脱皮するARTS表現)シリーズ。その①。
視野狭窄というキーワード。抽象表現にこだわり過ぎる。というよりはそれしかできない。そこをいくらこねくり回しても百年前と変わらない。にも拘わらずそれをさも斬新かのように繰り返すシワザ。
いわゆる美術・芸術という言葉で枠に収まっている人たち。ここから脱皮しないと風の時代を感じることはない。
★★★★★#カフェ友・#卒婚・#恋活・#ミドルシニア応援・#ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/2月中旬
小さなカタチが「反復&連続」するようなビジュアルをずっと見続けるとチカチカしてくる。次第に消えたり現れたりして、まるで幽霊のように見える。
幻が脳裏を去来して錯乱する。記憶が途切れ、認識できなくなる。そんな経済活動がバブルのように膨らんで破裂し消える。
この「反復&連続」するアートは錯視的誘導をする手法として稚拙な大衆を騙す効果がある。隊列を組んだ兵士の反復&連続が、一見カッコよく進軍する様は、目くらましの効果が絶大だ。
過去の歴史で為政者に盛んに利用された。下の作品は、フランソワモレレのキャンバスにスクリーン手法油彩アート。1958年1960年作。奏松画廊matsukyu

2022/2月中旬
今やIoTテクノが時代を大きく変える可能性に満ちている。ひとの歴史に大きな変化が訪れている。インテリジェンスを追求した結果ライフスタイル&ジョブスタイルが大きく前進しようとしている。
ひとが信じてきた大きな考え方に従って歴史の結果がでる。下の作品は、インテリジェンスを発信する本の裏表紙だ。2種類のカラーがインテリジェンス&モダニズムをオーソドックスに象徴している。
何も違和感なく。しかし、その反対にアートそのものが行き詰っている。今まで科学に何かしらきっかけを寄付してきたアートの先進性が崩れ去ろうとしている。アートがもがき始めている。
そのひとつの表現に「おぞましい。目をそむけたくなる」ような理論的なちゃんとした考え方では説明できない表現をアート化することで「対抗する意識のカタチや行為」がアートとして流通する。
それが上の作品だ。マイクケリーのぬいぐるみのようなわけのわからないモノをプレゼンすることで衝撃を与えた。
1987年。個室のギャラリーでモノつまり作品をプレゼンするアート&手法そのものが大きな転換期に差し掛かっている。
奏松画廊matsukyu

2022/2月中旬
キーワードシリーズ。その2。(唯一無二)。 拙者、奏松の肩書は画家ではない。アーティストではない。芸術家ではない。しかし、多くの人々はそのどれかを言う。それくらい社会通念にまみれている。
改めて伝える。(ARTS表現家)。作品によってはたまに(リレーショナルARTS表現家)とも言う。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/2月中旬
キーワードシリーズ。その3。(通俗的悪)。
漫画、雑誌の猥雑な類。仮面としての制服。銭湯のペンキ絵。全学連の看板。大箱マッチ絵。シマグニのあらゆるその手の俗悪。反芸術が今改めて価値を持つ。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/1月中旬
大きく分けるとふたつある。奏松画廊の仕事。ひとつはARTS領域表現を究める作品。もひとつはビジネス作品。
そのビジネス作品の中にロマンスプロデューサーCLARY CLUBがある。リレーショナルARTS表現作品だ。約20年前に作品化スタートした。
途中中断してはいたが。この作品の優れている点は、関係性をセッティングすることで幸せな物語を創造する鑑賞者。
前向きな人だけが幸せを楽しむ作品だ。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/1月中旬
「僕自身一番影響受けた映画は、ブニュエルとダリのつくった(アンダルシアの犬)だったね」「冒頭の月を剃刀が横切り眼球が切断されるイメージは
(もっと奥深くものを見ようと思ったら自分の目を剃刀で切り裂かなければいけない)というロートレアモンの詩のフレーズとアナロジーした映像で、
肉眼で見える網膜的イメージを超えた(目を閉じたまま見ることが出来る世界)で、オクタビオ・パス
(世界を滅亡させようと思ったら爆弾が必要じゃなく目をつぶるだけでいい)という有名な言葉があるが、それが映画だという感じがしたね」。
寺山修司とかわなかのぶひろ先生(阿佐美映像ゼミプロフェッサーだった)との対談で。かわなか先生編集の月刊イメージフォーラム(1980創刊号)。
かわなか先生は渋谷のイメージフォーラムを経営している
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2022/1月中旬
最近プレゼンしたコスタリカ・オサ半島。生物多様性の見本市。しかし、シマグニでは、動物虐待法ひとつなかった。半世紀前までは。
だからロンドンではシマグニに犬を輸出するなとデモが。あらゆる都市が啓蒙マシンとなった。この時代、デモの博覧会に。市民デモが多様化していた。
街頭啓蒙運動・ARTS表現の大きなうねりをプレゼンした。(街そのものが画廊)になっていた。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/1月中旬
戦国時代に鉄砲や舶来ものと一緒に輸入された。(世界地図)。秀吉も信長も家康も飛びついたらしい。屏風にその図を描かせた秀吉。
江戸時代は地図が多産された。鎖国することは闇に入ることだ。しかし、見えないが故に創造力・想像力は高まる。潜在意識を覚醒させる。
(見えないものを見えるようにする)チカラが今、いささか不足しているかと・・・。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/1月中旬
人との一期一会が大きく高くする。その人は、ギャラリスト・メアリーブーン。そのアーテイストは、ジュリアンシュナーベル。
1977年のこと。80年にコレクター・シュワルツに注目され、一気に時代の人になる。スタイルは(文字とテクスチャー)だ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/1月中旬
回帰する年末ではあるが、表現の自由・問題が浮上した。しかし、ARTSが今だに議論されない。この問題は奥が深い。
シマグニの芸術レベルだけの話ですまない。教育改革まで突き刺さるからだ。更には、働き方改革が問題になったが、スタイルそのものが固定観念化している。
リベラルARTSがワイドであるようにフリースタイルであってもよい。夫婦という固定に呪縛されなくともいい。卒婚もあり、終婚もあり、たまにシングル婚もあり、と。
ミドル・シニアが社会通念・固定観念から断捨離していく。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/1月中旬
色はその人の位を表現する時代があった。袍・という平安時代の官僚正装があったらしい。上級ほど <黒> を着用。そして今は誰でも自由に操る。
この色ほどリプレゼンテイション&アプロプリエーション手法が持続している色もなかろう・・・。★★★★

2022/1月中旬
「Name the title itself is contemporary ARTS」シリーズがある、奏松画廊に。タイトルが重要な意味思想を持つ時代だからである。
過去にも膨大な意味思想を暗示してきた作品はある。しかし、ここ当分は(具体的改革)のプレゼンがとても重要。例えば脱炭素。民主主義への進展。国内の諸問題課題等々。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2022/1月中旬
アールデコスタイリッシュタイプフェイスデザインの「M」だ。日の本文様意匠にとても親友かのような気心が知れた間柄かのようなセンスが漂う・・・。
ちょっと話は飛ぶが、モネやマチスなどに影響を大きく与えた浮世絵あたりの話は常套だが、機械産業大発展のトリガーとなる
「パリ万国装飾美術博覧会(1925)」で和文様が大きな影響だったことはあまり周知されてない。
回帰現象のもひとつのアングルとしてビジュアルメッセージしてみた。奏松画廊matsukyu

2022/1月中旬
業績連動により役員報酬がアップしている。いいことだ。株主優先の欧米型に比較して低すぎたきらいはある。
欧米型に近づきつつあることは <カルチャー資本主義> に近づきつつあるということでもある。
役員室やロビーのウォールアートもまたセンスアップするチャンスでもある。
★★★★★テーマはShadowシリーズ。奏松画廊matsukyu

2022/1月中旬
縁や結びが強いか弱いか。引き算の文化。しかし、足し算の文化が押し寄せて以来、掛け算・割り算に。で、(程よい距離感)を好感する。
ま、ワリキリ算文化。これからは更に加速するかと。
★★★★★パフォーマンスシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2022/1月中旬
(ARTSに翻訳する)。このキーワードが意味がワカラナイという人が相当いる。ナイキのシューズをギャラリーに移動展示すればそれは商品ではない。
コンテンポラリーARTSに、マジックではないが変貌する。ハイムスタインベック。だから、人物画専門画廊・シリーズは、もちろんARTSに翻訳されたということになる。
アメリカンARTSは、1960~1990の間に多くの(ARTS翻訳家)が誕生した。
最近、大学院卒がシマグニと雲泥の差があるデータが発表されたが、はるか昔からあらゆるジャンルで違っている。そのひとつにARTSジャンルがある。
★★★★★クラリクラブ・人物画専門画廊シリーズ(2002.2003.2004制作)。奏松画廊松久matsukyu

2021/12月中旬
膨大な情報、大量の複製、大量の生産がカンタンに入手できる。既存のイメージやオブジェをボキャブラリーとしてアート翻訳。
希少価値に挑戦するアーテイストたちは多い。たとえばロバートラウシェンバーグ。更には単なる職人的抽象表現絵画からの離脱。
ジャーナリズムを積極的にARTS翻訳した。アートの視野を拡大するとはこうゆうプレゼンだ。
パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2021/12月中旬
スピリチュアルに魅せられた人が増えている。ブラフマ・世界創造の神。生命を維持する神・ウ゛ィシュヌ。破壊の神・シバァ。
この三神には妻がいて芸術を司る。インドネシアが注目されているのは芸術だ。バランスを最も重要視する宗教的芸術行為。
風の時代は西欧的キリスト教的尺度から脱する芸術が大きく浮上してくるだろう。
そのリレーショナルARTSの大きな手法が(ハタヨガパフォーマンスARTS施術)だ。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/12月中旬
インドの有名な詩人タゴール。その彼に名付けされたアマルティア・セン。あまり聞きなれない人も多いかと。ノーベル経済学賞受賞・アジアで初。
彼は(潜在意識の開発)にアイデアを。以前にプレゼンしたが、ひとの頭脳は97%が非開発。つまりタントラ・ハタヨガと多いに関係する。
ひとは大昔から布を纏う慣習がある。よく日に何時間かオールヌードでキッチンや雑務に励む。拙者もまたオールヌードで創作作業に邁進する。
これをルーティン化すると見違えるほどデトックスも大幅減少。まるで解毒剤効果。(気の交流)が、つまり自然との会話・通信がいかに重要かの証。
その自然が蝕まれつつある。地球温暖化を少しでも遅らせる。小池知事はクールビズの名付け親。この冬からウォームビズを。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2021/12月中旬
『美貌格差』がある、という。経済学的にはイケメンは生涯所得で2700万も得をするらしい。更には「ビジュアル格差」があり、
「風景格差」があり、「センス格差」がある。もちろん「資産格差」はあるが、「満足度格差」もあり、低年収であっても豊かな人たちは大勢いる。
格差社会が声高に喧伝されるが、生まれつき格差はあるのが当たり前だ。問題は「文化格差」が一向にジャパンはグレードアップしてない。
クリエイティブ&カルチャー資本主義が叫ばれる欧米とは格差がつくばかりだ。
文化教育の「クオリティ格差」をなんとかしなければ・・・、と「感じる&考える」一日にしたいね。
麻布十番界隈スケッチより。奏松画廊matsukyu

2021/12月中旬
アメリカンドリームが挫折した、といわれている。かってシカゴ郊外モデル都市。その創設者建設者支配者であるブルマン。
(労働者の士気を高め洗練された社会)を目指した。カルメット湖畔に4千エーカーの地所。この国最初の総レンガ造り都市を。
インフラから公共建物、SC、スーパー、ホテル、教会、シアター等々。しかし、労働者のための都市は彼らを争議へと向かわせた。
イリノイ最高裁は(会社には都市を建設する法的権限がない)と判決する。ブルマンの博愛主義は挫折する。
アメリカンドリームの最初の挫折だ。それでもNYC自由の女神像右手に掲げられた松明は燃え続けている。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/12月中旬
平安時代以降身分に関係なく日常的に着用された烏帽子。烏色(黒色)の被り物である。烏帽子を被ってないことは「恥晒し」として凌辱された。
公家士族たちは和紙の黒漆塗りで、四六時中就寝時も被ったらしい。庶民は、黒麻布の手拭を巻きつけて被った。
素晴らしい美意識美学が醸成されていたのである。日の本には良いものが多くある。殿方のビジュアルがブサイクのままであってはいけない。
ツルピカ&チャビンを恥晒しと思うべし。いつも行きつけの信州日本酒アンテナショップにて。新橋界隈スケッチより。奏松画廊matsykyu

2021/12月中旬
三島由紀夫の不道徳教育講座というアイロニカルなエッセイがある。三十分以上待たされる女がいた。男はまだ来ない。去りがたく思う女は既に肉体関係があると。
しかし、男が二十分以上待たされていたら男はまだないと。元の話は大陸春秋時代の尾生の信。
で、世間はだれしも(何かを待っている)らしい。何かをボンヤリと待っている。ま、概ね裏切られるが・・・。
★★★★★SHADOWシリーズ&御殿山近く山本有三記念館にてデッサン。奏松画廊松久

2021/12月中旬
都市の片隅に追いやられ、正視されることのない人々を敢えて素材にする。アンドレ・セラーノ。肖像写真がテーマだ。放浪の民シリーズ。
とかく先入観や偏見にとらわれがちな私たちに新鮮なサプライズと反省を示唆する。彼はNYC生まれだが、大都会の光と影をデッサンしてきた結果だろう・・・。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&人物画専門画廊シリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/12月中旬
毎日見てる風景がある。例えば窓から見える木。それを一年間撮り続ける。窓映画。萩原朔美という映像作家がいた。
ところが毎日馴染みの木が映画になるとまったく違うイメージに翻訳される。と応えている。
毎日顔を合わせる家族もまた街で見かけると違うイメージになるときがある。(風景を変えたい)というセリフが最近スポーツ選手の間で散見される。
リプレゼンテイションは再現ではあるが(新再現されたイメージ)という潜在意識の感性を探り当てたことに。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/11月中旬
「私はいつも質を求めています」「私は危険な冒険をおかすアーテイストが好きです」「良いアーテイストの第一条件は、文化に影響を与えるアーテイストだと思っています」
「私たちのものの見方を変えることが出来る人、そして発明能力があるということです」1977バイカートギャラリーから独立したギャラリスト。メアリーブーン。
流行に流されない一途さ。遠くを眺める眼差しが素晴らしい。SHADOWシリーズ&パフォーマンスアートシリーズ。soumatsu art gallery

2021/11月中旬
二十年前になる。(人物画専門画廊)というシリーズ作品がある。コンセプトは余裕・恋愛・品格。会員募集はタブロイド、HP。
まだSNSが発展してない頃だったが、マスコミで大いに話題に。紳士会員はほぼ経営者。大手管理職。デザイナーなど専門職。
落ち着いた淑女殿方限定。Artgalleryに移動すると(翻訳された????️rtsになる)。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2021/11月中旬
書道展によく「知事賞」や「総理大臣賞」や「文部科学大臣賞」等々権威づけのプロモーションインセンティブが、長い間何の疑問もなく堂々とプレゼンされてきた。
そうする狙いは出品作が増加されることだ。すると当然マニーが増加される。そのために架空人物に賞を付与する。
いわゆる偽装化アートの詐欺行為である。多くの自治体でまるで事務的に無責任体質が跋扈していた。アートを知らない民度をこバカにしたしわざである。
日比谷界隈スケッチより。奏松画廊matsukyu

2021/11月中旬
ひとつの一行やひとつのmessageが大きな作用を及ぼす。例えばここ二年近く既存メディアで連日大騒ぎしている。
そのスタッフの狂乱めいたmessageに踊る人はどれくらいいるのだろうか。(48億の妄想)というタイトルのミステリーがある。
筒井康隆。TVが世間の全てを操っているかのような未来社会をナンセンスタッチで物語化。1966N。
しかし今、多様化したメディアで阿波踊りは風前の灯火になりつつある。それはひとつの幻影(ブーアスティン)でしかない。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/11月中旬
映画ジャンルにアート映画がある。ビムベンタース、ラースフォントリアー、レオスカラックス、アッバスキアロスタミ・・・。
渋谷のユーロスペース。さらにイメージフォーラム。商業映画だけじゃなくたまにはアート映画を鑑賞するセンスを持ち合わせたいね。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2021/11月中旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その17。
名前、年齢、学校、住まい、仕事等々ライフスタイルが固定している。そのようなイメージが固定していると伝えた方がいいのだろう。
しかし、そのイメージを打破する。あるいは反骨する。多くの人々はイメージ管理された虚像を発信しているに過ぎない。(固定観念)を疑う。
あえて逆手に取る。たとえばグレイヘア。バストアップ。アナログを訓練する。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。
詳細はプロフィールにリンクするHPでチェックされて下さい。soumatsu ARTSgallery

2021/11月中旬
(ARTS表現家は、その身体を携えている)。けだし名言かもしれない。ARTS表現家は、その身体を世界に貸すことによって、世界をARTS表現に変える。
元はバレリの言葉。例えば(しゃべる口、動かす手足)だ。ハタヨガパフォーマンスARTS施術にチャクラマッサージがある。
オーラルチャクラマッサージは効果が高い。元来体内にコラーゲンがある。骨や関節の中に60%くらいは。
それが経年劣化して少なくなる。(コラーゲンを再生)する重要な(チャクラオーラルマッサージ)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松

2021/10月中旬
最もホットなメディアがある、今。尚且つビッグだ。{マスクメディア}。そのメディアは(インスタレーションARTS表現)の最先端性をプレゼンした。
更に(パフォーマンスARTS&wordARTS表現)でもある。大阪なおみさんから受け取ったメッセージは全てのメディアから拡散した。
アートからARTSへ。世界の問題課題を解決する。何度もいうが、AIテクノそのものがアートではない。単なる手段手法でしかない。
といって戦略アートでもない。ビッグマニーなんていらない。必須なのは(ビッグな覚悟)だ。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/10月中旬
(芸術は麻薬の如きものであるに違いない)とデュシャンは言った。60~70年代にかけて夥しいコンセプチャルアートの洪水に襲われた。
世界中のかなりの人たちが麻薬中毒症に感染したわけだ。この頃から(コトバそのものがアートに翻訳)されることになる。
例えばジョン・バルデッサリのシナリオ、河原温の電報、ブゼムの68/9/26の天気図等々。実際の天気図とともにワードアートが添えられている。
そして伝染していった。広告ジャンルに、ファッションにインテリアに普通の人々に・・・。
★★★★★1974芸術倶楽部&パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2021/10月中旬
生まれて三歳くらいまでを(みどりご・嬰児)という。芽立ちの頃の色を緑色という慣習がある。ミドルシニアになるとキーカラーをグリーンにするといい。再生。
奏松画廊ARTSgalleryがある武蔵野市役所・エコリゾート界隈は緑町だ。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/10月中旬
(民主主義の寄生虫)。強烈なセリフが飛ぶ。シナリオが上手い。アメリカ映画にもかかわらずイギリス人らしい。手練れかと思わせるがこれが初シナリオという。
更には昆虫・蜂のようなカメラ搭載AIマシン。政治家の密談が盗聴・透視される。銃容認派と銃規制派。多様な会社・組織が民主政治を蝕む。
成熟した偽装(政治&民主主義)。全てマニーでカタをつける。筋金入りロビーイストの光と影が炙り出すアメリカ社会。映画(女神の見えざる手)。
どこかのシマグニもまた経済を前と同じように回せばいずれこのシナリオに近づく・・・。アダムスミスも墓場の影でマッサオだろう・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/10月中旬
主流から反主流へ。そしてまた主流に戻る。美意識から反美意識へ。美学から反美学へ。芸術から反芸術へ。構造からポスト構造へ。そして今また戻る。
アートギャラリーで料理をしてふるまうパフォーマンスアート。タイのアーティスト・ティラバーニャ。非凡な高等芸術から平凡な日常へ。
(高みを悟りて俗に帰る)芭蕉の言葉だ。Instagramの映え・は食べ物が多い。若い人たちは意外と60~70年代あたりを好感しているかと。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2021/10月中旬
光より影のほうが表現に深層意識を垣間見る。崩れゆく美学に影がゆらめく。
しかし、科学に光輝く時代はなぜかしら影は物悲しい。潜在意識の中に追いやられた多くの影こそ人物の深さを表現しうる。
だからこそたかだか3%しか活用されてない意識構造の浅薄さを揺さぶり続けることが(ARTS表現の覚醒)につながる。大昔から(肝腎要め)という。腎臓は生殖機能と大きくかかわる。
それは性がいとなみといわれるゆえんでもある。日々切磋琢磨するハタヨガパフォーマンスARTS施術こそ再生・生命力の源泉だ。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/10月中旬
多様な写真がプレゼンされる。SNSメディアが大きなメッセージを発信したためにあらゆる社会的距離感が生産された。
その中には被写体の持つ人間関係が炙り出されることがある。それはその時代に生きる活きる活かされるvisualがにじみ出る。
その被写体の社会的位置そのものがデスマスク(再生)される。ソンタグは階級意識を指摘した。つまり(写真は距離感のARTS表現)である。
(程よい距離感)は、熟成したミドルシニアのプライドである。それは卒婚や活恋に大いに役立つ。相手を尊重し前向きにさせるからだ。
★★★★★ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/10月中旬
アートが多様化して久しい。しかし、アート鑑賞の仕方はまだそんなに多様化してない。ボックスの中で、が主流だ。
かってプレゼンしたが、砂漠の中で花火をテント宿泊して鑑賞するアートがあった。もちろん街中にあるオブジェ・スカルプチャー等々は多々ある。
議論したり発表したり・・・。もちろんアートだ。そして(雑談倶楽部)がある。多様なコミュニケーションスタイルだ。
身も心も開放されて社会通念から縛られないスタイルもまた雑談のひとつだ。
以前プレゼンしたが、(人物画専門画廊)という作品がある。余裕・品格・洗練を携えた色艶交流倶楽部だった。暑さ寒さも彼岸まで。
アート・ファッション・グルメ・トラベル・・・。真っ赤に染まる紅葉のようなとろけるLOVEこそ ARTS表現だ。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2021/10月中旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その14。
死んだような素振りをする。傍から見ても間違いない・・・。しかし、おっとどっこい。他を欺く静寂の美学。まさに東洋の空気感。
(舎利)という盆栽の最もセンスあふるる手法がある。色艶もまたいぶし銀のような永久の輝き。非常識を訓練する。
想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。詳細は奏松画廊

2021/10月中旬
かってプレゼンしたかと。台北のアーティスト。ボックスギャラリーで鑑賞者たちひとりひとりにメモ用紙をわたして感想メッセージを描いてもらう。
その行為そのものを A R T Sとして(再定義)した。奏松画廊松久もまた二十年位前になるが、(人物画専門画廊)というタイトルのシリーズ A R T Sがある。
長い間封印している。いつかプレゼンしたいかとは思う・・・。具体的には、Facebookの余裕品格色艶タイプで美意識をアピールする交流画廊。
勿論身分は確定された淑女紳士限定。(HPやタブロイドペーパーで実際に募集した)。プレゼンする時は身分は黒塗りになるが。
この A R T SのことはAmazon販売の(えいじゃないかッ)にWORDS A R T S・物語でプレゼンしている。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2021/10月中旬
脱・プラスティック化が進んでいる。パッケージデザインを大きくコンセプトから変えざるを得ない。(カイゼン)は、日本のお家芸だ。
素材サプライヤーしかり、デザインしかり、そして最も大事なのはトップの倫理哲学が問われる。
サスティナビリティがひとつの倫理哲学なら、これからのアート・美術といわれるジャンルもまた作家の倫理哲学・コンセプトが大きく問われる。
具体的な改革意識なのか、それとも曖昧な揉み手意識のコンセプトなのか。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/10月中旬
過去の偉大なアーティストをミニチュア化する。たとえばウォーホル、リキテンシュタイン、ジャスパージョーンズ等々。視野狭窄に貶める。
なんともアイロニカルなシワザだ。(再構築アート)。もしくはアプロプリエーション手法アート。そんなアーティストにペティポン、ビドロ、スチュートバンドがいる。
ウォーホルは自らも揶揄して「コピーアートをコピーしなさい」と。もはやオリジナルという視野狭窄概念は、(器の小さい古物)としか言いようがない。
ダイバーシティ・シリーズ。soumatsu ARTS gallery

2021/10月中旬
ポスター、TV、デジタルサイネージ、メディアペーパー、ブック、プロモーションツール等々マーケティング手法では欠かせない。その利点をアートメディアとして活用した。
ジェニーホルツァー。しかし、ビジュアルメッセージはない。自由詩のようなワードでプレゼン。野球場の電子掲示板から列車の車体、Tシャツ・・・。
ポスターからスタート。もともとは抽象表現アート。ロスコ―に憧れていたらしい。今、ワードをメッセージをプレゼンするFBfはそこそこいる。
大いなる、そして全てワールドワイドを網羅したSNSメディアで。しかし、一見アートでありながらアートではない。
そこには(アート思想+作品)というコンセプトがないからだ。soumatsu ARTS gallery

2021/10月中旬
以前から何度もプレゼンしてきた。(ボックスギャラリー)でプレゼンすることはもはや価値がない、と。
ハイム・スタインバックは、ナイキのバスケシューズをそのままギャラリー展示する(1985)。移動するだけでアートに翻訳される。
アイロニカルな作品だが、ここには(表現自由はあっても表現力の自由はない)。つまり表現力と表現・は大きく違う。世間はまだまだ(非常識を訓練する)がリテラシーされてない。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2021/10月中旬
南アフリカの人種差別反対デモ・NYCにて。やはり人種差別反対デモ・ロンドン。労働者の賃上げ要求デモ・ローマ。ベトナムに平和を・東京。
大きなムーブメントが多様化していた。1970。都市そのものが啓蒙的インスタレーションARTSとして機能する。それは街頭そのものが画廊になる。
そのコンセプトはボックスギャラリーではない。これこそ(世界の問題課題を解決する)パフォーマンスARTSの究極表現だ。今、SNSメディアがその手法にとってかわる。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/10月中旬
改めて書庫に光がさしこんだ・・・。タイトルがNICEである。たとえばこのマリリンモンローもグーだが、(山口百恵は菩薩である)(官能武装論)(三波春夫という永久革命)・・・。
著書量は多い。ジャズ評論家・平岡正明。既に亡くなったが、ジャズとレフトウィングと演歌がセットになっていた。
そのわりにはナイーブな優男二枚目。SHADOWシリーズ。soumatsu ARTS gallery

2021/10月中旬
消費社会は希望をカタることで商品とセット化される。希望が十分なカタチで表現されれば(より注意深く隠された不安の量と質をチェック)しなければならない。
ARTS表現を学ぶことは(隠された多くの潜在意識を覚醒させる)ことに他ならない。今、デジタルアートがお盛んではあるが、多くの民は物珍しさで腹いっぱいにさせられているだけである。
そのためにはARTS領域に含まれる潜在下の歴史を覚醒しなければならない。つまり表面的なきれいごとの歴史だけでは(visualの奴隷)になるだけである。
★★★★★奏松画廊

2021/10月中旬
60年代後半から、政治の季節は無関心へと向かう。脱政治。文化もまた脱文化へ。カウンターカルチャー・アンダーカルチャー・サブカル・・・。
アーテイスト関根伸夫は、円筒形の大きな穴を掘ったプレゼンをする。穴の中に何かがあるのでは、と。そしてdiscoverJapanキャンペーンCMが・・・。
ひとことで言うなら(脱シマグニ)と。つまり再定義をする。再発見をする。そして今、脱経済へと。再定義を試みる。
しかし、大方の民はなかなか六畳間から四畳半へシフトしづらいかと。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2021/10月中旬
たれ目、たらこ唇。16㎜フィルム。ヌーベルバーグ。ジャンプカット。その男優はベルモント。監督はゴダール。チャレンジの波と風。表現の自由枠をはみ出る。手持ちカメラがブレる。
時間がコラージュされる。奔放な役者たちはまさに(勝手にしやがれ)。今その波風は穏やかである。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/9月中旬
持続する物ものモノmonoが世界中で浸透しつつある。フィルターにかけられる。しかし、嫌悪感は投影されない。心地よさヒュッゲ的なレベルがARTS・designされて大衆操作される。
得てしてcontemporaryARTSは、目新しい発見開拓開発に心血を注いできた。その作法も重要だが、もっと重要な開拓を恐れている。グレタ少女のような正義個性を発信できない。
日和見主義が蔓延している。永田町・霞が関から固定観念化されたルールに従順である。ひと言でいうと(表現の自由枠)を使いこなしていない。
メディアが大きな権力でにらみを利かしているからだろう。が、ホントにそうだろうか。応えは自らの心に問うしかない。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/9月中旬
(株式会社アメリカ・コロナ禍・新民主主義)✖(風の時代)=?
更に(やってみなはれ・やらしてみなはれ)とは寛容・度量の太さ。
古色右手から古色左手までガンコだけが太い。
「自由は負けた」という有名なセリフがあった。(イージーライダー)。70年代から強欲資本主義の萌芽はあった
そして支店国家・シマグニは、トリックアートよろしく相似形を作品化してゆくのか。(大きいことはいいことだ)は、とっくに黄昏に。
多くのcontemporaryARTS表現が90年代に決算せざる得ない時代に。多様なARTSプロデューサーが期待されて久しいが。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/9月中旬
世界のアートマーケットを数字で表現すると約6兆5千億くらいらしい。一番はもちろんアメリカ。40%。次いでイギリス。30%。三番は中国。20%。
で、ジャパンは%の外。つまり3%くらい。お話にならない。視野狭窄の塀の中で「あーでもないこーでもない」と騒いでいる。
(パフォーマンスアート)シリーズ&SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2021/9月中旬
強い興味を表現する。例えば最近ではスウェーデンの環境保護活動家少女・グレタさん。NYCへの船動力を太陽熱に。その行為は(インスタレーションARTS)そのものだった。
かってロバートスミッソンは工業地帯から掘り出された膨大な土、岩をダンプで運ぶ光景を見て(ギャラリーに土岩をプレゼンする)。
彫刻として。ドナルドジャッドもまた(絵画の終焉)を主張。1960。そして今、ARTS表現は、行き過ぎた経済活動のブレーキ役として大きく機能せざるを得ない。
かてボイスは誰でもアーティストだ・といった。ひとりひとりの表現が時代を動かす。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2021/9月中旬
避暑地アマルフィフ。1930年代。世界恐慌なんてなんのその。残された貴族たちの(女と男の物語)。art decoスタイルが素晴らしい。
詐欺師っぽいマダムはNYCのホテル代すら払えずに逃げるように。原作オスカーワイルド。
(男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる)。ヘレンハンドがいい。(アラフィフがいいねぇ~)。ジジいの資産家が求婚する。
誤解の紆余曲折があるが、NYCに戻る複葉機(レトロセンスがグー)の中で偶然に資産家ジジいと。誤解は解ける。映画(理想の女)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2021/9月中旬
価値観が合う人と結婚したい。多くの女性たちが口にする。しかし、概ね横並び意識がコンサバを礎にしているシマグニ。そんなに選択に苦労はしない。
だから(ダイバーシティ)がなかなか進展しない。ま、人はそんなに多様化してこなかったのかもしれない。世界中の鳥が色彩だけでも驚く多様化にもかかわらず・・・。
夏休みが終わろうとしている。自然から学んだろうか・・・。
★★★★★ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊松久matsukty

2021/9月中旬
最近タイムズスクエアに観覧車を設えたというニュースを見た。恋愛力が高まる。(活恋)力は更に高まる。(景色の気分)は頂点を目指す。活恋力(物語力)と景気は相関関係にある。
そのリレーショナルARTS表現は、創造力&想像力を大いに高める。来週あたりから時節は秋色・活恋色に染まる気配だろう。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/9月中旬
(一所不在)・芭蕉のコンセプトがある。一か所に長く住むと頭がぼける。雪舟しかり円空しかり。(旅の文化こそ日の本)。旅の中に道を発見開拓する。
それは闘いの場。自然を翻訳する。それぞれの心の風景を前向きに回復する。今話題のキーワード(レジリエンス)。
しかし、(ぼかし・しみ・たらしこみ・にじみ)は、西洋の合理主義から脱する。曖昧さの美意識は豊かさに通底する。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/9月中旬
死、暴力、性をテーマにする。ニューペインティング派。70年代初め。それは(ひとりワンスタイル)。ジュリアンシュナーベルやデービットサーレ。
過去のようにミニマル派とかコンセプチャル派とかない。雲散霧消する。以前プレゼンしたが(精神的独身者)として閉じこもる。
欧米では自閉症や精神分裂症が軒並み増加している。傾向として(コンピュータープログラミングで自動化されるマシンや玩具)などを好む。
これから時代は身の回りの世話すらも人とのコミュニケも自動化される。すると自閉傾向は更に増加を余儀なくされる。
もはや美学美意識はどこにも存在しないARTS領域に突入している。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2021/9月中旬
街中はカメラ、衛星、ドローンなどが監視している。それだけならまだいい。以前プレゼンしたが、もはや家の中まで透視されている。
個人情報なんて身ぐるみはがされる。過去数日間くらいのvisual情報はおちゃのこさいさいである。映画(デジャヴ)。改めて見ても恐怖感は煽られる。
そのAIテクノが公務サイドから多様な組織、個人に所有操作されるようになればと考えるとトランクひとつライフのもひとつの価値が発揮されるかと・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/9月中旬
毎度お馴染みの経済再生大臣が肩書に相応しいセリフをはいた。(これからは多様性を経験した経営者の増加が望まれる)と。
既に災害化しているパンデを射程に入れてまだまだ倒産が急増することを示唆している。わかりやすくいえば紆余曲折を経て骨太の経営者になれと。
脱がキーワード。これは何も経済ジャンルに限らない。文化、政治もあらゆるジャンルでだろう。タコ壺化した美術館学芸員や増えすぎた大学教員あたりにも警鐘だ。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/9月中旬
変幻自在の扮装。前人未踏の芸域。エログロナンセンス時代。1920~30年代。同じ扮装を二度と繰り返さない。あくなき変身探求。
狼男、ドラキュラ、志那の探偵、フランケンシュタイン・・・。(異端の造形)。団徳麿。まさに怪優。
しかし、怪獣の時代へ。ゴジラ。忍者。そしてテレビ。竹中労がシビレたアラカン、バンツマの颯爽たる英姿とともに忘却されてはいけない。
今、異端のARTS表現が消えかけている。視野狭窄だらけの表現が正座する時代は面白くない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2021/9月中旬
長い年月の間、アート業界は男性作家中心であった。この構造に真っ向から改革するアートをプレゼンした女性がいる。ナンシー・スペロ。
極東のシマグニでは全く話題にならなかった。美術史の中からアプロプリエーションしたイメージを解体してリプレゼンテイションする。
もちろん額縁すらも男性中心の付属物ゆえに排除する。美術そのものを「再定義」することで男性優位社会に刃を突き付けた。
こうゆうアーテイストがこのシマグニに必須である。その一番手にポリティカルアーテイストである小池知事に活躍して頂きたい。
★★★★★奏松画廊????️rt gallery・松久matsukyu

2021/9月中旬
(マダガスカル)。といえば催眠術にかかる。コミカルな宝石泥棒とラブロマンス。40年代のアメリカ保険会社が舞台。レトロビジュアルがniceだ。ウッディアレン監督主演。
そしてグラマラスなヘレンハント。軽妙洒脱な字幕。たとえば「ごめんあそばせッ」なんてセリフが。大人の娯楽にふさわしい一本かと。(スコルピオンの恋まじない)。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2021/9月中旬
元来固定された主義という考え方が沁みついている。例えば、(財政規律)。基本的な財布の貯め方や使い方。更には(女性らしい言行)。
かってウーマンリブという運動が流行した。(あなたは開放されてないのよ)。この(男らしく女らしく)がARTS表現では大きな問題としてプレゼンされた。
シンディシャーマン。映画の中の偽装スタイルポートレート。(女性はこうあるべき)をアイロニカルに表現した。ARTS領域用語では、アプロプリエーション。引用・盗用・借用。
しかし、シマグニでは遅々として進展してない。女性たちがホントに開放されているのだろうか。まだ道半ばのような気がする。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2021/9月中旬
モダンとポストモダン。デザインが前進を当たり前としている状況ではこの対立概念は成立不可である。固定観念を打破することが、時代の豊かさ故に足を引っ張られている。
もはや改革が遅々としてダウンしているのは、この概念が邪魔しているかと。呪縛から解放されることが一歩だ。テクノが進んでもイメージは進んでいない。
むしろマイナスが拡張しているかと。その意味では(ホストモダン)ではある。コンサバもしかり。モダンのうちである。奏松画廊松久matsukyu

2021/9月中旬
鑑賞者の担う役割。contemporaryARTS表現が得意とした脱(視野狭窄&意識狭窄&感性狭窄)である。参加型のARTS表現作品が多様性を孕みながら進化してきた。
鑑賞者も作品の制作者である。リレーショナルARTSジャンルが生産されうる素地がここにあった。例えば、以前プレゼンした作家・ケイトエリクソン&メルジークラー。
種子袋の展示作品がある。あるいは採石場からの建築石を展示する。美術館に移動するだけで作品化を偽装する。ただしこの手法も脱になりつつある。
これからはその種子が石がどこから採れるのかが極めて重要になる。それが新疆ウイグルやベラルーシ、アフガンから来たのであれば作品化にならない。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊・パリから吉祥寺に初出店・したパン屋カフェにて。

2021/9月中旬
「小さな劇場でも必要なら大きな予算をつければいい」。 <非日常> の創造を通じて社会に問題提起。アートプレゼンする劇場。街一番の金食い虫という例も多い。
が、それは「投資」になる。劇場法が <時代を育てるアート> になる。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊

2021/9月中旬
(表現の自由)についていろいろプレゼンしてきた。自主規制している。抑制し過ぎる。ブレーキをかけすぎ。ゆるい枠の中にハマりすぎる。
そのセンスはもっぱら表現というよりは(アート思想)の問題がほとんどだ。アートに翻訳意訳する。
ことが不適切な政治的問題や課題に踏み込み過ぎると、それは自由不自由から大きく離れる作業になる。
アート思想を熟知した上で表現の自由をギリギリ謳歌する。奏松画廊松久matsukyu

2021/9月中旬
なかなか阿呆になりきれない時世ではある。阿呆の坂田サンのような人物がいない。なぜだろうか。損をするからだろうか。馬鹿にされるからだろうか。
しかし、エラソぶる人は大勢いる。エバる人も多い。(賢いと阿呆)にわけると勝者は決まっている。
一度開放してみてはどうだろうか。身も心も解き放たれて・・・。三鷹阿波踊り・奏松画廊松久matsukyu

2021/9月中旬
岐阜県の高山市にある。あった。飛騨国際工芸学園。創立はバブル期。(経済大国になった今こそ芸術教育だ)。バウハウスを理念に。
木工や家具デザイン、アート、言語学、陶芸、染色等。2013年廃校に。応募学生不足。ローカルで現代美術というフレームに教育がついていけない。
現代美術館も。センターも。何故だろうか。時代はAI&ioTがすさまじい勢いだ。もはやどこにいても教育が成立する。
ボックスギャラリーは無意味だと過去に何度もプレゼンした。エリアや友達あたりの仲間界隈で慰めあうだけだと。
だからこそインスタレーション&パフォーミングARTSが出てきた。街のコト・monoそのものや野外鑑賞等々。受け取る人々の刺激欲望を満足させるために。
昔からローカルであろうとシティであろうと青少年は刺激を大きく欲しがるそして今、ミドルシニアもまた刺激を求めている。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2021/9月中旬
★★★★★(非常識を訓練)するシリーズ。
その12。
愛情、寛容、世界観、知性、アート&デザインセンス、ジョーク等々。とにかく視野狭窄ピープルが多すぎる。これほどシマグニに閉じ込められた時代から遠のいたにも。
フレームから翼を拡げる。アイロニカルな発信力を高める。非常識を訓練する。創造力&想像力が高まる。必ず効果は出る。
詳細は奏松プロフィール→奏松画廊管理→ページ情報→HPでチェック。
★★★★★(パフォーマンスアート)シリーズ。地元吉祥寺井の頭公園にて。soumatsu art gallery

2021/9月中旬
(言葉を誘う)という言い方がある。例えば俵屋宗達の鶴下絵和歌巻。本阿弥光悦の書が鳥とともに飛ぶ。言葉は今、ARTS表現では重要な役割を飛ばせる。
造形芸術のフレームを離れて(社会の問題課題に挑戦)すること。そこにコトバ・WORDを誘う。これからの(用の美)とは単なる工芸ではない。
(美の用)もまた極めて重要だ。そのためには潜在意識の開拓開発は欠かせない。自らの固定観念・社会通念をちゃぶ台返しする。その反骨が美の用へ導く。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2021/9月中旬
アイデアが全てである。作品化を否定する。この手法がかって大流行りした。学者的には(脳内知覚)という。このシワザは枠から逸脱している。
つまり今風キーワード脱だ。もはや美術というジャンルは多様化していて上から目線というヒエラルヒーは雲散霧消しつつある。
かろうじて権威を保持しようとしているが、時代は公金の使い道に極めて厳しい。AIデジタルが進展すればSNSを中心とするメディアそのものが作品化とセットで成立する。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊&clary club

2021/9月中旬
「ビジュアル格差」をどう調整しながらグレードアップできるか。以前も発信したが、「メインアーバニスト」という職業がある、フランス。
イメージコンサル、デザイナー、エコロジスト、法律家、スタイリストなどのグループを束ねる。街創りのプロ。
コンセプトは「ただ新しいだけではいけない」。前のめりの表現ではあるが、 <何か懐かしさ> も必須。
その猥雑感が、ま、いはば <ビジュアルスパイス> だ。これがないと味わいに物足りなさが漂う。

2021/9月中旬
かって(何もしない)ことが流行った。あらゆるアートデザインが氾濫して洪水に襲われた。
そして(風景の中にパフォーミングアート)する多様性が都会の寂しさ・滑稽さを発信する。(何のために)が流行りそうな予感がする・・・。
★★★★★ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/9月中旬
(見る行為が他人の見方を借りる)。教育とは借りることだ。膨大な借金にもかかわらず授業料を払う。そして型にはまった見方は沁みつく。
見ているような気がするだけで実は何も見ていない。写真が主流デッサンである。しかし、(写真とは何か)と(写真に何が可能か)との間には相当の隔たりがある。
写真が見たまんましか映らないというもどかしさ。どうvisual処理をしようと抽象表現でしかない。AIvisual動画がとどのつまり大昔の抽象表現から進展していない。
その無力感から解放されることが(世界・写真と自己との距離)を縮める。その方法は潜在意識を開拓開発するしかない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
奏松画廊は「作品そのものよりアート思想を販売する」とカタった。(もちろん作品もマーケティングしている)。オランダのミーケ・へリチェンは、モノではなく考え方を売っている。
そんなポスターアートディレクターだ。素材はワードアートが主流である。カルチャー&クリエイティブ資本主義が本格化しだしている。
たとえば経済政策のひとつに電柱地中化ビジネスがある。若干コストはかかるが、海外からの観光ビジネスで十分ペイできうる。
2020オリンピックへ向けてアグレッシブに「上を向いて歩こう」よね。奏松画廊コレクションより。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2012/8月下旬
「エージェントビジネス」はアメリカでは当たり前。よくスポーツ選手で、もしくは俳優タレントで。そんなシステムをジャパンでも。作家アーティストのエージェント。
営業プロデューサーが増加すれば大きなビジネスに成長する。<カルチャー&クリエイティブ資本主義>にシフトできる大いなるきっかけに。
★★★★★(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)アクリルアート。soumatsu art gallery

2012/8月下旬
映画監督・になるには才能より学歴ヒエラルヒーがものをいった。
しかし、今や(監督作家)になりたい根性があればなれる時代だ。(自分の道)を発見発明する。このジャンルでもシチズンファースト・の時代が幕を開けようとしている。
渋谷&吉祥寺(ジブリアニメ記念財団)&下北沢デッサンsoumatsu art gallery

2012/8月下旬
何度見ても素晴らしい。シャレたセンスに誰しも憧れる。夏休みの日記に書かざるをえない。少女少年の創造欲を掻き立てる。(ミッドナイトインパリ)。
ウッディアレン。主人公の青年がひとりでセーヌ川を散歩するシーン。手すりがない。風景にこだわる。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊&clary club
https://www.soumatsu.info

2012/8月下旬
「あってもいい消費」「なくてもいい消費」「えばる消費」「ひかえめな消費」。そして「差別する消費」がひとを優越して快適にしてきた。
そして、消費するものモノmonoコトが、物語とともに歩む時代にきている。その物語をアートとしてプレゼンすることが最先端コンテンポラリーアートだと奏松画廊は認識している。
ちなみにその物語は、amazonで販売しております。奏松松久でチェックして下さい。
★★★★★(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)BONSAIシリーズ。soumatsu art gallery

2012/8月下旬
「お前この後通俗的なものかなんか撮っちゃいけないぞ」。そのくせ自分は東映で(ボクサー)を撮ったりした。自分のことには無頓着だったのだろうか。
(成熟という悪しき病い)をのがれた同時代の唯一人の者だった。寺山修司追悼に寄せて大島渚のメッセージ。1983/6月・現代詩手帳より。奏松画廊松久matsukyu

2012/8月下旬
ARTSおよびアートに翻訳する。もしくは意訳する。と以前から何度もプレゼンしてきた。今までAIテクノにはいささか好意的ではなかった。
しかし、オリパラ開会式にはすこし好感がある。ドローンが実用から大きく拡張する可能性を見せたからだ。
例えば蛍の乱舞が演出可能。あるいは多くのネオンが。夜間照明が。こりゃあ(インテル気合入ってる)と言わざるを得ない。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊&clary club
https://www.soumatsu.info

2012/8月下旬
オレンジ色のユニフォームがちょっと不可思議だ。オランダカラー。誰が何故採用許諾したのか。
開会式の薄いグレーブレザー。少女少年たちの夏休みは(感じる&考える)時間で豊かになっている。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊&clary club
https://www.soumatsu.info

2012/8月下旬
都内は梅雨明けかのような青空と白い雲になった。AmazonDSPという広告手法のセミナーに出席。閲覧履歴・購買履歴等をベースに興味関心が高いユーザーにターゲットを絞る。
(Accuracy+Granularity+Freshness)。精度・粒度・鮮度。ディメンドサイドプラットフォーム。要するに自動的にリンクされるメリットを最大限活かしてGAFAユーザーを引き寄せる。
ま、奏松画廊の場合は既に奏松松久そのものが世間の大いなる関心を引き寄せているからAGFは更に拡張して既存マスコミへも繋がる。
だから奏松画廊をプロデュースしたい経営者は更に自分の会社・商品をもAGFが効果的になる。面白いチャーミングな時代になった。
コラボしたい会社は、奏松画廊????️rt galleryにいらして下さい・吉祥寺に。
★★★★★渋谷のAmazonやFacebookをクライアントに持つ某デジタルマーケ会社・セミナーにて。&駅張りポスタープレゼンデッサン。奏松画廊松久matsukyu

2012/8月下旬
アートやARTSジャンルでコンペがある。例えば、ビエンナーレやトリエンナーレ。2or3年に一度開催。が、誰が近未来を予測できただろうか。
COBID-19を。更には無意識・無頓着・無邪気に旧態然とした(大きいことはいいことだ)の作品提示。
そのアーティストが低民度レベルであればいたしかたない。ミュージアムで展示を拒否すればいいことだ。チョイスした識者が。ところが今だに(感じる&考える)ことがされてない。
ミュージアムという器に合わせてイッパイイッパイ使う勤勉さ。彼らもまた3Mレベルでしかない。そのレベルを公金で。公共政策が偽装化される。
この鈍感なコンペ・展示がCOBID-19に隠れてシラッと消化される。(消費経済活)は即座に対応する。(消経活)とともに歩むARTSこそ価値がある。
★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
「イメージ使用料」。アート作品とは別に食器や時計などに使用する。よくミュージアムショップでのグッズなどモチーフ使用料。
たとえばアンディ・ウォーホルの場合。約300万ドルの収入。FBにもイメージコンサルタントがいる。もちろん <目利き> でなければ・・・。
★★★★★テーマは(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)アクリルアート。BONSAIシリーズ。soumatsu art gallery

2012/8月下旬
(カーペットバッグ)というコトバがある。身軽に旅をすること。もとはカーペットバガー。安物のカーペット地でつくった手提げバッグ。
がま口をボストンバッグにしたようなカタチ。南北戦争後の奴隷解放。北部人たちがこのバッグに全財産をつめこんでやってきたことから由来する。
流行作家・ハロルドロビンスのカーペットバガーズ。アメリカ的野心家の意味がある。今では、バックパッキングにつながる。そんな気軽さもなかなか遠慮せざるを得ない時代に。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
ロシアからの独立運動。1917年誕生。フィンランド。社会における女性の立場・役割に大変革が。19世紀半ばに設立された最初の美術学校。
ヨーロッパでは珍しく創立当初から男女平等の美術教育を奨励。日本との国交樹立100年。北欧を目指すひとつのコンセプト。
(啓もうする外堀からのアプローチ)。2040頃にはシマグニも人口数が大きく減少するらしいかと。令和時代は(大きな曲がり角を改めてビジョン化)する時間になるだろう。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&上野の国立西洋美術館にて。奏松画廊松久matsukyu

2012/8月下旬
ツルツル・シコシコ・コリコリ・ヌルヌル。俵物三品。ナマコ・アワビ・フカヒレ。江戸時代、中国貿易への輸出品。食用以外にも(不老不死・若返り)に。
アワビ貝の殻は、視力回復・白内障、更に(精力増強)に。また印籠にいれて旅へ。解毒・病後回復。縄文の大昔、貝塚から出土。祝いの贈答。
で、(アワビと気の交流)は、極めて重要だ。ハタヨガ。ハ・太陽・精、タは陰・アワビ。
このパフォーマンスARTS表現が、自己規制し過ぎると生命力再生・若返りに大きく影響する。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・生涯現役・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
夏だから、あえて言いたくないことを考える。海がリスキーだ。プラスティックが溢れ出してるからだ。(倫理観の欠片)をペットボトルと交換したい。
亀の命を守る為に。渋谷シンポジウム・道玄坂ファブカフェにて。soumatsu art gallery

2012/8月下旬
(明治以来日本の文壇が私に教えた一切のことは全てにおいて{西洋に追随せよ}ということだった。それは私の遺伝の中から全ての古臭い固定観念を叩き出せと命じた。
現実している日本文学はどこにもそんな舶来種のイズムはなかった。もはや時遅し。私はどっちに行けばいいのか。日本か西洋か)。
萩原朔太郎。既に50歳を過ぎていた。かって丸山真男もまた(あなたの心に古事記が住んでいる)といった。血液型AB。
多分朔太郎もまたAB型に違いない・・・。私の文学的前途は暗黒、虚妄の懐疑に収束する。端正なマスクは懊悩する
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
かって「大きいことはいいことだ」とゆうCMのメッセージが流行った。しかし、時代はよりコンパクトに小さくて高性能が尊ばれてきた。アートは、百花繚乱してはいるが、相も変わらず号やサイズにこだわる業界でもある。
「BEYONDO THE FRAME ART」が大勢を占めている。それに更なるSNSフレームが勢いよく押し寄せ 、アートは激変している。
そんな中で「逞しいアート思想」を携えた作品が輝きを発信するだろう。奏松画廊コレクションより。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。&「リブレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。
テーマは「BONSAI」。奏松画廊matsukyu

2012/8月下旬
雪が静かに、激しく降る。そして(悲しみは雪に眠る)。愚直な改革派と二枚舌の改革派。更には攘夷の改革派。水戸藩殿様もまた改革派。
もちろん外様の薩摩藩・改革派。島根の外様も改革派。そして二枚どころか三枚舌の井伊直弼大老。もちろん改革派。
シマグニを誰しもが(もはや持たない)と。佐藤純彌監督。大作派ではあるが(東映美学)が素晴らしい一本。大沢たかおの眼差しがいい。
伊武雅刀がずる渋い。吉村昭は長らく三鷹に居た。たぶん太宰サンが度々すすった界隈のとある蕎麦屋にも・・・。
井伊大老を悪仕立てにしてはいるが、相当先を見据えた改革派である。図らずもずるが見え隠れして斬首されるが。東映(桜田門外ノ変)。見るたびに目がしらが熱くなる。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
「ブランド品を欲しがるのは下流です」「スイムウェアを毎年買い替えるのはエコじゃないです」「景色しか変わらないなら別に行かなくてもいい、海外に」。
さとり世代という。十代から二十代半ばの世代。消費経済を煽る大人たちから極めて嫌がられる。 <積極的な風景改革> の足を引っ張る。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。soumatsu art gallery

2012/8月下旬
文学がARTSが再生に藻掻いていた時、ロックンロールはウエストコーストに走っていた。ビーチボーイズ。リンダロンシュタット。リンダのバックバンドだったイーグルス。
(ホテルカリフォルニア)。CCR。数え上げればまだまだ多くのミュージシャンたちが(カウンターカルチャー)の拡散に溶融していった。イギリスでも。
そしてジャズ。その模索は夥しい遺産を残した。青春を心地よくしてくれた時代・70年代。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
前々から伺いたかった場所だ。都心にもかかわらず静寂な気分に浸る。文京区の関口にある芭蕉庵。
井の頭公園から引かれる上水の工事で現場監督だったらしい。その住居跡。東京散歩も味わい深いね。奏松画廊matsukyu

2012/8月下旬
週末だけ開かれるディスコ。アルコールは一切ない。あるのはフルーツとジュース。巨大な倉庫を真っ黒に塗りつぶす。(12・ウェスト)。
アーティストも七番街のデザイナーもデパートバイヤーも優れた才能は(ほとんどがゲイ)だった。時代は(キャリアウーマンルック)。
テイラードの上着、ストレートパンツ、シルクブラウス。そしてブルーミングデールのポスター。(サタデージェネレーション)なるコピー。ジーンズライフ。
だからではないが、女性の時代がスタートする。70年代NYC。消費が追消費する時代。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・クラリクラブ奏松画廊

2012/8月下旬
欧米へのキャッチアップが優先された70年間は、行動労働が評価された。しかし、 <断捨離の積み重ね> が必須の時代が到来している。優先することは、 <批評するアート思想> だ。
そこから削るものことmonoが見えてくる。かって難解な文体で話題になった小林秀雄は「かなしさは疾走する。涙は追い付けない」といった。このまま走れば未来に遺恨を残す。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。旧atelier海浜幕張近くのニューオオタニプールサイドにて。soumatsu art gallery

2012/8月下旬
★★★★★(非常識を訓練)するシリーズ。
その9。
無意味なこと。無駄なコト。ま、意味のない。馬鹿馬鹿しい。しかし、センスがない・こととは大きく違う。逆なレベルでは豊かなセンスが溢れている。
これをキーワード(ナンセンス)という。かって大流行りした。よく学生集会とかあたりで。余裕のない時代だった。
そして、(OWARAI)が流行った。ギャグがウケた。たとえば(シェ~とか)。しかし、そんな遊び心が自己規制で減りつつある。
時間を遅らせることもまた遊びだが・・・。想像力&創造力を高めるには非常識を訓練する。必ず効果は出る。
<アートレッスン> の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。吉祥寺デッサン。soumatsu art gallery

2012/8月下旬
小説を書くより小説を論じる。美術作品の制作より芸術について論じる。(作品の具体化を否定)することが流行った。
制作行為は意味ない。(アイデアがARTSの作り手)である・と。それはとりもなおさず(サムネイル・文書・コトバで指示するだけ)で作品化となる。
コンセプチャルARTSの領域が世界を席巻した。それは広告表現に大きく作用した。この70年代、女性アーティストの目覚ましい台頭。
芸術と反芸術。境界が消えた。メディアそのものがARTS化した。誰でもがアーティストになれた。そして今、更に拡張している。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・生涯現役・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
デジタルアートが先端性が高い、とリテラシーしている識者たちが結構いる。その誘導的寛容性になびく大衆もまた多々いる。
たとえば鯉が泳いでいる。いっときの余興的興奮はある。しかし、アート思想が別に先の流れをスイスイ泳いではいない。
ま、しいていえば「油絵具とか水彩絵の具あたり」がメタモルしただけだろう。科学は道具でしかない。奏松画廊コレクションより。
テーマは「ダイバーシティ」。ドローイングアート2016。とアクリルアート「リブレゼンテイション&アプロプリエイション」。テーマは「BONSAI」。奏松画廊matsukyu

2012/8月下旬
不寛容(ゼロトレランス)。移民政策。不法にアメリカ入国し拘束された者を刑事訴追。その結果逮捕された親の多くは子供から切り離された。
カメラマン・ジョンムーア(アメリカゲッティイメージス)。世界報道写真大賞。78,801点の応募。129ヵ国。
4738人のフォトグラファー。(76億の目撃者たち)。鋭い直球が突き刺さる一枚の写真。
★★★★★恵比寿の都写真美術館にて。奏松画廊松久matsukyu

2012/8月下旬
ファーで縁取りされた帽子の内側や、肩に掛けられた首飾り。(壮麗さ・富・権力誇示)を演出。
コロンブスがベネズエラの先住民が美しい装身具で身を飾る。ことを発見する。略奪。そして新世界。ヘンリー8世の肖像画。
画家はホルベイン。家具から金細工デザインも。チューダー朝廷美術が大きく華開いた。16世紀。真珠の流行。
この世で最も美しいとされる真珠は、重さ60カラット。洋梨形。(ラ・ぺルグリナ)。メアリー1世の結婚贈り物。松濤美術館で息をのむ。
★★★★★カフェ友・恋活・卒婚・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
サラジェシカパーカーの人気TVドラマがある。タイトルはREVORCE。「店じゃないのよ。アートギャラリーよ」「カフェなんか併設しないわよ」。
アート作品はカップケーキやアイスクリーム、コークじゃない。それは <コレクターが値をつける> 。その値はコレクターの価値だ。
100万ドルの値をつけると「コレクターの価値は100万ドル」ということになる。作品が値踏みされることは「コレクターが値踏みされる」ことと同じだ。
人物の大小とはこうゆうことをいう。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。JETROアジア経済研究所にて。

2012/8月下旬
リラックス・シンプル・ナチュラル。気持ちよく暮らすキーワード。リフレッシュするためのヒーリング。そしてフレグランス。
例えば(モリナール オム)。南フランス・グラース。150年前から。刈りたての草の香り。そしてシスト・岩バラの濃密な香り。
コートダジュールの夕焼けをイメージ。今、透明板がそのフレグランスをいささか遮る。(ヴアイタライジング&エナジャイジング)。
潜在意識を開拓開発し、エネルギーを獲得する。香りの施術がWITH COBID-19時代に(心に効く)かと。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2012/8月下旬
エッセンシャルワーカーという言い方がある。必要不可欠な仕事とでもいうのだろう。有事にはことさら強調される。
しかし、SDGsが叫ばれる時代に全てはリンクしている。(リレーショナルARTS)ジャンルに包含される。
シマグニではそのジョブに携わる人が殊更重要視される偽装を纏う。極めてこのワードは要注意である。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊&clary club

2021/7月下旬
多様なストレス社会である。そのためにセラピストという仕事がある。映画で一対一で治療する場面がよくでてくる。
医療系からメンタル系、リラク系、カイロ系、その他ではフード系からハーブ系、芸術系・・・。
とにかく多岐にわたる。最近密かに注目されているセラピーにセックス系がある。顧客は女性専科だ。卒婚再婚もそのひとつ。よく(性格の不一致)という。正確には(性の不一致)が大きい。
よく男性どうしの会話で(あのこはユルい)という発言が飛び出す。女性から言えば(ヘタ)ということになる。上手な前戯は、自然と膣がシマって奥へ手招き導いてくれる。
AIがいずれ全盛になってもこの仕事だけはロボットに譲りたくない・・・。⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/7月下旬
その香気は、玉露と同じかと。煎茶のように茶葉を揉まない。青海苔に似る。適度に香ばしい。(かぶせ香)という。
香りと香りがコラボ。碾茶。その空間はまさに静寂のコンテンポラリーダンス。
パリジャンが好む(聞香)があるが、一種の遊びだ。かぶせ香・もまた大いなるアートである。
飯田橋の芭蕉旧居にて&リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法シルクスクリーンアート。
soumatsu art gallery

2021/7月下旬
アジアの政治的混乱国へサプライチェーンを持つ企業が評価を落とすと素早く引き上げる。株価、評価に素直に反映するからだ。
組織も人も(立ち位置)が重要な視野や意識や感性として倫理観が重要視される世界になりつつある。固定された管理精神は惰眠的組織をむさぼる。
スピーディでスマートでエシカルマインドは(今人・イマジンならではの志向・施行)だ。特に行政機関やそれに付随する組織は必須である。プレゼンPはマレーシア・クアラルンプール。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/7月下旬
ハラスメントがサスティナビリティしている。2020オリパラに向けて縁の下の企業も必死ではあるが、従業員へのイヤガラセは困る。働き方改革・は生産性と相反する場合もある。
アメリカの世界的スポーツメーカーNはCMもカッコイイ。が、インドネシアで過酷な発注が暴露された。神戸のA会社の経営者が働き方改革されてこそ選手たちが感動する。猛省を促したい。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&Name the title itself is contemporary artシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/7月下旬
精神的独身者。多くの結婚生活者はその範疇に入るかと。だれしも良き伴侶こそいちばんの親友かと。
そこには(おとうさん・おかあさん)とコバカにする上から目線は存在しない。かってポストモダンというジャンルが流行った。
平たく言えば過去の芸術線上にない外れたはみ出したシワザ作品。そこに表現されるのは(アートではなくてARTS)だ。
過去と結婚はしているが独身としての独立性自我をケイタイする。いわば(ポストシングル)ということに。
ようやく普通の人々もそこに到達しつつある。(雑談倶楽部・クラリクラブ)は、ポストシングル時代に相応しいARTS領域ということになる。
★★★★★奏松画廊ARTSgallery

2021/7月下旬
(えッ、夫ですか。もう家族の一員で異性じゃないんです。だって家族と夜をともにするなんておかしいでしょ)。
とあるセックス系セラピストが多くの顧客から回答をえたいちばん多い主婦たちの意見だ。
サプライヤーするしかないと。何を?もちろん政治的なメッセージではない。これは(性治的な外注)のことだ。
もはや男たちだけが多様な夜を感じる時代ではない。これから多様な昼夜が存在する・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー(clary club&奏松画廊)
https://www.soumatsu.info

2021/7月下旬
いきつけのコの字型居酒屋・吉祥寺。(ストレスから解放されたいわね)(ホントそうよ同感ッ)。隣に座る二人連れマダム。アラフォー後半か。子育てが終わり夫はほとんど遅い。
旦那からおかあさんと呼ばれる。男性でもなく女性でもない。卒婚までいかなくともそれっぽい距離感。こんな女性は多い。(も一度女を取り戻したい)。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー(clary club&奏松画廊)
https://www.soumatsu.info

2021/7月下旬
世界をカタる道具が多々ある。コトバ、アート、フォト等。しかし、カタられてきたわりには意外に視野狭窄のままだ。たとえばアートは今だにARTS化として消化されていない。単なる道具のままでいる場合が多々ある。
社会変革を志向・思考する道具への道が消失し過ぎている。つまりライフスタイルが楽になったからだろうか。道具を使って想像しなくても手に入れることができるからだろうか。
それともその道具たちはその役割を終えたのだろうか。もはや道具たちの一次二次情報からリプレゼンテイション&アプロプリエーションされたARTS表現が視野を視界を大きく拓く時代になっている。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/7月下旬
(美術そのものからの脱却へ)。(美術ではない美術へ)。かって大いに藻掻いた時代のコトバが氾濫していた。
しかし、それはあらゆる試みや実験が科学の発見・発明並みに盛んだった証でもある。
今こそ新たなる試み・実験がスタートしていて当たり前のニューウェーブ時節である。
(芸術と生活)の垣根がなくなった今だからこそのARTS表現が必須である。例えば(人物画専門画廊)シリーズがある。
生活に深く密着しているARTS 表現だ。更にはID認証とは何かに深くリンクするARTS表現だ。
更にはタイトルそのものがARTS表現スタイルのシリーズも世界の問題課題解決型の(生活とARTS)との垣根を取り払った仕事だ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/7月下旬
モンドリアンから大きく影響された家具たち。マレービッチから影響されたインテリア。過去から数々の多様なパクリが繰り返された。
リプレゼンテイション&アプリエイションARTS表現とは、そんな行き来往来する橋の上でのダンサーのようだ。実験が未来永劫に持続するかのような時代にそろそろ終焉が来つつある。
算盤のご破算のような、一度チャラにする。デザイン論で今までカタられた多くのセンスはカタチとイロだった。それも政治経済というセンスを引きずりながら。
しかし、もはやその感性狭窄は意識狭窄でしかない。素材が調達先が重要な意識として発揮されなければ商品不適格(不買運動)になるからだ。⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/7月下旬
「ショールーム」。仕事の名前だ。欧米ではファッションブランドの営業代行業として定着している。営業力のない小ブランドや拠点を持たない海外ブランドを小売店に売り込む仕事。
アートジャンルではアートギャラリーということになる。近年、ジャパンに進出したい海外デザイナーが増加。この仕事を必要としている。
★天王洲アイルにて。soumatsu art gallery

2021/7月下旬
★★★★★ <非常識を訓練> するシリーズ。
その3。
表現者といわれるひとたちは百花繚乱している。しかし、自主規制しているひとたちがなんと多いことか。だから、彼らは政治経済文化的テーマから避けたがる。
もっぱら職人的画家であることが生活しやすいからだ。やれマチエールがどうの色彩がどうの・・・、と。
ボックスギャラリーで慰めあっている。想像力&創造力を高くするために非常識を訓練する。そのキーワード <規制> 。ルールギリギリまで反骨心を逞しくできるか。
必ず効果は出る。 <アートレッスン> の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。
「Name the title itself is contemporary art」シリーズ。soumatsu art gallery

2021/7月下旬
固定観念に束縛・形成される傾向がある。例えば親の躾。学校教育。教科書。そして大人になってから多くの時間を既存メディアに束縛される。時として判断力を失う。何故か。紐付きだから。
時の政権だったり大手企業商品だったり。その概念をテーマにARTSに翻訳する。サラチャールズワース。グラビア雑誌から切り抜き、例えば大仏写真と青空写真との対比。
東洋をイメージする西欧人のステレオタイプ的な固定観念を疑わせる。元は雑誌編集者。美術から逸脱するARTS行為のひとつ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/7月下旬
馬車で遊覧。art decoレトロホテルバー。BGMジャズが流れる。ひとりグラスを傾ける洗練されたエスコートレディ。映画スタジオ。都会を彩る小道具たち。
そして小粋な小道具に雨がある。ラブコメディにシャレたセンスが光る。(レイニーデイインNYC)ウッディアレンの新作。こころが晴れる一本かと。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/7月下旬
久しぶりに(へうげもの古田織部)を思い出した。天才を殺してはいけない。女性の時代である。戦略プロデューサーを目指せ。石を投げれば作家に当たる。
これからの中国には勝てない。アジアから世界に勝てるアート人財を。視野狭窄から目覚めよ。

2021/7月下旬
解りやすさからより遠のくことを手法とした。しかし、一方で具体的monoをARTS化する。たとえば、旗、標的、スプーン、ハンガー、針金等々。
それぞれそのmonoの持つ機能はある。ただキャンバスでは遠のく素材。
そんな思想を版画というメディアに集中させた。ジャスパージョーンズ。60~70の鮮烈なプレゼンだった。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/7月下旬
ARTS表現の中に卒婚意識がある。夫婦はパートナーシップ契約を履行しながら多様な絆を蓄積してきた。
その積み重ねは断捨離できない。それは大いなるリレーショナルARTS表現だからだ。
それは写実絵画の素材でもあり、抽象画のサイズでもある。関係性が額縁だけの夫婦もいるだろう。多様性の関係性は重要な信頼的財産だ。
しかし、潜在意識はむくむくとはみ出してきつつある。そこに卒婚意識が生産される。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/7月下旬
「文化資本主義」「広告が商品訴求から自立」「ポスト消費社会」。このキーワードを手法とした経営が花開いた。
その経営者は辻井喬。財界でこの名を知ってる人はほとんどいない、と嘆いていた。
財界人がいかに本を読まないかと。時代は70年代後半~80年代。広告というFRAMEでコンテンポラリーアートがプレゼンされた。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2021/7月下旬
物語を創る。ひと月だけの。例えば大阪から都内に、札幌から横浜に。仙台から埼玉に。岡山から千葉に。
あらゆるところから修学ならぬ修恋旅行。そんなトランクライフが当たり前になる。
⭐⭐⭐⭐⭐恋活・卒婚・再婚・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/7月下旬
★★★★★ <非常識を訓練> するシリーズ。
その4。
「人の行く道裏にあり花の道」。開拓する、道を。そのいばらの道にこそ神の手が作用する。アイロニカルな反骨心とともに。
過去の先陣が光の道を創造してそれをなぞる。悪いとは言わない。
しかし、確立は低い。 <裏道> というキーワード。想像力&創造力を高めるには非常識を訓練する。必ず効果は出る。 <アートレッスン> の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。
下北沢鈴なり横丁界隈のカラオケバル(スナックではない。つまりシャレオツなんです)&SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2021/7月下旬
「へそまがり」「あまのじゃく」「へうげもの」。最近、とんと耳にしなくなった。世間は、おいしいもので溢れている。腹膨るる心地良さに <抗う> こころが失せているからだろう。
となるとアート業界もさっぱり形無しである。作家や作品、情報は乱舞してはいるが、底の浅い拡散である。大人しくなって <内心> を探るような人物や作品が激減している。
★★★★★海浜幕張にあるJETROアジア経済研究所ライブラリープレゼンより。台湾の原住民衣装。soumatsu art gallery

2021/7月下旬
13。この数字からドラマが始まる。忌み嫌う。ひとり+14人に。ビジュアルが素晴らしい。パリに越してきた、NYCから。シニアカップル。一緒に連れてきたメイド。ロッシデパルマ。
このコミカルな個性派女優。(マダムのおかしな晩餐会)。フランスでは「不倫は夫婦を長持ちさせるコツ」というコトワザがあるらしい。まさに文化である。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/7月下旬
(見ることは考えること)。60~70年代に流行ったアート・ARTSの鑑賞の仕方。素材は生活にありふれたもの物mono。あらゆる表現スタイルがプレゼンされた。
反芸術のウエイトが幅を利かせた。美術・芸術批評もまた(考える文章)がカッコいいと。
つまりわけのわからない文字を羅列することで(具体的なアート作品以上に作品化)していた。表現がタコ壺にはまり迷路を彷徨っていた。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/7月下旬
「猫に小判」とゆう諺がある。たとえば、マティスの作品を「私でも描ける」と。あるいはピカソがまるで「ワカラナイ」と。
更には、「BEYOND THE FRAME ART」がどうしてアートなのか、と。またコンテンポラリーダンスがなぜアートなのか、と。
ひとつひとつ点検してゆけば疑問が深まるばかりだろう・・・。となるとアート価値とは何か。歴史的には戦略的に、
たとえばオークションで価値を創造する手法。あるいは経済的に戦略化する手法。あるいは宗教的とか。あるいは欧米とアジアとの地域的とか。
あまりにも複雑多岐な分析をしなければ、「アートバリュー」が判明されない。まさにこれからの時代を「カルチャー&クリエイティブ資本主義」がスタートし、牽引するだろう。奏松画廊コレクションより。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ2016。奏松画廊matsukyu

2021/7月下旬
「社会への問題提起」「アイロニカルな批判」「新しさの重視」。ジャパンの若手演劇人が自覚していない重要テーマ。
ベルギーやフランスの演劇祭でアドバイスされる。欧州の演劇界に共通する価値基準だ。「既成のフレーム&スタイルを裏切る」狙い。パフォーマンス色の強いアート性が注目される。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。下北沢のライブバーにて。soumatsu art gallery

2021/7月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その35。
百年ぶりに科挙の合格。天荒・未開の荒れ地を破る。誰もが思いもよらない。(破天荒な偉業)。豪快で大胆な様子・ではない。破天荒な記録。破天荒な大事業。破天荒なアート思想。
常識を超える。破壊する。必ず効果が出る。奏松画廊をチェックされて下さい。

2021/7月下旬
「答えがない問題に取り組む」「すでに存在する課題を解くのではなく課題そのものを発見する」「大きく飛躍しようと思ったら失敗は不可欠」。なにやらコンテンポラリーアート手法のようなセンスでは・・・。
米スタンフォード大学が力を入れているイノベーション教育のコンセプトだ。大学も企業も模索している。 <異才異能> を世界は必要としているからだ。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。アトリエ近くのジャズライブバーにて。soumatsu art gallery

2021/7月下旬
炎天をいただいて乞い歩く
解くすべもない迷いを背負い歩いて歩いて歩き続ける。行乞の生活。放浪。世間の常識をかなぐり捨て破滅的な生き方へ傾斜してゆく。
そんな漂白の詩人種田山頭火に憧れる若者はかって多々いた。それくらい政治が絶望的な時代に <自分を見つめる> ことが流行った。
改めて重なる時代状況に <むなさわぎ> するひとも多いのではなかろうか。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊

2021/7月下旬
(酒は詩を釣る針)。李白は一升の酒を飲むとたちまち百首の詩を作ったらしい。後世に名を残す芸術家は図抜けたシワザがある。昨日もまたほどを少し超えたが、一向に作業は進まず・・・。
(時のシナリオ)は、針の餌が喰われてばかりか。なんともしまらないマンデイかと・・・。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/7月下旬
かって大きな紙袋を提げてショップから出る、ことがカッコよかった。しかし、そんな客はエバレーンにはいない。デザインは、ホワイト、ブラック、グレーのモノトーン。ベーシックだ。ワンピースが100ドル前後。
売り場は、ニューヨークとサンフランシスコのみ。商品は2,3時間で届く。ミレニアル世代を中心にファンを増やす。売り上げ30億。 <ディスラプター> と呼ばれる。ライドシェアUberや民泊サービスAirbnbも。 <破壊者> は日に日に勢力拡大。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2021/7月下旬
(ねぎは淫心を誘発する)。行きつけの居酒屋でいつも頼む摘み。(九条ねぎのぬた)。子母沢寛の増上寺大僧正の話がある。
(葷酒山門に入るを許さず)。良い野菜と酒のことを葷酒という。葷は五幸。ニンニク、ヒル、ラッキョウ、ネギ、ニラを指す。
五幸はその昔不浄を去り、疫病を払うとして神事に用いられた。しかし、いつのまにか禁忌の対象に。仏教界では忌み嫌われる。
ま、若い僧侶が修行の妨げになるといけないというのが禁忌の方便。強壮剤が氾濫し疫病が猛威を振るう時代に修行は極めて難しいかと・・・。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
コーポレートガバナンスやCSR、サスティナビリティなど会社の財務以外でどうゆう性格なのかを発信することが重要なメッセージだ。ここで問われることが <文章能力> だ。
シンプルで解りやすく。これがなかなか難しい。得てして無表情な硬めの味気ないものになる場合が多々ある。アート作品もまた硬い解説が多い。
もっと暮らしの喜怒哀楽的解りやすさが必須だ。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)アクリルアート。soumatsu art gallery

2021/6月下旬
★★★★★ <非常識を訓練> するシリーズ。 その2。 雄と雌・が同体している。アゲハチョウ、ベニズワイガニ、カブトムシ・・・。モザイクがかかったように判別しずらい。ヒトもまたLGBTQで脚光。
そのQのヒトは相当いるかと。マッチョであってもナヨナヨの。レディでもシャベリがオトココトバとか・・・。ダイバーシティ。たとえば <両性具有> というキーワード。
想像力&創造力を高くする非常識を訓練する手法に相応しいワードアート。必ず効果は出る。 <アートレッスン> の詳細は奏松画廊でチェックしてみて下さい。
ダイバーシティ・シリーズ。soumatsu art gallery

2021/6月下旬
植樹する行為。過去の芸術的行為からは外れる。芸術概念、創造概念を経済に働きかける行為・活動。過去のプレゼンのようにボックスギャラリーや美術館に
展示する行為そのものに意味を失う。ヨゼフボイス。緑の党創立者のひとり。経済・政治・文化の枠から外れて活動する行為。彼は(日本はもはや東洋とは呼べない。
東洋という語の持つ生命力を失った。西洋資本主義の一翼だ)と。彼は別にロマン的に悲しんでいるわけではない。多くの芸術家がタコつぼに落ち着いて世界と
断絶していることを嘆いている。スキなARTS表現家のひとりだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
懐かしいリプレゼンである。かって60~70年代に極東のシマグニにカウンターカルチャーの嵐が吹き荒れていた。場所は「新宿」。「ソウラン節」に明け暮れた後
そのエネルギーは虚無感とともに雲散霧消したかに見えた。しかし、そのパワーは政治から文化にスライドした。もちろんさして戦う目標があるわけではなかった。
「だから」ではないが、無題とゆうタイトルのアートが氾濫した。世界的に。しかし、以外にもカウンターパンチは炸裂した。若松孝二監督唐十郎主演の「犯された白衣」。
アーティストたちの頭脳はすっかり犯されてはいたが、センスは健在だった。この時間はエポックメーキングとしてシマグニの歴史に見えないものをみえるようにした功績は大きい。
セゾン現代美術館「恋は語らず」展及びアートシアターギルド蠍座ポスター展より。奏松画廊matsukyu

2021/6月下旬
60~70年代にかけて、洗い過ぎた概念と野暮な概念とが同居していた。その頃から芸術が(哲学的思想を中心にしたスタイル)に変貌しだした。
例えば、前衛というワード。大衆の仕事・石切りや稲刈りをアートに翻訳。クールベが当時洗練されていた。実験をスタートさせたマネもいた。
しかし、もはや(終わり・終焉・交代・日没)する、頭の中で。リンクやコラボというシステムが風景の中で機能しない。のろい。問題課題がアートに翻訳されない。
次の洗練に届かない。野蛮が残存され過ぎる。IoTが作業をスピードアップした暁には、アートに翻訳されてるかどうかは翻訳者たちがどれだけ増えているかどうかにかかっている。

2021/6月下旬
(女はしょせん女である)。はじめの女は男でない性の所有者。次の女は常に男に服従する侮蔑的常套句。コトバの記号を駆使した。ロラン・バルト。
大衆文化のイデオロギー批判。プロレス、ハリウッド映画、ストリップショー、ファッション、占星術・・・。60~70年代にパンデミック。彼の注目すべき視点のひとつに
(鑑賞者とのコラボ創造)がある。見る人読む人が創造力として付加される。奏松画廊のハタヨガパフォーマンスARTS施術があるが、まさにこの思想に裏打ちされたインスタレーションARTSだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
アート思想の価値が主流だとプレゼンした。モダンな貨幣価値がある。税の価値がある。物の価値がある。デフレの価値がある。信用創造の価値がある。
自国通貨保有の価値がある。ダイバーシティ。しかし、ビジュアル価値がいささか蔑ろにされている。シマグニでは。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/6月下旬
かってconceptual ARTSをideaARTSといった。更には(予言ARTS)ともいった。何故か。例えば、サイズ。視覚的にはノーマルサイズではサプライズなし。
しかし、飛び切り大きいと驚く。絶滅した恐竜のように。キングコングだってそうだ。この意識が今だに続いている。ここで予言しよう。もはや価値のないビッグサイズの
驚きはアイデアではないと。かえっておジャマだ。無用の長物だ。だからそれを展示する学芸員の視野狭窄&意識狭窄&感性狭窄はまさに固定された脳改革を必須とする。
それは女子高校生ルールが固定化されたスカートからスラックスへの改革と同じかと。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/6月下旬
経済成長が鈍化している21世紀。新たなビジネスチャンスは何か。地域創生はお盛んではあるが、ほとんどが「アートフェスティバル」だ。一過性でしかないケース。
<経営者の意識> が、<ビジュアル&カルチャー資本主義>を引き出すかで決まる。もちろんかって明治より資産家パトロンたちはいた。
そんな大物が出自しづらいビジネス界ではあるが、アパレルメーカーや商社から独立したようなスタイリッシュカンパニーとかネット金融関係とか
そこそこチャーミングな人物が出始めている。そのためにはアートミュージアムがダイナミックな <リノベーション> をする覚悟でガラポンし、牽引しなければならない。
東京大改革がそのきっかけになれば、再びアジアのリーダーシップを奪還できる。ちなみに2016のアーテイスト別高額落札はトップはピカソ。7番にバスキア8番にウォーホル。
そしてなんと中国アーテイストたちが、2、3、4、9、10番と勢力が一段と幅を利かしている。もちろんシマグニアーテイストはまるでおよびでない。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2021/6月下旬
かって新人類・というコトバが流行った。そしてAIが更に進化して遺伝子操作+ロボットで(トランスヒューマン)なる新人類の登場がそこまで来ている、らしい。
つまり(人間が数字化)される。それもエクセレントな人間。そこに格差社会が更に進展するだろう。松クラスのトランスマンや竹クラスのトランスマン、梅クラスのトランスマン・・・。
★★★★★クラスター化されたダイバーシティ・シリーズ。&その予兆をビジュアル化した青山界隈のパリ風カフェにてポーズする松クラスマン。奏松画廊matskyu

2021/6月下旬
きめ細かな装飾が過去の教会や寺・神社等に優れたクラフツマンシップの手仕事で息づいている。それを○○モデルとは言わない。無署名。
対極にある四角いビルもまたあるが無署名だ。無国籍。時間とともに風化して機能だけが残る。それに比べてcontemporary系ARTS作品はARTS表現家・作家が厳然とある。
たとえ水玉装飾であっても。(○○モデル)というインセンティブ的賞賛が前向きに。マスクで隠すvisualがたまには褒められる。(臭い物に蓋をする)ことが褒められた。
アイロニカルな事象という他ない。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
自分好みのベルト、メガネ、アクセ等々。「ファブ社会」。聞いたことがあるかと・・・。「いつでもどこでも誰でも」必要なモノを必要な量だけ作れる。
アメリカは10年以内に人口70万に一か所のファブラボを設置予定。将来的にはマンションやコミュニセンターやカフェにラボ設置。もはや <ダレデモアーティスト> の時代がくる。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。soumatsu art gallery

2021/6月下旬
アートギャラリーの白いウォールに直接ワードアートを描きつける。そのワードが平凡なワードであってもそうゆう場に(陳列されること)で特別に注目される。
そんな手法と素材を多用したローレンスウィナー。街頭ではデモプラカードがアートそのものだ。アパレルショップのデジタルサイネージもまた流行りだ。
特別な意味を持たせると蘇る場合がある。リブレゼンテイション手法ならではの再生は多々ある。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/6月下旬
1957。東京国際版画ビエンナーレスタート。既にアメリカでは、アートとタブローとかの境界線が消えつつあった。単なる表現手法が違っていたかといって何の意味があるのか。
(ARTSに翻訳する)ことが表現家のシワザ。その当時シマグニでは見苦しい棲み分けが蔓延っていた。その価値のないラインを取っ払うシワザに
貢献した・デザイナーのひとり・横尾忠則。話は変わるがウォーホル版画は1500~2000万くらいか。アメリカARTS領域を戦略的に発信できるパワーを
見せつけられても一向に一ミリ程度しか進まないシマグニ。トホホだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
(作品がmessageを持たないとすればそれは人生に対して何もしてないことと同じ)(新しいアイデアが不可能な政治家はたんに大衆のために働いているに過ぎない)。
進歩と変革をテーマにするギルバート&ジョージ。アナロジーするアーテイストだ。たまにこの手の仕事を推進するのを見かけると勇気をもらえる。

2021/6月下旬
夏の昼下がり。日曜日。水泳パンツ一枚の男。隣人の旧友宅を一軒ずつ訪れる。ニューヨーカー誌の短編小説。シャレたセンスが光る。多様なプチブルアメリカ家庭の光と影。
見せかけの繁栄。その実態が炙り出される。自宅にたどり着いたその男の家は廃屋になっていた。ニューシネマというライフスタイルの枠から外れたvisualが
深いアメリカの実像として暴露されていく。(泳ぐひと)。1968。それにしてもプール付き邸宅が中産階級とは。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
今や多くの人がカメラマンである。その洪水は、芸術ジャンルの価値や地位を引きずり下ろした。セルフポートレイトがある。Instagramでは自信に満ち溢れたレディやマダムが
豊かさに溢れている。ここに一枚の写真がある。(自己の死)という予感めいた一枚。髑髏の杖を持っている。ロバートメイプルソープ。
しかし、この芸術写真はおいそれと価値を低下させない。女性はいざ鎌倉という時には、腹が座っているという。
グリーンがリカバリーされないもどかしさにその覚悟が必須ではなかろうか。⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/6月下旬
「開かれた都市であることは、創造と革新を担保する成長戦略の一環」「外国人や同性愛者の少数派に配慮する政策は都市再生戦略の重要な柱」。
1990年代まで産業の空洞化と財政難にあえぎ多くの地区が活気を喪失。コペンハーゲン市は住宅、雇用、子育て支援、公共レンタサイクルなど多様な政策を実施。
住みやすさの人気が高まった。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。自邸近くの吉祥寺ジャズライブバーsoumatsu art gallery

2021/6月下旬
(視野狭窄指数)なるものがあるかどうかしらないが、相変わらず海外見聞への勢いが低い。例えば風景。動画やTVでの可視。わかったようなふりをする。
現地での苦労指数もある。コミュニケーションに自らの意外な勇気を発見する。そして、一期一会。人生は長い。ワカモノ動向調査より。

2021/6月下旬
ミドル・シニアが元気だ。セカンドライフを謳歌する。特にマダムたち。若返り美意識を磨くワザ。そのエナジーをエッジ鋭くする。
その前向きなマインドが更に加速する・美意識を。以前から度々プレゼンしている。(潜在意識はたかだか3%しか開発開拓されていない)ことを。
その多くの意識には美意識がたっぷりとある。欧米マダム・レディたちに改めて注目される(ハタヨガパフォーマンスARTS施術)がある。
つまりハ(太陽・男)とタ(陰・女)の交流。このARTS表現こそあらゆる細胞を活性化する。もちろん色艶ARTSは大きな若返りを高効能する。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
真っ白な雪を銀の椀の上に盛る。清純と柔和の美意識が生産される。(閑花風)。能の芸の位。色彩で表現すれば(無彩色)。そこから色即是空・空即是色へと向かう。
つまり超越意識の世界へ。ひとつの大きな潜在意識であった。風の時代は、白黒をつける意識の開拓開発だ。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/6月下旬
パリの装飾美術専門学校を出て画家を目指していた。ルコルビジェのデザインした国立西洋美術館が世界遺産に指定された。建築デザインは学んでいない。
終生画家として「心のキャンバス」に描き続けた・・・。アブストラクトアートを。ピカソやグリスなどの影響を受けながら。2020オリンピックエンブレムデザインを契機に
アートとデザインとオリジナルと「リプレゼンティション」との関係性を議論する機会ではないだろうか。上野西洋美術館前と赤坂見附のグランドプリンスホテル跡に
オープンした複合ビル前にて。奏松画廊松久matsukyu

2021/6月下旬
茶を点てる。客は(その場の時間と空間)にくつろぎと緊張の糸と意図を(感じる&考える)。そこに「一期一会」というパフォーミングアートが発信される。
茶室は、静寂なる舞台。それもたった一回限りの非日常。この言葉を発明した井伊直弼。茶道家。今でいうパフォーミングアーティストである。幕末の英傑よりも大好きだ。
★★★★★ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/6月下旬
ETHCAL・な行動力が頻度を増している。環境をより良い状態に戻す。大きく膨らませた経済活動・消費活動を修正する。濁ったものをクリーンに。
もはや大きいものは悪である。引き取り先も拒否する。だから(エシカルなアート)は、スモールだ。ドーンとのんきにえばるような大きいアートは、
単純バカとしかいいようがない。ドンカン以外の何物でもない。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/6月下旬
(ハンマーで哲学する)。多様な価値・意匠をことごとく叩いて、その真偽を今一度問いただす。ニーチェ。19世紀末のmessageではあるが、今主義に通じる。
昨夜というより今日の午前三時頃。久しぶりのG街。静かだ。ポツンポツンと微かに開いている。とある演劇関係者たちが多いとか。隣り合わせた銀座のクラブマダム。
多分アラフィフあたりか。店を畳むかどうか悩んでいた。お気の毒としかいいようがない。(腹をくくって)と白黒つける話をしたが、三十年間の沁みはそう簡単には・・・。
ツレの関係者オヤジと泣く泣く出て行った・・・。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
シマグニの女性は極めて自己否定が強いキャラが多いと。先進国ランキングで最下位。何故か。自己を輝かせる手法を会得してない。ブサイクを逆手に取る。
太ってる場合はそのブサを更に太ってるファッションに。それを個性化する。ヘアスタイルもしかり。つまり戦う強さを。アグレッシブに。つまり女性らしくから個性的らしくに。

2021/6月下旬
プロモーションコピーのカセットテープ。サンドイッチをくわえたまま開封する。そのままパーキングへ行きカーステレオに。ニールヤング・ハーベスト。
ハモニカから風が流れる。ドラムのシンプルな音が藁の匂いを発散する。自分の中にある(たったひとつの問題を放棄することなく歩き続ける)。ここに帰ってくるような気がした・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/6月下旬
「日本の常識は世界の非常識」とよくいわれてきた。空間から社会、そしてサービス。通常のデザインという考え方ではない広義のアート&デザイン。
インターナショナル・スクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)。生徒の7割は留学生。 <ダイバーシティ> を重視。アメリカスタンフォード大のDスクールが先駆。
「自身で問題課題を探す能力」と「失敗を恐れない実行力」が培われる。具体的には身の回りの不満を生徒たちに考えさせ、課題を絞って解決策を見出す訓練。
自発的に取り組むスタイルが「改革&反抗スキル」を実感できる。奏松画廊のパーソナルアートレッスンと似ている。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。

2021/6月下旬
世界では(芸術・美術)という概念は存在しない。シマグニだけである。つまり視野狭窄な作品が独り歩きしている。以前にもプレゼンした。
ARTS領域とsciencel)領域のふたつがある。前者は(歴史、地理、音楽、文学)。経済や心理学はscience領域。近くのICUやトンジョや成蹊大あたりの
リベラルアーツは単なる教養学だ。今の世界ARTSは(感じる&考える)ことから始まる。だからスタイルがいくらAIを駆使してても子細にチェックすると
陳腐な抽象表現だったりするのはそのためだ。更にはWORDがARTS領域だなんてリテラシーが低いのはいたしかたないが。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
かってメディアアートというジャンルが注目された。ビデオやコンピュータテクノを使用する。しかし、今、そのアートは当たり前になった。
既にスマホがメディアとして大いに活躍しているからだ。インスタレーションというアートメディアがあった。例えば砂漠の中で花火を宿泊鑑賞するという体験アート。
この手法もまたスマホメディアに収まった。アート概念を根こそぎはく奪する。
★★★井の頭公園夜景・奏松画廊ARTS gallery

2021/6月下旬
(オリジナルとは現実そのものだし、カメラはたかだかそれを盗み取るだけ)。アランロブグリエ。だから劇映画というものは存在しない。基本的にドキュメンタリーである。
俳優に要求されるものは、迫真の演技ではなく(肉体とそこに露出される彼の歴史)だと。中平卓馬は鋭く分析した。奏松画廊ARTSがアプロプリエーションという手法を
度々使うのはそのためだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
マイナンバーカード社会になる。身分証明がフォトで証明される。肌や目の色等々。アメリカのような多様性民族社会はディテールまでも証明される。
しかし、ローナシンプソンは、個性と人格を無機質で暴力的に区別する社会の慣習ルールにアイロニカルに反抗心を表現した。フォトは顔がない。ワードはあるが名前はない。
プレゼンすることは黒人女性ということだけがわかる。「イメージとワード」を分解したり接合したり解析したりと、アートに翻訳した。コンセプチャルアートジャンルである。
今ジャパンで改めて問題化するテーマだ。BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991より。奏松画廊matsukyu

2021/6月下旬
SDGsは重要な作品テーマ素材だ。持続と断捨離。その手法にコンパクトがある。整理整頓することではっきり見える化になる。そこから新しい経済が発生する。
たとえば野菜。単純に大きくプレゼンしても感じない。つまり無意味。遺伝子組み換えフリーを。そこに踏み込むと今になる。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/6月下旬
<ヘイトスピーチ> が保護主義的空気感の中で大きく浮上している。国連人種差別撤廃委員会が日本政府に対して法律規制するように勧告。
問題は <表現の自由> との兼ね合いだ。しかし、欧米では刑罰や厳格制裁は「常識」。
★★★★★下北沢すずなり横丁界隈にて。soumatsu art gallery

2021/6月下旬
歴史の一ページが開かれようとしている。そのシンガポールで(ソックリさん)が笑いを誘う。かってコロッケさんが、その前にはアメリカでプレスリーソックリさん大会が。
しかし、その技をビジュアルを(確立する)とアートではない。素材をどう料理するかで <コンテンポラリーアート> になるか。アートに翻訳できるか。
その違いは(作家のアート思想)にかかっている。
★★★★★SHADOWシリーズ。&恵比寿ビールファクトリー界隈にてsoumatsu art gallery

2021/6月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その34。
想像力&創造力は、つきることがないくらい逞しくする。ここに努力を惜しまない。平易な言い方をすると妄想力になる。これこそ俗な垣根を飛び越える。
恥とか恥ずかしいとかが白日のもとに晒される。だからこそそのバネは極めて弾ける。するとおのずからパワーがさく裂する。常識エリアを軽々と超える。
効果は必ず出る。詳細は奏松画廊をチェックして下さい

2021/6月下旬
私たちは通常、なになに関係とよく使う。親子関係、夫婦関係、恋人関係、会社関係等々。更には政治経済関係。最近は、SNSメディア関係、遺伝子情報関係と。
限りなく未知の世界へ関係性を求める。あらゆるものことがリンクしてゆく。その距離感をコントロールしないと息詰まる。例えばセカンドライフ。
卒婚があり再婚があり孤独を楽しむ恋活がある。多様な関係性がARTSに翻訳される。アートからARTSへ視野&意識&感性を開拓開発する。
⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/6月下旬
最後にスクリーンを飾ったのは、デニーロの「タクシードライバー」。消えた新橋文化ロマン劇場。青春時代に感動した「オボローモフの兄弟」飯田橋佳作座。
そして数々のやくざ映画やロマンポルノ。当時まさかレンタルビデオで映画とは想像だにすらなかった。しかし、今名画座の役割を見直そうという試みが。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。海外からの知人を都内ガイドする。渋谷駅前にて。soumatsu art gallery

2021/6月下旬
新橋あたりをフラフラしているリーマンたちが相変わらず多い。以前から生産性が低いと指摘されている。 <自己改革する> 意思の低いシマグニピープル。
視野狭窄ピープルの何と多いことか。コンテンポラリーアートを啓蒙してきた。和カルチャーと表裏一体であることがリテラシーされてない。
一期一会・というアートもそうだ。(魂に性差はない)というメッセージを創造したFBfのAko Morimuraさん。実にNICEなワードアートだ。もはや低空飛行を
繰り返している殿方たちを横目に女性たちが風を切って闊歩する時代がすぐそこまで来ている。働き方改革の前に(クラッシュ&ビルド)が必須。
★★★★★SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery松久

2021/6月下旬
(ARTSに何が可能か)。と(ARTSとは何か)。大きな隔たりがある。前者は構造改革。後者は表現上の解説。えてして前者が流行った時代があった。1960~1970。
アートもデザインも追随した時節。そして今、改めて(SNSメディアに何が可能か)が流行ってもよさそうだが・・・。しかし、そうゆう議論は失せている。
何故か。もはや圧倒的量と質が既存メディアのみならず、世界のあらゆる構造をひっくり返す事態になりつつあるからだ。質問も疑問もない。
つまりアウフヘーベンしない。これからは粛々と(衣と食の満足)から(住・風景の不満足)を改革する。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/6月下旬
芸術を固定させる怠惰な精神と戦う。定型への安住を拒む。しかし、定型は頑固だ。しぶとい。だからこそ挑発すべきだ。それはときとして跳躍、脱皮、という実験を繰り返す。
定型のたれをつけて蕎麦をすすりたいという裏切りがある。反定型にウエイトをかけつつ定型を垣間からかう俯瞰的視野・意識・感性を持ち合わせる過敏な生き方。
そのひとりに寺山修司がいた。⭐⭐⭐⭐⭐ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/6月下旬
美術から描写という行為を取り上げる。それがデュシャンの便器プレゼンだった。例えば今主義。商品からメーカー生産を取り上げる。選択する行為。
セレクトショップがプレゼンされる。消費経済に大きく伝わる。再構成する。このリプレゼンテイションは、アメリカンポップアートの得意技だった。芸術と生活。
その垣根を取り払った。そしてそのシワザはシマグニにたっぷりとこってりと浸透している。そのシワザと(構造改革思想をコラボ)するARTS表現。
これが奏松画廊ARTSだ。問題課題解決型のARTS表現こそ(これから主義芸術)だ。

2021/6月下旬
歴史には「革命」がセットになっている。1917年のロシア革命では、その前後に <ロシアアバンギャルド> という芸術運動が活発化した。たとえば画家のマレービッチ。
キャンバスに黒い円だけが描かれている。最小限の色彩と形を追求した。21世紀に入って更に豊かさが持続してはいるが、「断捨離や価値カルチャー資本主義」が定着してない。
そろそろミニマルなライフスタイルが「スタイル革命」としてムーブメントされることを期待したいが・・・。
★★★★★テーマはダイバーシティ」シリーズ。soumatsu art gallery

2021/6月下旬
★★★★★ <非常識の訓練> シリーズ
その1。
(想像力&創造力)を高めるために訓練をしなければならない。では具体的にどんな手法が。まず多くの人が日ごろのライフ&ジョブスタイルにかまけて
「反復&連続」のフラットな時間消費しかこなしていない。これでは全く遠い。ひとつのキーワードがある。たとえば(妄想)という非日常的アート哲学ワード。
精神的妄想・と肉体的妄想。カミュではないが、朝目覚めると虫になっているような。このふたつの想像力を日々訓練する。スマホを離れて瞑想する。効果は必ず出る。
<アートレッスン> の詳細は奏松画廊をチェックされて下さい。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
mono・モノ・もの・物を消費するよりコト・ことを消費する時代だ。つまり物語・ストーリーをプロデュースする。
そのドリーミーな消費に(ロマンスプロデュサー)がいる。エレガンスが自分を尊敬し相手を尊敬する定義だとすれば(ARTSに翻訳)された
クラリクラブはクリエイティブなセンスに相応しい出逢いかと。クラリは開眼する。セージは賢い人。セージというニンフにひと目ぼれする美しき伝説恋物語。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/5月下旬
年俸3億。政策を左右するビジネス。とことん敵を追いつめる。そのためには手段を選ばない。映画<女神の見えざる手>。
主人公は、ロビイスト。クール&タフな女性。非恋愛。男はエスコートサービスから調達。敵を探るマシン。遠隔操作する盗聴ゴキブリ。
近い将来、(ドローンタイプ盗聴&カメラゴキブリ)が遠隔操作される・・・。ルームからクルマからあらゆるところに出没。ゴシップマガジンには格好の味方に・・・。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ 奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
日光浴があるように月光浴がある。この浴は欲でもある。リラックスできる。とかストレスを解消する。とか肌や髪を美しくする。
とか子宝に授かりやすい。とかまさにスーパームーン。で、いちばんは潜在意識の開発開拓だ。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松

2021/5月下旬
(未だ描かれたことのないもの・モノ・monoを描きそれを絶対的に作品にする)。セザンヌの覚悟だった。
リスペクトするメルロポンティの(意味と無意味)の中に記載されている。ポンティは、椅子のvisualと椅子という意味が
互いに行き来して椅子の現物が、認識できることを哲学研究した。contemporary系ARTS領域と深くリンクする。
(ARTSに翻訳する)というシワザが、未だ存在しない作品を太陽のもとに晒す。(人物画専門画廊)シリーズもまたその領域だ。
作品化されることでクラリセージの賢い開眼を現象学的対象にする。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/5月下旬
かってベンヤミンは複製芸術の時代を分析した。今、デジタルARTS表現作品が真逆の一点オリジナルに固執する。どこが仕掛けているのか。
クリスティーズ。元来この組織はいわば証券取引所のような組織だ。会社ではないが、アーティストたち。
それが古典絵画であろうとデジタルアートであろうと。だからこそバンクシーがアイロニカルなシュレッダーアートをプレゼンした。
デジタルアートだけじゃなく、音源、動画、記事、ツィート・・・。もちろん奏松のFacebook・タイムラインプレゼンも。
しかし、リレーショナルARTSやスラッカーARTSジャンルを通過して最先端価値作品よりも金融資本主義的アート組織が自ら価値観をプレゼンする時代だ。
Amazonのような組織に膨れ上がるような・・・。ま、風の時代にはスピーディにジャッジが出るだろう。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/5月下旬
今は昔、イギリス・コベントリー。重税に苦しむ民。それを悲しんだ領主の妻・ゴダイバ。「おまえが裸で町を一回りしたら税金を安くしよう」と。
しかし、民は不謹慎なと窓の扉を閉めた。が、トムというおやじだけはのぞいて見ていた。これを世にいう(のぞきやトム)。
税を下げるということはそれぐらい事件だったのかも・・・。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/5月下旬
アンティークはまぎれもなく<リプレゼンテイション>アートだ。モノマネが流行る。特にウタマネ。カオマネ。コエマネ。メイクマネ。
ハイパーリアリズムやトロンプルイユに通じる。そして、どこかのシマグニもまた、マネの天才だ。有楽町国際フォーラムで大江戸骨董市にて。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
敢えて陶器茶碗を割る。そして少しずらしてくっつけ直す。また、漆碗を敢えて使い古したように塗りむらを創る。で、バスケットツイード。
敢えて袖口や裾は縫い合わせない。意図されたほころび。潜在意識から零れ落ちた美学が通底する。
崩すことが極みへと導く。風の時代が故のすり抜ける粋に写真女子たちも惚れる。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/5月下旬
二本指で指摘するポーズ。イメージは何か。熱心でない・努力をしないような人々を表す。サービス業で不安定な被雇用状態。コロナ禍で炙り出された。
しかし、1990年代contemporaryARTSに登場する。例えば有名になる前のマドンナをピックアップする。B級C級の半分劣等感にさいなまれる状態。
無名の悲哀が見え隠れする時期。固定されたイメージが舞うグラビア・グラマーに憧れているが到達できない。そのひとりにカレン・キリム二ク。
(スラッカーARTS)ジャンル。そして今、SNSメディアに多く登場する無名だが、NICEなスラッカーアーティストたち。神楽坂フランス????????ビストロにて。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/5月下旬
「教育や医療、インフラにもっとお金をかければ、米国経済は将来力強さを増すだろう」。
「偽装資本主義を導いたのは、不変の経済法則ではなく、私たち自らが創造した法律である」。
ジョセフ・スティーグリッツのいうように混迷した経済活動から足を洗うことができるだろうか。
新たな火種が発生するかのような緊張が、従来タイプの偽装に重点すれば、またチャンスを逃す。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
物語は風刺劇のFRAMEを超える。秘密保護法の規制。自衛隊の非戦闘地域での後方支援に関する「ひとつの噂」。
ふざけた社会派を自称するチャリT企画という劇団がある。悪ふざけと社会派の中庸。不特定多数の特に反応することなく
流されて生きる大衆へのメッセージ色を逞しくしたプロパガンダ。アイロニカルな反抗心が不吉だ。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
スポーツ=ピンナップ=政治=経済=ゴシップ。全て並列対等である。大衆紙の記号。大昔からスタイルは不変。
つまり(タンジュン)なのである。そこにフクザツが楔を打ち込む。そのフクザツとは何か。もちろん(リレーショナルARTS)であり、
(スラッカーARTS)である。大衆=男=女という記号を量産してきた。今だに継続している。そして=子供が加わる。夢が会社員ということで。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松

2021/5月下旬
「ひとは何をしたか。ではなく何のためにしたか。」が大切だ。山本周五郎の短編黒澤明脚本「雨あがる」に出てくる台詞である。
アートが洪水のように氾濫している世界ではあるが、アブストラクトアートが、それも何のために描いているのかすらもおぼろげな仕事があまりにも多い。
はっきりと「世直しのため」と言い切るアートがあるだろうか。批評や公正を盾に逞しい反抗心を表現するアートこそ今の熟成したシステム世界では必須だ。
THE PANAMA PAPER問題はまだ氷山の一角だ。ARTFORUM2015より。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
アメリカの結婚事情。たとえ愛した人であってもいずれ離婚する場合を想定して事細かな契約書を交わす。何故か。その前提となるかのようなドラマ。
(インポスターズ)。魅力的主人公の女性が男と女の事情に隙いる。副題・美しき詐欺師。時代は女性の活躍が目指しい。
が、それをエサにして男性たちがクイモノにされる。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/5月下旬
見えないものが見える。鳥の大きな力だ。紫外線という魔力を持っているから。風の時代にはこの魔力ならではの惹きつける力が大きな格差を生産する。
その力・ちから・チカラ・POWERのコンセプトは何か。(生命力・創造力・想像力)の差だ。少しでも鳥に近づける努力なんてあるだろうか。
(ハタヨガパフォーマンスARTS施術)という表現手法は、ひとつのアプローチに過ぎない。が、大きい。
⭐⭐⭐ヴァン・モリソンの心地よい風のように流れる歌を聴きながら・・・。

2021/5月下旬
フランチャイズ化、物流がシステム化、商品そのものが均質化。ネット通販が更に加速。更には街の風景すらも均質化されつつある。
そこそこの街に住んでいればライフスタイルそのものが近似してくる。デザインの均質化。たとえば、パリの郊外にあるような介護施設や
共同アトリエはまるで城のような館。森に囲まれて手入れの行き届いた庭の芝生。行政のセンス。
可能な限り<ビジュアルコンサルタント>として奥行のあるセンスを発揮して頂きたい・・・。ディズニーシーのファサードにて。
★★★★★テーマはダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
働き方改革があれば休み方改革がある。その最も大きな改革に(地球の休み方改革)がある。今日はその大事な一歩。(2021EARTH DAY)。
つまり脱というキーワードが輝ける日にしたい。ひとりひとりが何かひとつその実行をしたいね。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松

2021/5月下旬
かってタイムラインでプレゼンした幻庵因碩、江戸時代の囲碁棋士。豪放磊落なキャラで盤外にも大暴れした。しかし、時代は真逆の方向へ舵を切る。
<小さいことはいいことだ>。たとえジョークでも大口は厳禁。誰しもこじんまりとした人生・をよしとする。<# me too>ムーブメントがワールドワイドに。
当然アート作品も経済が右肩上がりのビッグサイズはイミナイジャン~。つまり価値無し&ヘタということになる。
「Name the title itself is contemporary art」シリーズ&ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
ITが芸術作品を分析解析する時代になりつつある。たとえば、作家がどんな色彩を重ねて微妙な表情を漂わす色艶になったのか。
あるいは下書きの線が全くない描き方が解析される。X線から多様な解析が判断される。もはや曖昧な解説者はいらない。スティーブンブリーナは、
過去の有名な作品、たとえばエドアールマネの優美な屍体をデジタル数値価して、アブストラクトアートであるかのように「リプレゼンテイション」する。
しかしパロディではない。そこには1ミリたりとも「からかいや風刺」はない。もちろん「アプロプリエーション」手法でもある。
従ってリキテンシュタインやウォーホルたちとアナロジーしてはいる。ただ素材が違うだけである。
過去芸術への大いなる揺さぶり反骨心がクールだ。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
パッヘルベルのカノン・が静かに流れる。玄関前からタクシーが離れる。二階の窓から次男が垣間見る。芝生に父親がうなだれている。
「ママはどうしたの」「出て行ったよ」。映画<普通の人々>のラスト。シカゴ郊外のミドル。かってはWASPのエージ。象徴的崩壊のラストシーン。
母親のメアリータイラームーアのファッション。白い丸襟ブラウスにカメオ。アーガイル柄のセーター。タータンチェックスカート。
アッパークラスへの憧憬。隣人のバースディパーティで株式の会話。「今は下がっているから売るな」。レーガノミクスが効果薄い。
ジャパンはその時代<ジャパンアズナンバーワン>。ドル高円安。その後バブルへ。それにしても普通の人々の住宅といっても
シマグニとはケタ違い。さりげないこの映画を精査するエクセレントな審美眼。
★★★★★ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
1960年以降マスメディアは急増発展した。氾濫するイメージやオブジェ。ほとんどのアーティストたちが、その素材から色彩、スケール、
形態等々美術領域の中で、格闘して思想化してきた。しかし、ロバートラウシェンバーグは、メディアから発信されるジャーナリズム素材、
政治や社会的素材をアグレッシブにリプレゼンテイション&アプロプリエーションした。新聞の切り抜き、写真、絵葉書、プリント生地切れ端、
ロープ等々・・・。メディア情報化素材とリアル素材のコラージュ手法。大量複製、大量生産、大量消費という豊かさへの右肩上がりの
「隷属と反抗」をアートに翻訳した。複雑怪奇なシステム社会へのアイロニカルなプレゼンであった。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
(新しいご馳走の発見は人類の幸福にとって天体発見以上である)。ブリア・サラバン。(美味礼賛)のコンセプト。厨房芸術を哲学のレベルに高めた。
(武士は食わねど高楊枝)の日本とは真逆の思想。しかし今、行き過ぎた飽食はあらゆるメディアでブレーキが。脱炭素社会は風の時代と大きく関係する。
このふたつのコンセプトを足して二で割る。衣食住の各アイテムを総点検する時間としたい。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/5月下旬
欧米をキャッチアップするのに必至であった、懸命に走り続けた70年間。もちろん明治から、だともっと息は長い。
そして、いろいろ制度疲労が目立ち始めた。それに連動したわけでもなかろうが地中でも騒がしくなり始めた。大きい組織がドンカン過ぎる。
シマグニのエリートたちが互いに足を引っ張り合っているせいだろうか。つなぎ合わせてサスティナビリティしたい意識はつぎはぎが見苦しい。
しかし、何も供給サイドのみがユルユルだけではない。需要サイドも「ま、いいかッ」的おチャラケが蔓延している。
海外サイドから「リプレゼンテイション」されると気がつく、ようではまさにシマグニでしかない。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
広告のイラストレーションでスーパーリアリズム手法が流行った。写真と細密画の境界を取り払う、かのようでいて超現実的なイメージを表現する。
それはまるで別世界の夢物語として翻訳されたアートだ。ローゼンクィストの前職は看板アーテイストだった。銭湯に描かれた富士山もまた夢物語の背景でもある。
夢のライフスタイルや観光への誘いにリプレゼンテイションされたハイパーアートが似合った。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
茶陶器に柄が〇や△がある。数百年前のことである。斬新過ぎてふざけていると。その名は古田織部。リスペクトすべき芸術家である。
今、茶人、茶室、茶器等々が敬遠されつつある。狭い密室で茶器は口移し。ふざけた禍がふざけたARTS表現を生産することがある・・・。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/5月下旬
自由を模索してウエストコーストに走った。ベトナムウォーに失敗して冷戦構造が始まった時代に「答えは舞う風の中にある」と・・・。
ヒッピーカルチャーがアメリカもまた一筋縄でないことを世界にアピールした。しかし、ロバートベクトルは、カリフォルニアのクールな風景、
たとえば真昼の照り付ける太陽が眩しい住宅街の不気味な静けさを細密画でリプレゼンテイションする。
そこには過去のザワメキすら表現されないかのように・・・。奏松画廊matsukyu

2021/5月下旬
(無い袖は振れない)。明治以来膨大な借金が積みあがっている。長い時間(飯を食う)ために生きてきた。理想のARTS&design国柄なんてまるでお呼びでなかった。
しかし、シマグニの未来像はどうあるべきか。まず独立した国柄になるべきだ。という意見は多い。以前2049というペーパーをプレゼンした。
チャイナが大きなイメージを獲得する。(だからヒュッゲ)というコンセプトが浮上する。人口の半分近くがAI&IoTで代替えする。
そしてコンパクトなライフスタイルが、たとえばトランクひとつとか。センスアップされた集合住宅とか。家賃は大幅減免政策。
ひとことでいうと衣食住を大きくセンスアップする。つまり魅力的な国柄に。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
潜在意識の開発開拓が97%もできてないことは常々プレゼンしてきた。隠れた意識の中には潜在能力がたっぷり隠されている。そのイチバンわかりやすい能力とは。
例えばアートコンペ。誰がどこが主催するのか。この上から目線ピープルたちもまた潜在下にある。つまり開発開拓されないピープルが選ぶことに。
(応募する)ピープルもほぼ潜在下に。これからは新しいARTSとは何なのか。つまり今までのアート以外の表現だ。例えば(人物画専門画廊シリーズ)があるが、
まさしく潜在下から開発開拓したARTSシリーズだ。その参加型ARTSにクラリクラブがある。これは自ら発見発明するしかない。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
映画・演劇の観客、書物の読者、音楽の聴衆、美術の鑑賞者。彼らを世界はカタってこなかった。怠ってきた。だから送り手はもはやシニアだ。
しかし、受け手は若々しい。これからの関係性に大きく関わる。例えば(リレーショナルARTS表現)というジャンルがある。鑑賞者が重要な仕事をする。
人物画専門画廊シリーズでは、入会者が相互に表現する。互いにプロデューサーとして。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/4月下旬
かってハイパーリアリズムという手法が流行った。それはあたかも写真のような世界を素通りしてシュールな幻想すら漂わせていた。
大昔には新古典主義という時代に活躍したアングルがいる。女性ヌード群像作品の「トルコ風呂」もまた崇拝者がいた。フェリックス・ラビッス。
あまり聞きなれないひともいるだろう。1929年には、シュールリアリズム映画「ヴィナスの死」という映画も撮っている画家だ。
武智鉄二監督の「白日夢」という作品に影響を与えたに違いない。とにかく怪異的ビジュアルが大流行りだった。既にこの頃から
「リプレゼンテイション」や「アプロプリエーション」手法が芽生えていたわけだ。「みづゑ」1971/4月号より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
ガソリンは掘る、ものでなく創るものに。人工合成した微生物がとてつもない大きな価値を提案する時代に。抗マラリア薬や鳥インフルワクチンなど医療ビジネス。
更に衣類、プラスティックの原料も。そして、遺伝子の人工合成。新しい価値を創造することは芸術のお家芸だったが、欧米最先端テクノがその代替芸術かのようだ。
★★★★★テーマはダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊

2021/4月下旬
オリジナル性・を否定しアートに翻訳するシワザ。多くのコンテンポラリーアーテイストたちが目指したテーマだ。そのひとりピカソ。
「秀才は模倣するが天才は盗む」。オリジナル性にアイロニカルな反骨心を表現した。この映画は携帯ビジネスの激しい競争が描かれているが、
骨格の哲学思想はアートのテーマから<リプレゼンテイション&アプロプリエイション>されている。★TSUTAYA「パワーゲーム」より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
ともし火の明石の瀬戸をよそに見る須磨浦こそうらめずらなれ
江戸の奇書(あなおかし)。この須磨浦という言葉は、明治世相編年辞典には、学習院女子部生徒が使う隠語とある。スマとマス。
春の宵にとかくムズムズしがちではあるが粋なしぐさに酔いしれることもまた(股)、楽しからずやであろう。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&BONSAIシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
(私はいまだかってなかったものを夢見て、そして問う、なぜなかったのか)。ロバートFケネディ。70年代の初頭にはARTS表現は貧困だった。
つまり視野狭窄だった。生き残るためのARTS表現とARTS表現による生き残り。生の奥深く横たわる根源的な母体としてのARTS表現の本質に逆らうことになる。
ビクターパパネックというデザイナーであり大学教授が問いかけた。しかし、世界は消費経済は当時それいけドンドン。この思想はほとんどスルーされた。風の時代。今改めて問う。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/4月下旬
都内は寒さが戻った、今日だが、暖かった数日前に吉祥寺御殿山自邸からアトリエに向かう途中、久しぶり大手広告代理店時代によくいった渋谷の台湾料理屋。
かってはわりと寂しい通りだったが、すっかり賑やかな・・・。しじみと腸詰、焼きそば、そして紹興酒。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
かってサイケデリックアートが流行った。ピーターマックス。舞う風に答えはある・とウェストコーストに向かった。クスリとコラボして創作。
世界では許容法制化しているとこもある。シマグニでは一般大衆はユルい。影響されやすい。パフォーマンスアートの二本指はアイロニカルなポーズ。
経営でもかってお縄頂戴しなければ大物になれない・といわれた時節があった。ユルさは当分持続するかと・・・。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
士業や師業が消えてなくなる。今までリスペクトされてた職種だ。もはや想像力を大きく超える。潜在意識がたかだか3%しか開発開拓されていないことは
既に何度もプレゼンした。新しい仕事を探すことが大きな仕事になる。ARTSレッスンはそこを手助けする。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
アジアで大いに拡散している。即席ヌードルの販売。今オンエアされている柳沢慎吾のCMが過去の石立鉄男のパロディだ。つまり「リプレゼンテイション」。
そして「アプロプリエーション」だ。奏松画廊matsukyuのタイムラインプレゼンを借用している。昨年の六月だったろうか。渋谷の某電鉄系SCキャンペーン
「ETHICAL」キャンペーンでも借用してた。そして、何が真実で何がオリジナルかはもはや問題にしない。いずれアジアでも大方そのコンセプチャルアートが
反射鏡のように浸透していくだろう。JETROアジア経済研究所パティオにある水を張った円形のコンテンポラリーアート。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
マティス、ピカソ、ドガ、ロダンらの作品や古代ローマの足の彫像、360万年前の人類祖先の足跡・・・。美術館から借りた資料。
更には靴や特許の設計図。「歩く・ことの概念を突き詰め」たプレゼン。フェラガモ博物館。以前紹介したルイーズローラーの(作品以外のもの)をプレゼンする。
たとえば陳列ケースやパンフレットなど。その手法は、鑑賞者が作品をともに創造する概念でもある。あらゆるジャンルで拡張した。阿佐ヶ谷のブルースライブバーにて。奏松画廊

2021/4月下旬
岩手県遠野市。実験シティとして注目されている。あらゆるジャンルのアートデザインがあるが、使いこなしてない。ライフスタイルのためのツールなのに・・・。
成長が鈍化した今、センスアップした若者たちが模索し始めている。ローカルで。「Next Commons Lab」。地域創生のキーになるか。地域にスタートする新宿バスタにて。
★★★★★ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
アーティストやデザイナーの役割が大きく変わろうとしている。AIの活躍で(新しいコンセプト思想を提案すること)や
(使い勝手の良い機能的社会を提案する)ことにシフト。従来の顧客依存症的役割から脱皮する。ピケティの分析でフランスもまた格差が矢面に。
クリエーターの役割もまた大きな曲がり角に。(自由・平等・博愛)の再登場が期待される。つまりさらなるワンランクアップソサエティへ。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
アメリカのアーティスト・ジェニーフォルツァーは80年代の後半に(都市の内部で何か伝えたいことがあれば都市メディアを使わなればならない)とmessageしている。
そして今多様なメディアが世界を覆った。発信力が逞しいパワーを更に推進している。(百聞は一見に如かず)という諺があるが、もはやvisualとwordと露出量と
mediaと(アイロニカルな反骨心)があれば社会改革を一歩進めることが可能だ。⭐⭐⭐⭐⭐奏松画廊

2021/4月下旬
日常からトランスしたい。誰しもの願望。催眠術にかけられたような浮遊感。ヒプノティップワゾン。まるで禁断の果実。
危険と知りながらも手を出さずにはいられない。施された瞬間からラストまでその陶酔状態は持続する。ハタヨガパフォーマンスARTS施術とアナロジーする。
媚薬的香りが潜在意識を覚醒する。風の時代ならではのオードトワレ。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/4月下旬
(程よい距離感)というメッセージフレーズが急速に浮上してきた。多様な場面で活躍できる。それは個を尊び尚且つ孤立しない。流暢な関係。その距離感は
パワハラもセクハラもシャットアウトされる。更にはレッカマンたちがよく使う(おとうさん・おかあさん・おんなのこ)も拒む。そこには(余裕ある愛)すら漂う・・・。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
「小網代の森」。三浦市。河川流域全体の生態系が保たれている。森や川を遮る道路やダムがない。化学物質を出す工場もない。
北半球の同緯度では唯一の生態学的絶景と欧米研究者が絶賛。2100年には人口が四割になる。人口減少は悪なのか。
改めて豊かさを見つめたい。KAWASAKI ANTIQUE ラ チッタデッラにて。奏松画廊

2021/4月下旬
<地域デッサン> 。その2。京都府福知山。ファーストファッションとは真逆。服・とは何ぞや。そんなセンスの良い哲学思想が彼らにはこころから離れない。
「そのひとならではの一着」を創造する。「iai」というメッセージをinakaから発信。ブランディングというようなチャラい呼び方をしない。
LGBT的ファッション。かってユニセックスファッションを更に進展。 <自然から頂く> アート。注目したい。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
下北沢に向かう井の頭線の渋谷ホームで、ある駅張りポスターが目に入った。
ウイリアムデクーニングが本邦初公開プレゼンとゆうミューゼアムニュースだ。
かって伝説のアートデザインスクールが、ノースカロライナにあった。その名は、ブラックマウンティンカレッジだ。
拙者が尊敬しているジョセフアルバース、ジョンケージ、パウルクレー等々大きな影響力を発揮した。彼は抽象表現主義、非具象表現主義だ。
ヨロケジマでは、まだ始まったばかりだ。つまりようやくこの手の思想哲学が、だ。大きなメタモルな転換期でもあった。構造改革が必須にもかかわらず
進展しないもどかしさが、一点突破すべきチカラ技が必要である。そのパワーこそコンテンポラリーアートなのである。
とにかくモノが家庭のなかで溢れ返っている。消費経済社会システムを煽る旧来型のシステムで四苦八苦している。たとえば女性管理職増加案件だが、
ラジコの某局でコメンテイター、熟女であるが、女性たちを、経済奴隷、にしかねない・・・。なかなかスルドイ指摘ではある。
しかし、コトは始まったばかりである。紆余曲折を繰り返して、つまりデクーニングのようなアートを経過して始めて構造改革が発明発見できる。
まだまだ時間がかかる。とにかくノロイのよ。以上ッ。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
めったに新着ニュースに副反応はしない。しかし、脱炭素社会についてシマグ二人たちのアンケート調査が出た。30歳以下で約半数が無知無関心。
奏松画廊ARTS表現は多様なレベルから作品化してきた。何故認知度が低いのか。ひとつには社会へ関係性志向が極めて弱い。好奇心が極めて弱い。
(感じる&考える)ことを教わってない。いい会社員になることを目標とする。つまり鋳型にはまる従順さが(視野狭窄&意識狭窄)ピープルを量産している。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/4月下旬
自由と正義のアメリカが「階層区別社会」に陥っている。固定化されたボックスに縛り付けられている。「全てカネでカタをつける」。
反抗心旺盛なアーティストたちはあらゆる手法をここ数十年間試みてきた。しかし、「がんじがらめのシステム」は「ブラック&ホワイト」問題が
溶融しているにもかかわらず低層のピープルたちに反抗心すら消失させつつある。80年代にシニカルなコピー手法で反抗してきたシェリーレビンは
すつかり暗い抽象画を描かざるを得ないほど閉じ込められている。ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
「見えない物モノmonoことを見えるようにする」。パウルクレーの台詞だが、想像力が卓越したひとは、
この時節のみならず常に見えている。その先が。その前が。向かう眼差しが遥か彼方へ。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
(感じる&考える)は、たびたび発信するmessageだ。感じることは多様化してきた。しかし、考えることが苦手だ。その中には、疑問が派生する。
例えば、何故今三島由紀夫と全共闘なのか。カラオケナンバーで(何のために)をよく歌う。そこをアピールしたいのか。あるいは東大の価値が退く時代とは・・・。
あるいは日本主義を改めて憲法改正と絡めるとか。あるいは(言葉コトバことば)の美学を大切にすることを認識する。過去を摘めることの意味を考えたい。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
(怖いのはみんなと同じホラー。でもほんとに怖いのは意識)。六歳の児童が素直に感じる考えるドキュメント映画。フィンランド。宗教的に窮屈ないじめを
感じている中東移民の子供たち。テロリストと同じ人たちと誤解をうけているからだ。教育コンテンツのみ。日本賞。世界中の子供が何を感じているのか・考えているのか。
子供が故に率直に表現される。小さいころからすでに社会的関係性を意識せざるを得ない環境。高い意識センス。つまり潜在意識の覚醒を囲い込んでいる。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/4月下旬
歯磨き、電気プラグ、洗濯バサミ、フライドポテトなどごく普通の日常品が素材だ。消費経済をアートに翻訳した。プレゼンはボックスギャラリーからモニュメントまで。
日常品は、大きくするとシュールなセンスに変貌する。それはあたかも洪水のように溢れるスーパーの商品やコマーシャルをシニカルにちゃかす。
手法は「リプレゼンテイション&アプロプリエイション」。誇張したり、借用したり。クレスオルデンバーグの作品は一見ユーモラスだが、反抗心は逞しい。
BEYONDO THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
引っ越しシーズン。インテリアに悩む人も多いだろう。シンプルイズベスト。何もない白い部屋に大きなテーブルが一枚。洋服はパリジャンのように10着のみ。
壁には<コンパクト&インパクト>なアート。経済学者スティグリッツのいうように「現代の資本主義は偽装資本主義である」。さてどれだけ洗練された空間(風景)に近づけるか。
★★★★★SHADOWシリーズ。海浜幕張メッセでインテリアフェア・福岡大川の関家具工房木馬ブースにて。奏松画廊

2021/4月下旬
ジェニーホルツァー、ミーケヘリチェン、そしてポーラシェア。三人とも女性。ワードビジュアルを素材にしている。シマグニではかって女性誌の半5段広告で
タイトルをびっちりつめこんだレイアウトがあった。そのワードアートをだれひとり話題にしなかった。相も変わらず黒船だよりである。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ &銀座G G Gにて。奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
歳時記がある。春夏秋冬その時々の風景、自然、事象、その土地の伝統等々。暮らしのいとなみから(生きることの喜怒哀楽)がARTS表現であることを再生する。
大衆賛歌。それは高等芸術に異議申し立て行為。以前プレゼンしたタイのARTS表現家・ティラバーニャ。ギャラリーで食事をふるまうプレゼン。
あるいは自転車の後ろにビデオカメラを据え付け風景記録する。道であった人にリュックからガスコンロと食材を取り出し料理をふるまう。
(芸術は退屈な習慣を断ち切り人を精神の高みへ連れていく)と洗脳されてきた。彼の作法は(過去の固定観念と逆行する)。しかし、今だに過去ラインから導線する
高等芸術で21世紀&新美術ズラする。ここ一連のオリパラ事件暴露は、ラインを引きずったままの人々を逆洗脳するしわざとしてスタートアップしたはかりだ。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊(HP・雑談俱楽部・クラリクラブや人物画専門画廊シリーズや
FBタイムラインシリーズやInstagramシリーズやTwitterシリーズやAmazonシリーズ等々は勿論このジャンルを包囲する)

2021/4月下旬
あらゆる仕事が奪われる。近い将来、AIテクノが「リプレゼンテイション」する。バルデッサーリが再構成したアートから遠のかざるを得なくなった。
比較する必要がなくなったからだ。明らかに後退である。天井をぼんやりと仰ぐことしか残されてない・・・。「ズレ」こんだセンスとの虚しさに混迷している。
もちろん最初から石頭でズレたひとたちは大勢いた。そのひとたちですら虚しさに襲われるだろう。ARTFORUM2016より奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
一時ほどの経済的勢いはないが、現代アートミュージアムが急増している。北京。香港。キュレーターは学生たちに人気の職業。
欧米のアートプロデューサーやキュレーターたちも大いに注目する。AIやSNSがオープンになり、堰を切ったようにワールドワイドな展開になりつつある。
1960~90年代のアメリカムーブメントBEYOND THE FRAME AMERICAN ARTに追随するかのようだ。隣のシマグニあたりの視野狭窄が何とも情けない。
先般もNYCから来日した批評家ボリス・グロイスに「見過ごされ排除された存在を見せていくことが重要だ」と指摘されるようではおぼつかない。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ

2021/4月下旬
よく使うフレーズに(イチロー選手ですら三割)と。つまり70%は失敗している。世間一般の人たちはせいぜい1~2割りがいいとこ。大方は失敗の連続である。
いろんなハウツウ本があり、指南書がある。読んで成功した気になるだけ。(道を究める)とは至難の業。
多くの芸術家はその途中で途切れる。ARTS表現を究めることはそれほど至難の業だ。
★★★★★春うららかな上野で中国観光客と。SHADOWシリーズ奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
SpotifyのCMがセンスがグーだね。で、(りばいばる・アザミ嬢のララバイ・夏をあきらめて)。研ナオコがいい。他にもいい歌がカバーがいいのがいっぱいある。
忘れられない歌を 突然聞く
誰も知る人のない 遠い町の角で
やっと恨み嘘も うすれた頃
忘れられない歌が も一度はやる
愛してる愛してる 今は誰のため
愛してる愛してる 君よ歌う
やっと忘れた歌が も一度はやる
やっと忘れた歌が も一度はやる

2021/4月下旬
イメージの素材が氾濫している。そして、二次三次情報と歪曲させられて伝わるリスクも孕んでいる。借用したり、引用したり、盗用したり、と。
更にメディアもSNS、FB、Twitter等々・・・、情報が整理整頓されぬまま増殖しつつある。といって老舗のペーパーメディアは石頭のイメージから脱却する気は毛頭ない様子だ。
そんなジャーナリズムの記事やフォトそのものを素材にしてきた奏松画廊メインアート作品。石頭を柔軟にする眼は、批評的反抗心を持続する発信力が逞しいからだ。
ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
(社会の理不尽)を追及するmessageをアートに翻訳する。これからのアーテイストが目指す方向だとタイムラインで述べた。小規模農家の窮状を(作品をメディア)としてアピールする。
農民から寄せられた空の種袋をプレゼン。キャプションに農場名、作物の種類、畑の反数等を記載。ケイトエリクソンとメルジーグラー。アイロニカルな反骨をベースに組織変革へ挑戦。
消費経済への警鐘をアートに翻訳したウォーホルのDNAアーテイスト。
★★★★★吉祥寺のとあるバルで&エリクソン・ジーグラーの作品。奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
アートマーケットが近頃話題ではある。クラウドファンディングやごく少数のcontemporary系コレクターとか。しかし、GDP中心主義とは違う。
たとえアートの段階ですらも違う。アートからARTSに向かうことすらおぼつかないレベル&ラベルだ。いくら数兆円をこえても(何のために)が明確でなければならない。
かって某製紙会社会長の斉藤了英は「俺が死ぬとき作品を棺桶に入れろ」といった。最低でも(壁の花)あたりにしてもらいたいが・・・。もっとつっこんでいうと(風景改革)が必須だ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
古き良きアメリカを求めるひとたちは多い。1950年代の。しかし、その後の消費経済やサブカルチャーが世界に与えた影響を誇らしげにアピールするアーテイストがいる。
そのひとりであるリチャードプリンス。雑誌や広告そのものを素材にした。エロティックでアイロニーなイメージを「リプレゼンテイション」した。ARTFORUM2015より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
大昔「当たり前田のクラッカー」というセリフがテレビで流行った。男らしさ&女らしさ・が当然の社会システムだった。「親分みたい」とからかわれる。男の子はいわれない。
イギリス人俳優エマ・ワトソン。「セックスチェンジ・デー」富士吉田市の高校生制服交換。 <世間の当たり前を見直す> 光と影にくさびを打ち込む。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。

2021/4月下旬
英育、芸育、体育、健育、道育、活育、勝育、耐育、AI育、いろいろ教育は多様性が必須。しかし、脱落していた育がある。「服育」だ。ユニフォームは格好の育になる。
社会に出てユニフォームを重用する会社は多い。スポーツユニフォームもしかり。小学生から「服育」を、それもセンスアップしたデザインを。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ &「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
TOKYOでの新生活。欲望が渦のように取り巻く。(見せびらかしてイライラさせる)。ショーウインドーのシワザ。ギリシャ神話では悪戯好きのタンタロス。
しかし、過ぎて地獄に落ちる。更に刑罰が。欲しいものに手を伸ばすと離れる。これをタンタロス状態という。欲望にはキリがない。殺してまで手に入れてはいけない。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
contemporary系ARTSはもはや多様な思想があり、手法があり、表現がある。ここには(いいね・わるいね)はない。それぞれの道があるだけだ。
これをおしなべてフラットに評価することはあり得ない。上から目線以外の何物でもない。民主と自由を開発した人々のおごりたかぶりだ。曖昧な美意識は必要ない。
必要な意識改革のみARTSをけん引できる。パンデミック事件が何故ユーロで炸裂しているのか。落ち着いて思考する時期にきている。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
舞う風が爽やかに(風の時代)を運んでくる。過去の価値感を運ばない。つまり物ものモノmonoを持たない。例えば、土地とか家とか。身軽に移動できる価値観と歩む。
今、桜が満開、あるいは北に移動する満開。だからアートもまた基準が変わる。これもまた形ある物だ。そこから離れて誰が生産したかではなく、
その誰の価値観・つまり作品以外の価値を見る。例えば(ARTS思想・表現)。そこが大きな決め手になる。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/4月下旬
まさにダイバーシティが拡散しつつある。素晴らしいことだ。たとえばゴシップ記事での話題。女性たちがアグレッシブである。障害者のアートをアールブリュットというが話題をさらっている。
大阪に障害者専用の「風俗」が繁盛している、とゴシップされていた、以前スポーツ紙で。UWAKIが「オウベイカ」並みにお盛んになってきた。このゴシップがエポックになることは間違いない。
世間の意表を突くコンテンポラリーアートだろう。ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
プロオープン戦。高校野球。なかには期待されてなかなか目が出なくて去る者もいる。ネクタイしたビジネスマンへの転向。
白黒がハッキリしない、野球のようにはいかない。後ろ髪をひかれながら去る。多様な思いが桜とともに散る。未来は舞う風に聞くしかない・・・。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ &SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
久しぶりに(表現の自由)が話題になった。ことは生き方・ライフスタイルの自由になっているからだ。それを言い方まで制限しようとする。例えば(外来語)。つまり横文字。
もはや日本語だって横レイアウト・デザインは多い。政治的に利用しようとする。票田を奪い合う・足を引っ張る。(おとうさん・おかあさん・おんなのこ)には何ら反応しなかったのに・・・。
これこそ票田を多くかかえている。つまり都会でも相当いるが、タテのものはタテというシマグニがんこたち。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
古事記。ヤマトタケルが女装して敵を打つ場面があるらしい。歌舞伎の女形。江戸の大スターだった。女装イベント。コスプレセンス。新宿二丁目の女装クラブ。外国人観光客で賑わう。
伝統的女装男装文化が寛容。トランスジェンダーはDNAとして息づく。初台のオペラシティアートギャラリーにて。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。アマゾン(奏松松久)でワードアートプレゼン。

2021/4月下旬
アートジャンルは、美の技術と定義されてきた。しかし拡張し過ぎてもはや美術は一部でしかない。俯瞰的に考察すれば(国際的社会学)かと。
従って筆とか鉛筆とかパレットなどの道具は不必要である。社会の多様な多彩な問題課題を解決するための道具は(感じる&考える)ことだ。このアートデザインジャンルで
新たな一歩を踏み出そうとしているワケーノたちにプレゼンしたいことは(視野狭窄&意識狭窄になるなかれ)ということだ。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
一見ミニマルアートのようでもある。つまり偽装ミニマルアートだ。アランマッカラムは、絵画の唯一オリジナル性に反抗してきた。政治経済の戦略的アートとして祭り上げられた天上への
最上級な「お供え物」としての価値を侮蔑する絵画偽装を企み続けている。「連続&反復」が豊かさ&右肩上がりを象徴する指標かのような印象ではあるが、彼のアート思想は過去の絵画への挑戦であり、
それを政治経済の道具として操作されていることへの懐疑である。BEYONDO THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
(社会の理不尽・不合理)に断固として反骨する。人種差別・風景改革・セクハラ・パワハラ・イヤガラセ等々に反旗を。
何かをスタートすることにふさわしい時節。まずできることをひとつ。発信力が金儲けより価値があるとプレゼンした、以前に。
★★★★★「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/4月下旬
マイナンバーカードのフォトは、このFacebookフォトと同じように銀髪だ。よく行くいつもの蕎麦屋でもたとえ帽子スタイルであっても銀髪をまとめて中にいれてると接客スタッフはいう。
以前顔認証システムIDをプレゼンした。メイクしてても可能だと。(個の表現)はvisual・ワードARTSを含むことが最優先ということだ。だからFacebookは最先端ARTS表現ということになる。
Instagram、Amazon、Twitterもまた加味すれば最強のIDになる。しかし、世間に知れ渡れば渡るほど行動が制限されるかと。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
(ファッションそのものがモードを創るのではなくそれについて書かれたコトバがモードを創る)。とロラン・バルトは言った。しかし、アートの世界では(批評的言語)という厄介な言葉使いが大手を振っていた。
創り手と批評手と研究手の視野狭窄なフレームにボクシングするような自由をささやかに謳歌していた。その結果観賞者は大きく断捨離する結果になった。
ところが風の時代になってあきんどプロデューサーが跋扈するシマグニになりつつある。ところが風の時代・コンセプトは(生命力・創造力・想像力)が追い風を受ける。
覚えた・丸暗記した資料を咀嚼することなくモードをカタられてもバルトにはならない。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/4月下旬
カメラ女子が増殖し続けている。ほとんどみなカメラを常に持参している。シャッターチャンスが日常化している。大昔写真が発明された時はモノクロだった。FBにも色彩コーディネーターがけっこういる。
色彩を整理整頓すれば写実から遠のく。つまり抽象芸術になる。カメラ芸術そのものが抽象芸術からスタートしている。ということは知らず知らずのうちに抽象芸術を解っている。
ではなぜ「解らない」と避けるのか。それは「感じる&考える」ことを学習していないからだ。たとえば「モノクロフォトを見て感じたことを述べよ」という問題がある。
これを5時間もかけて答えるような受験を通過してサクラサクになってない。ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
(教えないレッスン)。(学ばないレッスン)。ARTSレッスンの大きな特徴だ。じゃ、何をする時間だろうか。(感じる&考える)時間だ。何事も自分で探る。嗅ぐ。そして暴く。冒険する。後退する。藻掻く。
多様な試練から光がさすこともある。大方はSHADOWのままで浮上しない。新学期がスタートする。学校の成績はそこそこでいい。友達を作りに行く。スポーツをしに行く。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
北欧のライフスタイルが注目されつつある。以前からプレゼンしてきた。既存メディアもまた露出が増えている。多様な数字がシマグニとは大きく違うを取り上げる。
しかし、風景・visualは解説がない。しようとはしない。(見て感じる)だろうと。はたしてそうだろうか。感じたことや考えたことをプレゼンできない。しようとしない。それは何故か。
visualをワードARTSでカタるワザを手法を知らないからだ。ARTSレッスンはそことリンクしている。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/4月下旬
キャンバスそのものがイーゼル絵画の象徴である。その画面に量産可能なシルクスクリーンを作法とする。反固定観念打破ARTS表現だ。
更に犯罪手配ポスター13人をシルクで刷る。なんともアイロニカルな優れた表現だろうか。そのARTS表現家はアンディウォーホル。
彼はアドルノによるまでもなく詩なんかをまるでなまぬるいと叫ぶ。鑑賞者に理解しやすい・届けやすいことを消費現場に登場する物を借りてアピールした。
⭐⭐⭐⭐⭐カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/4月下旬
アートジャンルほど多様で多彩な展開、拡散、挑戦、反抗等々をしている表現はない。たとえば「ズレ」こむ、といういい方がある。時代の中でのズレ。
過去とのズレ。コミュニケーションのズレ。現場とのズレ。地域のズレ。世代のズレ。性差のズレ。そして、「風景」のズレ。あらゆるズレを表現発信してきたアート。
いくらAIテクノが創造的に活躍代替しても必ずズレが発生するだろう。その時ヒューマンなアナログ的センスがそのズレを凌駕するかと・・・。
ARTFORUM2015より。奏松画廊matsukyu

2021/4月下旬
アイデンティやコーデというなじみのセンスがある。もはや浸透している。ファッションやインテリア、アーキテクト等々のジャンルのみならず経営やビジネス全般でも。
しかし、革新的な経営者・会社方針でもウォールアートが守旧的だったりする。たとえば抽象表現アートあたりで濁す。
テキトーにうやむやにする。改めて固定観念を打破する。そこから光が見える。
★★★★★Messageシリーズ。奏松画廊松久

2021/3月下旬
もはや名刺を配る必要がない。何故か。奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブのプロフィールは、(グーグルから全てチェックできる)ことだ。
HP、Facebook、Instagram、Twitter、Amazon。もちろんロマンスプロデューサー応募。吉祥寺御殿山の住所、電話番号も。イチバン最初にググることが出来るのか。すぐ出てくるのか。
驚く人がかなりいる。Googleの方針は(その組織or個人のARTS性・独創性・社会変革パワー・社会貢献・エシカルマインド・サスティナビリティ性)などをトータルに評価している。
だからたいしたこともないのにやたらPRしてるのは評価が低い。つまり(何のために)が明確かどうか。イチバンのポイントだ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&ダイバシティシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/3月下旬
富士山と満開の桜と銭湯のペンキ絵と三波春夫。この象徴的セットは(シマグニの制服)といっても過言ではない。
ロジェカイヨワは(制服もまた変装)だと。黒白リクルートスーツもまた変装にほかならない。その変装を逆手にとることもまたARTSだ。
アイロニカルな反骨の自由表現。新入社員後もその黒白スーツで通勤し(仕事は白黒つける)センスが欲しいかと。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/3月下旬
挑発・破壊・異端。アウトサイダーがフレームを拡張してきた。つまり伝統が退屈だったからだ。それは成長を止める。
今、風景改革の成長は鈍化している。風の時代はvisualshockを感じさせる風が再びなびくだろう。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/3月下旬
大方の経済的議論にはこれからの成長は微々たるラインしか描けない、と考えてるひとたちが多いのではないだろうか。ほんとにそうだろうか。
彼らの議論、分析には「風景」や「創造」や「整理整頓」や「断捨離」などの極めて重要なキーワードが抜けている。ま、いってみれば「芸術的文学的キーワード」である。
ところが霞が関は文学部とかが不必要論に傾きつつある。確かにマルセルデュシャンが過去のアートに別れをプレゼンして以来膨大なアート作品が堰を切ったように溢れている。
ところが対費用効果でゆうとそれほどでもない。もちろん戦略的アートととして政治経済ジャンルに利用されてはきた。
しかし、民主主義がそこそこ熟成してきて政治の役割あり方が問われている。改めて議論から欠落しているキーワードをカる時代ではなかろうか。
ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu

2021/3月下旬
先日コの字形で(解体屋)といわれたが、今日はその片鱗をひとつ。「硬直した日常を異化し、新たな想像力と深い精神性に満ちたもひとつの世界へ転化する装置」だと解説する、アートを。
ある現代美術館の女性学芸員の言い方だ。はなからコミュニケーションを拒絶する。お勉強したことをまんま上書きするような・・・。
これではいつまでたっても(タコつぼに入ったまま)で公金を無駄遣いするタコになる。現代ARTSのコレクターが微々たる数なのはこの手の解説が跋扈しているからだ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2021/3月下旬
(死後も消滅しない思考の象徴)。T・S・エリオット。(死よりも永遠なもの)。ジョージアオキーフ。肉体の種子として生命の源をイメージさせる骨。例えば頭蓋骨。
指輪に幸運を託す。北欧では創造された天空をイメージ。風の時代は、いち度頭の中をからっぽにしてイメージを再創造・想像することが潜在意識を掘り起こす。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/3月下旬
まるでジェットコースターのような気象環境が起きる気配だ。温度差があまりにも大きい。この調子でいくとまたいつ「大きなヨロケ」が起きても可笑しくない。
自然環境が食料事情にもすぐ影響する。農業は生産調整が効かない。これからのコンテンポラリーアートは、そんな社会的テーマを見据えたアートにすることが必須だ。
つまりヘルシーな政治経済文化に舵を切る羅針盤のような役割だ。もはや混迷している場合ではない。視野狭窄なアート&デザインが多すぎるきらいがある。
ARTFORUM2015APRILより。奏松画廊matsukyu

2021/3月下旬
パートタイマー。バイトワーカー。ノマドワーカー。フリーランサー。そしてギグワーカー・エコノミー。心地よい響きがある。ネットシステムが熟成しつつある。
完全なマシンワークに到着する途中。多くの不安定なワーカーたちが増加。低コストになってかえってアンチヘルシーだが。煽る経営コンサルやジャーナリズム。
ローカル定着を狙う。しかし、ヤングは都会の魅力に惹きつけられる。かえって(心も身もギクシャク)しかねない。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/3月下旬
白と赤は、男と女、乳と肉、性液と血、相互に補足しあい生命や活動を象徴する。黒は死や抹殺の色。社会人類学者・ビクターターナー。
白黒赤は人類の生理的経験に基づいている。日々の(いとなみ)がいかに大切かと。ハとタのタントラヨガは、風の時代にはより潜在意識の覚醒に大切だ。
このリレーショナルARTS表現を高める・深めることが創造力想像力生命力を推進することに他ならない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/3月下旬
何が原因か。いつまでも溝が深まったまま放置していていいわけがない。「話せば解る」。会ってハグするポーズが世界に大きく影響する。
ローマ法王とロシア正教総主教との歴史的距離が縮まった。その場がキューバのハバナ。サトウキビが盛んだ。アメリカのハーシーチョコが雪解け前から根付いている。
ヘミングウェイは誤解されたこともあるが、ようやくほんとの甘い美味しさが味わえるといいのだが・・・。JETROアジア経済研究所フォトジャーナリズムより。奏松画廊matsukyu

2021/3月下旬
かって複製芸術の時代というベンヤミンの思想が流行った。ほとんどのコンテンポラリーアートがベースにしている。素材は政治、経済からカルチャー・・・。日常品まで。
さらには過去のアート作品すら素材に。だから(美意識)はアーティストたちにとってはごくごく一部でしかない。もはや(おぞましいセンス)までアートに翻訳される。
欧米人も富士山芸者の延長線から脱却してない人たちがほとんどだ。つまり視野狭窄。もちろんシマグニピープルも。
アート教育や美術館が長い間啓もうしているがいっこうに効果が出てない。どうしたらいいのか。奏松画廊をチェックするしかない。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2021/3月下旬
(何もしない)ことが流行った6070年代。例えば(瞑想する)こともまたすることになる。リスキーな領域・妄想にチャレンジする。
その行為そのものが逞しい生命力を開発開拓してくれる。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/3月下旬
(私は作品を展示した展覧会に関心がない)。(現代美術といえども私にすれば伝統芸術である)。ヨゼフボイス。エコロジーの仕事に先端性を発揮する。
例えば植樹作業。緑の党・創立者のひとり。こうゆう行為そのものがARTS表現なんです、と。つまりリレーショナルARTSだ。80年代のセリフ。
今だとエコビジネスを推進する会社や担当者そのものが、リレーショナルARTS表現家である。(日本はもう東洋とは呼べません。むしろ超アメリカ主義です)。
そうゆう視点にほぼ潜在意識が作用・反作用されてない。相も変わらずボックスギャラリーで抽象表現主義作品を得々として展示するドンカンさ。
それは無意識のパワハラに近似する。✳️✳️✳️✳️✳️カフェ友・恋活・卒婚・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/3月下旬
ARTS作品の価値が多様化した今、はたしてコンペは必要なのか。シマグニのドメスティックなアート組織は多々あるが概ね応募者の集金に。
総理大臣賞とか文科大臣賞とかインセンティブしても永田町そのものが信頼失墜している現状。大きな改革以外にないが・・・。今だにアート組織改革の声が小さい。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/3月下旬
取締役会。その道に秀でた個人を集めたグループではなく、多様なメンバーが、最善の問題解決を導ける。学術研究調査から明らかになっているらしい。
ジェンダー、人種、イデオロギー、職歴学歴等々。多様性に富んだリーダーシップが大いに不足している。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊

2021/3月下旬
(感じる&考える)と(解説する)は、全く違う。多くの人は誤解している。解説は覚えたことをなぞる。しかし、感じる考えるは、まず視野が拡い。
生活から仕事から遊びから多様性が出る。価値観が出る。潜在意識が開発開拓される。例えばアート番組や美術評論がある。ほとんどが解説だ。
コムズカシイ言い方で悦に入っている。何故(ハタヨガパフォーマンスARTS)が欧米インテリに人気かはそのことに気づいたからだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/3月下旬
表現の自由があれば(生き方の自由)もあり、憧れるワケーノたちがいるにはいるが、多様性がない。6070年代にはリスキーな生き方が多々あった。
たとえば就職しない選択。自給自足。今、AI&ioT時代というと全てがスタートアップビジネスに群がる。そのジャンルから遠い仕事だと村八分かのようだ。
表現だって抒情的な写真があれば抽象的なvisualもある。ところが最も少ないジャンルが(改革的反骨ARTS)ジャンルだ。
企画する主催サイドもまた大衆迎合的(いいねアート)になびく。フレーム枠を超えたARTS仕事にチャレンジする。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/3月下旬
姿、刃文、鍛え肌。古備前高綱太刀。朱鞘の太刀。花鳥図鐔。細密な古美術。鎧兜もそうらしいが、神に奉げられた。世田谷区岡本の静嘉堂文庫美術館。
閑静な地に素晴らしい別荘邸宅。国宝にしばしため息がもれる。奏松画廊

2021/3月下旬
彼女はワシントンからテキサスの大牧場へ嫁いできた。「結婚する前もしてからも私は私よ」。当時極端な保守エリア。人種差別。
シナリオは既にダイバーシティ思想が芽生えていた。映画「ジャイアンツ」のエリザベステイラーが光る。ラジオから真珠湾攻撃の被害状況が流れる。
ハムエッグ&コーヒーにフルーツ。 <格差と時差> がオイルで成功したジェームスディーンを通じて明らかに・・・。虚しさが漂う。久しぶりに大昔の映画に感動する。奏松画廊matsukyu

2021/3月下旬
(生きた・書いた・愛した)とイタリア語で刻んでいる。文豪スタンダールの墓碑銘。モンマルトルに。(来た・見た・勝った)のシーザーからパクリ。
で、(断った・捨てた・離れた)。なかなか決断できないかと・・・。例えば、酒とか男や女とか都会とか・・・。しかし、Are you ready?と首から上を捨てる前に考る・・・。
★★★★★ダイバーシティシリーズ&東京マラソンポスターvisual。奏松画廊松久matsukyu

2021/3月下旬
イーゼル絵画の古典的な機能に疑問と不満を持つアーティストたちは多い。特に歴史のある既存新聞メディアや人気の高い映画産業からのプロマイド写真の持つ信頼性を疑問視した。
そのアーティストがジョン・バルデッサーリだ。自らのありふれた現実の写真と比較文学することで、つまりモンタージュ手法を用いて対比するビジュアルでプレゼンした。
コミュニケーションイメージ操作の偽装化に強い反抗心を浴びせることが芸術性の新しいカタチであることを証明しようとした。
奏松画廊のメインアート作品とアナロジーしている作業だ。BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960 ~1990世田谷美術館1991summarより。奏松画廊matsukyu

2021/3月下旬
マクルーハンの有名なセリフに「メディアこそがメッセージである」。この名言に忠実にアート化した作家がジェニーフォルツァーだ。
電光掲示板、広告看板等々街中に突如現れ消える。ま、いわばストリートアーティスト。究極の伝達手法である言葉のみを使用した。
その言葉を更に進化したカタチでプレゼンしたアーティストがいた。ローレンスウィナー。ギャラリーの壁や床に直に書きつける。
もはや「アート作品への指示書かのようなシワザ」が他者への発注とゆうことで作品が仕上がる。時代遅れの「オリジナル性」へ反抗、懐疑を促進した。
伝統的絵画ビジュアルへの挑戦者は、あらゆる既存の芸術的概念を揺さぶることでアーティストとゆうよりは「アーティスティックな批評家」だ。
奏松画廊メイン作品にアナロジーしてる。自負するわけではないが、物語にして解りやすくプレゼンしている奏松松久の先端的な走りが素晴らしい。
BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991summerより。奏松画廊matsukyu

2021/3月下旬
写真はあっても顔がはっきりしない。マスクが隠しているからだ。言葉はあっても喋らなければ判らない。そこには差別が発信される。身分証明IDとは何なのか。
(人物画専門画廊シリーズ)は、コトが大きく消費される都会で(物語のプロデュース)をことさら経済活動として貢献する時間をプレゼンする。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&(マンガ物語)消費の主人公たち

2021/3月下旬
東京オリンピック後の1968年、ひとつの反芸術が人々の話題をさらった。固定観念を打破するテント舞台。その色は燃えていた。赤く。
非常識と常識が混とんとして潜在意識を覚醒していた。(屋台崩し)がソレイケGDP主義真っただ中の風景にリレーショナルARTS砲を打ち放つ。
状況劇場はパフォーマンスインスタレーションを役者という殻を脱皮する手法で反美術した。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/3月下旬
アートプレゼンスタイルが多様化している。たとえば、ウォルター・デ・マリアというアーティストの作品は、宿泊鑑賞。宿泊代は200ドルくらい。
メキシコの草原にステンレス鋼を数多く立てて雷を危険承知で鑑賞する。中国のある作家は火を素材にしている。
しかし、リノベーション&構造改革的アーティストが激減して、「自然とコラボ」するかのような一般ウケ狙いに批評家たちの経済奴隷化した体たらくがカミナリオヤジを招くだろう。
奏松は、PARという二時間の<アート的感じ方&考え方を鍛える>レッスンでワードアートが素材。ARTFORUM2016より。奏松画廊

2021/3月下旬
素材を何にするか。料理と同じように多様化。グスタフマーラー、フロイト、そしてポチョムキン・・・。過去の著名人や映画。
イタリアのポップアーティスト・ヴァレリオアダミ。ま、非具象表現主義。リキテンシュタインに近似する。リブレゼンテイション&アプロプリエーション手法。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2021/3月下旬
「性的自己実現」。妊娠出産して母になることだ。しかし、社会は寛容な制度になってない。
となると面倒な恋愛や結婚にこだわらず精子バンクでシングルマザーになる。何も草食化だけが原因ではない。 <アイロニカルな反骨心> が必須のシマグニだろう。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2021/3月下旬
再婚はしたくないがパートナーは欲しい。程よい距離感の。あるいは距離感があり過ぎる夫婦。そして仕事に生きるレディ経営者・プロフェッショナル。
多様なアーバンスタイリッシュなセンスアップライフ。脱ロマンスを創造する。物語を人生の一ページに。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2021/3月下旬
青島幸男の「人間万事塞翁が丙午」という小説がある。もちろん中国の諺である「人間万事塞翁が馬」のもじりである。
とにかく中国から言葉の輸入ものは多い。これもそうだ。「百聞は一見に如かず」「李下に冠を正さず」「鹿を追う者は山を見ず」
「人事を尽くして天命を待つ」「他山の石」「心頭を滅却すれば火自ずと涼し」・・・。数え上げれば枚挙にいとまがない。更には「纏足」。
セクシャリティの象徴であった。時代は大きく変わった。経済的そして観光的輸出入で関係は大きい。JETROアジア経済研究所新刊コーナーより。奏松画廊matsukyu

2021/3月下旬
「言葉のイメージ」がコミュニケーションの大きな道具であり続ける。言葉以上に。
言葉そのものよりは「認識されたイメージ」が長い間支配してきた。たとえば、最近亡くなったデビッドボーイ。
元祖ビジュアル系という伝説が認識されていた。概念つまりコンセプトがアートジャンルで大きな流行りとして活躍した時代があった。
それは広告ジャンルに波及して更に大衆に拡散。今も、そしてこれからも活躍し続けるだろう。
「ビジュアルとイメージ」と「辞書にある説明言葉」と「目に見える実物」を解体してみたり、また接続して見たり。
「感じる&考える」ことでアイデアが生まれる。このジョセフコスースのシワザが当時大きな波紋を及ぼした。
マルセルデュシャンの便器プレゼンのタイトル「泉」と同じくらい既存フレーム反抗的イメージを揺さぶられて感動したひとも多かっただろう。奏松画廊matsukyu

2021/3月下旬
先般某既存ペーパーのシンポジウムがあり、浅田次郎さんの講演を拝聴した。江戸時代の薀蓄話で、江戸は七割がたが男性で女性が大もてだったらしい。
地形のこと。江戸湾の海のそばに江戸城が建設されたとか。江戸と地方では貨幣の価値が違ったとか。ま、人口に膾炙する話だった。
しかし、江戸時代には異能が相当暗躍したといわれている。もちろん忍者もそうだが、アート系、芸能系、探偵系等々。
そのワードアートは「匠異之進その1成敗屋の巻」がある。奏松松久でアマゾンから販売している。

2021/3月下旬
コロッケさんや清水アキラさんが、(コンテンポラリーアーテイストだ)というと疑問視する人がほとんどだろう。
美術評論家といわれるシェンシェイもまた何を寝ぼけたことを。しかし、アメリカンARTSは(リブレゼンテイション&アプロプリエーション)手法は常套であり、
上等である。オリジナリティという概念を覆すARTS作品が常識だからだ。固定観念・社会通念をちゃぶ台返しする。それがARTS表現家の真骨頂だ。
世界の常識はシマグニの非常識である。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&「 Questioning the meaning of graphic ARTS&design operation」シリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/2月下旬
逞しい好奇心とは孤独に翻訳されない。友が多くの視野になる。その典型的人物にコペルニクスがいた。
よく天文学が有名だが、宗教学、法学、医学、占星術学、経済学、政治学と好奇心という多くの友がいた。
しかし今、オンリーワン主義であり更に細分化する。ARTSジャンルでは、リレーショナルARTS表現があり、脱皮するARTS表現が先行する。
好奇心・視野は極めて拡大している。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/2月下旬
家族写真、証明写真、肖像写真、報道写真、風景写真、スナップ写真、スポーツ写真、フード写真等々、そしてゴシップ写真、プロマイド写真。かって6070年代。
新宿で石を投げればカメラマンに当たるとまでいわれた。今、スマホの数だけ当たる。ID・AI写真が当たり前のシステム。人物画専門画廊シリーズ。
程よい距離感の関係性を重視するシステム。つまり(脱ロマンス)。風の時代は(脱ロマンス写真)の時代である。
★★★★★#カフェ友・#卒婚・#恋活・#ミドルシニア応援・#ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/2月下旬
映画とARTSは、密接な相互関係がある。例えば、ゴダールの(小さな兵隊)とコンセプチャルARTSのmessage artsジャンル。
あるいはジガベルトフやエイゼンシュタインのミニマルARTS映像。あるいはウォーホルのエンパイアステートビルを撮りぱなししたvisual映像ARTS。
微妙なズレを視覚化。風景がズレる。地球温暖化。地震。更には南沙諸島の(砂の長城)。諍いよりは風力発電に。その頭脳のズレこそ・・・。
★★★★★「Name the title itself is contemporary ARTS」シリーズ奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
人は何回見なかったふりをするのだろうか。人はいくつの耳を持たなければいけないのだろうか。答えは風に吹かれている。ボブディラン。
空中に激しく舞う答え。穏やかに流れる答え。ふとつかみに行こうとすると逃げられる。その中には目に見えない答えがたくさんある。
風の時代とは荘子のいう(逍遥する浮草のようなとりとめがない)道かもしれない。そんな道は無用という人も多いだろう。
しかし、AIテクノと流行りやまいで有用にならざるを得ない道に。さあ、どうする。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/2月下旬
アート&デザインが時代を変えるトリガーになる。そんな願いは過去にもあった。機械産業が大きく前進しだしたアールデコスタイル時代。
幾何学的なデザインがマシンのデザインと連動していた。そのセンスは、すでにデザイナーたちには敏感に悟られていた。ロシア革命で西側諸国の仏パリ亡命した
ロドチェンコと妻のステファノーバ。ファッションデザイナーだった彼女は、アールデコスタイルとアナロジーしている。奏松画廊matsykyu

2020/2月下旬
(断捨離)。物ものモノmonoだけではない。固定観念・社会通念をも。そぎ落とす・シンプルに。スリムに。リストラする・自らをあえて。ひとり婚。程よい距離感に。
しかし、余裕を携える。シティライフはこの思想と行動に加速。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ・ダイバーシティシリーズ・吉祥寺サイクルブティック・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
唐様の香盆に据えられた青磁の香炉。白梅、十五夜、白鷺、千鳥などなんと五十二種の名香が風になびかせ焚かれる。高尾太夫のもてなし。主人・木阿弥という坊主。
見事な色艶装置演出。多彩な演出が(風の時代に復活)してなびくだろうか。たとえ元の木阿弥であっても偽装する価値はある。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/2月下旬
自前の「電力会社」を立ち上げ家庭に太陽光発電を広める。神奈川県の旧藤野町が実験する <トランジションタウン> 。ポスト成長社会の新しい仕組みを模索。
エリアで経済を回しあう。更にはエリアで <風景を整えあう> レジリエンス(復元力)が回復すれば・・・。欧州の各地で実験が進む。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
シンガーやミュージシャンをアーティストという。「彫刻が持っているものを、私の作品は持っていない」とドナルドジャッドはいう。個性が進んだというが。
化粧や美容は進んだ。しかし、それは(美の術)のエリアだ。一部(ありのままに)が発見される。(表現の自由)がギリギリめいっぱいフレームを打破する。
★★★★★SHADOWシリーズ。&新宿伊勢丹にて。奏松画廊松久
2020/2月下旬
オランダという言い方を止めるらしい。ネーデルランドのみに。以前プレゼンしたが、この国は素早い。例えば(道路に太陽熱版)を設置する。
あるいは(ワードARTS)作品・ミーケヘリチェン。シマグニとも深いかかわりがある。蘭学・柔道・・・。住宅のコンパクト利用あたりも。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
ブルックリンのいつものレトロバー。昼酒が似合う初老の小説家。ジェフブリッジスがいいね。実はほんとの親子だった。ロウアーイーストに住むモラトリアム青年の。
育ての親は出版社経営でアッパーウエストに住む。(小説が売れない)もどかしさ。不倫をするフリー女性編集者。よくある物語。
しかし、なぜかNYCの風景とレトロな音楽・サイモンガーファンクル・と俳優のvisualが救う。大都会の孤独。
ラストのギャラリーでの朗読会、なんとなくほっとする。(さよなら、僕のマンハッタン)
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/2月下旬
★(非常識を訓練する)シリーズ。
その26。
自然のままで無邪気な性格。(天衣無縫な性格)という。元はわざとらしい技巧がなくサラっとしていながら見事なできばえ。芸術作品の場合。
また、天界の衣は針や糸を使わないから縫い目がない。一糸まとわぬヌードあたり。こちらは当たり前だが、キャラは、子供でさえこましゃくれたガキ多し。
つまり天衣無縫は非常識キーワード。
★★★★★詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。奏松画廊松久

2020/2月下旬
(脱皮するARTS表現)シリーズ。その3。
かって無題が流行った。無意識、無関心、無節操、無駄、無理、無作為等々。これだけ地球に問題課題が噴出する時代には、それこそ無関心どころではない。
あってはいけない。写実や抽象表現あたりでごまかしてはいけない。固定した常識的考え方を脱する。脱カーボンのように。脱視野狭窄する。
★★★★★カフェ友・恋活・卒婚・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/2月下旬
電光掲示板は、以前からあるが最近はアパレルショップあたりのファサードにもディスプレイとして機能している。バーゲンや特別セールのアピールに。
街角に多様な展開があれば、もちろんタイムズスクエアや渋谷あたりでも有名な商品広告が動画で流れているが、メッセージ性の高い公共広告を流す。
それと連動してポスター掲示や駅貼りポスター掲示。電車内動画。たとえばマナーキャンペーン、エシカルキャンペーン、リノベーションキャンペーン等々効果が大きく期待できる。
それは既にデザインでありまたコンテンポラリーアートでもある。近い将来その手法が流行るだろう・・・。
上は、オランダのアーティスト&デザイナーであるミーケヘリチェンの「考え方&感じ方」を売るポスター(2006~7)。
下は、貧困少女に教育と経機会を投資すれば救済効果が大きいことをアピールした「ガールエフェクトキャンペーン」のメッセージビデオ動画。
「ワードアート」が、インパクトある効果を発信する。スポンサーはナイキ(2008)。NYCでプレゼンされた「WHY DESIGN NOW?」2010開催。
世界の問題を「アート&デザインが解決する」旗頭になる。
奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
ウミットベナンというデザイナーがいる。黒人初の大リーガーとそのファンがモチーフだ。ショーの終幕に「人種差別反対」と書かれたプラカードをプレゼン。
ビジネスライクな服作りに疑問を投げかける。反骨心旺盛なアーティストやデザイナーが激減している中注目。自らのショップをジャパンにオープンしたいという。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
花を否定した花。山らしい山が自ずからなる山。それこそよろしき面影。池坊専応口伝。(現実の自然から脱する)。ことを目指す。そこに道が開ける。
それに反表現する前衛いけばな。矮小化シュールレアリズム。狂い咲きの表現。キッチュARTS表現だ。花を造ることはエジプトや中国からある。
日の本もまた平安の昔に挿頭花がある。花を創造することは超自然のシンボルだ。(脱自然対超自然)。それは文化を離れた脱文化だ。とてつもない奥行がある。
おいそれと軽々しく21世紀ズラをすべきでない。模擬エッシャーや抽象表現あたりで客寄せパンダすることを。
★★★★★#カフェ友・#卒婚・#恋活・#ミドルシニア応援・#ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/2月下旬
明瞭会という同じ高校を出た先輩後輩たちが交友と校友を深める親睦会が月いちである。東京在住の方たちがほとんどだ。
昨日は、元アサヒビール社長会長で元NHK会長だった、福地先輩の講演だった。映画プロデューサーの先輩とワンショットして頂いた。
奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
口を酸っぱくしてプレゼンしている。(リレーショナルARTS表現)ジャンル。「はっきり言ってよくわからん」という人が多い。
例えば、ドローンがブーメランのように戻ってくる。農薬散布して。撮影して。人命救助して。タクシーとして。その風景鑑賞や効用は計り知れない。
世界・人生と大きくリンクする。関係性が極めて高くなる。このジャンルと(脱皮するARTS表現)ジャンル。21世紀にとって重要ジャンルARTS表現だ。
世界の問題課題を解決するきっかけになるからだ。
★★★★★#カフェ友・#卒婚・#恋活・#ミドルシニア応援・#ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/2月下旬
今、世界経済フォーラムで注目されているテーマが、「イノベーションクラスター」とゆうデータだ。マッキンゼー、EMC、SAS、ESRI等々のコンサルやソフトウェア、
地理情報会社あたりと提携して経済開発の公的情報から独占所有情報までピックアップされた。そのマップを具体的にみると、インフラ、金融資本、人材、
ビジネス環境特質、需要の大小、洗練度等々促進要因を分析。更にコンセプトスキル、商品開発力など世界中2000都市をデータ化したマップだ。
上はアフリカ特許取得件数マップビジュアル。下は、世界のホットスプリングエリア、ダイナミックエリア、成長の遅いエリア、新生エリア等々をビジュアル化。
「WHY DESIGN NOW?」(2010)から抜粋。経済活動とアート&デザイン活動が重要なリンクとして表現力の大きなひとつになる。
スイスのダボスで開催された2008の年次総会で導入された。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
デンマークで再学習のスクールがシマグニでスタートする。三か月間宿泊スタイル。陸前高田市。中身は(ダイバーシティ・ARTS・TED等)。
奏松画廊松久がプレゼンしてきた中身とアナロジーする。単位など無し。1800年代から北欧ではかなりのスクールがあるらしい。
ARTSセンスの良いとこは国から援助があるとのこと。早朝の公共放送Rでリポート。空き民家活用とのことだ。これから各地で(空き家と教育のノリベ)が開発開拓されそうな予感。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
イメージの古層を手繰り寄せ、不確かなものに明晰なアウトラインを与える。ブレない逞しいアート思想を携えた振付。「空間が深呼吸する」。
一年で最も寒い冬に凍えるメッセージだ。天児牛大の山海塾。時代が大きな曲がり角に来ている。原始の空気感に震えるかのような緊張に襟が糺される。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
NY郊外の美術館。DIAビーコン。アンディウォーホル、リチャードセラ、さらに多くのアーテイストたちがプレゼン。広大なエリア。
しかし、時代が大きな曲がり角に来ている。アメリカの戦略的アートが経済的閉鎖主義とともにコンパクトに。今、絶好のチャンス。シマグニ戦略を。
コンセプトは(小さいことはいいことだ)。特にスマホサイズがいいことだ。固定観念を打破する。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2020/2月下旬
「スノボでダブルゴールドメダルを取ったらしいですね」「十代ですよね」「素晴らしいね」
行きつけのコの字形は小ぬか雨の中なんとも心地よい。
「で、どんなお仕事ですか」「古道具屋です」「ところで私はどんな仕事に見えますか」「解体業」「ほぉ」
確かに固定観念・社会通念を打破・解体する仕事ではある。これから聞かれればそう応えようと思った・・・。
★★★★★奏松画廊タイトルARTS&「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
白黒をつける。口に出してはっきり発信する。このスタイルを明確にアートに翻訳。ジェニーホルツァー。「メディアこそメッセージ」を。
マクルーハンの言葉を借りるまでもなく野球場、街中の電光掲示板、列車、バスにメッセージアートで包んだ。今や広告看板がそのスタイルを当たり前にしている。
しかし、シマグニピープルは(嫌われることを恐れて)口をつぐんでいる。スポーツ選手たちが、楽しみたい、という。それは偽装メッセージに他ならない。
★★★★★「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ。奏松画廊松久

2020/2月下旬
祭りが好きな民族だ。最近は「アート祭り」が各地でお盛ん。運営プランナーは自治体。数億円規模予算。ハコものを作るよりは低予算。
失敗しても撤退しやすく批判も少なし。観光資源として期待されてきた。しかし、プランも入場者数も頭打ちどころかマイナス傾向に。なぜか。金太郎飴的プラン。
平均点志向が災いしている。「感じる&考える」プランニング志向にシフトセンスする時代だ。御殿山自邸近くの見事に反り上がる樹木にあやかって。
★★★★★テーマは、MESSAGEシリーズ。アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
「身ぐるみ剥がされた」ビジュアルが一人歩きしている。世界中のモニターで。自画像がオンパレードされて「ピーピングお祭り」が見放題だ。
監視されることになれていない人々も大勢いる。奥ゆかしい日の本ピープルは特にそうだ。昨今ピケティの経済格差がプレゼンされ話題をさらった。
これからは「ビジュアル格差社会」が到来する。フォトは、ARTFORUM2015APRILより抜粋されたビジュアル格差を予想するかのようなコンテンポラリーアート作品。
奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
反芸術・反ジャズ。かって流行った。当然(反ズージャ批評)もまた反が勢いがよかった。その中でもセンスがNICEな平岡正明。山口百恵は不可逆性の歌手である。
歌謡曲のコルトレーンである。あわや百恵はテロリストである。百恵への転換は戦後史の転換である。クラッシュが徐々に弱体化していく。
カルチャーが削除されつつあった。反骨のアイロニカルな視線は艶歌を巻き込むことで楔を打ち込む小技に戯れざるを得なかった。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
想像・イメージがたりない人が多い。心を読む。相性がいいのかどうか。潜在意識の開発開拓と大きくリンクする。
(見えないこと・もの・物語をいかにしたら見えるようになるのか)に腐心する。ゲームの行く末に。神の見えざる想像力が時代を大きく左右する。風の時代には。
★★★★★#カフェ友・#卒婚・#恋活・#ミドルシニア応援・#ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/2月下旬
ミニマルアートが美しい。と感じるひとびとは昔から多くいた。だからこそ伝統的なアジアのカタチとして相続されてきた。
そのミニマルアートが流行った時代が、1960~70年代だ。ひとびとを魅了する磁力&魔力がある。眩しいばかりの経済成長が豊かにしてくれる、
ひとびとの多様な多彩なライフスタイルを豊かに折り込む。折り紙は、日の本オリジナルだが、近頃欧米ピープルに熱狂的ファンが増えているらしい。
「連続&反復が右肩上がりに移動」する喜びの吉祥だ。これをバブルと経済用語で呼ぶらしい。「バブルアート&デザイン装置」がはたして罪深いのだろうか。
「アジアの形を読む(形の文化誌)」より抜粋。アトリエ近くのJETROアジア経済研究所図書館新刊コーナー展示。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
経営者や経済ジャーナリストたちがつかう言葉に(選択と集中)がある。かって総合電機メーカーとか総合住宅メーカーとか、
とにかく総合的にオールラウンドプレーヤーが流行った。しかし、今やオンリーワンカンパニー、オンリーワンアイテム等シボる。
つまりぜい肉をそぐ。すると血流がスムースに。映画監督もシンガーもアーティストも陶芸家も書道家もインテリア、アクセデザイナーも・・・、
あらゆるアーティストたちがオンリーワンを目指しつつある。例えばインテリアデザイナーやコーディネーターはパリ風ならこのデザイナーとかイギリス風なら和風ならとか・・・。
(規模より人智)の時代に。しかし、人智を超えた領域にチャレンジする。つまり見えないもの物monoを見えるようにする。そこが最先端だろう。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2020/2月下旬
ふらふらと踊りだす、ピアノから離れて。即興でオープンでフリー。インスタレーションARTSであり、リレーショナルARTS。モンクの旋律が。音楽とARTSが共振する。
ノルマンディの画家・デュフィー。キャンバスと共振している。風景とそのズレこんだ残像との隙間に。ロマンスが共振する。程よい距離感で。脱ロマンス。
そこにSTORYが奏でられる。心地よい風の時代が流れる。#カフェ友・#恋活・#卒婚・#ミドルシニア応援・#ロマンスプロデュサー奏松画廊クラリクラブ。

2020/2月下旬
「服を着る」ことが「意味をまとう」ことに他ならない。衣服そのものがモードを創るのではなく、衣服について書かれた <コトバがモードを創る> 。
女子高生が制服を「強制された若さ」から「抵抗する若さ」に着替えたときアートに翻訳される。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。吉祥寺御殿山近くの焼き鳥屋にて。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
太陽エネルギーで、メディアウォールが稼働する。この北京でのとてつもないビッグなビル全面掲示板は、世界最大のカラーLEDビジョンだ。
太陽電池が壁面全体を覆うガラスパネルの中に組み込まれ、窓の中にも自然光が取り入れられる仕組みだ。メディアとしてだけでなく環境に役立つ。
風圧や太陽紫外線調査等々環境機能としても。「メディアとアート&デザイン」が、サスティナビリティなリノベーションとして問題解決するために大きく貢献牽引する。
2010NYCでプレゼンされた「WHY DESIGN NOW?」より抜粋。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
数字を素材にした先駆者アーテイストにジャスパージョーンズや川原温。その数字が矢面にさらされている。
(偽装・改ざん・やらせ)の三点セットがエバっているからだ。(数字の危険見えますか)のアイロニカルな反骨パロディポスターすら氾濫しかねない。
今年もまた絶好調なシマグニスタートになりつつある。奏松画廊松久

2020/2月下旬
たまに貸し画廊と誤解する作家がいる。以前何度もプレゼンしているようにボックスギャラリーではない。価値はないと。
しかし、奏松画廊松久のARTS思想に賛同された方には(雑談倶楽部)で話す時間をプレゼンすることでその時間そのものが作品になることを説明する。
その行為・時間はカタチとして残らないが、その作家の創作のアイデアになる。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
未来都市のカタチが想像できないひとはまだ相当いるに違いない。エネルギーの創生から貯蔵、物流等々多重のネットワークが張り巡らされて地下交通も多層化して、
シーサイドでは海水を淡水化した海藻タワーがアート&デザイン化されたビジュアルをプレゼンする。高蜜型集合住宅が、AI&IoTハイテクノ人口都市を創造する。
まさに自然の恵みを循環する自給自足スタイルの未来シティが出現するわけだ。フォトはサンフランシスコ2108モデル。
アート&デザインが世界の問題を解決する最重要スキルになる。2010NYCでプレゼンされた「WHY DESIGN NOW?」より抜粋。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
(脱皮するARTS表現)シリーズ。その5。
疲れる風景。視覚を激しく攻撃する風景の色彩たち。その風景から脱する。解放される。風の時代は(激しい色彩を断捨離する)ことが心地よい風を呼び込む。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
作品の制作を最終目的としない手法がある。観客や場との関係を問う。その意味を変える。例えば、散歩する。街をデッサンする。
そこには偶然に友と合う。面白いものや風景との立ち寄りや発見。ウインドーシッピング等々。ARTS表現家フランシス・アリス。
このジャンルを(リレーショナルARTS)という。潜在意識的には、脱合理化。異議申し立て。つまり(ひとりデモ)と同じかと。
奏松画廊・人物画専門画廊シリーズがあるが、このジャンルに入る。ノーマルな恋愛への異議申し立て。脱ロマンス化。
★★★★★カフェ友・#卒婚・#恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
60~70年代に、あらゆる表現(美術・音楽・映像)がプレゼンされた。草月アートセンター・シネマテーク。そのひとつに(世界前衛映画祭・アンダーグランウンドシネマ)。
つまり潜在意識下に眠るARTS表現。そのイメージ化に多くの表現者たちが走った。供給サイドが多様化し、需要サイドもまた多様化していた。
しかし今、アニメ・マンガにあまりにも偏り過ぎている。政治経済の鈍化と同じく視野狭窄の時間が虚無的に流れている・・・。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
最近プレゼンしたコスタリカ・オサ半島。生物多様性の見本市。しかし、シマグニでは、動物虐待法ひとつなかった。半世紀前までは。
だからロンドンではシマグニに犬を輸出するなとデモが。あらゆる都市が啓蒙マシンとなった。この時代、デモの博覧会に。市民デモが多様化していた。
街頭啓蒙運動・ARTS表現の大きなうねりをプレゼンした。(街そのものが画廊)になっていた。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
街が劇場化し、政治が劇場化し、マスコミが劇場化し、そして経済までも劇場化している。芸術が長い間スポイルされて虚無と化した。
しかし、そのDNAは(胎内回帰)しつつある。母胎は永遠に嬰児を宿し続ける。澁澤龍彦、寺山修司、ビアズリー、ベーコン、エルンスト・・・。
懐かしい。若手アーティストたちも姥貝ている。今回ボックスギャラリーが劇場化した吉祥寺南のとあるギャラリーにて。奏松画廊松久

2021/1月中旬
噺と咄。もともと、はなしという意味はない。舌打ちする音や驚き怪しむ声。擬声語。口から新しい声を浴びせる。
または口から出まかせの即興・パフォーマンスARTS表現。だからタイムラインは寄席ということになる。(客いじり)という即興パフォーマンスARTSがある。
例えば(おとうさん・おかあさん・おんなのこ)。それは見下す。落語人気は見下されたが、下品なことばは独り歩きしている。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
最近永田町で話題になった学者。その中のひとつ哲学者。奥方の名前で有名なのは、悪妻マダム・クサンチッぺ。そのご主人はソクラテス。
ある時弟子が結婚報告すると、反対されると思ったが(もし相手がひどいならキミも立派な哲学者になれる)とアイロニカルな賛辞を。ま、つり合いが取れた夫婦がいちばんかと。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
デザイン大国。という言い方がある。その代表にデンマーク。雑貨、家具、インテリア等々。つまり生活の豊かさを指す。クオリティの高さを指す。
それは数字の多さではない。供給する側も需要する側も民度が高い。この(デザイン民度)は一朝一夕には培養されない。センスを磨く以外にはない。
そのひとつ。コトバに気を付ける。(カワイイ)。を使わない。連発しない。例えば少しズラす。(カタチとかカラーがスキよ)。それだけでも少し前に進む。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
スティリスタ。インダストリーと結びついたデザイナー。今日性。19世紀からの英国中心にした階級、職業のステイタスから解放へ。格式ばらない自由。
女も男も惹きつける。セックスアピール。G・アルマーニ。シマグニでは、よくダジャレとして使われた。(そんなセンス、アルマー二)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
(悪書追放)。世間には追放しなければならないものが多くある。例えば、(悪風景・悪人物・悪権力)。そして悪禍。
ここに吉祥寺にかって在住した詩人・金子光晴のメッセージを引用する。(人間は元々心身壮健であってこそ生きてる張り合いも湧いてくる。
しかし、心身壮健そのものが禍の種となって腑に落ちないことのために命を失うに至る。古今東西、例が多い)。何ともアイロニカルに反骨だ。
駅に設置された白い箱。その中に廃棄すれば禍の種は枯れる。彼は白い箱そのものがおぞましくも俗悪なものに見えた。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
ミドル・シニアが元気だ。(だから恋活・卒婚)。ロマンスプロデューサー・クラリクラブ。クラリとは明るいを意味する。開眼してくれる。
昔は洗眼する医療薬として珍重。セージは賢いを意味する。セージというニンフに王子がひと目惚れし大恋愛する。物語を創造する。
AI時代に夢を叶えるレディ・マダムたちが増えてきた。余裕ある紳士たちがサポートする。ロマンスこそ経済を活性化する。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
吉祥寺・最初の映画館。大正14年。井の頭会館。今の東急デパート前。もちろん無声映画。映画以外にもクラシックオーケストラ演奏会。浪曲。プロレス興行も。
その映画館で生まれ育った本田拓夫さん講演会。いにしえの雑談に花が咲いた。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
「非常識を訓練する」するシリーズ。
その23。
「人に貸して今家にない」「棚から落として壊れた」。落語の有名なくだりである。元は中国の古い医学書。転失気。俗に屁返り・という。
知ったかぶりは滑稽ではあるが、想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。soumatsu art gallery

2021/1月中旬
(ARTSに翻訳する)。このキーワードが意味がワカラナイという人が相当いる。ナイキのシューズをギャラリーに移動展示すればそれは商品ではない。
コンテンポラリーARTSに、マジックではないが変貌する。ハイムスタインベック。だから、人物画専門画廊・シリーズは、もちろんARTSに翻訳されたということになる。
アメリカンARTSは、1960~1990の間に多くの(ARTS翻訳家)が誕生した。最近、大学院卒がシマグニと雲泥の差があるデータが発表されたが、
はるか昔からあらゆるジャンルで違っている。そのひとつにARTSジャンルがある。
★★★★★クラリクラブ・人物画専門画廊シリーズ(2002.2003.2004制作)。奏松画廊松久matsukyu

2021/1月中旬
田舎。借金苦。狂言誘拐。そして銃がいとも簡単に火を噴く。白い雪景色に赤い血が飛ぶ。わずかな金のために。ラストシーン。
女性警察署長と画家のご主人。(3セント切手の図柄に採用されたよ)(素晴らしいわよ)。以前もプレゼン(スリービルボード)したが、フランシス・マクドーマンドがやはりいい。
96年公開だが、今も同じだろう。(小さな幸せ)に感動する・今のアメリカ。価値観を再考するのに相応しい一本(ファーゴ)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2021/1月中旬
かって中平卓馬という写真家が <あるがまま> を見せることで、「ものモノ物」を率直にプレゼンする手法が流行った。私的な感情や主観を排除。
あらゆる個性が氾濫するアーティスティックな時代に極めて難解な作業と言わざるを得ない。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu.

2020/12月下旬
洋の東西を問わず(煮込み料理)は冬の定番だ。街中に今だにいぶし銀のような鈍い風景が人々を引き寄せる。例えば(なになに横丁)あたり。都内にはそこそこある。いかにもアジア的である。
そこは大昔から雑談が繁盛していた。ARTS表現的雑談。おんなこどもを寄せ付けないサブカルの密談がある。しかし、今それは幻影でしかない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/12月下旬
昨日のプレゼンでリベラルアーツに言及した。アートではなくアーツ。ARTSだ。複数形。毎日シマグニの地図を見ている。天気予報で。ブゼムというアーティストは天気図そのものを作品に。
1968/9/26の。つまり地理学、哲学、文学、歴史の領域がARTSに入っているからだ。当時コンセプチャルアートは黒船だった。そして長い時間が経過してもひとつの基軸・サイエンス領域が大きく発展。
自然科学や社会科学に。時代が大きな曲がり角に来ている。視野狭窄であってはならない。インドから東南アジアへ新羅針盤となるARTSプレゼンを発信したいかと。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/12月下旬
「この線がいいよね」「渋い色使いが素晴らしいわ」「眼差しがなんともステキよ」・・・。アートギャラリーでのプレゼンで仲間内の会話だ。ボックスの中で慰めあう・・・。
もはや価値はない。百年前も同じ会話だったに違いない。奏松画廊は <アート思想を販売> している。職人的アートではない。SNSプレゼンオンリーに特化している。
よくギャラリーにお伺いしたい、という方がいるが見当違いだ。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2020/12月下旬
「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。古人燭をとりて夜遊ぶ」。夜遊びの奨励。詩人は勿論李白。これから忘年パーティの時節。時間が泊まりに来るホテルも大忙しかも・・・。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。

2020/12月下旬
ダンスが相撲と同じように五穀豊穣を祭る。そんなダンスがセネガルでは、あらゆるシーンで生活に溶け込んでいるらしい。週末の夜明け方まで飲む人たちが多いが、明け方まで踊り狂う。
料理のダンス、夫婦喧嘩のダンス・・・。踊ればまるくなるかも・・・。コンテンポラリーアートが地域創生のきっかけにしてはいるが、ダンスとともに <オドル> こともまた手法では・・・。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2020/12月下旬
13&14&15&17。さてこの4つの数字は。SDGsカテゴリーの気候変動に具体的対策。海の豊かさを守る。陸の豊かさを守る。パートナーシップで目標達成。(オサ半島)。
コスタリカ・非武装永世中立国。平和で社会福祉充実。幸せ度は高い。エコツーリズム発祥の地。生物多様性世界一。乱開発から激減した森林を復活。(守り人)。
映画タイトルは(最後の楽園コスタリカ)。アメリカ制作。経済発展開発が楽園なのか4つの数字が楽園を導くのか。それとも清濁併せ呑むのか。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/12月下旬
(話がパルコ)。意味不明とかワケワカンナイとか。そんな時に使った・流行ったよね。その渋谷パルコがリオープン。が、解りやすい。
時代はあらゆる情報やビジュアルが交差氾濫している。既視感・リ情報・リリ情報もまた氾濫。サプライズしない。それともひとつは(広告告知プレゼン)が新鮮味の欠片もない。
(これがアートなのか)というような(アート翻訳)されたとてつもないマーケティングデザイン創出してない。これじゃ衰退していくのも時間の問題かと。奏松画廊松久matsukyu

2020/12月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その22。
極まりない・とまではいかないが、ユルい。人として恥ずべき事を平気でする。人倫道義に反する。キーワードは(破廉恥)。あらゆるアイテムにおいて。たとえば無電柱化。
風景の破廉恥。暴力的看板の破廉恥。目利きぶる破廉恥。そして経営の破廉恥。消費者の破廉恥。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。
詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。soumatsu art gallery

2020/12月下旬
使用前と使用後。NYCにあるディビスという整形外科医の広告。三行広告風である。同じ新聞広告の挿し絵を拡大したアートだ。アーティストはアンディウォーホル。1961。
広告デザインをほぼそのままアートに翻訳。ポップアートがシンプルで元気があった。しかし、ロバートインディアナは、楽天的アメリカンドリームの変貌が政治の事件を契機にとカタる。
ケネディ暗殺。キング牧師暗殺。ベトナムへの介入。ブラックパワーやステューデントパワーの台頭。アメリカンナイトメアーの始まり。それから多様なコピーアートがスタートした。
リキテンシュタインはカタる。セザンヌ以来の美術は内面ばかりへ向いてきた。ポップアートは消費社会を直視したと。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊松久

2020/12月下旬
「役所は失敗に過敏だ」。しかし、総務省が「求む、変な人」を募集してるらしい。研究開発の委託事業として「世の中を変えるような技術やサービスのアイデアがある」人を。
通信や放送の規制監督省だ。ここは思い切ってアイロニカルなアイデアを創造する人材に規制マスコミを変えて頂きたいが・・・。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/12月下旬
パリ1113の現場近く、ポンピドゥー・センターは、建物正面にポールエリュアールがナチス占領時代に書いた詩の一節「自由よ僕は君の名を書く」をフェルナンレジェの絵画とともに
大きく掲げレジスタンスの意志を表現した。下記の絵葉書アートは、東京駅近くにあるブリジストン美術館コレクションであるレジェ作品だ。
奏松画廊matsukyu

2020/12月下旬
長い間キャッチアップに奮闘してきた。欧米に。 <流行り> を創造することが経済だった。そしてもはや流行りからの離脱が創造として価値を生む時代になった。
しかし、今だに既存マスコミは、流行りにしがみついている。「私が創ったのは流行ではなくスタイル」。シャネルの言葉だ。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/12月下旬
いわゆる東洋の美という伝統意識がある。花鳥画と山水画に代表される。装飾性を極力排除する。何かしら靄のかかった空気感の(無の風景)こそ潜在意識をくすぐられる。
しかし、花や鳥、山や水は装飾モチーフとして重宝されてきた。生活用具の中に自然を愛でる。TVドラマ(ダメージ)の中で白人富豪資産家パーティ。嘆き卑下されるシーンがある。
2050頃はアジアが中心になると。しかし、今の20代30代が指導層になるその頃に(おとうさん・おかあさん・女の子)と使い方の意味も知らずに乱発する今を思うとペシミスティックな感情にならざるを得ない・・・。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/12月下旬
かって70年前後に新宿で石を投げればカメラマンに当たる、と揶揄された時節があった。今、小説がさっぱり売れないという。何故か。小説家から小説屋になったからだという。
数字が全てを決める。たとえば視野を拡げて(小さな説得)を小説というコンセプトにするとSNSマーケティングが最も有利かと。全世界にクチコミするからだ。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2020/12月下旬
三連休でも自粛ライフを強いられる。久しぶりにいきつけ居酒屋をデッサンする。おっとどっこい、なかなかの込み具合だ。西荻。で、つれのとあるアラフォーマダムの夢を聞く。
かって流行ったCMメッセージがあった。亭主元気で留守がいい。ベッドも別々なのにあれこれ世話にうるさいオヤジはなるべくいないほうがマダムライフの解放に。
コラーゲン再生・ヒアルロン酸再生にオヤジはおジャマでちゅ。ま、そう願うアラフォー・アラフィフマダムはかなりいるかと。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/12月下旬
東京学なる専門領域があるかどうかは別にして久しぶりにTV東京を拝見した。高校時代の後輩・宮本隆二クンが進行役で。相撲解説で有名な杉山さん(高校時代の先輩)も出ていた。
NHKが前のオリンピックのために渋谷に越してきたきたことは初めて知った。それにしても宮本クンは相変わらずトボケた表情でコメディアンすれすれのとこがあるかと。
拙者、東京生活は半世紀以上になるが知らないことは多い・・・。奏松画廊松久matsukyu

2020/12月下旬
黒い風船と仮面が香港学生デモで話題に。その(仮面は制服としての効果)を生産する。規則の奉仕者となる。しかし、制服も仮面も変装である。官僚的・永続的・規則的である。
ロジェカイヨワはメッセージした。マスクこそ制服そのものだ。制度として義務化されつつあるファッション。(マスクと反マスクとMASK)変装のARTS表現が
(インスタレーション&パフォーマンス)にARTS翻訳され、最先端性を獲得しつつある。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/12月下旬
渋谷スクランブルスクエアがオープンし、あらゆるセンスが交差する。しかし、(その差)もまた交差するかのような・・・。アートの鑑賞方法が多様化したように、
宿泊型花火鑑賞スタイルや料理をふるまうスタイルや舞踏を演じるミニシアタースタイル等々・・・。そして(奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ)の性差が交差する余裕悦楽スタイル。
そして(表現の自由と不自由)が交差する。オリとパラが交差する。その差を縮小するアートこそ交差点・スクランブルの目指すゴールかと。
★★★★★SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/12月下旬
偽善。偽悪。二枚舌。多くの移民が一緒に暮らす大国で唯一信じることが出来ること。それは正義であり真実である。徹底的に嘘を暴く。その汚れ役のひとつに弁護士という仕事がある。
アメリカのケースでは大企業のお抱え弁護士のギャラは月額55万ドルくらい。ひと月5700万円。TVドラマ(ダメージ)。訴訟の敵には、これでもかというくらいダメージをくらわす。
その破壊力の大きさと連続が偉大な弁護士として活躍。自由の女神を模したブックエンドを趣味が悪いと切り捨てる。ARTS表現しかり訴訟しかり。どこかの金魚のうんことは大違いかと。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/12月下旬
かって多くの下請け中小会社が、(物言えば唇寒し秋の風)で泣き寝入りの経営が話題になった。発注大企業が牽引して近代経済のカタチを形成した。大きな歪みが多様なカタチで噴出する今。
(やらせ)(偽装)(改ざん)の三点セットが我田引水的資本主義を生産してきた。税は、敬遠されがちだが、これからは公共アイテムのメンテもさることながら景観VISUAL創出に必須だ。
会社経営は、公共社会への貢献をより逞しくしなければならない。公道を走る世界を代表する企業が(身勝手中心主義)ではなんとも情けない。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ&「Name the title itself is contemporary art」シリーズ 奏松画廊松久

2020/12月下旬
破鏡の嘆き。離婚して悲しむこと。しかし、離婚は文化の尺度といわれる。アメリカほどではないにしてもかなり進んでいる。結婚前から契約書があり、
その後の慰謝料、子供養育費等々がはっきりと。で、破鏡の喜びにひたる元マダム。しかし、殿方は世間体、見栄、しがらみを気にする。だから(卒婚・恋活)が流行る。
スマートといえばスマート。将来、AI時代が大きく進展し、トランクひとつのライフスタイルが定着すれば文化度もまた大きく上がるかと。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/12月下旬
商品広告や天気図、しょっちゅう登場するタレント。そして名勝風景。あらゆるvisualメッセージが固定化している。
例えば、天気図を額縁に入れてギャラリーでプレゼンするとそれは天気図でなくなる。ビール瓶も同じ。ギャラリーの床に敷き詰める。ビールでなくなる。
タレントのミニチュア3D彫刻を壁に貼付するとそれはタレントではない。よく手を変え品を変え販売する。ミニマルアートがminimal ARTSになって繰り返し反復される。
歴史上は過去のジャンルではあるが手法は今だに健在だ。大衆はcontemporaryARTSは解らない。という人が多い。しかし、いつのまにか潜在意識を覚醒させられているのだが・・・。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/12月下旬
何気なく居酒屋の暖簾をくぐる。そもそも居酒とはなんだろうか。大昔は(居酒致し候)。という張り紙があったという。買っては帰らずにその場で飲む人。例えば掛かり人や奉公人。
デハイ・テッパツ。カクウチという。照れ隠しからきている。手酌は貧乏くさくてみっともない。しかし、ひとり天空に思いをはせ新たなる美意識を手繰り寄せる。それこそ見事な余裕力と言わざるを得ない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/11月下旬
「私はいつも質を求めています」「私は危険な冒険をおかすアーテイストが好きです」「良いアーテイストの第一条件は、文化に影響を与えるアーテイストだと思っています」
「私たちのものの見方を変えることが出来る人、そして発明能力があるということです」1977バイカートギャラリーから独立したギャラリスト。メアリーブーン。
流行に流されない一途さ。遠くを眺める眼差しが素晴らしい。SHADOWシリーズ&パフォーマンスアートシリーズ。soumatsu art gallery

2020/11月下旬
(アート作品の発明能力)とは、ただオリジナルという古色蒼然とした作品ではない。それはサプライズ。自負するわけではないが、たとえば(人物画専門画廊)のような作品だ。
そのコンセプトは余裕・恋愛・品格。それらが消費経済社会の中でアートに翻訳される。メアリーブーンなら食い付くことこと間違いなしだろう。
★★★★★人間力を発明する奏松画廊松久matsukyu

2020/11月下旬
アメリカには多くのARTS領域教育施設がある。そのひとつにロードアイランド・スクール・オブ・デザインというところがある。シマグニではほとんど知られていない。
リスペクトするARTS表現家ジェニーホォルツァーが出身だ。優秀な学生が多く集まる世界各地から。アートからARTS教育へ進展するべく規制改革が必須だ、シマグニでは。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/11月下旬
「いい広告には物語がある」。マッドメンのドンドレイバーが口癖にしているフレーズだ。「人は芸術作品を着るか、自身が作品になるべきだ」オスカーワイルドは放つ。
そして今やコラボは当たり前になった。多様なジャンルに波及したコンテンポラリーアートは、アイロニカルな反抗心とともにボブディランさえも風の中に舞い込んだ。
シマグニではいまだに景観に溶け込むアートが物語を携えてない。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2020/11月下旬
世界はイメージの氾濫といっても過言ではない。改めて暗闇や影の中に身を置く。具体的にはたとえば洞窟の中とか。都会ではなかなか体験しづらいかもしれない。
しかし、ハタヨガで目を閉じる。無心の境地。身も心も開放される時間。その時間にイメージが錯綜する。積み重なる。そこから道が見える。
あるいは未来につながる予感が垣間見える。エリアーデは、外界との(気の交流)を通して自己を体験的に探る。それは意識の源を探る旅に。
恵比寿・写真美術館にて。イメージの洞窟展プレゼン・奏松画廊松久matsukyu

2020/11月下旬
記号の流通と消費・がテーマである。そしてそのプロセスが暗示する隷属関係・がより重要である。権力の匿名の声・が命ずるままに記号を消費。
彼女のアイロニカルな表現だ。リスペクトするメアリーブーンが最初にピックアップしサポートした。1987に。バーバラクルーガー。(反権力&反芸術)。
このころシマグニではバブリーな風に踊っていた。SHADOWシリーズ。soumatsu art galler

2020/11月下旬
渋谷の交差点。大きな電子看板。そのひとつ。たけしが左の眼を左指で少し開けてるポーズ。AV動画制作プロデュース会社のCM。もはや大手を振って大衆化している。
貢献度は高い。性犯罪が大きく抑制されているからだ。(正反合)。常識と非常識。ボカシモザイクだけで倫理をカルくオーバーする。合法・合政治・合経済・合文化。
そして、反芸術が合芸術に認識される。意識のハードルを更に低くしてくれる。(アートに翻訳)される効用がこのジャンルにも。
渋谷交差点にて・奏松画廊松久matsukyu

2020/11月下旬
かって公衆電話ボックスがあった。その中にピンクステッカーがところせましと貼られていた。このボックスはARTS表現ギャラリーだ。
ジェニーホルツァーもまたその企みをプレゼンした。そして今、マスクが浮上している。唇や鼻を隠すことが卑猥なピンク表現になる。
多くの男たちはこのメディアがいたるところに氾濫することを密かに喜んでいるに違いない。そして自らにやつくことをさとられることがない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/11月下旬
階調が美意識を大きくくすぐる。モノクロームの陰影がまるで細密な静物画のようだ。一見穏やかなvisualだが、何か不気味さが漂う。
具象的ではあるが、何かハイパーリアリズムのような非現実感を炙り出す。ロバートメイプルソープ。SHADOWが心に刺さる。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/11月下旬
接吻によってレズビアンの潜在意識が覚醒させられる。二度と後戻りできない誘惑的性への倒錯が生産される。ロジェバディムの(血とバラ)。反ロマンス。
それはオーラルチャクラマッサージの究極的効果だ。母と息子。世の中の悪徳のすべてを無力な夫に押し付けて息子の潜在意識を引き出す母親の錯乱。愛は同義語。
ジョルジュバタイユ(わが母)。ロマンスと反ロマンスが視野狭窄から逸脱させる。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/11月下旬
縫い目を表側に出す。普段着でしかなかったニットをパーティードレスに。(裸で生きたい)。脱流行。あれこれいろんな格好をする女性は嫌い。
できるだけ長い時間、鏡を見ること。鏡の中の自分と対話する。そこから個性が発見される。潜在意識を手繰り寄せる。ソニアリキエル。
素敵な女性というものは、多面性のある人。エレガントな女らしさ。少年ぽさ、母性、娼婦性。ミステリアスとオープンマインド。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/11月下旬
(クールビューティ)。冷静沈着に。AIをコアにIoTが大きく進展し、もはやそうならざるを得ない。時に熱く時に冷静に。ラグビーは一見熱く映るが、データはスポーツビジネスをクールにする。
松の間。そのふと沈着な秋の雨。白雨。という事象がある。にわか雨でいささか激しい。松クラスに似合わない。すすきのほほを撫でるかのような微風がたなびく。そんな間こそ令であり、クールだ。
令和の時間に美意識・美学を醸成したい。
★★★★★庭園美術館&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/11月下旬
「都民ファースト」が「公共工事ファースト」に勝った。千代田区で街路樹伐採を踏み止まらせた。2020へ向けて道路施設を環境デザイン無視という無謀な役人仕事を
<小池構造改革効果> がコンフィーな結果をもたらした。スピーディだ。それにしても百年持続した街路樹たちを風景としてコラボするセンスを「感じる&考える」マインドがない、
という人格はどこからくるのだろうか。都庁でも国交省でも多様な研修は実施されているだろう。にもかかわらず、である。闇は深い・・・。奏松画廊matsukyu

2020/11月下旬
クチュリエは単なる職業ではない。すべての天職と同様必要なのは教育ではない。インスピレーションと潜在意識下から引き出された才能だ。ルイフェロー。
学校で学んでない。幼いころに芽生えた女性崇拝が彼をモードの世界へ向かわせた。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/11月下旬
夜に強い。夜中の12時過ぎから始まる。パーティ好き。アバンギャルド。排他的。トガッテる。平凡な他人との違いをコトバやファッションでカタりミセビラかす。
世界のどの街でもいるが、今年のご時世はすっかり影を潜めた。パリではそのはみだしの事情通をブランシェという。どこに潜っているいるのだろうか。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/11月下旬
ゲイジュツの秋ではあるが。しかし、幅の狭い、視野の狭いアートプレゼンがオンパレードである。時間的にも過去が多い。
ミュージアムも既存マスコミもあまりにも大衆迎合に偏り過ぎる。かって(話がパルコ)という流行りコトバがあった。つまり意味不明ということの例えだ。
世間は「見えるモノは見え、見えないモノは怪しからん」のベクトルに向かいつつある。SHADOWシリーズ&パフォーマンスアートシリーズ。奏松画廊松久

2020/11月下旬
NYCアッパーイーストの女子学生たちは超ミニスカートだ。2007の秋からスタートするTVドラマ。当時アメリカ経済は住宅ブームとバブルに沸く。
(マンウォッチング)。デスモンドモリス。スカート丈と景気の相関関係。株式相場が上がるとスカート丈も上がる。(財政的に保証されると女性は男性に大胆な誘惑を感じる)ようになる。
(ゴシップガール)。常に財政的豊かさに溢れたこのエリアの男性たち。若さと魅力に溢れた女子学生が短い丈で活発になるのは当たり前だろう。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/11月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その19。
木ばかりを見て森を見ない。また森を見ることが怖い。大きなビジョンをカタル人物が少ない。小さな幸せがあればそれで充分。
その思考や雰囲気が長く継続すれば時代の器は狭小化する。(森を見る)教育が必須。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。
詳細はプロフィールにリンクする奏松画廊でチェックされて下さい。奏松画廊松久

2020/11月下旬
保湿は重要な機能だ。特に皮膚の色艶や若々しさは何物にも代えがたい。その大きな働きにヒアルロン酸がある。アラフィフやアラカンの女性たちとはたちの女性では大違い。
4分の1に減少する。ケアが極めて重要。潜在意識下に眠るこの成分の再生を。コラーゲン再生と並んで何はさておいても。最も効果的手法に(ハタヨガパフォーマンスARTS施術)がある。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
大正から昭和にかけて吉祥寺は文化人でにぎわっていた。その中心的画家に織田一麿がいた。亀井勝一郎は特に好きだったらしい。
「同じ町に住んでいるのでいつも町でお会いした。気軽でユーモラス。飄々としてどこかとぼけたところがあった」と。
野口雨情、野田宇太郎、美濃部達吉、小畠鼎子、石井漠、そして金子光晴等々。たましん地域文化財団の室長をされている保坂一房氏の講演にて。
おとぱサロン・武蔵野プレイス・奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
鰻の蒲焼きに粉山椒。毒消しの効果。ところが実際は効果なし。俗説。なんとなく毒を消してくれるような錯覚を与えるからだ。(岩盤規制に楔を打ち込む)。
意気込む姿勢は大切だ。錯覚に陥らぬように。(山椒は小粒でもピリリと辛い)になることを多くの民は期待している。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
シマグニでは、古くから盆踊り、日本舞踊、五穀豊穣やいとなみ祈願と深い関りがある。そして今やクラシックバレー、ジャズダンスからサーカス・・・。
多様化。昨日FBfの坂田守さんから招待を頂いた。コンテンポラリーダンスプレゼン。パリで旗揚げして五年。パリスタッフの演出家やビデオアーティストたちとのコラボ。
更には長唄・杵屋佐喜さんが参加。ま、詩でいえば自由詩ということに。新作(KURURI)という輪廻転生がテーマかのような・・・。時代が大きな曲がり角に来ている。
ステージ上のスタイルより野外の、たとえば海辺とか滝のある場とか・・・。少し工夫が必要かと。小一時間のメディテイションするにはNICEな時間だった。
青山の東京ウィメンズプラザホールにて。soumatsu art gallery

2020/10月下旬
アーティストは年齢で仕事をしない。が、よく若手芸術家だけのコンペとかある。あるいは行政管理の海外派遣芸術家も制限がある。
時代が大きな曲がり角に。固定観念・社会通念を打破する。(雑談倶楽部)はそのアート思想を根底に世間話に花を咲かせる。
手法は参加者にもよるが(身も心も開放される瞑想ヨガ)もある。吉祥寺秋祭りにて・奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
早死にするシニアもいれば長生きするシニアもいる。その分かれ目は何だろうか。ひとつはアイロニカルな反骨心が削がれたひとが多いからだ。
頑固な精神力が薄れている。なるようになれ・ケセラセラ・・・。だから、一向に反省してない。既存マスコミの管理者たちが。
相変わらず(おとうさんおかあさん)となめているスタッフをたしなめない。それが蔓延して夜の横丁でも平気で使う。全く困ったもんだ。
青山のあるマルシェ&近くのワインバル。soumatsu art gallery

2020/10月下旬
かって河原温は、知人に毎日葉書を送った。日付のみの。生きてる証だろうか。今やSNSメディアは多くの人が生存証明を発信している。
で、吉祥寺のとあるところに蕎麦屋ができていた。昔なら当分は秘密になっているだろうが、すぐチェックされて混むことだろう。昭和レトロ風のリノベがniceだ。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
今年の渋谷で某SCキャンペーンテーマだった。(Ethical)。もちろん奏松画廊のプレゼンしたメッセージアート作品からのリプレゼンテイション&アプリプリエーション引用だ。
さて、どれだけ効果が上がったのだろうか。売り上げじゃなくワードアートの効果が・・・。奏松画廊matsukyu

2020/10月下旬
高校時代の多様多彩な世代パーティ。新橋の老舗中華料理店にて。東京芸術劇場館長である福地先輩(アサヒビール会長社長相談役)と元文部省高官先輩。奏松画廊matsukyu

2020/10月下旬
かって60年前後に動いたり光ったりするアートが流行った。ネオンがアートになった。キネティックアートという。もはや素材のフレームを超えてフィルムから電子的ビデオへと・・・。
今の動画のはしりとして活躍した。元はロシアアバンギャルドアートがある。といって未完のアートではない。アート過程に途中はない。
その時々のプレゼンは、あらゆるジャンルに影響を与えてきた。それはアート思想の系譜でもある。しかし、今流行りのAIアートがアート思想をケイタイしているだろうか。
単なる形態の可笑しさに落ちている。何故か。アート思想から遠く離脱しているからだ。鑑賞者たちもまたアート教育を継承していないからだ。
もっと解りやすく言えば(アナログの訓練)を逞しくしていないからだ。吉祥寺デッサン。soumatsu art gallery

2020/10月下旬
(異端)と(反骨)は、親戚であるようなセンスではあるが、アート思想的には違う。たとえばゲーム映像あたりをリブレゼンション手法で加工しても
シナリオが単なる少し今までとは異なるくらいでは世界をメタモルできない。反骨は世界の課題問題に果敢にチャレンジするワードアート&ビジュアルだ。
つまり既存の価値観にNOを突き付ける。かって第五精神外科という名の映像作家がいた。スカトロジーがテーマ。脱糞するアート。
デュシャンとアナロジーしているかと。つまり(世界にくそくらえ)というメッセージを臭わせた。
★★★★★吉祥寺・サムタイム・パフォーマンスアートシリーズ&八重洲オープンエアワインバル。奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
(聖火台の炎)というタイトルがある。1989/10月竣工。アサヒビール本社前のオブジェ。デザイナーはフィリップスタルク。
建築からインテリア、家具、食器、そしてインダストリアルデザイン、グラフィックデザインと多岐にわたる。
インテリア・プロダクトデザイン学校卒で建築は学んでない。ル・コルビジェもまた時計職人養成デザイン学校卒で建築は学んでない。
しかし、建築ジャンルで活躍出来る。しかし、シマグニは出来ない。資格が必須。(岩盤規制をこじ開ける)。腹をくくって民のために力技を。
例えば、現状の建築事務所+施工会社を一体化する。その上にARTS表現家や多様なデザイナー、スタイリストがいる。
そうすればフランス並みの風景規制が誕生して尚且つバランスセンス溢れる街創生が再生する。大都市であろうとローカルであろうと。
ひとことで言うと(楽しい街創り)。それが出来ないと無電柱化推進法の二の舞になり進展しない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
ベルリンの壁崩壊後アートへの渇望が女性アーテイストを表面化した。隠ぺいされた性へのストレートな表情。戦うアート。自由への挑戦。
1970年代から今に至るポーランド女性作家たち。タイトルは(しなやかな闘い)になっているが極めて激しい映像だ。恵比寿・写真美術館にて。奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
茄子と男は黒いがよい。色の白いは七難隠す。茄子と女房は若いがよい。しかし、今やアラサー、アラフォー、アラフィフ、アラカン、アラセブ。
生命力が大きく前進し、色艶はさらに前向きに。消費経済が熟成し、ヘルシーライフは必須だ。いよいよ食欲秋だが、色艶の秋はなにものにも代え難い時節。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
「言葉が出ない」「言葉では言い表せない」。よく感動したときに使う。しかし、言葉を理解できない・症状というか生まれつきにその手の障害がある。
だから文字が読めない。VISUALが錯視する。知的能力や知覚能力は問題ない。どちらかというと優れている。エジソン、アインシュタインもそうだったという。
(失語症・ディスレクシア)という。「臭い物に蓋をする」。江戸の悪習がこんな視野狭窄を生む。今だにこのDNAが残存している。その手の水脈は度し難い。
(多様な構造改革)が必須だ。パフォーマンスアート&art decoアート。soumatsu art gallery

2020/10月下旬
テニスにしろ100mアスリートにしろ時代は(チーム○○)になってより記録にチャレンジするシステムだ。最近では(チーム大坂なおみ)が話題をさらった。
フィジカルで日本人スタッフ。メンタルも、visualも。多くのスタッフが一丸となる。もちろん資金スタッフも。アート業界もまたチームだ。
例えばジェフクーンズ。元ウォールストリートの証券マン。イメージコンサルから資金スタッフから施工会社からサザビーのような戦略価格装置の顧客スタッフから・・・と。
だからこそ生存アーティストで最高値がつく。しかし、今だにシマグニでは(個人シコシコ型)アーティストや芸術家があまりにも多い。
何故か。GDPは世界上位ではあるが、資産家はほとんどいない、contemporary系ARTSジャンルサポートで。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
難民が6500万近くいる。世界各地のフォトグラファーが6千人近くいて8万点応募した。世界中で350万を動員。
触発、飢餓、原発災害、底辺の民等々「人間が生死」する瞬間がプレゼンされていた。
そこには恵比寿で平和に佇むフォトミュージアムの館すらも震撼させる沈黙の叫びが伝わる。ギリギリの前線で「むき出しの人間そのものがアート」だ。
世界報道写真展2016より。東京都写真美術館にて。奏松画廊matsukyu

2020/10月下旬
企業がアートギャラリーを直接施設として所有運営する。サッカーがそうであった。そこから分離してプロチームになった。例えばパナソニック。
汐留にある。常設はルオーコレクション。企画展は住設関係が多い。他の企業ギャラリーもまたマーケティングとして運営する。
しかし、それではcontemporary系ARTSは細る一方だ。
ちまちまと街のアートギャラリーがプロデュースする程度では世界に勝てるわけがない。
独立した組織としてのARTSgalleryにする時代だ。サッカーチームのように。競争意識を逞しくする。ARTSオークションビジネスをJリーグビジネスのようにする。
固定観念化されたアート業界の規制打破。SNSを使いこなす若いビジネスマンに期待したい。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画

2020/10月下旬
(実るほど頭を垂れる稲穂かな)。(物言えば唇寒し秋の風)。しかし、SNSメディアも既存メディアも(腹膨れる心地)良さに絶口調の日々だ。
昨日久しぶりに西荻のコの字形和バルで尊敬する金子光晴を聞いた。同世代のオヤジに、隣に座る。気をよくして高円寺に。ナイトウォーキング。
アワビダイスキの森本レオ、と批評家柄谷行人が住んでいるが。グーなカラオケ居酒屋を探し当てるクンクンと。小雨が降る・・・。(雨の旅人)を歌うに相応しい。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
雑誌の時代があった。百花繚乱した。60年代後半~70年代にかけて。何が乱舞したのか。サブカル。映画、美術、演劇、写真、デザイン、ファッション。
特に映画雑誌は突出。季刊フィルム、シネマ69、眼、映画批評、映画芸術、映画評論。対峙するベクトルに(政治的無関心、脱政治化)が進んだ。
つまり政治経済を生でカタらないことがエエカッコしいと。しかし、COBID-19が炙り出したARTS領域は具体的な政治経済のコンテンツだ。
もはや時代はウイングをカタらない、ライトであろうとレフトであろうと。つまりあらゆるジャンルで今のベースをクリエイトした、青春の蹉跌が大きな財産になっていく。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
芸術・文学や哲学あたりは既に死んだといわれている。(自由に考える)ことが出来ないひとが多すぎるとマルクスガブリエルという哲学者がいう。
ひとりで酒をのむ場にふたりとか三人とかでくる。群れる習性が身についている。かってそんな場で隣り合わせた人とカタったり。そうゆう人も場もほとんど少ない・・・。
そんな場でもスマホいじりをしている。隣とカタりかける気分がわかないのだろうか。ダイバーシティ・シリーズ。&パフォーマンスアートシリーズ。soumatsu art gallery

2020/10月下旬
感情類語辞典が評判がいいらしい。更には性格類語辞典も出てるらしい。シマグニピープルたちは以前から「画一的とか横並び意識」がはびこっている。
つまり個性的な感情を表現することを訓練していない。あるいは「表現の自由」を思いっきり使っていない。近頃ブサイクを逆手にとってよりブサイクアピールするタレントたちが出現しだした。
まさに「いいね」だ。類は友を呼ぶ、から脱却したいね。恵比寿界隈より。奏松画廊matsukyu

2020/10月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その15。
ツルピカが定着してきた。デッパラもまた恰幅の良さに通じる。女性たちもデブセンがまんまカッコいい。グレーヘアがまんまカッコだしてきた。
(マイナスをプラス)にする手法が流行りだした。モデルたちもオウベイ化からまんまアジア化にシフトしだしつつある。(VISUALの横並び意識)をメタモルする。
非常識を訓練する。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。詳細はプロフィールにリンクする奏松画廊でチェックしてください。soumatsu art gallery

2020/10月下旬
芸術の秋という。しかし、この70年近くキャッチアップしてきたのは政治経済ジャンルだ。ひたすらごはんを食べることに必死だった。
マシンが働いてくれる時代の到来。そこで最も先端性の高い芸術活動が都内にある。(麹町中学)だ。どうしてという声があがりそうだが。
公立中でありながら異端の道を教える。まず試験の中止。宿題をやめる。そのかわり(考える&感じる)ことを自ら学ぶ。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
「人間、妙な動物だなぁ。だれもかれもどういうつもりで生きているんだ。苦し紛れに生きてるマネしてるだけだ」。
「生きるのって退屈ね」。
「誰が何と言おうと、私は私を許してやるわ」。
虚無感。ニヒリズム。反社会的。破滅願望。それにしても役者がみんな活き活きしている。宮口精二。東野英治郎。山茶花究。杉浦直樹。三上真一郎。原知佐子。
そして加賀まりこ。主役は、池辺良。マーティンスコセッジ監督、コッポラ監督。この映画を30回以上研究した。松竹ヌーベルバーグ派。新宿ATG。黒い緞帳。
1964年公開。東京オリンピック。原作石原慎太郎。映画(乾いた花)。音楽・武満徹、高橋悠治。この一本、世界に堂々と誇れる。
COBID-19で失業者が世界中で溢れている。さて、レッカマンたちよ、どうするッ。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
「襲ね色目」という平安貴族の女性がまとった女房装束がある。かさねいろめ・と読む。表地と裏地の色を変えることで襟元、袖口、裾回りに来ている地色を見せて
「色合いや布地の構造を明確にアピール」することが習わしであった。しかし、今やのさばり続けているお上意識の強い役人たちはすっかり構造を隠蔽する癖がついている。
「どうせ民度の低い大衆」にカンタンソコソコ説明で事足りる、と。公共建築物もそうだ。地味な灰色の隠蔽的カラーがビジュアルだ。
かって灰色高官と揶揄された時節もあった。「シマグニの春」が目覚めるときは今しかない。腹を括って小池知事にリノベーションして頂きたい。
恵比寿散策。いつもの日本蕎麦屋で。奏松画廊matsukyu

2020/10月下旬
ボックスプレゼンに価値はないと常々しゃべってきた。だからそのボックスの中で妥協せざるを得ないプレゼンは(表現の不自由でしかない)プレゼンということになる。
更に(SNS拡散を禁止する)ことは(アナクロニズム以外の何物でもない)ということになる。オピー(日本生命・オペラシィギャラリー)のプレゼンはデジタルサイネージも有効使用されていた。
だからこそSNS拡散のための撮影はOKだった。武蔵野市民文化祭というイベントがある。
チアリーディング・バンド・殺陣・吟舞・コーラス・朗読・日舞・和太鼓等々のパホーマンスアートをプレゼンするプログラムがあった。
しかし、SNS拡散は禁止という。役所のアナクロ視野狭窄に辟易する。
★闘うポーランド女性作家たちのプレゼン・恵比寿写真美術館にて。奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
(分類学的境界を無視)(多種多様な作品展示)。採算を度外視する度胸。1975。池袋が話題をさらった時代があった。西武美術館オープン。
しかし、実際の展示作品はそれほど多様化してはなかった。今、渋谷がリノベーションしつつある。同じく電鉄会社。
先を見据えたコンセプトが作用を及ぼす街プレゼンになるのだろうか。
単なる消費経済の持続発展だけでは(カルチャー&サブカルの発信地)からほどなくするまでもなく飽きられるだろう。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
「銀色の裸体」。日本プレゼン「BUTOH」が世界でアートした。室伏鴻が亡くなって一年ちょっとが経つ。78年にパリで上演した「最後の楽園」がひと月のロングラン公演となった。
「死と再生」がテーマだ。死ななければならないピープルたちが生き延び、再生しなければならないピープルたちが飛び立てない。
そんな時間が延々と持続している。時は熟した。TOKYOが先頭をきって再生する絶好のチャンスがきつつある。久しぶりに「政治の季節」がムーブメントになりつつある。
ここ半年が勝負だ。恵比寿ウォッチング。奏松画廊matsukyu

2020/10月下旬
新宿昭和館地下劇場。飯田橋佳作座。池袋文芸坐。かってわりかしよく通った。東映やくざ路線。そして日活ピンク。久しぶりにG街による。
ほのかさんライブの後。相変わらず海外ピープルは多い。鳥立ち・に行く。チラシがあった・神代辰巳のアーカイブ上映。B級がにぎわっていた時代。
絵沢萌子が実にいい。どこにでもいるおばさんに光が。神代の反骨がここに表現されていた。
ゴールデン街・鳥立ちにて・奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
(トビマストビマス)。そんな期待があった。百年に一度の(インスタレーションARTS表現)に。大きい壁に立ち向かう。トビ技は必須だ。
その予感を漂わせていた名前だったはず。ひと場所いちにど度は挑戦する技。(非常識を訓練する)。(潜在意識の開発開拓)。翔猿。これから大いに磨く余地がある。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
大島渚がたとえ整理整頓されていないフィルムをそのまま流せ、と。吉村昭もまた間違いを編集するな、と。自らの荒々しい表現を思いっきり世に問うた。
率直に自らの信念を吐露する。妙な駆け引きやグルコネダンゴウを拒否して白日の下に晒す。使いこなせてない「表現の自由」という重箱をぶっ壊す。
そこから「BEYOND THE FRAME ART」と共振するクールジャパンが見えてくる。久しぶりに心のすく所信表明を耳にした。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2020/10月下旬
「たとえ自分の土地でも亡くなれば地球に返す」。と若くして亡くなった樹木希林さんがしゃべっていた。哲学的なメッセージが役者魂と相通じる。
表情がひょうひょうとしていた。若くして老け役が似合っていた。江戸時代は一般の民は墓がなかった。海に散骨や共同土葬が話題にはなる。
ふるさとの先祖伝来の墓。つい最近明治以降ことである。これから哲学や芸術的な風土が復活するかもしれない・・・。(パフォーマンスアート)シリーズ。
青山のとあるオブジェ&渋谷ドイツビールバル。

2020/10月下旬
中小零細企業が大きく傾く。そんな状態は美術評論でも起こってきた。この十数年。(文化的零細)ジャンルに落ちた。
60~70は、作品も評論も互いが触発しあいながらパラレルに走っていたからだ。かって(芸術倶楽部)という専門雑誌があった。
しかし、近頃のアート作品は、批評的精神に鍛えられることもないまま消費経済社会に放り出されている。
つまり学習効果が発信されてない。その典型作品がAI作品だ。テクノは単なる絵具とか筆でしかないのに。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/10月下旬
雑談倶楽部は、井戸端会議やよもやま話をする時間ではない。ストレスが蓄積してなかなか疲労回復が進まない。NYCでも流行っている。(瞑想ヨガ)。
奏松画廊の場合は、もちろん非常識を訓練する手法。脱固定観念。なんでもアートギャラリーに移動すれば作品になる。それはパフォーミングアートプレイだ。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/10月下旬
贅肉をそぎ落とす。昔は(シェイプアップ)という流行りコトバがあった。組織を整理整頓する。活躍しないできない。リストラは当たり前。
ひとつの組織では視野狭窄。(中小企業を束ねる、まとめる)。企画部門・営業部門。財務部門。製造部門。物流部門。要するに永田町&霞が関リーダーシップ化。
デービッドアトキンソンさんのプレゼンは時代の曲がり角にふさわしい。地銀再編とも並走。つまり(シマグニそのものを整理整頓・断捨離)すること。
。もちろん二重行政も。そして、風景改革も。シマグニは黒船の大ナタが必須。角栄さんの列島改造ならぬ(列島断捨離)。出来れば(すがすがしい)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/9月下旬
モダンとポストモダン。デザインが前進を当たり前としている状況ではこの対立概念は成立不可である。固定観念を打破することが、時代の豊かさ故に足を引っ張られている。
もはや改革が遅々としてダウンしているのは、この概念が邪魔しているかと。呪縛から解放されることが一歩だ。テクノが進んでもイメージは進んでいない。
むしろマイナスが拡張しているかと。その意味では(ホストモダン)ではある。コンサバもしかり。モダンのうちである。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月下旬
「小さな劇場でも必要なら大きな予算をつければいい」。 <非日常> の創造を通じて社会に問題提起。アートプレゼンする劇場。街一番の金食い虫という例も多い。
が、それは「投資」になる。劇場法が <時代を育てるアート> になる。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊

2020/9月下旬
素麺の薬味にかかせない。(世間に茗荷という草は・・・、槃特の廟より生える草なり。故に鈍根というなり)。槃特は釈迦の弟子。
自分の名を忘れるほど物覚えが悪い。死後、彼の墓に草が生えたので、おおかた彼の名を荷って生えてきたのだろうとその名を「茗荷」と名付けた。
仏書・法華経直談書。もちろん俗説。バカになることはない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
(表現の自由)についていろいろプレゼンしてきた。自主規制している。抑制し過ぎる。ブレーキをかけすぎ。ゆるい枠の中にハマりすぎる。
そのセンスはもっぱら表現というよりは(アート思想)の問題がほとんどだ。アートに翻訳意訳する。ことが不適切な政治的問題や課題に踏み込み過ぎると、
それは自由不自由から大きく離れる作業になる。アート思想を熟知した上で表現の自由をギリギリ謳歌する。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月下旬
芝生の庭に一戸建ての家。郊外住宅。(アメリカンホーム)。1940~1950年代。戦後シマグニでは公団住宅・ボックスライフが始まる。
GMは、56年自動車ショーをきっかけにクルマだけではなくライフスタイルの充実をプレゼンしていった。特にキッチンライフ。そしてホームドラマの人気。
生活の豊かさとともに歩んできたデザイン。しかし、シマグニは大きく遅れた。今ようやく地域地方での特産品にシマグニらしき意匠が進展する。
地域の小さな会社やデザイナーたちがこれからの主役になりそうな予感が。では今までの中央の大きな会社はどうするのか。
対極的視点から(ARTSプロデュース)をより強く推進することが大きな役割に。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
なかなか阿呆になりきれない時世ではある。阿呆の坂田サンのような人物がいない。なぜだろうか。損をするからだろうか。馬鹿にされるからだろうか。
しかし、エラソぶる人は大勢いる。エバる人も多い。(賢いと阿呆)にわけると勝者は決まっている。一度開放してみてはどうだろうか。
身も心も解き放たれて・・・。三鷹阿波踊り・奏松画廊松久matsukyu

2020/9月下旬
岐阜県の高山市にある。あった。飛騨国際工芸学園。創立はバブル期。(経済大国になった今こそ芸術教育だ)。バウハウスを理念に。
木工や家具デザイン、アート、言語学、陶芸、染色等。2013年廃校に。応募学生不足。ローカルで現代美術というフレームに教育がついていけない。
現代美術館も。センターも。何故だろうか。時代はAI&ioTがすさまじい勢いだ。もはやどこにいても教育が成立する。
ボックスギャラリーは無意味だと過去に何度もプレゼンした。エリアや友達あたりの仲間界隈で慰めあうだけだと。
だからこそインスタレーション&パフォーミングARTSが出てきた。街のコト・monoそのものや野外鑑賞等々。受け取る人々の刺激欲望を満足させるために。
昔からローカルであろうとシティであろうと青少年は刺激を大きく欲しがる そして今、ミドルシニアもまた刺激を求めている。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
「小さな旅」。アートコレクターからのお招きで久しぶりに逗子へ。「冬のリビエラ」ならぬ夏のリビエラ、それも曇天だ。40年前に西武がディベロップメント。
若者たちもそこそこたむろしてはいたが、何かものうげな表情・・・。逗子駅界隈もパッとしないが、誘い込まれるようなワクワク感が乏しい。
★★★★★(非常識を訓練)するシリーズ。

2020/9月下旬
その12。
愛情、寛容、世界観、知性、アート&デザインセンス、ジョーク等々。とにかく視野狭窄ピープルが多すぎる。
これほどシマグニに閉じ込められた時代から遠のいたにも。フレームから翼を拡げる。アイロニカルな発信力を高める。非常識を訓練する。
創造力&想像力が高まる。必ず効果は出る。詳細は奏松プロフィール→奏松画廊管理→ページ情報→HPでチェック。
★★★★★(パフォーマンスアート)シリーズ。地元吉祥寺井の頭公園にて。soumatsu art gallery

2020/9月下旬
(言葉を誘う)という言い方がある。例えば俵屋宗達の鶴下絵和歌巻。本阿弥光悦の書が鳥とともに飛ぶ。言葉は今、ARTS表現では重要な役割を飛ばせる。
造形芸術のフレームを離れて(社会の問題課題に挑戦)すること。そこにコトバ・WORDを誘う。これからの(用の美)とは単なる工芸ではない。
(美の用)もまた極めて重要だ。そのためには潜在意識の開拓開発は欠かせない。自らの固定観念・社会通念をちゃぶ台返しする。その反骨が美の用へ導く。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
スェーデンと経済規模がほぼ同じくらいの東京。その役人たちと議会がつるんで「闇の中の魑魅魍魎」かのような妖怪世界があるらしい。
ま、その妖怪は伝統ではある。大昔の「みみずく土偶」から平安鎌倉の「辟邪絵」。そして室町の「百鬼夜行」、南北朝の「土蜘蛛草子」。
更には江戸葛飾北斎の「こはだ小平二」「天狗図」等々と多様な恐怖感を表現してきた。自らのグループと違うものたちを恐れた。
それこそシマグニ根性の典型だろう。延々と持続している魔界に切り込む小池新知事とそのブレーンであるFB友である若狭衆院議員。
ぜひとも魔界から視界がすっきりとしたような透明感のあるアートにしてほしいかと・・・。「大妖怪展」江戸東京博物館2016より。
★★★★★テーマは「POSTCARD」シリーズ。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2020/9月下旬
「ビジュアル格差」をどう調整しながらグレードアップできるか。以前も発信したが、「メインアーバニスト」という職業がある、フランス。
イメージコンサル、デザイナー、エコロジスト、法律家、スタイリストなどのグループを束ねる。街創りのプロ。コンセプトは「ただ新しいだけではいけない」。
前のめりの表現ではあるが、 <何か懐かしさ> も必須。その猥雑感が、ま、いはば <ビジュアルスパイス> だ。これがないと味わいに物足りなさが漂う。

2020/9月下旬
かって(何もしない)ことが流行った。あらゆるアートデザインが氾濫して洪水に襲われた。
そして(風景の中にパフォーミングアート)する多様性が都会の寂しさ・滑稽さを発信する。(何のために)が流行りそうな予感がする・・・。
★★★★★ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月下旬
(見る行為が他人の見方を借りる)。教育とは借りることだ。膨大な借金にもかかわらず授業料を払う。そして型にはまった見方は沁みつく。
見ているような気がするだけで実は何も見ていない。写真が主流デッサンである。しかし、(写真とは何か)と(写真に何が可能か)との間には相当の隔たりがある。
写真が見たまんましか映らないというもどかしさ。どうvisual処理をしようと抽象表現でしかない。AIvisual動画がとどのつまり大昔の抽象表現から進展していない。
その無力感から解放されることが(世界・写真と自己との距離)を縮める。その方法は潜在意識を開拓開発するしかない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
夏休みが終わろうとしている。ひと夏の体験。ひと夏の思い出。スマホとともに多くのデッサンが記憶されている・・・。道に迷っている子供たちに(ひと夏の気づき)がデッサンされただろうか。
自然から気づいたデッサンは当たり前かも。が、都会でそれも夜のガス管取り換え工事を見て気づいた少年も・・・。母上様がレシピを見ながら料理する姿から気づいたかも・・・。
あるいは父上様の何気ない一冊一曲が心に残ったかも・・・。もちろんセカンドライフの道に迷っている大人も。あるいは不満が温度上昇とともにヒートアップしたやりきれないデッサンにも・・・。
マンションの販売個数が大きくダウンしているらしい。ここからも気づきのデッサンが。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月下旬
死、暴力、性をテーマにする。ニューペインティング派。70年代初め。それは(ひとりワンスタイル)。ジュリアンシュナーベルやデービットサーレ。
過去のようにミニマル派とかコンセプチャル派とかない。雲散霧消する。以前プレゼンしたが(精神的独身者)として閉じこもる。
欧米では自閉症や精神分裂症が軒並み増加している。傾向として(コンピュータープログラミングで自動化されるマシンや玩具)などを好む。
これから時代は身の回りの世話すらも人とのコミュニケも自動化される。すると自閉傾向は更に増加を余儀なくされる。もはや美学美意識はどこにも存在しないARTS領域に突入している。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
経済合理的なスタイル。例えば店舗の動線を売り上げ至上的にデザインする。オフィスの椅子。管理職の椅子は腕木が付く。
しかし、その合理的デザインにアイロニカルな味付けを作用したデザイナーがいた。倉俣史郎。かって博多にイタリア80年代デザインホテル・イルパラッツォがオープンした。
その時バーのデザインを担当。アイロニカルなポストデザインだった。バーの名前も(オボローモフの兄弟)。ロシア映画。怠け者の貴族を茶化す物語。
これからのARTSdesignにアイロニカルな反骨として必須だろう。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
変幻自在の扮装。前人未踏の芸域。エログロナンセンス時代。1920~30年代。同じ扮装を二度と繰り返さない。あくなき変身探求。
狼男、ドラキュラ、志那の探偵、フランケンシュタイン・・・。(異端の造形)。団徳麿。まさに怪優。しかし、怪獣の時代へ。ゴジラ。忍者。そしてテレビ。
竹中労がシビレたアラカン、バンツマの颯爽たる英姿とともに忘却されてはいけない。
今、異端のARTS表現が消えかけている。視野狭窄だらけの表現が正座する時代は面白くない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
長い年月の間、アート業界は男性作家中心であった。この構造に真っ向から改革するアートをプレゼンした女性がいる。ナンシー・スペロ。
極東のシマグニでは全く話題にならなかった。美術史の中からアプロプリエーションしたイメージを解体してリプレゼンテイションする。
もちろん額縁すらも男性中心の付属物ゆえに排除する。美術そのものを「再定義」することで男性優位社会に刃を突き付けた。
こうゆうアーテイストがこのシマグニに必須である。その一番手にポリティカルアーテイストである小池知事に活躍して頂きたい。
★★★★★奏松画廊????️rt gallery・松久matsukyu

2020/9月下旬
(作為的な価値観)を誘導する。それも70年近く。既存メディアの役割も時代にそぐわなくなってきた。(若くスレンダーな女性)がもてはやされた。
大きく価値観が多様化した今、広告メッセージのズレコミがいちぢるしい。この根強いズレは、あらゆる問題課題を孕んでいる。
ジャコメティは、すでにアイロニカルなメッセージを発信していたのに・・・。奏松画廊

2020/9月下旬
(マダガスカル)。といえば催眠術にかかる。コミカルな宝石泥棒とラブロマンス。40年代のアメリカ保険会社が舞台。レトロビジュアルがniceだ。
ウッディアレン監督主演。そしてグラマラスなヘレンハント。軽妙洒脱な字幕。たとえば「ごめんあそばせッ」なんてセリフが。
大人の娯楽にふさわしい一本かと。(スコルピオンの恋まじない)。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/9月下旬
元来固定された主義という考え方が沁みついている。例えば、(財政規律)。基本的な財布の貯め方や使い方。更には(女性らしい言行)。
かってウーマンリブという運動が流行した。(あなたは開放されてないのよ)。この(男らしく女らしく)がARTS表現では大きな問題としてプレゼンされた。
シンディシャーマン。映画の中の偽装スタイルポートレート。(女性はこうあるべき)をアイロニカルに表現した。ARTS領域用語では、アプロプリエーション。
引用・盗用・借用。しかし、シマグニでは遅々として進展してない。女性たちがホントに開放されているのだろうか。まだ道半ばのような気がする。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
世界のアートマーケットを数字で表現すると約6兆5千億くらいらしい。一番はもちろんアメリカ。40%。次いでイギリス。30%。三番は中国。
20%。で、ジャパンは%の外。つまり3%くらい。お話にならない。視野狭窄の塀の中で「あーでもないこーでもない」と騒いでいる。
(パフォーマンスアート)シリーズ&SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2020/9月下旬
居酒屋と喫茶店と古本屋があれば何もいらない。森本レオは高円寺に住んでいる。かって三寺文化といった。吉祥寺と国分寺。サブカルが全盛。
今、古着屋。居酒屋・カフェもべらぼうに増えた。たまに都丸書店に。高円寺阿波踊りにて。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月下旬
解放されてるかどうか・が、その人の才能(再生力・創造力・想像力・忍耐力・持続力・生命力)を十二分に活かすかどうかに大きく作用している。
では解放するにはどうすればいいのか。以前からよくプレゼンしている(潜在意識の開拓開発)をする。その大きな手法に(ハタヨガパフォーマンスARTS施術)がある。
ハ・太陽男性とタ・陰女性の交流が必須。互いの鑑賞ARTSだ。それも触覚で。このインスタレーション&パフォーミングARTS表現が最も効果的。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
強い興味を表現する。例えば最近ではスウェーデンの環境保護活動家少女・グレタさん。NYCへの船動力を太陽熱に。その行為は(インスタレーションARTS)そのものだった。
かってロバートスミッソンは工業地帯から掘り出された膨大な土、岩をダンプで運ぶ光景を見て(ギャラリーに土岩をプレゼンする)。彫刻として。
ドナルドジャッドもまた(絵画の終焉)を主張。1960。そして今、ARTS表現は、行き過ぎた経済活動のブレーキ役として大きく機能せざるを得ない。
かてボイスは誰でもアーティストだ・といった。ひとりひとりの表現が時代を動かす。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
避暑地アマルフィフ。1930年代。世界恐慌なんてなんのその。残された貴族たちの(女と男の物語)。art decoスタイルが素晴らしい。
詐欺師っぽいマダムはNYCのホテル代すら払えずに逃げるように。原作オスカーワイルド。(男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる)。
ヘレンハンドがいい。(アラフィフがいいねぇ~)。ジジいの資産家が求婚する。誤解の紆余曲折があるが、NYCに戻る複葉機(レトロセンスがグー)の中で偶然に資産家ジジいと。
誤解は解ける。映画(理想の女)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月下旬
価値観が合う人と結婚したい。多くの女性たちが口にする。しかし、概ね横並び意識がコンサバを礎にしているシマグニ。そんなに選択に苦労はしない。
だから(ダイバーシティ)がなかなか進展しない。ま、人はそんなに多様化してこなかったのかもしれない。世界中の鳥が色彩だけでも驚く多様化にもかかわらず・・・。
夏休みが終わろうとしている。自然から学んだろうか・・・。
★★★★★ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊松久matsukty

2020/9月下旬
アマゾンで販売しているアートノベルに「境界型」アートをテーマにしているワードアートがある。かって鶴見俊輔が限界芸術論で指摘した時代からはるか時間が経過した。
もはやアートは「ズレ込み」ながら発信している。もはや純粋芸術も大衆芸術も境目はない。実はアメリカで大いに発展していたアートに彼が視野狭窄だった。
60年代から「BEYONDO THE FRAME AMERICAN ART」が爆発していた。某ペーパーマスコミは、今だにそんな彼をピックアップするような遅延さ加減である。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。&「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。
テーマは「BONSAI」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/9月下旬
アメリカのひとたちの70%近くが(孤独)だと感じているらしい。かって60年代の中頃ミニマルアートが全盛だった。
そのムーブメントにアイロニカルにアート翻訳したパフォーマー、ブルースナウマン。道化の拷問・というビデオ作品がある。モニターが二台。
ともに自身のパフォーマンスアート。一台は「ごめんなさい」と何度も謝っている。もう一台は「ノー、ノー、ノー」と繰り返している。
ユーモラスな作品だが、(孤立する人間存在)を表現した。(Name the title itself is contemprary art)シリーズ&(パフォーマンスアート)シリーズ。
soumatsu art gallery

2020/9月下旬
(わかってください)。因幡晃さん。
歌詞から離れるが、世間はわからないことが多々ある。わかってもらいたくないこともまた多々ある。多くの芸術家、アーティスト、役者、ミュージシャン等々。
だからこそ彼女・彼らはこの仕事を選んだ。しかし、コロナ禍で疲弊しているにもかかわらず足を引っ張られて(涙でこころが滲んでいる)。
救済的クラウドファンディングの大きなうねりが起こってもおかしくはない。
✳️カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊

2020/9月下旬
「表現の自由」が担保されてるわりには自主規制しているひとびとが多々いる。なぜか。たとえば既存マスコミの場合は、スポンサークライアントの影響が多大だ。
つまり消費経済が持続することが平和の証だ。地域振興の場合は、概ね役所の担当スタッフが「安全安心」をキーワードに自主規制したリノベーションになるケースが多々ある。
とゆうことは「表現の自由」を思いっきり使い切ってない、とゆうことだ。「感じる&考える」ことを逞しく鍛錬することが必須だ。
★★★★★テーマは「BONSAI」シリーズ。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。

2020/9月下旬
(非常識を訓練)するシリーズ。
その14。
オリジナル・という金科玉条かのような縛りがある。しかし、セレクトショップはもはやそのあるじが目利きが故のオリジナルになっている。
(リミックス)というディスコミュージックから派生した破壊的リズム手法がある。原音はほんのわずかしかない。非常識を訓練する。想像力&創造力が高まる。
必ず効果は出る。詳細は奏松プロフィール→奏松画廊管理→HPでチェック。
★★★★★(SHADOW)シリーズ。&(パフォーマンスアート)シリーズ。soumatsu art gallery

2020/9月下旬
世界は多くの一般ピープルが知るすべもないもひとつの世界がある。例えば各地でちょっとした諍いが勃発してはいるが、全て織り込み済みである。
敢えて遅延するAI民主社会もまたしかりだ。少数の為政マネージメントがえてしてテーブルの下では大衆と反対の行為である。AI・SNS時代が境界をはく奪する。
もちろん世界に目を向けることは必須ではあるが、自身の視野狭窄こそが壁を隔てる。夏休みが終わる。寛容・抑制・品格を携えた(美意識)が、課題問題とともに培われただろうか。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
(よのなかみんなばかなのよ)。中村中。シンガーソングライター。どちらからよんでも(なかむらあたる)。戸籍上性別・男性。
性同一性障害・トランスジェンダー。潜在意識下にある。誰しも。開発開拓されてないだけ。例えば離婚を何度も繰り返す。バランス障害かと。
70%以上自己をオープンに晒すことができる人はわずか。その希少価値はvisualから先行する。拙者もまたそのタイプかと。
だから彼女は視野拡大している。魚眼。そこから生まれたこのタイトル。秀逸だ。COBID19の今、拡散したい。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
これがアートか?あるいはアート化。と感じる考える作品が増加している。たとえば、一般のひとから募集したスカートやブラウスやスラックスなどを木箱に詰める。
プレゼン後それらのものは返却される。あるいは、机と筆記具を用意して来場したひとに自由なフレーズを書いてもらう。
園芸を愛するひとの日々の記録を写真に収める。台湾の作家だ。つまりいきつくとこまでアートが視野を拡大した。
★★★★★テーマは(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)BONSAIシリーズ。soumatsu art gallery

2020/9月上旬
構造改革・を翻訳するとStructural reform。リフォームだと小手先のデザインでしかない。最低限、リノベーションレベルまで。
偽装資本主義・までひっくり返すラベルははるか先のこと。風景が遅々としてメタモルしないもどかしさと暑さに神経が尖るこの真夏日ではあるが、
シニアではあるが益々和らぐ日々は遠い。ま、お盛ん・一直線・だ。人形町デッサン(誤解のないように言っとくが和カルチャーセンスは好物ですよ。
天秤座の????型・及び57番ですからね)soumatsu art gallery

2020/9月上旬
新たな愛に目覚める。そして新しい人生の始まり。出逢いと人生の機微。50歳まで美しく年を重ねる。夫とも一見穏やかな暮らしぶり。が、若気の至りだったシングル時代。
そんな物語映像がパラレルに。ある日年下のコンビニパート・キヌアリーブスに出会う。一瞬にして惹かれる魅力的な妻・ブレイクライブリー。
かなり年上の夫、アランアーキン。元妻のモニカ・ベルッチ。NYCの郊外に引っ越してきた。シニアばかりのその地。visualが素晴らしい。(50歳の恋愛白書)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
大きな批判にさらされた。モンサント社。アグリカルチャーが重要な問題課題に。農業ビジネスの巨大資本に抗い戦うアート。空の種袋をプレゼン。
タイトルは農場名・作物の種類・種をまいた畑の反数を明記。アメリカの小規模農家の窮状を訴える。これからのアートだ。
★★★★★ケイトエリクソン&メルジーグラーのアート作品。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
二畳の狭さ。黒楽茶碗。控えめな静寂。象牙じゃなく竹杓子。一度限りの(パフォーマンスARTSインスタレーション)。一期一会。一座建立。
アイロニカルな表現作法。利休の茶頭・織部。△や◆の図柄。堺市がインターナショナルな交易都市。スペイン・ポルトガルからのデザイン輸入物。
戦国の緊張感が反骨ARTSを生産した。奏松画廊ARTS galleryもまた雑談倶楽部・クラリクラブにその潜在意識下のおもてなし緊張感表現を再生する。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
「スマートシティ」の具体的カタチとはどうゆうものなのか。ひとつは、何度もメッセージを発信している「無電柱化」ランドスケープ。更には「看板規制化」。
ストラスブールにある風景システムが最適。更には「レトロな洗練風景化」。とりあえずこの三点を重点的にアート&デザインする。間違いなく大きく風景がメタモルするわけです。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。&「リブレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。テーマは「BONSAI」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/9月上旬
絵画以上に謎めいた小さな写真。ビート詩人ギンズバーグとの交友。文学史の資料となるかもしれない・・・。ルネマグリットの私的な情景。
もひとつの写真家としての顔。写真が語る市井のアート的事実。
★★★★★テーマはダイバーシティ」シリーズ。&井の頭線渋谷駅改札近くの Graffiti Art 。soumatsu art gallery

2020/9月上旬
★★★★★(非常識を訓練)するシリーズ。
その11。
社会のルールを守る。当たり前だ。しかし、非ルールとの境界ギリギリまで言動の羽根を拡げることはなかなかしない。程々に抑制する。
つまり(解放)されてない。自己を解き放つ・と自分が見えてくる。プラス思考&志向ばかりだとワンサイドしか見えない。(非常識を訓練)すれば、想像力&創造力が逞しくなる。
必ず効果がある。アートレッスンの詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。soumatsu art gallery

2020/9月上旬
何故、アートオークションされた価格は法外なのか。その中にシマグニアートはほとんど入ってないのか。中国アートが上位価格を独占するのか。
(偽装絵画・石膏像)という手法。このアイロニカルな反骨は何故注目されるのか。政治経済活動に(偽装・改ざん・やらせ・隠ぺい)が度々暴露される。
その現実と大いにリンクしているのか。アランマッカラムのアート作品はそのことをプレゼンしてくれる。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
昭和の残像を消す。それが再開発という名の街創生。もちろん役所プロデュース。プレゼンは民間ディベロッパー。しかし、それはリノベーションではない。
クラッシュ&ビルド手法オンリーだ。 <程よいざわめき> をコラージュしてこそ <時代のつながり> を感じる&考える街づくりだ。
古いものをリノベするセンスには銀行が首を縦にふらない。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊

2020/9月上旬
聞香。いい響きだ。茶葉ハンター。二千種以上も。四千年以上も前から嗜まれているらしい・・・。
パリでは値が暴騰する。今ブーム。上海のカフェにいってみたいものだ。
御殿山自邸近くの中国茶カフェデッサン。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
白黒をつける。白黒をつけられない。経済中心に右肩上がりは前者だ。が、カルチャーは優柔不断のグレーかと。不自由さが大きくつきまとう。
そろそろ白黒をつける時にさしかかっている。時代が大きな曲がり角に。もはやボックスプレゼンは価値が低いと。あえて(ざわめきを建て起こす)ことで観客動員数を。
確かに(表現のフレームを目いっぱい拡張する)アートが不人気だった。素材は概ね(性の事)が中心だった。しかし、事は決着がついている。矛先を治め損ねると溝が深まる・・・。
★★★★★messageシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
楕円形のタテ型・床置きタイプのレトロ鏡面。その脇には大理石暖炉。定宿ホテル。マダムオペラ歌手。いやそうだった。足の悪いルームスタッフ。
ひとつのちいさな物語。あるいはブルックリンから離れて海辺のパーク。老夫婦の辛辣な会話。ワカモノがスケートで飛び越える。「チンピラッ」と罵る。
アンディガルシア、ナタリーポートマン、イーサンホーク、ジェームスカーン・・・。NYCをひとつの舞台に仕立てる。
コラージュされる時間やそれぞれの端切れのような物語。スキな手法だ。Amazonで販売している奏松画廊のWORDS ARTSがある。そのひとつ。
「匠異之進・成敗屋の巻」は江戸が舞台。多様な異能者たちが暗躍する。コラージュストーリー。音楽がいい。
ラテン系ビッグバンドが。シャレている。ウマい。visualがグーだ。(ニューヨーク・ラブストーリー)。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
とことん話し合う。冷静に。ただし自分自身の言葉、ことば、コトバで。学者バカとゆうセンスがある。永田町バカとか、赤門バカとか、アホでんねん~、とか。
家族家庭で、会社で「タブーな話」が延々と70年近く持続されている。だからこそ、ではあるが「チャラ男」や「アラフォー」や「ぬれ落ち葉」あたりで
程よさが漂う時代に幕を下ろす。
新たなる劇場の幕を開ける。ワンランクアップ社会を目指すために・・・。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。&「リブレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。テーマは「BONSAI」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/9月上旬
退屈が人生の敵である。たぶんかって宮廷の高官たちは、サーカスのような「おどろおどろしい」奇妙なビジュアルしかけを楽しんだに違いない。
生活のために必死に応えた芸術家たち。アンチンボルドもまたそんなひとりだったのだろう。芸術は娯楽ではない。
★★★★★(パホーマンスアート)シリーズ&「ダイバーシティ」シリーズ。

2020/9月上旬
奏松画廊はよくARTS領域という表現をする。含まれることmonoモノ物たちは、歴史、哲学、文学、地理、音楽等を指摘する。
ここには美術や芸術はない。(オール読物)。老舗の雑誌だ。あらゆるジャンルを包含する。ところがWORDS ARTSはない。
シマグニでは視野狭窄な棲み分けが長い。生まれ変わるとすれば、(読むこと)は極めてこれからは先の眼差しを磨くことで重要。
(解りやすいARTS読物)がWEBスタイルとペーパースタイルの両輪で。それもvisualとwordsのバランスが程よくて。マダムレディ雑誌のセンスとコラボ。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
新天地を夢見ていた。小さな島国で噂話が絶えない、ことに耐えきれない。アイルランドから多くの移民が海を渡った。その地はブルックリン。
1950年代。スイムウェアや海辺で着替えるしぐさ。丸襟のレース付きブラウス。ワイドラペルのスーツ。 <ヴィンテ―ジビジュアル> が素晴らしい。
何気ないシナリオでアート映画。優しい物語でアートになる。映画「Brooklyn」。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。soumatsu art gallery

2020/9月上旬
かってデザインマーケティングの仕事でセントアンドリュースを訪れたことがあったが。快挙である。二十歳で自らの道を頂きに持っていく。
多くのワカモノが迷っている。それにしてもあっけらかんとしていて素晴らしいのひとこと。少子とはいうもののそんな心配を吹っ飛ばした。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
(データが視覚化されたものだけを見て判断するべきで、活動の芸術性を考慮するべきでない)。インスタレーションARTSに理解を示した。
(表現の自由)をフレームぎりぎりまで使いこなすことはアドバイスしてきた。たとえvideo映像であろうと3Dであろうと。
しかし、フレームを超えて(わいせつ図画)をプレゼンする。もちろん違法である。だからシマグニではモザイクをかける。
この手法は氾濫している。自らの芸術行為の貧困性を棚上げして問題をすり替えてはならない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
映画論の映画化。モンタージュ技法。キノグラース。ドキュメンタリー実験映画。今から100年前。ジガべルトフ。
数多くの実験を(カメラ眼を持った男)として今改めて注目。ロシアの産業革命。今、シマグニで働き方改革が実験されようと。
勿論(アート思想とアート)をセットでプレゼンすることもまた注目。
★★★★★(パホーマンスアート)&(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)ミニマルアート。soumatsu art gallery

2020/9月上旬
今までの慣習を再検討する。固定観念を打破する。ことと近似している。経営手法でも。ライフスタイルでも。
アートジャンルでも今だにルールに縛られたことにこだわる手法が持続している。それはとりもなおさず作家の思想が慣習化しているにすぎない。
ジョンバルデサーリ。多数の断片写真。一枚のハイヒール、それも血が。脈絡のないイメージプレゼン。鑑賞者たちの自由な解釈。
アートに翻訳しようが、あるいは経営に意訳しようが自由。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
(ARTSを潜在意識から掘り起こし、感受性の新しいスタイル・手段)と定義する。反解釈・スーダンソンタグ。
そしてマクルーハンもまた(メディアが深層体験となる時、古典とか大衆とか高級とか低級とか極めて古いコンセプトは通用しない)。
ところが今だに政治経済文化関係のピープルとかペーパーとかTVとかRとかあたりは(古色蒼然としたドツボから抜け出せない)。何故か。
清濁併せ呑む度量がないからだ。更には(低民度というドツボ)からもまた抜け出せない。
例えば、高級ナイトクラブとか高級ホテルとか激安デリヘリとか・・・。弁当も和風旅館もまた大昔から松竹梅がある。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
アートとは、どれひとつとってもオリジナルなものはない。種々なイメージが混ざり合い(衝突する場)だ。アートの意味は、
どこから来たのではなく(どこに向かうか)である。意味形成の責務を作者から鑑賞者へ。シェリーレビィンは、イメージ借用派として執拗に攻撃を浴びせてきたひとりだ。
情報が二次三次と姿を変えて発信される今こそアートの意味を再点検する時節では・・・。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
お盆休みだが、敢えて厳しいことをしゃべる。改めて祖先の言動キャラをチェックする。例えば(武士奴隷)や(企業奴隷)や(政治奴隷)や(経済奴隷)そして(妻奴隷)・・・、
遂には(夢奴隷)。最近、お客様と言う言い方はあるが、企業様とか神様とか流行る。いっそのこと企業殿様や企業神様と。揶揄して。
既存マスコミは、おとうさんとかおかあさんとか視聴者を舐めている。スポンサーは全く注意しない。新橋和バルにて。
★★★★★(ダイバーシティ)シリーズ。soumatsu art gallery

2020/9月上旬
(異種混合)。直ぐ離婚かと。しかし、この技法を常套手段に。コラージュとは似て非なるもの。「苦心惨憺して創作したものは好きになれない」と。
既存の商品やガラクタやオブジェ等が偶然に何の脈絡もなしに混ざる・合体する。ベトナムとカンボジアの状況に直面して感じた絶望。
自分が指示したい理想主義は70年代に姿を消した。誰もが自分を破滅に追い込んで80年代まで活動を継続していこうとするものはいなかった・・・。
(絶望と希望の混合)が再生することはかなわなかった。ラウシェンバーグ。スキな作家だ。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア応援・ロマンスプロデューサー奏松画廊。
夕刊フジ・B s S tation欄(東京&大阪エリア)に10月初旬まで隔週にてPR掲載されています。

2020/9月上旬
(水清ければ鯉住まず)。十数年前までは東南アジアあたりは大方は(濁り水政治経済)だった。もちろん今のチャイナだって相当苦慮している。
しかし、テーブルの上では口角泡を飛ばしているが、下ではニコニコしながらシェイクハンドだろう。
奏松画廊ARTS表現に(Name the title itself is contemporary ARTS)シリーズがある。そのひとつ。一人のカラダに頭脳がアメリカの役割。
胴体の役割がチャイナ。手足がシマグニ。つまり一心同体である。女と男もまた同じかと。鯉という字を恋に。だからこそ人生、やめられない。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
マニキュアつけてドレス揺らして鏡のぞいたら昔好きだと言われた時の匂いがDeja vu 
セピア色の記憶をさか戻りする 口紅が赤くなる 大人の恋と決めているから 今は踊らせて
(既視感)。SNS時代の今、何かしら見たような・・・。そして(その香り)が・・・。
この歌が好きだ。秋元順子。
季節重ねても あぁ震えてる 悪女装い 指で誘う
こぼれる戯言に 唇重ね 昔の私より愛して欲しい
西荻の隠れ家的スナックバルにて。奏松画廊松久matsukyu

2020/9月上旬
外番、かつぎ・と呼んだ。在所により家によりて国の名物。酒、さかな、煮売り、焼き売り、いろいろあり。(東海道名所記)。江戸時代に既に出前があった。
明治大正には、手持ち、肩持ちが流行った。猛暑の中、Uber Eatsには大変かと。とにかく自粛も程々に心地よい散歩の時節が待ち遠しい。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
NYCガゴシアンギャラリーが恐ろしいまで支えた、戦略的高値で。イメージコンサルタントをアート業界で始めて雇う。自らはほとんど発注作業のみ。
その名はJeff Koons。元ウォールストリートの証券マン。天才的錬金術師。制作行為に意味はない。アイデアが芸術の作り手となる。
ル・ウィットのコンセプチャルアート宣言。「私の作品は一度見ればその人の作品だ。頭の中に入って取り除くことはできない。」
ローレンス・ウィナーは画廊、美術館、美術商らの特権的占有を覆そうというアイロニカルな意図をプレゼンした。作品の具体化を否定する。
作品の制作より芸術について論じることを重要視した。それはアドアートにつながりサスティナビリティしている。今そのアート思想が大きく注目されている。
★★★★★(パァホーマンスアート)シリーズ&(Message Art)シリーズ。soumatsu art gallery

2020/9月上旬
海には泳ぎに行かない。海には貝を拾いに行かない。その代わりにプラスチックを拾う。(Think globally, act locally)。
ジェフ・ブリッジス。シマグニは、産直という特産物がある。地元が新鮮の恵み。プラスティックフリー。脱が今から新鮮の恵み行動。
働き方改革に脱都会がある。脱固定観念。脱社会通念。あらゆる脱の仕事がパンデミックする。その中に(脱結婚)がある。
卒婚概念は個人のセカンドライフをフリーにする。With Cobid-19の概念を視野狭窄にしてはいけない。前向きにセットする。
(脱〇〇というコンセプトARTS表現)とWithしよう。
★★★★★カフェ友・卒婚・恋活・ミドルシニア・ロマンスプロデュサー奏松画廊

2020/9月上旬
モダンとポストモダン。デザインが前進を当たり前としている状況ではこの対立概念は成立不可である。固定観念を打破することが、
時代の豊かさ故に足を引っ張られている。もはや改革が遅々としてダウンしているのは、この概念が邪魔しているかと。呪縛から解放されることが一歩だ。
テクノが進んでもイメージは進んでいない。むしろマイナスが拡張しているかと。その意味では(ホストモダン)ではある。
コンサバもしかり。モダンのうちである。奏松画廊松久matsukyu

2020/8月中旬
(ねぎは淫心を誘発する)。行きつけの居酒屋でいつも頼む摘み。(九条ねぎのぬた)。子母沢寛の増上寺大僧正の話がある。
(葷酒山門に入るを許さず)。良い野菜と酒のことを葷酒という。葷は五幸。ニンニク、ヒル、ラッキョウ、ネギ、ニラを指す。
五幸はその昔不浄を去り、疫病を払うとして神事に用いられた。しかし、いつのまにか禁忌の対象に。仏教界では忌み嫌われる。
ま、若い僧侶が修行の妨げになるといけないというのが禁忌の方便。強壮剤が氾濫し疫病が猛威を振るう時代に修行は極めて難しいかと・・・。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/8月中旬
その香気は、玉露と同じかと。煎茶のように茶葉を揉まない。青海苔に似る。適度に香ばしい。(かぶせ香)という。
香りと香りがコラボ。碾茶。その空間はまさに静寂のコンテンポラリーダンス。パリジャンが好む(聞香)があるが、一種の遊びだ。
かぶせ香・もまた大いなるアートである。飯田橋の芭蕉旧居にて&リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法シルクスクリーンアート。
soumatsu art gallery

2020/8月中旬
かって大きな紙袋を提げてショップから出る、ことがカッコよかった。しかし、そんな客はエバレーンにはいない。
デザインは、ホワイト、ブラック、グレーのモノトーン。ベーシックだ。ワンピースが100ドル前後。
売り場は、ニューヨークとサンフランシスコのみ。商品は2,3時間で届く。ミレニアル世代を中心にファンを増やす。
売り上げ30億。 <ディスラプター> と呼ばれる。ライドシェアUberや民泊サービスAirbnbも。 <破壊者> は日に日に勢力拡大。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2020/8月中旬
★★★★★ <非常識を訓練> するシリーズ。
その6。
シマグニで生きてゆく・ことはいろいろ縛られて生活することになる。もちろん世界共通のルールはある。
近代化・民主化の進展度に呼応しながら生活を守る。しかし、中途半端にユルい。精神も肉体も <解放> されてない。
そのワードアートはどうゆう意味をまとうのか。どうゆう具体なのか。想像力&創造力を高めるには非常識を訓練する。
必ず効果は出る。 <アートレッスン> の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。都美術館&庭園美術館デッサン。
soumatsu art gallery

2020/8月中旬
(酒は詩を釣る針)。李白は一升の酒を飲むとたちまち百首の詩を作ったらしい。後世に名を残す芸術家は図抜けたシワザがある。
昨日もまたほどを少し超えたが、一向に作業は進まず・・・。(時のシナリオ)は、針の餌が喰われてばかりか。
なんともしまらないマンデイかと・・・。 ★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/8月中旬
人の歴史とは(執拗に塗り続けてきたペンキの原色)。人類の文明とは色。メキシコとアメリカとの国境地帯。
1970頃。(ボーダーランズ)。(国境というもひとつの国)。それは折り合いをつけるために敢えて原色化するvisual。
まるで彫刻作品のような真っ青な空色の中にムーブする真っ白の立体。(パリテキサス)。ヴィムベンダース。無国籍映画映像。
今、カラーが折り合わない。いつまでも。ひとつはカラーが不鮮明になりつつあるからだろうか。
シマグニ人のカラーが欧米カラーへと向かうのと近似している。優生からすると近寄り過ぎると嫌悪感が派生する。嫌われれば当然内向きになる。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/8月中旬
炎天をいただいて乞い歩く
解くすべもない迷いを背負い歩いて歩いて歩き続ける。行乞の生活。放浪。世間の常識をかなぐり捨て破滅的な生き方へ傾斜してゆく。
そんな漂白の詩人種田山頭火に憧れる若者はかって多々いた。それくらい政治が絶望的な時代に <自分を見つめる> ことが流行った。
改めて重なる時代状況に <むなさわぎ> するひとも多いのではなかろうか。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊

2020/8月中旬
「答えがない問題に取り組む」「すでに存在する課題を解くのではなく課題そのものを発見する」「大きく飛躍しようと思ったら失敗は不可欠」。
なにやらコンテンポラリーアート手法のようなセンスでは・・・。米スタンフォード大学が力を入れているイノベーション教育のコンセプトだ。
大学も企業も模索している。 <異才異能> を世界は必要としているからだ。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。アトリエ近くのジャズライブバーにて。soumatsu art gallery

2020/8月中旬
映画ジャンルに(B級映画)がある。低予算。大スターが出てない。時間が短い。しかし、明確な基準があるわけではない。
ただこよなく愛している作家、ファンたちがいる。アートやARTS界隈にはその定義はない。
過去からアートは肖像画や記録としての価値威厳を保持していた。また映画のような複製を拒む。一点もの。
そうゆうステータスがB級アートとは呼ばせない。反芸術という定義はいかにも哲学的思想に包まれている。
たとえ素材が複製であっても、氾濫していても。どちらかというと(超A級)かのようだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/8月中旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その35。
百年ぶりに科挙の合格。天荒・未開の荒れ地を破る。誰もが思いもよらない。(破天荒な偉業)。豪快で大胆な様子・ではない。
破天荒な記録。破天荒な大事業。破天荒なアート思想。常識を超える。破壊する。必ず効果が出る。奏松画廊をチェックされて下さい。

2020/8月中旬
「社会への問題提起」「アイロニカルな批判」「新しさの重視」。ジャパンの若手演劇人が自覚していない重要テーマ。
ベルギーやフランスの演劇祭でアドバイスされる。欧州の演劇界に共通する価値基準だ。
「既成のフレーム&スタイルを裏切る」狙い。パフォーマンス色の強いアート性が注目される。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。下北沢のライブバーにて。soumatsu art gallery

2020/8月中旬
「猫に小判」とゆう諺がある。たとえば、マティスの作品を「私でも描ける」と。あるいはピカソがまるで「ワカラナイ」と。
更には、「BEYOND THE FRAME ART」がどうしてアートなのか、と。またコンテンポラリーダンスがなぜアートなのか、と。
ひとつひとつ点検してゆけば疑問が深まるばかりだろう・・・。となるとアート価値とは何か。
歴史的には戦略的に、たとえばオークションで価値を創造する手法。あるいは経済的に戦略化する手法。あるいは宗教的とか。
あるいは欧米とアジアとの地域的とか。あまりにも複雑多岐な分析をしなければ、「アートバリュー」が判明されない。
まさにこれからの時代を「カルチャー&クリエイティブ資本主義」がスタートし、牽引するだろう。奏松画廊コレクションより。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ2016。奏松画廊matsukyu

2020/8月中旬
シャーロックホームズはコカイン中毒だったのは有名な話。FBfの大木ミノルさん(映像作家)に聞くまでもないが。
あらゆるジャンルにヒーローが活躍していた。洋画、東映チャンバラ、日活アクション、テレビ、マンガ・・・。キャッチフレーズがカッコいい。
真空切り。嵐を呼ぶ。マイトガイ。月よりの使者。一匹狼。快男児。等々。政治界でも経済界でも。どうゆうわけかARTS業界はつけない。
多分大衆から浮世離れしている。これからのヒーローはAIロボットが独り占めするかと・・・。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/8月中旬
(見ることは考えること)。60~70年代に流行ったアート・ARTSの鑑賞の仕方。素材は生活にありふれたもの物mono。
あらゆる表現スタイルがプレゼンされた。反芸術のウエイトが幅を利かせた。美術・芸術批評もまた(考える文章)がカッコいいと。
つまりわけのわからない文字を羅列することで(具体的なアート作品以上に作品化)していた。表現がタコ壺にはまり迷路を彷徨っていた。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/8月中旬
★★★★★ <非常識を訓練> するシリーズ。
その5。
かって昭和を代表する映画があった。森繁の社長シリーズ。植木等の無責任シリーズ。(ちゃらんぽらん)というワードアートがオオウケした。
そして今、(チャラい)という軽佻浮薄なセンスがまた流行る。 <無責任> というキーワード。想像力&創造力を高めるには非常識を訓練する。
必ず効果は出る。 <アートレッスン> の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。地元吉祥寺御殿山自邸近くのKINOKUNIYA前&青山デッサン。
soumatsu art gallery

2020/8月中旬
世界をカタる道具が多々ある。コトバ、アート、フォト等。しかし、カタられてきたわりには意外に視野狭窄のままだ。
たとえばアートは今だにARTS化として消化されていない。単なる道具のままでいる場合が多々ある。
社会変革を志向・思考する道具への道が消失し過ぎている。つまりライフスタイルが楽になったからだろうか。
道具を使って想像しなくても手に入れることができるからだろうか。それともその道具たちはその役割を終えたのだろうか。
もはや道具たちの一次二次情報からリプレゼンテイション&アプロプリエーションされたARTS表現が視野を視界を大きく拓く時代になっている。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/8月中旬
13。この数字からドラマが始まる。忌み嫌う。ひとり+14人に。ビジュアルが素晴らしい。パリに越してきた、NYCから。
シニアカップル。一緒に連れてきたメイド。ロッシデパルマ。このコミカルな個性派女優。(マダムのおかしな晩餐会)。
フランスでは「不倫は夫婦を長持ちさせるコツ」というコトワザがあるらしい。まさに文化である。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/8月中旬
「へそまがり」「あまのじゃく」「へうげもの」。最近、とんと耳にしなくなった。世間は、おいしいもので溢れている。
腹膨るる心地良さに <抗う> こころが失せているからだろう。となるとアート業界もさっぱり形無しである。
作家や作品、情報は乱舞してはいるが、底の浅い拡散である。大人しくなって <内心> を探るような人物や作品が激減している。
★★★★★海浜幕張にあるJETROアジア経済研究所ライブラリープレゼンより。台湾の原住民衣装。soumatsu art gallery

2020/8月中旬
★★★★★ <非常識を訓練> するシリーズ。
その4。
「人の行く道裏にあり花の道」。開拓する、道を。そのいばらの道にこそ神の手が作用する。アイロニカルな反骨心とともに。
過去の先陣が光の道を創造してそれをなぞる。悪いとは言わない。しかし、確立は低い。 <裏道> というキーワード。
想像力&創造力を高めるには非常識を訓練する。必ず効果は出る。 <アートレッスン> の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。
下北沢鈴なり横丁界隈のカラオケバル(スナックではない。つまりシャレオツなんです)&SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2020/8月中旬
「六本木WAVE」が単なる販売店にとどまらず <多様な文化発信基地> だった。小泉今日子がアイドルからアーティスト風になった。
「マジ」が「ダサい」と切り捨てられた。「なんとなくクリスタル」な生き方がウケた。成熟した消費社会が、消費する若者を「新人類」と揶揄した。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)アクリルアート。soumatsu art gallery

2020/8月中旬
ワードアートをNYCのリンカーンセンター前にある階段で発見した時はそこそこエキサイティングな感情が沸き上がった記憶がある。
ワールドワイドにはあらゆるアートが発信されている。いずれ近い将来「AI頭脳と人間」とのコラボアートが発信されることは想像に難くない。
そして、オキナワで6万人の「反骨心」がプレゼンした。「もはや限界である」と抗ったワードアートの反復&連続。
耐える反骨心の映像が久しぶりに胸を打つ・・・。しかし、アイロニカルな時代状況はますます抜き差しならぬ事態に陥りつつある・・・。
Art in America2011より。奏松画廊matsukyu

2020/8月中旬
(調査報道)というジャンルがある。ニュースはいち早くが取り柄だが、もはやSNSメディアに軍配が上がる。
じっくり過去を掘り起こすニュースということになる。テレビメディアの隆盛とともにペーパーが(事実の即売)を止めた。
まさにSNSメディアにその役割が渡される時代。出来事に対して(加工したり処理能力するワザ)が重要な意味を持つ。
受け手は、そのワザや手法を見破るワザを身に着けてこそ民度が上がると。そのワザとは(visualの理解力)が極めてリ・インテリジェンスとして浮上する。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/8月中旬
「文化資本主義」「広告が商品訴求から自立」「ポスト消費社会」。このキーワードを手法とした経営が花開いた。その経営者は辻井喬。
財界でこの名を知ってる人はほとんどいない、と嘆いていた。財界人がいかに本を読まないかと。
時代は70年代後半~80年代。広告というFRAMEでコンテンポラリーアートがプレゼンされた。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2020/8月中旬
解りやすさからより遠のくことを手法とした。しかし、一方で具体的monoをARTS化する。たとえば、旗、標的、スプーン、ハンガー、針金等々。
それぞれそのmonoの持つ機能はある。ただキャンバスでは遠のく素材。そんな思想を版画というメディアに集中させた。ジャスパージョーンズ。
60~70の鮮烈なプレゼンだった。 ★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/8月中旬
日伊国交150周年を記念してフィレンツェウフィツィ美術館のメディチ家に纏わる財宝の数々がプレゼンされている。目黒の庭園美術館だ。
カメオとインタリオがとにかく素晴らしい。微細な彫刻芸術はため息すら漏れる。駅からの道すがらにあるベアショップもまたチャーミングだ。奏松画廊matsukyu

2020/7月中旬
きめ細かな装飾が過去の教会や寺・神社等に優れたクラフツマンシップの手仕事で息づいている。それを○○モデルとは言わない。無署名。
対極にある四角いビルもまたあるが無署名だ。無国籍。時間とともに風化して機能だけが残る。
それに比べてcontemporary系ARTS作品はARTS表現家・作家が厳然とある。たとえ水玉装飾であっても。
(○○モデル)というインセンティブ的賞賛が前向きに。マスクで隠すvisualがたまには褒められる。(臭い物に蓋をする)ことが褒められた。
アイロニカルな事象という他ない。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/7月中旬
アートギャラリーの白いウォールに直接ワードアートを描きつける。
そのワードが平凡なワードであってもそうゆう場に(陳列されること)で特別に注目される。そんな手法と素材を多用したローレンスウィナー。
街頭ではデモプラカードがアートそのものだ。アパレルショップのデジタルサイネージもまた流行りだ。特別な意味を持たせると蘇る場合がある。
リブレゼンテイション手法ならではの再生は多々ある。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/7月中旬
1957。東京国際版画ビエンナーレスタート。既にアメリカでは、アートとタブローとかの境界線が消えつつあった。
単なる表現手法が違っていたかといって何の意味があるのか。(ARTSに翻訳する)ことが表現家のシワザ。
その当時シマグニでは見苦しい棲み分けが蔓延っていた。その価値のないラインを取っ払うシワザに貢献した・デザイナーのひとり・横尾忠則。
話は変わるがウォーホル版画は1500~2000万くらいか。
アメリカARTS領域を戦略的に発信できるパワーを見せつけられても一向に一ミリ程度しか進まないシマグニ。トホホだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/7月中旬
ひと夏への淡い期待。若い人のみならず、ミドルもシニアも。リゾート地コニーアイランド。元女優と若き監視員。
映画「女と男の観覧車」。そそられる好奇心。ウッディアレン新作。主演女優ケイトウィンスレット。
1950年代の勢い溢れるアメリカ。レトロVISUALがNICEらしい。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/7月中旬
夏の昼下がり。日曜日。水泳パンツ一枚の男。隣人の旧友宅を一軒ずつ訪れる。ニューヨーカー誌の短編小説。シャレたセンスが光る。
多様なプチブルアメリカ家庭の光と影。見せかけの繁栄。その実態が炙り出される。自宅にたどり着いたその男の家は廃屋になっていた。
ニューシネマというライフスタイルの枠から外れたvisualが深いアメリカの実像として暴露されていく。(泳ぐひと)。1968。
それにしてもプール付き邸宅が中産階級とは。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/7月中旬
ミドル・シニアが元気だ。セカンドライフを謳歌する。特にマダムたち。若返り美意識を磨くワザ。そのエナジーをエッジ鋭くする。
その前向きなマインドが更に加速する・美意識を。以前から度々プレゼンしている。(潜在意識はたかだか3%しか開発開拓されていない)ことを。
その多くの意識には美意識がたっぷりとある。欧米マダム・レディたちに改めて注目される(ハタヨガパフォーマンスARTS施術)がある。
つまりハ(太陽・男)とタ(陰・女)の交流。このARTS表現こそあらゆる細胞を活性化する。もちろん色艶ARTSは大きな若返りを高効能する。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/7月中旬
茶を点てる。客は(その場の時間と空間)にくつろぎと緊張の糸と意図を(感じる&考える)。
そこに「一期一会」というパフォーミングアートが発信される。茶室は、静寂なる舞台。それもたった一回限りの非日常。
この言葉を発明した井伊直弼。茶道家。今でいうパフォーミングアーティストである。幕末の英傑よりも大好きだ。
★★★★★ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/7月中旬
ETHCAL・な行動力が頻度を増している。環境をより良い状態に戻す。大きく膨らませた経済活動・消費活動を修正する。
濁ったものをクリーンに。もはや大きいものは悪である。引き取り先も拒否する。だから(エシカルなアート)は、スモールだ。
ドーンとのんきにえばるような大きいアートは、単純バカとしかいいようがない。ドンカン以外の何物でもない。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/7月中旬
(ハンマーで哲学する)。多様な価値・意匠をことごとく叩いて、その真偽を今一度問いただす。ニーチェ。
19世紀末のmessageではあるが、今主義に通じる。昨夜というより今日の午前三時頃。久しぶりのG街。静かだ。
ポツンポツンと微かに開いている。とある演劇関係者たちが多いとか。隣り合わせた銀座のクラブマダム。多分アラフィフあたりか。
店を畳むかどうか悩んでいた。お気の毒としかいいようがない。(腹をくくって)と白黒つける話をしたが、三十年間の沁みはそう簡単には・・・。
ツレの関係者オヤジと泣く泣く出て行った・・・。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/7月中旬
アートデザインが前向きに何かを生産する・という表現の仕方がある。しかし、一方で、消費経済にブレーキをかける。という表現がある。
たとえばブサイクな風景を増産し続ける。単純なビッグアートを無邪気にプレゼンしたままでいる。
解りやすいコトバから離れて偽装する表現がカッコイイように解説学芸するその手のひとたちがいる。そろそろ白黒つける時節だろう。

2020/7月中旬
世界では(芸術・美術)という概念は存在しない。シマグニだけである。つまり視野狭窄な作品が独り歩きしている。以前にもプレゼンした。
ARTS領域とsciencel)領域のふたつがある。前者は(歴史、地理、音楽、文学)。経済や心理学はscience領域。
近くのICUやトンジョや成蹊大あたりのリベラルアーツは単なる教養学だ。今の世界ARTSは(感じる&考える)ことから始まる。
だからスタイルがいくらAIを駆使してても子細にチェックすると陳腐な抽象表現だったりするのはそのためだ。
更にはWORDがARTS領域だなんてリテラシーが低いのはいたしかたないが。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/7月中旬
(オリジナルとは現実そのものだし、カメラはたかだかそれを盗み取るだけ)。アランロブグリエ。だから劇映画というものは存在しない。
基本的にドキュメンタリーである。俳優に要求されるものは、迫真の演技ではなく(肉体とそこに露出される彼の歴史)だと。
中平卓馬は鋭く分析した。奏松画廊ARTSがアプロプリエーションという手法を度々使うのはそのためだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/7月中旬
マイナンバーカード社会になる。身分証明がフォトで証明される。肌や目の色等々。アメリカのような多様性民族社会はディテールまでも証明される。
しかし、ローナシンプソンは、個性と人格を無機質で暴力的に区別する社会の慣習ルールにアイロニカルに反抗心を表現した。
フォトは顔がない。ワードはあるが名前はない。プレゼンすることは黒人女性ということだけがわかる。
「イメージとワード」を分解したり接合したり解析したりと、アートに翻訳した。コンセプチャルアートジャンルである。
今ジャパンで改めて問題化するテーマだ。BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991より。奏松画廊matsukyu

2020/7月中旬
最後にスクリーンを飾ったのは、デニーロの「タクシードライバー」。消えた新橋文化ロマン劇場。
青春時代に感動した「オボローモフの兄弟」飯田橋佳作座。そして数々のやくざ映画やロマンポルノ。
当時まさかレンタルビデオで映画とは想像だにすらなかった。しかし、今名画座の役割を見直そうという試みが。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。海外からの知人を都内ガイドする。渋谷駅前にて。soumatsu art gallery

2020/7月中旬
(ARTSに何が可能か)。と(ARTSとは何か)。大きな隔たりがある。前者は構造改革。後者は表現上の解説。えてして前者が流行った時代があった。
1960~1970。アートもデザインも追随した時節。そして今、改めて(SNSメディアに何が可能か)が流行ってもよさそうだが・・・。
しかし、そうゆう議論は失せている。何故か。もはや圧倒的量と質が既存メディアのみならず、世界のあらゆる構造をひっくり返す事態になりつつあるからだ。
質問も疑問もない。つまりアウフヘーベンしない。これからは粛々と(衣と食の満足)から(住・風景の不満足)を改革する。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/7月中旬
「こわいですね。こわいですね」と名調子だった淀川長治サン。
(アラフォークライシス)(コンカッ)(7040問題)・・・、とペシミスティックなキーワードが踊る、既存メディアで。
更に問題なのは相手に求めるハードルが高い。例えば相変わらず給料。35~45歳ジェネの低給与ベース、過去世代に比して数万低い。
霞が関偽装資本主義が引いたレールしか走れない悲しさ。想像力&創造力の低さと正比例。(自己改革)にチャレンジ。(非常識・を訓練する)。
視野狭窄のまま歳を重ねる。恋愛を面倒だとクールビューティ。が、山あり谷あり・のライフスタイルが人間を鍛えることが忘却の彼方へ。
傷つけばつくほど(自分の道)が見えてくることがリテラシーされてない。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/7月中旬
美術から描写という行為を取り上げる。それがデュシャンの便器プレゼンだった。例えば今主義。商品からメーカー生産を取り上げる。選択する行為。
セレクトショップがプレゼンされる。消費経済に大きく伝わる。再構成する。このリプレゼンテイションは、アメリカンポップアートの得意技だった。
芸術と生活。その垣根を取り払った。そしてそのシワザはシマグニにたっぷりとこってりと浸透している。
そのシワザと(構造改革思想をコラボ)するARTS表現。これが奏松画廊ARTSだ。問題課題解決型のARTS表現こそ(これから主義芸術)だ。

2020/7月中旬
★★★★★ <非常識の訓練> シリーズ・
その1。
(想像力&創造力)を高めるために訓練をしなければならない。では具体的にどんな手法が。
まず多くの人が日ごろのライフ&ジョブスタイルにかまけて「反復&連続」のフラットな時間消費しかこなしていない。
これでは全く遠い。ひとつのキーワードがある。たとえば(妄想)という非日常的アート哲学ワード。精神的妄想・と肉体的妄想。
カミュではないが、朝目覚めると虫になっているような。このふたつの想像力を日々訓練する。
スマホを離れて瞑想する。効果は必ず出る。 <アートレッスン> の詳細は奏松画廊をチェックされて下さい。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/7月中旬
アート思想の価値が主流だとプレゼンした。モダンな貨幣価値がある。税の価値がある。物の価値がある。デフレの価値がある。
信用創造の価値がある。自国通貨保有の価値がある。ダイバーシティ。しかし、ビジュアル価値がいささか蔑ろにされている。シマグニでは。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/7月中旬
粗茶、粗品、そしてつまらぬものですが・・・。こうゆう言い方が常識的であった。しかし、今や豊かなもの物モノmonoで溢れている。
更に(世界は欲しいもので溢れている)ワケだ。物欲を刺激する。これでもかと。今だに。時代の思想は(断捨離)だ。すてるのは物欲だけではない。
家もクルマも・・・。物欲と経済はワンセットになっている。ただmonoがあればいいわけではない。量から質へ。いいものを少しだけ。
友達もしかりか。あとは本と同じかと。程よい距離で。で、その本という友。できれば色艶あるしなやかなマダムやレディ、紳士がいい。
どこで探すか。奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブがある。余裕ある平日の昼間に。

2020/7月中旬
★★★★★ <非常識を訓練> するシリーズ。
その2。
雄と雌・が同体している。アゲハチョウ、ベニズワイガニ、カブトムシ・・・。モザイクがかかったように判別しずらい。
ヒトもまたLGBTQで脚光。そのQのヒトは相当いるかと。マッチョであってもナヨナヨの。レディでもシャベリがオトココトバとか・・・。
ダイバーシティ。たとえば <両性具有> というキーワード。想像力&創造力を高くする非常識を訓練する手法に相応しいワードアート。必ず効果は出る。
<アートレッスン> の詳細は奏松画廊でチェックしてみて下さい。ダイバーシティ・シリーズ。soumatsu art gallery

2020/06中旬
「過剰接続からの切断」。SNS世界が拡散発信をし過ぎた反省が人々の気分を苛立たせている。
とりあえずフランスの選択は <政治の季節> ではニュートラルな判断に落ち着いた。「接続」も「切断」も哲学者ドゥルーズが際立たせたワードだ。
しかし、欲望の資本主義と欲望の民主主義がセットになって「多様性から創造性が生産される」システムが、今改めて浮上しつつある。
1968年の五月革命がプレゼンした <消費経済への反抗> が問い直される季節である。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊ARTS gallery

2020/06中旬
いずれ二次大戦後最大のクライシスにあらゆるコンテンツでランキングが発表されるだろう。低ランクは誰でも想像できそうだ
。もちろんスピードランキング。何故こうなるのか。メディアはさんざんAI&IoTの進展度を伝えるが・・・。今だにペーパーが多すぎる。
シンガポールは給与保障を申請なしで振り込まれる・国から。人口は少ないが故に(人を最重要にすえる)。
そして、民度ランキング。民主主義がどれくらい進展しているか。ま、これも大方想像に難くない。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
「怪物」「贋物」「魔術」「夢の覗き箱」「没落とエロス」「顛倒の解剖学」。アブノーマルな好奇心が旺盛だった。種村季弘。
蠱惑的な迷宮を彷徨う怪物がほとんど少なくなった。
多様性を狭める「不気味な法律」が、内心を探るかのように金太郎飴的空気感が漂う・・・。soumatsu art gallery

2020/06中旬
「セレンディピティ」。思わぬものやことを偶然に発見する力をいう。得てして科学は、この力に委ねられることが多い。
それは ARTS表現力もまたこの力に・・・。「非常識に挑戦しなければ、独創性のある研究などできない」。
青色LEDを世界にプレゼンした中村さんの言葉だ。 <光> がたゆまぬ努力の結晶だとすれば <影> は偶然の成果だ。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu ARTSgallery

2020/06中旬
アンニュイ・デカダン・コケティシュ。かってのモニカビッティのようなけだるさ。
その女優はバレリア・ブルー二・テデスキ。アラフィフ。息子の高校卒業式典。大きく胸の開いたドレス。
ピッタリフィットした尻あたりの垂れ具合が色艶を何ともそそる。
ミラノ郊外コモ湖近辺。門まで見えない広大な敷地。大理石のシンメトリ螺旋階段。まるでシャトーのような宮殿風邸宅マダム。
ネイルサロン、ヘアサロン、古美術商からの招待。カーテン柄の新作展示に・・・。そしてハイソパーティ。
一日のスケデュールがエレガンスとともに過ぎる。映画(人間の値打ち)。イタリアもまた劣化退化した文化を経済劣化にリンクして社会派的に物語る。
黄昏時の湖に映し出された、そして炙り出された今のイタリア。スキな一本かと。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
過去回帰、アイデンティティの探求をテーマにしている。探偵小説の趣向を借りつつ、通俗エンタメとは一線を画す。
明快で心地よいフレーズ。抒情的でミステリアスな作風。「ルシアンの青春」は、ルイマル監督が映画化。
「イボンヌの香り」は、トリスルコント監督。仏作家パトリックモディアノ。 <モディアノ中毒> という言葉があるほど人気が高いらしい。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2020/06中旬
(ありきたりのテーマで同じ文体で追い続ける)ことは、子供のつづり方と同じ。筒井康隆のセリフ。77年の月刊ポエム。
実験チャレンジに挑戦持続。すでに警鐘を。この頃からペーパーの危機感が。言語破壊。芸術破壊。枠組み破壊。概ねTV映像が危機に。予算縮小。更に子供化。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ奏松画廊松久matsu

2020/06中旬
以前コの字型居酒屋で隣り合わせた古物商の親方に、(解体屋)と仕事を想像された。70年代、自己解体がパンデミックしていた。
例えばマンガジャンル。谷岡ヤスジ。(アサ―ッ)。浅はかであることを暴露せよ・似非インテリどもが。山上たつひこも。赤塚不二夫も。ガロ。何かモヤモヤしていた。
表現そのものが。何故そんな領域的ココロに侵犯されるのか。映画、文学あたりに嫉妬した時代もあった。
しかし、そんなモヤモヤを晴らす恰好のメディアが大きく増殖した。SNSメディアだ。
いち早くcontemporary系ARTSに消化したアメリカARTS作家たちのひとりにリキテンシュタインがいる。
まだモヤモヤしているワケーノに告げる。奏松画廊・雑談倶楽部が溶かしてくれる。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
「ミカタ」「味方「見方」と。感じ方はそれぞれ。普段専門領域で一般大衆には縁遠い科学ジャンル。先般プレゼンした「セレンディピティ」も。
科学ジャーナリスト賞受賞。そのジャーナリスト会議が占う未来。再生医療の進歩。人工子宮開発でおなかを痛めず出産。
蘇生可能ヒトの凍結保存。2045N問題。生物多様性。プラスティックごみ。AI兵器。ロボット・・・。限りなく科学の前向きなコラムが続く。
著者は、元村有希子サン。高校時代の二十年後輩。毎日新聞科学環境部勤務。TBSサンデーモーニングコメンテイター。
高校時代の東京在住懇親会にて。新橋の老舗中華屋で。奏松画廊matsukyu

2020/06中旬
「晴れた日」篠山紀信。1975。カウンターカルチャー。反骨・粉砕・無視・ナンセンス。
季刊フィルム・芸術倶楽部・週刊アンポ・櫻画報・デザイン批評・眼・テント地下演劇・ビックリハウス等々。
雑誌がコンテンポラリーアート(contemporary系ARTS)が暴走した。まさに反骨に日が当たる晴れ。空前絶後の豊穣。
共犯者は版元・編集者(変質者)の存在。そのイメージとコンセプトをリブレゼンテイションする。それが今のセンスベースだから。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2020/06中旬
久しぶりにロッキードが浮上した。ロッキードにしてやることは健全な公共政策だが、農業、教育、保健、環境等は大変無駄遣い。
(計画化体制)対(市場体制)。両輪システムは一見順調かのようだが。歳入のシステムは連邦政府は潤う。しかし、自治体はますます貧困化。
共和党が計画化体制にべったりを隠す必要はない。タイトル・経済学と公共政策。ガルブレイス。1973。今改めて(公共への貢献)とは何なのか。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
「デザインとは98%が常識、2%が審美的要素」。サ―テレンスコンランのコトバだ。しかし、彼にサーの称号を与えたエリザベス女王。
その常識を覆した王室挙式。世界に <非常識の選択> を発信した。王室ビジネスのしたたかな戦略。
<エスタブリッシュメント> は時として(大いなる一歩)を見せつけた。それにしてもユニフォームの美意識が素晴らしい・・・。
かってジャーミンストリートで求めたジョンロブ弟子デザインのメッシュシューズ。奏松画廊matsukyu

2020/06中旬
「印刷物、例えばポスター。それはオリジナルだね。多様な空間で息づく。異なった環境で生活する」横尾。
「テレビの小柳ルミ子サン。埼玉でも笑った。沖縄でも。岩手でも笑った。つまり本物の彼女には誰も興味を持たない」寺山。
「広角だと大きく映る。アングルではいい顔になる。いい意味で誤解を製造する」横尾。
「画一化に押し込められた人間は誤解されていることにイライラする」寺山。1972。季刊フィルム(メディアの共有と複写の思想)。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ奏松画廊松久matsukyu

2020/06中旬
スタンフォード大の工学部長ジムプラマーさんが言う。
「生活にかかわるあらゆる問題解決策を見出す」ことがARTSdesign志向であり、思考であると・・・。
と某新聞記事の記者である辻篤子さんもまた熱が入る。狭いヨロケジマでは、問題だらけ、であり、永田町や霞が関では日夜解決への議論がヤカマシイこと必至である。
しかし、そうだろうか。今回の有事でハッキリした。IDカードそのものが機能されない。快適な生活様式(敢えてライフスタイルとは言えない)とは何なのか。
しかし、なぜかARTSdesignジャンルにもかかわらずこの有事に機能しない。人材不足である。
あるいは許容不足である。経済再生専門家会議に。いろいろ戦いがあって進展が遅いのは否めない。
これから各自有事を想像して備えあれば患いなしを最優先スタイルに。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
アガサクリスティが死んだとき、NYタイムスは大きな追悼を飾った。哲学者アンナハーレントも大きな記事だった。
「いま主義」が日本では最先端。死亡記事はごく小さい。「昔のことを済んだこととするのが日本人の盲点です。
あなたの中に江戸時代や古事記が住んでいます」。しかし、徹底的な欧米主義。リスペクトする丸山眞男。
ジャーナリスティックなセンス。人々の喜怒哀楽に通じた人柄。おしゃべりでユーモアに満ちたキャラ。血液型AB型。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu ARTS gallery

2020/06中旬
ハンコが肩身が狭くなりつつある。かってそのビジュアルをデザインの素材としてリプレゼンテイションした粟津潔。
彼はまたベンシャーンや亀もスキだったからスタイルをアプロプリエーションした。ビジュアルショックから潜在意識を開発開拓する。
電子顕微鏡の微細なショック。近頃は4K8Kあたり。zoomというコンセプトが流行りだが、奥深く探ると行き当たる・ショックに。
この有事は多くの事をショック化した。例えば北京の空とか。ガンジス川とか。ID認証カードと人海戦術とか。(開眼させてくれる)ショック。
開眼する・クラリという意味。セージは賢いという意味。クラリセージがパンデミックする・程よい距離感にて。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
(白河の清きに魚も住みかねて元の濁りの田沼恋しき)。しかし、田沼さんはこことこ株が上がっている。目安箱は民の意見を吸い上げる。
賄賂ばかりが目立つがバランス良し。江戸も有事・火災が多かった。奏松画廊ARTS表現のひとつに(Messageシリーズ・サブタイトル・白黒をつける)がある。
当時、松平さんかと。話題の検事NO2は、田沼さんのキャラかと。名前も黒がつく。
★★★★★奏松画廊・程よい距離感・余裕(恋)愛クラリクラブ

2020/06中旬
古事記にはヤマトタケルが女装する場面がある。歌舞伎の女形は江戸の大スター。そして今、「男の娘」が脚光。
新宿2丁目の女装バーが海外観光客で賑わう。常識から逸脱するチャーミングなキャラで話題をさらったフジTVの「HERO」キムタク演じる検事役。
<解放されたい願望&改革したい願望>が、アート手法である視覚的妄想装置を借りてプレゼンする。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2020/06中旬
「あしたのジョー」「ディスカバージャパン」。そして寺山修司、土方巽。更には中平卓馬。ワイドな多様性が花開いた。
1970年前後が <転換のエポックメイク> だった。そして今、多様性は狭まりつつある。なぜか。SNSに溺れながら が覗かれる愉悦すら奪う。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2020/06中旬
(リーディングミュージアム)法案。耳馴れない人も多いかと。ひと言で喋ると「アートマーケットを活性化する」政策だ。
美術館に経済的システムを導入する。オークションビジネス。勿論博物館法はリノベーション必須。
理由は拙著(えいじゃないかッ)でワードアートしたがいよいよ効果が。学芸員増員は営業プロデューサーになれる人材。
アジアを射程にチャイナと比肩できうる前向き政策。それにしても予算が一桁足りない、五千万では。ま、これからだ。
賛否両論。視野狭窄になるなかれ。ロングレンジ&ワイド・なビッグ政策。雨降って地固まる。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matskyu

2020/06中旬
ニューシネマの風が舞った。反芸術の嵐がパンチをたっぷり浴びせた。反ジャズがピアノを破壊した。
そして、(反独身)、(反結婚)が台頭してきた。独身でありながら異性と住む。独身でありながら再婚しない・できない。
結婚していながら独身のようなライフスタイル。結婚していながらもうひとりふたりの異性を程よい距離感でお付き合いする。
結婚を隠さず、独身を隠さず、(ソーシャルディスタンス)しながら余裕の(ロマスプロデューサー)がパンデミックする。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
(青い空と白い雲)は、右肩上がりの経済と並走した広告表現の背景であった。しかし、グレーの空を背景に出来ない北京の空は、まだまだ上昇志向である。
24時間営業のコンビニは、この背景に陰りがでてきた。更には断捨離・エコロジー思想が商品広告に曇りを漂わす。
パッケージデザインに黒が使われだしてそこそこ時間は経過したが・・・。これからは時代背景は(青白から白黒)へ移行する。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/06中旬
バーに設えたARTS表現。シマグニあたりによくあるウォールアートではない。ロンドン。牛骨の頭と人体模型。デミアンハースト。
レストランオーナーが費やしたマニーは100万ポンド(1億3千万)。1996。ARTSやアートをリスペクトするセンスはシマグニあたりとは雲泥の差。
先般里帰りしたKunikoサンが奏松画廊atelier&galleryで雑談した時彼女はシニアだが「シマグニに帰りたくない」と。
別に彼女はアーティストではない。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
レジ横にポストボックス。他社の服も引き取る。500円クーポンも出す。回収した衣料品は、アフリカ他90ヶ国へ。
H&Mのリサイクルマーケティング。また吉祥寺にはオンワード・リユースパークがあり、千円クーポン。収益は環境保全活動へ。
日本環境設計は、回収した衣料をバイオエタノールに精製。帝人フロンティア松山工場は、ポリエステルリサイクルし、また新品再生。
住宅もまたリノベーションサイクルへ。時代の意識が「リサイクルファースト」へ向かうセンスを創造しつつある。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2020/06中旬
(非常識を訓練する)シリーズ・は、陳腐なアートレッスンではない。アーテイストやデザイナー志望のためのものではない。
あらゆるジャンルが激変する。その心構えを鍛錬する。読めない手法に揺さぶられる。身も心も開放するためのものだ。
固定観念や常識に縛られた視野狭窄を打破する。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/06中旬
明治以来、ニュースペーパーは(一面から二面、三面と政治経済文化と順序良く記事がデザイン・レイアウトされる)ことを職業の序列とリンクするヒエラルヒーと分析した。
木村恒久。だからこそではないが、SNSメディアは並列にランダムにデザインされ、決して序列はない。スマホの大きな改革だ。
従ってあらゆる人が自由に意思・思惑をイメージ操作しながら発信できる。
しかし、自らのプロフィールを透明化して品格あるmessageが(人物をひとまわり大きくする)ことを忘れて操作してはならない。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
まぎれもなくオリエンタルなたゆたいをみせる。鳥肌が立った。シマグニの歌謡曲が失っている闇の芯にある(青い清浄さ)。
アーマッドジャマルの弾むようなジャズピアノにうずもれることなく聞き分けた。その曲は(アカシヤの雨)。
平岡正明の(歌の情勢は素晴らしい)。いい音楽は(秘境的な何かを持っている)。それは音楽だけではない。

2020/06中旬
発信力の低いアートがほとんどだ。つまり社会的メッセージを逞しくアピールする。しかし、相も変わらず大歩危しているアートたちが多すぎる。
偽装・改ざん・やらせ・パワハラ・セクハラ等々。問題課題は、(民主主義へのいやがらせ)だ。
もっとセンスを研ぎ澄ませば聞こえる。ぬるま湯のセンスであってはいけないことが。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2020/06中旬
1971。最初のブティック名(SEX)。パンクロック。アナーキストとの結婚。(反デザイン)。ビクトリア・アルバート博物館コレクション。
ビビアンといういささかカワイイ名前からは程遠い。晩年は環境活動家。イギリスの懐の深さ。階級社会の怨嗟。
ビビアンウエストウッド。同じシマグニあたりの揉み手デザイナーとは大違いかと。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
(アドボカシー)。聞きなれないワード。市民への啓発活動や政府への働きかけ。
過酷な状況に追い込まれた女の子や女性への支援。プランインターナショナル。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/06中旬
渋谷のスクランブル交差点。多くのひとが、まったく無関係だが、多様なイメージが暗示される。
そこにはサブリミナルな意識層が積み重なる。バルデッサーリやデービットサーレ。そのプレゼンは見る人にゆだねられる。
作者も無意識に重ねられたイメージ層を作品化する。だからこそではないが、(逞しい問題課題テーマを意識化する)アートこそ今主義だ。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/06中旬
経済成長が鈍化している21世紀。新たなビジネスチャンスは何か。地域創生はお盛んではあるが、ほとんどが「アートフェスティバル」だ。一過性でしかないケース。
<経営者の意識> が、<ビジュアル&カルチャー資本主義>を引き出すかで決まる。もちろんかって明治より資産家パトロンたちはいた。
そんな大物が出自しづらいビジネス界ではあるが、アパレルメーカーや商社から独立したようなスタイリッシュカンパニーとかネット金融関係とかそこそこチャーミングな人物が出始めている。
そのためにはアートミュージアムがダイナミックな <リノベーション> をする覚悟でガラポンし、牽引しなければならない。
東京大改革がそのきっかけになれば、再びアジアのリーダーシップを奪還できる。ちなみに2016のアーテイスト別高額落札はトップはピカソ。
7番にバスキア8番にウォーホル。そしてなんと中国アーテイストたちが、2、3、4、9、10番と勢力が一段と幅を利かしている。もちろんシマグニアーテイストはまるでおよびでない。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2020/06中旬
きめ細かな装飾が過去の教会や寺・神社等に優れたクラフツマンシップの手仕事で息づいている。それを○○モデルとは言わない。
無署名。対極にある四角いビルもまたあるが無署名だ。無国籍。時間とともに風化して機能だけが残る。
それに比べてcontemporary系ARTS作品はARTS表現家・作家が厳然とある。たとえ水玉装飾であっても。
(○○モデル)というインセンティブ的賞賛が前向きに。マスクで隠すvisualがたまには褒められる。(臭い物に蓋をする)ことが褒められた。
アイロニカルな事象という他ない。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
自分好みのベルト、メガネ、アクセ等々。「ファブ社会」。聞いたことがあるかと・・・。
「いつでもどこでも誰でも」必要なモノを必要な量だけ作れる。アメリカは10年以内に人口70万に一か所のファブラボを設置予定。
将来的にはマンションやコミュニセンターやカフェにラボ設置。もはや <ダレデモアーティスト> の時代がくる。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。soumatsu art gallery

2020/06中旬
アートギャラリーの白いウォールに直接ワードアートを描きつける。そのワードが平凡なワードであってもそうゆう場に(陳列されること)で特別に注目される。
そんな手法と素材を多用したローレンスウィナー。街頭ではデモプラカードがアートそのものだ。アパレルショップのデジタルサイネージもまた流行りだ。
特別な意味を持たせると蘇る場合がある。リブレゼンテイション手法ならではの再生は多々ある。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/06中旬
1957。東京国際版画ビエンナーレスタート。既にアメリカでは、アートとタブローとかの境界線が消えつつあった。
単なる表現手法が違っていたかといって何の意味があるのか。(ARTSに翻訳する)ことが表現家のシワザ。
その当時シマグニでは見苦しい棲み分けが蔓延っていた。その価値のないラインを取っ払うシワザに貢献した・デザイナーのひとり・横尾忠則。
話は変わるがウォーホル版画は1500~2000万くらいか。
アメリカARTS領域を戦略的に発信できるパワーを見せつけられても一向に一ミリ程度しか進まないシマグニ。トホホだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
ひと夏への淡い期待。若い人のみならず、ミドルもシニアも。リゾート地コニーアイランド。元女優と若き監視員。
映画「女と男の観覧車」。そそられる好奇心。ウッディアレン新作。主演女優ケイトウィンスレット。1950年代の勢い溢れるアメリカ。
レトロVISUALがNICEらしい。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/06中旬
(作品がmessageを持たないとすればそれは人生に対して何もしてないことと同じ)(新しいアイデアが不可能な政治家はたんに大衆のために働いているに過ぎない)。
進歩と変革をテーマにするギルバート&ジョージ。アナロジーするアーテイストだ。たまにこの手の仕事を推進するのを見かけると勇気をもらえる。

2020/06中旬
夏の昼下がり。日曜日。水泳パンツ一枚の男。隣人の旧友宅を一軒ずつ訪れる。ニューヨーカー誌の短編小説。シャレたセンスが光る。
多様なプチブルアメリカ家庭の光と影。見せかけの繁栄。その実態が炙り出される。自宅にたどり着いたその男の家は廃屋になっていた。
ニューシネマというライフスタイルの枠から外れたvisualが深いアメリカの実像として暴露されていく。(泳ぐひと)。1968。
それにしてもプール付き邸宅が中産階級とは。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/06中旬
「開かれた都市であることは、創造と革新を担保する成長戦略の一環」「外国人や同性愛者の少数派に配慮する政策は都市再生戦略の重要な柱」。
1990年代まで産業の空洞化と財政難にあえぎ多くの地区が活気を喪失。
コペンハーゲン市は住宅、雇用、子育て支援、公共レンタサイクルなど多様な政策を実施。住みやすさの人気が高まった。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。自邸近くの吉祥寺ジャズライブバーsoumatsu art gallery

2020/4月下旬
潜在意識の開発開拓が97%もできてないことは常々プレゼンしてきた。隠れた意識の中には潜在能力がたっぷり隠されている。
そのイチバンわかりやすい能力とは。例えばアートコンペ。誰がどこが主催するのか。この上から目線ピープルたちもまた潜在下にある。
つまり開発開拓されないピープルが選ぶことに。(応募する)ピープルもほぼ潜在下に。これからは新しいARTSとは何なのか。
つまり今までのアート以外の表現だ。例えば(人物画専門画廊シリーズ)があるが、まさしく潜在下から開発開拓したARTSシリーズだ。
その参加型ARTSにクラリクラブがある。これは自ら発見発明するしかない。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/4月下旬
アイデンティやコーデというなじみのセンスがある。もはや浸透している。ファッションやインテリア、アーキテクト等々のジャンルのみならず経営やビジネス全般でも。
しかし、革新的な経営者・会社方針でもウォールアートが守旧的だったりする。たとえば抽象表現アートあたりで濁す。テキトーにうやむやにする。
改めて固定観念を打破する。そこから光が見える。
★★★★★Messageシリーズ。奏松画廊松久

2020/4月下旬
アートジャンルほど多様で多彩な展開、拡散、挑戦、反抗等々をしている表現はない。たとえば「ズレ」こむ、といういい方がある。
時代の中でのズレ。過去とのズレ。コミュニケーションのズレ。現場とのズレ。地域のズレ。世代のズレ。性差のズレ。そして、「風景」のズレ。
あらゆるズレを表現発信してきたアート。
いくらAIテクノが創造的に活躍代替しても必ずズレが発生するだろう。その時ヒューマンなアナログ的センスがそのズレを凌駕するかと・・・。ARTFORUM2015より。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
北欧のライフスタイルが注目されつつある。以前からプレゼンしてきた。既存メディアもまた露出が増えている。多様な数字がシマグニとは大きく違うを取り上げる。
しかし、風景・visualは解説がない。しようとはしない。(見て感じる)だろうと。はたしてそうだろうか。感じたことや考えたことをプレゼンできない。しようとしない。それは何故か。
visualをワードARTSでカタるワザを手法を知らないからだ。ARTSレッスンはそことリンクしている。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/4月下旬
(教えないレッスン)。(学ばないレッスン)。ARTSレッスンの大きな特徴だ。じゃ、何をする時間だろうか。(感じる&考える)時間だ。
何事も自分で探る。嗅ぐ。そして暴く。冒険する。後退する。藻掻く。
多様な試練から光がさすこともある。大方はSHADOWのままで浮上しない。新学期がスタートする。学校の成績はそこそこでいい。友達を作りに行く。スポーツをしに行く。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/4月下旬
カメラ女子が増殖し続けている。ほとんどみなカメラを常に持参している。シャッターチャンスが日常化している。大昔写真が発明された時はモノクロだった。
FBにも色彩コーディネーターがけっこういる。色彩を整理整頓すれば写実から遠のく。つまり抽象芸術になる。カメラ芸術そのものが抽象芸術からスタートしている。
ということは知らず知らずのうちに抽象芸術を解っている。ではなぜ「解らない」と避けるのか。それは「感じる&考える」ことを学習していないからだ。
たとえば「モノクロフォトを見て感じたことを述べよ」という問題がある。これを5時間もかけて答えるような受験を通過してサクラサクになってない。
ARTFORUM2016より。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
(社会の理不尽・不合理)に断固として反骨する。人種差別・風景改革・セクハラ・パワハラ・イヤガラセ等々に反旗を。何かをスタートすることにふさわしい時節。
まずできることをひとつ。発信力が金儲けより価値があるとプレゼンした、以前に。
★★★★★「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/4月下旬
500万の作品が20年で100倍に跳ね上がる。若い女性たちに人気の草間彌生。オークション価値が祭り上げられる。
そのシステムに大いなる <アイロニカルな反骨心> をプレゼンしたアーティストがいる。
アラン・マッカラム。希少性や唯一性を逆手にとってアートに翻訳した。石膏の代用物シリーズは今現在も持続制作されている。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ワードアートはアマゾン(奏松松久)でプレゼン。地元吉祥寺ジャズライブバーにて。

2020/4月下旬
★(非常識を訓練する)シリーズ。
その30。
偽装・改ざん・やらせの三点セット。平成のオメデタイ事件だった。何故こうなるのか。ご都合主義。つじつま合わせ。物語主義。しかし、政治経済ジャンルでは困る。
アートジャンルではこれにパクリつまりアプロプリエーションが加味されて奥が深まる。ワードアートはその典型的アートジャンル。必ず効果は出る。詳細は奏松画廊をチェックする。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/4月下旬
若者が内向きになった、と心配するひとたちが大勢いる。「世界のため」に・・・。という大きな目標が少ない。なぜだろうか。誇るべきカルチャーがないからだろうか。
それとも宝の持ち腐れで気が付いてないのだろうか。大きな理由のひとつ。ビジュアルがブサイクだと前に向かう勇気がでない。それを英語のせいにする悪いクセがついている。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
(クールな平和主義)。元来、熱しやすく冷めやすい。GDP中心主義からバランスの良いライフ&ジョブスタイル。コンフィーな働き方を目指す。
そのためには(風景改革・ビジュアル改革)は必須だ。特にそのジャンルでのスぺシャリストたちは揉み手ばかりではならぬ。多くの民がクールなスタートを切るに相応しい時代に入る。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2020/4月下旬
改めてプレゼンする。ホントに少子化問題を憂慮しているのだろうか。偽装ではないだろうか。北欧を目指す国柄に向かうことはたびたびmessageしてきた。人口は数千万くらいに。
つまり社会保障を手厚くして、いわば社会資本主義に徐々に向かうと。だからこそ霞が関は消費税を元に戻さないと。それは既存メディアという宣伝部も少なからず啓蒙している。
AI&IoTシステムが人を徐々に削ることと呼応しているからだ。この有事を(しめしめとほくそえむ)行燈政治行政が、マスク二枚に象徴されている。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/4月下旬
自ら問題を発見して実現可能な解決策を考えることが「アート&デザイン思考」であると。変革をもたらす新しいセンスである。
しかし、子育て後に再就職しようとしても単純なパートしかなく、諦めている高学歴女性が三割もいる。広義のセンスがこれからの時代に必須である。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
美術史の中からアプロプリエーション(借用)する。その女性像。壁にランダムに添付。もちろん額はない。男性が美術史を作り上げてきた。そのすべてに反骨する。
ナンシースペロ。これからの時代に女性の目覚ましい台頭は必須。(クールな平和主義)。その時代に遅れてはいけない。しっかり並走する。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/4月下旬
プラス思考・よく世間では心地よい響きである。大昔から。しかし、GAFAに追い抜かれ、チャイナAI&ioTにも先を越されている。世界の教育ランキングもしかり。
これからの時代は(マイナス思考)だ。何故か。断捨離・整理整頓が必須。例えばペーパー。ほとんどいらない。もちろんペーパーならではの
味わい・ARTS性・デザインクオリティ等々は一部捨てられない。これはアーカイブする。更にはマイナスとは(アイロニカルな反骨)である。つまり批評。
潜在意識下でいえば(視野拡大)である。つまり97%のその他大勢が、マイナスだと世間体が悪いと感じている。
LGBTmの多様性がすう勢になる。掛け算もあれば割り算もある。風景を加減乗除しながらリノベーションする。もちろんピープルもしかり。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクブ

2020/4月下旬
B級映画が娯楽エンタメをハリウッドが世界に向けて量産してきた。消費経済の勢い以外に大切なメッセージをマーケティングしてもいた。
それは「女性らしさや男性らしさ、子供らしさ」などの固定化した階層区別意識のイメージ化、つまり刷り込みだった。
シンディシャーマンは、その刷り込みに逞しい反抗心をアイロニカルにプレゼンした。
エンタメ映画のありふれた仕事柄の女優たちを偽装して「女性らしさ」を剥奪するダイバーシティこそ女性たちの地位向上につながる。
「刷り込まれたスクエアな石頭」を柔軟にすることをアートに翻訳した。BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991より。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
Change Orgというメッセージ性のパワフルなサイトが人気を高めている。世界の難問課題解決への道を発信している。シドニービエンナーレというコンテンポラリーアートの祭典。
アジアの作家たちが多くプレゼンする。テーマは「重ね合わせ」。しかし、サステイナビリティ・という全世界テーマに呼応していない。
難民や押し寄せる日用品らを素材にしているが、批評性だけでは <アート翻訳> にならない。未来へ向けての(ズレこむ)メッセージを表現して初めてアートになる。
このキュレーターのセンスが時代とズレこんでいる。銀座ニコンサロン・アジアアーティストたちのプレゼンより。
★★★★★奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
江戸時代の絵師は、御用絵師、版元絵師、僧侶などをして糊口をしのいだ。僧侶はお布施を頂き説教をしながら庶民に諭した。
時代は大きく変わり、大方のアーティストデザイナーは会社に。だから物言わぬ人に成り下がった。
これからのアーティストの役割は発信力、それも世界の問題解決にウェイトをおいた職業に。
働き方改革で話題にならなかったが、スペシャリストの具体性もまた視野狭窄であってはならない。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/4月下旬
社会の問題課題を解決する仕事。たとえばP警察官・F消防士・L弁護士・J裁判官はそのハイレベルにある。しかし、アートデザインを武器にその仕事は何らかの貢献をしているのか。
たまには広告メッセージに出ては来る。ただ概ね及び腰に近い。もっとアグレッシブに発信する。働き方改革は枠の中だけではない。新職種として社会全体が志向する。(PFLJ)。
そんな強い意志をあらゆるひとたちが働き方改革とセットで携帯したい。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/4月下旬
も一度プレゼンする。近未来のカタチは北欧スタイルにする。つまり税のカタチを徐々に(社会主義&官主主義)に持っていく。いわば、モダンな江戸時代のような。
そのためには(あらゆる規律)は、守らねばならない。このコンセプトは少々の地震とか天災とか疫病あたりでは崩れない。何故この自信が芽生えたのか。
多くの民が、つまり97%の潜在意識下をまるで開拓開発してないからだ。偽装民主主義のスタイルが概ね蔓延している。
これからも(偽装・改ざん・やらせ)が大手を振って歩く時代になる。まさに偽装パワハラということになる。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/4月下旬
世界中が監視社会になりつつある。つまり科学が生活や仕事、そしてついに風景まで支配している。いずれプライバシーもなくなる、らしい。ことは想像に難くない。
デンゼルワシントンの映画だった。被害者女性の過去を調査するマシンがあり、彼女の住まいが壁を通してカメラに遠隔操作されている。
完全に透視された画像が捜査当局のマシンに鮮明に映し出される。監視カメラを取り付けていないのにもかかわらず。時代は「ヒューマン」すらも剥奪する。
アートが「リプレゼンテイション」する先見性を見逃してはならない。センスを研ぎ澄まさないと生きていけないだろう。2015ARTFORUMより。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
タイプライターの売り上げが伸びている。見られたくない連絡には封書郵便を使う。アナログ回帰。元CIA職員のスノーデン事件はあまりにも生々しい。
NSAは政府関係のみならず一般ピープルのメール通話も傍受していた。たとえタイに潜伏していたとしても身ぐるみ剝がされる。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
ダイバーシティ・シリーズがあるが、ひとによっては多様性の解釈が違ったりもする。たとえば、シマグニの街では原色が氾濫してカタチは不揃いのブサイクたちで満載だ。
建築デザイナーの黒川紀章はもつ煮込みのような街と揶揄した。だからそれはそれでいいんじゃないかと。欧米から長年にわたってキャッチアップしてきた。
何も政治や経済や食や衣だけではない。そこには多様な思想がある。特にビジュアル改革はあきらめてはいけない。たとえ多くのコストがかかろうとも。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&シリーズ。&ダイバーシティ・シリーズ。奏松画廊松久matsukyu

20204月下旬
観光ビジネスが大いなる経済指標になる。しかし、世界に誇るべき「風景」があるだろうか。観光地以外に時代のセンスが溢れたエリアがあるだろうか。
政治経済的デモはあるが「文化的デモ」を実施したことがあるだろうか。電線地中化をテーマに・・・。暴力的看板を洗練された色彩&サイズに・・・。
街中のアートがモダンシティ風景としてふさわしいかどうか点検されただろうか。デザイナーたちが平身低頭してモミ手すりしながら妥協に妥協を重ねてばかりではないだろうか。
2020オリンピックを契機に「風景と景気」とは何か。を考えてみよう。ARTFORUM2015より。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
リノべーショナルな風景を創造する。このビッグプロジェクティブアート。海に突きだした堤防のような「渦巻きシェイプビジュアル」で有名になったロバートスミッソン。
ミニマルアートジャンルではあるが、コンセプチャルアートでもある。渦巻きシェイプが愚かな人々を日の元に晒すかのような「クルクルパ~」としてあざ笑う・・・。
リプレゼンテイションする思想根底には、逞しき反抗心以外の何物でもない根性が渦巻く。ブサイクセンスな役人に任せていては、ブサイクな反復&連続な風景になる。
一途な正義もまたアートキャラならでのスタイルだ。BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991より。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
先物買い。先見の明。(見えないものを見えるようにする)才はことさら重宝される。始皇帝にまつわる逸話。呂不韋という抜け目ない才が奏功する。奇貨置くべし。
アートの世界もまた戦略的な先物買いが多々ある。ま、奇貨作るべし・というべきか。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ 。奏松画廊松久matsukyu

20204月下旬
人間立て看板。ひりつくような都会の孤独と悲しみ。愛の不毛を研ぎ澄まされた映像で描き続けた。ツァイ・ミンリャン。
解りやすい娯楽作ばかりでは、芸術を理解する観客は育たない。台湾の苦悩が象徴された監督だ。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
既製品。消費経済の象徴。リプレゼンテイションすれば、たとえばギャラリー。とてつもないコンテンポラリーアートに変身する。
<レディーメードアート> を進化させたジェフクーンズ。元ウォール街の証券マンだった。ポルノ女優との結婚も大いに話題になった。
つまり「センセーショナルこそアート」の時代が持続している。こうゆうことをワールドワイドという。新橋の和バルにて。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/4月下旬
弾むスタート。しかし、多くのワカモノたちは概ね三か月で答えを出すらしい。そして三年以内に去るらしい。しかし、こんじょう論は盛んだが深堀論は見かけない。
ワカモノサイドから見た理不尽とは。その深層を暴くことがコンフィな働き方改革につながる。内部留保が三百兆あたりもあるらしい。余裕あるスタッフ確保が必須だが・・・。
シチズンファースト、都民ファーストが流行ったが、定着しているのはファーストフードやファーストファッションばかり。十連休は(感じる&考える)旅もまたNICEかと。
★★★★★Messageシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/3月下旬
先日コの字形で(解体屋)といわれたが、今日はその片鱗をひとつ。「硬直した日常を異化し、新たな想像力と深い精神性に満ちたもひとつの世界へ転化する装置」だと解説する、
アートを。ある現代美術館の女性学芸員の言い方だ。はなからコミュニケーションを拒絶する。お勉強したことをまんま上書きするような・・・。
これではいつまでたっても(タコつぼに入ったまま)で公金を無駄遣いするタコになる。現代ARTSのコレクターが微々たる数なのはこの手の解説が跋扈しているからだ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/3月下旬
削減の時代である。会社も大学学科も・・・。そして最大の削減は「風景」である。歯抜けのような風景になりつつある。
ひとは「自分にしかできない仕事を持つ」。風景は「独自伝統と新たな創生のコラボ」で。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/3月下旬
世界がいつどうなっても可笑しくない状況が迫っているかのような時代だろうか。かって弱者国家として静かに耐えてきた国が、強い国家の思想と頭脳&経済援助で力を蓄えつつある。
いずれ仇討ちが必ず起こるかのようなアピール威嚇がたまにプレゼンされる。しかし、為政者たちの腹黒い胸の内は、一般大衆やそこそこマスコミあたりもリテラシースキルに欠ける。
そして次第にその行為が時間とともに忘れ去られてしまう。でも為政者たちはアンダーザテーブルですさまじい駆け引きをする、継続的に。そしてさも為政者たちが弱い国家やその思想を封じ込めて大手柄を上げる。
そんな構図と図解が今だに繰り返されている。コンテンポラリーアートもまた「思想的な絵解き」が氾濫してリテラシーが困難になりつつ偽装化されている事態になっている。
アートをリテラシーすることが世界のリテラシーと正比例しているわけだ。ARTFORUM2015APRILより。奏松画廊matsukyu

2020/3月下旬
アートが経営資源のひとつになる。最近その手のSNSやメッセージペーパーが散見される。しかし、アートはどちらかというと消費経済の対岸として反骨してきた。
たとえばウォーホール、リキテンシュタイン、更にはラウシェンバーグ等々枚挙にいとまがない。だからそのアートを経済の資源にするなんて。
その経営者たちはどうゆう思想の持主だろうか。以前タイムラインでプレゼンしたが、京都で会社経営を長期にわたって持続するアトキンソン社長。低生産性の原因を鋭く指摘。
労働者じゃなく経営者が無能だと。そんな程度の経営者たちが(アートをいじくる)と、バンクシーのようなからかい上手アートが話題になる。
★麻布十番&広尾界隈にて。奏松画廊松久

2020/3月下旬
今やSNSのおかげでワードアートコンペはデータ送信で応募するシステムだ。もちろん無料で。ところがARTやARTSコンペになると今だに実物を持ち込むスタイルが多い。
それも有料で。で、セキュリティがあらゆる機関で活躍している。その監視力はパワフルだ。世界のARTS作家&作品をしらみつぶしにチェックする機関があってもいいはずだが・・・。
コンペ主催サイドは、そうゆうシステムとスタッフをそろえることが重要だ。データチェックでふるいにかける。AI&IoT時代にふさわしいコンペだ。
★★★★★パフォーマンARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/3月下旬
かって複製芸術の時代というベンヤミンの思想が流行った。ほとんどのコンテンポラリーアートがベースにしている。素材は政治、経済からカルチャー・・・。
日常品まで。さらには過去のアート作品すら素材に。だから(美意識)はアーティストたちにとってはごくごく一部でしかない。もはや(おぞましいセンス)までアートに翻訳される。
欧米人も富士山芸者の延長線から脱却してない人たちがほとんどだ。つまり視野狭窄。もちろんシマグニピープルも。
アート教育や美術館が長い間啓もうしているがいっこうに効果が出てない。どうしたらいいのか。奏松画廊をチェックするしかない。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久matsukyu

2020/3月下旬
ARTS作品の価値が多様化した今、はたしてコンペは必要なのか。シマグニのドメスティックなアート組織は多々あるが概ね応募者の集金に。
総理大臣賞とか文科大臣賞とかインセンティブしても永田町そのものが信頼失墜している現状。大きな改革以外にないが・・・。今だにアート組織改革の声が小さい。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/3月下旬
(感じる&考える)と(解説する)は、全く違う。多くの人は誤解している。解説は覚えたことをなぞる。しかし、感じる考えるは、まず視野が拡い。
生活から仕事から遊びから多様性が出る。価値観が出る。潜在意識が開発開拓される。例えばアート番組や美術評論がある。ほとんどが解説だ。
コムズカシイ言い方で悦に入っている。何故(ハタヨガパフォーマンスARTS)が欧米インテリに人気かはそのことに気づいたからだ。
★★★★★奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/3月下旬
弾む春が待ち遠しい。かって、そうあれは1968年頃だった。「歴史的な春」の足音が鳴りやまなかった。ボブディランの「風に吹かれて」が春を待ち望む若者たちに風を送り込んだ。
どれほど悠久の世紀が流れるのか 山が海となるにはどれほどの人は生きねばならぬのか ほんとに自由になるためにどれほど首をかしげねばならぬのか 何も見てないというために
その答えは 風に吹かれて 誰にもつかめない。そして長い時間が経過した。真の世界の問題課題が解決されたのだろうか。アート&デザインが解決できるのだろうか。
その答えは「春の風」に聞くしかない・・・。ARTFORUM2015aprilより。奏松画廊matsukyu

2020/3月下旬
表現の自由があれば(生き方の自由)もあり、憧れるワケーノたちがいるにはいるが、多様性がない。6070年代にはリスキーな生き方が多々あった。たとえば就職しない選択。
自給自足。今、AI&ioT時代というと全てがスタートアップビジネスに群がる。そのジャンルから遠い仕事だと村八分かのようだ。
表現だって抒情的な写真があれば抽象的なvisualもある。ところが最も少ないジャンルが(改革的反骨ARTS)ジャンルだ。
企画する主催サイドもまた大衆迎合的(いいねアート)になびく。フレーム枠を超えたARTS仕事にチャレンジする。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/3月下旬
「解らない」。としゃべるひとがいる。たとえば昨日アップしたタキシードのビジュアルだ。首がない、どうゆうことだと・・・。もはや腹の中では怒っている。
これも全ては既存マスコミや教育、更には余裕ある家庭、友達、仕事等々その影響が大きい。覚えることは得意だ。今だにそのことを誇示するクイズ番組。
そして教養溢れるコメンテイターたちが世界の問題課題になっていることを解説する。しかし、その多くのことは政治経済のこと。たまにカルチャーもあるが、コンテンポラリーアートのことはほとんどない。
SNSメディア、FBメディアでピックアップしてゆく。先般も描いたが「コンテンポラリーアートを理解することが世界を理解することと同じこと」だと。
視野狭窄になるなかれ。バランスあるライフスタイルが平和を推進する。ARTFORUM2016FEBRUARYより。奏松画廊matukyu

2020/3月下旬
もはや名刺を配る必要がない。何故か。奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブのプロフィールは、(グーグルから全てチェックできる)ことだ。
HP、Facebook、Instagram、Twitter、Amazon。もちろんロマンスプロデューサー応募。吉祥寺の住所、電話番号も。イチバン最初にググることが出来るのか。すぐ出てくるのか。
驚く人がかなりいる。Googleの方針は(その組織or個人のARTS性・独創性・社会変革パワー・社会貢献・エシカルマインド・サスティナビリティ性)などをトータルに評価している。
だからたいしたこともないのにやたらPRしてるのは評価が低い。つまり(何のために)が明確かどうか。イチバンのポイントだ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&ダイバシティシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/3月下旬
「変身が勇気を出すきっかけ」になれば・・・。「毎回見たことのない自分に出会える」。目を開けると鏡の中に「マリー・アントワネット」がいた。ビジュアルを変える「変身写真」。
流行っているらしい。「表現の自由を使いこなす」人たちが増えれば「カワイイ構造改革」に繋がる。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊 

2020/3月下旬
イーゼル絵画の古典的な機能に疑問と不満を持つアーティストたちは多い。特に歴史のある既存新聞メディアや人気の高い映画産業からのプロマイド写真の持つ信頼性を疑問視した。
そのアーティストがジョン・バルデッサーリだ。自らのありふれた現実の写真と比較文学することで、つまりモンタージュ手法を用いて対比するビジュアルでプレゼンした。
コミュニケーションイメージ操作の偽装化に強い反抗心を浴びせることが芸術性の新しいカタチであることを証明しようとした。奏松画廊のメインアート作品とアナロジーしている作業だ。
BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960 ~1990世田谷美術館1991summarより。奏松画廊matsukyu

2020/3月下旬
食欲をそそる美しいフード写真を「フードポルノ」。自己啓発書を読んで成功者の気分に浸ることを「キャリアポルノ」。アジアの民族衣装のカラフルさを「カラーポルノ」と呼んでみたいくらいだが・・・。
JETROアジア経済研究所展示プレゼンより。奏松画廊

2020/3月下旬
富士山と満開の桜と銭湯のペンキ絵と三波春夫。この象徴的セットは(シマグニの制服)といっても過言ではない。ロジェカイヨワは(制服もまた変装)だと。黒白リクルートスーツもまた変装にほかならない。
その変装を逆手にとることもまたARTSだ。アイロニカルな反骨の自由表現。新入社員後もその黒白スーツで通勤し(仕事は白黒つける)センスが欲しいかと。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/3月下旬
マクルーハンの有名なセリフに「メディアこそがメッセージである」。この名言に忠実にアート化した作家がジェニーフォルツァーだ。電光掲示板、広告看板等々街中に突如現れ消える。
ま、いわばストリートアーティスト。究極の伝達手法である言葉のみを使用した。その言葉を更に進化したカタチでプレゼンしたアーティストがいた。ローレンスウィナー。
ギャラリーの壁や床に直に書きつける。もはや「アート作品への指示書かのようなシワザ」が他者への発注とゆうことで作品が仕上がる。時代遅れの「オリジナル性」へ反抗、懐疑を促進した。
伝統的絵画ビジュアルへの挑戦者は、あらゆる既存の芸術的概念を揺さぶることでアーティストとゆうよりは「アーティスティックな批評家」だ。奏松画廊メイン作品にアナロジーしてる。
自負するわけではないが、物語にして解りやすくプレゼンしている奏松松久の先端的な走りが素晴らしい。BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960-1990世田谷美術館1991summerより。奏松画廊matsukyu

2020/3月下旬
写真はあっても顔がはっきりしない。マスクが隠しているからだ。言葉はあっても喋らなければ判らない。そこには差別が発信される。身分証明IDとは何なのか。
(人物画専門画廊シリーズ)は、コトが大きく消費される都会で(物語のプロデュース)をことさら経済活動として貢献する時間をプレゼンする。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&(マンガ物語)消費の主人公たち

2020/3月下旬
抽象表現主義。この時代には「解らない」ひとたちが多くいた。なぜか。創造力&想像力が大いになかったからだ。それは今でもサスティナビリティしている。なぜか。教育があまり変わってないからだ。
ジャスパージョーンズの言葉がある。「何かあるものを選んでみよ。それに何かして見よ。それに何か他のことをしてみよ」。何かする、それは「覚えること。マネること」だった。
旗、標的、数字、地図などを「絵画化することで何か」した。このFBメディアでも「日常の、あるいは創造のあるいは想像の何かをする」ことで大いに盛り上がっている。
それは「抽象表現をすること」と同じだ。気がついてないだけの話だ。「解らない」ことをすでに何気なく素通りしている時代になった。

2020/3月下旬
WEF1918でGGGRの発表。ジェンダーギャップランキング。シマグニはG7で圧倒的最下位。110位。中国103位。韓国115位。その他、経済的参加度及び機会、教育達成度、健康と生存、政治的エンパワメント。
勿論上位は北欧。デジタル化がしにくいレベルでは相当蔑視されているに違いない・visual格差がある。
例えば無電中化でいっそのことガス線も水道線も空に垂れ下げたらどうかと陰口をたたかれている。国際女性デー・IWD。ミモザをプレゼントするこの時節。習慣化したいかと。
★★★★★新作「Name the title itself is contemporary ARTS」シリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/3月下旬
コロッケさんや清水アキラさんが、(コンテンポラリーアーテイストだ)というと疑問視する人がほとんどだろう。美術評論家といわれるシェンシェイもまた何を寝ぼけたことを。
しかし、アメリカンARTSは(リブレゼンテイション&アプロプリエーション)手法は常套であり、上等である。オリジナリティという概念を覆すARTS作品が常識だからだ。
固定観念・社会通念をちゃぶ台返しする。それがARTS表現家の真骨頂だ。世界の常識はシマグニの非常識である。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ・奏松画廊・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/2月下旬
「デザイナーベイビー」。好みの赤ちゃんを創造する。で、言葉の錬金術師、寺山修司「家出のすすめ」の中に「他人の母親を盗みなさい」というセリフがある。彼の持論「起こらなかったことも愛のうちである」。
彼もまた「たしからしさを暴く」アーティストであった。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊 http://www.soumatsu.com 2016アートプレゼン。

2020/2月下旬
(エクス・リブリス)。蔵書票。本の見返し部分に貼り、その所有者を明らかにする。15世紀後半活版印刷発祥のドイツ。書物を所有するのは王侯貴族に限られていたため蔵書票の図柄は紋章が圧倒的だった。
グラフィックアートが全盛を迎えた19世紀末から1920年代には(紙の宝石)としての評価が高まり愛好家が増えた。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
★(非常識を訓練する)シリーズ。
その28。
「目に触れたものは即座に口にすることができ、耳に聞いたものは心に留めて忘れることがない」と。その名は稗田阿礼。古事記編纂者のひとり。天武天皇の舎人。
今ではSNSに勝てる者はいない。膨大な情報がかえって邪魔をする。思想家には。
キーワードは(忘却の彼方へ)。もはや断捨離。買い物、料理、テーブルセッティング等々、そしてAIダッチワイフ。シングルこそサイコーの(表現の自由)。 何を持続するかが問われる。必ず効果は出る。詳細は奏松画廊でチェックして下さい。
★★★★★パホーマンスシリーズ&SHADOUWシリーズ&Messageシリーズ。奏松画廊松久

2020/2月下旬
根岸界隈に江戸風情が残る。「鍵屋」。荷風、百閒、瞳、エドワード・サイデンステッカー。常連だったらしい。今どきは「女性ひとり呑み」も盛んだが、
ここは入店不可。 <アイロニカルな反骨心> がこの居酒屋を守る。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
「愛と歌の両方がなければ生きていけない」。壮絶な人生を送ったアーティスト、エディットピアフの言葉だ。バレンタインに多様な思いが錯綜しているひとも多いだろう・・・。
「愛の讃歌」を高らかに伝えられるひとは幸せなんだろう。
春一番が弾む気持ちを応援してくれそうな陽気になりそうだ・・・。奏松画廊matsukyu

20202月下旬
(バスで旅することでアメリカの最もアメリカ的なところを見ることができる)。街角でその地方の新聞を買い、コーヒーショップに入ってドーナツをかじる。だからバスが好きだと。70年代。亀井俊介さんコラム。
スピードにあくせくする時代の今、改めて牧歌的な旅は好感される。出会いと時間と移動・は(物語を創造)するためにある。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
ストレス・不満をぶつける。身近な人へ。場所へ。それが連鎖する。マネする。大昔から理性を説いてきた。賢人たち。すっかり雲散霧消している。といっても根はそんなに深いところではない。つまるところ時給が安い。
北欧型。平均は、四千円弱。最低でも千五百くらい。もはや締め付ける経済ではない。格差は結局ブーメランしてくる。何を持続して何を断捨離するか。一人一人に問われている。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ 奏松画廊松久

2020/2月下旬
かって「気まぐれコンセプト」というマンガが話題になった。作者は「リアリティ」を出すため固有名詞をちりばめた。たとえば「チョーギン」。しかし、そのバンクも今はない。これから多くの固有名詞が消える時代に・・・。
コンセプチャルアートは <近代に潜むたしからしさ> を暴いてきた。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊 http://www.soumatsu.com 2016アートプレゼン。

2020/2月下旬
アンフォルメル、つまり不定形なアートが増殖し続けている。それはカタチが理解できないだけでなく、不可思議であったり不愉快であったり、もちろん中には快適なカタチもある。
しかし、時代は快適さよりその逆のアートを追求することで新規さや先端性を評価するきらいがある。
中国と貿易がイチバン大きいが減速してくるとオタオタする経済評価でもある。
オイルもまたシェールガスもまた更にはいつもの利益誘導のためのオイル調整であったり、金利操作であったりと不定形のような
定形タイプの人為調整が話題になる。しかし、経済はそれでことたりるがコンテンポラリーアート界隈は、それを繰り返しながら新たなるカタチを模索する。
その成長戦略がチャーミングといわれる所以だ。
Art in America2011JUN-JULより奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
「私たちは大文字と小文字を使い分けて話すことができない。しかし、書き言葉はできる。このことは差別概念だ。まったく無意味ではないだろうか」。バウハウスのモホリナギが疑問を投げかけている。固定観念を打破する。
すでに百年近い前の(感じる&考える)訓練だ。時代が大きな曲がり角に来ている。各アイテムを総点検する。必ず自らの道が見えてくる。
★★★★★奏松画廊松久Matsukyu

2020/2月下旬
コンセプチャルアートは、大いに拡散してきた。その増殖ぶりはまるでファッションアートのように世界中のひとびとの身に定着している。これからもサスティナビリティしていく。そして究極は、「文章による指示のみで作品とする」
ことが純粋なコンセプチュアルアートと規定していた。「作品の具体化の否定」は、エスタブリシュメントな階層主義を覆すアートともいえる。既存の芸術作品は、アーティストたちの思想的基盤を
「図解したもの」に過ぎないといって切り捨てた。
それはアメリカアートがヨーロッパアートを乗り越えるための大いなる戦略でもあった。そして、いよいよアジアもまた欧米化するスピードに比例して「脱東洋美術化」することが世界標準となりつつある。
アートとオリンピックがその役割に大いにこれらも貢献してゆくだろう。Art in America2011JUN-JULより。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
既に亡くなったアーテイストである高松次郎。コンセプチャルアートではジャパンを代表するひとりである。アイデアをあらゆるアングルから創出した。たとえば海辺の石たち。この石にナンバリングするアイデアをアート化した。
よく広告表現ジャンルだけでなくもはや一般に流通するコトバとして「コンセプトが素晴らしい」とか使う。そんな元祖的作家だった。歴史的に有名な作家はなんといってもフランスのマルセルデュシャン。便器そのものをギャラリーにプレゼンした。
従来の既成概念を根底から覆す思想アート。ミニマルアートのネクストテーマだった。アート界隈にもカルチャー界隈にも大いなる活気がみなぎっていた。そんな勢いと並走するように経済もまた大きく右肩上がりだった。今年はリオでオリンピックが開かる。
BRICsの新興国経済がこれから大いなる勢いを増加してくる。このエリアが新興アートがどう氾濫するかが大いなる興味だ。2011Art in AmericaJUN-JULより奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
電車の車内広告にワードアートらしき表現があった。「この30年間何故給料が上がらないのか。簡潔に説明せよ」という難問らしき問題スタイル。某ビジネススクールの入学案内広告。ググッてみると(自分の市場価値がどうなのか。
とかどのような仕事環境でも稼いでいけるか。とか社会変革に対応できるかとか)。ま、{感じる&考える}教育を目指していることが解る。しかし、この手のリテラシーは、{contemporary ARTS}教育とアナロジーしているかと。
ビジネスジャンル(science領域)らしいが、ARTS領域の枠だ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
昨日に続きコンテンポラリーアートが氾濫している。なぜこんなに作品が溢れているのか。先進国では概ね成長が鈍化している。金融政策で舵を操作するか。それとも科学で牽引するか。しかし、それらも大きな成長を期待するにはそうやすやすとは
表現力&発信力が発見発明されない。となると頼みの綱は「アーティスティックマジック」に期待する。そして供給サイドが以上に膨れる。科学と違ってその評価は、極めて意図的に操作しやすいジャンルだ。まさに魔術にかけられたように
需要サイドが膨らむ可能性がある。アートのネタがこれまた無限に溢れている。自然から宇宙から、そして政治経済文化ジャーナリズムから。時間を遡ることも未来にはせることも大いに可能だ。科学とのコラボも。そんな「自由な操作」がひとのこ
ろをを解放する。極めてチャーミングな引力である。ARTFORUM2011SUMMARより。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
今世紀に入ってますます混迷を極める。多様な多彩なコンテンポラリーアートが、表現力を、発信力を、逞しくしている。この作品がいつプレゼンされたかどうか。理解できる鑑賞者はほとんどいない。時間が経過すればするほど新興国アーテイストが台頭してくる。
アートビジュアルが氾濫することは、裏を返せば民主主義が成熟しつつあることに他ならない。たとえばFBタイムラインでも「食材やメニュー」をプレゼンするひとたちが多くいる。しかし、だれもこのプレゼンをコンテンポラリーアートだとは感じていない。
2000年に入ってNYCのアートギャラリーで食事をふるまうことで「その行為そのものをアート化」したアジアのアーテイストがいた。奏松画廊がどこにあるのかを訪ねる鑑賞者がいる。すでに既存のボックスギャラリ
が古典的であることは言うまでもない。ウェブ上でプレゼンすることが最先端しているプレゼンスタイルであることを「感じる&考える」ことが未来を拓く。ARTFORUM2011SUMMERより。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
産直。地域の農家と直接取引しているレストランが増えているかと。その小規模農家はこれからますます大変になる。AI&IoTの進展が大規模農業を推進するからだ。ケイトエリクソン・メルジーグラー。
農民から種袋収集を広告で募集。農場名、反数、作物の種類等々を明記して袋とともにプレゼン。ストレートな反骨ARTS。社会性の強いARTS表現家だ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
反骨・組織改革・意識改革・性改革・役割改革、そして教育改革・政治改革・経済改革、そして(アート思想改革)・・・、がある。ナンシースペロは、男性優位の美術界に刃を突き付けた。額縁すらない。彼女の作品は。額縁ビジネスもまた男性だから。
シンディシャーマンもまた、巧妙に操作されてきた(女らしさのイメージ)を打破するアーテイストだ。(# me too)をさらなるムーブメントにしよう。アジアで拡散しよう。時代が大きな曲がり角に。このリノベーションを仕事にしようよ、女性たちよスタンダップすべし。
★★★★★アイロニカルな反骨ビジュアルたち。奏松画廊松久

2020/2月下旬
「映画とは誰かの人生を変えるためにある」。ホドロフスキーという映画監督の言葉だ。ジョンレノンをとりこにしたカルト映画「エル・トポ」がわりと有名作。120歳までハリウッドと戦い続ける、と豪語している。
★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
かって6070にシマグニにヅツキをくらわすような震度8レベル級衝撃をくらわした個人映画というジャンル・メディアが繁盛した時節があった。当時アーテイスト・芸術家・美術家あたりはこの実験映画がARTS領域であることをリテラシーしていなかった。
ジョナスメカス、ケネスアンガー等々。そしてウォーホル。あらゆる芸術ジャンルがアートという視野狭窄の枠に集合した。まさに(八時だよ全員集合)ならぬ(美術だよ全員集合)だった。しかし、そのとどまることを知らない創造の強欲は、
(八月の花火大会)ほどマーケティングしなかった。そして今、動画は八月のみならず年中マーケティング効果しか訴求しない時節だ。だからたとえAI&IoTテクノ動画で一見斬新そうに見えるが、ARTSの中身を子細に検討すれば6070以前のシンプルアブストラ
クトvisualでしかない。この潮が(いずれは円安ドル高元高)になるかと・・・。それくらい徐々に下り坂を降りてきた当時アート、今でもアートとしか理解してない人が多すぎる。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
★(非常識を訓練する)シリーズ。
その27。
ラビリントス。エーゲ海のクレタ島。いったんこの宮殿に入ると二度とこの世に出てくることができない。(迷宮入り)という。ギリシャ神話に出てくるダイダロス。発明王。迷宮に閉じ込められたが、迷宮の中で飛行機を設計。空路から脱出。
困難に遭遇することで、道に迷うことで、つまり(非常識を訓練する)ことで大きな成果を獲得できる。詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。奏松画廊松久

2020/2月下旬
「チープシック」「古着ミックス」「オーバーサイズの男性服」「既製服を裏返し&前後逆さ」。かって流行った。「リセエンヌ」のリプレゼンテイション&アプロプリエーション。アート手法が少女たちのバイブルに。「男らしさ」がはく奪されて「アートらしさ」に翻訳。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/2月下旬
(Smile to Pay)。聞きなれないコトバだろう。チャイナ。アリペイと連動した(顔決済)システム。支払いはカメラに顔を向ければOK。プライバシーと人格と個性。ローナシンプソンは、黒人女性の顔を隠すことで身分証明・アイデンティをアイロニカルにプレゼンした。
(自分の素顔が気に入らない)との理由でためらうユーザーに(メイクアップ美顔に盛った顔写真サービス)すら適用。(人物画専門画廊シリーズ)は、そのVisualプライバシーをプレゼンすることで前向きに顔認証システムへの対応をARTS化する。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&クラリクラブレディ会員・奏松画廊松久matsukyu

2020/2月下旬
ワリカンにする。会社の飲み会はなるべく遠慮する。人の距離感を程よくしたい。そんな人が都会ほど増えている。世界標準に近づきつつある。仕事・友・交際・・・。が、国際的魅力的な方にえてして視野狭窄であったりする。少しばかりふところに余裕があったりすると
マナーエチケットが後退する。ジェンダーレスな言動。が、時には身も心もたっぷり委ねる。時代が大きな曲がり角にきている。潜在意識を大きく開拓開発する。ARTS領域のクラリクラブは、先を見据える自由交際を志向する。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久・雑談倶楽部・クラリクラブ

2020/1月中旬
「何不自由ない暮らし・で結構でザーマスわね。」と人は羨ましがる。しかし、過去のハプス家であろうと徳川家であろうと(自由と不自由が交差交流)する心中であったと想像だにすることに苦しくはない。
心に闇が巣くっている。(上を向いて歩こう)とすると(空飛ぶタクシー)に目を奪われる。するとアッという間に路上では(自動運転クルマ)が衝突するかも・・・。更に(個人情報は身ぐるみはがされる)。
もはや雁字搦めのライフスタイルになるのでは・・・と危惧なんて生易しいものではない。平和ボケした脳天に心に(程よい距離感の不自由)を感じた一年だったかと。
★★★★★「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ&パフォーマンスARTSシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
今年の主な出来事。改ざん・パワハラ・セクハラ・働き方改革・不正入試露見・築地市場閉鎖・クルマ屋さんの守銭奴、そして毎度おなじみ(やらせ)・・・。踊る阿呆にみる阿呆。
シマグニシアターは、今年も絶好調ッ。それにしてもTOKYOは晴天続き。よいお年をお迎えくださいませ。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ 奏松画廊松久

2020/1月中旬
一年を締めくくるには討ち入り映画が相応しい。どうも日の本には勧善懲悪的筋書が、こころにストーンと落ちる精神構造がある。つまり「横並びじゃないと何かしら腹が立つ」ような・・・。
山本七平の嫉妬の構造ではないが、議論をする習慣が訓練されてない。ビジュアルが格差を発信する場合もまたその構造だ。いわゆる目立つ発信力が抑制される。あうんの呼吸とゆうこころの習慣が村八分をする。
近頃「和の回帰現象」が多々散見されるが、バランスのとれたビジュアルとこころのあうんが必須ではなかろうか。そうしないと我慢に我慢を重ねて仇討ち爆発が起きる。その手のこころの構造が銀行ドラマあたりでも 繰り返された。
時代が大きな曲がり角にきている。大人カワイイとかブサカワイイとか多様な言葉遊びは大いに歓??するが、そろそろライフ&ジョブスタイルの各アイテムを総点検するときが来ている。
自らの何を断捨離するのか。日の本のグランドアート&デザインをどう断捨離するのか。決断力が求められている。
オンオフのスイッチをクリアにすることが必須だろう。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
意匠のカタチが西洋と東洋を往来する。上はブリジットライリーのオプティカルアート。下は、おなじみの青海波模様。仮に「和柄と洋柄」が同居した場合に、以外にも落ち着くときがある。
インテリアでも洋モダンスタイルに和のレトロ階段箪笥がコーデされるとセンスがグーな気分を発信する。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
嘲笑・反撥・華奢・美意識。室町時代初期に流行る。後の戦国時代・下剋上の萌芽。(ばさら)。ヒンドゥー教への礼拝。ダイヤモンドのような硬さをもって伝統奏法を打破する。
反というひと文字が息を吹き返す。今年を回帰するとこのキーワードが脳裏をよぎる。時代が大きな曲がり角に来ている。多くの〇〇ファーストが台頭しつつある。あらゆるジャンルが総点検され始めた。
群雄割拠。(レッカマン)というARTSを発明した奏松松久。ワケーノも既存メディアもアイロニカルな反を表現したいかと・・・。
★★★★★ Message ARTSシリーズ・パフォーマンスARTSシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
年末年始休みで映画三昧とゆう方々も多いのではないだろうか。最近の映画は、テクノが大流行りだが、この1955年の「黄金の腕」。名作である。バーンスタインの映画音楽が効いている。ジャズと映画音楽の相性の良さ。
シナトラ、キムノバク、エレノアパーカーの真実味溢れる名演。そしてこのタイトルバックデザインが素晴らしい。ソールバスだ。右は「ある殺人」。1959年。これまたデュークウエリントンのジャズ。
ジェームススチュワート、ジョージCスコットが素晴らしい。原作、俳優、音楽、タイトルビジュアルとそれぞれがいかにも映画らしい気分でいっぱいだった。回帰現象してみる価値は十分にある。
奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
今年も氾濫・洪水・過剰の砲が炸裂した。かって6070時代には多くのゴシップ雑誌が店頭を賑わした。しかし、いつの時代もまた嗜好は変わらない。メディアが変わっただけだ。
パロディもまた当時満開であった。江戸の庶民からそのセンスは健在だ。(人の不幸は蜜の味)。天下泰平の幸せにホッとひと息するシマグニの冬である。
★★★★★メトロポスターデッサン・プロダクション我SのcontemporaryARTS・渋谷のんべい横丁のとある居酒屋(パリから来たデザイナー・モデル)・奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
去る者は追わず来る者は拒まず。懐の深い一年ではあった。更に創造力が深まった一年であった。さて、FBの方々は如何な年であっただろうか・・・。マイ箸を揃え襟を正して新年を迎えたいかと。
奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
農業生産の機械化による過剰生産。更にヨーロッパの一次大戦後復興の遅延消費。ソビエトの社会主義化による市場からの離脱。農業不況から鉄道、石炭不況。そんな時代を背景にこのポスターが生まれた。
格差が始まる最初のビジュアルかもしれない・・・。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
星条旗がホップステップジャンプと大きく成っていく。ジャスパージョーンズ。数字がARTSに翻訳される。多くの解説では抽象表現主義になっている。間違いではないが視野狭窄だろう。
かってパックスアメリカーナが世界を席巻した。金融資本主義が大きく台頭した。ウォールストリートの数字記号が世界を巻き込んだ。ジョーンズは1930年生まれ。画家ではない。ARTS作家だ。もしくは預言者だ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
ハラスメント。今年はかなり火を噴いた。ジャパンの常識は(世界の非常識)。その世界標準になるための訓練が必須だ。各アイテムの総点検を。常々プレゼンしてきたメッセージだ。
★★★★★(非常識を訓練する)シリーズは、来年も持続していく。奏松画廊松久

2020/1月中旬
回顧キーワードその5。 <アプロプリエーション> 。「何々にならって」。無題「ウォーカー・エバンスにならって」。つまりパクる。シェリー・レビンは消費経済の象徴である「複製」にアイロニカルな反骨心とともにプレゼンした。
オリジナルとは何なのか。どこまで可能なのか。★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法アクリルアート。 で、NICEな今年も各シリーズがアップした。来月末にはHPでプレゼン予定。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
アプロプリエーションアートとゆうジャンルがある。聞きなれないアートジャンルだと思うひとたちも多い。盗用とゆう意味だ。過去の多様なジャンルから引用して、そこから更なる意味作用を喚起させるアートだ。
上のシンディシャーマンの作品は、自らフォトモデルになってハリウッドスターに変身するフォトをプレゼンする。1977年の作品。下のポスターは、エッシャッーの錯視アートを喚起させる。
ノーマンアイブスの作品。1967年。今年は、ジャパンで「オリジナルデザイン」とゆうテーマが国民的に話題になった。しかし、世界は遥か数十年前から既にアート&デザインとして流通している。
奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
あとわずかで新しい春を迎える。核家族化が進みかってのように大仰な宴はないかと。シニアにとっては紅白歌合戦も熱が冷めている・・・。何も娯楽がなかった時代が懐かしいかも。
インテリアを断捨離して新たな気分もまた嬉しい。必要最小限のライフスタイル。(ウォールデコ)を奏松画廊アートで。日常で何気なくウォールデコを見る。ふと何かを気づかせてくれる。
詳細は奏松画廊をチェックして下さい。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2020/1月中旬
回顧キーワードその4。 <アートタイトル名の意味> 。かってよく「無題」という作品が氾濫した。しかし、タイトル名そのものが重要な意味であり、「作品」とのセットとして「タイトル名そのものが作品」である。
つまり「無」とは過去を否定する。あるいは思想そのものをチャラにする。あるいは「無意識」で作業した結果であったりする。もちろん「無頓着」「皆無」もある。
★★★★★テーマは「Name the title itself is contemporary art」シリーズ 。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
アンディウォーホルとリキテンシュタインがともに広告のアートディレクターとして活躍してた頃のポスターアート。既にポップアーテイストになりつつある予感すら漂うセンスだ。1966~67年頃。
一方ウエストコーストでは、クスリ&セックス&ロックの革命的アートであるサイケデリックなセンスが炸裂していた。金太郎飴的でないアメリカのワイドな風景が素晴らしい。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
かって7080時代にデザインフレームを超えたイタリア。そのセンターにメンフィス。ソットサス、ルッキ、ロッシ等々。ボブディランの(メンフィスブルースアゲイン)からネーミング。
ひとことでいうと(反デザイン)。色と形が機能を凌駕する。ビジュアル資本主義のスタート。それくらい(愉快な暮らし)を追及した。このムーブメントがきっかけで、
あらゆるジャンルの垣根を超えたデザイナーが誕生。アーキテクトもグラフィックもミュージシャンもプロダクツも・・・。ARTS領域にデザインが包含された。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
回顧キーワードその3。 <メディアこそがメッセージである> 。もちろんマクルーハンの「ワードアート」だ。ミュージアムやアートギャラリーに展示プレゼンしない。
ジェニー・フォルツァ―の逞しいアート思想のもとプレゼンメディアをスタジアムの電光掲示板や街頭の広告看板に。しかも「ビジュアル無しのコトバのみ」で。
1980~90年代ではあるが今のSNSメディアの先鞭をつける兆しが見える。その後のITテクノロジーへのきっかけになったに違いない。アートが「感じる&考える」。そのトップランナーの証だ。
ロバートキャパの戦場ブレフォトクローズアップパネルより。恵比寿写真美術館にて。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
アールデコスタイリッシュなポスターだ。1930年時代の代表的ポスターアート。今、改めて見ても惹きつけてやまない。最近は映像&動画が大流行りだが、このビジュアルパワーは群を抜いている。
産業機械が台頭して大いなる資本主義が突き進むダイナミズムが眩いばかりのアート&デザインだ。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
素晴らしい眺め。庭園美術館と自然教育園。中空から景観するのは初めてだ。ま、NYC並みにリノベされつつある。TOKYO・タワービルが増えると。
Amazonで25本近くワードARTSを販売しているが、本社のワードARTS・messageがNICEだ。奏松画廊松久のダイバーシティシリーズがここでも発信されている。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsykyu

2020/1月中旬
(考えるアート)が今年はスタートしたといっても過言ではない。もちろん過去にもそんなアートは数多く存在した。しかし、あまりにも膨大なプレゼンに相当距離感を感じていた鑑賞者が多くいたのも否めない。
時代が曲がり角に来ている。(見たまんまを写す)ことは(おつむがおよわい)と勘繰られる。SNS時代はVISUAL的メッセージが中心だからだ。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2020/1月中旬
回顧キーワードその2。<リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法>。既存のアーカイブビジュアルの蓄積+SNSのクラウドデータがまるで雲をつかむかのような天文学的データ蓄積である。
しかし、何かしら <既視感> のあるプレゼンビジュアルだ。だからこそではないが、 <逞しいアート思想> がセットでなければ「アート業界を揺さぶる刷新」はできないだろう。
恵比寿の東京都写真美術館にてプレゼンしているバンコク出身アーティスト、アピチャッポン・ウィーラセタクン。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
繁華街・吉祥寺もまた激戦区だ、飲食テナント。飽きっぽいコンシューマーをどうしたら磁石できるか。ウマい・ヤスい・センスいいもすぐ淘汰される。例えばジャズバー。
6070時代はユスルシグサでコンシューマーは時間を消費するのみだけでなく時代の気分・反骨を消費した。今、単なるBGMに。で、その空間をリデザインする気分が漂わない・・・。
アクレッシブなARTSセンス・アイデアがないからだ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
回顧するキーワードその1。 <アイロニカルな反骨心をアートに翻訳する> 。今年ほど頻繁にプレゼンしたワードアートだろう。多様な素材がプリズムに屈折してアート化する。
その素材はジャーナリズムから屈折する。恵比寿クリスマススケッチより。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
ディザスター・災害。百年スパンで思考するととてつもない危機感が襲う最近地球。(日本沈没)の作中で遂行されるプロジェクト名。かってその危機を訴え続けた作家が今改めて注目されている。
science領域をARTS領域のジャンルで追究した。まさにcontemporaryARTS作家と言わざるを得ない。シマグニでは稀有な作家だろう。
★★★★★奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
直球勝負。燃えるような前向きアート。テーマは(民主化)。ライフスタイルの自由を獲得するためにもがいている。性の自由。制度の自由。思考することを制止された頭脳はVISUAL的に頭無し。
仏像から離脱する宗教的自由。かって日本がたどって来た道。近い将来アジアのコンテンポラリージャンルがオウベイ化する。★竹橋の近代美術館にて。奏松画廊松久

2020/1月中旬
コンテンポラリーアートジュエリーとゆうジャンルがある。その代表選手がオットークンツリだ。フォト、ドローイング、インスタのプレゼンも。ダイスキな目黒の庭園美術館にて。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
(オリエンタリズム)。かってサイードがメッセージしたワード。欧米の他人行儀が、上から目線した。そしてアジアが成長し、カルチャーを発信できるまでにきている。
例えばNYCのアートギャラリーで(アジア料理をプレゼンする)ことでその他人性を解消するパフォーマンス。もちろん同時並行で(おぞましいもの)をプレゼンして西欧主義的格差をエバる、
マイクケリーのようなゴーン主義も健在。ま、おぞましい現実は何もアジアの一部だけではない。欧米のおぞましさもまた現実に露呈してきた。格差とはいつの時代どのエリア場所でも存在する。
(ひとりクリスマス)をしながら、上から目線する勇気と成長が芽生えつつあるアジアンピープル。(脱数字格差&脱文化格差)がワールドワイドに解りやすくプレゼンされるSNS時代。 この新しい???実の中にこれからのアートが息づく。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2020/1月中旬
アートとデザインは既に境界がないかのような世界である。上のフォトは、NYCのツインタワービルだが、Boyd Mefford のコンテンポラリーアートとアナロジーしている。
下のサンプルは、やはりビルだが、Bill Komodoreのミニマルアートだ。このブックタイトルは「Art as Design : Design as Art」とゆうタイトル。
70年代始めに神田神保町の古本屋で見つけた。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
この一年もまた何度も問い合わせがあった。「吉祥寺から電話かメールします。」いきなり来廊は出来ません。定形の、固定観念の、社会通念のアートギャラリーではない。
ARTS galleryだ。タイムラインでその定義を何度もプレゼンした。予約して下さい、メールで。年内は26日まで・年明けは7日から。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
ライフスタイルには多様な多彩な晴れのシーンがある。今まではどちらかというと食や衣のジャンルギフトが多かったかと。これからは住のシーン・インテリアが主流になるかと・・・。
ひと味もふた味もセンスアップしたギフト。距離感がグッと近くなる。
★★★★★詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。奏松画廊松久

2020/1月中旬
「パギャル」。中途半端なギャルのことらしい。しかし、ほどほど・とかそこそこ・とかがシマグニではモテる。つまり「我慢する人生」こそ最大公約数的スタイルだ。
米谷ふみ子さんという在米50年近いアーティストがいる。「シマグニではわがままは悪で、上の者が下の者を御しやすくするためと気が付いた。」とエッセー集でカタっている。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
タングラムという遊び道具がある。1000年以上前に中国で発明された。7枚の板(正方形1枚、平行四辺形1枚、3種類の違った大きさの三角形5枚)で構成されたツールだ。
創造力&想像力を逞しくするには相応しい遊びだ。プロのデザイナーたちもたまに使うという。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
生命力が逞しいかどうか。ハタヨガパフォーマンスARTS訓練が大きく貢献することは以前プレゼンした。で、カラオケで歌をプレゼンすることもまた大きく延命することが証明されている。
マディソン郡の恋・黄昏LOVE AGAIN・旅人よ・雨の旅人・秘恋そして(何のために)。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
「非常識を訓練する」シリーズ。
その24。
かって(ナンセンスッ)と突き放したコトバが流行った。無意味な物モノmono。芸術はその範疇にハマった。イタリアでは、スーパースタジオ&スーパーズーム。反デザイン。
照明器具は明るくする道具だが、目的は色と形。お仕着せの固定概念を打破する。
エクセレントセンスはセンス&ナンセンスを包む。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。アートレッスンの詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。奏松画廊松久

2020/1月中旬
「脱日本」「限界にっぽん」「負動産」・・・。近頃ペーパーで踊る言葉だ。マーケットシェアが期待できない。黄昏社会が人も住宅も襲う。原因は、アイデアが不足。打つ手が遅い。
ビジュアル資本主義をなんとなく理解していても「ま、いいか」が襲う。吉祥寺のとあるストリートにて。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
政府のトップダウンではなく、 <個人のボトムアップ> から生まれる民主主義。創発民主主義というらしい。コンシューマーがメーカーやデザイナーになって成長する大きな伸びしろ。
Co-Designシステム。<感じる&考える>訓練が必須の時代がやってくる。吉祥寺のとあるストリートにて。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
(へうげもの)。古田織部。リスペクトするARTS作家である。師匠・千利休が白黒美学なら(おふざけ・遊び心)をプレゼンした。織部好み。□・〇・△。あたりをモチーフ。
当時輸入物に相当影響されてたに違いない・・・。その弟子たちもまたセンスの良い作家多し。本阿弥光悦・小堀遠州・上田宗箇。
当時世界的なプロデューサーがいればシマグニのアートはARTSになっていただろう・・・。
★★★★★SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
手がかり・を求める。きっかけ・を求める。気づき・を求める。理解できないアートを何かしら優しさで迎える矛盾かもしれない。公害防止を説く既存マスコミ、地球環境を守り情報浪費を批判する。
新しいテクノが人を排除する。風景を乱す電柱に広告が乱舞する。多様な矛盾を重ねながら生きていかなければならない矛盾。矛盾だらけの一年が瞬く間に過ぎる。
そしてまた何人かのアーティストが消えていく・・・。そして新しいアーティストが産声を上げる。
★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2020/1月中旬
かってファクシミリで作品を顧客に送信したアーティストがいた。デビットホックニーだ。今やコンビニで送信者の情報を作成できる。たとえばデモのカード。
アートコンペがいつまでも腐臭の漂うアナログスタイルにしている無意味は何なんだろうか・・・。
★★★★★テーマはShadowシリーズ。吉祥寺のとあるストリートにて。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
木場にある東京都現代美術館にて。「YOKO ONO展」。センスの良さに感動した。いかにもコンセプチャルアートを何気なくプレゼンしていた。
アーティストの逞しい創造力&想像力を感じざるをえない見応えのあるプレゼンだ。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
ズレる。最近は(風景がズレる)。つまり天災や経年劣化で。しかし、不謹慎ではあるが、そのズレは(ARTSに翻訳される)大きな気づきだ。人もまた少しズレる。ズラしてみる。
常識を断捨離して(非常識を訓練)する。ワンランク成長するためには必須訓練になる。ハタヨガパホォーマンスARTS訓練とともに潜在意識を開発開拓してくれる。
★★★★★「Name the title itself is contemporary art」シリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2020/1月中旬
写す。もはや盗撮も猥褻だけではない。テロリストの内部からカジノ財務からお忍び・・・、おびただしい数字主義がプレゼンされる。抽象表現スタイルのオンパレード。しかし、戦うカメラマンはたまにいる。
アートとして戦う表現が、更には反骨心がむき出しのアート写真が、そして(メッセージ性が最前線に突っ張って写し取る)ジャーナリズムフォトじゃなくアート写真が少ない。
誰でもキャメラマンの時代。清貧とか無縁ではあろうがチャレンジして欲しい、ヤングに。そうゆうトレンドがフランスデモのようにムーブメントすれば霞が関に届くかと・・・。
★代官山のとあるギャラリーにて。奏松画廊松久

2020/1月中旬
かって中平卓馬という写真家が <あるがまま> を見せることで、「ものモノ物」を率直にプレゼンする手法が流行った。私的な感情や主観を排除。
あらゆる個性が氾濫するアーティスティックな時代に極めて難解な作業と言わざるを得ない。
★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu.

2020/1月中旬
アールデコスタイリッシュアートが素晴らしい風景だ。けっして色褪せてない。むしろ時代のズレ込む表情がかえってチャーミングだったりする。
アールヌーボースタイリッシュアートはどちらかとゆうと貴族趣味だった。一点主義の美学が漂った。しかし、アールデコは、産業主義が勢いよく発展しだした労働者たちの息遣いと呼応している。
だからこそ、ではないが、少なからず共感するひとも多いのではなかろうか。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
文化体験を目的とした海外観光客を20%から50%にする。2020年までの文科省プランだ。 <伝統的な日本文化> だけでなくこの70年近くだけでなく明治以来の <欧米キャッチアップ文化> も立派な日本文化である。
その広義の文化概念こそセンス交流に大切だが・・・。
★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2020/1月中旬
(ARTSに翻訳する)。このキーワードが意味がワカラナイという人が相当いる。ナイキのシューズをギャラリーに移動展示すればそれは商品ではない。コンテンポラリーARTSに、マジックではないが変貌する。
ハイムスタインベック。だから、人物画専門画廊・シリーズは、もちろんARTSに翻訳されたということになる。アメリカンARTSは、1960~1990の間に多くの(ARTS翻訳家)が誕生した。
最近、大学院卒がシマグニと雲泥の差があるデータが発表されたが、はるか昔からあらゆるジャンルで違っている。そのひとつにARTSジャンルがある。
★★★★★クラリクラブ・人物画専門画廊シリーズ(2002.2003.2004制作)。奏松画廊松久matsukyu

2019/12月中旬
回帰する年末ではあるが、表現の自由・問題が浮上した。しかし、ARTSが今だに議論されない。この問題は奥が深い。シマグニの芸術レベルだけの話ですまない。教育改革まで突き刺
さるからだ。更には、働き方改革が問題になったが、スタイルそのものが固定観念化している。リベラルARTSがワイドであるようにフリースタイルであってもよい。夫婦という固定に
呪縛されなくともいい。卒婚もあり、終婚もあり、たまにシングル婚もあり、と。ミドル・シニアが社会通念・固定観念から断捨離していく。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/12月中旬
婚のスタイルに昨日触れたが、女性労働スタイルもまたフリースタイルになって当然だ。もちろんリノベーション反骨アピールは必須だが、女性たち自らもまたチャームアップすることが必
須でもある。例えばメガネ。シマグニレディたちはこじんまりし過ぎだ。メガネデザインが多様化した今、吟味が足りない。ヘアスタイルしかり。シューズしかり。以前もプレゼンしたが
(マイナスを更にアピール)することが、かえってマイナスを隠すワザだとメッセージした。太っていることを平気にする。それにフィットするセンスを身に着ける。もし仮に自身で自信がな
いマダム・レディは、雑談倶楽部でアドバイスします。
★★★★★「 Questioning the meaning of graphic art&design operation」シリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/12月中旬
回帰する年末ではあるが、表現の自由・問題が浮上した。しかし、ARTSが今だに議論されない。この問題は奥が深い。シマグニの芸術レベルだけの話ですまない。教育改革まで突き刺
さるからだ。更には、働き方改革が問題になったが、スタイルそのものが固定観念化している。リベラルARTSがワイドであるようにフリースタイルであってもよい。夫婦という固定に
呪縛されなくともいい。卒婚もあり、終婚もあり、たまにシングル婚もあり、と。ミドル・シニアが社会通念・固定観念から断捨離していく。
★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/12月中旬
欧米の美術館とアジアの美術館の違いは何か。キュレーションスタッフはほぼ役割は同じ。しかし、企業やコレクターから寄付金を集める、ま、営業スタッフがいないことだ。このスタッフ
こそ今すぐにでも必須だ。拙著「えいじゃないかッ」でも10年前に指摘した。★★★★★テーマはBONSAIシリーズ。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアー
ト。奏松画廊matsukyu

2019/12月中旬
人との一期一会が大きく高くする。その人は、ギャラリスト・メアリーブーン。そのアーテイストは、ジュリアンシュナーベル。1977年のこと。80年にコレクター・シュワルツに注目さ
れ、一気に時代の人になる。スタイルは(文字とテクスチャー)だ。
★★★★★パフォーマンスARTSシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/12月中旬
4K8KのVISUALスタートで話題だが、テレビ離れのヤングやシニアも多いことだろう。「発狂した巨大なコピー機」廃残物廃棄物の垂れ流し。美術作品の複製、広告の図柄企業ロゴ。恐怖の
殺戮現場・・・。多様な催眠療法が大衆をワナに。グレチェン・ベンダー。テレビ批評をアートに翻訳した。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ奏松画廊松久

2019/12月中旬
街が劇場化し、政治が劇場化し、マスコミが劇場化し、そして経済までも劇場化している。芸術が長い間スポイルされて虚無と化した。しかし、そのDNAは(胎内回帰)しつつある。母胎は永
遠に嬰児を宿し続ける。澁澤龍彦、寺山修司、ビアズリー、ベーコン、エルンスト・・・。懐かしい。若手アーティストたちも姥貝ている。今回ボックスギャラリーが劇場化した吉祥寺南の
とあるギャラリーにて。奏松画廊松久

2019/12月中旬
青い月夜の浜辺には・・・。浜千鳥。童謡詩人・鹿島鳴秋。作曲は宮城道雄。ここは都会の庭園。紅葉が夜景に映えた。琴の奏でる(パフォーマンスARTS)。杉並邦楽アンサンブル。晩秋の空
気感が共鳴した時間だった。
★★★★★荻窪・太田黒公園にて。奏松画廊松久matsukyu

2019/12月中旬
かって <日活ロマンポルノ> というジャンルがあった。文学的な、そして芸術的な雰囲気を醸すかのようなネーミングがうけた。既に新宿が覚めていた。新宿ソウラン節から離れて。一方で
アートシアターギルドがあった。黒い垂れ幕とチャイムがアートしていた。今はキレイになったが、東口の映画館が三本立てで界隈は <昭和の臭さ> に溢れていた・・・。★★★★★テーマ
は「ダイバーシティ」シリーズ。奏松画廊matsukyu

2019/12月中旬
「僕自身一番影響受けた映画は、ブニュエルとダリのつくった(アンダルシアの犬)だったね」「冒頭の月を剃刀が横切り眼球が切断されるイメージは(もっと奥深くものを見ようと思ったら自
分の目を剃刀で切り裂かなければいけない)というロートレアモンの詩のフレーズとアナロジーした映像で、肉眼で見える網膜的イメージを超えた(目を閉じたまま見ることが出来る世界)で、
オクタビオ・パス(世界を滅亡させようと思ったら爆弾が必要じゃなく目をつぶるだけでいい)という有名な言葉があるが、それが映画だという感じがしたね」。寺山修司とかわなかのぶひろ
先生(阿佐美映像ゼミプロフェッサーだった)との対談で。かわなか先生編集の月刊イメージフォーラム(1980創刊号)。かわなか先生は渋谷のイメージフォーラムを経営している

★★★★★SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2019/12月中旬
昨日のプレゼンでリベラルアーツに言及した。アートではなくアーツ。ARTSだ。複数形。毎日シマグニの地図を見ている。天気予報で。ブゼムというアーティストは天気図そのものを作品
に。1968/9/26の。つまり地理学、哲学、文学、歴史の領域がARTSに入っているからだ。当時コンセプチャルアートは黒船だった。そして長い時間が経過してもひとつの基軸・サイエンス領
域が大きく発展。自然科学や社会科学に。時代が大きな曲がり角に来ている。視野狭窄であってはならない。インドから東南アジアへ新羅針盤となるARTSプレゼンを発信したいかと。
★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/12月中旬
アート・の視野が大きく違う。文学、哲学、地理、歴史はアートジャンルに入る。だから昨日プレゼンしたローレンスウィナーのような文字そのものに拘るアーティストが出てくるわけで
す。ジェニーホルツァーもそうだ。ワードとビジュアルコラボアーティストは相当いる。つまりアートは芸術ではない。日本語では芸術・美術になっているが。サイエンスを理科・科学と受
け取らない、欧米は。経済学や心理学は科学ジャンルに入る。アートリテラシーが誤解されている。近頃、リベラルアーツがシマグニ大学で国際標準化を目指して注目ではあるが、視野狭窄
のままスタートしても成果はたかだか知れている。★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/11月下旬
松下玲子武蔵野市長、橋田浩一東大教授、栗林智絵子WAKUWAKUネットワーク理事長を迎えてのシンポジウム。「地域共生社会への道すじ」。市長のリポートによると2048まで人口は増加。黒字財政。人気の街がサスティナビリティ。橋田教授のリポートは、赤ちゃんのゆりかごから墓場までパーソナルデータが医療、教育、仕事、趣味、ライフスタイル等々本人主導でデータ化される。その連携システムは、星新一のSFノベルで1970プレゼンされてた。栗林さんの子供誰もが生き残れる地域絆サービスのリポート。NICEな時間だった。成蹊大にて。奏松画廊松久

2019/11月下旬
アート創作に教育が邪魔だという教育家がいる。確かにそれも重要な指摘だ。たとえば抽象表現作品。どこか頭の片隅で記憶しているからだ。ではどう料理したらオリジナルになるのか。さばき方に独創性があるかないか。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」が今や独創である。SNS時代にあらゆるビジュアル素材が教育そのものだ。それは街再生もまたそうだ。アートフェスが一回性のお祭りにしてしまっては教育効果がでない。生活そのものにリンクする。協業意識を根付かせることこそ優先されるべきだ。そのためにもGDP中心主義からクオリティ中心主義が必須である。アトリエ近くのポールダンスバーにて。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
「私はいつも質を求めています」「私は危険な冒険をおかすアーテイストが好きです」「良いアーテイストの第一条件は、文化に影響を与えるアーテイストだと思っています」「私たちのものの見方を変えることが出来る人、そして発明能力があるということです」1977バイカートギャラリーから独立したギャラリスト。メアリーブーン。流行に流されない一途さ。遠くを眺める眼差しが素晴らしい。SHADOWシリーズ&パフォーマンスアートシリーズ。soumatsu art gallery

2019/11月下旬
(アート作品の発明能力)とは、ただオリジナルという古色蒼然とした作品ではない。それはサプライズ。自負するわけではないが、たとえば(人物画専門画廊)のような作品だ。そのコンセプトは余裕・恋愛・品格。それらが消費経済社会の中でアートに翻訳される。メアリーブーンなら食い付くことこと間違いなしだろう。 ★★★★★人間力を発明する奏松画廊松久matsukyu

2019/11月下旬
「いい広告には物語がある」。マッドメンのドンドレイバーが口癖にしているフレーズだ。「人は芸術作品を着るか、自身が作品になるべきだ」オスカーワイルドは放つ。そして今やコラボは当たり前になった。多様なジャンルに波及したコンテンポラリーアートは、アイロニカルな反抗心とともにボブディランさえも風の中に舞い込んだ。シマグニではいまだに景観に溶け込むアートが物語を携えてない。★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
ありえない世界がある。それは(見えないものを見えるようにする)訓練が足りないからだ。たとえばロボットや翻訳マシンがスピーディに進化している。ちょっとしたダイニングの天井ライト交換。女性たちは困る。しかし、人間のようなカタチと機能があれば・・・ロボットが。ベビーも試験管移植で。(表現の自由)を使いこなす女性たちのライフスタイルが大きく変貌。また、通訳も。NICEなマシンが出てきた。アート思想がドンドン視野を拡大していく。もはや孤独という概念が消えていく・・・。パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティ・シリ ーズ。soumatsu art gallery

2019/11月下旬
世界はイメージの氾濫といっても過言ではない。改めて暗闇や影の中に身を置く。具体的にはたとえば洞窟の中とか。都会ではなかなか体験しづらいかもしれない。しかし、ハタヨガで目を閉じる。無心の境地。身も心も開放される時間。その時間にイメージが錯綜する。積み重なる。そこから道が見える。あるいは未来につながる予感が垣間見える。エリアーデは、外界との(気の交流)を通して自己を体験的に探る。そ れは意識の源を探る旅に。恵比寿・写真美術館にて。イメージの洞窟展プレゼン・奏松画廊松久matsukyu

2019/11月下旬
記号の流通と消費・がテーマである。そしてそのプロセスが暗示する隷属関係・がより重要である。権力の匿名の声・が命ずるままに記号を消費。彼女のアイロニカルな表現だ。リスペクトするメアリーブーンが最初にピックアップしサポートした。1987に。バーバラクルーガー。(反権力&反芸術)。このころシマグニではバブリーな風に踊っていた。SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2019/11月下旬
渋谷の交差点。大きな電子看板。そのひとつ。たけしが左の眼を左指で少し開けてるポーズ。AV動画制作プロデュース会社のCM。もはや大手を振って大衆化している。貢献度は高い。性犯罪が大きく抑制されているからだ。(正反合)。常識と非常識。ボカシモザイクだけで倫理をカルくオーバーする。合法・合政治・合経済・合文化。そして、反芸術が合芸術に認識される。意識のハードルを更に低くしてくれる。(アートに翻訳)される効用がこのジャンルにも。 渋谷交差点にて・奏松画廊松久matsukyu

2019/11月下旬
古き良き時代が懐かしい。という人たちは多い。大正から昭和にかけてのレトロアーキテクチャー、ファッションスタイル等々。しかし、シマグニは新しいセンスを多用してきた。そうすることで「オウベイ化」をキャッチアップしてきた。それが経済政策だった。消費経済が鈍化して修正資本主義からネクストのイズムを模索しているように懊悩してるかもしれない・・・。だが、風景は更なるセンスアップをしなければ成長できない。さて、どのようなスパイスを施すか。あらゆるジャンルで総点検することが必須である。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
先日吉祥寺サンロード入り口近くでTVカメラでインタビューしていた。通り過ぎようとすると「おとうさん」と話しかけてくる。いいチャンス到来だ。「キミを育てた覚えはないッ」と吐き捨てるように浴びせた、そのワカゾウふたりに。きょとんとしていた。なんとその番組名は(ありえへん∞世界)という。まさにありえないワードアートを披露して啓蒙した。じゃ、なんと呼べはいいですか、ときた。「あなた様」といいなさい。キミたちは「企業様、社長様」というじゃないか。奏松画廊松久

2019/11月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その18。
最も慎重でなければならないジャンル。そこが崩れる。免震というテクノが必須だ。倫理観の大幅な欠如。ようやく(内部告発)が。組織をチェンジする大きな勇気ある声こそ新たな未来の道を獲得できる。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。詳細はプロフィールにリンクする奏松画廊でチェックされて下さい。soumatsu art gallery

2019/11月下旬
男性優位社会に異議・反対を表現する。以前ナンシースペロのことはプレゼンした。額縁ビジネスひとつとっても男性たちの仕事だ。だからピン止め。サイズもまたボックスを無視。既存の常識にNO。近頃シニア後の暮らしぶりが話題になった。経済的なレベル。しかし、多くのシニアは早く終了したいと。人生を。セカンドストーリーを見つけられない。それは子供たちが先生のいうことを聞かないと叱られるから自身の感情を曲げた仕業になることと似ている。 ★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&メトロポスターデッサン奏松画廊松久matsukyu

2019/11月下旬
ローカルで開催する映画祭が盛んだ。奈良で世界に通用する映画を、という目的だ。ところが観客動員数が少ない。従って行政補助金が全額無くなった。スタッフたちが資金集めをしてなんとか開催にこぎつけた。つまり結果をすぐ求めたがる自治体の <センス貧困> がある。そこに居住する <民度貧困> がある。野外アートフェスと同根である。ただ映画オンリーではひとは来ない。コラボする、たとえばグルメと。あるいは、合コンと。目線を下げる。二子玉のカフェにて。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
危険な冒険をおかす。つまりフレーム枠ギリギリまで白黒をつける。世界の課題問題にチャレンジする。お縄覚悟で。挫折は天才と同居している。這い上がる過程に必ずいる。感動賛同者が。サポーターが。そんなひとりにギャラリスト・メアリーブーンがいた。 ★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/11月下旬
「都民ファースト」が「公共工事ファースト」に勝った。千代田区で街路樹伐採を踏み止まらせた。2020へ向けて道路施設を環境デザイン無視という無謀な役人仕事を <小池構造改革効果> がコンフィーな結果をもたらした。スピーディだ。それにしても百年持続した街路樹たちを風景としてコラボするセンスを「感じる&考える」マインドがない、という人格はどこからくるのだろうか。都庁でも国交省でも多様な研修は実施されているだろう。にもかかわらず、である。闇は深い・・・。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
(烏帽子)。以前何度かプレゼンした。階級で素材から意匠まで差がある。たとえば庶民は、面布で巻いて前で縛るような意匠だ。鵜匠を見たことがあるかも。皇位の殿方は昨日拝見されたとおり。その昔、就寝時にも着用していたという。頭頂部を晒すことは恥だとする文化があった。来賓客のチャビンそのままはなんとも礼服とのコーデに違和感がある。殿方の頭意匠は令和クールビューティとリンクしたい。 ★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/11月下旬
「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」が常套手段になっている。美しい・とは何なのか。大きなテーマである。アーティストたちがいっけん鋭い直感を発揮する。脳科学の進展が、実は先の手法を蓄積した、ま、今ふうにいえば「容量が大きい」ITということらしい。つまり「美意識の容量」が大きく多いのである。「感じる&考える」ことを積み重ねてこそ、であって才能遺伝子があるなしではない。つまり努力の賜物だ。★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
ジャクソンポロックのドリッピングという技法がある。垂らした絵具が打ち付けられたり、拡散したり・・・。そのビジュアルはSNSの拡散機能へとつながった。あるいは、フランシスアリスの巨大な氷塊を路上で引っ張る。次第に溶けて拡散する。アートが社会の不都合や不合理をアイロニカルに翻訳する。ビジネスだけではないリノベーションアートがまだまだ少ない。スポーツ選手たちの座席がビジネスクラスに格上げされた。これもまたこの拡散パワーだ。アーティストたちはいっけん「難解な表現や言語」に頼りたがる。しかし、優しいワードアートで伝えると拡散しやすい。物語スタイルで。あるいは劇場スタイルで。★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
(アート局)という役所の部署がある。北欧の国々。建築物の5%~10%をアート作品設置にあてることが法制化されている。アートバリュー・という概念が大きく違う。教育改革以外にない。SHADOWシリーズ&パフォーマンスアートシリーズ。吉祥寺にて。

2019/11月下旬
コレクションすることで自分の道を大きく見せる。サザビーのようなビジネスにすることもまた価値を上げる。既に定着はしているが、その概念からスタイルから離脱する時代。(匿名性)というライフスタイルが断捨離を加速する。ウォーホルはart decoの、例えばピコイフォルカの銀の食器、ロレックスやハリウッド映画雑誌あたりのコレクターだった。奏松画廊松久

2019/11月下旬
「日常的な情景にひそむ劇をアーティストは造形するのだ」。谷川俊太郎の言葉だ。その日常は普通の人々よりは拡散している。宇宙エリアから既存マスコミ、そして井戸端の噂まで・・・。造形するだけではない。批評もアイロニカルにセンシティブに。更には時間の奥行を行ったり来たり、と「目に見えないようなモノもの物まて探索」する。あるいはリプレゼンテイション&アプロプリエーションする。その劇場にいる観客たちは迷路にいるかのような錯覚すら覚えるときがある。しかし、劇場から離れると心の中に「感じる&考える」買い物をしたような豊かな気持ちになれる。★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
ゲイジュツの秋ではあるが。しかし、幅の狭い、視野の狭いアートプレゼンがオンパレードである。時間的にも過去が多い。ミュージアムも既存マスコミもあまりにも大衆迎合に偏り過ぎる。かって(話がパルコ)という流行りコトバがあった。つまり意味不明ということの例えだ。世間は「見えるモノは見え、見えないモノは怪しからん」のベクトルに向かいつつある。SHADOWシリーズ&パフォーマンスアートシリーズ。奏松画廊松久

2019/11月下旬
またまた(レッカマン)が出没。場所は吉祥寺・成蹊大講堂。パフォーマー・麿赤児さんの講演に。ところが始まる前に文学部部長の挨拶が。芸術文化行政コースの新設。2020/4。ま、ひとことでいえば行政機関が世界に窓を開いてカルチャー行政を更に進展するための教育育成。麿さんと大いにリンクするのだが、これがリテラシーできないシニアが大勢。セカンドライフをまろじゃなく孫ばかりの時間では情けない。気づきの時間ではあったが、拙者への嫉み根性満載で後ろ敢えて座ったのだろう・シニアの(レッカマン)がひとりふたり。拙者の声がデカい・フトい・トオると。視野狭窄の典型だ。大学教務スタッフに退場させられた。ジョウトウではあった。 ★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&吉祥寺弁天通りデッサン

2019/11月下旬
温泉旅の時節。時間の過ごし方は実に素晴らしい。心は解き放たれて伸縮は自在に。今、欧米で(ヒュッゲ)というコンセプトが流行る。心の持ち方。時間の過ごし方。をより豊かにするライフスタイル。必要な物monoモノだけを。断捨離カルチャー。しかし、シマグニで流行るだろうか。北欧は、ある一定の所得に到達すると税に持っていかれる。再配分がいきわたっている。つまり(センスの良い社会主義)だ。もちろん教育無料。セカンドライフも活き活きと。さて、シマグニはどこへ向かうか・・・。 パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。奏松画廊松久

2019/11月下旬
4Kテレビが登場しても番組は変わらない、というひとたちがいる。なぜか。クライアントが消費経済を持続したい、とか。あるいは視聴率が高い、ものとか。あるいはそんなに高尚なものはウケない、とか。いろいろあるが一番は「表現の自由」を思いっきり使い切ってない、ことだ。創るほうも見るほうも「感じる&考える」訓練が大いに不足している。更には「横並び意識」が蔓延った結果だ。★★★★★テーマは「BONSAI」シリーズ。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。日本橋のいつもの日本蕎麦屋にて。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その19。
木ばかりを見て森を見ない。また森を見ることが怖い。大きなビジョンをカタル人物が少ない。小さな幸せがあればそれで充分。その思考や雰囲気が長く継続すれば時代の器は狭小化する。(森を見る)教育が必須。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。詳細はプロフィールにリンクする奏松画廊でチェックされて下さい。奏松画廊松久

2019/11月下旬
大野あつ子さん。武蔵野市議会議員。無電柱化を強く推進する。武蔵野市の財政力指数・1.522(26市平均1.009)。基金残高・貯金は433億。実質収支額・純剰余金は、27.7億。今度の大きな台風でようやく目が覚めた行政マンも多かろう。無電柱化というコンセプトは、シマグニ・街・町・村の行く末を大きくメタモルする。つまりどんな国柄・街柄・村柄らするのかと大きくリンクするからだ。拙者がたびたびプレゼンしているが(ヒュッゲスタイル)を志向する北欧型に向かうのか。このコンセプトは税務という哲学に大きくリンクする。彼女には力強く推進して頂きたい。援護射撃したい奏松画廊松久は。 ★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・渋谷HalloweenインスタレーションArt。

2019/11月下旬
西欧の人々には理解不能ではなかろうか。シマグニでは変身願望のお祭りである、ハロウィンパーティーは。なぜか。常日頃は自己抑制が行き過ぎているからだ。カラオケが定着しているのも同根である。そして、最も根が深い妬み嫉みは、ビジュアルがブサイクということだ。この美追求のアートデザインビジネスはこれからも大いに活性化する。★★★★★テーマは「Message」シリーズアクリルアート。奏松画廊matsukyu

2019/11月下旬
吉祥寺のHalloweenイベントは、親子のヘルシーパーティ。この街は子供が多い。暮らしやすさが大いに影響してるかと。しかし、中には性格のバッドな親子もいる。この間インテリアショップでのこと。可愛らしい男の子が拙者の足をわざと踏みつけた。ヤングパパの指示で。そこでいつもの(君を育てた覚えはない)(レッカマンよ)と。キョトンとしていた。その日はもひとつ加えた。(シェキナベイビー)。★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
ミニマルアートの先駆者。ダウンタウンアートシーンのパイオニア。まだソーホーという地名すらなかった60年代後半にこの地に住み着きアート作業に邁進した。アート思想家。ドナルドジャッド。賃料が安いのもあるのだろうが、ファクトリー風の広々として作業がはかどるかのような・・・。このミュージアムは世界中からファンが。半年先まで予約が取れないという。パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2019/10月下旬
書道展によく「知事賞」や「総理大臣賞」や「文部科学大臣賞」等々権威づけのプロモーションインセンティブが、長い間何の疑問もなく堂々とプレゼンされてきた。そうする狙いは出品作が増加されることだ。すると当然マニーが増加される。そのために架空人物に賞を付与する。いわゆる偽装化アートの詐欺行為である。多くの自治体でまるで事務的に無責任体質が跋扈していた。アートを知らない民度をこバカにしたしわざである。日比谷界隈スケッチより。奏松画廊matsukyu

2019/10月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その16。
多くの人は一時的に感情を露わにする。瞬間湯沸かし器だ。それが人間らしいと。欲情、怒り、恐怖、喜び、憎しみ、悲しみ哀しみ・・・。(パトス)。しかし、クールがビューティだ。クールに継続する。つまりAI化にできるだけ近づくことがカッコいいと。アナログを訓練する。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。詳細は奏松プロフィールにリンクするHPでチェックされて下さい。soumatsu art gallery

2019/10月下旬
新宿昭和館地下劇場。飯田橋佳作座。池袋文芸坐。かってわりかしよく通った。東映やくざ路線。そして日活ピンク。久しぶりにG街による。ほのかさんライブの後。相変わらず海外ピープルは多い。鳥立ち・に行く。チラシがあった・神代辰巳のアーカイブ上映。B級がにぎわっていた時代。絵沢萌子が実にいい。どこにでもいるおばさんに光が。神代の反骨がここに表現されていた。 ゴールデン街・鳥立ちにて・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
「No Museum ,No Life ?」。昨年の夏にプレゼンされた国立美術館5館合同コレクション展のタイトルだ。美術館を構成する多様なエレメントがある。それを解体する。そこには来場者の声もある。吊り金具もある。カタログ、グッズショップ等々。改めて「アートに翻訳」する。以前タイムラインでプレゼンしたルイーズ・ローラー。従前的美術界のヒエラルヒーと価値観をアイロニカルに反抗心を逞しくプレゼンした。文化庁が「文化GDP拡大」というコンセプトで推進している。多様な尺度がある。それは欧米がアートをGDP戦略として世界プレゼンしてきたことに「リプレゼンテイション」する。「ワシントンコントロール」という隠蔽された指示がある。某ニュースペーパーは、単純にレフトした考え方をプレゼンしていたが、アングルを変えると一歩前進し た文化庁スタンスだろう。恵比寿ビジュアル。奏松画廊matsukyu

2019/10月下旬
ボックスプレゼンに価値はないと常々しゃべってきた。だからそのボックスの中で妥協せざるを得ないプレゼンは(表現の不自由でしかない)プレゼンということになる。更に(SNS拡散を禁止する)ことは(アナクロニズム以外の何物でもない)ということになる。オピー(日本生命・オペラシィギャラリー)のプレゼンはデジタルサイネージも有効使用されていた。だからこそSNS拡散のための撮影はOKだった。武蔵野市民文化祭というイベントがある。チアリーディング・バンド・殺陣・吟舞・コーラス・朗読・日舞・和太鼓等々のパホーマンスアートをプレゼンするプログラムがあった。しかし、SNS拡散は禁止という。役所のアナクロ視野狭窄に辟易する。 ★闘うポーランド女性作家たちのプレゼン・恵比寿写真美術館にて。奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
「襲ね色目」という平安貴族の女性がまとった女房装束がある。かさねいろめ・と読む。表地と裏地の色を変えることで襟元、袖口、裾回りに来ている地色を見せて「色合いや布地の構造を明確にアピール」することが習わしであった。しかし、今やのさばり続けているお上意識の強い役人たちはすっかり構造を隠蔽する癖がついている。「どうせ民度の低い大衆」にカンタンソコソコ説明で事足りる、と。公共建築物もそうだ。地味な灰色の隠蔽的カラーがビジュアルだ。かって灰色高官と揶揄された時節もあった。「シマグニの春」が目覚めるときは今しかない。腹を括って小池知事にリノベーションして頂きたい。恵比寿散策。いつもの日本蕎麦屋で。奏松画廊matsukyu

2019/10月下旬
感情類語辞典が評判がいいらしい。更には性格類語辞典も出てるらしい。シマグニピープルたちは以前から「画一的とか横並び意識」がはびこっている。つまり個性的な感情を表現することを訓練していない。あるいは「表現の自由」を思いっきり使っていない。近頃ブサイクを逆手にとってよりブサイクアピールするタレントたちが出現しだした。まさに「いいね」だ。類は友を呼ぶ、から脱却したいね。恵比寿界隈より。奏松画廊matsukyu

2019/10月下旬
芸術・文学や哲学あたりは既に死んだといわれている。(自由に考える)ことが出来ないひとが多すぎるとマルクスガブリエルという哲学者がいう。ひとりで酒をのむ場にふたりとか三人とかでくる。群れる習性が身についている。かってそんな場で隣り合わせた人とカタったり。そうゆう人も場もほとんど少ない・・・。そんな場でもスマホいじりをしている。隣とカタりかける気分がわかないのだろうか。ダイバーシティ・シリーズ。&パフォーマンスアートシリーズ。soumatsu art gallery

2019/10月下旬
田舎から知人が上京。で、渋谷に新しくオープンしたSTREAM。ホテル&ショップたち。フレンチバル、イタバル、メキシコバル、和バル・・・。そんなにいバルことがない店舗たち。ホテルのスタッフにちょっとしたことを尋ねた。ウォールディスプレイのこと。コルトレーンLPジャケやカセットコーダー、などレトロ風。しかし、その若い女性スタッフは知らないという。そして「勉強になります」という。普通は「貴重なご意見を頂きありがとうございます」だが。ここだけではない。ここ最近随所で「勉強になります」が出てくる。要するに <ジジイを舐めている> わけだ。誰がこんな教育をした・責任者ッ出てこい・といいたいが。soumatsu art gallery

2019/10月下旬
「言葉が出ない」「言葉では言い表せない」。よく感動したときに使う。しかし、言葉を理解できない・症状というか生まれつきにその手の障害がある。だから文字が読めない。VISUALが錯視する。知的能力や知覚能力は問題ない。どちらかというと優れている。エジソン、アインシュタインもそうだったという。(失語症・ディスレクシア)という。「臭い物に蓋をする」。江戸の悪習がこんな視野狭窄を生む。今だにこのDNAが残存している。その手の水脈は度し難い。(多様な構造改革)が必須だ。パフォーマンスアート&art decoアート。soumatsu art gallery

2019/10月下旬
(異端)と(反骨)は、親戚であるようなセンスではあるが、アート思想的には違う。たとえばゲーム映像あたりをリブレゼンション手法で加工してもシナリオが単なる少し今までとは異なるくらいでは世界をメタモルできない。反骨は世界の課題問題に果敢にチャレンジするワードアート&ビジュアルだ。つまり既存の価値観にNOを突き付ける。かって第五精神外科という名の映像作家がいた。スカトロジーがテーマ。脱糞するアート。デュシャンとアナロジーしているかと。つまり(世界にくそくらえ)というメッセージを臭わせた。 ★★★★★吉祥寺・サムタイム・パフォーマンスアートシリーズ&八重洲オープンエアワインバル。奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
かって60年前後に動いたり光ったりするアートが流行った。ネオンがアートになった。キネティックアートという。もはや素材のフレームを超えてフィルムから電子的ビデオへと・・・。今の動画のはしりとして活躍した。元はロシアアバンギャルドアートがある。といって未完のアートではない。アート過程に途中はない。その時々のプレゼンは、あらゆるジャンルに影響を与えてきた。それはアート思想の系譜でもある。しかし、今流行りのAIアートがアート思想をケイタイしているだろうか。単なる形態の可笑しさに落ちている。何故か。アート思想から遠く離脱しているからだ。鑑賞者たちもまたアート教育を継承していないからだ。もっと解りやすく言えば(アナログの訓練)を逞しくしていないからだ。吉祥寺デッサン。soumatsu art gallery

2019/10月下旬
アーティストは年齢で仕事をしない。が、よく若手芸術家だけのコンペとかある。あるいは行政管理の海外派遣芸術家も制限がある。時代が大きな曲がり角に。固定観念・社会通念を打破する。(雑談倶楽部)はそのアート思想を根底に世間話に花を咲かせる。手法は参加者にもよるが(身も心も開放される瞑想ヨガ)もある。吉祥寺秋祭りにて・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
「触るショッピング」というキャッチフレーズが流行った。丸井だったかと。しかし、ビジネスが人々の時間を大きくメタモルしてきた。そして、ネットでショッピングするひとたちが大幅に増えている。街そのものがワクワクするようなセンスから遠のいているかのように・・・。ロクシタン新宿店が買う前の楽しみをプレゼンするアートステージとしてショップコンセプトをチェンジした。これからアートがコンシューマーを引き付ける。ワンランクアップするシティセンスが <モテル> 。奏松画廊matsukyu

2019/10月下旬
かってジェスチャーというコミュニケーションスタイルが流行った。ボディーランゲージ。たとえばヌーディスト。身も心も開放されたアート。何かを纏うことで人は身構える。程よい距離感を好感する。都会人の習性。アメリカで孤独を感じる人が70%近くいる。AI時代は身ぐるみはがされる個人情報が。ともにかってプレゼンした。もはや纏う行為シグサが意味ないかと・・・。 ★★★★★ダイバーシティシリーズ&パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
その男はレーサー。その女はシナリオライター。ともに子供がいる。寄宿スクールに預けている。その場はドービル。VISUALが美しい。海辺が・・・。老人と犬が散歩している。ふとジャコメティを思い出す。ジャンルイトランティ二アンとアヌークエーメ。彼女が端正だ。最近お目にかかれない。この手の美貌に。「男と女」。クロードルルーシュ。フランシスレイの音がVISUALのように奏でられる。来月からプレゼンされる(art deco)。ダイスキな庭園美術館。soumatsu????️rt gallery

2019/10月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その42。
中秋の名月。鑑賞するにふさわしい涼しさに。水を差すようで。(邪念・邪心)に侵される時代かと。たとえば情報洪水に麻痺する。ひとつは突き詰めて徹底的に洪水の中を泳ぐ。もひとつは高台から眺める。必ず効果は出る。詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。 ★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOWシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
(非常識を訓練する)シリーズ。
その14。
死んだような素振りをする。傍から見ても間違いない・・・。しかし、おっとどっこい。他を欺く静寂の美学。まさに東洋の空気感。(舎利)という盆栽の最もセンスあふるる手法がある。色艶もまたいぶし銀のような永久の輝き。非常識を訓練する。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。詳細は奏松画廊・soumatsu art gallery

2019/10月下旬
アートが多様化して久しい。しかし、アート鑑賞の仕方はまだそんなに多様化してない。ボックスの中で、が主流だ。かってプレゼンしたが、砂漠の中で花火をテント宿泊して鑑賞するアートがあった。もちろん街中にあるオブジェ・スカルプチャー等々は多々ある。議論したり発表したり・・・。もちろんアートだ。そして(雑談倶楽部)がある。多様なコミュニケーションスタイルだ。身も心も開放されて社会通念から縛られないスタイルもまた雑談のひとつだ。以前プレゼンしたが、(人物画専門画廊)という作品がある。余裕・品格・洗練を携えた色艶交流倶楽部だった。暑さ寒さも彼岸まで。アート・ファッション・グルメ・トラベル・・・。真っ赤に染まる紅葉のようなとろけるLOVEこそアートだ。 ★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
主流から反主流へ。そしてまた主流に戻る。美意識から反美意識へ。美学から反美学へ。芸術から反芸術へ。構造からポスト構造へ。そして今また戻る。アートギャラリーで料理をしてふるまうパフォーマンスアート。タイのアーティスト・ティラバーニャ。非凡な高等芸術から平凡な日常へ。(高みを悟りて俗に帰る)芭蕉の言葉だ。Instagramの映え・は食べ物が多い。若い人たちは意外と60~70年代あたりを好感しているかと。★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
iPhone7がSuica対応タイプになる。いよいよこのマシンひとつでキャッシュレスになり、バンクの印鑑さよなら社会到来だ。かって評論家竹村健一サンが「わたしなんかコレダケ手帳ですよ」とほざいたCMが流行ったが、まさに「コレダケiPone」の時代に突入する。クルマだってコレダケがキー代わりになるだろう。以前タイムラインでプレゼンしたが、個人情報は身ぐるみ剥がされること必至だ、と。地元吉祥寺某コの字型和バルにてふと瞑想しながら感じた・・・。(つまり某なんていっても意味ないじゃ~ん・とホホッ。)★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ2016。&「Body scaner in narita」シリーズ。アクリルアート。奏松画廊matsukyu

2019/10月下旬
(芸術は麻薬の如きものであるに違いない)とデュシャンは言った。60~70年代にかけて夥しいコンセプチャルアートの洪水に襲われた。世界中のかなりの人たちが麻薬中毒症に感染したわけだ。この頃から(コトバそのものがアートに翻訳)されることになる。例えばジョン・バルデッサリのシナリオ、河原温の電報、ブゼムの68/9/26の天気図等々。実際の天気図とともにワードアートが添えられている。そして伝染していった。広告ジャンルに、ファッションにインテリアに普通の人々に・・・。★★★★★1974芸術倶楽部&パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
60年代後半から、政治の季節は無関心へと向かう。脱政治。文化もまた脱文化へ。カウンターカルチャー・アンダーカルチャー・サブカル・・・。アーテイスト関根伸夫は、円筒形の大きな穴を掘ったプレゼンをする。穴の中に何かがあるのでは、と。そしてdiscoverJapanキャンペーンCMが・・・。ひとことで言うなら(脱シマグニ)と。つまり再定義をする。再発見をする。そして今、脱経済へと。再定義を試みる。しかし、大方の民はなかなか六畳間から四畳半へシフトしづらいかと。★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
フロッタージュというアート手法がある。コインの上にペーパーをのせエンピツでこする。ま、「写す」技法。東洋では「写経」のような修業的手法もある。しかし、その手法がアートになる西洋。「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」のアート思想がズレこんでいる。更に写しながら表現力へ向かうアートとうちなる無心へ向かう祈り。しかし、「写経」のみならず写すアートが日の本再発見であり、再発信になりつつある。★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ2016。ドローイングアート。&「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。テーマはBONSAIシリーズ。奏松画廊matsukyu

2019/10月下旬
各地に伝統工芸がある。たとえば漆塗りのお椀。その使い方は食べ物に。しかし、機能を外れると。コンテンポラリーアートになる。織物もしかり。マフラーや着物。が、機能を外す。するとアートに。陶器も。火鉢がある。が、金魚が泳ぐ池に。ギフティド&タレンティド。近い将来、マーケティングはアートへ向かう。ギフトショーを眺めながらアート素材を思考する。★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
改めて書庫に光がさしこんだ・・・。タイトルがNICEである。たとえばこのマリリンモンローもグーだが、(山口百恵は菩薩である)(官能武装論)(三波春夫という永久革命)・・・。著書量は多い。ジャズ評論家・平岡正明。既に亡くなったが、ジャズとレフトウィングと演歌がセットになっていた。そのわりにはナイーブな優男二枚目。SHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2019/10月下旬
以前から何度もプレゼンしてきた。(ボックスギャラリー)でプレゼンすることはもはや価値がない、と。ハイム・スタインバックは、ナイキのバスケシューズをそのままギャラリー展示する(1985)。移動するだけでアートに翻訳される。アイロニカルな作品だが、ここには(表現自由はあっても表現力の自由はない)。つまり表現力と表現・は大きく違う。世間はまだまだ(非常識を訓練する)がリテラシーされてない。 ★★★★★パフォーマンスアートシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10下旬
以前いたアトリエ近くの海浜幕張のSC地下に巨大なAIアグリカルチャーファクトリーができる予定らしい。発想を垂直にスマート化する。高層マンションならぬ高層スマートアグリカルチャー。デザインは、コロンビア大学環境学者のディクソン・デポミエ。2050には90億の世界人口に。有害な殺虫殺菌剤を不使用。自然災害や作物病気を防ぐシステム&ソリューション。シリコンバレーのテクノマガジンエディターであるケビンケリーの推察。AIがひとを凌駕する時代に「人間の価値」は何か。答えはマシンが引き受ける。では「問いは・・・」。つまり非常識な「なぜの発想」を引き受ける、ことで生き延びる。「感じる&考える」逞しさが必須である。WHY DESIGN NOW?2012より。奏松画廊matsukyu

2019/10月下旬
ポスター、TV、デジタルサイネージ、メディアペーパー、ブック、プロモーションツール等々マーケティング手法では欠かせない。その利点をアートメディアとして活用した。ジェニーホルツァー。しかし、ビジュアルメッセージはない。自由詩のようなワードでプレゼン。野球場の電子掲示板から列車の車体、Tシャツ・・・。ポスターからスタート。もともとは抽象表現アート。ロスコ―に憧れていたらしい。今、ワードをメッセージをプレゼンするFBfはそこそこいる。大いなる、そして全てワールドワイドを網羅したSNSメディアで。しかし、一見アートでありながらアートではない。そこには(アート思想+作品)というコンセプトがないからだ。soumatsu art gallery

2019/10月下旬
カルいアート。というよりはイラストに近い。イギリスが古色蒼然からシフトしつつあることを印象付けるビジュアル。(もちろん戦略アート)。ジュリアンオピー。このギャラリーは数年前まではシニアは半額だったが割引がなくなった。更にアンケート用紙もなくなった。親会社は日本生命だが、AIの進展で大きくメタモルする。人がいらなくなる。だからだろう・・・。東京オペラシティアートギャラリーにて・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
過去の偉大なアーティストをミニチュア化する。たとえばウォーホル、リキテンシュタイン、ジャスパージョーンズ等々。視野狭窄に貶める。なんともアイロニカルなシワザだ。(再構築アート)。もしくはアプロプリエーション手法アート。そんなアーティストにペティポン、ビドロ、スチュートバンドがいる。ウォーホルは自らも揶揄して「コピーアートをコピーしなさい」と。もはやオリジナルという視野狭窄概念は、(器の小さい古物)としか言いようがない。ダイバーシティ・シリーズ。soumatsu art gallery

2019/10月下旬
かってプレゼンしたかと。台北のアーティスト。ボックスギャラリーで鑑賞者たちひとりひとりにメモ用紙をわたして感想メッセージを描いてもらう。その行為そのものをアートとして(再定義)した。奏松画廊松久もまた二十年位前になるが、(人物画専門画廊)というタイトルのシリーズアートがある。長い間封印している。いつかプレゼンしたいかとは思う・・・。具体的には、Facebookの余裕品格色艶タイプで美意識をアピールする交流画廊。勿論身分は確定された淑女紳士限定。(HPやタブロイドペーパーで実際に募集した)。プレゼンする時は身分は黒塗りになるが。このアートのことはAmazon販売の(えいじゃないかッ)にワードアートでプレゼンしている。 ★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
世界は多くの一般ピープルが知るすべもないもひとつの世界がある。例えば各地でちょっとした諍いが勃発してはいるが、全て織り込み済みである。敢えて遅延するAI民主社会もまたしかりだ。少数の為政マネージメントがえてしてテーブルの下では大衆と反対の行為である。AI・SNS時代が境界をはく奪する。もちろん世界に目を向けることは必須ではあるが、自身の視野狭窄こそが壁を隔てる。夏休みが終わる。寛容・抑制・品格を携えた(美意識)が、課題問題とともに培われただろうか。★★★★★ダイバーシティシリーズ・奏松画廊松久matsukyu

2019/10月下旬
(非常識を訓練)するシリーズ。
その14。
オリジナル・という金科玉条かのような縛りがある。しかし、セレクトショップはもはやそのあるじが目利きが故のオリジナルになっている。(リミックス)というディスコミュージックから派生した破壊的リズム手法がある。原音はほんのわずかしかない。非常識を訓練する。想像力&創造力が高まる。必ず効果は出る。詳細は奏松プロフィール→奏松画廊管理→HPでチェック。★★★★★(SHADOW)シリーズ。&(パフォーマンスアート)シリーズ。soumatsu art gallery

2019/9月中旬水曜日
欧米へのキャッチアップが優先された70年間は、行動労働が評価された。しかし、 <断捨離の積み重ね> が必須の時代が到来している。優先することは、 <批評するアート思想> だ。そこから削るものことmonoが見えてくる。かって難解な文体で話題になった小林秀雄は「かなしさは疾走する。涙は追い付けない」といった。このまま走れば未来に遺恨を残す。★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。soumatsu art gallery

2019/9月中旬水曜日
★★★★★(非常識を訓練)するシリーズ。
その9。
無意味なこと。無駄なコト。ま、意味のない。馬鹿馬鹿しい。しかし、センスがない・こととは大きく違う。逆なレベルでは豊かなセンスが溢れている。これをキーワード(ナンセンス)という。かって大流行りした。よく学生集会とかあたりで。余裕のない時代だった。そして、(OWARAI)が流行った。ギャグがウケた。たとえば(シェ~とか)。しかし、そんな遊び心が自己規制で減りつつある。時間を遅らせることもまた遊びだが・・・。想像力&創造力を高めるには非常識を訓練する。必ず効果は出る。 <アートレッスン> の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。吉祥寺デッサン。soumatsu art gallery

2019/9月中旬水曜日
百花繚乱というにふさわしい。インテリア・ライフスタイル雑貨プレゼン。海外monoから地方の職人技まで。溢れていた。時代は倉庫と化した家の中を販売サイトに。断捨離を促進。欲望という名の消費経済を。必要最低限の所有物で・が最先端かと。白黒をつけるスタイル。★★★★★Interior Lifestyle Tokyo 2019 国際展示場にて。奏松画廊松久matsukyu

2019/9月中旬水曜日
デジタルアートが先端性が高い、とリテラシーしている識者たちが結構いる。その誘導的寛容性になびく大衆もまた多々いる。たとえば鯉が泳いでいる。いっときの余興的興奮はある。しかし、アート思想が別に先の流れをスイスイ泳いではいない。ま、しいていえば「油絵具とか水彩絵の具あたり」がメタモルしただけだろう。科学は道具でしかない。奏松画廊コレクションより。テーマは「ダイバーシティ」。ドローイングアート2016。とアクリルアート「リブレゼンテイション&アプロプリエイション」。テーマは「BONSAI」。奏松画廊matsukyu

2019/9月中旬水曜日
不寛容(ゼロトレランス)。移民政策。不法にアメリカ入国し拘束された者を刑事訴追。その結果逮捕された親の多くは子供から切り離された。カメラマン・ジョンムーア(アメリカゲッティイメージス)。世界報道写真大賞。78,801点の応募。129ヵ国。4738人のフォトグラファー。(76億の目撃者たち)。鋭い直球が突き刺さる一枚の写真。★★★★★恵比寿の都写真美術館にて。奏松画廊松久matsukyu

2019/9月中旬水曜日
サラジェシカパーカーの人気TVドラマがある。タイトルはREVORCE。「店じゃないのよ。アートギャラリーよ」「カフェなんか併設しないわよ」。アート作品はカップケーキやアイスクリーム、コークじゃない。それは <コレクターが値をつける> 。その値はコレクターの価値だ。100万ドルの値をつけると「コレクターの価値は100万ドル」ということになる。作品が値踏みされることは「コレクターが値踏みされる」ことと同じだ。人物の大小とはこうゆうことをいう。★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。JETROアジア経済研究所にて。

2019/9月中旬水曜日
「ダイバーシティ」がインバウンド観光ビジネスをメタモルする。と小西美術工芸会社の社長であるアトキンスさんがカタっていた。ま、マーケティングビジネスでは顧客のニーズに呼応する。戦略で当たり前ではあるが。それは「働き方」もそうだ。また「女性の仕事が選択できる社会」もそうだ。これからは「風景を変える」取り組みが、テーマを持ったアートが有効になる。★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。&「リブレゼンテイション&アプロプリエーション手法」のアクリルアート。テーマは「BONSAI」シリーズ。奏松画廊コレクションより。奏松画廊matsukyu

2019/9月中旬水曜日
ブサイクな風景が、曖昧なまま放置されていた。標準の目印を明確にする。欧米のセンスだ。そのリノベーションが大きく前進する。AR(拡張現実)的メルクマール。小池知事の <ワードアートセンス> が、日本橋の風景を変える。時代の曲がり角に相応しいリーダーだろう。★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2019/9月中旬水曜日
ロシアからの独立運動。1917年誕生。フィンランド。社会における女性の立場・役割に大変革が。19世紀半ばに設立された最初の美術学校。ヨーロッパでは珍しく創立当初から男女平等の美術教育を奨励。日本との国交樹立100年。北欧を目指すひとつのコンセプト。(啓もうする外堀からのアプローチ)。2040頃にはシマグニも人口数が大きく減少するらしいかと。令和時代は(大きな曲がり角を改めてビジョン化)する時間になるだろう。★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&上野の国立西洋美術館にて。奏松画廊松久matsukyu ★★★★★テーマはSHADOWシリーズ。soumatsu art gallery

2019/9月中旬水曜日
かって「大きいことはいいことだ」とゆうCMのメッセージが流行った。しかし、時代はよりコンパクトに小さくて高性能が尊ばれてきた。アートは、百花繚乱してはいるが、相も変わらず号やサイズにこだわる業界でもある。「BEYONDO THE FRAME ART」が大勢を占めている。それに更なるSNSフレームが勢いよく押し寄せ 、アートは激変している。そんな中で「逞しいアート思想」を携えた作品が輝きを発信するだろう。奏松画廊コレクションより。★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。&「リブレゼンテイション&アプロプリエーション手法」アクリルアート。テーマは「BONSAI」。奏松画廊matsukyu

2019/9/中旬水曜日
公民館・コミュニティセンター・市民会館等が全国にある。活用の仕方が問われている。かっては啓もう型のシャワー効果があった。今やシティズンファーストエンタメが主流。シニアが地域に根差している。ワカモノが都会に出ていく。少しでもチャーミングな舞台として活き(粋)がえらせる。息を吹き返したい。俳優・モデル志望が夢破れて鳴かず飛ばずでくすぶっている。(世界のパフォーマンスアートステージ)は提案・批評がテーマの骨子にある。これから民間の空き家も多様な活用が必須だ。コンパクトな演劇舞台とカフェとバル。そして恋が活きる。ワカモノがそこで未来をカタれる。肩組んで。老若男女が。演歌歌手が唄うこと以外に役者として活きる。固定観念を打破する。★★★★★パフォーマンスアートシリーズ&SHADOW リーズ。奏松画廊松久matsukyu

2019/9中旬水曜日
奏松画廊は「作品そのものよりアート思想を販売する」とカタった。(もちろん作品もマーケティングしている)。オランダのミーケ・へリチェンは、モノではなく考え方を売っている。そんなポスターアートディレクターだ。素材はワードアートが主流である。カルチャー&クリエイティブ資本主義が本格化しだしている。たとえば経済政策のひとつに電柱地中化ビジネスがある。若干コストはかかるが、海外からの観光ビジネスで十分ペイできうる。2020オリンピックへ向けてアグレッシブに「上を向いて歩こう」よね。奏松画廊コレクションより。★★★★★テーマは「ダイバーシティ」シリーズ。ドローイングアート2016。奏松画廊matsukyu

2019/9/中旬水曜日
「お前この後通俗的なものかなんか撮っちゃいけないぞ」。そのくせ自分は東映で(ボクサー)を撮ったりした。自分のことには無頓着だったのだろうか。(成熟という悪しき病い)をのがれた同時代の唯一人の者だった。寺山修司追悼に寄せて大島渚のメッセージ。1983/6月・現代詩手帳より。奏松画廊松久matsukyu

2019/8月上旬火曜日
(非常識を訓練する)シリーズ。
その35。
百年ぶりに科挙の合格。天荒・未開の荒れ地を破る。誰もが思いもよらない。(破天荒な偉業)。豪快で大胆な様子・ではない。破天荒な記録。破天荒な大事業。破天荒なアート思想。常識を超える。破壊する。必ず効果が出る。奏松画廊をチェックされて下さい。以上ッ。

2019/8月上旬水曜日
60~70年代にかけて、洗い過ぎた概念と野暮な概念とが同居していた。その頃から芸術が(哲学的思想を中心にしたスタイル)に変貌しだした。例えば、前衛というワード。大衆の仕事・石切りや稲刈りをアートに翻訳。クールベが当時洗練されていた。実験をスタートさせたマネもいた。しかし、もはや(終わり・終焉・交代・日没)する、頭の中で。リンクやコラボというシステムが風景の中で機能しない。のろい。問題課題がアートに翻訳されない。次の洗練に届かない。野蛮が残存され過ぎる。IoTが作業をスピードアップした暁には、アートに翻訳されてるかどうかは翻訳者たちがどれだけ増えているかどうかにかかっている。以上ッ。

2019/8月上旬木曜日
和洋折衷・という。しかし、和洋合体とはいわない。俗な言い方をするといいとこどりということになる。更に(和洋表裏)とも言わない。が、シマグニは祭り好きだ。五穀豊穣を祈念する。感謝気持ちを身体一杯に表現する。インスタレーションである。茶室。一期一会というインスタ。近頃、和装美人が流行りだ。淑女熟女たちに更に踏み込んで努力(小股に力が入る)して頂きたいものだが・・・。以上ッ。

2019/8月上旬金曜日
(非常識を訓練する)シリーズ。
その34。
想像力&創造力は、つきることがないくらい逞しくする。ここに努力を惜しまない。平易な言い方をすると妄想力になる。これこそ俗な垣根を飛び越える。恥とか恥ずかしいとかが白日のもとに晒される。だからこそそのバネは極めて弾ける。するとおのずからパワーがさく裂する。常識エリアを軽々と超える。効果は必ず出る。詳細は奏松画廊をチェックして下さい。以上ッ。

2019/8月上旬土曜日
かってメディアアートというジャンルが注目された。ビデオやコンピュータテクノを使用する。しかし、今、そのアートは当たり前になった。既にスマホがメディアとして大いに活躍しているからだ。インスタレーションというアートメディアがあった。例えば砂漠の中で花火を宿泊鑑賞するという体験アート。この手法もまたスマホメディアに収まった。アート概念を根こそぎはく奪する。以上ッ。

2019/8月上旬日曜日
アートデザインが前向きに何かを生産する・という表現の仕方がある。しかし、一方で、消費経済にブレーキをかける。という表現がある。たとえばブサイクな風景を増産し続ける。単純なビッグアートを無邪気にプレゼンしたままでいる。解りやすいコトバから離れて偽装する表現がカッコイイように解説学芸するその手のひとたちがいる。そろそろ白黒つける時節だろう。以上ッ。

2019/8月上旬月曜日
ETHCAL・な行動力が頻度を増している。環境をより良い状態に戻す。大きく膨らませた経済活動・消費活動を修正する。濁ったものをクリ ーンに。もはや大きいものは悪である。引き取り先も拒否する。だから(エシカルなアート)は、スモールだ。ドーンとのんきにえばるような大きいアートは、単純バカとしかいいようがない。ドンカン以外の何物でもない。以上ッ。

2019/8月上旬火曜日
アートギャラリーの白いウォールに直接ワードアートを描きつける。そのワードが平凡なワードであってもそうゆう場に(陳列されること)で特別に注目される。そんな手法と素材を多用したローレンスウィナー。街頭ではデモプラカードがアートそのものだ。アパレルショップ のデジタルサイネージもまた流行りだ。特別な意味を持たせると蘇る場合がある。リブレゼンテイション手法ならではの再生は多々ある。 以上ッ。

2019/8月上旬水曜日
(非常識を訓練する)シリーズ・は、陳腐なアートレッスンではない。アーテイストやデザイナー志望のためのものではない。あらゆるジャンルが激変する。その心構えを鍛錬する。読めない手法に揺さぶられる。身も心も開放するためのものだ。固定観念や常識に縛られた視野狭窄を打破する。以上ッ。

2019/8月上旬火曜日
(青い空と白い雲)は、右肩上がりの経済と並走した広告表現の背景であった。しかし、グレーの空を背景に出来ない北京の空は、まだまだ上昇志向である。24時間営業のコンビニは、この背景に陰りがでてきた。更には断捨離・エコロジー思想が商品広告に曇りを漂わす。パッケージデザインに黒が使われだしてそこそこ時間は経過したが・・・。これからは時代背景は(青白から白黒)へ移行する。以上ッ。

2019/8月上旬日曜日
「印刷物、例えばポスター。それはオリジナルだね。多様な空間で息づく。異なった環境で生活する」横尾。「テレビの小柳ルミ子サン。埼玉でも笑った。沖縄でも。岩手でも笑った。つまり本物の彼女には誰も興味を持たない」寺山。「広角だと大きく映る。アングルではいい顔になる。いい意味で誤解を製造する」横尾。「画一化に押し込められた人間は誤解されていることにイライラする」寺山。1972。季刊フィルム(メディアの共有と複写の思想)。以上ッ。

2019/8月上旬土曜日
(ありきたりのテーマで同じ文体で追い続ける)ことは、子供のつづり方と同じ。筒井康隆のセリフ。77年の月刊ポエム。実験チャレンジに挑戦持続。すでに警鐘を。この頃からペーパーの危機感が。言語破壊。芸術破壊。枠組み破壊。概ねTV映像が危機に。予算縮小。更に子供化。以上ッ。

2019/8月上旬日曜日
断捨離・は、シニアに好感される。例えばファッション。昔からオヤジたちはカジュアルができないと。図々しい。あきらめている。まず中折れ帽。大正から昭和にかけて大方の殿方は着用。ビジュアルが前向きになるとライフスタイルもまた前向きに。シニアレディパートナーが意外と足を引っ張る。オシャレは、足元からというが(頭から)だ。スキンヘッドが似合う殿方はそれでいいが。働き方改革にビジュアル改革が脱落している。以上ッ。

2019/8月上旬月曜日
(言い出した人から始めて下さい)。会議でもこのことが頭にある。引っ込み思案。身近なことからスタートする。前向きに。出来ることから。隗より始めよ・を会より始めよ・と誤解する宴会係長。(今夜もパっといきましょう)と三木のり平風に。しかし、それでは常識のエリア。センスを鍛えるためには(なるべく遠いことからスタート)。つまり非常識を訓練することから始める。以上ッ。

2019/8月上旬火曜日
(アートに翻訳)する。始めて聞いた・という方が多い。フランス語的に。あるいはアメリカ語的に。中国語的に。あるいは日本語的に。あるいは後進国語的に。多様なアート翻訳がある。それはどうゆう意味なのか。職人的画家が多い。風景や人物を写す。それはもはや翻訳の必要はない。概ね解る。額縁を超える。画から解放する。その時翻訳はいる。タイトルが重要な価値を持つ。ワードそのものがアートになる。以上ッ。

2019/8月上旬水曜日
近年既存マスコミで(おとうさんおかあさん)とこバカにしたセリフが連発される。それに応える父上殿や母上様が大勢いる。それも制作会社のスタッフ小僧たちが図に乗っている。発注元のTV局管理職が知らないわけがない。今、パワハラ旋風が吹き荒れている。視聴者を小バカにする構図が持続している。流す方も流される方もドンカン過ぎる。これをパワハラと言わずしてなんというか。シマグニの低品格が露呈してる。この問題にも。(キミを産んだ覚えがない)と小僧たちに浴びせる。躾というビジュアルは、身を美しくする。ブサイク列島が大手を振って歩く。タワケモノッ。以上ッ。(アートに翻訳)する。始めて聞いた・という方が多い。フランス語的に。あるいはアメリカ語的に。中国語的に。あるいは日本語的に。あるいは後進 国語的に。多様なアート翻訳がある。それはどうゆう意味なのか。職人的画家が多い。風景や人物を写す。それはもはや翻訳の必要はない。概ね解る。額縁を超える。画から解放する。その時翻訳はいる。タイトルが重要な価値を持つ。ワードそのものがアートになる。

2019/8月上旬木曜日
かって映像メディアが重要だった。エンパイアを延々と撮り続けたウォーホール。自らの制作時間を撮ったボイス。そして今、SNSメディア。全世界ネットにプレゼンできる。特に(課題・問題を解決するセンスやきっかけをプレゼン)する。それは時としてファンキーなプレゼンかも。アーティストの創造・想像がリンクする。それをバトンタッチしてカタチにする人たち。そうゆう発信力こそ価値が高い。以上ッ。

2019/8月上旬金曜日
★地域デッサンその4
その2。
400年にわたって都市をアップデートする。そんな勢いの良い自治体がドイツにある。エアランゲン。あまりなじみのない街だ。古色蒼然とした大学町であり、グローバル企業シーメンス医療開発部門がある。(東西統一で景気が良かったがやがて後退。シーメンスも他部門は移転)。しかし、ひとりあたりのGDPドイツ平均の倍。コンセプトを医療健康にシフト。クルマ道を(健康都市戦略)に。リノベーションエナジーがNICEだ。ドイツ在住ジャーナリスト高松平蔵さんのリポート(ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか)以上ッ。

2019/8月上旬土曜日
(非常識を訓練)するシリーズ。
その33。
七転び八起き・とかいうが、ま、チャレンジすることはグーだが、ほとんどの人がリタイアする。そして応援する側に。あるいは電車にとびますとびます。元来頑固一徹が災いする。視野狭窄。(百折不撓)。意志が強い。しかし、それはあくまでも常識のエリア。枠を超えない。放浪の末に意志と石が発見される発明される。詳細は奏松画廊をチェック。以上ッ。

2019/7月日曜日
★★★★★ <非常識を訓練>するシリーズ。
その2。
雄と雌・が同体している。アゲハチョウ、ベニズワイガニ、カブトムシ・・・。モザイクがかかったように判別しずらい。ヒトもまたLGBTQで脚光。そのQのヒトは相当いるかと。マッチョであってもナヨナヨの。レディでもシャベリがオトココトバとか・・・。ダイバーシティ。たとえば<両性具有>というキーワード。想像力&創造力を高くする非常識を訓練する手法に相応しいワードアート。必ず効果は出る。<アートレッスン>の詳細は奏松画廊でチェックしてみて下さい。以上ッ。

2019/7月火曜日
akbの曲タイトルに(前人未踏)がある。スポーツジャンルや登山。数字で表現される快挙。芸術ジャンルでは(前衛・最先端)。そして今、(非常識アート)が快挙かと。それは予定調和された世界ではない。AI・テクノアートが数字がデータが表現する。しかし、ビジュアルが過去のアート思想の常識エリアでしかない。そこには偶然性が漂わない。発明は得てして偶然から生まれる。テクノアートが未踏に至らない。たとえば選挙投票システム。スマホからできない。多くの民意とは。マシン活躍を遅延することで既得権益が快挙を持続する。以上ッ。

2019/7月水曜日
★★★★★ <非常識を訓練>するシリーズ。
その3。
表現者といわれるひとたちは百花繚乱している。しかし、自主規制しているひとたちがなんと多いことか。だから、彼らは政治経済文化的テーマから避けたがる。もっぱら職人的画家であることが生活しやすいからだ。やれマチエールがどうの色彩がどうの・・・、と。ボックスギャラリーで慰めあっている。想像力&創造力を高くするために非常識を訓練する。そのキーワード<規制>。ルールギリギリまで反骨心を逞しくできるか。必ず効果は出る。<アートレッスン>の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。以上ッ。

2019/7月金曜日
久しぶりに(へうげもの古田織部)を思い出した。天才を殺してはいけない。女性の時代である。戦略プロデューサーを目指せ。石を投げれば作家に当たる。これからの中国には勝てない。アジアから世界に勝てるアート人財を。視野狭窄から目覚めよ。以上ッ。

2019/7月月曜日
「文化資本主義」「広告が商品訴求から自立」「ポスト消費社会」。このキーワードを手法とした経営が花開いた。その経営者は辻井喬。財界でこの名を知ってる人はほとんどいない、と嘆いていた。財界人がいかに本を読まないかと。時代は70年代後半~80年代。広告というFRAMEでコンテンポラリーアートがプレゼンされた。以上ッ。

2019/7月土曜日
★★★★★ <非常識を訓練>するシリーズ。 その4。 「人の行く道裏にあり花の道」。開拓する、道を。そのいばらの道にこそ神の手が作用する。アイロニカルな反骨心とともに。過去の先陣が光の道を創造してそれをなぞる。悪いとは言わない。しかし、確立は低い。<裏道>というキーワード。想像力&創造力を高めるには非常識を訓練する。必ず効果は出る。<アートレッスン>の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。以上ッ。

2019/7月木曜日
「へそまがり」「あまのじゃく」「へうげもの」。最近、とんと耳にしなくなった。世間は、おいしいもので溢れている。腹膨るる心地良さに<抗う>こころが失せているからだろう。となるとアート業界もさっぱり形無しである。作家や作品、情報は乱舞してはいるが、底の浅い拡散である。大人しくなって<内心>を探るような人物や作品が激減している。★★★★★海浜幕張にあるJETROアジア経済研究所ライブラリープレゼンより。以上ッ。

2019/7月日曜日
★★★★★ <非常識を訓練>するシリーズ。 その5。 かって昭和を代表する映画があった。森繁の社長シリーズ。植木等の無責任シリーズ。(ちゃらんぽらん)というワードアートがオオウケした。そして今、(チャラい)という軽佻浮薄なセンスがまた流行る。<無責任>というキーワード。想像力&創造力を高めるには非常識を訓練 する。必ず効果は出る。<アートレッスン>の詳細は奏松画廊でチェックされて下さい。以上ッ。

2019/7月中旬火曜日
炎天をいただいて乞い歩く解くすべもない迷いを背負い歩いて歩いて歩き続ける。行乞の生活。放浪。世間の常識をかなぐり捨て破滅的な生き方へ傾斜してゆく。 そんな漂白の詩人種田山頭火に憧れる若者はかって多々いた。それくらい政治が絶望的な時代に<自分を見つめる>ことが流行った。改めて重なる時代状況に<むなさわぎ>するひとも多いのではなかろうか。以上ッ。

2019/7月中旬月曜日
かって反芸術・反政治・反経済・反文化が流行った。そして今、反社会・反報酬がチラホラ・・・。この反と正。このふたつのパワーがタッグを組むとビクともしないフレームを創造する。そして時間が経過するとそのフレームがゆるゆるになる。そこでまた流行る。AIが進展しても(闇のような五里霧中)は残存するだろう。以上ッ。

2019/7月中旬水曜日
商品が氾濫している。もはや「物、もの、モノ」はキュレーショナルなセレクトされたセンスが優先される。そのセンスそのものが「リブレゼンテイション&アプロプリエーション」されてオリジナルなアートとして発信される。その先鞭をつけたアーティストはウォーホルだった。消費経済社会を「アイロニカルに、そしてクリティカルに」プレゼンした。ハイム・スタインバックもまた丁寧にセレクトして壁に陳列するかのようにプレゼンする。商品がデパートやスーパーからギャラリーに移動するだけで「アート化」する。アートに翻訳する時代が延々とサスティナビリティしている。以上ッ。

2019/6月下旬
道路空間をセンスアップする「都市再生特別措置法」。オープンカフェ、フリマ。街路灯にバナー広告や巻き広告が可能になる。ホコ天も。しかし、経済規制は緩和して景観規制は厳しくする海外とはいささか逆行する。街の力をトータルアップする目的はケッコウではあるが、更に「もつ煮込み化する」センスが再生になるだろうか。以上ッ。

2019/6月下旬
(青い空と白い雲)は、右肩上がりの経済と並走した広告表現の背景であった。しかし、グレーの空を背景に出来ない北京の空は、まだまだ上昇志向である。24時間営業のコンビニは、この背景に陰りがでてきた。更には断捨離・エコロジー思想が商品広告に曇りを漂わす。パッケージデザインに黒が使われだしてそこそこ時間は経過したが・・・。これからは時代背景は(青白から白黒)へ移行する。以上ッ。

2019/6月下旬
アート雑誌はファッションではない。芸術倶楽部、季刊フィルム、映画芸術、デザイン批評、デザイン、みずゑ等々。全体のトーンに反骨が溢れていた。規制を砕く。読者と響いていた。それが今やすっかり揉み手ジャーナリズムに。以上ッ。

2019/6月下旬
発信力の低いアートがほとんどだ。つまり社会的メッセージを逞しくアピールする。しかし、相も変わらず大歩危しているアートたちが多すぎる。偽装・改ざん・やらせ・パワハラ・セクハラ等々。問題課題は、(民主主義へのいやがらせ)だ。もっとセンスを研ぎ澄ませば聞こえる。ぬるま湯のセンスであってはいけないことが。以上ッ。

2019/6月下旬
渋谷のスクランブル交差点。多くのひとが、まったく無関係だが、多様なイメージが暗示される。そこにはサブリミナルな意識層が積み重なる。バルデッサーリやデービットサーレ。そのプレゼンは見る人にゆだねられる。作者も無意識に重ねられたイメージ層を作品化する。だからこそではないが、(逞しい問題課題テーマを意識化する)アートこそ今主義だ。以上ッ。

2019/5月下旬日曜日
奏松画廊アートに(SHADOWシリーズ)がある。TVドラマに(TABOO)がある。百年前の東インド会社。むき出しの欲望が闇から闇へ。光がわずかな時代。アートに翻訳することが奏松画廊の大きなコンセプト。ビジュアル改革を更に推進するメッセージアート。以上ッ。

2019/5月下旬土曜日
進んでいい未来と進んでもらいたくない未来がある。不便なエリアはよりベネフィットに。しかし、いにしえの心が落ち着く場所は少しだけリノベする。古民家移築で。例えば看板やネオン規制。そして無電柱化も。そのバランス匙加減、更にはスピード、センスグーな人財・・・。観光立国を射程に入れるならなおさら。以上ッ。

2019/5月下旬金曜日
(アートに翻訳)する。始めて聞いた・という方が多い。フランス語的に。あるいはアメリカ語的に。中国語的に。あるいは日本語的に。あるいは後進国語的に。多様なアート翻訳がある。それはどうゆう意味なのか。職人的画家が多い。風景や人物を写す。それはもはや翻訳の必要はない。概ね解る。額縁を超える。画から解放する。その時翻訳はいる。タイトルが重要な価値を持つ。ワードそのものがアートになる。以上ッ。

2019/5月下旬水曜日
(ありきたりのテーマで同じ文体で追い続ける)ことは、子供のつづり方と同じ。筒井康隆のセリフ。77年の月刊ポエム。実験チャレンジに挑戦持続。すでに警鐘を。この頃からペーパーの危機感が。言語破壊。芸術破壊。枠組み破壊。概ねTV映像が危機に。予算縮小。更に子供化。以上ッ。

2019/5月上旬火曜日
(クールジャパン)というTV番組がある。そのネーミングに合わせたわけではないだろうが、(令和)がスタート。拙者スタイルで解釈すると(カッコイイシマグニを目指して平和を持続する)ということになる。そのためには(ビジュアル改革)は必須だ。洋と和・がエクセレントにコラボする風景。更にファッションスタイル、インテリアスタイル、アーキテクトスタイル、フェイススタイル、ボディスタイル・・・とバランスのとれたビジュアルを志向する。アーティストやデザイナー、スタイリスト等々多くいるが、パワフルなプロデューサーがいない。この手の人材が人財化してこそ始まる。そのためにはコンテンポラリーアートのリテラシーは必須だ。以上ッ。

2019/4月中旬木曜日
美術史の中からアプロプリエーション(借用)する。その女性像。壁にランダムに添付。もちろん額はない。男性が美術史を作り上げてきた。そのすべてに反骨する。ナンシースペロ。これからの時代に女性の目覚ましい台頭は必須。(クールな平和主義)。その時代に遅れてはいけない。しっかり並走する。以上ッ。

2019/4月中旬木曜日
B級映画が娯楽エンタメをハリウッドが世界に向けて量産してきた。消費経済の勢い以外に大切なメッセージをマーケティングしてもいた。それは「女性らしさや男性らしさ、子供らしさ」などの固定化した階層区別意識のイメージ化、つまり刷り込みだった。シンディシャーマンは、その刷り込みに逞しい反抗心をアイロニカルにプレゼンした。エンタメ映画のありふれた仕事柄の女優たちを偽装して「女性らしさ」を剥奪するダイバーシティこそ女性たちの地位向上につながる。「刷り込まれたスクエアな石頭」を柔軟にすることをアートに翻訳した。以上ッ。

2019/4月中旬木曜日
江戸時代の絵師は、御用絵師、版元絵師、僧侶などをして糊口をしのいだ。僧侶はお布施を頂き説教をしながら庶民に諭した。時代は大きく変わり、大方のアーティストデザイナーは会社に。だから物言わぬ人に成り下がった。これからのアーティストの役割は発信力、それも世界の問題解決にウェイトをおいた職業に。働き方改革で話題にならなかったが、スペシャリストの具体性もまた視野狭窄であってはならない。以上ッ。

2019/4月中旬木曜日
世界中が監視社会になりつつある。つまり科学が生活や仕事、そしてついに風景まで支配している。いずれプライバシーもなくなる、らしい。ことは想像に難くない。デンゼルワシントンの映画だった。被害者女性の過去を調査するマシンがあり、彼女の住まいが壁を通してカメラに遠隔操作されている。完全に透視された画像が捜査当局のマシンに鮮明に映し出される。監視カメラを取り付けていないのにもかかわらず。時代は「ヒューマン」すらも剥奪する。アートが「リプレゼンテイション」する先見性を見逃してはならない。センスを研ぎ澄まさないと生きていけないだろう。以上ッ。

2019/3月下旬火曜日
(社会の理不尽)を追及するmessageをアートに翻訳する。これからのアーテイストが目指す方向だとFacebookタイムラインで述べた。小規模農家の窮状を(作品をメディア)としてアピールする。農民から寄せられた空の種袋をプレゼン。キャプションに農場名、作物の種類、畑の反数等を記載。ケイトエリクソンとメルジーグラー。アイロニカルな反骨をベースに組織変革へ挑戦。消費経済への警鐘をアートに翻訳したウォーホルのDNAアーテイスト。以上ッ。

2019/2月下旬金曜日
★(非常識を訓練する)シリーズ。
その28。
「目に触れたものは即座に口にすることができ、耳に聞いたものは心に留めて忘れることがない」と。その名は稗田阿礼。古事記編纂者のひとり。天武天皇の舎人。今ではSNSに勝てる者はいない。膨大な情報がかえって邪魔をする。思想家には。キーワードは(忘却の彼方へ)。もはや断捨離。買い物、料理、テーブルセッティング等々、そしてAIダッチワイフ。シングルこそサイコーの(表現の自由)。何を持続するかが問われる。必ず効果は出る。以上ッ。

2019/2月下旬金曜日
「私たちは大文字と小文字を使い分けて話すことができない。しかし、書き言葉はできる。このことは差別概念だ。まったく無意味ではないだろうか」。バウハウスのモホリナギが疑問を投げかけている。固定観念を打破する。すでに百年近い前の(感じる&考える)訓練だ。時代が大きな曲がり角に来ている。各アイテムを総点検する。必ず自らの道が見えてくる。以上ッ。

2019/2月下旬金曜日
春節休暇で大勢の中国から観光客が押し寄せている。まず「物やものやモノ」たちをわれ先に買い漁る。かってジャパンピープルもまた欧米へ「ブランドの買い漁りトラベル」が大いに盛んだった。そして、「ノウキョウツアー」と揶揄された。ライフスタイルが「オウベイカ」することが「コンビニエンス」であり、「エエカッコシー」なスタイルである。そんなスタイリッシュなキュレーション的セレクトショップライフが、今ジャパンではトレンディである。それは「パクリズムアート」ともまた違う。そこそこ自分のスタイルに昇華している。欧米ピープルとの差異は、「ビジュアルスタイル」との近似値的差異のみに近づきつつある。涙ぐましいくらいの努力が自販機あたりで尊敬される。更に進化するこのマシンそのものがコンテンポラリーアートであることに誰も気づいていない。賞味期限切れした既存の美術評論家たちが今だに「オウベイカ」した輸入解説であり、既存マスコミもまたそれらを評価している。以上ッ。

2019/1/中旬土曜日
直球勝負。燃えるような前向きアート。テーマは(民主化)。ライフスタイルの自由を獲得するためにもがいている。性の自由。制度の自由。思考することを制止された頭脳はVISUAL的に頭無し。仏像から離脱する宗教的自由。かって日本がたどって来た道。近い将来アジアのコンテンポラリージャンルがオウベイ化する。★竹橋の近代美術館にて。以上ッ。

2018/12/下旬月曜日
多くのクリスマスパーティが今年も世界のどこかしこで繰り広げられています。
その影で多くのケーキやチキンがゴミ箱へ。
この現実をアイロニカルにアートに翻訳したアーティスト・ナンシー・ドワイヤー。道路上に(FOOD)とつづられた金属製のごみ箱がちょっとコミカルに置かれている。
別に路上生活者をからかっているのではない。
いたってマジメなアーティストだが、何か笑みを誘う・・・。以上ッ。

2018/11/下旬木曜日
マルセルデュシャンと仏像とのコラボプレゼン。東京国立博物館。便器の衝撃ではあるが、日用品でもある。それと茶室の花器や硯箱等々。これも日用品。その通底する展示。しかし、拙者が期待していたプレゼンとは大きく異なる。仏像たちが博物館の庭で横たわりもしくは斜めの立像でパフォーマンスアートを奏でる。音楽はジャズでもいいし、尺八でも。虚無僧が仏像に呼応するように舞う。時代が大きな曲がり角に来ている。仏像が反芸術し、便器が非芸術する。フレームの枠を超えて表現の自由をギリギリまで使いこなす。でなきゃあ、デュシャンに失礼である。以上ッ。

2018/11/中旬日曜日
アーカイブについてシンポジウムに参加した。三田の慶応大アートセンターにて。案件は唐十郎赤テント。そろそろアジアでサブカルが人気になったからである。シンポは、彼が目指したコアの目標は、アート思想かそれとも政治思想か。カルチャー思想か。最終目的は革命か。政治改革か。当時麻疹にかかったかのような熱風を巻き込んだムーブメントは観劇者たちをアーカイブ分析することが大事だ。70年安保が不発に終わり、大いに燻っていた。大衆は。そのエネルギーを見事に吸い上げた。昇華した。規制のフレームに楔を打ち込み、燃えるような赤いパフォーマンスアート。もはやこのような時節はこない。以上ッ。

2018/10月中旬金曜日
サスティナビリティ・という概念は何も政治経済や文化、ライフスタイルだけではない。
過去の特に60~70年代に大きなムーブメントを巻き起こしたコンテンポラリーアーテイストたちの テーマやビジョン、そして手法を持続することが大きな役割だ。
(リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法)をサステイナビリティする。
そんな最近の(ヤングもしくはロートルかも)アーテイスト、バンクシーもそのひとりだ。アイロニカルな反骨心。消費経済への疑問。固定観念への懐疑。フレームワークを打破。資産家の所有物からの解放アート。そしてアノニマスな個人として活動するアーティスト。
それよりも何よりも素晴らしいことは、そのシワザをサザビーあたりで(おとうさんおかあさん)化する。 コンテンポラリーアーテイストの系譜からするとサイトスペシフィックアートだろう。リチャードロングのようにクソマジメではないが・・・。
多くの人たちは名前、年齢、住まい、職業、ライフスタイル等々が固定している。そのイメージは更に固定している。その <フレーム> を破壊する。そこに情熱を傾けるアーティストだろう。以上ッ。

2018/8月下旬火曜日
視野狭窄アートが氾濫している。
かってセンセーショナルなアイロニカルアートのムーブメントをリテラシーしていない。する気がないとしか。時代が大きな曲がり角に来ている。もはや街中のボックスギャラリーの価値は大きく低下している。お友達同士の慰めあいでしかない。また、画商、美術館、揉み手評論家等々の体たらくは狭小のフレームの中で必死に死守している。SNSという大きなウェーブに飲み込まれ溺れつつあるかのようだ。今だに日本というシマグニにこだわっている。日本発とか和文化とか。コンテンポラリーなセンスというスパイスがあまりにも足りない。SNSがワールドワイドにもかかわらず。その話題になると急に視野狭窄になる。再生したい。(作品の具体化を拒否する)コンセプチャルアートを。アート思想のウェイトを大きく前進したい。あらゆるアイテムを総点検することとリンクしたい。アート思想の役割はそこが最先端だ。以上ッ。

2018/7月中旬火曜日
紙幣の価値がなくなりつつある。SNS上のお金価値を新たに創造した結果だ。
まさにアートといっても過言ではない。旧来型のアート、つまり紙幣だが、様々な人が、その手あかや指紋が着いている。その痕跡履歴を巡るフィクションビデオを創造した。そのアーティストは、ニティパク・サムセン。多様な指紋が着いた紙幣は、まさに先進の民主主義を表現したビデオだ。また逆の見方からすると(紙幣に労働させられている)と。つまり紙幣が経営者。そんな痕跡がなければ(人はフラットな社会の民主)だろう。この作家はたぶん資本主義の行き詰まりを活写したかったに違いない。偽装された社会主義。そんなメッセージが6’46″に込められたアイロニカルなアートだ。以上ッ。

2018/6月下旬金曜日
海浜幕張のアトリエを処分した。で、吉祥寺ノースエリアにシフトしました。コンパクトだが、インパクト溢れる創作活動に邁進できそうなアトリエだ。時代は(先進国の経済活動が鈍化)している。かって、大きいことはいいことだ・というメッセージが流行った。しかし、今や、小さいことはいいことだ。とメタモルした。何故か。何も経済だけのスケールではない。SNS発信がスマホサイズでリテラシーされる。何もかってのような、たとえばマークロスコやリチャードロングのような相も変わらずビッグスケールは(オツムが弱い)と思われてもいたしかたない。もっと極端なサイズなり意識なりは、SNSレベルサイズということになる。作品のテクスチャーやスケール感がわからない、なんてほざくなかれ。アートの入り口すら入れない輩、アートの入り口すら明快ではない視野狭窄アーテイストがほとんどだ。以上ッ。

2018/5月下旬月曜日
新作各シリーズがアップロードプレゼンしました。
アイロニカルな反骨心をベースにジャーナル素材をリプレゼンテイション&アプロプリエーション手法を駆使しています。かって、大きいことはいいことだ。とばかりに大きなサイズが流行りました。しかし、先進国の経済鈍化は(コンパクト&インパクト)に向かいつつあります。コンテンポラリーアートもまたAI&SNSテクノメディアが大いに進展して発信力は想像をはるかに超えています。プレゼンスタイルが大きく変貌しました。過去のボックスプレゼンは大いに価値を喪失しています。以上ッ。

2018/5月中旬木曜日
近々、新作のアップロードプレゼンを各シリーズで、お披露目いたします。
時代が大きな曲がり角に来ています。しかし、シマグニは、進展があまりにも遅い。風通しの良い民度が世界に誇れるようにコンテンポラリーアートジャンルから奏松松久(Matsukyu Soumatsu)はアグレッシブにアイロニカルに反骨心を鍛えて戦う。
特に新作は「探られる内心・サスティナビリティ・ニンジャ天国・VR」・・・、あたりが重要テーマかと。
乞うご期待。以上ッ。

2018/4月中旬金曜日
パワフルな反骨心が持続的に逞しい。
たとえば、額縁の中は全て真っ黒な画面。まるでミニマルアートかのようだ。彼の意図は、過去の額縁作品、それも政治経済の戦略的道具として活躍してきた作品、つまりお供え物としての作品だ。その過去の行為を徹底的にアイロニカルに否定する。疑似絵画の代用物を作品とするアーテイスト、その名はアラン・マッカラム。
アート批評家、鑑定家、アートジャーナリズム等々あらゆる過去を「コバカ」にする。デッサンに使う石膏像もまた彼の格好のターゲットだ。色彩石膏像は、<美術界&オリジナル性>への断固たるアイロニーである。以上ッ。

2018/3月下旬水曜日
最近アトリエ近くのデンタルドクターからオファーを頂いた。
受付からロビー、そして待合ルーム、トイレ、診察ルーム等々。ウォールアートにしたいと。コンビニより多い歯科医院。
競争は激しい。最新医療機器を導入している。最先端のイメージをアピールしたいと。
で、奏松画廊は、BEYOND THE FRAME AMERICAN ARTをメインとしたプレゼンを得意としている。
ロビーにTVモニターを設置する。そのビジュアルは、Facebook/Instagram/UStwitter/Amazonでプレゼンする・と。日々、奏松画廊アートが更新される。患者たちが自分のスマホでどんな場所でもチェックできる。そうゆう装置こそドクターのテクノ&センスが優れている証だ・と。
常に歯科テクノ、機器、ナース、ビルデザイン・・・。が患者サービスに貢献する。するとリピートする患者が増加する。
何も歯科だけではない。更には行政施設。優れた最先端サービス。シチズンファーストが<見える化>する。以上ッ。

2018/3月中旬月曜日
女性の活躍が著しく低い。
インテリジェンス&センスがエクセレントにもかかわらずパート主婦に甘んじざるを得ない女性たちは大勢いる。アートデザイン業界も同じ構造。額縁。ひとつとってみても男性ビジネス。紙、画材等々。展示方法。あげれば男たちのエバリオンリープレゼン。その男性優位社会にアイロニカルな反骨心をプレゼンした女性アーティスト、ナンシースペロ。
従来の表現スタイル、額縁はない。遠近法も無視。今までなかった手法が斬新だと評価される苛立ち。
シマグニではローカルから注目するアーテイスト、デザイナーたちに期待が高まる。以上ッ。

2018/3月上旬火曜日
アイロニカル、警句、政治的、経済的、疑似広告的スタイル、不安や不吉を連想・・・。
消費経済社会に最も適応したコンテンポラリーアート手法が彼女の真骨頂だ。ロシアアバンギャルドの赤黒が、革命的な革新的な心情をプレゼンする。
バーバラクルーガーだ。「表現の自由」を思いっきり過去のフレームから断捨離するアートシワザ。
彼女もまたアーティスティックな批評家といっても過言ではない。以上ッ。

2018/2月下旬月曜日
ワードが最もコミュニケーションのツールとして普遍的である。
それはビジュアルや音声のカタチでもある。
タイプフェイスはビジュアルの内である。ローレンスウィナーというアーティスト作家がいた。まるで発注書のようにギャラリーや壁に直にワードを描いた。
「オリジナル性」という時代遅れの概念。その反抗、懐疑を促進した。あらゆる既存の芸術的概念やメディアを揺さぶる。その仕事ぶりはアーテイストというよりは「アーティスティックな批評家」だ。以上ッ。

2018/1月下旬金曜日
数十年ぶりの極寒である。
アトリエの書庫整理をする。拙者のバイブル的ペーパーブックがある。「Beyond The Frame American Art 1960-1990」だ。世田谷美術館からのプレゼンであった。
ローナ・シンプソン、ナンシー・スペロ、ハイム・スタインバック、ローレンス・ウィナー、バルデッサリ、そしてバーバラ・クルーガー、ジェニー・フォルツァ―、ルィーズ・ローラー、ブルース・ナウマン等々枚挙にいとまがない。過去の美術史に「アイロニカルな反骨心」と「抜け落ちていた思想」を消費経済に照射してプレゼンした。
時代の大きな曲がり角に「表現の自由」を余すところなく使い切った。以上ッ。

2017/12月下旬月曜日
ようやく退院できた。真夏から四か月間某大学病院に入院していた。
難病である。六割が死亡する。しかし、奇跡的に快復した。何か所も切った。一年はリハビリに励むことになるだろう。
入院中多様なことを思考した。
結論からゆうと、ドナルド・ジャッドではないが、<作家はアート思想とセットで完結する>ということだ。
平成になって、あるいは21世紀になって相当時間は経過したが、政治経済文化をゆさぶるような作家とアート思想は皆無だ。揉み手ばかりの作家と作品が大手を振っている。
それはつまり<アート思想の目利き>がいなくなったということだ。以上ッ。

2017/7月中旬月曜日
アートテーマのひとつに<風景の断捨離>がある。
先般アトリエの近くにあるベイエリアパレットタウン自治協議会プロデュースの「景観シンポジウム」に参加した。
この街はストックホルムのようなイメージコンセプトがデザイン開発目標としてあった。
20年近く経過して「風景のメンテナンス」を議論する。いいことである。話題のSDGs思想にフィットしている。
しかし、参加者がシニアのオヤジタイプばかりで、フランスのコンセルタシオンのような積極的センスアップするような議論からはいささか程遠いセンスであった。
シマグニの街センスとは「昭和の残像的怪しさ」が程よく息づいていることが「ざわめきのある暮らしやすさ」につながる。しかし、ひっそりと静まり返ったタウンは「住宅地」として暮らしやすさは手に入れたが賑わいのある活気はまるでない。それは住みやすさイチバンの吉祥寺のように。
ところがアドバイザーとして参加していた都市問題研究者や環境設計研究者が議題テーマの落としどころをズレこんだセンスにしていることだ。
「多様性」という概念を視野狭窄的アングルのみで議論しても「見えないところは見えない」ままだ。
これが地方自治体行政主導で開発された現実である。それを取り巻く民間研究者たちも会社も「米つきバッタ」のようなセンスである。
都民ファーストが圧倒的勝利をしたことに相当の苛立ちを隠せない会員がいたのには情けない。デザインやメンテナンス機能だけでは「街のSDGs」は見えてこない。アラサーやアラフォーママたちがひとりも参加してない街の再生はオヤジたちのグルコネが臭う。猛省するしかないだろう。以上ッ。

2017/6月中旬金曜日
シャッター通りが軒並み増加している。
理由は様々な議論があり、提案があり、だが。一向に気づいていない問題がある。
それは<風景資本主義>というセンスであり、概念である。
フランス在住のヴァンソン藤井由実さんの新作がその問題に答えている。キーワードがある。
「マスターア―バニスト」。以前にも描いた「コンセルタシオン」。「タウンマネージャー」。そして「都市文化資本」。
決定的に違う大きなコンセプトは、都市デザインや風景、交通システム、エコロジーが、文化として創作されている。
つまり人ファーストである。
で、マスターアーバニストとは民間のゼネラルアートデザインプロデューサーだ。チームは、デザイナーからエコロジスト、更には社会学コンサル、そしてビジュアルコンサル、イメージコンサル、法律コンサルたちで構成。
全てのスタッフが力強く共有するコンセプトが<都市文化資本主義>というカルチャー経済だ。以上ッ。

2017/5月中旬月曜日
「駅ナカ」が主力事業になりつつある、らしい。JR7社合計で2兆円を超す。しかし、JR九州は、副業が全体の半分くらい。西鉄は8割りもある。で、会社員もまた副業が盛んになる時代がくる。もはや人々は全てSNSとゆう「接続」ビジネスが全盛になるだろう。
<IoH、IoT、IoS>。人やモノ&物&もの、更にストーリー。これらがインターネットとリンクする。もはや会社とか組織とか集団とかコミュニティーとか、「接続」意識がバニシングポイントする。
そして、みな「孤独という友達」が大勢いる世界になるのだろうか。まるでシャンソンのように・・・。以上ッ。

2017/4月下旬金曜日
伝統技法が流行っている、らしい。今の若いひとたちが憧れたから、らしい。「あそびやかざり」。更には江戸置物から「生と死」を想像し、コンテンポラリーアートへの置換。あるいは漆塗り技法でトロンプルイユ風ポップアート。
松涛美術館でプレゼンされてる「現代の感性」に昇華しているかのようなセンス。<うちに閉じこもったセンス>が、つまり職人的作業が、どうして「現代の感性」であろうか。この米国大学のセンセイがキュレーターとのこと。
なにひとつ<現代>とアグレッシブにリンクする問題意識は欠片も垣間見られない。
この手のアートシワザは、「陸の孤島的」アートジャンルでしかない。ドンカン以外の何物でもない。以上ッ。

2017/4月上旬金曜日
新規顧客になりそうな方から連絡を頂く。絵画や書が好きでかなりコレクションされているらしい。で、奏松画廊に伺いたい、と。ウェブオンリーでボックスは保持していない、としゃべるとがっかりしたような気分になるらしい。あるいは作品を実際に拝見しないと理解できない、と。
間違いなくこの手の客は信用しがたい。アートや絵画にそこそこ見慣れている方は、ペーパー複製やスマホ、PCで見ればその作家がどうゆう力量でどうゆうアート思想かは概ね解る。ところが客はアートや絵画作品とは別の次元でその作家を親近感があるかどうかで判断したがる傾向にある。たとえば<愛国的かどうか>や<政府与党の思想に近いかどうか>である。その手のタンジュンな客は一見資産家ぶるが、最終的には購入することはない。まだまだ民度レベルは相当低いと言わざるを得ない。以上ッ。

2017/3月下旬水曜日
小池都知事のリーダーシップが百年単位の大きなパラダイムシフトを可能にしつつある。
シマグニの民主主義は、いわば「お下がりの民主主義」だった。その兄姉は欧米のパクリズム。
しかし、もはや経済も熟成してアジアのお手本になりつつある。
<霞が関資本主義>が「官僚ファースト」を長きにわたって謳歌してきた。
だから新しい価値観は必要なかった。それ故に、文化ですら過去の価値観に引きずられて前に進めなかった。
芸術の価値は新しい提案をプレゼンすることで前に進む。
たとえばアメリカのBEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960~1990に大きく前進したような提案価値である。ようやく「お下がりの民主主義」フレームを拡張して「都民ファースト」という新価値を獲得しつつある。かって1960年代の半ば東京オリンピックへの成長戦略が経済成長と並走するように大きく押し上げた。
2020へ向けて<モノからシツへのシフト>が芸術の価値観と同じようにプレゼンされることになるだろう・・・。以上ッ。

2017/2月下旬日曜日
多くの人から質問される。「画家さんですか」と。「画家ではない。首から下で職人仕事はしていない」と答える。画家のように風景とか人物とか、もしくは抽象画でもそうだが、色彩、カタチ、マチエール等々にこだわり続ける作業はしない。首から上のアート思想家である。その基盤は<アイロニカルな反骨心>。<偽装されたたしからしさのはく奪>。
<意図的に操作されたビジュアルの解明>。あたりが思想の骨子である。従って、作品は「BEYOND THE FRAME ART」に必然的にならざるを得ない。以上ッ。

2017/2月中旬日曜日
改めて<ワードアート>の説明をしておきたい。
かってコンセプチャルアートの全盛時に、<作品の具体化を否定>することが究極のアートである。と定義していた。既存の芸術作品は、アーティストたちの思想的基盤を「図解したもの」に過ぎない。といって切り捨てた。
当時は単語やフレーズ、数字、記号をプレゼンすることで納得していた。しかし、アマゾンで販売している奏松作品は、<物語にして小さな説得>をプレゼンしている。またタイトルを<アイロニカルな反骨心をメインとしたショートワードアート>にしている。「Name the title itself is contemporary art」シリーズがある。ヨロケジマの美術館責任者兼評論家の中にはそれすらもリテラシーされてない。視野狭窄にもほどがある。これを世間では「多摩ゲタ」という。以上ッ。

2017/1月下旬日曜日
トランプがスタートした。政治には未経験ではあるが、人生経験では紆余曲折の百戦錬磨だ。
「偉大なるアメリカ」を高らかに約束&目標にしている。1960-1990に経済成長がうなぎ上りだった。
それと並走する<BEYOND THE FRAME AMERICAN ART>が炸裂した。あらゆるアートコンセプトやアート思想が総点検された。アートが大きく拡張した。アートがあらゆるジャンルのジャッジ役でもあり、指南役として誘導した。その後のAIテクノに大きなきっかけを寄付した。その時代に活躍したルイーズ・ローラーは、美術に関する多様な問題をテーマにした。以上ッ。

2017/1月下旬日曜日
<舎利>。
死んだかのような素振りでありながら、おっとどっこい遥か百年を超える長寿。
盆栽アートの最も好奇心が揺さぶられる素材だ。
「人間が聴き、人間が感じる音」。更には「死に追い詰められれば追いつめられるほど、生きることと音楽するが純粋に一致している」。そう評論した心酔者もいる。
そのカオスのようなうごめきは、異文化圏のひとたちも心酔している。
あらゆるメディアをラボのようにプレゼンしたアーテイスト武満徹がまさに舎利のように息づいている。「私の武満徹」として若い人たちにぺネとレートしている。
BEYOND THE FRAME AMERICAN ARTのラウシェンバーグが素材をコラージュしたような手法だが、武満もまた「折り合おうとしないアート」を協奏した。
これからのアート業界を揺さぶる手法に大いに手本になるだろう。
<逞しいアート思想>と協奏できる強壮的な作品は、もはや既存のメディアから遠のく・・・。以上ッ。

2016/11月下旬日曜日
SNSの勢いがついにアパレルで店舗縮小現象が止まらない。デパートもスーパーも・・・。
通販があり、エキナカがあり、とファッション、食品、雑貨等々が通勤に利便な場所とセットになりつつある。休日はスキルを、あるいは自分磨きを。バーニーズNY、ユナイテッドアローズ・・・、これからアートギャラリーなのか、それともファッションアンテナショップなのか境界線がなくなる。いよいよコンテンポラリーアートが表舞台にしゃしゃり出てきた。以上ッ。

2016/10月下旬金曜日
多くの既存マスコミ、つまりシマグニの劇場演出家だが。その某ペーパーで金融情報コラムがある。
経済天気図を羅針盤よろしくのたまっている。
遅々として微成長しかなく、「私ならこうします」的アイデアを吐露している。
人への投資。子育て支援の拡充。教育研究の支援。あまりにも当たり前すぎる。そこそこ持続しているアイデアだ。
ニューノーマル・からの脱出が視野狭窄以外の何物でもない。
「感じる&考える」訓練が大きく不足しているからだ。こんな程度のコラムだったらもはやペーパーはタブロイド程度で十分だ。いずれ消えゆく。クリエイティブ&カルチャー資本主義、あるいはビジュアル資本主義が大きな伸びしろがある。この執筆者の山人とゆう輩は、アートデザインジャンルが上位構造に来る社会が腹が立つのだろう。以上ッ。

2016/10月中旬金曜日
街のランキングがある。常に住みやすさナンバーワンに吉祥寺がある。関西では芦屋市がある。
しかし、その芦屋が大きく評価を下げた。風景規制を厳しくしたからだ。看板やカラーで。フランスでは百年も前から当たり前だ。信じられない民度である。商売がやりにくい、とか住民運動がやりにくい・・・。身勝手中心主義がはびこっている。クリエイティブ&カルチャー資本主義を根底から覆す民度というしかない。ビジュアル資本主義がこれからの成長エナジーになる。仕事、人材、観光、会社、公共施設等々伸びしろが大いに期待されてる。なんとも情けない虚無感が漂う・・・。以上ッ。

2016/10月上旬水曜日
多くの公共施設が管理者委託システムで「おとなしい管理」を強いられている。
たとえば美術館もそうだ。「表現の自由」が縮小圧縮されて欠伸をしているかのようだ。
まさに自主規制の典型だろう。そんな中で恵比寿の東京都写真美術館で<世界報道写真展>が開催中だ。大方のプレゼンが紛争地域でギリギリの前線でで生死を剥き出しにした人間たちが叫ぶ。
その人間そのものがアートしていた。
久しぶりに心に届くアートが「表現の自由」を思いっ切り使いこなしていた。以上ッ。

2016/9月下旬日曜日
途上国アートが元気がいい。虐げられた底辺ピープルたちの叫びに呼応する映画が長尺であろうがノーマルな心地よさであろうが、「Beyond The Frame Art」のコンセプトをフル活用している。
ベネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得したフィリピンのディアス監督が久しぶりに心に届く。
マーケット論理を無視した潔さとハリウッドへのアイロニカルな反抗心。今、平和ボケしたどこかのクリエーターたちとは一回りも二回りもアート思想の厚みが違うだろう。以上ッ。

2016/9月中旬火曜日
留職とゆう聞きなれない言葉があるらしい。
途上国への開発援助ジョブだそうだ。費用コストを度外視らしい。ま、種をまきいずれハーベストがたっぷりあるからだ。かってジャパンもそうだった。しかし、風景がブサイクのままハーベストされた。風景&街創生がキーワードにシフトされて後々留職がかの国の民たちの心に植えつけられる。「コア留職」の先行が必須だ。以上ッ。

2016/9月上旬水曜日
「喜怒哀楽を表さない国民は、為政者になめられますから」とロックアーティスト遠藤賢司さんが闘病しながら吠えている。まさに「物言えば唇寒し秋の風」になびく柳のようなピーピルたちへの叱咤激励だ。
しかし、なめてきたピープルは、為政者より高級役人ではなかろうか。陰の実力者たちが「シマグニの表現」を形成してきたといっても過言ではない。大きい会社が成長牽引してきたシマグニではあるが、図体が大きい故に小回りが利かない。その図体とも大きな連携を果たしてきた。
非正規ジョブに虐げられているひとたちが、コンテンポラリーアートに目覚め「リプレゼンテイション&アプロプリエーション手法」のアート思想を養分にする。そんな余裕すらも奪うかのような労働業界でもあるが・・・。以上ッ。

2016/8月下旬月曜日
シマグニのローカル各地でサイトスぺシフィックなアート祭りが地味ではあるが持続している。
しかし、概ねの作品は、一般市民には理解が遠いコンテンポラリーアートが主流である。主催者サイドは「感じる&考える」ことをプレゼンしているつもりだろう。でも大方のシマグニピープルは「わからなくてもわかったふりをする」ことには長けている。横並び意識の悪しき慣例がはびこっている。
「感じる&考える」作業がその地域に拡散してそのエリアの「風景を変える」ビジネスや観光やひとびとの意識までメタモルする方向へは「単なる祭り」でしかない。以上ッ。

2016/7月下旬日曜日
「ナンセンスッ」とかました時代があった。
学生運動が華やかりしころの、60~70年代。すべての科学思考や思想、哲学が「意味ある」ことを追求していた。しかし、意味のない言動が芸術界隈では重要視されていた。そのアート思想が「ダダイズム」だ。
そして「反芸術」とゆうコマーシャルベースの消費経済主義アートが輸入された。機能重視でモダニズムとゆう生活主義をデザインすることが意味ある、と。
あまりにも消費経済が行き過ぎて「格差社会」すら生産されてきた。極めて合理主義的デザインから非合理主義的コンテンポラリーアートに惚れ直す。舞踏芸術もまた「白塗りをして非合理な仮面社会」に憧れる。もはや無意味なことはコンテンポラリーアートのお家芸でもあった。道路をただやみくもに歩く軌跡こそアートだった。サイトスぺシフィックアートが無意味であった。しかし、アート批評家たちが「意味づけ」した。
瀬戸内で国際芸術祭2016がプレゼンされている。しかし、開催ディレクターは、意味づけして業界を視野狭窄にしてしまっている。
ここに現代美術の構造改革が必須である。だから「ダダイズム」を発信して「ダダッコ」することが「ナンセンスであり、センスでもある」。以上ッ。

2016/7月中旬木曜日
「デタラメ」「ハチャメチャ」そんな「藪からてんやんでえ~」とかなんとか・・・。
型破りのアートで賑わった演劇がこじんまりと道幅を狭めつつあるらしい。下北沢の本多劇場で「うっぷんを晴らす」アートがデタラメに突き進むらしい。古田新太さんが「BEYONDO THE FRAME ART」にチャレンジしている。
自らの武器がぶれることなく照準が標的に突き刺さるときが「表現者たちの立憲主義」でもある。自立しない、できない自由な表現が「今、危ぶまれている」ことに「平和ボケ」が更なる追い打ちをかける。
といって中々「平和的認知症」が悪化する気配は、六畳間生活から三畳間生活には中々戻りづらい・・・。以上ッ。

2016/7月上旬金曜日
イギリスショックを契機に社会的テーマを据える。
経済活動が大きな曲がり角にきている。時代がインタナショナルであるはずなのに、ナショナリズムが角を持ち出す。SNS&AI&IoTが、インターナショナルを推進するスピードが速すぎるせいだろうか。若い人々が危機感にさいなまれているからだろうか。ベネチュアビエンナーレが社会的テーマをアピールしている。しかし、コンテンポラリーアートプレゼンではないか、と。レディガガやビョークのようなミュージック系アーティストはねパーソナル志向にビジュアル化してゆくが、その領域を通過したコンテンポラリーアートジャンルは、今こそアグレッシブに社会的メッセージ性を強化することが必須ではなかろうか。点としてアーキテクチャーをアートすることもそこそこ大切ではあるが、「トータルな風景」としてプレゼンするアートが構造改革するきっかけになる。以上ッ。

2016/6月下旬水曜日
パフォーマンスアーティストの松本雄吉が亡くなった。
反骨心を剥き出しにしたアートだ。BEYONDO THE FRAME ARTが炸裂していた。熊本生まれ。維新派の先頭を走っていた。大阪弁がその反骨を柔らかく発信していた。またひとつリノぺーショナルな燃える火が消えた。以上ッ。

2016/6月中旬水曜日
手を変え品を変え「低迷する潜在成長率の上昇と日本経済の復活を目指す」ことが常套句のように叫ばれる。
日本産業競争力の予想を上回る低下・組織劣化が大きな疑問と・・・。ホワイトカラーの低い生産性は相当前から指摘されていた。「秀才たちの団栗の背比べ」が互いの足を引っ張り合う・・・。働き方の多様性が叫ばれて久しい。
ペーパーレスが叫ばれて久しい。天才らしい才能を排除することに必死になってきた。すでに秀才クリエーターとゆう言い方まで跋扈している。
まさに自己規制している典型だ。風景が変わるはずがない・・・。以上ッ。

2016/6月上旬木曜日
既存のマスコミが自主規制している。
なぜか。ひとつは視聴者たちの民度にレベルをあわせているからだ。もひとつはコマーシャルの規制に呼応しているからだ。「キセイノセイキ」展で東京都現代美術館がタブー表現をプレゼンした。「年齢制限、女装、天皇」等々だ。美術館の運営そのものが既に規制されている。公金に抗う表現はスタッフたちの生活にかかわる。しかし、その手のタブーに挑戦する、こともそこそこ勇気がいるが、複雑化した熟成社会は、「リブレぜンテイション社会」でもある。このジャパンそのものが既にオウベイカして久しい。それこそアメリカもまた欧州のリブレぜンテイション社会でもある。
そんな微妙でアイロニカルな反骨的タブーテーマこそアートに翻訳する価値がある。この展示はすでに過去の陳腐なタブーテーマでしかない。以上ッ。

2016/4月下旬金曜日
かって日宣美という業界ではアカデミー賞クラスのコンペがあった。
この登龍門をくぐってセンセーショナルなデザイナーデビューがプロミスされていた。しかし、視野狭窄な仲間内のグルコネコンペでもあった。これを見逃すわけがない。そして、「ソウラン節」は原宿にあった青山デザインスクールがターゲットにされた。
ソウラン節のテーマは「デザイナーは資本主義の手先である。」何とも稚拙な浅薄なメッセージだった。
このソウラン節を扇動し、先導したオヤジが竹中労である。とにかく反骨心旺盛なチャビンである。しかし、侮るなかれ。彼は美空ひばりをルポルタージュし、大衆の怨み節をリプレゼンテイションした。既成概念に終止符を打つ。腹をくくっていた、かのようなアジテイションアートが炸裂していた。
そして今、G街ものんべい横丁もそんな過去の経緯すら知らぬ存ぜぬクリエイターピープルあたりで虚しい時間が過ぎ去る。以上ッ。

2016/4月上旬木曜日
企業の社会的責任があるかどうか定かではない。アメリカナイズされた考え方である。
環境保全や被災地支援やスポーツ支援等々をさもアグレッシブにするかのようなスタイルではあるが、それはあくまでも長期にわたってのPRやマーケティングである。
で、近年ジャパンでも我田引水的行為が得てしてブラッキーなイメージを思慮深く反省する企業が増加してはいる。新入社員の若いひとたちが減少傾向にあるからだ。その一方でCSVというマーケティング創出的理念がある。Creating Shared Value つまり企業と社会の共通創造価値。しかし、社会は、個人主義が熟成し過ぎたきらいがある。企業はスクエアな会社が多過ぎるきらいがある。たとえば「風景」。考え方が多様化している。コンテンポラリーアートがほとんどリテラシーされていないのに整合性が調整されるわけがない。アメリカだって後十数年後には自治体の90%近くが消滅予測になっている。株式会社化する国家。となるとコンテンポラリーアートが過去に予測した「リプレゼンテイション」アート手法が大いにCSVのコアにならざるを得ない。アーティストたちがやっとリーダーシップをアピールできる時代になりつつある。以上ッ。

2016/3月下旬土曜日
BEYOND THE FRAME AMERICAN ART1960-1990、というプレゼンが過去にあった。世田谷美術館1991年のことだ。
消費経済が旺盛な時代にコンテンポラリーアートもまたお旺盛に並走した。そんな時代に美術批評家として活躍した中原佑介の仕事を評価しつつある。彼は批評メッセージを「ワードアートを描く」という認識はなかった。もちろん周辺のマスコミたちもまたそんなアメリカナイズされたセンスは到底持ち合わせていなかった。スーパーに何気なく積み重ねられた歯磨き、洗剤、食品パッケージ等々が「素材」だ。大きくしたり、解体したり、接合したり、と。消費経済をアートに翻訳した。このあたりは拙者のFacebookのタイムラインにアップロード、つまり「SNSに翻訳」している。
それにしてもやっと既成の老舗ペーパーメディアに「批評を描くことをリプレゼンテイション」した記事が掲載された。エポックといってさしつかえないだろう。以上ッ。

2016/3月上旬金曜日
個人主義が熟成し過ぎた結果だろうか。
といって多様性が熟成してはいない。これからだ。それはあくまでも長期間にわたって「偽装的個人主義」が蔓延しているだけだ。その関係性を暴く、かどうか。わりと大雑把なクラスターの中でボックスライフが群像化されているようにミニマルアートしているだけだ。進展してはいない。ただなんとなく「共にいる」コミュニティとゆうところだ。しかし、スタンスやマインドの垣根は高い。水戸芸術館は「あらゆるシマグニのカタチ」を問い直す作業が好きなキュレーターやマスコミとタッグしているプレゼンがそこそこ多い。多様な世界の問題課題をアートが解決できる可能性に表層的に駆けている。辺境からメッセージアートする逞しさが拡散すれば、それこそ「関係性のアート」が「見える実物」としてリンクしだすだろう・・・。以上ッ。

2016/2月下旬月曜日
「どこか闇を携えたヤツじゃないと絵にならない」。と立木義浩さんがしゃべっていた。
かって新宿が「ソウラン節」をガナリタテテいたころ、産婦人科と言われていた。しかし、継続は力なり、だ。家族の肖像や親子の肖像あたりから、モノクロにコンテンポラリーアートとしての立ち位置が確定してきた。写真の始まりがモノクロだったことに触れて「実際に見えるカタチやイロ」が整理整頓されて写すビジュアル。としゃべっていた。既にモノクロがアブストラクトアートであることを見抜いている。素晴らしい写真家である。以上ッ。

2016/2月上旬水曜日
拙者が尊敬するジョセフアルバースの弟子だったリチャードセラがアイアンアートで名をはせた。
しかし、その鉄が冷え込んでいる。中国の過剰生産が原因だ。マニーが過剰に余剰するとバブルをなんとか意図的に企み成長したかのような偽装化右肩上がりを夢見る。
時代は、アーテイスト&デザイナーたちが過剰に増加してきた。なぜか。シロウトでもマシンがあれば操作方法さえご教授頂けばいとも簡単に名刺はデザイナーになる。元OLたちが。万が一デザイナーで成功しなくともクリエイティブ&カルチャー資本主義のもと「多様なご意見」を拡散しうる民度がアップすることはいいことだ。鉄冷えの中国がネクスト経済社会でどんな手法と手を熱く打つかが興味が湧く。以上ッ。

2016/2月上旬月曜日
金融機関の資金がだぶついている。ECB手法にアプロプリエイション(引用盗用する)がごとく日銀もまたアーティスティックな手法に舵を切った。
すると世間のマスコミ界隈がざわついている。株が大きくバブルする見方とすっかり企業実績決算が下降するトレンドとで二分する見識だ。
そのだぶついたマニーは民間に流れる。その資金で企業は成長戦略のもとミニマルアートのごとく成長を連続&反復して豊かになれるだろうか。
かって幕末にはコメバブルがあったらしい。経済学者ガルブレイズの著書「バブルの物語」で陶酔的熱病と揶揄した病が再発する可能性が出てきたらしい。とにかく金融機関に溜まるマニーのスピードが、世間が成長消費するスピードより遥かに速い。世間のスローフードよろしくマニーのファーストフードに勝る手法が今だに発見されていない。長期に亘って連続&反復しながらブサイクな風景がいつも宴の後残る。しかし懲りることはない。以上ッ。

2016/01月中旬金曜日
奏松画廊のメインコレクションアートが、アプロプリエイションアートである、と前にもしゃべったが、書アートもまたそのジャンルだ。通常中国の「影響を受けた」とゆうような発信で語られる。しかし、日の本独自の表現に昇華されてればそれは素晴らしいオリジナルである。
丸の内の出光美術館でプレゼンされている「文字のチカラ 書の流儀」展が興味深い。
アングルを変えてピカソ。「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」とゆうアーティスティックな名言を残している。すでに「引用つまりコノーティション」と「盗用つまりアプロプリエーション」を区別している科白だ。
しかし、先の2020TOKYOオリンピックデザイン問題は、プロも一般大衆もジャーナリズムもその時点ではこのアプロプリエーションとゆう欧米の過去から流通しているアートテーマをまるで取り上げなかった。そして、より問題をこじらせた。
最近早逝したアーティストのデビッドボーイもまたアプロプリエーションアートをリスペクトしていた。そして今のアーティストたちもまたスタイリストとしてキュレーショナルなセンスを発信している。
そんなエッジの効いたジャンルと既存のジャーナリズムに少なからず「ズレこんだ」表情が漂っている。以上ッ。

2016/01月上旬月曜日
今年は参院選がある。18歳以上に選挙権がある。かって新人類と流行りコトバがあった。今は、LINEアプリがお盛んで、「LINE世代」とゆうコトバがあるらしい。この世代と上の世代との境界が、アーティスティックな捉え方で違うらしい。個性や独創が他者にないことをゆうことだったが、この世代は自分の意思で選ぶことで個性的とゆうらしい。そう解説している会社がある。伊藤忠ファッションシステム開発室の中村ゆいさんとゆう方だ。
この世代のマイチョイスセンスはコンテンポラリーアートジャンルでゆう「アプロプリエーションアートジャンルだ。
盗用引用して自分のセンスに新たな付加価値をもたらすアートと同じだ。しかし、中村ゆいさんはコンテンポラリーアートジャンルを知らない。さも新しい世代かのような意味付けをしている。もちろんLINE世代だってアプロプリエーションアートを知らないだろう。
最近では、SNSジャンルで「キュレーショナルジャーナル」サイトが流行っている。既存メディアニュースを自分スタイルでチョイス描きなおすサイトだ。
LINE世代もこのSNSサイトもアプリアートになっている。
拙者の「小」さな「説」得への道は、まだまだ続く気配である。以上ッ。

2015/12月下旬木曜日
師走年の瀬の慌ただしさや気分も年年歳歳薄れてきている。
ジャパンが和洋折衷ライフ&ジョブスタイルにシフトして以来長い時間が経過した。もちろん和のシフトが今だにたっぷりあるひともいるし、洋のシフトにほとんど専有されているひとも多々いる。更には、チグハグな和洋折衷スタイルが横行しているひともいる。和洋ともにバランスがとれたひとは少ない。景観もまたしかりだ。エリアエリアでチグハグだ。しかし、電線地中化問題が一歩前進している。私有地にある電信柱の固定資産税をインセンティブして減税するアイデアが浮上している。久しぶりに気分の良い年末だ。ヨロケジマを断捨離しながら、リノベーションする。
「風景をナイスコーデ」する決断力が必須だ。時代は折衷からコラボにシフトチェンジしたい。そこには「創造力&想像力&発信力」を鍛えることが最先端案件になる。
かって、コンセプチャルアートジャンルが大流行りした時代があった。素晴らしいトレンドだったにもかかわらず、テクノや創造力&想像力等々が大きく不足していた。コンテンポラリーアートには時代を牽引するパワーがある。解りやすいコトバとビジュアルは大きな武器になる。
今こそ改めてスイッチオンするときが来ている。以上ッ。

2015/12月上旬木曜日
「地域社会へのまなざし」とか「建築は生活者の実感をどう反映できるのか」とか「自然と人工物との共生」・・・。
このフレーズに手垢のついたシワザしか漂わない・・・。多様な暮らし方を探る・とゆうテーマはグーだ。ダイバーシティセンスはこれからのテーマとして極めて必須のコンセプトだからだ。が、若手アーキテクトデザイナーたちに実存する社会との共存的泥臭さが足りない。机上のデザインが跋扈している。前橋の「アーツ前橋」とゆうギャラリーでのプレゼンだ。ひとりコンテンポラリーアーティストだろう、境界型風景を翻弄するビジュアルをプレゼンしている。それはとりもなおさずコンパクトな町で機能するリノべーションデザインを実態として発信する逞しさを表現しえ得た。
時代が大きく曲がり角にきている。しかし、偽装化された70年は相も変わらずサスティナビリティしている。この土着的物語をなんとか解体してこそヨロケジマが再生出来うるポテンシャルを手中に納品できる。以上ッ。

2015/11月下旬水曜日
「深い地下室での偽装」が列島で暴露されつつある。その震源は、更に深い根っこに延々と拡散する勢いだ。
偽装バリアがあらゆるジャンル、階層で歪みを正しく成長させてきた70年だった。しかし、時代は「バリアフリー」を歪みなく矯正するAIテクノが代替えする時代にはいりつつある。
ひとつのパフォーミングアートが、その答えをプレゼンしている。インテグレイテッド・ダンス・カンパニー響-Kyo「Border-境界」とゆうステージだ。
障害者パフォーマーたちが健常者パフォーマーたちとコラボしている。一見バリアは、フリーかのような時間が漂う・・・。しかし、深い地下室でのような暗闇に「境界型アート」にズレ込む偽装性が潜んでいた。
創造力&想像力&発信力がヨロケジマ程度に揺れる観客たちのこころに深くペネトレートしていく・・・。以上ッ。

2015/11月中旬木曜日
アジアのアーキテクトデザイナーたちがプレゼンしている。乃木坂のTOTOギャラリーだ。
自然・社会と対話する、をテーマに据えている。アタリマエダのクラッカーである。そして、アーティストたちは悩む。なぜ建築なのか。まったく時代のシステムが突入するクリエイティブ&カルチャー資本主義に会話していない。
ロハスやAIテクノ、そして価値観のアイデンティコミュニティライフスタイル・・・。かって、ヨロケジマでも悩んでいた。今もである。「点」で感じる&考えるが停止しているかのようだ。コミュニティ創造は、囲いやドーム、フェンス等々で仕切られた価値観アイデンティ同士のコミュニティをプレゼンして始めて一歩進む。NYCにあるパークアベニュー740番地のような資産家富裕層ビルではなくとも。
もはや点で施工するだけでは、かえってビジュアル格差を生産するだけだ。デザイナーたちが、視野狭窄思考から脱して、「戦うアーティスト」思考にチャレンジして頂きたいものだが・・・。以上ッ。

2015/11月上旬日曜日
ここのところ世間を賑わしている事件がある。マンションアーキテクトの基礎工事で手抜きしていた事件だ。つまり偽装だ。効率主義と納期厳守の狭間で底辺の労働者たちが炙り出された。そして管理不行き届きとして孫請けカンパニーもまた、更にはディベロッパーもまた責任追求の矢面に立たされている。その追求の厳しさとは真逆の偽装がハロウィーン祭りだ。おおらかでコスプレは何とも楽しい。今の気分にピッタリと偽装化している。
つまり時代は「真実か嘘か」がはっきり区別されてないかのような曖昧模糊とした空気感が漂っている。
シロウトもプロもまたはっきりしない・・・。ヘタウマとゆう時代がかって写し絵のように流行った。つまりプロもシロウトもない。なんとなくシロウトのようでプロでもあるような・・・。偽装化の始まりだったように思う。そのコンセプトは、あらゆるジャンルに拡散して、当時SNS的拡散はなかったが、ヨロケジマでは、噂は、まるで真実であるかのようにハトが飛んだ。視野狭窄とはこのころから揶揄されるようになっていった。
しかし、一向に視野狭窄的審査員とか有識者とか相変わらず昔の儘で歌っている。牙城が暗黙の崩し技に懸けられているのにも関わらずである。大衆からの強烈な一本ではないが、はっきりしない判定が今日も大手を振って歩いている。
渋谷やギロッポンが熱くならざるを得ない「見えざる手」がうごめいている。以上ッ。

2015/10月下旬木曜日
余裕が生まれている。国を守る。そんな防衛議論から始まってアートデザイン問題までギロンが騒がしい。
「着物モダニズム展」が時期を得て、六本木の泉屋博古館分館で開催している。
大正ロマンチシズムで大いに賑わった。素晴らしい「和モダニズムアートデザイン」が回帰現象としてワールドワイドに拡散しているからだ。
アールヌーボー&アールデコスタイルが大いに輸入歓迎された。目黒の庭園美術館は、その素晴らしいイコンだ。
「銘仙」とゆう庶民着物が当時アタラシガリ屋の民度を大いに刺激した。
「いい時代」のいいファッションスタイルに回帰しようではあ~りませんか、ご同輩ッ。以上ッ。

2015/10月中旬木曜日
某新聞からまずペーパーではお目にかかれないアーティストの名前が引っかかった。ドイツのヨゼフ・ボイスだ。
批評的、それも強烈な辛辣なアーティストである。アートがデュシャンによって消滅して以来、皮肉なメッセージを発信してきた。そんな彼の拡散が、ジャパンの片隅で開花しつつある。
伊勢谷友介さんのリバースプロジェクトととゆう会社が地道な再生作業を実施している。アート&デザインが地域再生のコアとして活用される。まさにクリエイティブ&カルチャー資本主義の推進に一役かっている。
これからこうゆうコンセプトが拡散されて行政とコラボすれば、一歩前進する。以上ッ。

2015/10月上旬木曜日
20世紀を代表するアーティストである。バーバラへップワース展がロンドンで開催されている。アブストラクトアートが長閑な流麗なラインで発信された。ま、いかにも女性らしいアートだった。回帰現象である。NYCファッショントレンドもまた引退したジェネたちの余裕コンシューマーに向かって発信される。ヨロケジマでは和装トレンドレトロが回帰される。中折帽が三つ揃いスーツが。ほぼ黒に近い無地ネクタイ&ピンストライプ。AIテクノがひとに襲い掛かる時代が刻一刻と迫っている。そんな強迫観念から逃げたいと願望する無意識の行動だろう・・・。以上ッ。

2015/9月上旬月曜日
プロボークのメンバーだった。多木浩二、森山大道らと反逆的アートメッセージを発信し続けた。
手法は、偽装化された現実をボカすことで率直な現実を炙り出すプレゼンした。荒れ狂った図太い粒子画が、ゲバ棒のようにプレゼンされた。
しかし、中平卓馬は、細密画のような植物図鑑をまたリスペクトしていた。その両極端な評論視覚が、この世から消えた。
そして今、あらゆるビジュアルが、ゲバ棒を逞しく振るわれたかのように360度広角レンズ化されて拡散している。
キュレーショナルなアーティスティック思想を携えたSNSメディアが「見えないものを見える」ようにしつつある。奏松 松久のFBタイムラインが、時代の鋭敏な、そしてトレンディなプレゼンだろう。以上ッ。

2015/9月上旬金曜日
清水の舞台から飛び降りる、ほどの殺気が漂う・・・。
フランスの双子パフォーミングアーティストが話題なっている。もちろん境界がなくなった今、まぎれもなくコンテンポラリーアートジャンル以外の何物でもない。ところが、某新聞で越後妻有トリエンナーレでプレゼンされている上郷クローブ座のパフォーミングアートを区別している。増田愛子とゆうアートライターだ。もちろん担当デスクのチェックが甘い。
太さがふぞろいの糸を織って創る「しけ絹」とゆう養蚕技術があるらしい。境界のない多様多彩な編み込みが、たとえばショールだとして開いてアートギャラリーにプレゼンすれば、コンテンポラリーアートの常套手段だ。
もひとつ。近頃日の本国旗意匠が再ブレイクしている。2020オリンピックで1964東京オリンピックで使用されたエンブレムデザインだ。そぎ落とされたデザインは、ミニマルアートととして発信されていた。この例もまた境界のないビジュアルである。
デザインは「説得のビジネス」である。世間と距離感のあるアートとの差異。程良い距離感が心地良さに着地せざるを得ないデザイン。カッサンドルは、その狭間に懊悩した。そして、自らの生命を絶った。以上ッ。

2015/9月上旬水曜日
はこだて未来大学とゆう前向きな公立がある。松原仁とゆうプロフェッサーが、AIを使用して、アートジャンルに挑戦する試みが進んでいる。
たとえば、小説コンペに応募する。それも偽装化したひとになりすまして。人工知能クンが創作した小説だ。さらには大学お受験まで挑戦させる。これこそ「最先端偽装化の権化」だろう・・・。もはや霞が関&永田町がコントロールしづらいテクノが、ハリウッド映画のような現実になりつつある。
フィギュアアーティストやCGアーティストたちもいずれ「AIアーティスト」にとってかわられること必至である。アナログな創造力&想像力に培われた
逞しい表現力こそSNSメディア時代にエエカッコシーわけである。以上ッ。

2015/8月下旬金曜日
TOTOが、小倉の本社に「TOTOミュージアム」を建てた。
ベンキアートのオンパレードだ。デュシャン解釈だと、アート終焉美術館、とゆうことになり、ま、画期的ではある。
しかし、そのトイレを再生アートととして、オドロオドロめいたキャバレーのような原色「彩生」したトイレンナーレなるプレゼンが大分市で開催されている。はたしてコンテンポラリーアートが再生されるのか・・・。また、パリでは、ニース生まれのブルシエ・ムジュノとゆうアーティストがプレゼンしている。もともと作曲家でその後コの世界に入ってきたらしい。インスタ作品、つまりサイトスぺシフィックアートだが、コンサート会場の関係性を問い直すようなシカケ作品だろう。ま、ともに新鮮味はないが、シロウトに毛が生えたようなピープル&アートライターたちにはそこそこウケる。以上ッ。

2015/8月中旬木曜日
カメラ女子やFB等々デジタルカメラ全盛だが、反骨精神溢れる藤原新也さんが、某新聞でしゃべっている。
ワンシーンにシャッターは一度きりしか押さないと・・・。かって、アドクリエイティブ業界で、オリエン後のタクシーの中ですでにアイデアは決定している。とか、バーのコースター裏面に描いたサムネイル&キーワードで、あるいは元CMディレクターの川崎徹さんもまたテイクワン主義だったらしい・・・。
「自らの内面が映りこむ」写真メディアの鋭いキャラを披露している・・・。長年培われた「感じる&考える」センスが、一発目で決めてくれる・・・。
たとえそれがギミックフォトであっても・・・。AI&IoT&3D時代に入ってるが、より培われた、そして訓練されたアナログセンスが大いなる表現力の要になる。以上ッ。

2015/8月月曜日
とにかくモノ&物が溢れている。
消費経済の果てに、いささか疲れている、そんなペーパーがこの一冊だ。「ぼくたちに、もうモノは必要ない」
断捨離、片付けライフスタイルの推奨には違いないが、「ミニマリスト」とゆうコトバが懐かしい。かって60~70年代に大流行りしたコンテンポラリーアートスタイルだ。もちろん当時には、欧米キャッチアップでモノを貯め込む時代だった。ミニマリズムは、あらゆるジャンルに影響して、特にアーキテクトデザインジャンルでは、大活躍した。素材のディテールを節約削ぐことで、工期短縮、工費縮小等々、時代のテクノ開発に呼応するがごとく進展していった。
ミニマリズム全盛当時とは真逆の経済発展スピードではあったが、当時その手のアート批評すらなかった。
だからこそではないが、今まさにこのミニマリズムこそ大いなる批評的コンテンポラリーアートとして再生するにふさわしいトレンドアートだ。
反復&連続&移動、の常套手段が、クールジャパン戦略の発信力になること必須である。
アマゾンで販売している拙者のワードアート反復を眺めて。以上ッ。

2015/8月上旬土曜日
オリンピックは素晴らしい、のひとことだ。
戦後70年の節目にヨロケジマが欧米キャッチアップしてきた、わき目も振らずに。その快走には世界も文句のつけようがあるまい。アートへの近道は、まず模倣からスタートする。忠実に芸術的手順を踏襲して、「パクリズム大国」としての世界遺産登録すら射程に入ってきた・・・。そうゆうジャンルがあればの話だが。
今回の2020TOKYO開催の件だ。新競技場デザインといい、エンブレムデザインといい、国民民度上げての話題になった。過去にアートデザインジャンルでこのようなムーブメントがあっただろうか・・・。「豊かな共産化」が、田舎のピープルたちを一気に民度アップさせている事件として後世に残る事件だろう。衣食足りて文化をカタル時代の幕開けだ。回帰現象が蘇る・・・。パナマ中折帽&麻スーツ&メッシュ靴&扇子、のセットスタイルで夢二のロマンチシズム溢れる和装レディ&マダムたちの銀ブラが復活でしょうか・・・。クリエイティブ資本主義に入った時節の記念すべき賑わいですね。以上ッ。

2015/7月下旬日曜日
ふたりの好きなひとが亡くなった。
ひとりは、「感じる、の逞しさ」が鋭かった元ツウデンの藤岡和賀夫さん。「モーレツからビューティフルへ」のスローガンを発信したしたアドマンだ。
もひとりは、「考える、の逞しさ」が鋭かった学者の鶴見俊輔さんだ。大衆芸術に、サブカルに鋭い批評が残る。
そして、時代は、「感じる&考える」にシフトしつつある、覚えるを卒業して・・・。
経済成長が鈍化しているシマグニに最も必須のセンスだ。このセンスが成長の要にならなければ未来はない。「見えないものが見えてこない」。
以上ッ。

2015/7月下旬木曜日
佐倉にあるDIC川村美術館で手持ちコレクションのリ・プレゼンテイションを試みている。
そのひとつの作品とよんでもいいが、鑑賞者たちの批評とゆうか声を展示している・・・。ま、スーパーあたりのクレームではあるが・・・。この作品を批評的価値に届く作品としてチョイスする。それらをひとつずつの額装をしてプレゼンすれば、もはや民主主義の行き過ぎ、もまた新たなヒエラルヒーを生産することになる・・・。既存コレクションをこねくり回すことは悪いとはいわないが、プロデューススキルを磨いて「オークションビジネスの創生」を真剣に思考して頂きたい・・・。クリエイティブ資本主義に入っていますから。以上ッ。

2015/7月下旬金曜日
かって大正から昭和にかけて、阿佐ヶ谷文士村なるアーティストたちが、約200人近く住んでいた・・・。
その中心にリーダーとして君臨していた作家が井伏鱒二である。その「黒い雨」とゆう作品をライフワークとして語り伝える・・・。溌剌とした覚悟のような表情が逞しい。
そして、同じく純国産が、ようやく高品質をサステナビリティしうるまで評判が海外で高い。伝統の職人芸が支えている。その覚悟のような表情が、ファッションに乗り移っている。今年は、節目の70年だが、これくらい長生きする、そして更にうん十年延長する覚悟がアーティストや職人たちの宿命かもしれない・・・。以上ッ。

2015/7月中旬火曜日
腹をくくる、そんなひとびとが徐々に増えつつある・・・。そのひとりで、コンチータさんだ。髭面の麗人と話題になっている。ひとは両性具有的キャラを内包している。更にブリジット。デュオでセイムメイク&コスプレで。いよいよ多様性&多彩性が萌芽しつつある証だろう。
表現領域が、非境界していくなかで、「反復&連続&移動&異質」のコンセプチャルアートでは常套手段が、復活の狼煙をあげつつある・・・。クリエイティブ資本主義に入って、コンテンポラリーアートたちがいよいよ投資(つまりアートクリエィティブ作品)資金を回収時節に入ったわけである・・・。
シンガポールあたりのヘッジファンダーたちも、腹をくくって目利きしだしている・・・。以上ッ。

2015/7月上旬金曜日
「あるがままの自然世界を提示する」物派とゆうアーティストたちがいた。60~70年代に木材、金属、石材等々を美術館に置く。
しかし、SNS時代にその思想哲学は、優位性を持続できない。なぜならデータは、常に加工されて貯蓄され、世界を回遊しているからだ。
たかだか40~50年経過したくらいで「見えないものがまるで見えない」ようになった時代の幕開けだ。
だからこそFBでスタート時に最初に発信したブログ行為そのものにサインインすることでコンテンポラリーアートとしての行為を印化することが重要だ。劣化しつつあるジャーナルニュースを「見えるようにする」ことが、アート作品として成立する時代がくる・・・。
竹橋の国立近代美術館での「事物展」に近々伺う予定だ。以上ッ。

2015/7月上旬木曜日
「誰でも五線譜の上では対等であり。自由であることができる」
しかし、欧米人たちは、そうは思はない・・・。異邦人としての才能を評価する。西洋の言葉で音楽を描くのか、日本の言葉で西洋音楽を描くのか・・・。
三善晃さんが悩んでから時代は大きくワールドワイドになった。もはや異邦人よりは、より欧米人化している。
あらゆるひとびとが自由自在に行き来して、更にSNSメディアがより異邦人を少なくしている。
コンテンポラリーアートもデュシャンが、アートの終焉を宣言して以来、もはや異邦人は地球の外にしかいないだろう・・・。
過去のアーティストたちに敬意を払いつつ、プラスシンキング&ソングを描くことが、彼の悩みを解放するに違いない・・・。以上ッ。

2015/6月下旬月曜日
室伏鴻さんが亡くなった。まだ若くして・・・。コンテンポラリーアートととして、パフォーミングアートととして世界が向かい入れたアーティストだった。
まるでセミの抜け殻を象徴するかのような脱アートといってもいいだろう・・・。ステージ上の抽象表現が移動する軌跡は、あらゆる古色蒼然とした政治経済文化的軌跡すらも払拭するように観衆をひれ伏した。
こうゆういわば破天荒なアーティストが、削られてゆく時代だろうか・・・。65点主義が跋扈し過ぎるヨロケジマに何が足りないのかを改めて身をもってプレゼンしたような銀色の消滅だった・・・。以上ッ。

2015/6月下旬日曜日
迫害の歴史、温暖化問題、民主化問題、生産と消費経済、不均衡、格差不条理等々「際立つ苛立ち」がテーマとして表現しやすいわけではない。
コンテンポラリーアーティストたちは、そんな問題が顕在化される前から「見えていたにちがいない・・・」
ベネチアビエンナーレがプレゼンするシカケは、アーティストの領域をすでに超えつつある。政治経済が、過去の文化的領域から遅延しているモドカシさに何とも悲哀がそぼ降る梅雨時かのように呼応する・・・。
素晴らしいブラックマウンテンカレッジで学んだツオンブリーの「描くこと」と「書くこと」ことをセイムクラスした作家がスキだ。近々品川の原美術館に出向きたいかと・・・。過去の文化領域を解体したいかのような仕事だ。以上ッ。

2015/6月上旬日曜日
渋谷のイメージフォーラムに見にゆきたい映画がある。
ドキュメンタリー「だれも知らない建築のはなし」とゆう作品だ。ヨロケジマのアーキテクトデザイナーたちは、自身の仕事を説明できない・・・。とオランダのレムコールハースさんが語っている。拙者が、この日記でも更にアマゾンで販売している「ワードアート」でもさんざん述べてきた。トータルな街づくり&ランドスケープ、つまり景観がブサイク過ぎるわけだ。もちろんデザイナーたちが、景観のドットとして点在しているブッケンもあるが、そんな表現はゴミ以外の何物でもない、俯瞰的鳥瞰的遠景として眺めれば・・・。
彼らに決定権がないからだ。この日記で前にも描いたが、今回の2020東京オリンピックメイン競技場デザインの件もまったくお話にならない・・・。若干話は逸れるがアメリカあたりの結婚事情あたりだが、結婚時に離婚時のこと細かい契約書を交わすとゆうじゃないか。コンペ優勝のデザイン会社、審査委員長等々関係者たちの体たらくが江戸時代の不平等条約並みのようじゃないか。法律家がいない。とにかく拙者のワードアートをアマゾンで購入スベシー。これは何もアーキテクトデザインジャンルだけではない。以上ッ。

2015/6月上旬火曜日
てっきりフォトシルクスクリーンだとばかり思っていた。勘違いだったね。
ロバートベクトルのカリフォルニア風景だ、それも乾いた。しかし、なんとも画像が覚めたそして色褪せたテクスチャーがスキだ。
手書きである。スーパーリアリズムが流行った時節とも関係しているのだろうか・・・。達者である。もちろんフォトシルクでもなんらアナロジーするテクスチャーになるだろう・・・。より乾いた、ザラザラした風景が表現できるような・・・。たぶん拙者だとフォトシルクにしているに違いない・・・。なぜならその風景にジャーナリスティックな思想あたりも醸すような表現にしたい、と。
日本橋のSHOICHIROギャラリーで改めて見つめた。以上ッ。

2015/6月上旬水曜日
久しぶりに元ツウデンの藤岡和賀夫さんが某新聞でおシャベリしている。かって70年の富士ゼロックスキャンペーンを手掛けたプロデューサーだが、スローガンコピーが「モーレツからビューティフルへ」とゆう評判を呼んだ仕掛けだった。
それから45年、ビューティフルとは程遠いヨロケジマの現実に、改めてビューティフルの精神が必要だと・・・。
たとえばグレースケリーをビューティフルと表現してもおかしくない。しかし、大方のビューティフルには、洗練さ、つまりエクセレントセンスが伴わない。もはや時代は、大きく個性を尊重する「カワイさセンス」加減だ。伝統的日の本らしく尚且つエクセレントセンスを纏ったコンセプトが、進展していない。それもワールドワイドなスタイルで・・・。
クールジャパン戦略も景観も住まい方も働き方もダイバーシティセンスも、世界標準的センスが大きく欠けている。特にユーロセンスが・・・。以上ッ。

2015/5月下旬日曜日
ワードアートのテーマのひとつに「カワイイ」をあげている。そのテーマに真剣に取り組んだ研究本があった。「かわいい」の帝国、とゆういささか厳めしいタイトルだ。サブタイトルに、モードとメディアと女の子たち、とあるように多様なアングルから切り込んでいる。著者は、古賀令子さんとゆう方だ。
この中で文化女子大のプロフェサーである松本さんが面白い実験データを学内でしている。
たとえば、チューリップVSバラ、ではどちらがかわいいか。90%近くがチューリップに軍配している。
あるいは、あいうえおVSかきくけこ、ではやはり、あいうえお、が圧倒的だ。
あらゆる造形的エレメントから推察されるイメージを実験されたらしい・・・。そしてもはやこの「かわいい」は、多様性を纏い、モード領域に拡散して、たとえば、「Sex and City」のスタイリストを務めたパトリシアフィールドは、「カワイイはインターナショナルな言葉よ」と更にワールドワイドになっていった。しかし、発展としては、新時代のサブカルとクロスオーバーした風俗的ムーブメントの色合いが強い。原宿系から渋谷系、アキバ系、アニメ系ロリータ系、そして雑誌のキュート系、更にはメンズキュート系・・・、グッズのキャラクターアート系・・・。
このニューポップアート、といっても過言ではないジャンルは、まさに映像ビジュアルでは繁盛し続けている。
多様多彩なメッセージは、学者たちの分析を待つまでもなく、もはや熱狂的浸透を果たしている。
しかし、かってジェフクーンズが既成品アートである風船コマーシャリズムを批評的にプレゼンして(彼はウォールストリートの証券マンだった)大いに喝采された「洗練さ」がヨロケジマにはない。ほとんど大手の美術館で企画されていない・・・。たぶんジャパンジャーナリズムピープルたちのプライドが許さないのだろう・・・。クールジャパンがエクセレントな発信力を持つには、まず国内のヒエラルヒー偽装化から解放されることが必須だ。
ダイバーシティを叫ぶことは大いに賛同するが、そろそろ腹をくくってジャーナルする時節が来ている。以上ッ。

2015/5月下旬木曜日
「物書きとゆうならず者」といって憚らない作家が逝ってしまった。車谷長吉さんだ。若いときからパート労働者だったらしい・・・。焼き鳥屋の串差しをしていたとゆう経験をどこかで読んだことがあった。こうゆうひとが好きだ。しかし、向こうは拙者のような粋者を嫌いだろう・・・。最近、高校時代の同級生たちと会食パーティをした。現役時代は皆エリートたちであった。引退して見てすっかり「ただのオヤジ」である。
昔は、アーティストや作家を尊敬する仕事だった。石を投げればアーティスト&作家たちに当たる時代である。
ピカソが215億で落札されたらしい。どうもヨロケジマは、いつまでたっても芸術的文化国家のような素振りすら匂わない時代がサステナビリティしている。以上ッ。

2015/5月下旬火曜日
パフォーミングアーティスト集団として尊敬する「山海塾」が、三茶の世田谷パブリックシアターで新作「めぐり」を発表するニュースが入ってきた。
北九州芸術劇場、パリ市立劇場で制作したらしい。生あるものがいつか化石となり、海に沈み、いつか陸に上がって再び発見される・・・。
AIロボット時代が射程に入り、ますます天児牛大のアイデア再生創生が、重みを増してくる・・・。
かって寺山修二の「書を捨てよ、町へ出よう」とゆうメッセージが燃えた時代があった。「覚える読書主義、教養主義」がヒエラルヒーを偽装化した時代だった。これからそうゆうセンスが雲散霧消して、迷える子羊たちが彷徨える時に、このパフォーミングアートが、自己発明発見の手がかりになるだろう・・・。以上ッ。

2015/5月上旬金曜日
ゴールデンウイークの雑踏的賑わいを避けてただひたすら「歩く」ことを、つまり散歩を楽しんだ方もまた多いのではなかろうか・・・。
その行為そのものをコンセプトワークとしてプレゼンしたアーティストがいた。近年歩くこともただヘルシーにより高める歩き方とかの効能もさることながら、アートとしての効能があるように見せかける「しわざ」こそさすがコンテンポラリーアートだ。
スタンリーブラウンやハミッシュフルトンとゆう作家だ。異色中の異色といっても過言ではない・・・。早い者勝ち、といってしまえばそれまでだが、すべてはアイデア勝負でもある。ロード上にペーパーを置きひとに歩かせてその痕跡をプレゼンするような・・・、作品とよんでいいかわからないような作品。
この手のアイデアとゆうかパフォーミングアートとゆうか・・・、もし仮にギャグが混ざればまぎれもなくバライティ番組あたりのパフォーマーとスレスレのセンスに勘違いされる危険性もしかり、だろう・・・。
そんな時間を<何気なく通過>するかしないか。時代が大きな曲がり角に来てる今、ヘルシーとゆうキーワードで政治経済をもまた再思考する時間に留まりたい気分だろうか・・・。以上ッ。

2015/5月上旬土曜日
新進気鋭とゆうアーキテクトデザイナーのプレゼンを見にいってきた。乃木坂のTOTOが運営するアンテナギャラリーだ。藤本壮介とゆうアラフォージェネで、ま、生意気盛りのアーティストだ。しかし、作品は、タイトル「未来の未来」とは違って過去に大いに流行った抽象表現主義アートでいささかガッカリした。更には時代が大きな曲がり角に差し掛かっているにもかかわらず改革提案的なテーマ性すらも垣間見えない。たとえば空き家問題へのリノべーショナルな思い切った「考えるセンス」を見せてほしかった。以上ッ。

2015/4月下旬火曜日
しかし、今月は雨が多い・・・。
で、その合間の晴れ模様を縫って三か所ギャラリー巡りをしてみた。
最初は、初台のハギワラプロジェクツ。NYで活動する米人作家だが、日本がスキなんだろうか。初個展とのこと。次は六本木五丁目のタカイシイギャラリー。戦後の虚無的若者を捉えたフォトアート。そして最後は、東銀座のAKIONAGASAWAギャラリーだ。これはジャパン作家だ。ともにモノクロフォトだった。しかし、どうも響いてこない・・・。プロデュースサイドもアーティストサイドも懸命に頑張っているのだろうと思うが・・・。以上ッ。

2015/4月中旬水曜日
子育て世帯に優遇することは大切だ。待機児童解消に無い知恵を絞ってアイデアをだす苦労は大変だ。
しかし、「公園をみだりに廃止」するような愚策は、将来に禍根を残すこと必至である。もっと俯瞰的にアイデアを絞り出す知恵こそ公金暮らしのピープルたちに覚悟してもらいたい・・・。たとえば、空き地&空き家のみならず立体的にブリッジする空中公園とか地下とかもアイデア化して
エクセレントセンスが足りなさ過ぎる。都心で先例を造ると拡がる。
戦後の窮余の策的ドサクサデザインの悪例が、今だに延々とサスティナビリティしているのだから・・・。
アーキテクトデザイナーたちがまた口をつぐんでいるよ。以上ッ。

2015/4月中旬金曜日
別役実フェスティバルのニュースが入ってきた。
数字を最も重視するメディアと違って「消費できないことに効果を発揮」するメディアだ、と。
さらに「乾ききった時代性や距離感を推し量る人間性を解消」できるメディアだ、と。
また「近代が悪戯にもたらしたパラダイムへの批評的パフォーミングアート」だ、と。人工頭脳社会が席巻する時代へ向かう「そして誰もいなくなった、ひと社会」が最も消費欲望が活性化するメディアに反逆性をもって迎合される時代が近づきつつある。
「覚える」ことが嫌いな若者たちは、アグレッシブに「見えないものを見える」ようになることで参加、つまり観客になることそのものがアーティスティックな消費になる。以上ッ。

2015/4月中旬木曜日
美術とアート、の言葉が発するイメージの違いは・・・。
今時の拡散し過ぎた表現領域で「日本語の美術」とゆういい方がそぐわない、と某新聞であるフリーキュレーターが語っていた。
アートは、コミュニケーションだと・・・。もちろんそれもそうだが、術では、つまり技術的職人的な仕事だけじゃなくて、アイデア&発想&独創&提案力等々は、術では語り切れない。
ただ八十年代ごろからミュージシャン、シンガー等々たちがアーティストと言い始めてから美術のひとたちは、区別するために美術家とゆうようになった経緯がある。ところが時代は、空き家が目立ち始め「家」を使うこともままならぬ。
もはや「ワード美術家」といってもピントこないどころか、大いに「ズレ込んだ表現」になる。ワードアート、以外に言いようがない。
そして、最先端的にeスポーツが流行る時代だ。となると当然「eアート」マーケットが存在する。以上ッ。

2015/4月上旬木曜日
視聴率なる数字が、ふところの数字を生産し続ける大いなる指標だ。
これを抜きにしてマスコミの全てを語ってはならぬ。スタッフ、出演者等々・・・。そしてその全てを梱包しているスポンサー企業&大手広告代理店。たとえば、リチャードギアの寅さん風情を醸している飲料がある。バカ売れしているらしい。消費経済を梱包している。たまに話題性あふれるプロレスタッチの「ソウラン節」がうなれば、つまり民謡好きの村人たちは、お茶の間の板映像にかじりつく回数が増えるしくみだ。村人たちの日常は刺激が少ない。
板にかじりつけば寅さんギアの飲料が更に売れる。
全てはセンスがいいか悪いか、の境界型アートとして板が機能している。電車中刷りや屋外の看板あたりもまた境界型アートとして数字に梱包されながら風雪に耐えている。以上ッ。

2015/3月下旬金曜日
化学反応連鎖が、勢いを増している。
パントマイムデュオ「がーまるちょば」のパフォーミングアートだ。この作演出HIROPONとゆうひとのひねくれたキャラが、戦後と昭和と平成、の化学反応なのもしれない・・・。
その昭和消費経済を大いに勢いづかせたプリンティングアートを、つまり印刷物網点ドットを細分化して更なる複製化して、その化学反応アートに仕立てる回帰現象が、VOCAやFACE展などのプレゼンに目立つ・・・。これもまた「村社会アート」をサスティナビリティしている。
それに比べてコンテンポラリーアーティスティックな気分が十分に発揮されている時間的化学反応に愛想を振りまくマーケッター将棋指しがいる、佐藤紳哉サンだ。カツラ業界に大いに貢献しているわけだが・・・。ロボットテクノ&IT升田幸三が、ヘアスタイルをメタモルして彼と戦うような時代が迫っている・・・。以上ッ。

2015/3月下旬木曜日
「記録」とゆう行為はもはや当たり前の事実だ。だれしも記録する。家族写真、日記、ワンコの様子、メモリアルデイ等々・・・。とりたててこの事象をアピールする行為は、ブログ、ユーチューブ等々SNSメディアで大いに盛んである。しかし、河原温は、かってコンセプチュアルアートジャンルでその日の数字をキャンバスに刻印した、永遠に・・・。なぜだろうか。今のブロガーやユーチューバーに聞いても答えは返ってこないだろう・・・。
河原温は、明らかに意図があった、と思う。それは「過去の芸術や哲学や文学や文化や政治や経済」等々営みを否定する反逆的思想を記録してアピールしたかったに違いない・・・。その際立った、そして最も乾ききった抽象表現手法だ。
今、NYのグッゲンハイム美術館で回顧展している、とのことだ。以上ッ。

2015/3月中旬土曜日
卒業写真、とゆうユーミンの歌があった。「あのころのままでいてね・・・」のような歌詞だったと思う。
もひとつ、いちご白書をもう一度、とゆう歌もあった。若き日の長い髪を切る切なさ・・・。そのロンゲを切りたくなくてそれが許される会社に就職した連中も多々いた。某新聞に若き田舎出身の女性小説書きが嘆いていた。
ローカルで思い描いたエッジスタイルカフェやバール、雑貨屋が消えていた・・・。
「均質化する都会の風景」に苛立ちを隠せない・・・。しかし、彼女は怒らない。落合恵子のように怒髪スタイルにして・・・。強烈なメッセージソングが流行るわけでもなく、たとえばボブディランやジョンレノンの存在の大きさに梱包された時代。しかし、彼女がいつか青春を振り返った時、あのころのままでいたいとゆうようなセンスはなく、もはや金太郎飴のような「そこそこライフスタイル」に身をゆだねて小市民ライフをチマチマと送る・・・。
そして、ほとんど誰もいなくなった場所で人工頭脳ロボットたちが跋扈して黙々と労働する風景に近未来風景がオーバーラップしてゆく・・・。
なぜそうなった、のか。中途半端に考える想像するするのじゃなく、怒髪にくる鶏冠にくる、のように「雄叫び雌叫びを挙げる」ムーブメントを率先するような根性が今、風景から消失している。
こうゆう「感じる考える」行為が思考が、このヨロケジマにはほとんどない・・・。この思考思想が、ワードコンテンポラリーアートだ。以上ッ。

2015/3月中旬水曜日
化学反応に最も先端性がアピールしている。
笠井叡が新作「今晩は荒れ模様」で実力と確かな個性を携えた六人のコンテンポラリーアーティスティックダンサーたちとコラボする。
世田谷のパブリックシアターにて。「覚悟を決めなければ生きられない。時代性は、無意識に表現される」。
タイトルでは「・・・・・・模様」と表記されてはいるが、模様なんて生易しいものではない・・・。71歳になるとゆう。
劇作家演出家俳優の長塚圭史さんが、鑑賞することは「行為」に近い・・・、と。輸出産業で、マンガ、和服和食等々の中にアグレッシブに加えたい。
北九州芸術劇場が前向きに「化学反応しだしている」とのことだ。以上ッ。

2015/3月上旬土曜日
相も変わらず永田町界隈がアンチヘルシー政治が燻っていてなんとも情けない・・・、「天気晴朗なれど本日も反省の色無し」が延々と持続している。
いやもちろんスピーディに腐臭を処理して弾む春に向かって颯爽と成長戦略を履行するなら、大いに結構ではあるが・・・。
たとえば風景をメタモルする公共工事であっても・・・、つまり電柱地中化のことだが・・・。
それに比べてNYタイムズのライターたちが、カッコいい。ジャパンマスコミのヨロケ具合を散々こき下ろしている。「腹をくくってない」と。
まだタブロイドペーパーのほうがはっきりしている、と。まさにヨロケジマの発信地がこのように体たらくでは、いくら選挙権を18まで下げてもたいした効果は期待できそうもない・・・。
もちろんアート&おゲイジュツ業界村もまた「腹をくくっているわけがない」ほどノウテンキアート作品が跋扈している。
この大きな問題を解決するのは、ワールドワイドなSNS&クラウドデータコントロールテクノ以外にはないだろう・・・。もはやヘルシーメディアはこのジャンルに軍配があがっている。以上ッ。

2015/3月上旬火曜日
ソーシャルインパクトボンド、とゆう債権が注目されている。
そこそこ豊かさが行き渡って欲しいものがない・・・。成長が鈍化している・・・。リノべーショナルな資本主義経済を模索した結果のアイデアだ。
社会貢献型ビジネスを債権にして資金調達する。たとえば公共トイレ施設をリノベーションする、機能もビジュアルも・・・。公園の中だとするとアイデンティとして公園そのものもリノベーションする。ベンチセンスから遊具センスまでトータルリノベーション。もちろん有料にする・・・。
風景をメタモルするために電柱地中化もまたそのボンドで可能になる・・・。ボンド購入者には電気電波利用料の値引きインセンティブが・・・。このような私的所有の成熟が行き着く、プラス社会主義的資本主義システムアイデアが必須だ。
まさにみえないものを見えるようにするボンドシステムもまたコンテンポラリーアートだろう。以上ッ。

2015/3月上旬日曜日
SNS社会では、デバイス操作が格差を生む、と元ツウデンの森隆一さんがしゃべっている。メディアの苦悩、とゆうペーパーだ。
ま、確かにそうではあるが、今や身近にパソコンアドバイザーはゴロゴロいる。それよりもSNSメディアの追加による更なる誘惑のビジネスに引っかかる村人たちがヨロケジマには大勢いる・・・。なぜならオレオレ詐欺で毎年イヤッとゆうほど引っかかる村人たちがいるわけだから・・・。
更にはITロボットがジョブを奪う恐怖におののいているわけだし、ほとんどの労働者たちが、苦悩しつつ日々ペーパー&SNSメディアに誘惑されて棄てられて、イタリア映画のような凌辱的閉塞感に梱包されている。別にクリストのせいにするわけではないが・・・。
このジャンルにもコンテンポラリーアートの見えないものを見えるようにする手法が及んでいるわけだ。以上ッ。

2015/2月下旬火曜日
日の本のマスコミがよく使う言葉に有識者を含む政策会議とか・・・、で耳目にする。
「日本経済の構造変化」とゆうペーパーがある。京大のプロフェサーである須藤時仁氏と野村容康氏の共著である。分析解説と処方箋だ。リノベーションされないままズルズルとこの小さなヨロケジマに閉じこもって発信することもなく、アイデア想像力もなく、長期停滞から抜け出せないモドカシサを吐露している。ほぼ拙者とコンセプトはアナロジーしている。
ただ同業者業界村人に向けて、「加トちゃんペッ」していて拡がりがない・・・。たとえばリトルプレスのような回帰現象的カワイイマガジンで発信すればヤングたちに好感されやすい。
このようなイイモノを発信できるにもかかわらず閉じこもっているセンスを、ドシドシ海の向こうへ輸出したいよね。タイトルを解りやすくセンシティブにして・・・。そうすることで、ひょっとするどヤングたちからもパラダイムシフトへの渇望が生まれる素地が・・・。以上ッ。

2015/2月中旬水曜日
街そのものをステージにする。寺山修司の「書を捨てて街に出よう」がコンセプトのようだが・・・。かって60~ 70年代にソウラン節を謳歌した新宿の様子とは真逆ではあるが、ヘルシー&プラスシンキングな街興しが、パフォーミングアートとしてプレゼンされつつある。たとえば北九州市だが、モノレールステージもまた空中パフォーミングアートとして見世物小屋的おどろおどろセンスが話題になった。
これに味を占めて「街そのものリノベーション」がその場に根ずくピープルたちを歓喜の渦に巻き込もうとしている、らしい。
ジャズがあったりイート交流パーティがあったり・・・、とセンスが決め手ではあるが、何よりもビジュアル中心主義が虜にしていることは、アタリマエダのクラッカーではないだろうか・・・。
観光ツール、としてアジアからの集客が楽しみではある・・・。以上ッ。

2015/2月上旬日曜日
ダンスが授業になって最高のブームになっているらしい・・・。
そんな中でシンガーとかミュージシャンとゆうネーミングじゃなくてパフォーマーとして活躍するアーティストたちも出てきた。パフォーミングアートがヤングピープルたちを虜にしている・・・。
その場、つまりステージを成立させる存在表現、とゆうことになろうか。好きなアーティストである菅木志雄のもの派展示が話題ではある。
石、木、コンクリート、蝋の塊、ビニール、ロープ等々「ものとモノと物」あたりのコミュニティを炙り出して「みえないものをみえるようにする」。
誰もが気付いているのにも関わらず、その素振りすらみえないようなしらばっくれる「隣は何する人ぞ」のような空気感を長い間プレゼンしてきた。脂ののった六十~七十年代のパフォーミングアートだ。見えぬムーブメントが図らずも存在するが・・・。門仲の現代美術館もまたそのコミュニティの一員に成り得たのではなかろうか・・・。以上ッ。

2015/1月下旬金曜日
原点回帰、とゆうトレンドが流行りだしている。
その原点とは何時ごろか。六十年代~七十年代の頃だ。カルチャーが炸裂した時節だ。今どきのヤングクリエーターたちが「ゆだれを垂らして羨ましがる」その時節が、回帰している。あらゆるジャンルで・・・。この日記でもかってしゃべったが、マンハッタンアドマンたちの物語で「マッドメン」もそうだが、レディスファッションも、メンズファッションもまた・・・。トレンド疲れ、が蔓延している。ま、あらゆるジャンルでのリノベーションスタイルリボリューション、である。
実にグーグーなことである。時代が大きな転換点に差し掛かっていることをヤングたちは、わりと敏感だ。すてたものではない・・・。
「考える」ことが理解されてるのだろう・・・。アートデザイン哲学が過去の政治経済哲学を必要としていない・・・。彼らの頭脳は。センスが全ての決め手、とゆうエスプリがワカっている。ブサイクなペーパーが延々と問題を解決しないからだ。「ノウガキだらけ」で責任を取らない。つまり腹をくくっていない。まさにエセインテリたちの天国だ。役人天国だけじゃない。そして近い将来、「延命してきたインテリジェンス」が致命傷になるだろう・・・。以上ッ。

2015/1月下旬月曜日
白と赤、の配色が美しい。スイスの国旗デザインだ。白が自由、赤が独立、とゆうシンボルだ。
そのスイスデザイン展示を拝見した。東京オペラシティアートギャラリーだ、初台にある。ま、ひとことでゆうと欧州のデザインタッチとゆうか、洗練された気分が漂っていた。デザイナーたちはどちらかとゆうとアノニマスな方向ではあるが、その中でもマックスビル、ル・コルビュジエなどはカタチもさることながら名前も残っている。スオッチやバリー、ピクトリノクス等々人口に膾炙したブランドもある。もちろんフードメーカー№ワンのネスレが、それもロゴマークデザインがコルビジェだったことは以外だった。
で、ジャパンの国旗だが、ヤング、それもパートの展示係に聞いてみた。まったくもって白の意味性が答えられない。拙者が赤は日の本、つまり太陽ですよね、と聞くとそれには異論がない。で、ちょっとチャカした。白は抑制と・・・。うんともすんとも反応無し。で、拙者の表情を訪ねる素振りがあった。応えたわけである。もちろん自由もあり洗練もあり純粋な輝きもある、と。
何をもってアイデンティする志向や思想が未来的なのか。も一度熟考してみたい・・・。そんな気分にさせられた・・・。以上ッ。

2015/1月下旬土曜日
アートミュージアムがNYで積極的にムーブしだした。ニューミュージアムとゆう美術館らしい。企業とコラボして、スローファッションを販売する、とゆうビジネスだ。アーティストたちがアートデザインを提供して発注芸術にするのではなくて、生活美術品として販売する。もはや美術館は、象牙の塔のような「オタカクトマリッチ展示」から街中ショップにメタモルする。さすがNYカルチャーだ。
産学共同で大学と企業がコラボしてはいる。ハイテクからローテクまで大いに社会貢献している。美術館がそうゆうトレンドになれば、ジャパンだけじゃなくてアジア全域をマーケットととして「アートデザイン消費経済圏」として大いなる発展が見込める。まさに「ハブミュージアム化」がそろそろ必須ではなかろうか。オークション化も射程に入れて・・・。以上ッ。

2015/1月下旬月曜日
この日記でも以前しゃべったが、そのパクリズム的もしくは偽装的アート、といつてもいいが、マネする人物、特に有名人とか俳優とかである。その人物になりきる。そっくりマネる。完全なメーキャップ&ファッションをして・・・。コロッケさんのように・・・。そのコンテンポラリーアーティストであるシンディシャーマンの名前が、多分大手マスコミの某新聞で垣間見られた。始めてだろう・・・。
二コラジェスキエールとゆうヴィトンのデザイナーについて賞賛していた。もはやファッションデザインの概念すら3Dプリンティングとゆう産業革命的武器をもってして、コンテンポラリーアーティストを慄かせる仕業は、ファッション業界がもはや「トレンド疲れ」に陥り、ノーマルこそ永遠の最先端と武器の力に頼る偽装的デザインをプレゼンするはめに陥ったことは、あまりにも激しい格差社会のメタモルにファストファッションに力学を譲ることすらままならない時代になった証だろう・・・。
シンディシャーマンなら、その武器を千載一遇の突然として利用することはきっと誰かがやってのけるだろうと・・・。そのチカラに大きく依存するべくデザインあたりはノーマルにならざるをえない、とゆうよりはしかたないことだろう・・・、と。
やっとこさファッション業界も境界型アートに近似値として誤作動しつつあるのだろう・・・。以上ッ。

2015/1月下旬土曜日
銀松での織部展が盛況だ。シニア婦人たちが特に好きの様子である。ほとんどの客が彼女たちだ。ま、それはいいとして・・・。
そのあと銀八のコンテンポラリーアートギャラリーだが、アートポイントに出向いた。若いアーティストたちのグループ展示だ。数十点はあろうか・・・。ひとことでゆうなら展示スタイルも、雑だが、何よりも作品が既視感とゆうか新鮮味が足りない。もっと突っ込んだ見方をすれば、腹をくくっていない。従って投票のレベルではない。
あらゆるジャンルで時代は大きな転換点に差し掛かっている。自分の発見発明が必須である。神様から与えられた天分が必ず見つかる。
真剣に「考える」ことだ。時間はたっぷりある。むしろこのような考える時節に青春する人生が与えられたことに感謝すべきでもある。
アートのカタチはその後必ず付いてくる。
いささか不機嫌ぎみではあったが、墨田区のビールカンパニー相談役で、元公共放送会長で、今池袋の芸術劇場の館長をされてる高校時代の大先輩を囲むパーティに出向いた。そこで「ウルトラマンと著作権」とゆう共著だが、元文部省の調査官だった先輩から贈呈された。海外、特にアジアの特許裁判を詳細にリボートしたペーパーだ。
これから目覚ましいアジアのアーティストたちが台頭してくる。アジアエリアだけでも相当のアートビッグビジネスが展開される。アーティストはもとよりそのフィールドにリンクする多様なビジネスマンたちの早急な育成もまた必須である。もはや待ったなしの構造改革&リノベーションであるが・・・。
今年もドンドン膨らむ予算ではあるが、あらゆることであらゆるゼニが必要だし、ほんとに腹をくくらなければ、ならない。以上ッ。

2015/1月中旬月曜日
「教えすぎない・・・。知識情報を与え過ぎない・・・」。そして自分で考える。とことん考える。
何が足りないのか・・・。何がブサイクなのか・・・。なぜ魅力が足りないのか。それを真剣に考える、とはとりもなおさず哲学的思考を常に訓練することだ。そうゆう思考、志向をするとシマグニピープルたちはえてして「えらそうに上から目線じゃ」とかなんとかすぐにチャカす・・・、悪しき癖がある。
たとえば、彼はなぜ外車を好むのか・・・、彼女はなぜ西欧ブランドファッションや西欧家電、西欧インテリアを好むのか・・・。それを真剣に考える。ブランド名を覚えカタルのではなくて・・・。それはとりもなおさず、センスをカタル、ことだ。そのセンスとは何か、とことん考える・・・。
足を引っ張るヤカラたちは、上から目線、と罵るようにセンスをカタルひとたちを心の中ではリスペクトしているらしい・・・。だから「上から・・・」と思っているらしい・・・。このヨロケジマで過去数十年にわたって「インテリジェンスとは何か、アンチインテリジェンスとは何か・・・」などとペーパーやメディアでカタッテきたが、一向にメタモルしない、とその西欧からのパクリストインテリたちは嘆く・・・。その嘆きの中身にセンスがカタラレテいない・・・。これからの日の本が最も海外へ発信すべきテーマにもかかわらず、である。従ってこうゆう、ま、エセインテリと言われて久しいが、ほとんどのひとたちに説得されない。だからさらに嘆く悲鳴が続く・・・。
欧州だって根っこはとことん変わらない。逆に古い伝統的風景や食文化をこよなく愛している。特にビジュアルセンスはとりわけ愛している。ヤングピープル、特に男子たちは海外嫌いになりつつあるらしい・・・。しかし、海外で悪戦苦闘、七転八倒しながら、センスは磨かれることが必須だ。
これからの時代的「成人の日」とは何か、何を考えるのか。この日からセンスを考えてもらいたい。大人のセンス、カワイイセンス、ビジュアルセンス、風景のセンス、マスコミのセンス、住いのセンス、コミュニティのセンス、様々なセンスがブサイクにされてきたのは、考えることを後回しにしてきたからだ。ニュースペーパーだってコンパクトサイズにスベッシーなのに、あるいは週刊でもいいくらいなのに・・・、とか時代が文化哲学的センスをカタルニュースが最先端にもかかわらずなぜ少ないのか、なぜ小さいのか、なぜ偏っているのか等々、考える・・・。それがコンテンポラリーアートセンスを磨くとゆうセンスにつながる。以上ッ。

2015/1月上旬日曜日
京都や奈良サイトシーイング人気が高まっている。
そして、和服のリノベーション化もまた和洋折衷的ファッションとして人気が高まる気配のような・・・。
ここはひとつ提案だが、国民的大イベントとして、「和服の日」なる祝日を設えてその日一日は、リノベーション和服を気軽に着用し、「和センスモード」をアップする・・・。そのマーケティング創出イベントは関連する消費をもまた活き活きとするだろう・・・。
そのムーブメントは、いずれアジアへ和マーケ、を拡大していける・・・。
かって遥か大昔の桃山時代であるが、古田織部とゆうとてつもないひょうげもの、つまり異能アーティストがいた。三角や丸などの抽象表現的図形を駆使し、カタチもまたコンテンポラリーなセンスで大いに喝采された。もちろん当時輸入アートが盛んではあったが、そのおおらかさは、今なら最先端性だろう・・・。
しかし、閉じた島国故にその後消える運命となった・・・。もし仮に戦略的プロデューサーが存在していたら、ピカソやマティス、クレーなぞまるでお呼びでないスーパースターとして君臨していたに違いない・・・。以上ッ。

2014/12月下旬日曜日
異能ベーション、とゆう、素晴らしい政策がムーブしだした。
ま、拙者が散々しゃべってきたコンセプトがスピーディに響きだしている。
総務省の勇断といい、地方創生のあ・あコンビ政権といい、もはや待ったなし、だ。クルマだってインナーテクノは、ほとんどジャパンメイクだ、欧米車のインナーにも・・・。ただビジュアルが異能ベーションではない。スピードアップスベッシーである。アーキテクトしかり、である。ユニフォームデザインしかり、である。男ファッションしかり、である。ヤングピープルたちが「好きにならずにはいられない」ジョブにするには、ビジュアルは極めて重要ファクターである。デザイナーたちよ、腹をくくって邁進スベッシーである。アジアのために・・・。そうすれば尊敬される、日の本が。
そのアーティスティックな政策実施をサスティナビリティしていけば、未来は明るく輝く。アジアでリーダーシップを取り続けられる。
で、来年のキーワードをオツゲしておく。「ビジュアルリボリューション元年」だ。以上ッ。

2014/12月下旬木曜日
街創生再生問題、がコミュニティデザインとゆうシャレた概念で若い人たちに、特に女性たちにアピールする兆しがある。
そんな新たな学びを模索するシンポジウムが文京区の某女子大であった。ま、ひとことでしゃべるなら、センスアップ、するべしと。街を、村を。ビジュアルも人も。明治以来輸入キャッチアップしてきた、欧米化を。しかし、である。一応機能的には成功したかのようではあるが・・・。ジャパンメイクの家電プロダクツのような・・・。これを欧米ビジュアルスタイルにと・・・。
公務員たちのリーマン主義、セクト主義、セイフティ主義が、とにかく無難なデザインに着地し過ぎた。その結果、ヤングピープルたちは「そして誰もいなくなった」。生地を離れたくないくらいチャーミングな街、町、村にする。そのための学びこそGDPのサスティナビリティにつながる。その担い手たちは女性たちにして頂く・・・。ま、男たちよりセンスアップしているからだろう・・・。
そんなセンスがクルマ、軽で発揮されつつある。女性志向の軽、が前向きになりつつある。今まであまりにも「カワイクない」クルマが大手を振って跋扈していたからだ。
さらには、入試改革だ。これも想像力、独創力、提案力等々アメリカナイズされた手法になる。成功すれば将来アジアで大いなるテクノアートデザイン商売が可能な人づくりができる。さらにはスマホでアート映像作家の増産とゆう図式になりつつある。ま、模倣コンセプトは元来得意手法だが・・・。
今は、時代の大きなメタモルに差し掛かっている。
想像力、提案力こそ最大の武器になる。マスコミも毎日経済政治活動をカタル必然性はこれっぽっちもない。ペーパーもTV& R&NETもキュレーション機能を再考する時代である、と。某新聞あたりも女性ライターが書くと解りやすい、つまりコミュニティマインドに心掛けている、わけであるが・・・。
頼むよ、ホントッ。しかし、打てば響く、スピードが上がってきたよね。以上ッ。

2014/12月下旬水曜日
ピーターマックスとゆうサイケデリックイラストレーターがいた、1970年前後にパワフルな登場感が圧倒的だった。
ウッドストック、ヒッピーカルチャーが世界を席巻していた。フラワーレボリューションとゆう平和への革命的アートの輪が拡がっていた。
今またファッションアートデザインジャンルで再生されつつあるらしい。デザイナーたちは「各地でデモが拡がるムーブメントの不安定さからピースフルな雰囲気に惹かれた」と動機づけでいる。様々なジョブが、近未来的に喪失するロボットを代表するITテクノ時代に、ひまわりが明るく前向きに拡がるパワフルなセンスを発揮するのは時代の要請でもあろう・・・。
カウンターカルチャーセンスこそレジスタンスムーブメントの大いなるビヘイビアだろう・・・。若い人たちが過去のセンスとアイデンティティしながら、リノべーショナルな価値観を創造することを希望したい。以上ッ。

2014/12月中旬木曜日
Jリーグサッカーが、アジア諸国と交流を深めつつある。
選手の行き来から経営のお手伝い、さらにはジャパンの産業ビジネスを仲人したり・・・、と。まさに脱jの将来戦略である。他にも脱プロレスで細マッチョ志向が女性ファンを増加させいてるらしい。また脱男子高校生で女子高校生の制服着用実験。あるいは、脱高架下、でブサイクな暗い空間だったところをリノベーションする。多彩な多様な、脱志向思考が拡がって美術館博物館図書館役所等々がアジアへ向けて「ハブ空港化」すれば、たとえば具体的には美術館がキュレーションのみならずオークションプロデュース業務実施して脱欧米オークション化する、とか。各地の図書館で売れない作家の自作朗読会とか・・・、電子書籍システムの導入法制化とか、脱図書館する。
そんなコンセプトが、構造改革である。これこそ最先端コンセプチャルアートである。以上ッ。

2014/12月中旬日曜日
好きなコンテンポラリーアーティストである高松次郎の展示とシンポジウムに出向いた。竹橋の国立近代美術館だ。
様々なシリーズがあって、確かにタイトル通り、ミステリアスかもしれない・・・。影をテーマにして、多分深層心理を隠ぺいするかのような仕事もある。あるいは写真シリーズもあり、ポジとネガの関係を炙り出すかのような反転深層心理、すらある。それは彫刻の塑像作業で凸凹の鋳型のような・・・、ま、男と女の創造的感性を炙り出すようなイメージであろうか・・・。ポロックやセザンヌ、ワイエス、さらには花田清輝、サルトル、コリンウィルソン、ルクレジオ等々影響を多大に受けている、らしい・・・。
「芸術は、背後に<注釈>として大きい哲学性を持って成立する。」と明言している。
モンドリアンの作品もまた前後の作品との関係性の注釈によって成立する、と。パネラーの方が尊敬していてたまに飲んだ経緯をしゃべっていて、
バカマジメで誠実なキャラだったそうである・・・。以上ッ。

2014/12月上旬火曜日
暖かい師走のスタートである。
形而上学的アート、といってもピンとこない・・・。哲学的思考及び志向から遠島されたジャパンの環境だからだ。
頭が卵型の形状で図形たちがいろいろあり、黒い影もある。ま、カンタンにしゃべると、心や頭の中を深層心理的に表現したようなアート、とゆうことになる。
じゃ、抽象表現主義でもいいわけだが、たとえばピカソとか・・・。じゃ、どう違うのか・・・。もっと複雑である。心の中はそうやすやすと理解し難い・・・。最も難解なテーマである。ホドロフスキーもまた難解ではあるが、彼は構造改革、を旗印にしているから、ま、理解しやすい。
そんなコムズカシいアートがジョルジョデキリコ、だ。汐留のパナソニックミューゼアムに出向いた。晩年は、過去の作品を反復して描いた。たぶん繰り返し自問自答していたのだろう・・・。人生は素直ではない・・・。大方の画家やアーティストたちは、このような「自問自答的反復」を描かない・・・。ウォーホルがリスペクトしていたらしい・・・。ミューゼアムを出た後なんとなくモヤモヤしたものがココロとアタマに滞留しているような・・・。スッキリ感を奪還するべく待ち合わせした人形町に・・・。元大手広告代理店の親友と飲るために、だ。以上ッ。

2014/11月下旬木曜日
ITビジネス社会で、新しいマーケティング手法がドンドン開発されている。われわれの欲望が計り知れなく大きくなって、そのデータ化をベースに個々人の子細な多岐にわたる欲望がターゲットになっている。とゆうことは、われわれはほぼ個人情報を秘密にしたがるが、もはや身ぐるみ掌の中に遊ばれている可能性が強い。昔から桜田門関係用語で「泳がせてみる」とゆうようなセリフももはや遠隔操作で、すべて掌の中だ。
そんないわば閉塞とゆう概念すら察知されずに「コトは粛々と経過」していく・・・。
ITビジネス社会、SNS社会、LCCモービル社会、終身雇用崩壊社会、地方再生社会等々、今や「大きなコンセプト」なくして生活しずらいあるいは生きてゆけない時代になっている。
大都会で、アタマもココロも逡巡している多くの迷える子羊たちは、も一度整理整頓して思考及び志向する覚悟を持つベッシーであろう・・・。それこそコンテンポラリーアート志向への第一歩になる。以上ッ。

2014/11月下旬金曜日
新しいワードアートがスタートした。
テーマは、もちろん構造改革、だ。そのためにこのジョブがある、といっても過言ではない。
わが生涯をこのテーマに捧げる。その道筋が、マイウェイ、である。かってジャパンのカンパニーではこのマイウェイは禁句であった。社員旅行なんかでこの歌を歌うものなら翌日から仲間はずれになる・・・。しかし、それも一切途切れて自らの道を発明発見したものには心置きなくマイソングになる。このマイウェイを高らかに歌う日々こそ、真のヘルシーライフだ。これこそサイコーの長生きの秘訣である。以上ッ。

2014/11月下旬火曜日
アメリカが元気を取り戻しつつある。世界中にばら撒いてたマニーが戻ってきつつある。つまり景気がよいシグナルが走り出している。
「だからアメリカ」ではないが、アンディウォーホルのアートが、あのエルビスのピストル発射オーライ、の作品がだ。
約100億近い落札価格で話題になっている。
「好きにならずにはいられない」が、謳歌された模様だ。この歴史的快挙は、アート経済史にもちろん刻印されるが、資産家たちの資産が、価値を取り戻された快挙でもある。近頃不動産バブルが、また緩やかにムーブしだしているらしい・・・。
塀の中の懲りない輩たちの復権でもある。それに比べてますますヨロケジマは、構造改革から遠島されてゆく。以上ッ。

2014/11月中旬火曜日
なんと、まぁ、驚き桃の木山椒の木、あたりでしょうか。新国立競技場アートデザインの修正をめぐって、契約書がかわされてないのだろうか・・・。コンペ一等賞アートデザイナーがリメイクするとか、主催者サイドが修正する権限があるとか。
かってクルマジョブだが、原宿の某制作会社が暴れるアートデザインに固執するきらいがあるらしくて発注元の大手広告代理店から「切られた」経緯がある。「いいとかそぐわない」とかの議論の前に、ビジネスレベルでチョ。世界に向けて、アンチヘルシー経済を暴露しないように、スベッシーであ~る。リンダ困っちゃうのッ。ウキウキッ~。以上ッ。

2014/11月中旬月曜日
ニコラスカラス博士が「アイロニーなる眼識」といって辛辣な批評家、リキテンシュタインを20世紀最大のコンテンポラリーアーティストととして絶賛していた。
西麻布のgalerie estelと赤坂のmikage internationalがコラボしてプレゼンした、1971年の秋だった。パンフレットの表紙作品だが、ザリガニ、ヒトデ、マキガイ漁師の網等々、まるで古い海辺のリゾート跡地のような・・・、それは観光ポスターにしても少しも可笑しくない。
ホットドッグを描いた作品もまた広告として流通しても少しも可笑しくない。もともとスタートは広告デザイナーだった。後にアートスクールの教師になって・・・。
都の現代美術館も当時彼の作品を一億位だして購入している。当時賛否両論があった。あれから40年近くが過ぎ去って・・・、ジャパンは行政は、何をしてきたのだろうか・・・。彼から何を読み取ってきたのだろうか。
そして、オックスフォード大学の未来リポートである。以上ッ。

2014/11上旬月曜日
「青春の復習」になるが、久しぶりに改めて勇気が湧いてきた。
バレエアート、のロシアバレエリュスが某紙面から発射していた。ニジンスキー、コクトー、シャネル等していた。々・・・、そして伝説のプロデューサーディアギレフだ。当時は、ロシアアバンギャルドや欧州アブストラクトアート、あらゆる表現主義が、政治経済文化社会を牽引していたに違いない・・・。しかし、今現在、マスコミニュースは毎日経済ジャンルがひとびとの関心事である。従って大方の芸術といわれるジャンルは、多岐にわたるが、そして尚且つボリュームもまた拡張していて
右耳から左耳へ、あるいは左耳から右耳へ、自在に流れる。
だからすぐに「アーティストの名前」すら耳に残らない・・・。残す必要もないのかもしれない・・・。科学ジャンルが、政治経済ジャンルにリンクして、それこそ「構造改革しながらリノベーションする金融資本主義」が重要ファクターアートと認識されつつある。たとえば、ウォールストリート出身のジェフクーンズあたりは、アート界からすれば異邦人のようなアーティストである。
憲法で「表現の自由」が担保されているからこそ、ではある。「何でもありのアート」に生活している。
といって、日本文字を並べている文章スキルを翻訳しなければ理解不能のようなアート村にいつまでもしてていいわけがない。世界に勝てない。尊敬する木村恒久のポスターが素晴らしかった山海塾の天児牛大さんがフランスのアート作法をメッセージしている。ジャンルを超えて職人たちがアーティストたちとアイデンティティマインドを共有している。「異能主義を成長戦略の左腕にしなければ発射できない」ほど行き詰っている。
黒白つけられない大衆は、迎合主義ではあるが心の片隅では「一点突破アート」を期待している。
それにしても「アートの尊厳を社会に問う闘い」とは、胸のすく思い、だろう・・・。
確かに100年単位は、大きな節目かもしれない・・・。しかし、これからは相当スピードアップするに違いない・・・。以上ッ。

2014/11月上旬日曜日
2020オリンピックに向けて颯爽と走り出した、レンタルサイクルが、だ・・・。たとえば港区と千代田区でもいいとしよう。境界線あたりで、といってもなかなか気が付かないが・・・。課金システムとかデザインとかが、各々区別されているとゆうのだ。
まさに「行政区の縄張り」がツッパリこいているらしい・・・。しかし、マスコミが稚拙な判断をして、すぐロンドン市長のリーダーシップとナポレオン三世のパリ構造改革をコノーテイトしているが、なにもアイデンティティデザインのみがエクセレントではない・・・。
要はその区、その区で違うデザインがあってもグーグーだよ。しかし、その問題は、おのおの方のデザイン業者に「腹をくくってもらう」ことで解決白頭巾するわけ。ワンイグザンプルでゆうと、後輪の半分が隠れるカバーパーツにメッセージカラーリングがアイデンティティされてれば、とか・・・。課金システムが違ってもビジュアルアートデザインで統一感を演出するのよね。
ま、もちろんマスコミがアートデザインフィールドに前向きスタイルになりつつあることは素晴らしいが・・・。
各行政区の中に外部アートデザインアドバイザーが、つまりサイクル業者をコントロールできるコンサルがいて、そうゆう人材を雇えばヨロシ。ね、そうすれば第三の矢、どころじゃなくて四、五と、飛ぶわけでちゅ・・・。頼むよ、ホントッ。以上ッ。

2014/11月上旬土曜日
てっさ、ふく鍋、和布刈り公園、門司港レトロ、船大工、カチワリチョコ、チーズ等々思い出が憂愁の映画シーンのように海峡の急流に飲み込まれるがごとく時代が過ぎ去った・・・。今は廃校となった古城小学校、海峡を俯瞰するポジョニングが、初めての一年生ッ、だった。
そしてその地にアルドロッシの遺作デザインが違和感なく佇んでいる。この門司港ホテルといい、博多のイルパラッソといい、メンフィスアートデザインが、まるでジグソーパズルにはまったかのようにエクセレントセンスがいかんなく滲み出ている。
もちろんアレックスカーさんのゆうようにコムズカシイ違和感特急デザインの建造物もあるが、ま、それを差し引いてもおつりが十分にくる・・・。どうゆうわけか福岡北九州エリアは、イタモノアートデザインがしっくりくる。以上ッ。

2014/10月下旬木曜日
秋晴れのように晴々した気分に旨い酒が似合う・・・。
ワードアートがアップした。テーマは、偽装、とゆう近頃流行りの事象をポリティカルコンテンポラリーアートとして仕掛けた物語だ。といって偽装された収支報告書なんぞの陳腐な、つまり大昔から跋扈している事象ではない。消費経済社会の暗部に迫るような・・・。こういえばさも社会派的な物語、かのように聞こえるが、まったく違う。社会派は松本清張におまかせする。
従って拙者ならではのアートデザインに拘った物語にならざるを得ない。といってもそれはグランドアートデザインである。広義な視野になる。つまり哲学的ではある。しかし、解りやすい物語にしてある。主役の道具は、アクセサリーのビーズだ。それが拙者ならではの手法だ。ま、アマゾンでアップロードしてからのお楽しみ、とゆうことで・・・。以上ッ。

2014/10月下旬月曜日
「覚えるから考える」そんな大きなハンドル操作が入試試案としてマジに前向きに見事なドライブテクを披露しだしている。さらには改正風俗業法案が、業界から歴史的改正と喝采を浴びた。
このふたつのニュースは、近年とみにマスコミで活字化された「閉塞感」なる気分を取っ払ってくれたに違いない・・・。
この事象は、相当のコンテンポラリーアートといっても過言ではないだろう・・・。
いよいよ日の本丸が、ワールドワイドにストラテジックなプレゼンを仕掛ける大きな武器として歓迎され始めるだろう・・・。
特にアジアピープルは、チャーミングな日の本丸にソレいけドンドンと吸引される時代に来ているから・・だろう・。
「異能コンセプトメイクが霞が関で輝きだしている」証だろう・・・。
秋味が心地良いネ。以上ッ。

2014/10月下旬火曜日
電車のドア上にある映像モニターでオレオレ詐欺防止のPRメッセージが流れていた。
詐欺師演技役の名前が「マサオ」である。そして、某新聞で久しぶりに「マルヤママサオ」の名前が響いていた。
「あなたの中に古事記が住んでいます」また「いま主義」と西欧輸入と日の本がバランスよく内在している・・・、と。
日の本ピープルの四分の一くらいは、この血液型だ。しかし、西欧ピープルの四分の三くらいはこの血液型だ。
晩年まで学生や社会人の小さな集まりに参加した・・・。これはドーパミンが旺盛で西欧型の証でもある。
「コラッ、マサオッ、なんばしとっちょね。しぇからしかばいッ」
と北関東のオブチクンが博多弁で呟いた。これもまた永田町コンテンポラリーアートではある。以上ッ。

2014/10月下旬日曜日
「先の見えにくい不安な時代」とはよく使われる陳腐な言葉である。
こうゆう時代に確かなものとして自分の身体を確認しようとする、らしい。そしてその痕跡を辿ろうとする、らしい。
なぜ、「らしい」と思考するのか・・・。もはやとてつもなく発展発達したITソーシャル時代にその答えは愚問と言わざるを得ない。
あるいはまた、「忘却」なんてこれまた陳腐以外の何物でもない、テーマもまた俎上の魚のような愚である。なぜこんなに挑発的かとゆうと「クラウドコンピューティング社会」だからだ。
これからの先進国の道筋は、概ねハッキリクッキリしている。それは「構造改革をしながらリノベーションしていく金融資本主義」とゆうことになる。具体的な一例でゆうとロボット介護あたりである。あるいは無人の偵察機とかである。さらにはロボット開発が進展してロボット戦争もまた想定内ではあろう・・・。最先端科学が先の見える時代とライフスタイルを担保している。まさに身体そのものに確かな痕跡が宿る。忘却もまたあえて忘れ去ることが、見える時代、に相応しい。
従ってこのふたつのテーマでコンテンポラリーアートプレゼンそのものが、まさにあっとゆう間に「見えて尚且つ素早く忘れ去られる」とゆうことになる。
もはや「見えないものを見えるようにする」ことがコンテンポラリーアートのメッセージ哲学だったはずではあるが、
即見えて即忘れる、ことで何の問題もないわけだ。それがクラウドコンピューティングソサエティの時代であるからだ。もはや記憶することで点数が人生を決めたレベルは忘却の彼方へサラバミエミエである。
そんなところに最先端研究はお呼びでない。こんな陳腐なプレゼンを公金でいつまでも実施しているとせっかくの実績に足かせにならざるを得ない・・・。
人気が高まっている江東区にある現代美術館と横浜のアートシーンをサリゲナク観察してみて、の
辛辣なエクセレントセンスではあった。以上ッ。

2014/10月下旬金曜日
某新聞の社説らしいメッセージが力強い。商売丸出しの企業活動から、もうけるだけではない何かを求める、ムーブメントが脚光を浴びだしているらしい・・・。まさに志ある投資とゆうことになる。もちろん行政も街再生のキーワードのひとつにに電線電柱地中化を急ぐらしい。相当のコストを覚悟しなければならないが、後世の世界的遺産になること必至である。品格あるニュージャパンの栄えある輝きが日の本として取り戻せる。
そうゆうベーシックなインフラもさることながら景観ビジュアルに相応しいコンテンポラリーアートもまた遺産になりうる。格差社会がかっての中世パトロン社会以上に迫力を増している現実を鑑みると、ニューパトロネーゼの役割は重大である。まさに一点突破の醍醐味がこのテーマにある。以上ッ。

2014/10月中旬月曜日
先般、新宿のITカンパニーセミナーに出席した。
聞きなれないワードが耳に入った。リンクベイトとナチュラルリンクだ。前者は、おびき寄せる。後者は、気付き共感だ。これからの、ウェッブサイトは、検索上位にランクされるサイトは、そのようなデザイン構成されているサイトとゆうことになる。とにかく広告ばかりで商売っ気たっぷりのサイトは敬遠される。
自負するわけではないが、奏松画廊は十年前にアップロードした時にはすでにグーグルの運営哲学を予想していたわけである。まずためになる連続アート日記、そしてアマゾンストアリンクにてこれまたワードアートとゆうように奏松哲学がグーグル哲学とアナロジーしていたわけである。まさに1157エクセレント哲学以外の何物でもない。以上ッ。

2014/10月上旬金曜日
ハーベストに感謝、の時節だ。
今年も、図形意味シリーズ、ロングタイトルそのものがコンテンポラリーアートシリーズ、メッセージシリーズと三シリーズともにアップした。
アトリエの近くにあるドービル風カフェでムール貝の白ワイン蒸しともに至福の風景、つまり瞑想の風景でもあるが・・・、サビニャック、デュフィー、ココシャネル、アメリカ映画祭、海の家のスプレンディドスタイル、そして、海辺の乗馬、等々「深く洗練された豊さ」の景観、が瞼に映し出される・・・。
ニロケジマでは200万近いアーキテクトデザイナーがいる。一級、二級合わせて。さらに少ないが特急クラスもいる。しかし、腹をくくっていない。ホドロフスキーの爪の垢でも煎じてほしい・・・。特急は桃屋だけでよろしい。
国民一人当たりのGDPは世界でランキングすると20位にも入っていない。だから経済成長がインポータントだとラジコで某プロフェサーがカタッテいた。ゴモットモではあるが、経済、とゆう抽象的なメッセージもいいが、やはりドービルスタイル、とゆう見事な、もちろんヨロケジマの京都、金沢、函館小樽、神戸、長崎、旧門司、ヨコハメ等々の大正ロマンチシズム溢れるスタイルあたりを加味、和味して、さらに白洲正子スタイルも加味してリノベーションをスベッシーである。東京駅リノベが現実化できたわけだから・・・。頼むョ、ホント。以上ッ。

2014/10月上旬水曜日
下北沢に向かう井の頭線の渋谷ホームで、ある駅張りポスターが目に入った。
ウイリアムデクーニングが本邦初公開プレゼンとゆうミューゼアムニュースだ。
かって伝説のアートデザインスクールが、ノースカロライナにあった。その名は、ブラックマウンティンカレッジだ。拙者が尊敬しているジョセフアルバース、ジョンケージ、パウルクレー等々大きな影響力を発揮した。彼は抽象表現主義、非具象表現主義だ。
ヨロケジマでは、まだ始まったばかりだ。つまりようやくこの手の思想哲学が、だ。大きなメタモルな転換期でもあった。構造改革が必須にもかかわらず進展しないもどかしさが、一点突破すべきチカラ技が必要である。そのパワーこそコンテンポラリーアートなのである。
とにかくモノが家庭のなかで溢れ返っている。消費経済社会システムを煽る旧来型のシステムで四苦八苦している。たとえば女性管理職増加案件だが、ラジコの某局でコメンテイター、熟女であるが、女性たちを、経済奴隷、にしかねない・・・。なかなかスルドイ指摘ではある。
しかし、コトは始まったばかりである。紆余曲折を繰り返して、つまりデクーニングのようなアートを経過して始めて構造改革が発明発見できる。まだまだ時間がかかる。とにかくノロイのよ。以上ッ。

2014/9月下旬木曜日
国語世論調査、とゆう文化の民度を調査するデータがニュースから目に入った。
意味、のズレを指摘していたが、ちょっと気になっているおしゃべりコトバがある。映像でも居酒屋でもスナックでも・・・、ほぼあらゆるところで若者たちが使う。特に団塊の世代に対して・・・。そのコトバは、「オトウサン」「オカアサン」とゆう目上のひとに対して感謝はおろかナメたセリフだ。六十年代、七十年代とほぼ戦後のカルチャーをリードしてきたスプレンディドなジェネレーションに嫉妬している。自分たちの世代が想像力独創力発想力展開力等々プレゼンできないもどかしさがあるからだろう・・・。
拙者にそのコトバを浴びせたタワケモノたちには、すかさず「キミを育てた覚えはない。過去随所で種を蒔いてきたが拙者のクレバーな子供たちは父上殿と尊敬した敬語をしゃべる」とお返しすることにしている。
すくなくとも初対面の目上のひとには「殿ッ」なんてしゃべれる粋なジョークが欲しいものだが・・・。すると拙者が「ナニッ、トノッスですか。効きそうだね」これまた上手のジョーク返しをするのだが。以上ッ。

2014/9月下旬日曜日
サインをする。著名人ならそのシルシは、アート作品として流通する。つまりそれはマチガイナク、いや大昔は間違いだったかもしれないが・・・、ここ数十年とてつもなくビッグドルとして輝いている。
そんな大量消費経済社会の申し子のようなアンディウォーホル、そしてその原点であったマルセルデュシャン・・・。複製社会ならではの「神話的イコン」をプレゼンしてる日本郵便のギャラリーを拝見した。
アーティストたちにとってみればマイドおなじみの風景ではある。これでもか、と随所でプレゼンしてはいるが、どうしてこうもまた文脈の欠落や、解説がコムズカシイ・・・。学生時代のプロフェサーから教授されたものを丸暗記したような文章スキルが未だに跋扈している・・・。
無料のせいでもないだろうが、素人ミドルレディたちが首をかしげながらシカメツラで鑑賞していた。
その動線の残像、のほうがよりイコン的神話性を漂わせていたような・・・。
ちょうど動物の骨組がリアル展示されたルームもあり、
そんなヘタな文章スキルが妙に呼応していて古色蒼然とした乾いた空気感が漂っていた。
コミュニケーションをビジネスにしているわけだから、責任者デテコイッ、と言わざるを得ない。
ヨロケジマだから、ま、しょうがないか・・・。そんな気持ちをあとにして 某中堅アパレルメーカー社長パーティに出向いた。以上ッ。

2014/9月中旬木曜日
リーマンデザイナーたちが、少し前進しつつあるようだ。そして、そのムーブメントに呼応するがごとく経営者たちがアグレッシブな決断をしつつあるようだ。今まで補聴器は、まるでクサイモノニフタスタスルの典型だった。なるべく障害を隠すかのような肌色で目立たないカタチこそジジババたちのお気に入り、かのような錯覚デザインでマーケティングしてきた。
パナソニックのデザインは、ウェアラブルデザインとゆう、ま、ウォッチタイプスマホに刺激をうけたのかどうか・・・、知る由もないが時代のアートデザインビジュアル社会をようやくアンダスタンドしつつある仕事ぶりである。
プレゼン時に営業もデザイナーも懐に退職願を忍ばせて臨んだに違いないだろう・・・。創造的なジョブに誇り高きマインドを固持する時代が来たのだろう。脳科学的発言をするならドーパミンがセロトニンを上回った証ではないだろうか・・・。それでなくともヨロケジマピープルは、ドーパミンが極端に少ないらしい・・・。血液型AB型ピープルの多少に大いに関係しているのだろうか・・・、欧米ピープルとの差だが。以上ッ。

2014/9月上旬火曜日
「モーレツからビューティフル」とゆうコマーシャルメッセージが流行った時代があった。
しかし、今現在モーレツ経済の、つまりGDP右肩上がりのモーレツさはサスティナビリティしている。ビューティフルは、若干風景がメタモルした様子ではあるが、まだまだ整理整頓されたアートデザイン風景には程遠い・・・。
ふと書庫を整理整頓していてマリクレールとゆう雑誌を久しぶりにめくってみたが七十年代アメリカ特集があった。少しポストモダンしているショールームショップデザインが目を引くが、ベストプロダクツ社とゆう日常品販売のチェーン店があった。カタログ販売システムの会社だ。
まさにカタログサブカルチャーが蔓延した時代のシンボルだろう・・・。当時ホールアースカタログなんて雑誌なんてのもあり、スティーブジョブスも登場するが、サブカルの輸入そのものが文化していた時代だった。
アートデザインそのものがメッセージとしてパワフルに発信した時代は今のSNS文化に少なからず影響しているだろう・・・。
もはや「表現することが衣食住と同じくらい必要不可欠だ」とゆうメッセージを発信している釜ケ崎芸術大学を運営しているNPOスタッフがしゃべっている。某新聞の社説らしからぬメッセージではあるが・・・。
その七十年代は、「アートデザインと編集」の炸裂した時代でもある。
ライフスタイルが、エエカッコシーを求めてカタログをムサボル時代だった。左手にジャーナル右手にパンチ、の右脳と左脳がバランスよく発進したような時代でもあった。以上ッ。

2014/8月下旬火曜日
自らの豊かさ、に気づいてないひとたちが沢山いる。
それはとりもなおさず隠れた才能を開花させずに人生を損しているわけでもある。特に「絵がヘタ」だとゆうひとがとにかく多い。また「センスが悪い」とゆう自己卑下しているひともこれまた多くいる。
しかし、その絵とかそのセンスとかは、写実的な絵やセンスを指摘するひとたちでもある。もはや時代は圧倒的に抽象的カタチやカラーで溢れている。それは垣根を越えて「ワードアート」に越境しているのが現実だ。逆にワードもまたアートデザインに越境している。さらには音楽から演劇からダンス等々・・・、それは表現領域のすべてだ。つまり科学、医学そして政治や経済もまた越境している。
そうゆう時代に写実とか抽象とか、で創造性があるとかないとかで内向きに自己規制してはいけない。
おおくのひとたちがカラオケ文化を享受していて自信に満ちている。
抽象アートを自由に表現する自由を自信を持って獲得する訓練が全ての人たちに必要だろう。そんな考え方を某新聞の別刷りペーパーで披露しているデザインコンサル会社のゼネラルマネージャーであるトムケリーさんがアナロジーな指摘をしている。
「豊さを見つめる」とはこうゆう自己発明発見に他ならない。人口減少社会とは、もうひとりの自分を創りだす、ことだ。そうすればひとは少なくなるどころか増えもするだろう。たとえば住宅の個デザインあたりもまた内向き化する設え様子もまたリノベするトレンドに外向く様子になるだろう。そうすることで自己バランス、つまり右脳と左脳が程良く開花する時節に巡り合う・・・。以上ッ。

2014/8月中旬日曜日
スマホアプリがお盛んである。
台風の眼になりそうな勢いのひとつに「キュレーション機能」をサービスにするニュース系アプリが、資金調達を活性化しつつあるらしい。このキュレーションとゆうワードはもちろんキュレターとしてアートミューゼアム業界では、人気の職種である。
自らの独自発想力、アートデザイン哲学力で作品傾向を再編集する。ジャーナリズムの膨大な情報を、たとえば、変革とゆうキーワードでピックアップした情報を再編集する。まさにコンテンポラリーアートの手法だ。コラージュとかアッサンブラージュとかをさらに進めて、
コノーテーションアートをプレゼンするアプリだろうか・・・。
今まで「見えてこなかったものを見えるようなシカケをする」ことで新たなインタレストや需要創出が喚起される。
となればコンテンポラリーアートもまた再刺激されて活性化されるだろう・・・。以上ッ。

2014/8月上旬木曜日
アーキテクトデザイナーたちの先導役をコンテンポラリーアーティストがプレゼンするとゆう世界の常識をこの「小」さな「説」得でも描いた。
それはハッキリキッパリと明快なメッセージアートをプレゼンすることに他ならないからだ。「黙っている」表情に見える曖昧模糊としたメッセージのようなワードは、ヨロケジマは、内向性キャラをさらに増幅するのみだろう。捨て去られたものは、それだけの価値しかないものである。また、時代は、プレゼンされたアートの目線よりは対峙する読者、観賞たちが解釈する時代だ。延々とサスティナビリティしてきたアート村社会の終焉をあえて解説パネルやプロデューサー解釈する時代ではない。
具体的アートの役割、は何なのか。魅力あるひとづくり、魅力ある街づくりにつきる。各地の役所は、これからトータルなリノベーショナルな物語、をプレゼンできるコンテンポラリーアーティストが、危機管理人、として相応しいのだろう・・・。以上ッ。

2014/8月上旬金曜日
「怖いですね~、怖いですね~」とかっての名調子で解説した淀川長治さんのことばが聞こえそうな・・・。
チャータースクール、とゆう聞きなれないワードが飛び込んできた。ジャーナリストの堤未果さんとゆうアメリカ在住のジャーナリストだが、その著書、ま、タイトルがスゴイよね、株式会社貧困大国アメリカ、なる中で登場するワードだ。数年前にヨロケジマのエッセイスト賞をとった著書だから周知されてはいるのだろうが・・・。
全米の自治体90%は、五年以内に破たんすると伝え、銀行や投資家たちが自治体を経営する未来がすぐそこまできている・・・、と。教育もまた公立が閉鎖され、NYのモザイカエデュケーション社が運営受注している。すでにシンガポールに支社がある・・・、と。
格差社会、がキュウピッチで進行している様は、データすらもディストートしている。たとえば、コールセンタージョブにプア層が殺到しているらしい。ホワイトハウスが発信する、失業率の回復は底辺ジョブが増加、とゆう意味をまとう。
あらゆる公共サービスが、株式会社化、される。つまり政治がバニシングポイントになって経済全盛化が吹き荒れる。資本主義の終焉を謳ってるような牧歌的スピードではない。予算削減、競争導入、規制緩和、民営化とゆうキーワードのもと約15年で公立学校生徒数が半減するらしい・・・。
そして、これもまた聞きなれないワードジョブだが、危機管理人、なる必殺仕事人だ。これからの人気ジョブになるらしい・・・。コミュニティを回復できそうな権力付与されたパースンだ。もちろんそのジョブのなかには景観創生も含まれるわけだが・・・。以上ッ。

2014/7月下旬火曜日
ヨロケジマには、いろいろな業界団体があるが、そのひとつであるJAGDAとゆうグラフィックデザインの組織がある。そのシンポジウムがギロッポンミッドタウンであった。テーマは、「ネット以降のGデザイン」とゆうことだったが、コンテンポラリーアートデザインの現在とゆう位置づけのようなプレゼンだった。
たとえば、doun licardのグーグル検索からのフォトをコノーテイトもしくはアプリシエイトしたりしてネットの中で完結する、とゆうプレゼンスタイルやjastin kempのコトバを検索する行為から存在しないフォトやコトバを追加するアート。あるいは、サイトスペシフィックアートではあるが、
joshua cilarellaの森の中で作品をプレゼンしたものをビデオ化して、その後作品を燃やして後片もないようにするシワザ。
一見先端性が見えるようなアートではあるが、概念つまりコンセプチュアル性においては目新しさはない。ネットとゆうメディアが拡張しただけでそれはそれとして評価できるが・・・。
パネラーの方も枝葉末節なテクノらしき説明になってしまい、時代の意味や変革の説明がない・・・。できるインテリジェンスやエクセレントセンスが欠けているのかもしれないが・・・。ま、プロデュースした事務方の稚拙さが露見したようなシンポだった。これでは黒船アート紹介にはならない・・・。以上ッ。

2014/7月下旬水曜日
久しぶりにロランバルトの名前が踊っていた、某新聞で。
「青春の復習」になるが、アートデザインスクールの図形意味ゼミで、レジュメをテキストとして小野雄一プロフェサーにバルトのセンスや理論をご指導頂いた。当時流行りではあったが、その記号的アートデザイン性や多様なジャンルへの拡がりを学習したことは今でも深く記憶にある・・・。その記事でコラムを披露しているライターもまた、社会の中であらゆる事象が「意味」を創作している、と述べている。たとえばファッションしかり、広告しかり、商品デザインしかり、と・・・。
コンテンポラリーアートの仕事は、まさにその意味を問うことにつきる。「見えないものを見えるようにする」ことだろう。それはミニスカートの見えそうにないものを見えるような錯覚をすることではない。たとえば、リーマンたちの無味乾燥な味気ないセビロファッションは、ゲボクモードとゆう意味をまとう・・・。ブサイクな景観は、まだ二流国家のモードを表象している。以上ッ。

2014/7月下旬木曜日
三年前の「アートフォーラム」雑誌に広告掲載されているMcAFFREY FINE ARTとゆうギャラリーでのプレゼンに高松次郎の海辺のストーンにナンバリングしている作品がある。その高松もすでに亡くなった。そして、河原温が亡くなった。おおくのひとたちは仕事、それも反復するような仕事に日々追われている。
しかし、哲学的に印字するように描くことに喜びを見出す仕事でアイデアを吐露したアーティストだった。その作品を観賞するひとたちにとってその日がいろいろ思いだされるきっかけになるのかもしれない・・・。その日に子供が誕生したり死亡したり・・・。
デュシャンの便器がプレゼンされて、アートが、上から目線、の視線を下げた。それ以来「誰でもアーティスト」の時代が延々とサスティナビリティしている。たとえば書店本屋大賞のような、もはや審査するのは民主的観賞者や読者たちだ。そんな作品を先取りしていたようなセンス、アイデアでもある。天国でも日記を印字する日々が続くのだろう・・・。それとも天国時間は下界とはいささか違うのだろうか。
こころしてこころよりご冥福をお祈りいたします。以上ッ。

2014/7月中旬水曜日
ブラジルの某スポーツ新聞のトップ面を白紙で飾った。まさにコンテンポラリーアートセンスが炸裂した。期せずして・・・。
ミニマルアートそのものだ。「何も足さない何も引かない」とゆうメッセージが久しぶり拝見された。
そんなさ中に真夏日を押して銀座シャネルホールギャラリーでフォト、映像、ワードアート等々メディアは違えどジュリアンレビィとゆう女性フランス人だが、拝見した。ビデオでモデルをムーブしていた女優は水原希子さんとゆう方だ。
フランス人らしい哲学的メッセージに溢れたプレゼンだった。
その足で初台にあるNTTのギャラリー二件を拝見。久しぶりにジョンケージの名前があった。ただ残念なことに音楽家として解説されていたが・・・。「4分33秒」とゆう伝説のピアノコンサート、そして究極のミニマルアートが、音楽史上のイベントとして語られていた。ミニマルアートの基本解説批評を誤解するとコミュニケーションはますます遠のく・・・。通信会社らしからぬシワザとゆうとゆう他ないだろう。
いろんなアーティストたちのプレゼンがあったが何かこころに響くことがなかった・・・。さらには「絵画の在りか」とゆうテーマでいろんなアーティストたちが、特に抽象表現作品だが、プレゼンされていた。小学生たちが鑑賞授業に参加していたが、赤い体育帽が動きまわる様子がなんともビデオ的コンテンポラリーアートしていて、それだけがいちばんの作品だったような気がした・・・。真夏日とはいえ一般鑑賞者のまばらな空気感がこの業界のお寒い未来をビデオしていたような・・・。それにしても相変わらずパネルボードの解説がヘタである。あんな文章スキルだとあまりの距離感におののく・・・。以上ッ。

2014/7月中旬日曜日
波聞風聞、とゆう某新聞のコラムがある。編集委員の多賀谷克彦さんとゆうジャーナリストのリポートだ。
アートデザインの価値格差、が欧米とは雲泥の差がある。たとえばクルマメーカーあたりではバイスプレジデントクラスだ。ま、それはおいといて、コンシューマー目線がテクノやスキルあたりだけを嗜好しているわけではない、エクセレントな嗜好センス目線が増えてきた消費者たち・・・。うんぬん・・・、とノベテイルが・・・。
かって70年代からヨロケジマメーカーでは、多品種少量生産なるテーマが流行っていた。そして、マスマーケティング手法が逆に勢いづく時代になっていったわけだが・・・。そのころからガイシャブームがあったわけだが・・・。フトコロに手が届くプライスになった今、そのビジュアル視線はアタリマエノクラッカーだろう。デザイン部門のトップは、自分意思やスタイルで経営陣と戦う姿勢が必要だ、とノベテイル。なんなら拙者が加勢しに参上シマスヨ。
ホドロフスキーの言葉を借りるまでもなく「アートデザインとは変革のためにある」とゆうことですよ。宮本武蔵は関ヶ原の戦さに破れた豊臣軍だったが、徳川の時代になってそうとう苦労したらしい。彼の一生はリクルートの一生でもある。晩年細川家にやっかいになるが、そこで哲学書を描く。五輪の書、はアートデザインの哲学でもある。
このコラムの趣旨が波紋を拡大して、大いなる成長戦略の矢になることをイノッテイマスよ・・・。以上ッ。

2014/7月中旬金曜日
ワールドサッカーをまったくつまらないものにしてくれた。まさに視野狭窄から視野凶作になってしまった。
このレベルを拡大して、労働者一人当たりの生産性、を比較したデータがある。週刊ダイヤモンドのオンラインで某プロフェサーが嘆いている。一人あたりのGDPがオランダ№ワン、続いてドイツが二番目、そしてヨロケジマが最下位らしい。オランダはアグリカルチャージャンルだってアメリカについで2番だ。IT管理で、もはやアグリビジネスではない。正規と非正規労働者だって同一時間内では同一賃金だ。先般、某新聞の金融欄コラムでヨロケジマの全企業の内部留保が三百兆円あるらしい、と嘆いていた。
もともとホワイトリーマンの生産性が低い、ことはたびたび指摘されていた。実際新橋あたりをプラプラしていて安酒場でクダを巻いているヤカラたちが殊の外多い・・・。しかし、それを解っていて手を打たない霞が関の高級役人たちがいる。なぜなら格差をサスティナビリティしていた手法こそキャツラが、ビルの照明を夜中まで照らすことで仕事格差三昧を享受できる暗黙のシステムが延々と続いている。
そんな程度と嘆くなかれ。アジアはODAなんかを仔細に調査すればまたぞろ役人天国なのだ。そこにグルコネ営業主義がはびこって、まるでアタリマエダノクラッカーとばかりにお祭りしている。
もちろんそんなヨロケジマカンパニーのビシネスリーマンたちの奥様がいるわけだ。そしてママたちはご子息、ご令嬢たちをセッセと未来の役人天国へ送り込もうと企んでいるわけだ。
もちろんフランスのパリだってガンジガラメの格差社会ではあるが、センスがグーグーだからヘイソクなんてでないような・・・。
いいですかッ、まずはビジュアルの風景、をメタモルしましょうョ。それからです、たとえばフトコロの風景、システムの風景なんかあたりのことですが・・・。以上ッ。

2014/7月上旬日曜日
真からリスペクトすべき鉄人といおうか、哲人というべきだ。「百二十歳まで戦い続ける」と豪語するアーティストがいる。
ホドロフスキー監督の、映画とは変革のためにある、とゆうメッセージが力強い勇気を与えてくれる。
先般、電子書籍フェアに招待されて、アーティストブースを拝見した。多彩なアーティストたちがひしめき合って孤軍奮闘している風景を眺めていると、つくづく彼らが「自分の道を発見」したのだろうか、とかわいそうな気持ちすら湧いてくる・・・。以上ッ。

2014/6月下旬火曜日
素晴らしく気持ちのいい、梅雨時ではあるが朝から耳に響いた。
ラジコの某民放局からのニュースだ。いよいよ電線地中化に法制化して乗り出すらしい。地中化率32%くらいらしい。全国で3500万本も乱立しているとゆう。もちろんワールドワイドで見ると先進都市からするとまるで病としかいいようのない景観だ。それにしてもウマイ表現だ。
「蜘蛛の巣もどきの電線病」と発信したアートセンスはサスガだ。成長戦略が梅雨空を大いに晴らす仕事ぶりだろう。
打てば響く「あ・あコンビ政権」のセンスとパワーに乾杯だ。マイナスピープルたちよ、コソクピープルたちよ、足を引っ張るようなことを断じてすべきではない。以上ッ。

2014/6月上旬木曜日
経済的規制を緩くして社会的規制特に景観規制を厳しくする、
このメッセージは相当以前から叫ばれていたわけだが、ようやくそのきざしが見えつつある。新宿区にあるパリ風のオープンカフェ通りを都内のいたるところで展開する。そのリーダーシップを発揮されるとのこと。さすがインターナショナルなインテリジェンスが満ち溢れた舛添都知事ならではの勇断だ。これを契機にセンス溢れるチャーミングなタウンビジュアルアートデザインが発揮されることが望ましい・・・。
これをスタートに看板規制、サイクル関連規制、標識標示規制、ブサイクな店舗規制等々、その道のりはいささか遠い・・・。
そして多くのインターナショナルピープルがこのヨロケジマに住み着きたい魅力が溢れれば、これまた新しい経済成長戦略が描けることになるわけだ。多彩な特区構想が、これからのサスティナビリティとしての豊かさに貢献してくれるに違いない・・・。以上ッ。

2014/6月上旬火曜日
フィルムコミッションとゆう映画のロケ地として最適な候補を誘致するシステムが盛んになりつつある。
かってはNYのトレンドピーアールを加速するために有名になった経緯がある。
で、最近ヨロケジマの各地でも、盛んになりつつある。地方自治体の税収もさることながら衝撃的な自治体消滅かのようなデータが発表されたからでもないが・・・。
しかし、監督は得てしてその地そのものよりは、その映像から表現される文脈的絵作りに固執するためにその地その場所その風景たちを借りてくるに過ぎない・・・。それゆえかどうかは計り知れないが、あまり観光客は増えていないらしい。
そうゆう意味からしても映像的ランドスケープが、そろそろおシャレな、モダンなと言い換えてもいいが、そんな景観を自治体に対して積極的なプランできうるアートデザインコンサルやプロデューサーが待たれる時代なのだが・・・。もちろん昭和レトロ風景も大切だが、いつまでも観念的レベルの映像から脱却するような風景とゆうよりはランドスケープを用意したいものだ。以上ッ。

2014/5月下旬木曜日
素晴らしいJ-POPグループがいる。
その名は、ジャニーズウエスト。流行るきざしが青空に映える。その流行り歌は、「ええじゃないか」。
今年の各地で真夏の盆踊りは、このダンシングで一番乗りだろう・・・。
このムーブメントがサスティナビリティすることで「第三の矢」とともにセットで成長することが望ましいだろう・・・。
それにしてもアイノテがいいねッ。「まだいける、まだいける~」。
以上ッ。

2014/5月下旬日曜日
哲学者ジルドゥルーズが映画論でプレゼンした概念を引用した作品を、イギリスのリアムギリックとゆうアーティストがプレゼンしている。
ワードアートではあるが、そのフレーズは「any-space-whatever」、つまり任意空間とゆう意味だ。1964N生まれのそこそこ若いアーティストにもかかわらず、その手法は従来のコンテンポラリーアート線上の仕事だ。少々抽象的ではあるが・・・。
しかし、この手のプレセンが増加すれば多くのピープルが何かしらの発想力を持つきっかけになるだろう・・・。
それに較べてベトナム生まれのヤンヴォーのプレゼンは、かってのベトナム戦争にこだわるケネディ大統領の遺品やジャクリーンケネディの書簡等々・・・、極めて具体的プレゼンだ。もちろんこれも引用アートだが、出生時代のアイデンティティアートだろう・・・。
ともに初台の東京オペラシティギャラリーでの「幸せはぼくを見つけてくれるかな?」とゆうタイトルのコンテンポラリーアート展示だ。岡山の石川コレクションからの出品だ。
タイトルの逆説的希望は、「自分の道を発明する」手助けをしてくれそうなアートへの友情なのだろう・・・。「アートが好き、ひとが好き」そんなコンポラダンシングがブームになって欲しいのだが・・・。以上ッ。

2014/5月上旬金曜日
青春を豊かにしてくれたシアターがあった。新宿のATGと蠍座だ。
その支配人プロデューサーだった葛井欣士郎さんが亡くなった。時代に抗う反骨が、センシティブファンや映画人たちにペネトレートしていたに違いない・・・。こころよりこころからご冥福をお祈りいたします。
問題提起や既存への反発、がパリのコンサバファッションフィールドを刺激しているふたりが某新聞から目に入った。ウミットベナンとイーキンインとゆうデザイナーだ。なんとも勢いの鋭いクールピープルだ。ま、メッセージファッションデザイナーが心地よいニュースだ。
そしてこの六月マイケルフィンドラーさんが目白で講演する。かってヨゼフボイスをアメリカにプロデュースした方だ。また最近ではベーコン作品を百数十億でプロデュースした方でもある。このような辣腕アートプロデューサーがこのヨロケジマにはいない・・・。以上ッ。

2014/4月下旬日曜日
「ポンチかわいやねんねしな」とからかったときからはるか永い眠りについていた、書庫で。
久しぶりにメルロポンティの名前が某新聞でみうけられた。当時その両義性哲学はアメリカに輸入されて、アートジャンルは大きくはばたく。そのジャンルはコンセプチャルアートだった。そのなかのひとりにジョセフコスースがいた。この日記でも過去に描いたが・・・。
それから数十年近く経過したが、なにせ元がフランス哲学故にコムズカシイ・・・。しかし、ポンチさんの風貌はジャンポールベルモント似の、少々ヒョウキンさが漂う。そのあたりが輸入先で、ま、ウケタのかもしれない。「勝手にしやがれ」とコンテンポラリーアートたちは暴れたのだろう・・・。以上ッ。

2014/4月下旬金曜日
「ここで二枚の写真を撮らせてくれたら、数千語の言葉より多くのことを表現できるのに・・・」とうそぶいたロバートキャパの展示が恵比寿の都の写真美術館で賑わっている。
それから数十年が経過して映像、言葉、カラー、カタチ、テクスチャー等々溢れんばかりの盛況だ。あらゆる表現者たちがわれ先にプレゼンテイションしている様は、爛熟金融資本主義よりもソーラン節を乱舞している様子だろう・・・。
それに較べてまだ発展途上国のドミニカのホルヘビネタとゆうアーティストの遠い「アラブの春」をパッショネイトな反逆センスのアイロニーすら漂わせるヒョウキンアートは、少女の悲しさを通り越して壁に同化するよりは頭突きするかのようなシンプルな過激さが表現されて、見るものをも笑みすら誘う。門仲の現代美術館だ。スペイン語圏は概ね失業率は二十五歳以下だと五十パーセントくらいだろう。このヨロケジマがかっての黄金ジパングに輝き、アートで出稼ぎするに相応しいとおもっているに違いない・・・。
しかし、GDP過信より社会進歩指標なる最先端経済学をプレゼンするハーバードプロフェサーであるマイケルポーターさんがメッセージしている。「社会進歩指標は、私たちの社会がヘルシーか、世界における私たちの競争力がヘルシーかが問われている」と、NYタイムズのコラムニストである二度ピュリツアー賞を受賞したニコラスクリストフさんがリポートしている。
「アラブの春」の国は、機会の項目で低スコアとなる未解決の課題を長年抱えているが、実力を遙かに凌駕している国もある。たとえばフィリピン、ジャマイカ、ガーナ、ウクライナ、モンゴル等々である。
久しぶりに拙者とアナロジーするメッセージが某新聞コラムから、弾む春を届けてくれた。以上ッ。

2014/4月中旬木曜日
生きた松をつくってほしい、とゆうトヨタの豊田章男社長のコンセプトは、ただ形をまねるだけではダメだ。
奇跡の一本松、のレプリカをオールジャパンテクノロジーの粋を集結したモニュメントを創造した。
「鉄」のサイトスペシフィックアートとゆうべき再現だ。この陸前高田では、「いつまでアートか」とゆうリチャードセラのサイトスペシフィックシーンはないが、テクノロジーの結集アートとして「いつまでもアート」になるだろう。
某新聞のまさに深い話、としての記事が素晴らしい。以上ッ。

2014/3月下旬木曜日
「海外で建築を仕事にする」とゆうペーパーがある。
いろんな場所で悪戦苦闘する若きデザイナーたちのリポートである。オランダのマーストリヒトとゆうベルギーに近いところで修行した梅原悟とゆう青年だが、そのなかでオランダでは建築法規条例とは別に「美観委員会」とゆう組織が行政に設置されているらしい。メンバーは、あらゆるジャンルの専門委員で、法を超えて議論されるらしい。法に従っていても建築されないケース、法では立てられないものでも「確固たる理念アートデザイン」をもって申請すれば可能になる。マースリヒトの美観委員会は特にコンサバらしいとのことだが、コンテンポラリーアートデザインには理解を示した。とのリポートがありとても素晴らしいマインドてはなかろうか。
もはやそれはマインドではかたずけられないほどの「アートデザイン哲学」が国民性としてそなわっているとゆう証でもある。
最近もまた世界の常識とヨロケジマの非常識なるマイドの話題でマスコミが賑わっているが、たとえば引用つまりコノーテイションからアプロプリエーション、つまり盗用であるが、そんなコンテンポラリーアートジャンルでは当たり前の手法になっている世界が常識である。
しかし、このアジアの猫の額ほどのヨロケジマではよってたかって足を引っ張るような構図になって大騒ぎする。
スティーブジョブスもコンテンポラリーアーティストでもある。と以前この日記でもしゃべったが、このヤングレディサイエンティストもまたコンテンポラリーアーティストとしての一面を持ち合わせているわけだから、世界常識に照らし合わせて目利きするような度量もまたふところの深さをワールドワイドに発信する時代ではなかろうか・・・。そうしないとまたヤングサイエンティトたちがヨロケジマにいたら萎縮するからまたぞろ海外に逃げてゆくスタイルが促進されかねないだろう・・・。うがった見方をすればそれもまた海外にゆくヤングたちが減っているらしいデータを逆転する弾みになるのかもしれないが・・・。以上ッ。

2014/3月中旬火曜日
彼岸もそろそろかとゆう時節だが、まだまだなんとも寒い。
そんな折に某新聞に素晴しい前向きなリポートがあった。合田禄とゆうライターのリポートによるとサッシを木材にすると断熱性能を大幅にアップできるらしい・・・。熱伝導率がアルミに比べて大幅に低いとのことだ。北欧では主流とのこと。もちろん寒い国だからより実績を大切にした住宅設備なんだろう。機能性もさることながらビジュアルで大いにセンスアップしている。
話はちょっとそれるが海外街ウワッツラリポートがオサカンではあるが、
そろそろデテールにこだわったビジュアルリポートが欲しいものだが・・・。ま、このヨロケジマではやっとこさ先般、老朽化した公団アパが北欧のインテリアメーカーイケアと提携して「インテリア構造改革」に乗り出したばかりだが・・・。ま、これだけでも一歩前進には違いない。
なにせ「構造改革」を「謀反」なんてマイナスコトバでラファエロ前派展覧会の批評を吐露する某新聞の一面コラムライターもまた
遠慮なく発信させてもらうなら「インテリ構造改革」をすベッシーではないだろうか。イヤッ、すんずれいいたしました。以上ッ。

2014/3月上旬日曜日
どうしていつまでも「ライト&レフト」とゆう二律背反的テーマとゆうか思想哲学でガンコジャーナルするのでしょうか。
なんでそんなに女性雑誌を熟読しないのでしょうか。広告全ページはオサカンですが・・・。
どうしてハラジュク竹下界隈とかオモテサンドウとかアオヤマドオリとか・・・、もちろんアザブ界隈あたりまで、サイキンあたりではトラノモンあたりがフレッシュするらしいとか、そんなセンスがなぜ発揮できないのでしょうか。
もはやトータルアイデンティティなんて騒いだ宴から歳月は過ぎ去り、ヤッパー、分離分岐点は、センスがイイカorワルイカにキマリツツあるんじゃないでしょうか。
もちろんユーロよりかロシアよりとか宗教的とか民族的センス以外に深いプロブレムがペネトレートしているケースは判断が複雑ですが・・・。しかし、大方のヨロケジマのプロブレムあたりは、バランスセンスが欠如しているとかのテーマで処理するベシではないでしょうか。
モンダイは傘がナイ、のようなレベルじゃないでしょうか。つまりLOVEなんですよね。
表現の自由問題あたりもイノベーションあたりも・・・。サンフラン成田関空あたりから埋まらないシートをすべてタダにするようなオープンシステムに「愛の経済規制」が不足していると・・・。大阪市の特別顧問である校條浩さんが黒船から怒っているのです。もちろん役所系の産学連携推進NPOの妹尾堅一郎さんだってドンカン経営者たちが多すぎる、と嘆いていまする。
いよいよフナッシーのようなユルユル時代を宣伝するタワケをシカル築地レンガ色発「ベッシー」の登場でしょうか・・・。

2014/2月下旬水曜日
前衛回顧展が盛んではある。
その中で工藤哲巳が意図したのは観客を挑発することである。グロテスクなオブジェをプレゼンすることでアートの文脈歴史をも素通りして
政治経済文化歴史すら射程に入れての挑発かもしれない・・・。竹橋の近代美術館ならではの、近代そのものを意味する問いだろう。それのプレゼンとアナロジーするプレゼンが都美術館で問題になっている。
ネットワールドワイド社会が大いに発展挑発する時代にアナログ的閉じた空間プレゼンでの話だが、今やアラブの春のようにあらゆる閉鎖的国家で民主主義へのオープンシステムがプレゼンされる時代だ。いささかアナクロ的後進プレゼンではあるが、あえて閉じた空間での政治的プレゼン効果を計ると薄いかと思われるのだが…。
で、話は変わるが、都美術のプレゼンアーティストは、はたして「嫌われる勇気」の持ち主だろうか。とてもじゃないが、何か「ズレコミ」してるようなセンスに今時のテレビコミカルタレントとアナロジーするオキラクさが感じられる・・・。以上ッ。

2014/2月中旬土曜日
またまた大雪で首都圏エリアが泣いた。
しかし、横殴りの大雪が跋扈しているカンバンや電信柱たちを痛めつけてくれた。すっかり雪吹雪で隠れたソレラたちはさぞや悲しかったに違いない・・・。
で、話は変わるが、十代が世界に挑戦して輝いた。
同世代の少年少女たちもそれにつられてエネルギーを発信できるといいのだが・・・。
それにはまず「自分の道」を発明することである。それが早急に発見できれば、ヘタな学校なんかにいかずすぐさま中退して海外ロードへ旅立つことが、サクセスロードに繋がる。とにかく自らを窮地に落とし込む、ことで、古い言葉で申し訳ないが、根性がつく。案外バカにしたものではない。豊かさに塗れたこの時代、このワードこそ希少価値になる。以上ッ。

2014/1月下旬金曜日
先入観や常識にとらわれない、そんなキャラと研究魂が大きくニュースとして飛び込んできた。
まさに異能元年に相応しい出来事だ。
かって美術館へ便器そのものをプレゼンテイションして、美術歴史そのものを愚弄するかのようなマルセルデュシャンに呼応するコンテンポラリーアーティスティックな世紀の発見に違いない。
ITリボリューションがライフスタイルやジョブスタイルそのものをメタモルしつつある時代に、仕事とは・・・、自己実現とは・・・、そして幸せとは・・・、生きるとは・・・、そんな大きな哲学を改めて解答できうる状況にきている。
45年前の某大学入試中止事件、が脳裏をよぎる。そんな哲学的問いをいくつかの少年たちの頭は想像したに違いない・・・。以上ッ。

2014/1月下旬土曜日
昨年は、食品偽装で世間が賑わった。
偽装とゆうテーマでニュース記事を「アート化」するアーティストがイギリスにいた。プライベートユートピア展とゆう、ブリティッシュアーティストのライアンガンダーとゆう作家だ。新聞記事そのものを偽装創作するシカケそのものがなんとも辛辣でシニカルだが、そんな劇場型のライフスタイルにすっかり塗れた多くの人々は、もはや偽装すら許されない窮屈な人生に半径五メートルくらいの交信しか残されていないような時世かもしれない・・・。
ちなみにイギリス社会は、階層がはっきりしているらしくて、たとえば初対面で「どこにお住まいですか」と住むエリアで階層が発信されるようなお国柄らしいが、そんな窮屈さを暴露する批評的アートといっても過言ではないだろう・・・。以上ッ。

2014/1月上旬金曜日
「描きぞめ」とマジスカッ、してみますか。
で、いよいよ異能元年、でしょうか。
もちろん人工知能、も射程にいれての話ですが・・・。
パナソニックもまた異能を積極採用するとのニュースが踊っていましたね。もちろん今まで通り総合力パワーも必要ですが、
やっと「風狂の徒」が爬虫類のごとく暴れる日が遠からずくるのだろう・・。コンビニもまた得意技に帰る日がくるのだろう。
教育ジャンルだって「自分なんかいなくても誰も悲しまん」なんてひねた生徒たちが、いなくてはにっちもさっちもたちゆかん時代がそこまで来ている。そして、アンチ世界常識に突き進む地域がチャイナにあるらしい。「走婚」とゆう風習が根付いているとこの話が某新聞に・・・。
もはやおとこたちは解放されて自由奔放に生活拠点を築く必要にせまられることもなく夜に三本足で大活躍するらしい。
いよいよヨロケジマがシャキーンと中折れ状態から再生復活ののろしを上げる日が近いような・・・。
それにしてもキンドルストアで拙著のレイアウトが反復している様は、コンセプチュアルアートののろしかもネ。以上ッ。

2013/12月下旬木曜日
都内で初雪が落ちるかもしれない予報の中で久しぶりに門仲の現代美術館に出向いた。
「うさぎスマッシュ展」とゆうタイトルのプレゼンだ。尊敬する木村恒久の出品がある。それよりアレンギンズバーグのプレゼンに革命的時節の風向きを感じ行ったのはセイムジェネの方だけだろう・・・。ヤングの女性が見入っていたが、ギンズバーグを知らない、とゆう。
政治やメディアのほぼ風化しつつある偽装的、からかい的プレゼンの現状からするとまさに真摯な時節がふと拙者のこころの片隅に落ちたような気がした。
見入っていたヤングもまた程よい距離感の中で爽風にすら感じていた様子が、このプレゼンそのものすらもアートデザインファッション的のような時間が漂っていた・・・。以上ッ。

2013/12月下旬水曜日
アメリカのカネ持ちヤッピーたちは、クールに拘る。
そのためにライフスタイルのあらゆる局面でクールに見せる、見られるためにコンテンポラリーアートを購入する。オペラを見にゆくのはその場にいることを世間に見てもらうためだ。
そうゆうビシネス&ライフスタイルが定着している。
たとえば、ポールゲティ、ライスワレス、メロン、ビュー、マッカーサー、フォード、カーネギー、ロックフェラー等々数え上げればきりがないが、財団法人の資産は4000億ドルに上るらしい。そんな哲学的リポートをタイラーコーエンとゆう研究者が「アメリカはアートをどのようにして支援してきたか」とゆうペーパーでカタッテイル。
このヨロケジマの中で読めば読むほど虚しさが込み上げてくる。
クリスマス&お正月ギフトは、コンテンポラリーアートにしてみては如何だろうか・・・。以上ッ。

2013/12月中旬木曜日
目覚ましい躍進である。ミのある年になったパツキン青年のACミラン移籍をこころからお祝いしたい。
いよいよスポーツプレーヤーからアーティストになりつつある本田選手の道筋を目から離せない・・・。
それに較べるのはいささか可哀想な気もするが、銀一の某コンテンポラリーアートギャラリーでのプレゼンだ。アーティストは、電子音楽家だそうだ。ま、自らの作曲したコンピーター図形をコンパクトにプレゼンしていることはノープロではあるが、七十年代には盛んにプレゼンされた、たとえば半導体のレイアウト図形なんぞもそうだが、もはや今となってはチンプ以外の何物でもない・・・。
このギャラリープロデュサーのメキキは雲散霧消している。以上ッ。

2013/12月上旬日曜日
忘年会の時節である。
ミのある年になったひともミのならなかったひとも、秋元順子の「哀愁のノクターン」とゆう新曲を歌いながら煙に巻く時節をこれから何年か先にかみしみて口ずさむ哀しさが襲うかもしれない・・・。
特定秘密保護法が歌詞に呼応するがごとく浸みる。
無人の宅急便がバードのさえずりとともに舞い降りてあらゆる盗聴生活が当たり前になる日が近いのだろう・・・。
久しぶりの注目すべきコンテンポラリーアートであり、メロディー付きのワードアートだ。
観光立国へのスピートアップもまたスパイ天国へのスピートアップに呼応して「②○②○エコノミクス」が、ニコニコエコノミクスに変貌するのだろうか・・・。以上ッ。

2013/11月下旬水曜日
「反復」とゆうコンセプチュアルアートジャンルでのキーワードがある。
あらゆる政治経済文化活動の陳腐な繰り返しに活を入れる、批評的手法である。
そんな手法を代々木上原にあるspace8とゆうコンテンポラリーギャラリーで拝見した。プレゼンしたのはバレンシアのアーティスト三人だ。
パウルクレーを尊敬するオリバージョンソンがクレーの「芸術とは見えるもの複製することではない。見えないものを見えるようにすることだ」とゆうメッセージを引用している。まさに特定秘密保護法に呼応するような表現かもしれない・・・。
で、話は変わるがキャロラインケネディ大使の赴任に大喝采を送りたい。これからの未来に輝かしいキーワードカンパニーになれるように応援して頂く・・・、アジアの中で。そんな幕開けを感じて・・・。
もひとつの幕開けは、オランダ、ベルギーと互角に渡り合ったサッカージャパンだ。ユニフォームデザインがメタモルして効果てきめんだ。いよいよアーティストたちの来年が輝くスタイルで世界発信してもらいたいものである。
素晴らしいコンテンポラリーアートといっても過言ではない。以上ッ。

2013/11月中旬金曜日
性的自己実現とゆう女性なら妊娠出産して母になる。そんなごく当たり前の生き方が変わりつつあるらしい・・・。面倒な恋愛や結婚にはこだわらず精子バンクで精子をもらってシングルマザーになる。そんな女性たちが増える・・・。社会システムが北欧タイプに一向にメタモルしない。つまり構造改革が進まない。
言い換えればヘルシー政治経済に程遠い・・・。
そんな提言を某新聞で嘆いている小倉千加子とゆう心理学者がいる。どんなヤングイケメンリーマンでも古色蒼然タイプの江戸時代センスがたっぷり居座っている殿方たちが大勢いるからだろう。
コンテンポラリーアートセンスが大いに欠如しているからだろう。
ま、それはいいとして・・・、今年もそろそろ終わりだが新作アート作品を来月には披露できるだろう。以上ッ。

2013/11月上旬水曜日
女装アートが盛んではある。
さらにはハロウィン仮装アートもまた大いに盛り上がっている。
誰しも非日常的時空間にストレスを解放する遊び心が定着しつつある。
ま、行き過ぎた民主主義とまではいかなくとも秋のハーベストを祝福する祭りにもはやクレームをつけることはないであろう・・・。しかし、である。話題は、こと食品に限ると穏やかではない。もはやアートではない。明らかに事件である。行き過ぎた収益追求主義が事件を暴露しても誤表記でアタマヲサゲル映像こそアートとしての境界型アートといえなくもない。
いよいよ行き過ぎた民主主義に活を入れる行政主義の出番である。以上ッ。

2013/10下旬火曜日
最近バンカードラマが大当たりしたが、その某バンクがマスコミを賑わしている。
その中で久しぶりに聞く言葉が気になった。「反社会的勢力」とゆう響きだ。ワールドワイドにいえば、テロ組織とか麻薬組織とか反米的国家、とかそんなグループだ。しかし、その言葉は、誰もが想像の範囲内にある言葉だけではない。
たとえば、1パーセントの富裕層は今の金融資本主義システムが永遠に継続されることを希望している。しかし、99パーセントのその他大勢のひとたちは、構造改革、を希望している。もちろん過激にではないが、少しでもアメニティなライフスタイルを希望している。それすらもままならないもどかしさが閉塞とゆうような言葉でしばしばカタラレる。
構造改革なる旗頭を掲げる大勢のひとたちを、富裕層は、たぶん「反社会的勢力」とこころの中で思っているに違いない・・・。
もちろん反原発とゆうような言葉もまた目立つひとが花火を打ち上げれば、正反合とゆうように、アウフヘーベンして結局は原発推進とゆう言葉に収斂してゆく。もはや逃げ場のない「××勢力」の時代ではあるが・・・。
ギリシャやスペインやポルト、イタ等々25歳以下の失業率が50パーセントを越え、もはや「サトリ世代」なんて甘えたどこかのシマグニあたりとはいささか「××勢力」なる熱をを帯びてアルカナイカ、イダあたりの××勢力と手を組みブッソウなお騒がせ時代に入ることもまたシマグニのサトリたちは感じているのだろうか・・・。
アレックスカーさんのようなシマグニ再生リノベのように前向きなサトリを開いてほしいものだが・・・。以上ッ。

2013/10下旬金曜日
コンセプチュアルアート、とゆう「青春の復習」とでもいえるアーティストが北京にいる。ヨロケジマ初個展だ。何翔宇ヘシャンユとゆう名前だが、ヤングジェネだ。彼らにとってこのジャンルはフレッシュなのだろう。しかし、どこか見覚えのあるようなビジュアルでもある。たとえば、壁に立てかけられたピンクカラーのドアだ。取っ手は丸い裸電球。他には自分自身を縮小してフィギュアにしている。眠る姿に赤い布団がかかっている。また、さらに壁にはチカチカする映像画面が数枚かかっている。テーマは、信仰錯誤、とゆう。しかし、もはや今の共産主義的資本主義のなかで、つまり解り易いのに解り易くプレゼンテイションしているとは思えなく、またフレッシュともいえない・・・。
SCAI THE BATHHOUSE、とゆう谷中と上野公園の間にあるコンテンポラリーアートギャラリーでのアナクロといえなくもない。
もはや大いなる資本主義へのペネトレートになりつつあるわけだが、先進国同士の共通するルールがペネトレートすれば、この稚拙なプレゼンもまた可視する価値はほとんど雲散霧消するに違いない。
気分直しに某商船会社の社長たちのパーティに向かった次第である。以上ッ。

2013/10中旬木曜日
ポルトガル映画を見たからではないが、素晴らしいジャパンアーティストがいる。
月田秀子とゆうファドを奏でるシンガーだ。
汽車は八月に出る、とゆう秋に相応しい奏歌だ。
たまたま、秘恋、とゆう秋元順子のファドカバーしている奏曲が見事ではあるが、
拙者の人形町でのカラオケナンバーだが、飛び込んできた。
苦節うん十年ではないが、蕎麦屋で生活仕事を貢献しているらしい・・・。
その蕎麦屋で酒と揚げ茄子なんぞで至福のゆとりを味わいたいものではあるが・・・。
「生きづらい世の中で孤高の誇りに塗れながら奏でる秋の風」こそ蕎麦すする味わいに艶やかなぬめりすら感じざるをえないだろう・・・。
まさに熟した柿、こそねぶるに官能が刺激されるのでないだろうか・・・。
切ない奏詩メロディーもまた、コンテンポラリーアートだ・・・。以上ッ。

2013/10上旬日曜日
才能豊かなアーキテクトデザイナーほどヨロケジマでは不遇である。大手ゼネコン主義に阻まれて貧しい・・・。そんな若者たちがアジアへシフトしつつあるらしい・・・。そんな体験談リポートをまとめたペーパーがある。前田茂樹とゆうひとの編著だが、隈研吾とゆうデザイナーが紹介している、某新聞書評で。
かってヨーロッパのアーキテクトデザイナーたちは、規制があまりにも多くて仕事がほとんどない・・・。だから設計図面アートやドローイングアートを販売して生計を立てていたらしい・・・。ヨロケジマではガマンチョウセイすれば食うには困らない・・・。しかし、ストレスが大いに蓄積する・・・。
「60年代新宿アナザーストーリー」とゆうペーパーがある。本間健彦とゆう著者だが、「新宿プレイマップ」とゆう素晴らしい新宿風俗文化主義を披露していた雑誌の編集者だ。いろんなサブカル文化人たちがこぞって登場した。その中で高円寺でライブハウスを経営しながらバンドを率いていたシンガーで仲田修子とゆう女性のメッセージがイカシテいる。
「自分自身で自分の生き方を発明する以外に救われる道はない」
山崎豊子や松本清張のような世間の理不尽をあばくアーティストが若者たちで激減している・・・。
3Dプリで誰でも起業家になれる時代に、特にヤンママたちに張り切って頂きたい・・・。以上ッ。

2013/09下旬木曜日
久しぶりに映像コンテンポラリーアートを拝見した。
オムニバススタイルで四人のアーティスト監督が「描いて」いた。
ピクトルエリセとペドロコスタとゆうアーテイトの描き、がいいではないか。
労働者たちの感慨がインタビュースタイルで描かれる。黄昏のポルトガル経済が虚しく語られる。
年老いた女性労働者が語るセリフが印象的だ。「喜びはわかるが幸せはわからない」
また、コスタのエレベーターを舞台にしたかっての亡霊兵士との会話もまた黄昏のポルトに相応しいアートだ。コミカルタッチがなんとも可笑しさとペーソスを誘う・・・。
で、「青春の復習」になるがこの宮益坂上がりの瀟洒なシアター「イメージフォーラム」だが、かわなかのぶひろさんご夫婦の運営と聞いていたが素晴らしいアートムービーをこれからも期待したい・・・。以上ッ

2013/09中旬日曜日
抜けるような真っ青の地中海の風が吹き抜ける夏空だった。
黒のサングラスをかけたアスリートのひとりがアンツウカーコートを颯爽と走り抜けた。
二百メートルのゴールドメダリスト、ベルッチ選手だ。ローマオリンピックにくぎ付けになっていた少年のこころにしっかりと焼きついた。
1960Nの真夏は「忘れることのできぬ思い出」として涙を誘う・・・。
アスリートがアーティストになる時代がそこまできている。
ヘアスタイルやコスチュームスタイル等々のセンスが、よりエクセレントになることが多くの「おもてなし」に応えるだろう。
垂れ下がった電線を見て、海外の観光客たちはカゲで強烈な皮肉をゆう。
いっそのこと水道線もガス線も垂れ下げては如何だろう、かと。
ランドスケープアートデザインが、地名や交通標識、ガードレールアートデザインやポリスボックスデザイン等々が
エクセレントな「おもてなし」になることをこころから願ってやまない。以上ッ。

2013/09中旬金曜日
「マッドメン」とゆうアメリカのテレビドラマが四年連続エミー賞を受賞して、それはすごく快挙とゆうこですが、六月にとりあえず終了したらしい。で、ジャパンにはつい最近シーズン5が入荷していてさつそく拝見しました。
ドリーミーな六十年代が活写されてて、たとえばシンプルな細いタイなんかスゴクシャレてていいですね・・・。
そんなことをツラツラ思い浮かべながら、「アーティストたちとの会話」とゆうキミコ・パワーズさんのブックに何かしらオーバーラップする気分がなんともいいですよね・・・。
記憶違いでまったく恥ずかしいのですが、同じくアドマンで活躍した後コンテンポラリーアーティストになったアンディウォーホールの死なんですが、てっきり自殺とばかり思っていました。しかし、医療ミスによる突然死だそうです。まったく残念としかいいようがありませんが・・・。
葬儀で哀悼の辞は、ヨーコ・オノだったそうです。
アメリカでは、六十、七十年代回顧的番組が大流行りだそうです・・・。このあたりでもヨロケジマとは大きな差異があったりして・・・。以上ッ。

2013/09上旬月曜日
「なんとなく消費社会を漂う、新人類」たちがもはやアラフォージェネに入り、全共闘世代の期待と反発が、雲散霧消している・・・、と某新聞が伝えていた。
しかし、相も変わらずテレビドラマは、理不尽なバンカーたちが多いと勧善懲悪テーマは、ヨロケジマの不変のテーマであることをも伝えていた。まさに「なんとなくシマグニコンジョウが漂う消費社会が蔓延る」理由のひとつだろう・・・。
そして、某新聞の別刷りでは東京の街づくりをテーマに特集している。
吉祥寺が住みたいナンバーワンの街、であることには変わりはないが、創造的人類たちやショップが家賃高騰で流出しているとの指摘もあり、悩みのひとつになっているらしい・・・。そうゆうひとたちや居酒屋や雑貨屋たちが程良い距離感でふれあえる・・・、そんな昭和レトロ気分が、これまたヨロケジマの不変テーマであることに変わりはないらしい・・・。
行き過ぎた民主主義と溢れ過ぎた消費社会の行く末は、大いなるアジアマーケットが解決してくれるに違いない・・・、と高をくくっている余裕もまたすべて先送りにして謳歌したローマ帝国時代社会とアナロジーしていると・・・。
そんなことをツラツラ思いながら、なんとか今年も酷暑を乗り切りつつある・・・。皮肉にも地球環境だけは正直なんだな・・・。自然のなりゆきに裏切られる事態だけは遠慮したいよね・・・。以上ッ。

2013/08下旬土曜日
「貧困の表情が日本の貧乏人には見られない、と驚いた」。
そんな科白を明治の時代に日本の大学に招かれた動物学者モースがしゃべった。
叫んだ彼女は端正な美貌だった。ドビンボウで生まれ育った、北国で・・・。
豊かさに憧れて、とゆうよりは、なにがなんでも貧乏から脱出したい一心だったことだろう。
新宿での武器は、「前向きな、マイナスマインド」だった。生活のためにプラスシンキングソング、が大いなるヒツトと右肩上がりの人々のこころに浸みた。
深窓の令嬢のような品の良い表情が、晩年崩れた。「生きづらい世の中を生き切れない」演歌歌手が消えた・・・。
思想家の渡邉京二さんとゆう、図太い老人のような、世間の政治経済あたりを斜に構えてナメルこころがあればもっとしたたかに長生きできだたろう・・・。
藤圭子の叫び、をこころよりご冥福いたします。

2013/08下旬日曜日
都心が空いている。で、久しぶりにギャラリーシヨウに寄ってみた。アドバタイジングアート、それも黄桜の、そうカッパのイラストを引用して、ま、アプロプリアートだが、若いアメリカのデジタルアーティストで、ジャミアン・ジュリアーノビラニとゆうアーティストが面白い。
つまりそれくらいヨロケジマが他国から注目されているわけだ。
しかし、英語表記があまりにも少なく雑である。観光立国への道は、消費天国より愛をこめて、整理整頓&リ・デザインを早急にセンスアップすべし、だろう。
もはや膨大な商品に包囲されて、アジアから大いなる商品観光へのロードが盛んではある。しかし、この手のジャンルでのコンテンポラリーアート作品は成長していない。ま、脱経済哲学思想が成長していないせいもあるが・・・。以上ッ。

2013/08中旬金曜日
「社会への問題提起」や「新しさの重視」が、共通の価値基準である。
世界の演劇業界での常識である。
いかに「批評や提案等々」がワールドワイドスタイルかが理解されよう・・・。
コンテンポラリーアートもまたアナロジーである。そのスタイルはなぜかこのヨロケジマでは成長していない。いつまでもアンフォルメルスタイル、具体的にゆうと非具象的とか、である。たとえば、田んぼアート、とかブリキの缶あたりでバベルの塔を創造してもアンフォルメル以外の何物でもない。あまりにも古色蒼然にてジャーナリズムする価値がヨロケジマである。
しかし、丸岡ひろみとゆうプロデューサーは、ドンドン海外営業を展開できるパワフルなプラスシンキングスタイルが気持ちいい。コンテンポラリーアート業界も彼女のような人材がドンドン出現したいよね・・・。
もはや「ものいえば秋の風」は、ヨロケジマの常識は世界の非常識、の典型だろう。よってたかって足を引っ張る、なんてもってのほかである。以上ッ。

2013/08上旬木曜日
ワールドワイドでアートデザインの風が吹きつつある気配だ。
たとえばスタンフォード大の工学部長ジムプラマーさんが言う。
「生活にかかわるあらゆる問題解決策を見出す」ことがアートデザイン志向であり、思考であると・・・。
と某新聞記事の記者である辻篤子さんもまた熱が入る。狭いヨロケジマでは、問題だらけ、であり、永田町や霞が関では日夜解決への議論がヤカマシイこと必至である。ま、それだけヤリガイがあるとゆうことですが・・・。
しかし、なぜかアートデザイン議論は遅れていた。もしくは素通りしていた。人材不足である。あるいは許容不足である。もちろん伝統の素晴らしき既得は長い積み重ねで培ってきたことを誇りとしていいが、そればかりをとりたてて大きく利益誘導して扱うことは、未来の足を引っ張ることになりかねない。いろいろ戦いがあって進展が遅いのは否めない。
概ねあらゆるジャンルでアンフォルメルセンスで行き止まり、になっているのもそこらへんがネックなのではなかろうか・・・。たとえば行き詰るとすぐリアリズムに戻るあたりのことですが・・・。以上ッ。

2013/07下旬木曜日
宝塚音楽学校が百周年記念式典の模様を某新聞が伝えていた。
男装の美学、が華やかな百年でもあった。そんな時流にシンクロするかのように10代の青春もまた男装美学に酔いしれてるらしいニュースがあった。
そして、軽自動車がやっとメタモルするような気分を醸し出すトレンドに向かうらしい。その某メーカーの社長が、アパレル業界に学びたい、とのたまうニュースもまた装う美学に目覚めたと・・・。
そして何よりのニュースが飛び込んできた。
ヨロケジマのコンテンポラリーアート業界がやっとシンガポールに進出プレゼンする、始めの一歩に大きな拍手を送りたい。
シンガポールは、ヘッジファンドあたりで大儲けした米国の資産家あたりも移住していて京都を行ったり来たりしていてとてもジャパン美学が好きなひとが多いと聞く。
こうゆうプラスシンキングなアートデザイン志向がスタートすれば
アジアピープルたちからも尊敬される日がいつの日かきっとくるだろう。以上ッ。

2013/07下旬木曜日
ギラギラした太陽がギンギンと照りつける先週あたりから、やっと絞り出すようなボイスが恋しくなって
「青春の復習」になるがジャニスジョプリンのサマータイム、ニールヤングのハーベストあたりを「朝日のようにさわやかに」耳の中に押し込んでスグレ時間が・・・。
で、ザギンのレトロビルをセンスのよいリ・デザインビルにして、たとえばアートギャラリーあたりにする。そんなトレンドがようやく動き出した。とゆうニュースに、これぞまさにハーベストだろう・・・。
で、話は逸れるがベネチアビエンでチャイナアーティストたちがメッセージアートを盛んにアピールしているらしい、ニュースもまたセンスのよいリポートである。それにしても「その目はドンカンでしょ」以外の何物でもない、くらいの気づかないヨロケジマの、いやもしかして気付いていても素振りすらドンカンぶるそしらぬ存ぜぬスタイルが流行りなんでしょうか。
ま、クレバーなエシカルコンシューマーあたりはなんのことをいってるかはお解りだと思いまするが・・・。以上ッ。

2013/07下旬火曜日
短期的経済、つまり証券会社あたりの金融ビジネスなんですよ、たとえば機関投資家と企業を結ぶコーポレートアクセス部門とゆうセクションがありますね。ま、グル密談の対価が、株式手数料の一部として数千万ポンドを売買手数料として証券会社に支払っている。
イギリスの金融監視当局がなんども指摘しているのにもかかわらず・・・、ま、内部告発でしょうが、例の情報漏洩事件とアナロジーですが、
どの国も経済ピープルたちが怪しい行為を繰り返して、ズニノッテイル、世界にヤングピープルたちよなんとか腹立てよ、オバカちゃん。
ヘルシー政治経済がメッセージだからなんと足をぴっぱるわけよ。そうゆうウイタマニーはハマグリたちが喰ってるわけですがなまんがな。
結局新しいコンテンポラリーアートは「戦いが曖昧模糊としている」世界ではあるが、ま、世界は掌にある、なんてズニノサバラセルなよ、キャツらを・・・。キミらのツイッターとかは何指摘したり調査したりしてるんですか、ホント。
それから某新聞の声欄ですが、内部告発ありましたよ。大学教員でメッセージ発信しないおナマケ教授たちよ、そうそうに引退してくれたまえ。と、これまたセイガクジヨシたちを喰っている教授あたりでんがなまんがな。
それを聞いているヤングピープルたちよ、おバカですか、ユウたちは何をしにこの大学へ、じゃないですが、チャントチャーハン喰ってカエンビンとゲバボウの時節について学んでほしいわけよ、と嘆いている57歳プロフェサーがいますよ。以上ッ。

2013/07中旬日曜日
なんと、ま、身代わりの素早いことでしょうか。商人そのものの典型ですよね、ハマグリ候補がイケシヤアシャアとノウガキコイトリマンガナ。
アタラシモンズキですから民度あたりは・・・。ホンゴウだけでも大いにイケマスルノコトヨ。
今まで長いことモミテしてたのにコロッとグットデザインとかなんとか・・・、目利き素振りですよ、まさにアクセ通販と同類で酒場類、ですよね。オカマだったり硬派ぶるなんぞのハマグリあたりが、熟女カフェあたりで、鼻つまんで素ぶる行為、なんぞはまさにソニーの五反田でこれぞジダンダフム選挙あたりに大いに好感しとりハマグリマンガナ。
そこにモミテするするアートデザイン詣でピープルたちを揶揄するほどパクリズムのア~ポ、あたりではおまへんぜっと・・・。
といって、他にイマヘンガナ。ここらあたりのリーダーシツプあたりが、まず立ち上がっただけでもオメデトサンですねん。タチアガリはハマグリですが、最近のオトメたちが鼻つまむシグサが、さらに頻度増しまするような・・・。まさに、「ハマツマミ、グリツマミ」で象徴的記号論あたりを持ち出すまでもなく、事態はメタモルシマヘンデッセゼニーっと。マメタチヌ・・・。アックサかたい、でんがな・・・。
一行でしゃべると「誰もカワイイなんてアイソブリッコシマヘン」でんがな。
しかし、見もふたもないことをほざくなかれ、なんてコマジメキマジメ民度、あたりのその他大勢から、鼻つままれる、しぐさが多発しそうな予感すら漂う来週の、マスコミベリーベリービジーなその日になること必至でんがな・・・、たぶん。
別にセロニアスモンクいってるわけじゃあ~りませんよ。要するにヨロケジマが紆余曲折しながら、アウフヘーベンシロクロできればいいんです。
ヘルシーセイジケイザイへの進路に少しでも貢献頂ければ・・・。ま、ホンゴウばかりじゃ多様性が泣きまするのよ。以上ッ。

2013/07中旬金曜日
商いがなんと素早いのでしょうか、いやはや・・・。3Dプリでデザインされたアクセサリーを通販しとりまんがな。
そして、ワールドワイドで、そのォ~、LEDとかも含めて、であるが新素材あたりを使用するアートデザインが「オキガル」とは言わないが、もはや、たとえばブルックリンあたりの街サインが、新鮮かどうかは、評価の別れるところだといいのだが・・・。エシカルコンシューマーたちがアメーバのように増加すれば、これまたマーケストラテの敗北とかなんとか言いながら、ズルズルと時間稼ぎに陥ること必至のような・・・。
とまぁ、「アタラシモンズキ」の民度がなせるワザであるが。後世の民度がどうメタモルするかは判断し兼ねるような気もする。
いずれまたVFXの命運のように倒産とかアジアフィールドあたりにシフトしてローコストばやりになるのも必至であるだろう・・・。
で、多様性が流行りではあるが、
右向け右、の民度が流行りになるのもこれまたアジアのエシカルコンシューマーたちの増加が決め手ではあるが・・・。いささか熱中症ぎみが、たたったメッセージになった。以上~。ゲンキナシでんがな。

2013/07上旬水曜日
かって七十年代の始めごろ、ソーラン節の新宿で石を投げればカメラマンに当たる。
とまで揶揄された程、アーティストたちがあまりにも沢山いてもはや名前も作品もエピゴーネンタイプがゴロゴロいる。
そんなそこそこモミテアーティストクリエーターたちのブースを拝見した。電子書籍エクスポフェアに招待されたからだ。
この地球上がまさに「熱中症」に侵されたかのようなアツイピープルたちで
イベントルーモデたちをも巻き込んでムンムンしたフェアにフォーチュンはアカルイのだろう・・・。と感じた。それにしてもユダレダラダラ垂らしながら、アセダラダラ垂らしながら、ワンワンハアハアする事態は、エシカルコンシューマーたちは見逃しませんぞ。
まだまだ啓蒙期ではあるが、アジアのみならずワールドワイドに「イノベーション」や「プレゼンテイション」や「テクノシステム」や「ライセンシング」等々が、ゴロゴロアーティストたちをきっとモミテサクセスさせるきっかけになると・・・。前向きにその場を後にして新橋ワインバールでカルクイナシタのであった。
もはやブックの大洪水、とまでいかなくともビッグツナミで瀕死や溺死の不況を、つまりマーケティング創出が裏目に出た尻拭いを電子にさせるには、あまりにも「シのジ」が違うのだろう・・・。
話は逸れるが、ココシャネルカンパニーのリシャールコラスさんと、おにっさんのカルロスゴーンさんは、どっちがお好きでしょうか。エシカルコンシューマーたちは・・・。やっぱりエクセレントセンスでしょうネ。軍配は。ゴーンと鳴る鐘の音が、「お賞さまッ」、
二桁ばかりチガイマッセっと。フィランソロフィまでコストカットせんといてや。ホンマ、これぞシランソロフィでんがな、まんがな以上ッ。

2013/06下旬金曜日
大阪で115歳まで元気な女性がいる、と某新聞が春ごろ伝えていた。
好奇心が旺盛で社交的、意志が強い傾向が表れたひとが長生きするらしい。
そして、岐阜の御歳77歳のオヤジが国営放送に外国語カタカナが多すぎると裁判を起こしたと某新聞のコラムで伝えていた。
このオヤジ、意志が強いことは確かだろう。しかし、社交的ではない。訴訟を起こすくらいだから好奇心は強いタイプであろう。
しかし、「鎖国根性まるだし」のヨロケジマピープルの典型だ。ま、長生きタイプだが、そこそこ、にしてほしい。
賛否両論や学者たちのノウガキもさることながら、「もはやまったなし」の、ジャパンが長生きできるかどうか、の問題でありまするぞ。
視野狭窄が、視野凶作を生むことになりまするぞ。
そんなことをツラツラ思いながら、北斎の滝シリーズ木版、(つまりミニマルアートの礎かも知れぬぞ)を眺めている拙者でござるのよ。以上ッ。

2013/06中旬火曜日
新しい産業革命、があらゆるひとびとの才能を開花させる。
3Dアートデザインが、「わがままのススメ」をヨロケジマでも主流になりそうな予感がする・・・。
某新聞であるが米谷ふみ子さんのエッセーでは、渡米した数10年前のことだが、仲間から我慢するな、主張せよと言われたらしい。ヨロケジマでは、わがままは上の者が下の者を御しやすくするためだときがついた。とかたっている。
まさに「黒船エッセー」と言わざるをえない。海の外から眺めるとあらゆる事象が、シロクロはっきりする。
気軽なジャパンバールあたりで、メッセージアートのことを聞かれる。なぜ英語表記なんですか、と。即答することにしている。
「黒船アート」なんです、と。グングンと新風に乗ってヨロケジマにツキササルかのような颯爽としたコンテンポラリースタイルがまさに
エクセレントセンスに包まれたフォーチュンですよ。以上ッ。

2013/06上旬金曜日
サッカー本田選手は、「個のチカラ」をさらに高める」ことが大いに成長できる、と信じている。
しかし、「貧困や飢餓は、経済成長こそが生みだす」とフランス経済哲学者のセルジュラトーシュさんは強調する。
だから、経済だけで問題は解決しない、と・・・。
つまり、「だから経済」とゆうキャッチフレーズではないと・・・。
欧米では過去に長い時間にわたって何度もエクセレントな時代を経験しているが故の卓越した見識といわざるをえない。
まだこの列島では、「あらゆるジャンル」でエクセレントな体験をしていない。高度成長や中低度成長と呼べるベクトルの成長は経験しても
まったく新たなベクトル概念哲学である「脱成長概念哲学」なるアイデアすらおぼつかない。
短期的な、そう証券会社ビジネスに代表されるような、経済成長に右往左往しないでよい社会を創出する。まさに熟成した社会のマーケティングビジネスモデルといおうか、列島エリアを細分化した道州制のようなコミュニティローカルシステムに未来があると・・・。
そこには経済以外の、もちろん経済を包含した「アートデザイン政治経済哲学」が、問題を解決する糸口リーダーシップになりうる。
かって七十年代に登場したビクターパパネック哲学を再検証することがトレンディな時節ではなかろうか・・・。アフリカサポートあたりも射程に入れて・・・。
そんなことを某新聞を眺めながらつらつら考え、銀座DNPグラフィックギャラリーで展示してあるイギリスのデザイナーであるアンディアルトマン&ディビットエリスの、避暑地ブラックプールに設置してあるタイポグラフィックパブリックアート映像を拝見した。ゴードンヤングとゆうコンテンポラリーアーティストとのコラボ作品だ。
成熟化しているブリティッシュ社会文化の中でも、常にコンセプチュアルなアイデア提案発想力化に邁進する「脱成長型社会」に感動したのはシンポジウムに参加したジャパンピープルで拙者だけではあるまい・・・。
拙者がアイデア提案している作業のメッセージアートにアナロジーする作業だ。以上ッ。

2013/05下旬月曜日
「money after money /信用ゲーム2013」とゆう、金融資本主義経済システムをテーマにコンテンポラリーアート展示を拝見した。
表参道のGYREとゆうアートギャラリーだ。
素材は様々だが、たとえばエリーハリスンのリーマンショックや世界大恐慌など危機の歴史に登場したポップコーンメーカーマシンを・・・。またフィリップハースは実際のドル紙幣だったり・・・。あるいはクリスティンラールのドイツ財務省宛に一セント送金と送信欄に資本論の文章を送りつけるプロジェクトプレゼンテイション・・・。
しかし、もはやコンポラアーティストたちが寄ってたかっても程遠いそしてとてつもなくビッグなモンスターとなってしまったコンピューター金融経済システムに、完全に凌駕されたシステムアイデアは、そのシステムそのものがコンテンポラリーアート以外の何物でもない現実である。
キュレーターは、マニーはより広く創造的価値を生みだすエネルギーとして再定義されつつあるとのコンセプトでキュレーションしたらしいが、いささかズレ込んだ展示と言わざるを得ないだろう。
かろうじてニティパクサムセンの防犯目的で開発されたスマート紙幣をテーマにしたフィクションノベルビデオが新鮮かの様子が漂う・・・。
それにしても1980Nのヨゼフボイスがプレゼンした、芸術=資本とゆうコンセプトは、今や「資本そのもの=芸術そのもの」とゆう新たなコンテンポラリーアートとして成立するだろう。彼は当時まったくそんな見識なんて持ち合わせていなかったに違いないだろう・・・。しかし、アンディウォーホルの画面いっぱいにトリミングした$記号アートは、預言アートとして、つまり世界に羽ばたき過ぎているドル金融経済システムそのものを当時見据えたコンポラアートだ。以上ッ。

2013/05中旬月曜日
長嶋さんと松井さんがお揃いで国民栄誉賞に沸いた。
その一方で地道な努力に拍手したいプレーヤーがいる。二千本安打達成の中村紀洋選手だ。
波乱万丈の人生である。しかし、貫いたスタイルが輝いていたからこそ、だろう。型にはまらないスタイル、我流が継続できるエクセレントな天性のセンスに拍手したい。他ジャンルでもこれからのヤングピープルたちに最も必要なセンスだろう。
アジアの成長が、アジアピープルの成長が急ピッチである。
あらゆるジャンルでサポートできるテクノロジーやシステムや人材やカンパニーが揃っている、ジャパンには。かって高度成長期にサポートしてもらった先進国親の国からのサポートを今度はアジアにお返しする番だ。それがまた利益に繋がる。
たとえ天性のセンスにいささか欠けるところがあろうとも、独自力発想力想像力アイデア等々を切磋琢磨することでエクセレントセンスに
近づける。
己がイチバンスキなものやことを自分のペースと自己流のスタイルで継続する。
薫風香る五月の爽快さが頬に心地よい某新聞スポーツ記事であった。
スポーツとゆうよりはこの記事はコンテンポラリーアートだろう。以上ッ。

2013/05上旬土曜日
成長戦略アイデアが素晴らしい。
保育所から正社員雇用改革、秋入学で留学奨学金給付、さらにはクールジャパン改革、とまぁ、目白押しである。目白じゃなくて永田町であるが・・・。「あ・あコンビ」政権ならではの勢いある鯉のぼりのような颯爽としたアイデアだ。
銀行が融資しずらい創造的案件に長期的サポートをする。ビッグな予算計上のアイデアだ。
お上(イヤな言葉であるが)みずからフィランソロフィしてゆく文化国家志向が、いずれアジアからリスペクトされる日も遠からずだろう。
親の国の新産業革命である3D政策もまた素晴らしく素早いが・・・。
そして、ビューティフルジャパン、に向けてプラスシンキングするスマート&クールスタイルをみんなが獲得すれば日はまた昇るだろう。
もはやゆるキャラ時代の終焉ではなかろうか・・・。そうすれば回り回ってギャラが昇る。
オフィスデザインだって「景」色の「気」分に呼応してアメニティにすれば、より会社生活もまた楽しだろう。
マンション敷地やオフィスビル敷地だっても少し余裕を配慮したり、建物そのもののアートデザインを無機質的なスタイルレスから有機的なセンスにプラスシンキングしてゆくことで、アメニティな景色になるだろう。
行政、経済的規制はゆるキャラにして景観規制はエクセレントセンスにする厳しさがあれば、アジアのみならず欧米からもまたリスペクトされるに違いない。以上ッ。

2013/04下旬金曜日
ボーボワール&サルトルが大阪の香里団地を訪れたのが、1966年である。保育所を見学する目的だった。
「私たちは、日本が金持ちだとしても、日本人は貧乏なのだ、とゆうことを確認した」ともらしたらしい。
団地の空間政治学、とゆう原武史プロフェサーのペーパーだ。他にもじつに興味深い指摘がある。団地デザインを視察して模倣した国が、旧ソ連やポーランドだったとゆうことだ。鳩山一郎が公団住宅法を設立した折の経緯だ。いわゆる社会主義国家とアナロジーできるデザインが、豊かな国家へ邁進できる手法だったようだ。つまり偽装資本主義に国民もそこそこ納得づくの暗黙だったのかもしれない・・・。その中で建築デザイナーの松原弘典が興味深い指摘をしている。「無装飾の、そっけないボックス外観は、スターリン時代の政治的表現過多への反動、否定から生まれた。そこからスタイルレス、デザインレスとゆうデザイン」だった、と述べている。
ここにもコンセプチュアルアート手法のひとつがコノーテイションされているわけだが・・・。しかし、ワードで解説すればカッコいいのであるが、実際のボックスそのものは、「反復」そのものの、これまたワードアート的であるが偽装ミニマルアート以外の何物でもない。
なぜ偽装ミニマルアートか。ボックスの敷地はゆったりと広い。マンション敷地なんかの立すいの余地もないくらいのギチギチにつめたボックスマンションとは余裕空間が違う。そこが贅沢にもかかわらずアートデザインがヘタである。まさに表現しない、ことが表現なんてナマグサアートデザインでオオボケしていたデザイナーが大勢いたわけだろう。
というゆりは、目が開いてても盲目的手法が生きやすかったのだろう。まさに偽装盲目、と指摘しなげればならない・・・。
品川にある原美術館を久しぶりに訪れた。
ソフィ カルとゆうフランスのコンテンポラリーアーティストの展示だ。そこには盲目のひとが見た目があいてるまでの最後の風景外観と盲目に陥ってからの外観が併記展示されているのだが、ワードアートとともに写真で表現されていた。見えないが故の逞しい想像力・・・。そこには偽装のかけらすらもない。「外観」を見ないとゆうアグレッシブな表現力がプレゼンテイションされていた。以上ッ。

2013/04中旬日曜日
「レジリエンス」とゆうあまり耳慣れないコトバが飛び込んできた。
復活力とか弾む力とかの意味らしい。春に相応しく、またグングン進む「あ・あコンビ」政権に相応しいコトバだ。
田中優子プロフェサーが某新聞で、アンドリューゾッリ+アンマリーヒーリーの著作に触れて紹介している。
ま、ブックマーケの臭いがするペーパーだが、うんちくもがんちくも深い。
たとえば、地域の街再生。銚子市の漁港市場「てうし横丁」とゆう、どの地方都市でも悩み多き街の活性化問題。ま、コンサル解決も含めホトホト悩んだ末に大学誘致を決定。しかし、某大な市財政からの借金補助金だ。ま、若者を呼び込むそこそこ政策ではあるが、電車から病院までインフラ設備レジリエンスにどうにもならないくらい古色蒼然行政力が疲弊している。
千葉大セミプロフェサー関谷昇氏がためいきまじりにメッセージしている。「分野、立場、世代を超えて効き目の高いアイデア」が求められている、と。
そして、コシノジュンコさんもまたギロッポン交差点上にある高速道路が大きく景観を損ねている、と。やはり同新聞の有田哲文さんとゆうライターが紹介している。そして、コシノさんは足し算ばかりじゃなくて引き算が大切、と啓蒙している。
拙者のペーパー「えいじゃないかッ」でも披露しているが、アートデザインの大きな手法のひとつに整理整頓哲学が必要とも説いている。
ま、明治以降欧米からほとんど輸入してきたあらゆる手法でとにかく豊かになった。戦後もまた何もないところから輸入して豊になった。
捨てたり整理したり引いたりなんかもっての外とゆう知恵が身体に染みついている。
ヨロケジマの隅から隅まで染みついているこのコンジョウから離れる、または脱ぎ捨てる潔さがあるだろうか。
もひとつサンプルを。
宮崎県の日向市だが、やはりカンサン商店街を解決できるスーパーマンを公募している。それもかなりのハイギャラらしい。こうゆう問題でクリエーターはカネだけでは動かない場合がある。やはり市長と市議会議長以上の権限付与が必要でないだろうか。
で、余計な話だが、地方の街、バーとか居酒屋に文化人が極めて少ない、思うわけである。それから必要以上に東京人に敵対意識を持つひとが多いわけである。以上ッ。

2013/04中旬金曜日
ショウウインドに映す時間が長引く時節が到来だ、それもことさら寒かった冬のせいで弾む春こそならではの・・・。
で、中からマネキンもまた自らをガラスに映すわけで・・・、つまりお互いオーバーラップする自画像が重なるアートが創造されるわけだ。
たとえば、竹橋国立近代美術館でのフランシスベーコンの自画像。観客がもしニワトリだとする。ベーコンの自画像が中から額縁ガラスに映るのだが、この場合はベーコンエッグが創造されるわけであるが・・・。
装置工夫として、もひとつの、アートが醸成される。かって七十年代流行ったコンセプチュアルアートへ繋がるテーマがすでにジョークとしてのみならずプレゼンテーションされていたわけである。
もひとつサンプルを。
NYでファッションデザイナーの、ま、アウトソーシングスタッフとして活躍している、セミアーティスト、だ。発注を受けて「付加受注仕上げ」を納品する。これまたもひとつの、アートが醸成されるわけだ。
これもまた着るひとの、着こなし、でさらにアート醸成される。そしてまた元発注デザイナーの参考になり、新たなる再思考デザインへ飛躍するきっかけだ。
ま、手前味噌になるが、ワードアートが読む&見るひとたちに醸成されて、新たなるアートデザインを生む。
まさに輪廻転生のような東洋イズムかもしれないし、西洋イズムとの融合かもしれないし・・・。もはやワールドワイドアートやピープルの垣根なんかまるでないエージになっているわけだ。以上ッ。

2013/03下旬木曜日
景色が変わろう、としている、ほんの少しずつだが・・・。
たとえば小売店舗での接客、陳列等々アートデザインだ。
アメリカアップル店舗がインテリアやファサード、レイアウト等々特許商標登録が認可されて「アップルショップアートデザイン」がマーケティングの強力な武器になりつつある、そして他業種にも波及しつつある、とゆう某新聞記事があり、
これからそんなトレンドが流行る兆しかもしれない・・・。
先般新宿の伊勢丹が、ファッションミューゼアム、とゆう概念でリニューアルしているし、商品を無理やり売るのではなくてコンシューマーのコンサルティングをする場としてメタモルするキッカケだろう。
となると今までの販売員とかマヌカン、スタイリストとゆう概念が消えて、
コンシェルジュとかキュレーター、とゆうような呼び方が定着するに違いない。
もちろんその場で商品を購入するのではなくてネットで安く購入する、とゆう購買行動が定着するだろう。
すると今までのショウウインドアートデザイン、でのプレゼンテイションは大きく概念をメタモルせざるを得ない。
21世紀は、アートデザインの世紀、であることは言わずもがな、であるが、
まさにこのサンプルはプラスシンキングな兆しのひとつだろう。以上ッ。

2013/03月中旬水曜日
近頃「限界」とゆうことばが流行り言葉になりつつある。
たとえば、東大入学までで限界。とか霞が関入省までで限界。とかジャパンマーケットが少子化で限界とか・・・。大企業の限界。とかそんな中で久しぶりに解り易い気持ちのいい哲学を披露された学者がいる。リフレ論争の限界、だ。某新聞の記事が輝いている。実態経済と金融経済が大きく乖離して、投機マネービジネスが膨大な経済ビジネスを動かしている。もはや中央銀行が貨幣をコントロールできない経済システムになっている。たとえば野球のピッチャーがコントロールが悪くていくら剛速球を投げても打たれるのはこのような経済とアナロジーしている。
アダムスミスの懐かしい「使用価値」の有用を説く経済哲学者内山節さんとゆうプロフェッサーの素晴らしい論考だ。編集委員の取材ライターである西井泰之さんのインタビューがまた見事だ。
貨幣経済に呪縛された、センシティブライフスタイル音痴やアートデザイン音痴の古色蒼然とした煮しめた色を頭の中に身につけた政治経済我田引水ピープルたちが多すぎることを見事に窘めた発言だ。経済学者屋や政治屋をテレビで出すならこのような考えを携えた哲学者たちを半分くらいは出すべきだろう。
ま、確かにアートデザイン学部より政治経済学部出身者たちが圧倒的に多いことは否めないが、ヤングピープルたちはたとえアートデザインを知らなくとも「使用価値」が解っているセンスといおうか・・・、ライフスタイルでのメタモル化が進んでいることは確かだろう。
たとえば、コミュニティライフ、いうスタイル。大都市を退けるスタイル。コンパクトシティ界隈での助けあうしくみの使用価値経済。ま、互助の精神、というが・・・。シェアハウス、カーシェア、等々だ。ま、ひとつは「モッタイナイ」とゆう使用価値哲学だろう。このようなしくみにアートデザインが加味されればより「センスの良い使用価値経済システム」が拡がるだろう。
どうだろう、テレビやペーパーマスコミ、ネットメディア、女性雑誌、企業PR誌等々で「さまざまなジャンルの限界」をテーマとした一大キャンペーンを張ったらウケるのじゃないだろうか。以上ッ。

2013/03月中旬月曜日
ここんとこ「限界にっぽん」とゆうシリーズで企業風土チェンジを盛んに煽る某新聞特集がある。
そこで元ソニーのゲームマシンで売り上げに大きく貢献した久多良木健さんとゆう方が素晴らしい私見をノベテいる。
目先の経営環境や数字に四苦八苦してリスクを取るような大きなワールドワイドな視点がない。
斬新なアイデアを門前払いする。社内で調整し過ぎる。テクノアーティスティクな素晴らしいアイデアを寄ってたかってツブス。
彼の奥の深い闇のような嘆きが発散されて気持ちいいリポートだ。
取材ライターの大鹿靖明さんがマトメている。
「横並びをやめて異能のひとに自由を与える」。今の日本企業経営に欠けているテーマだと結んでいる。
もういちどツゲル。社外取締役にアートコンサルタントの異能タイプをぜひ登用すべし、である。
いいですか。会議室とか役員室あたりに富士山とか鯉の滝登りあたりの絵が飾ってエツニイッテルような風土ですよ、
コマリモノなんですよ。たとえばアメリカの60から70年代にかけての時代設定でテレビシリーズドラマに「マッドメン」とゆうセンスのよい広告代理店ドラマがあります。役員室の壁の絵画がポロック風アートだったりして、またそんなアンフォルメルアートを盛んにコレクションするような場面もあったりして、ま、エミー賞かなんかもらっていたと思いますが・・・、ま、それはおいといても
オフィスのインテリアデザインあたりがまず横並びのデスクレイアウトじゃ、いくら「フラットにして中間管理職あたりをリストラしても事態はそんなにメタモルしませんよ、センスなんです、経営は・・・。
つまり女性たちに言わせれば「カワイクない」ということになります。
文化社会学を研究されている京大の伊藤公雄プロフェッサーも指摘してますが、「自己表現してゆく。アグレッシブなセンスやアイデアなどの語感で使われる」のがカワイイとゆう彼女たちのセンスと・・・。
さらに付け加えるなら「カワイイとゆうセンスはアートデザインセンスでもあるわけです」と言えますよ。
もちろん「にほんの会社で、にほんの家庭で、にほんの学校で、にほんのコミュニティーで、にほんの田舎で、にほんのあらゆる風景で、
あらゆるしきたりで、住宅デザインで、マンションデザインで、公園デザインで、公共彫刻のダサさで、電信柱と電線で、商品パッケージで、店舗デザインで、クルマデザインで、・・・」と数え上げればもうタクサンなんです、カワイクないものばっかしでしょうが・・・。
特に役所あたりの男性目線に古色蒼然なスタイルと「ご苦労さまと使うエバリ目線」がたっぷりあるでしょうが・・・。以上ッ。

2013/03月上旬水曜日
革新的な製品を「生みだし易い」技術環境だと・・・、多くの国が評価している。
そんなリサーチデータがGEから発表された。しかし、ジャパンの多くの経営者たちは、まだまだコンナモンではない・・・、と奥の深い回答を
して低い。オダテにのるほどアーポではない。ともひとつ「生みだし易い」環境ではあるが、ジョブスのようなコンテンポラリーアーティストスタッフがいない。それからもひとつヨコナラビ意識の蔓延だろうか。
ジャパンの民度、は高い。と褒める青い目のひとびとたちは大勢いるわけだが、イカンセン・・・、発想力とか想像力とかの「ジユウホンポウナニヤツコヤツカンザンジットク」のようなエクセレントセンスが輝くスタッフを育成してこなかったからだろう。あるいは社内から排除してきた結果だろう。
某新聞記事がうらめしそうにブツブツとノベテいた。
かって七十年代にアメリカで流行ったコンセプチュアルアートやワードアート、ミニマルアートがあった。エドルシェ、ソルルィット、ローレンスウィナー、ジョセフコスース、ジェニーフォルツァーたちだ。もっと沢山活躍していたに違いない・・・。一大ムーブメントだった。
それは「紙とエンピツと社外もしくは社内発注先のプロデューススキル」があれば革新的商品が創出される。つまりアートデザイン環境のなかでエクセレントスタッフがいない、とゆうことだろう。いくら発注先のスタッフやテクノが優れていても発注者が優れていなければグーグーな商品創出はムリだろう。
アメリカですらそんな輝かしいコンテンポラリーアートの歴史があってこそウェッブメディアが、アイパッドが花開く時代になったわけですから・・・。ジャパンはそのあたりを早急にキャッチアップする時代にきてはいるんですが・・・。とにかく遅いのですが・・・。以上ッ。

2013/02下旬月曜日
いいですか。改めてノベマスよ。たんなる成長ではありません。形容するコンセプトや哲学、思想が必要な時代に突入しております。
かってユーロではひと山もふた山も「クラッシュ&ビルド」が「反復」されて「クオリティ&クリエイティブな成長」があってこその
エクセレントセンスが獲得されたわけなんですよ。
つまり「センスのよい成長」が今のヨロケジマに必要な戦略です。
たとえばローカル商店街が疲弊してカンサンとしているような事態を解決する。それにはエクセレントスパイスを振りかけることが当たり前でしょう。それも役所で活性化スタジオの創設なんです。もちろんパワフルな税金公金を投入すべし、なんです。プランナーやデザイナーや
テナント集めを新聞広告で全国からヤルキマンマンなスタッフやオーナーたちを募集する。
もちろん今までの商品だって、アングルを変えてマーケティングする。エクセレントなアートデザインをリノベするだけで大きくメタモルして、それは技術や品質はそのままでも「新商品」としてマーケ創出されるわけです。
かって「ガイシャにアコガレ」てたひとびとがいたわけです。もちろん今でもBMWとかベンツとかシトロエンとかルノーとかアルファロメオとか・・・、そんなおシャレセンスは健在でしょうよ。他にもたとえば酒とかビール、洗剤とか菓子パッケなんかもリノベメタモルするだけでOKですよ。
某新聞に「資本主義に成長は必要か」なんて記事が踊っていたのが、ドウシテコウナルノ、とゆうフシギなわけです。
ただモノアマリとかユタカとか「量経済」についてカタル時代は終焉しております。
もういちどいいますよ。アートデザインセンス、なんです、キーワードは。そうすれば「景色が変わる」わけです。
「センスワンランクアップ」する成長戦略だけでも大きく量経済がアップしますよね。つまり雇用政策もまた活性化する。以上ッ。

2013/02月中旬土曜日
かってクールファイブの名曲があった。
「東京砂漠」だ。
空が哭いてる 煤け汚されて ひとはやさしさをどこに棄ててきたの ・・・
そんな状態が今の北京だろう。
しかし、そんな事態にジャパンテクノカデンがヒッパリダコらしい。空気清浄機だ。
ギクシャクした関係を修復してくれる予感がするのだが・・・。
「景」色の「気」分とはわからぬものだ。カデン業界もひといきつくだろう。
いろんな過去のわだかまりあふるる空気すらも清浄できるとは思ってないだろうが、この空気感が、やさしさを運んでくれるとありがたいのだが・・・。
そして「景色を変える」ような経済成長戦略が逞しき空気感に包まれることを祈念したいのは拙者だけではあるまい・・・。以上ッ。

2013/02月上旬土曜日
イギリスの経済雑誌「エコノミスト」が2050年を射程に入れた未来予測ペーパーがある。
経済哲学者のシュンペーターをピックアップしている。そのコアコンセプトである「クラッシュ&ビルド」だが、
拙者のペーパー「えいじゃないかッ」でも取り上げた。
かって、70年代に流行った前衛的マンガ雑誌で「ガロ」があった。
既存のマス流通するマンガに抗うかのようなコムズカシイマンガだった。そこで活躍したふたりのアーティスト展示を拝見した。
根本敬と蛭子能収だ。メトロ勝どきのロフトの中にある@btfとゆうコンテンポラリーギャラリーだ。
当時陽のあたる表現をクラッシュするかのようなシンプルなカゲキさがインテリたちにウケタ。そして、長い時間が経過したがもはやそんな抗いを武器に戦うマンガ表現者はいない。
ノーマルな送り手とノーマルな読者、がオテテつないでピチピチチャプチャプランランランと走り続けている。
こうゆう状態が延々と続けば、「景色の気分」が若干損なわれかねないだろう。
では、ニュービルドとは何か。ゆうまでもないだろう。以上ッ。

2013/01月下旬日曜日
麻布警察の左脇路地を入って突き当りのパティオがコジャレた低いビルがある。
ワコウワークスオブアートとゆうコンテンポラリーギャラリーでゲルハルトリヒターとゆうドイツのアーティスト展示があった。
フランクステラをリスペクトしているらしい。ドナルドジャッドがステラを「あんたはアホだ」とコバカにしていたが・・・。
意識的にコラージユしているのだろう。
で、ドイツの哲学者アドルノが某新聞で特集されていた。「詩を描くことはもはや野蛮である」のセリフが有名だが・・・。
しかし、この老アーティストはひたすら邁進している。「ストライプ」をイジっている。イジりまわしている。
拙者もまたワードアートのなかでジャーナリズム素材を、洞察力スルドクイジリまわすのが好きだ。
つまり手法的には、「コラッジュ」である。つまり素材をコラッと大きな声で叱るわけだ。拙者の大声はホールの隅々まで明快に届く「胆力」が備わっている。もちろん素材と拙者のワードアートが「コラッボレーション」してもいる。
自負するわけではないが、最先端コンテンポラリーアートとはこうゆう発見である。
ホワイトスネークが小躍りする瞬間でもある。以上ッ。

2013/01月下旬火曜日
技術者やデザイナーたちを徹底的に酷使する経営者戦略が延々と続いた結果、ワールドワイド商品に負けた。
コンシューマー目線より経営戦略目線を上位にするセンスがいま大きく問われている。
フランスメーカーのティファールケトルのシンプルテクノが、エシカルコンシューマーとして、ま、無意識だろうが消費者にうけた。
そんなサンプルマーケをたとえにケーズ電気の加藤会長が某新聞でキッパリハッキリ喝破している。
拙者もまた05年にペーパー「えいじゃないかッ」で、デザイナーたちを遊ばせない労働環境が、センスある商品を創出できない、とノベタ。
自由奔放なジョブ環境こそ彼らが「元気溌剌ナニヤツコヤツ三時のオヤツ」とシャレコム才能が発揮される。するといい商品やセンスの良い商品たちが創出されるのだ。
サムスン電子あたりはそのあたりがよく理解されててあらゆるデザイナー養成スクールを併設している。たとえばファッションデザインと家電商品の関係を熟知している。ワールドワイドに飛翔できる素地ができている。
近い将来、大企業病が連鎖して系列企業病もまた時間の問題のような気がしてくる。
まさにこれこそ拙者がいつも連呼している「ヨロケジマ」への道なのかもしれない。
相変わらずドブイタエイギョウを施行する会社経営管理室あたりにもはや未来はないだろう。
ザギンのブルガリビルにホワイトスネークが巻きついているアートデザインが目を引く。
交際費控除枠を600万から無制限にする政府案が話題になっている。素晴らしいアイデアだ。貯めにため込んだマニーをジャブジャブ消費しなければマニーが回遊しない。お立ち台で大きな扇子をフリフリしながらツーケをフリフリしてた時代の到来だ。
その消費最前線にクリエイターたちがリーダーシップをとれば、センスのいい商品がセンスのいいコンシューマーを育てる。
つまりセンスが回遊することでヨロケジマが「シャキーン」としてワールドワイドへ飛翔しうる。以上ッ。

2013/01月中旬水曜日
明治のころ表現者で樋口一葉とゆう女性がいた。
理不尽な時世に抗うアーティストであった。率直でマッスグな姿勢が、今思うと眩しい。
そして、現代にもそのDNAを受け継ぐかのような表現者がいた。そして、逝った。その名は大島渚。名前は、ナイーブだが、パッシヨネイトなほとばしりは右に出るものはいなかった。もちろんヒダリキキ中のヒダリキキだが・・・。
京都労演にのめり込んだらしい。だからフィルムがカッティングで完成することが理解していなかったらしい。
かってアンディウォーホールもまたその手の名手だった。エンパイアを延々とまわしっ放し、だった。
ま、大島渚もまたワードアーティストのはしりだろう。
その日の夕方、拙者は、某BSの収録番組であるが、シンポジウムに出席していた。
パネラーは、益川敏英ノーベル賞学者である。そして某経済系の大学プロフェッサーふたりだ。
益川さんが若者はコンサバだ、つまらん。としきりに嘆いていた。そして、経済再生諮問会議のメンバーに選ばれたプロフェッサーが、このヨロケジマにはスティーブジョブスのようなアーティストは育たない、必要ない、と小さな声でしゃべっていた。我田引水タイプの典型だが・・・。
そして、もうひとりのイケメンプロフェッサーだが、ノウガキばっかりが大きくて、マーケティング効果が効き目が小さいことを恥じていた。
今月26日土曜日に夜民放BS5でオンエアされるらしい。
もはや樋口一葉や大島渚のような後の世のために抗う大物は出てこないのだろうか。
こころして追悼の意を表明します。

2013/01月中旬土曜日
年明けに素晴しいコンテンポラリーアートが飛び込んできた。
CES見本市でのプレゼンテイションだ。ファーニチャー、クルマ、タブレット、フォーク、ビルガラスカンバン等々に、アメニティ、コンビニ、ペーパーレス、アド、そしてスマートなライフ&ジョブスタイルが可能らしい。
特にフェイバリットしたマシンは、紙のように丸めてポケットに入るペーパータブレだ。ブリティッシュアートテクノにまずは乾杯だろう。
アートテクノロジストたちのプラスシンキングスタイルが、ホワイトスネークたちを誘う。
サイコーの「景」色の「気」分だ。
今日は、「カクウチ」パーティーだ。そうそう福嶋一雄大先輩が野球殿堂入りしました。こころよりおめでとうございます。ではまた。

2013/01月中旬木曜日
The clouds over a high mountain are carried away by the wind.
and a refreshing full moon will shine on the ground.
My Fortune is Excellent.
Like the moon rising . you’ll become happier and happier and your business will be prosperous.

光光と輝くもちのよの月は、邪悪な高峰の雲をはれ行きて涼しく照らす
元麻布界隈にある某神社での見事なる御啓示。
その足で南青山界隈にあるラットホールギャラリーに着地、モニカボンビチーニがお迎えで・・・。欧米ではそこそこ人気のアーティストだが、アジアジャパンではとんと御存じない、のである。
多彩なコンテンポラリーアートたちが揃いグーグーではある。しかし、どうも届かない・・・。なぜだろうか。サイズである。展示手法のプレゼンがいささかヘタなのである。ライティングもまたヘタなのである。
つまりドラマがない・・・。人いきれやヒト息づかいが伝わらない・・・。トビマス、トビマスッ、のジョークもまた誘わない。
ペーパーのなかで森があってワードアートらしき動物がいたが・・・。敵の眼を射抜くかのような刺激性が感じられない・・・。
そんなうっぷんをカルクイナスかのようなワインバーに入ったのであった。
以上ッ。

2012/12月下旬土曜日
素晴らしいメッセージが某新聞から飛び込んできた。
「電柱の地下埋設化」が再生のキーワードになる。
「学校のリコンストラクション」が子供たちに大きな夢を語らせるキーワードになる。
麻生太郎財務金融大臣のエクセレントセンスが光る発信だ。オリンピックのクレー射撃選手であったり、マンガ愛読家だったり・・・、もちろん一流のスーツファッションセンスは永田町では群を抜いている。
センスの良い公共事業が、センスの良い民を育てる。
コンテンポラリーアーティストととしても一流だ。これからも大いに明快な発信を期待しております。
いよいよ日本丸の波と風を切ってグングン進むスタイルが眩しい時節の到来だろう。
ホワイトスネークが飛び跳ねてザックザックしたいよね。以上ッ。

2012/12月下旬土曜日
もうかれこれ45年くらい前になるだろうか、大学受験で新規オープンした国立の芸術工科系大学があった。
海の物とも山のものともはっきりしない不安があった。受験はしなかったが、今思えば正解であった。なぜならここの卒業生たちは概ね大手企業の宣伝部とかマーケセクションとか、音楽業界では音響テクノ関係あたりとかにリクルートしていたように思う。だからまったくリーマン根性がはびこりアートデザイン業界で貢献したような大物は出ていない。
某新聞で米オーリン工科大が評判だとゆう記事があった。学習のコアは、全てアートデザイン力、を培うとゆう。
ヨロケジマとは大違いである。たぶん受験科目あたりも大いに違うのだろう。入り易く卒業するのが難しいのだろう。センスがエクセレントしているのに理科とか数学あたりが出来ない生徒たちにはもってこいの大学だろう。もちろんアメリカには伝統あるハーバード大学で100年も持続しているアートデザイン学部がある。他の老舗大学あたりでも、またアートデザインスクールあたりでもセンスをエクセレントに培う学習施設は整っている。
スティーブジョブスが経営者で成功したような記事ばかりが目立つが、それはいささかズレている。
彼はコンテンポラリーアート手法の名手である。つまりアーティストなのだ。
改めてノベル。政治屋、経済屋、学者屋、等々これからはマスコミに出る頻度を控えるべし。そのかわりアートコンサルタントをマスコミに推薦するべし。
ヨロケジマは、もはや待ったなしの状況である。最優先事項は、ゆうまでもなくリノベーション、リコンストラクション、のメンテナンスがひとつ。そして、何もエコノミクスだけではないが、成長力の牽引アイデアは何か。もちろんアートデザインジャンルだ。
お気軽にスマート、とゆうおことばをつければ、許される時代ではない。
工学教育の国際認定機関からは、アートデザイン教育が足りない、と指摘されている。大学だけではない。会社もまた足りない。
タイムカードをガチャンと押して事足りる時代ではない。なぜワールドワイドな新商品ディベロップメントが出来なくて取り残されたのか。
アートコンサルタントやアープロデューサーあたりに奔放な社外取締役や相談役を指名してないからだ。それもたっぷりの報酬で・・・。
では、来年こそ「minoaru」エージにしたいよね。それもホワイトスネークがシタタルオツユをなめてる絵あたりにしたいよね。以上ッ。

2012/12月上旬土曜日
クリスマス、お正月と旅行シーズンだ。
海外の風景に非日常性を発見するに違いないだろう。しかし、である。プルースト曰く。旅の発見は新しい風景を見ることではなく
新しい眼を持つことである。
何を見て何を考える、かである。もちろん忙しさから解放されてただボウ~とするのもまた考えないとゆうことでもある。思考を停止することで様々なイキスギをストップさせる志向にアグレッシブな趣があるかもしれない・・・。
ヘイトクライム、とゆう七十年代に流行ったことばがあった。
人種、宗教、差別等々がまだたっぷりと息づいていた時代である。おのずとこのヨロケジマあたりではブサイクな景観が跋扈していた。
つまり景観や街並がコレデモカ・・・、とのさばるライフスタイルにモンクをゆうひとびとはほとんどいなかった。
今でも海外渡航するひとびとは10パーセントくらいだ。あとの大半は海外景観街並を知らない。もちろん可視にてテレビ、写真あたりで想像することはとても大切な思考であるが・・・。
塩野七生さんが素晴らしいメッセージを発信していた。
アーティストとプロデューサーを公務業務に参加させる。そして学者や官僚からすると異分子だが、そのクロスオーバーフュージョンが再生創生新生の大いなるシャッフルになる。古代ローマ、ベネチアにも格差があった。しかし、固定してはいなかったらしい。
ワールドワイドピープルたる見事な見識である。
来年またハリキレルユウキを頂いた。
オリンピックイアは素晴らしい。57番でなくとももらえばきっと近づく・・・。イタリアでは、バラの割合、と呼び女性の三割以上の雇用を定めている。オツユがシタタルバラたちから「新しい眼」が生まれるかもしれない・・・。以上ッ。
あっそうそう、今月今年のコンテンポラリーアート作品がアップロードされまするよ。コウゴキタイ・・・。ではまた。

2012/11月下旬金曜日
見事なコンテンポラリーアートが飛び込んできた。
脱帽と言わざるを得ない。
笠井叡と麿赤兒が夢の初競演を披露している。演目がまたグーだ。「ハヤサスラヒメ」。世界がケガレの闇で覆われたときケガレをのみ込み光に変えた神とゆう神話がテーマである。
この某新聞写真から漂う気迫は、舞台でありながら本物の世界を凌駕している。これこそハイパーリアリズム哲学以外の何物でもない。
カメラマンの笠井爾示の力量もスゴイわけだが・・・。
今年度のあらゆるジャンル表現で三本の指に入るといっても過言ではない。世田谷パブリックシアターでの四日間だけ展示されるサイトスペシフックアートといえるだろう。ロバートスミッソンやリチャードロングもまたマッサオとゆう他ないたろう。
この空間にアイデアが披露されビデオやカメラで増幅されればヨロケジマ発信のワールドワイドコンテンポラリーアートの金字塔ではなかろうか。この記事を描いたジャーナリストの木村尚貴とゆう方もまた素晴らしい。
「異端アート」がケガレを払拭して再生創生新生の強力なバネになる。久しぶりに嫉妬で眠れぬ一夜となった。ゴールドメダリスト57番の
松本薫選手のことばで「耳を澄ませば余計な邪念は生まれない」とゆう。
まさにペーパー「えいじゃないかッ。」でノベた「聴松と奏松」の気が冬空にたなびくことだろう。邪念のカケラもない異端アートが放つ輝きこそ経済成長力へ大きな寄与になるポテンシャリティがある。
永田町や霞が関ピープルたちには視野狭窄に陥ることなく「大局的に天下国家を物語る」ような大物になって頂きたいのだが・・・。以上ッ。

2012/11月下旬火曜日
「移動権」とゆう生活者目線の経済システムがある。
フランスでのこと。海外の多くのシティでは当たり前だ。同一エリアゾーンならメトロ、バスなど乗り換えるたびに運賃はいらない。ヨロケジマとは大違いである。バイスクールフェイバリットの佐滝剛弘さんのリポートだ。
このシステムだと大いなる消費経済が活性化するだろう。
豊かな年配生活者たちが郊外から頻繁にシティ回遊する。そしてレンタルバイスクールを増やす。それもとびきりおシャレなアートデザインで。当然トータルコーデが見映えするわけだからファッションスタイルに消費成長が大いに貢献する。もちろん街なかのカフェや景観たちがコーデしてゆくアートデザイン化になってパワフルセンスな経済成長してゆく。
国土強靭化なんてまるで江戸時代のようなボキャセンスでマイナス経済借金を負担増の時代なんてこれまた雑貨ダイスキエージピープルにはトンチンカンなおことばに響く、それも虚しく・・・。
クリスマスシーンの時節ではあるが、たとえばフランスとかイタリア、スペインあたりでもチキン一匹まるごとグリルした商品が800円ぐらいだ。チーズが直径10センチくらいの厚さが3センチくらいのものが150円くらいだ。それがヨロケジマでは一匹3、4千円くらい、チーズ四分の一が同額くらいだろう。それもマルシェもショップもパッケージもアートデザインセンスがグーグーなのがタダでついてくる。
資産家や経営者たちはデフレを嫌い、多くの普通の生活者たちは価格が安いことを喜ぶ。新たな経済システムの担い手が少ない、と嘆く前に「足りないモノやヒトは何なのか」を街や生活を仔細にデッサンして見る。
公共工事もまたエクセレントなアートデザイン哲学がリードすれば大きな賛同が得られる。そのためには「センスのグーなコトバ」が発信されなければ得られない。みんながこころから喜ぶ経済成長と国柄が、もれなくついてくる。視野狭窄にて大局的未来ビジョン国柄がない。これじゃアジアの同胞たちも親の国もまた尊敬しません。
まだまだ田植えピープルの時代がヨロケル時間が延長される懸念しかり、ですね。以上ッ。

2012/11月下旬土曜日
神保町の竹尾見本帖本店でスイスポスター作家の展示を拝見した。
かっての全盛時に活躍したようなシンプルでダイナミックさはないが、テクノエージに相応しいもがきが垣間見えて懊悩してるような曖昧さがあり、ま、そこそこ楽しめた。
で、もうひとつはハイパーリアリズム哲学作家の展示だ。日本橋のダイスキなギャラリーショウだ。ジヨンカセールやメルラモス、そしてイチバンスキなカリフォルニアの乾いた風景がなんともチャーミングなロバートベクトル等々を語るシンポジウムがあった。パネラーはギャラリーディレクターの佐竹昌一郎さんと性愛文化史研究の伴田良輔さん。七十年代アート哲学が百花繚乱した時代の回帰現象とでもいえるだろう。
もはや出尽くしている観がある。あとはリノベーションだろう。整理整頓してアートデザイン哲学が再生創生の経済成長を牽引する旗印になるだろう。その時代のコトバ表現で解り易くゆうと「ツーケとパイオツ」のハニーな時間を楽しめましたネ。
あっそれから会場でサイトウマコトさんにお会いしましたネ。
ちょっと話はそれるが、それにしても古い政治経済文化哲学の延長線上にあるような若い学者たちもいる。ちょっと目先の、それも留学が長かったような学者が軍事あたりのテーマがアンチ亡国の境界線のようなセンスが披露されるとすぐコンサバマスコミがクイツキ、チャラケが故の俗物路線に埋没して亡国ならぬ亡人になるケースにはご用心されたし、であるが・・・。世の中には生きた化石のようなヒダリキキ老人たちがゴロゴロいるわけなんですが・・・。もちろんミギキキ老人たちも、であるが・・・。まさに経済成長とはほぼ無縁の化石よりは硬い岩盤シェールガスのアグレッシブな未来に話をもっていきたいよね。シツレイイタシヤンシタ。以上ッ。

2012/11月中旬金曜日
あらゆるジャンルにて最大のテーマである。
つまりそのキーワードは、「再生」。
で、新宿三丁目が、まるでパリの街角のようなセンスにメタモルしつつあるらしい。とゆうニュースを拝見して素晴らしいトレンドになりつつあることにとても気分が心地よい。ケヤキ並木と石畳とワインレッドパラソルのオープンカフェ、が新しいチェンジを誘いこむ。その風景のなかに
溶け込むファッションスタイルやオシャベリやギロンが、「テツガク」されて始めて時代がチェンジする予感が漂う。
そのテツガクはアートデザインテツガクであらねばならない。そこでは明治以来のブサイクな哲学なんぞはおよびじゃない。スマートなカンバセーションができないことは、就職に有利な沢山の資格を持っていてもカフェに存在する資格はない。
先般、秋田の公立美術大学新設予定問題でトラブルが発生したようなニュースがあった。しかし、秋田には私立大学の英語オンリーでオシャベリする大学が企業に評判がいいとゆう大学がある。ここにアートプロデューサー学部を新設して十分ではなかろうか。
これからのアートデザイン人材は、「英語とワールドワイドな行動力とアイデア才能」があれば飛び立てる。スマートなギロンがここでもテツガクされていないことにほとほとタメイキがでるのよ。
サスティナビリティとはよく喧伝されているが、ホンネはコンサバピーピルたちの今の余裕綽綽で、ノウガキをテキトウにこきながらこの平和ボケが持続することに保身する主義なのだろう。以上ッ。シツレイイタシヤンシタ、デンガナ。

2012/11月上旬金曜日
秋の夜長にモアワンペーパーの報告です。
ぜひお薦めいたします。
フライブルクのまちづくり、とゆう村上敦さんの素晴らしい報告です。まちづくりでディベロッパーを優先しない自治体のシステムがリポートされています。コーポラティブ方式で行政や個人を優先して払下げて土地購入を決定する。まちづくりで多様な物語や編集デザインがそのまちの特色を表現できる。さらに経済的にも三割近くリーズナブルになる。
こんなシステムが熟成されていてヨロケジマからもいろいろ視察されてることらしい。しかし、である。ヨロケジマでは相も変わらず大手ディベロッパースタイルが主流だ。やっとリノベーションスタイルがこころあるアーキテクトデザイナーや住み手のひとたちに理解されつつあるくらいだ。空き室の増えてきたダンチや二階建てモルタルあたりの賃貸物件リノベである。
話はちょっとそれるが定年40とゆうコンセプトがささやかれ始めた。そして、働き方が多様性を模索している。また、ダイバーシティとゆう多様性もまたこれからのテーマだ。そして、イチバンの多様性が思考、志向したいことは、住まい方の多様性である。
いろんな価値観が互いにリスペクトしあって哲学が発信される。そのときがアートデザイン社会の到来になるだろう。
そんなとき過去の素晴らしい哲学に触れた。
銀八に、たけだ美術とゆうコンテンポラリーギャラリーがあって、ドナルドジャッドの木版、シルク、木のレリーフ的アート、等々がモノクロでシンプルな七十年アートの輝いた時節にタイムトリップしたようなエキサイティングな心地にしてくれた。
コンテンポラリーアートやデザインが多様性とともに活写した時節がなんとも眩しい。
やっと遅ればせながら住まいの多様性が発車しつつある。以上ッ。
アッ、それからスペイン大使館でマドリッドやバルセロナのプロダクトデザイナーたちのシンポジウムがあった。
イタリアからの受注が結構あったよ、ファーニチャーあたりで。だからハイレベルデザイナーだ。そんな中で高圧電柱の鉄骨柱をリデザインしていたLuis Vidal&Rogers Stirk Harbourのグループだ。ヨロケジマでもこうゆうジャンルにチャレンジして欲しいものである。産業アーキテクトデザインがとにかく遅れている。原発建屋あたりも地域コミュニティ思想があれば多少は融和するだろうに・・・。
改めてツゲル。成長する資源は、アートデザイン手法ですよ。ではまた。

2012/10月下旬金曜日
久しぶりに射程に入る企画展でぜひ拝見したいと思っていた。
埼玉県立近代美術館だ。
「日本の70年代」とゆうまさに「青春の復習」である。
もちろんアートデザインジャンル、それも最も過激に花開いた「いろいろな哲学たち」が懐かしい。このヨロケジマでは政治経済哲学が明治以来常に主流であった。みんなにめしを食わせる、それがいちばんの哲学だった。しかし、三度のめしより好きなモノがそろそろもたげてきた時代がこの時節であろう。
反骨、反逆、高級官僚グランドアートデザイン主義への抵抗、自由への渇望、溢れるアートデザイン輸入が彼らのマインドに火をつけた。当時、親の国アメリカでは、アート、それもコンテンポラリーアートの百花繚乱時代であった。アブストラクト、ミニマルアート、コンセプチュアルアート、テクノロジーアート、ワードアート、ビデオアート等々数え上げればきりがないほど爆発していた。もちろんそこにはコンテンポラリーアーティストであるスティーブジョブスたちもまた切磋琢磨していたに違いない。
海を渡って少々ズレコミながらヨロケジマに定着したときの感動は今も廃れることはない。アーティストやアートディレクターたちは、和洋折衷のような中途半端を避けた。両方を自分流にコラージュしながら、アートデザイン哲学をアピールした。
まさにアートデザイン派が一流で政治経済派が二流、かのような時節の十五年だった。しかし、その並走していた産業経済もまた着実にめしを食わせる進展が目覚ましかったことはこれまた親の国の大いなるサポートのお陰以外の何物でもないだろう。
今のようにいくらゲームアートやテクノロジーアート等々が席捲していても
この時節が輝いたアートデザイン活動はいまだに色褪せていない。
そして、新宿の時節でもあった。アートシアターギルド、蠍座、ベルボトム、ピーカン、ピットイン、ズージャ、フォーク、ロンゲ、G街等々この街ならではの空気感は消えるさることはないだろう。そういえば原宿の伊坂芳太良さんの自宅でグリーンのボトルをカットしたグラスでワインを頂いた記憶があるが・・・。イラストレーターといえばハイパーリアリズム哲学がこれまた輸入されて滝野晴夫さんがいたよね。
ま、カタレバきりがないだろう。
しかし、その時節に悔しい思いをしてたビジネスマンや経済界ピープルたちが、その後勢いを盛り返す時代に入っていく・・・。
そして今、若い人たちがクルマを買わない、なんて・・・、ドウシテカナと経済教授がワケノワカラナイ解答をしてよりクルマが売れなくなるのだろう。といって、カー評論家やトリマキたちがノウガキタレテモさらに買わないと思いまする。亡くなった斉藤澪奈子サンいわくですが、ダサイファッションでノウガキタレルなんてカーが泣くとのような名セリフもありまするよ。コレマタ困りものですが・・・。
今また成長が鈍化してモノたちが売れないわけだが、隣の莫大なマーケットからは嫌われるし、悩んでいる経済界やビジネスマンたちも大勢いるに違いない。そんなピープルたちはなぜアートデザインがダサイとかグーグーとかがまったくトンチンカンである。ストラスブールにも大勢の議員サンや行政マンサンたちが視察に行っていると聞く。
それが公のテレビとか新聞とかでしゃべらない。つまり恥をかきたくない、からである。間違いがあれば困るからである。なんでブサイクたちがアートデザインをカタルのかと・・・、からかわれるのが怖いからである。なんら高級官僚たちとマインドの根っ子は同根なのである。
中央線の奥にある勇気ある経済系某大学教授が長い時間ノウガキばっかりしゃべってももはや成長率が鈍化している。しゃべるのはほどほどにして引っ込む準備をした、とゆう記事があった。
いよいよアートデザインが輝いた時節が戻ってくることが成長率をアップするだろう。内部留保で貯めにため込んだマニーを活きたカネにする時節が到来している。70年代を青春したエクセレントなシニアジェネたちが手くすね引いて「マツ」ていますがな。以上ッ。
それから若松考二監督のご冥福をお祈りいたします。「犯された白衣」ヨカッタデスネ。ではまた。

2012/10月中旬日曜日
「コンセルタシオン」とゆう耳慣れないコトバが、フランスではすでに成熟している。
利害が相反する関係者たちが互いの見解を披露し意見を交換する対立の場、とゆう意味だ。ヨロケジマのように「まあまあ・・・。なんとか落とし所を・・・」のような調停仲裁妥協はなし、らしい。
ストラスブールのまちづくり、とゆうペーパー報告の話である。
著者はヴァンソン藤井由実さんとゆう通訳でありビジネスコンサルタントの方だ。素晴らしいリポートである。秋の夜長にお薦めしたい。
景観にことさら規制法律が細やかで、なによりもまずアートデザインを優先するプラスシンキングな考え方が共感する。街全体とのトータルなコンセプトデザイン、アートビジュアルにそぐわない建造物や公共物等々は建築許可がおりない。
その重要な決定を出す場がコンセルタシオンとゆうことになる。もちろんキーマンは各自治体役所のエキスパートだが、民間から応募するらしい。そしてそのプロジェクトが終了すればまた別の地方の応募で転職できるシステムが整備されているとのこと。
ヨロケジマでは二重行政が話題になっているが、まさに二重人材が役所にごろごろだぶっている。それも正規職員でだ。ヨロケジマも長い時間がかかるだろうが、いずれは追いつき追い越す日がくるだろ・・・、と思いたいが・・・。
本田選手抜きでフランスに勝利できたのもヨーロッパに学んだ証拠なんだからである。嫉妬諦観もまた一歩ずつプラスシンキングしてゆけばアメニティな街が望めるだろう。
先般、幕張メッセでシーテックを拝見していてスマートハウス、スマートビーイクル、スマートモバイル等々手の届く未来があったが、
スマートビジュアルランドスケープもしくはスマートビジュアルリノベーションがプレゼンされてなかったことが寂しいわけだが・・・。
ぜひとも上記アートノベルをダウンロード頂ければ幸いかと・・・、そのへんのとこをのべてるプレゼンアートになっておりまするがな・・・。
以上ッ。

2012/10月上旬木曜日
バイスクールのトラブル事故がとにかく増えている。
ここ一年だけで五千件もあるとゆう報告があった。
何せデザインが目覚ましくオシャレになったからだ。やればデキルわけだ。カワイイものにメガナイアートデザインピープルが増えることがカイゼンのひとつではあるが・・・。
しかし、である。久しぶりに四谷三丁目にいったときである。メトロを上がったところに駐輪場があった。そして専用レーンデザインがあるわけだが・・。
ここ一年前くらいに出来たとゆうことらしい。しかし、なんともブサイクなアートデザインがミグルシイ。どうしてこうなるのか・・・、最終決定したのは役所のオヤジに違いない、たぶん。また、プレゼンした業者もまたロクな案しかだしてないに違いない。どうしてなんだろうか。
バイスクール業界にはセンスの良いデザイナーがいるわけだから・・・。ま、そこのカラクリはともかくとして。
NYの市交通局の話だ。駐輪スペースにあるレーンデザインがなんともチャーミングだ。採用するアートデザインセンスが見事だ、役所ですよ。採用されたアートデザイン提案者はデンマークのイアンマフィとマールテンデグリーフとゆうふたりだ。86センチの円形に直径に走る棒状のスポークがあるアートデザインだ。見事なシンプルさがカッコイイバイスクールたちに相応しい。
今後三年間で五千台近くを設置するとゆう。
都市景観とゆうキーワードが「お役所仕事」の上位ランキングしている親の国ならではの報告である。クーパーヒューイットアートデザイン博物館と提携した仕事である。
チャイナの眠った子意識を目覚めさせる行動をするくらいなら、もっとちゃんとしたモダンシティのレベルに相応しい問題意識を保持してもらいたいものであるが・・・。ホントナサケナイヨ・・・。以上ッ。

2012/9月下旬土曜日
「あってもいい消費」か「なくてもいい消費」。そんなあいまいな消費よりもとにかく消費することでワンランクアップできる、もしくはしなければならない消費、そんな消費こそこの豊かなモノアマリ時代にこそエシカルな消費ではないだろうか。
それはどんな消費だろうか。ひとことでいえばこのヨロケジマが最も不得意とする、あるいは遅れている「アートデザイン消費」だろう。
モノにはテクノやプライスやコンビニエンス等々いろいろあるが、センスがグーグーだから買う。カッコイイから買う。自分もまたそんなセンスに包まれていたい。もしくは一緒になれる、溶け込んでくれる。
センスのいいひとびとがアメーバのように増えれば、きっと欧米スタイルに近づく・・・。
これからはそんなアートデザインのオピニオンリーダーがサイコーですか、それともエコノミストがサイコーですか、それともシンクタンクアナリストがサイコーですか、あたりのランキングは不必要ですよ。
コタエイツパツ、つまりアートコンサルタントがオピニオンリーダーになることがサイコーの呼び声なんですよ。それが世間のカワイイにお答えするリーダーシップですよ。
たとえば住宅とかマンションとかのアートデザインでも建築デザイン事務所に構造的なもんは任してカンジンなビジュアルデザインつまり外装とかオシャレカフェかますとかですが、そんなアートデザインはアートコンサルがイチバンでしょ、オバカね。
マーケティングビジネスあたりでノウガキばっかしカマスヤカラたちが大勢いるわけですが、ほんと長い間垂れ流してきたわりには、スティーブジョブスあたりにエクセレントセンスを発揮されたりしてナサケナイでしょうが・・・。ホント・・・。後の祭りになってゴチャゴチャノウガキたれるビジネスコンサルの連中あたりがこれまたヨケイなんですよ。そんなとこでカセグなよ、ほんと。
「アイデアと紙とエンピツと電話と発注先」があれば、つまりコンテンポラリーアートの手法が身についていればグーグー商品が生まれるわけですね。
パソコンバッカシいじってても、へばりついてても・・・、そんなマシンは田植えするひとたちの仕事道具でんがなまんがなおまんがな・・・。
某新聞の金融ページにある経済予報コラムでほろほろさんとゆう一流らしい経済人様へ、アートデザインを学習されて下さい。そしてドンドンビジネスマン諸氏をセンノウしましょう。そのジャンルはノビシロがベリベリーたっぷりあるわけですよ。以上ッ。

2012/9月中旬金曜日
久しぶりに見事なコンテンポラリーアートが出現していた。
九月六日の日刊スポーツ一面だ。
サッカーの本田選手のパツキンがアップしたフォトとワードアートとアーティスティックなメッセージがコラボしているアートが燦然と輝いていた。57番の、プロスポーツプレーヤーではなくてもはやコンテンポラリーアーティストといわざるをえないくらい成長している。
もともと見出しをトクダンブローアップする手法がデザイン化されだしてから久しいが、一面ワードアート化した手腕は見事ではあるし、また
明るいブルーとイエローが某国柄のイメージをも象徴しているかのようなデザインでもあるが・・・。
このポリティカルな記事を取り上げたスポーツデスク首藤正徳、取材記者の八坂誠、サッカー担当デスク佐藤隆志、日本代表担当益子浩一。誇るべき人材と言わざるを得ない。
スポーツ選手もまた大いなる国民のひとりであることを改めてアーティスティックにアピールしたことはこれからの若きスポーツプレーヤーに大いなる印象を「移植」したに違いない。
ワールドカップでたとえ優勝しなくとも引退後はエクセレントセンスを武器にした政治家あたりにチャレンジしてもらいものであるが・・・。
それが57番の宿命かもしれない・・・。そして、今後もまた上記の記者たちもまたアーティスティックライターを持続されんことを祈念する次第ではある。
久しぶりに心地よい秋風に誘われたワードアートでした。

2012/9月上旬日曜日
財団法人の日本青少年研究所とゆうとこの調査によると日米中韓の高校生における自己肯定感の調査がある。
結果ずは抜けて低いのは日本高校生だった、との報告だ。
ま、とにかくブサイクなツラやスタイル、自慢できない家族、とくにオヤジのリーマン根性あたり・・・、とにかく学校でヨワイモノイジメでもしなきゃあ・・・、と不条理なマインドがもたげて夢なんてまったくないに等しい人生。ここまで生きてきていちばんのご褒美なんてかってのメダリストもいたように、もはや短いにも関わらず人生なんておコトバが飛び出すハカナイ青春。
にもかかわらずあいもかわらず竜馬とか漱石とか太宰とか・・・、エジソンとかファーブルとか・・・、あたりがマスコミにたびたび出てきて・・・。ホントニイラツイテいるのだろう、高校生たちは。どうせ大人になったってナニモカワラナイツマラン人生が待っているだけ・・・。
どうせ海外、特に欧米なんて行ったってイケメンばっかりの中でさらにおバカよばわりされたりイジメされたりで・・・、結局ヨロケジマにそうそうに戻って高田純次してたほうがよっぽどオキラクなんでしょうが・・・、なんて考える青春あたりはまだ少しましなんですが・・・。
で、このような低空飛行の大勢のひとたちと高級公務員や一流会社に入ったほんの一部のひとたちもまたすっかり安心しきってノンベンダラリン人生がたたったりして晩年はすっかり低空飛行(そうゆう元エリートオヤジオバンが多いんですヨ、ホント。特に永田町や霞が関あたりではまだ若くしてヨロケてる方々が大勢いたりして・・・)になったりして・・・。
結局、フリーライターの速水健朗さんが推奨する57番長友佑都選手の上昇志向なんてありえない、とま、とりあえずみんなが買っているからブサイクヨコナラビ志向で買ってみるダッペとそんなレベルにハッパかける素直な某新聞の読書欄があったのにはいささかへきえきするのだった。
で、話は昔のチャイナの、たしなみですが・・・、文化人、もちろん経済人からあらゆるインテリ層だが、みな「琴棋書画」は必須らしいとのこと。棋は囲碁、ま、いまでゆうと金融関係のゲームあたりだろう。書画は、もちろんコンテンポラリーアートとゆうことになる。
先般新橋のとあるバーでのこと。隣にいるミドル紳士と会話してたときのことだ。名刺交換すると肩書きは社長だ。しかし、である。モンドリアンの話で、まったくしらないアーティストだとゆう。なにも高校生だけの話ではない。以上ッ。

2012/8月下旬月曜日
毎週金曜日に反原発デモが静かに、そして不気味に拡がりを見せて発展しているとのことだ。NYの春、ならぬTOKIOの春とでもいおうか。
で、ふと一冊の本を思い出した。書庫の中で古びたその本は埋もれていた。タイトルは、DESIGN FOR THE REAL WORLD-HUMAN
ECOLOGY AND SOCIAL CHANGE とゆう、ま、オカタイ本である。
1971年にアメリカで出版された。ヨロケジマでは1974年晶文社から出た。「生きのびるためのデザイン」。VICTOR PAPANEKとゆうカリフォルニアインスティテュートオブアーツのプロフェッサーだ。フランクロイドライトの弟子である。アートデザイン哲学者である。
当時ジャパンはソレイケドンドンの消費経済が真っただ中だった。ネガティブなアートデザインなんてまつたく見向きもされなかった。
だって、エコロジーとか未開発国あたりに使い勝手のよいシンプルデザイン、たとえばジュースの空き缶あたりでデザインしたようなラジオをアピールしたデザイン方針だったからだ。そして、真っ向うから消費経済や資本主義とかに反逆するデザインを展開していた。
当時拙者としても思考進路にはまったく入っていなかった。洪水のように溢れる商品のアグレッシブなアートディレクターとして活躍することがサクセスの唯一の進路だと確信していたからだ。
今思うとアメリカの幅の広さとゆうか視野の深さをつくづくと思い知る。このあたりがジョブスが出てきたり、グーグルやアップルが席捲したりの大いなる実力系譜だろうか。ヨロケジマあたりとはひと味もふた味も違うインテリジェンスやクリエイティブの深さなんだろう。
そして時は四十年近くが過ぎ去った。3.11がなかったらこの本もまた埋もれたままだったろう。
そして今、一部のエコ志向のアーティストデザイナーたちに見直されつつある。NPOの若者たちが、第三世界の国でラジオや食器道具あたりをパパネックスタイルでボランティアで取り組んでいたりする昨今でもある。
もうそろそろ新しいタイプの哲学を習得する。
ま、アダムスミスやマルクス、マックスウェーバーもそこそこに・・・。政治経済技術フィールドの多くのひとたちがいて市民団体のひとたちも多くいて・・・、確かにアートデザイン哲学あたりは敬遠されがちだろうが、少し勇気を出してそんなひとたちに別にアタマ下げろなんてはいいません。やはりセンスとかカッコイイとかがアジアの同胞あたりからもリスペクトされるような世代に入ってるような気もしますよ。ゲームなんかデザインしてたって依存症あたりばっかりが評判悪くして・・・、ま、ゼニモウケはチャーミングなんでしょうけれど・・・、リスペクトされなきゃあ、いつまでたってもイガミアイなわけでして・・・。
で、デモのひとたちもこれからもGDPソレイケドンドンのひとたちもゲームあたりで射幸心あたりを煽ることで左うちわのひとたちもどこそこのシンクタンクのひとたちも、そして明日にもヨロケジマ沈没本を出版してマイナスを煽るエセエコノミストたちも久しぶりに毛色の変わった哲学書を読んでみては如何だろうか。以上ッ。

2012/8月中旬木曜日
某新聞の金融情報のページ、つまり株式欄だが、そこに天気予報のようなコラムがある。
可軒とゆうペンネームでライティングされてる、ちょっと気になる話があった。元気、活力がいまひとつ政治経済界にないのは、具体的ビジョンがない、と嘆いている。
しかし、過去に究極の提言をした哲学者がいて、シュンペーターだが、「イノベーションで生まれる活力の本質は再編成や再結合」だとゆう。
つまり未来ビジョンが明確で解りにくい。たとえばジャパンとゆう国柄を世界でどうポジショニングするか。あるいは新しい革袋にして新しい水を入れるにはどうするか。
ごもっともな提言予報ではある。
しかし、である。具体的なアイデアがないのである。もはやこの手の大局的な話もまた必要ではあるが、具体的どうするのか。
つまりアイデアビションがない。拙者のワードアートで恐縮だが、「海の家」では未来着地の国柄を某北欧のエクセレントセンスを参考にしている。
国柄活力再生プランは官民ともに元気な提案が多々あるのは結構なことだ。もうそろそろ具体的なプロセス論に移行する時節だろう。
強靭な再生、こそ強靭な国柄を創造するに違いない。
そのためにはエクセレントセンスなコトバとわかり易いコミュニケーションが最優先されてしかるべきだ。政治経済技術畑フィールドのひとたちが沢山いて、その畑の中だけでディベートしていても具体的なプロセスに薫が漂わない。野性味あふるる強靭な運力と活力が魅力の、ゴールドメダリストである57番松本薫選手に見習いたい、と思うのは拙者だけではあるまい。
もうひとつやはり気になった記事、この場合は画像である。「水と土の芸術祭」とゆう新潟でインターナショナルなコンテンポラリーアートの展示だ。前山忠とゆうアーティストの作品が興味を引きつける。砂浜に木枠を設置して水平線がまるでトリミングされたような作品だ。
解説記事のライターである増田愛子は自然と人間の関係が潜むと感じる、と解説しているが、まず木では批評哲学が物足りない。リチャードセラではないが鉄とか光る金属であればその象徴性、つまり近代の産業技術経済性が浮き彫りにされて際立つ。経済力やGDPがトリミングすることで自然の一部がイノベーションされてきたコンテンポラリーアート性がこの作品を一躍ワールドワイドにお墨付きするシカケになるだろう。拙者だったらさらにそのフレームの中にサイコーアーティストタレントコロッケさんに美川憲一さんのモノマネを登場させることでもはやゆるぎないサイトスペシフィックアートとして美術史の一行になるかもしれないだろう。
この二つの記事に共通しているのは、未来ビジヨンに裏付けされた国柄でいかにコンテンポラリーアーティスティック&エクセレントな預言予報を発信するかが問われている。暑いさなかジャーナリスティックな仕事で汗流しているかたたちにはお気の毒ではあるが・・・。以上ッ。

2012/8月中旬金曜日
オリンピックイアーだが、アートデザインジャンルのオリンピックといっても過言ではない。
「WHY DESIGN NOW?」とゆう、ワールドワイドに活躍するアーティストデザイナーの仕事を紹介したペーパーがある。NYのクーパーヒューイットミューゼアムのキュレーターたちが著者だ。このペーパーのなかで、マスメディアの文化的インパクトを研究しているアーティストの紹介がある。オランダのミーケ・ヘリッツェンとゆう女性アーティストの作品が興味あふれる。
刺激的なアイキャッチャーであるキャッチコピーを引用駆使して新たなるポスター作品をプレゼンテイションしている。作風もまたチャイナ工房への「文書指示のみで作品」とする発注アートを常とう手段として「誰でもアーティストデザイナー」となれることを揶揄する作品でもある。
ヨロケジマ列島あたりで量産されてきたコマーシャル作品はこの手の「コンセプチャルアートデザイントレンドが濃厚な作品」がわりかし目立つわけだが、今の今までコンテンポラリー系のミューゼアムあたりでこのようなペーパーでワールドワイドに世間に問うようなカタチにお目にかかったことがない。
それにしてもオリンピックのレコードアスレティックアーティストの感動をプレゼンテイションする姿勢に拙者ごときもまた妙に発奮する気持ちだけは持ち合わせていることに感謝したい。
しかし、アーティストたちだけじゃなく、その頑張りに報いるためにも周りにいるクーパーヒューイットのひとたちのようにヨロケジマのその手のスタッフキュレターもまた張り切って頂きたい、と思うのは拙者だけではあるまいに・・・。以上ッ。

2012/7月下旬木曜日
かって、そう今からもう百年前くらいになるだろうか、大きな産業革命が起きて時代は電気の洪水が溢れんばかりの明るいライフスタイルに突入しようとしていた。そんな時代の節目にこそふさわしいアートデザインが花開いていた。
アールヌーボーの柔らかき自然から素材を嗅ぎ取ったようなナチユラルアートデザインから
メカニックマシンを象徴するかのような直線の研ぎ澄まされたエッヂが数字信奉に邁進するかのようなビジネスイズムに突進する時代への幕開けを高らかに歌い上げていた。
そんイズムに呼応するアートデザインがアールデコスタイルだ。
その展示が汐留パナソニックミュージアムでシンポジウムとともに開催されたので伺ってみた。拙者のダイスキナ庭園美術館がマルゴトアートデザインしている見事さが漂ってその気分がまた展示会場にも漂い、シンポの池田まゆみ先生ともども香りすらほのかよう時間だったことに爽快な趣でもあった。
それにしてもひかり放つ勝利の女神が、ガラスアートデザインが、たとえばカーマスコットあたりの自動車でお迎えに参られたエスタブリッシュエレガンスなんぞまるでアジアのシマグニあたりで都会暮らししているニョショウたちには、まるで別の宇宙からやってきた自動車と言わざるを得ない。
いっぱいひといちばいゼニをモウケテいたりとかシャッキンもまたザイサンのうちなんてツカイホウダイツカッテキタどこかのヨロケジマのひとたちの「洗練された価値観」とはナンデアルアイデアルなんてチャカしすぎるほど取り返しのつかない時間が経過してしまっているのよネ。
アーティストイチロー選手がNYライフスタイルに着地する姿勢に明日の予言めいたアカシが漂ってるのかもしれない・・・。以上ッ。

2012/7月上旬火曜日
ペーパーの「えいじゃないかッ」で地域に住む、とゆうことは自分の家に住み周りと遮断して個をつらぬく生き方ではないとノベタ。そのことを久しぶりにノベテルアーティストがいたので感動しましたよ。さすがインターナショナルピープルと言わざるを得ない。
この方の名前は、渡辺玲子さんとゆうバイオリニストだ。某新聞で「無伴奏は自由の象徴」と語る。その見出しが拙者のこころに久しぶりに届いたからだ。竹原伸治とゆうカメラマンの皮膚表情を活写した空気感がたまらないね、ほんの少しばかりタルミあふるる「自由へ向かう姿勢」がなんとも距離感を縮める。
記事を「描いた」吉田純子とゆうライターに褒美を取らせたい気分だ。
しかし、である。その皮膚感や呼吸感や熟成感を察知して、やはり味気ないSNS交流をいずれ凌駕するアイデアを流布しだしたアメリカのクリスアンダーソンは若いのになかなかの逸材と言わざるを得ない。ここにもデザインがキーワードになっている。
拙者ならTEDAにしたい。もちろんAは、ARTだ。ジャパンではテダレといい、アイデア熟達舞台にしたいね。舞台からの上から目線がパネラーたちから一般のアイデアマンたちに移行することが狙いだからである。
かって新宿駅構内に王様のアイデアとゆう店があった。また、主婦たちのアイデアが特許されて相当ビジネスになっている。そして近頃はネットでアーティストたちの手作り雑貨が販売されている。誰もがパネラーの時代であることをビジネスにしたすばしこさをアメリカならではのプラスシンキングである。
この預言者の登場を待ちうけたアートと言わざるを得ない。1970年ごろに颯爽と登場したとき、この預言者たらしめたコンセプチュアルアーティストがジョセフコスースだ。
「文書による指示のみで作品」とするアートの始まりだった。このトレンドは、「作品の具体化の否定」があらゆる腐臭漂う世界に抵抗しうる最良の哲学であることをプレゼンテイションした。
先般のシンポジウムの会場デザインではないが、啓蒙的会場デザインもまた腐臭が漂っていると言わざるを得ない。
そんなアートの積み重ねの上にクリスアンダーソンがいるわけだ。ヨロケジマ列島あたりで主婦たちをナメタ経済環境やマスコミのコンサバ環境がいまだにヨロケているし、なにひとつメキキしてなく世界発信できないでいるわけだ。
過去にトテツモナイ宝が眠っている。堀起こす作業こそアイデアなのである。以上ッ。

2012/7月上旬月曜日
ソフトバンクの小久保選手に感動を頂きありがとうございます。こころよりおめでとうございます。
笑顔がなによりも素晴らしくて・・・、これからもヘルシーなジヨブ&ライフスタイルをmywayさらなるご精進されて下さいませ。
もはやアーティストなんですから・・・。
そして、背番号24の神様に感謝しております。みんな貴方様のことは終世忘れることはありません。
にし(24)のアイアンアートを・・・、つまり「いつまでアートか」スタイルで拙者にクリエイトさせて下さいませ・・・。もちろんコンテンポラリーアートの奏松アートとして・・・。ウォッチャー、リサーチャー、インストラクターあたりでエクセレントマーケティングマンとして・・・。
で、先般中央線文化を語る、シンポジウムが国分寺であると耳にして参加してみた。てっきりここ数十年くらいの、つまり高度成長と青春を並走してきた団塊ジェネの紳士たちが淑女たちがおしかけると思って楽しみにしていたがあにはからんやまたまた学生風に毛が生えたようなニョショウたちばかりでガッカリしたよ。オジサンパカミタヨッ。
すでに出来上がったそこそこ文化でニョショウたちがカタルものは何もないではあ~りませんか。
たとえば阿佐ヶ谷の唐十郎さん率いる赤テントから根津甚八、小林薫等々状況を語る。もしくは最近では山崎監督のオールウェ~ズで照射された昭和文化を語る。そんなエクセレントなセンスが雑談風に印画されたオノオノガタの活写された人生が聞き出せるような会場デザインかと思いきやこれまた講師たちの一方的なプレゼンスでガッカリしたわけですよ。
だから拙者がKYして盛り上げようとしてチャチャマンボなんか入れたりすると怒られたりしたわけです・・・、「マナーワルイ」とかなんとかで・・・。TERATOTERAとかゆうTONCHINKANな時間でした。恩師柏木博シェンシェイにはまことに申し訳ありませんでした。

2012/6月下旬金曜日
サッカー日本代表の背番号「4」のパツキン選手はDFがつけるとして再登場した。エースナンバーの18を外してである。その前に57の時代も記憶に新しい。
「守る」そして守りを固める、さらには守るスタイルを明確にアグレッシブに推進する。
その自由を守るスタイルを司法が前向きに判断した。
このパツキン無回転シュートから表現されるオーラが、9ケ月の負傷ブランクから永久の輝きへ昇華させたファンへの社会的影響力こそ長年の重ねてきた判断力に均衡していたと言わざるを得ない。
表現に関わるアーティストたちの血のにじむような苦節を無駄にしてはならない。
「戦後は終わった」と表現されるようになって以来長い年月が経過したが「motojuguniaufu」なんてコトバの響きに変わるものはないのだろうか。この表現を耳にする、あるいは目にするだけで、イクサに参加しなかった多くのひとたちがどれほどムシズがハシルいらだちをおぼえることだろうか。
もはやレンズは家電メーカーのマーケティングエリアでもあるが、レンズ老舗のあきないのいらだちはことのほか想像を超えるのだろう。
ミンドは少しも進展していないとは言い難いが、イメージストラテジーもまた進展すべきミンドではある。SNSでアラブの春を迎えた功績もまた民主主義だし、オンリーストラテジーもまた民主主義ではある。いや、オンリーストラテジーはイクサへのロードに通じる過去があった故にこの表現の問題はいつまで経過してもこころのしこりとしてそうヤスヤスとは解決ゾロしてはならないだろう。
二番じゃどうしていけないのかしら・・・、とノタマッタ代議士がいたが
今年のオリッピックの成果を待たずして、某新聞のこの記事は、ハイレベルなコンテンポラリーアートの今年二番かもしれない。なぜ二番なのかって、それは一番があるからだ。
来年そうそうにでもその一番アートをお見せできるかもしれない。こうゆうとまたネタミたちが束になって聞こえそうだが・・・。
パツキン4番が大活躍したように「モッテルモノ」の抑制力もまた大いなるいらだちかもしれない・・・。まだ20代の若さなのにシャベリもまたシッカリしててホンダに見事と言わざるを得ない。スコースッナマッテルダッペかッ。以上ッ。

2012/6月下旬日曜日
末広町にあるギャラリー3331とゆう中学校廃校を利用して開業しているとこで興味あるシンポジウムがあるとネットで知って訪れた。
東京リサーチラボとゆうアートプロデューサー育成の養成スクールがあり、ま、その学生集めを兼ねて講師たちの内容説明があった。主催者が都の歴史文化財団だ。集客されたひとたちがビシネスマンがたぶん多いだろうと思っていたが、あにはからんやアート系の学生風のそれもニョショウたちがほとんどだったのにはいささかガッカリした。
で、講師の先生たちもみんなヨロケジマ列島のひとたちだ。これもまたガッカリした。
話はちょっと逸れるがサッカー日本代表のザッケローニ監督じゃないが、強くなるためには海外からの講師が必要だろう。実戦で活躍しているパツキンプロデューサーたちが教えて始めて身につく。
学生集客もまた霞が関や丸の内ビジネスマン、ビジネスウーマンにこそ転職して頂きたいスクールでもある。それから文化局やその外郭団体じゃなくて本庁の産業アートデザイン課あたりで顧客創出を本腰で実施できる人材、つまりアートデザインのひとたちじゃなくて海外に精通したビジネスマンタッチの役人に仕切って頂きたいプロジェクトだ。経産省あたりのその手のプロジェクトともリンクしながら、フジヤマゲイシャおマンガニホンガヨウガあたりの延長線ばかりではなくてコンテンポラリーアートデザインジャンルをプロデュースする。
なにもプラットフォームステーシヨンを都内じゃなくてシンガポールにするとか・・・、都内はサブステーションでいい。活気溢れるビジネスに持って行かないと有能な公務員やビジネスマンあたりにはクイツキが悪いだろう。
この新規プロジェクトのリーダーには、東電問題あたりのメドがそろそろついたあたりで、猪瀬副知事にハリキッテ頂きたいのだが・・・。ここんとこファッションセンスがメキメキアップしてる様が前向き志向なんですから・・・。以上ッ。

2012/6月中旬金曜日
かって若年の頃アンフォルメルとゆう前衛のアートが席捲していた。
戦争が終わり、人間のカタチすらもまたクラッシユされて、そのアートイズムは哲学的詩的叙情性を漂わせながらダイナミックに溌剌としてプレゼンテイシヨンされていった。
不定形から放たれた、それは色やカタチではあるが、強烈なメッセージ性を帯びた筆さばきのほとばしりだった。「言葉を描く」ことの表現以外の何物でもない抽象表現主義の始まりだった。
ジョルジュマチューが、教科書にも記載されていた作家だったが、逝ってしまった。若かりし頃の拙者にも深くペネトレートした痕跡が今も焼き付いている。
少しばかりアングルは逸れるが、京都のKANGETSUKYO DANCHIとゆうヨロケジマ列島のどこにでもある既製服団地がちょっとリノベーションしただけで、つまり外装はローマジとカラーリングデザイン、内装はアイランドキッチン、フロアは白木、とゆうように当たり前のセンスにメタモルしただけで若い人たちのフェイバリット団地になったとゆう記事があった。
スペインが経済が怪しいといわれているが、六十、七十年代あたりに建てられた公団アパートが、あまりにもセンスのグーグーなデザインであることは知られていない。フランスしかり・・・。ドイツしかり、である。
いくら技術力や経済力がグーグーでもバランスを欠いた人間力からは、哲学的詩的叙情性は漂ってこない。市の広報で告知されたりする公営住宅の修繕会社でエントリーしている業種あたりをみていると建築、電気、防水、管などの業者項目になっていてイチバン肝心なアートディレクターがない。たぶん建築関係のなかにデザイナーがいるとタカをくくっているのだろう。しかし、今までの公団デザイン、つまりデザインされてないブッタイボックスをつくってきたその他大勢の業者にリノベーションデザインができるわけがない。
膨大な負債を背負っている、といいながら国内からの借金だから心配ない、とゆう意見もあるが、最大の負債的センスは、こうゆう公的人材がいまだに活きている、とゆうことですよ。これこそもうひとつのガレキのヤマとゆうほかはない。以上ッ。

2012/6月上旬金曜日
ちょっとセンスの良いアートコレクターがいるとゆうウワサを耳にしてそのギャラリーに出向いた。
広尾の商店街を抜けてこじんまりとしたビルの地下にある。オーナー自身のコレクションを披露鑑賞できるギャラリーだ。したがって展示作品は売却していない。そのかわり入場料が五百円いる。
かって斎藤了英とゆう大手製紙会社の会長だが、ゴッホのガジェの肖像をとてつもない金額で落札して話題になつたが、もちろんその他もろもろ名画を所有し、いきつけのザギンクラブ活動だが毎晩ご出勤のクラブの隣りにある某クラブを借受け、出勤前にシャワーを浴びてコザッパシュッキンしたツワモノらしい。そして自分が死んだら棺桶に名画たちを入れて焼き払ってくれ、とホザイテいたらしい。
よっぽど名画に惚れ込んだか無粋の極みだったかのどちらかだろう。
このコンテンポラリーギャラリーの名は「1223」とゆう。グループ展示だったがサイズがどれも小さくて、拙者は適正かと思うが小さくて申し訳ないようなことが書いてあり少々がっかりした。なぜならもはやサイズや素材やコンセプトやアイデアや展示方法等々「ナンデモアリ」のシーンになってしまったからだ。
コンテンポラリーアートを啓蒙するコレクターが増えて、さらにワールドワイドで展開できるプロデューサーが増えて、裾野が大きく広がることが重要だ。以上ッ。

2012/5月中旬水曜日
薫風香るつつじが美しい時節だ。
ついついオデオデしたくなるゴキゲンウォーキング日和ですね。
で、副都心線北参道からすぐのGAギャラリーをのぞいてみた。戸建住宅や別荘のデザイン展示である。概ねモダニズムに毛が生えたような提案であるが、海外デザイナーのふたりがちょっとセンスがエクセレントしていた。ひとりはオーストリアのミドルであるWolfgang Tschapellerとゆうデザイナーだ。かのリチャードセラの鉄道旋回橋とゆう作品コンセプトに刺激を受けて概念引用作品を提案していた。もうひとりはUSAのDong Jaksonとゆう若手デザイナーだ。エコ志向のトレンデイな作品でムーブハウスとでもいおうか。風力、太陽、水力の再生エネを十分に活用した提案だった。ふたりともコンテンポラリーアートを十二分に射程距離に入れた境界型アートデザインといっても過言ではない。ヨロケジマ列島にもこの手の一般住宅がドンドン増えればもっともっと楽しいライフスタイル景観が活きてくるのだが・・・。
ついでに渋谷の電鉄系ショッピングビルがオープンしているのでのぞいてみた。大人を呼び戻す戦略らしいがオコチャマたちに毛が生えたようなテナントが目立った。ま、今までがジャリンコたちの街だったからほんの少しだけエイジアップしたのかな・・・。できることなら思い切って「35歳以下のお客様はおことわり」くらいの戦略があれば際立ったことだろうに・・・。

2012/4月中旬月曜日
前衛がまたひとり後退した。
中川幸夫だ。花道を極めながら花道ではなかった。
コンテンポラリーアーティストとしての仕事が際立っていた。サイトスペシフィックアートジャンルに相応しい作品だ。「いつまでアートか」。そんなテーマに華麗な花たちが踊った。まさにコンテンポラリーダンシング・・・。反逆マインドが、多少のハンデとともに花吹雪いて嵐のメロディにわなないたのは拙者だけではあるまい。
このヨロケジマ列島には未だにワールドワイドに展開するプロデューサーがいない。とっくに美術史の一行に残っててもおかしくはないのだが・・・。こうやってことごとくこのヨロケジマ列島に閉じ込められて限定アートとしてのいのちに幕を下ろしてゆく。
クールジャパンストラテジーがいつ花開くのだろうか。責任は重大である。以上ッ。

2012/4月上旬金曜日
フェルメールの「真珠の首飾りの女」が新聞全ページを飾った。
しかし、女のモデルは、女優武井咲である。
東京都美術館で開催される展示作品を流用したアイデアコンセプトがアートディレクターの脳リに閃いたのだろう。八十年代にコンテンポラリーアーティストとして活躍したシンディシャーマンのパクリであることは自明の理である。ただ彼女はすべてのアプロプリエイション、つまり盗用とか流用とかの意味であるが、その手法で一躍美術史の一行にのしあがった。元の素材は、絵画作品ではなくてハリウッドスターなどのブロマイド写真であるが・・・。さらにご自身が武井咲のごとくスターそっくりのメーキャップで登場したのである。
もはや三十年くらい前のアイデアコンセプトではあるが、久々にショッキングーグーなデザインに感動した読者たちもが多かったのではないだろうか。そのアートディレクーに花束でも贈りたい気分かと・・・。
この手の仕事でクライアントが美術館や博物館以外のナショナルクライアントの商品広告だったらもっと感動しただろうに・・・。
それに較べて、地下鉄銀座線のリモデルがレトロなデザインにメタモルしたとのこと。まだ乗車してはいないが、写真だとダサイレトロになり下がっていた。中途半端なシロウトたちとのクンズホグレツギロンが、オウベイカからギャグ以上に遠ざかったセンスは否めない。準公共施設としてのデザインセンスは細心の心配りとエクセレントセンスは必須なんである。このメトロカンパニーにもアートコンサルタントがいないのである。以上ッ。

2012/3月中旬水曜日
名古屋市だったと記憶している。
市役所の発行する各種印刷物デザインを協力会社から上がってくるものをチェックするデザインコンサルタントのようなアートディレクターを嘱託で民間から雇用している話だ。大衆に解り易いコンセプトデザインで好評とのこと。
某愛読新聞の社説を拝見していてふと思い出した。提案が国民目線に合わせての変革アイデアが霞が関シンクタンクに引けを取らない人材タンクを付設するべきとの旨。専門レベルの議員への助言機関が欧州にあるらしいがそれも合わせて付設する・・・。
復興スピードが最先端アートととして機能するシステムを提案していたのが久しぶりに心地よい。
たとえば全国で数か所大都市レベルの解り易い目線機関に一般新聞公募で熟達した時間の余裕ある人材から募る。それも今まで永田町や霞が関界隈に少なかったアイデア提案を募れる人材あたり・・・。たとえばアートデザインジヤンル系のシニアあたりとか。
大上段の提案が政治不信を倍加させている、ま、足元からの草の根提案が、結局リ・グランドデサインとして開花するシステムの一歩ではないだろうか。裁判員制度のようにヘイソク政治への参加意識が盛り上がれば、知恵と時間に少々のパートタイムコストなんてあとで十二分に戻ってくると思うのだが・・・。
このアイデアは何も政治ジャンルのみならず糖尿病、高血圧、歯周病あたりのしまいには大きなカゲリに陥り不始末な経営環境に陥る経済活動企業にも当てはまる。しかし、こんなアイデアはすでに八十年代から叫ばれていたのだが・・・。

2012/2下旬月曜日
ミートボールの美味しいバーが、かってG街にあった。
細い急勾配の階段を上がるとスタイリッシュな気分と設えと・・・、この街ではこの手のバーが流行るハシリだったような・・・。そこに宵闇せまるころあいの時間に出勤するアドマンがいた。昨夜のクライアント接待に、ザギンであるが・・・、いささか疲れた大手広告代理店時代の同僚アドマンである。もちろん当日は会社はオヤスミである。
しかし、である。視野の狭いアドマン業界では、チャンドラーとかハメットとかギャビンライアルとか・・・、ディテクティブものがカッコよかった。コピーにカルクパクルコワザあたりがペダンティックでもあり、デカダンなジョブスタイルとして好感されていた。
そんな時代にコメディアン内藤がG街にバーをオープンした。そんなヒャクパーセントアナログなデイスイスタイルの第四コーナーが大いに活気づくのを見逃さなかったのだろう。
そして、この街に脱ОLのニョショウたちやアドマン狙いのニョショウたちや、あるいは自立志向のニョショウたちがバーをオープンさせるトリガーになったのかもしれない・・・。また、キャクスジたちもそのころからごく普通のひとたちがデハイリする街になっていった。
ほんとに気分の良い時代だったなぁ・・・。

2012/2月中旬水曜日
恵比寿映像祭、とゆう東京都写真美術館主催のイベントに出かけた。
青春の復習、になるがジョナスメカスの近作が上映されるからだ。かってアートデザインスクールで映像ゼミの教授であるかわなかのぶひろさんに当時としては日本初輸入の実験映画を沢山見せてもらった。ケネスアンガーや第五精神外科、実験アニメの島村達夫さん等々・・・。草月ホールで飯村隆彦さんが来日されてて、新しいアートの夜明けを感じたものだ。あれから四十年近くが過ぎ去った。
そして、久しぶりにメカスの近作を拝見した。今回大いなる発見をした。当時まったくきずかなかったのだが、
メカスの実験映像は、じつはワードアートそのものだ。自身の日記スタイルではあるが、構成は、ワードメッセージがあって映像が流される。その映像そのものは、好きなワインを飲む日常だったり、ギャラリーでのパーティ騒ぎであったり・・・、とごくごく普通の映像である。そこにワードがインサートされているが、特にメッセージ色の強いものではない。松尾芭蕉や小林一茶、紫式部なぞのワード句が出てきて、たぶんジャパンびいきなんだろう。もしくはそのセンスがアメリカではフレッシュなんだろう。フジヤマゲイシャの延長線ではあるが・・・。ひとつシャレたとゆうかメッセージ的なワードがあった。「普通の人は、中産階級の声で歌う」。あとはごくごく心象的であり、心理的なフレーズばかりだった。コムズカシサも溶けて老境に達した風情が漂っていた。
コンテンポラリーアートとしてのさきがけをひさびさに暗闇で思い返した時間だった。

2012/1月中旬月曜日
年明けのギャラリー探索は、飯田橋にある印刷博物館だ。
年一度のワールドブックデザイン展だ。今年は素晴らしいアートの発掘に成功している。ドイツのドラフツマン・フンバーという方の仕事がググーだ。架空の本表紙を沢山アートデザインしてそれを一冊にまとめている。まさにコンテンポラリーアートといっても過言ではない。これをチョイスした選者もまたグーグーの目利きというほかない。今年は何か素晴らしいような予感がする・・・。
ついでに神田川沿いにある、この桜並木が見事ではあるが・・・、ヒロマートギャラリーという小さなとこだ。ジェフクーンズやウォーホールなどアーティストポートレートばかりをショットしたカメラマンの展示を覗いた。セカンドバージョンが二月から展示されるらしいとのこと。ただロケーションからするとカフェやバーが点在するともっとグーなリバーサイドになるだろう・・・。夕方近くになってブルーテントピープルがウロツクのがいささか気になったが・・・。文京区と蕎麦屋を運営している大きな老舗ホテルと元総理が運営している古典的ギャラリーが知恵を出し合ってフィランソロフィするエリアではないだろうか。
で、話はちょっとそれるが印刷博物館のアンケート項目だが、ま、どこのギャラリーの項目にもみかけるが年齢は何年代生まれですか、とゆう質問には辟易する。アートデザイン鑑賞は商品マーケティングではない。若くてもまるきり無関心な多くの民がいる。歳を重ねても見事な目利きたちが大勢いる。歳をとると枯れたアートデザインを好むわけではない。
ま、一事が万事ではないが、履歴書なんかもすでにアメリカあたりでは生年月日はシークレット項目らしいとのこと。先般のトバシ事件カンパニーではないが、バンク、監査法人、株主、役員、従業員すべてマルゴトグルカンパニーと世界に発信したように、こんなことがいまだに継続してるのも些細なアンケート項目ひとつとつてみると繋がってる民度レベルと言わざるを得ない。以上ッ。


2011/12月中旬水曜日
今年もあっとゆう間に師走である。
それにしても経済問題に明け暮れた兎年であった。表づらは穏やかな表情をしてはいるが時として狂暴になる動物が兎らしい。
ま、ふところの内は、誰しも密やかにそっとしてほしいところではあるが、もはや自分だけのふところではない、国境なきふところである。コンピータセキュリティシステムへの不遜な侵入者がシステムを蝕むがごとくひとつの国のふところが蝕まれるとたちどころに腐喰連鎖するシステム経済でもある。
で、こんな時勢にこその話。瀬底恒とゆう女性がいて日本文化の発信に尽力した。フィランソロフィの重要性を説き、企業広報誌の編集に携わった。で、毎年元旦の新聞にはかってイメージ企業広告が全盛の時代があった。
で、改革推進は大いに結構ではあるが、ミソモクソモ廃止してスリムな大声をドカンとカマスのは熟成した大人の経済社会ではないだろう。それでなくとも個性的なアーキテクチャーがほとんどないゴマツブ列島だから・・・、であるから。
そんな私見も織り込みながら新しいアートノベルが走りだした。テーマは、不動産鑑定についてであるが・・・。
で、先般某忘年会に出席してこんな質問をしてきたオヤジやヤングエグがいたのには少々辟易してしまった。
「画家とコンテンポラリーアーティストとどう違うんですか」。で、なるべく八百屋の女将さんにもわかるように丁寧に説明した。画家は、どちらかとゆうと職人のような仕事で、ひとつのテーマやカタチやカラーやセンスを追い続ける・・・、究極まで。しかし、後者の仕事は、まず批評ありき、そして、コンセプトやアイデア、そして何よりもミューゼアムやギャラリーでの展示にこだわらない、素材も鉄あり、コンクリートあり、動物死体あり、つまりナンデモアリの、究極はコミュニケーションスルモノはすべてオーケー。つまりアナウンスでもテレビでも電光掲示板でも・・・。すると八百屋の女将さんが人参ひとつ持ってギャラリーに佇むフィギユアであってもコンテンポであるわけです。と説明した。
すると彼らは、「それじゃあ私にも創れます」と口を揃えた。
そこで拙者は、「創れるがコンテンポラリーアートにはならない」と窘めた。なぜなら「長年培われたセンス」が必ず表現されるから、目利きが見るとすぐ見抜くから。それじゃあ、長年培われたセンス、なる厄介なシロモノはどうすれば養われるのか、と。一夜漬けで獲得できるものではない。長い年月、人生の紆余曲折や山あり谷あり、の奥深い深遠に近づいてこそ始めて垣間見える、もしくは触れるような繊細なものである・・・、と。
それから長い無言の時間がその酒席で漂っていた。
そしてあるヤンエグがポツンと口を開いた。
「どんなに高価なスーツを着こなしているように見えるプレジデントスタイルであっても何かダサイ感じがするひとがいるが、ツルシのヤスモノスーツをイタカジ風にイキにキコナス親爺がいたりして、その培われたセンスの違いあたりでしょうか」・・・と、しゃべった。以上ッ。



2011/11月中旬火曜日
穏やかな小春日和が続いている。
で、先般目白で福岡県人会なる六十周年記念のパーティが催されました。千人近い県人たちが交流を深めた、賢人たちの宴でした。来賓客にアーティスト王貞治ソフトバンク会長がいらっしゃっており、名刺を拙者ごときと交換頂き極めて有難き幸せなパーティでありました。今年のペナントレースに優勝されたことをこころよりお喜び申し上げます。
で、時代は行き過ぎた爛熟金融資本主義のせいで洗練された欧州の空気感がやや腐臭を帯びつつ世界にブァイブレーションしております。また、先のアラブの春、バイブレーションはNYに飛び火しながらやはり爛熟金融資本主義がやり玉にあげられております。そしていよいよ浪花の坂本竜馬がバイブレーションしております。近頃の若人は、・・・・・、とコバカにしてタカビーする時代が過ぎ去ろうとしています。静かに政治参加して静かに改革しつつ明日を憂える民度がいよいよバイブレーションする日がそろそろ・・・、だろうか。
拙者もまた今年のハーベストだが、コンテンポラリーアートが、そうとうメッセージ色が鮮烈で自負したいシリーズに仕上がったことが嬉しいのである。来年の春にはアップロード展示します。そして、インテリアコーディネーターデザインのワードアート、つまり、アートノベルが約三十枚ちかく走っております。競馬キチのオヤジが主人公なんですが・・・。また、ピンパブあたりが大好きなズルズルオヤジでもありますが・・・。

2011/10中旬土曜日
イイモノを発見したときのような・・・、タカラモノを探り当てたような・・・。
恵比寿のギャラリーとアーティスティクブックをともに経営している、しかし、とても地図がわかりずらいとこだ。
やっとたどりついた地下の小さなスペースで感動。高松次郎のドローイングとでもいおうか、ま、アイデアスケッチだろう。こうゆう小さな、しかし、作家のメモ書きが素晴らしい。ジャパンの作家はこんな小さな作品こそ、いってみれば幕の内弁当のような、いろいろ中身の旨みがつまったような仕事こそ本領発揮だろう。なにせ猫の額のようなシマグニなんだから、この恵比寿のようなゴチャゴチャした巣窟的オモチャ街あたりの気分にフィットしててなかなかグーだった。
ただ推奨する若き評論家が新刊本を販売していたが、もはやその手の人材は必要悪程度であって、むしろ世界発信できるプロデューサーとしての人材育成が急務なんである。たとえば外務省無用論なんていわずにその中の優秀な人材を外郭特殊法人化してそうゆう前向きな組織改革こそヘイソク打破ではないだろうか。もちろん国家的プロジェクトとして霞が関が大きくバックアップしなければいけない時代をすでにとおりこしているのだが・・・。
タカラモノを発見した喜びが帰り道なにかとてもクライ気分にまみれたのもまた否めない。
ネクスト成長戦略がアートデザインであることはいわずもがな、なんですよ。もちろんエコ環境や宇宙や医学あたりのジャンルが重要なのはだれでも理解できるわけだが、アートデザインジャンルを熟知する霞が関人材を育成することもまた急務であるが・・・。

2011/09下旬金曜日
大型台風がカントウを襲う前に見事なキッチンギャラリーを拝見した。
プラダブティックの近くにあるトウヨウキッチンである。岐阜のナイフフォーク会社の二代目がマネージャーである。
「キッチンに住む」というコンセプトがまさに相応しいアーティスティックなデザインが見事だ。
椅子たちやオブジェたちがこれまたセンシティブな目利きにて設えてある。
このギャラリーには何度かフラッと足を運んだが、
ヘタヘタが多いアートギャラリーなんぞには足元にも及ばない気分が醸し出されてグーグーです。


2011/09上旬月曜日
今年も九月末締め切りの、大手出版社ノベルコンペに新作を出品した。ま、それはいいとして・・・。
で、それよりEBOOKの販売が開始されたことに大いに期待している。なにせワールドワイドに発信して、いろんな国々のひとたちに読んでもらえることにとても嬉しい思いがある。
今年中に三十数作アップロードする予定だ。
そして、また新たなワードアートのアイデアが固まりつつある。テーマは多くのセンシティブな女性たちがインタレストしているジョブが、ストーリーを紡ぐことになるだろう。
で、今月の13日には、あるシンポジウムに参加する予定だ。
ギロッポンのミッドタウンにて・・・。「アートデザインはひとを幸せにするか」というテーマらしい。楽しみであるが・・・。
で、コンテンポラリーアート仕事が順調だ。いろいろ秋味が旨い時節である。

2011/07上旬木曜日
梅雨時ではあるが雨が少ないのでまたちょっと日本橋のギャラリーショウに出向いた。
リチャードプリンスという、アプロプリエーションタイプアーティスト、それにしても長いね、がいる。八十年代に注目されたいちご白書ゼネレーションだ。モノクロフォトにメッセージを殴り描く手法で、サンプルは広告や雑誌やムービーあたりだ。このジェネ作家はどちらかというとコラージュ手法だが、当時カットアップなるさらにハチャメチャなコラージュの手で偶然の神の手を借りるかのような作品に仕上がっている。
今回展示というかスタッフに声をかけて、マスクを頂いてから作品を拝見するとゆう、少々手厚い保護になっていて、ま、価格が高い故だが、その雑誌サンプルは、いわばハーレクインロマンスノベルのようなナースノベルだが、このサンプルにテメエのだろうか、おペニスがダラリンコしていて、ま、いわゆるあちらのハードコアタイプエロリンスキモノあたりにウケそうな作品だ。
まさに爛熟金融資本主義経済への、アイロニカルなシワザというほかない。
そして、このシステム経済のビッグツナミは、CDSのような商品開発に成功して’08のリーマンショックまでウェーブし続けることになった。
大方の、いやそんな限定的な範囲ではないだろう、ジャパン民度の方々には「醜悪なおゲイジュツ」として映るに違いない。しかし、コンテンポラリーアートビジネス業界、もちろん海の向こうのビジネスなんだが、とてつもないプライスにて崇め立てる戦略は、ハイソなプライドに満ち溢れたウヌボレ以外のなにものでもないかと・・・。
しかし、そんなウラミツラミやネタミをしゃべる前に、ヘイコクもまたナンデモカンデモカネで解決、なる手法はやはり世界からキラワレモノとして評判は定着していない。
ま、そんなことをつらつら思いながら門仲のコノジガタバーに向かったのだった。


2011/06下旬日曜日
最も脂の乗った青春時代に私淑した師が亡くなった。多木浩二さんだ。
で、久しぶりに書庫から取り出した「芸術倶楽部」という、フィルムアート社から隔月刊で出版された雑誌だが、1973,74あたりのエイジで、特集に論文を寄稿されているわけで、たとえば、ロシアアバンギャルド特集号では、ロドチェンコ、リシツキー、マレービッチ等々をたとえに政治、経済、アメリカとの差等々誠実に論理立てて解説評論されている。、この号にはかの前田耕作、中原佑介、そしてかって新宿G街で某バーだが、何度か同席した早稲田の水野忠夫先生あたりが寄稿している。
そしてなんといってもアートデイレクション及びデザインが拙者の恩師である、柊光紘、小野雄一、大久保隆史各教授陣であることは一生記憶される見事な雑誌といわざるをえない。
さらには、マレービッチのシュプレマティズムー34のドローイング論をマレービッチ本人の論文翻訳があり、その訳者に奥野栄さんがいる。つい最近、彼女が勤務してる代官山のアートフロントギャラリーに出向いたばかりだった。
さらには、特集が記憶の号にはやはり多木さんの論文寄稿があり、都市の中のアイデンティティ、という流行りのテーマであるが、フロイドの自我論を受けたエリクソンらによって展開された、というような当時の拙者としてはなにかとても難解な、しかし、格闘するようなエネルギーがホトバッシッっていた青春のノウミソが、久しぶりにロウガンでツラツラ読むにしたがってノウミソの中にコトバがタチアガッテきつつある。
あるいは、現代詩手帳、という雑誌があるが、これは1983/6号だが、特集が写真の神話学、というテーマで装置論を寄稿している。
千葉大のシンポジウムがあって、もう十数年近く前になるだろうか・・・、はっきり定かではないが、たしか若桑みどりさんもパネラーにいたような・・・、参加したことが懐かしい。それにしても教室の窓外にたまに眼差しを投げるとき、もうこんな哲学者のような風貌は、最近とんとお目にかかれないのは、都会にそぐわないのだろうか。
こころより、そしてこころして哀悼の意を表します。


2011/06下旬木曜日 
いよいよこれから夏日が続く真夏に突入する日々だが、温故知新、といおうか博多のイルパラッソ、というホテルを訪れたときにバーに誘われた。オボローモフ、という名前にひかれたのだが・・・。帝政末期ロシアの没落貴族の怠けものの兄弟が登場するコミカルタッチの映画で、確か千石だったと思うが三百人劇場で青春シアターしたときの思い出だが、バーのデザインや椅子のデザインがエットーレソットサスで、またケンモチイサムでもあった。もうかれこれ二十年以上前だったような・・・ 。
で、先般気晴らしにトキオミッドタウンのデザインミューゼアムでそのメンバーメンフィスデザインが展示してあるのを拝見した。実際に機能するようなシロモノではないが、そのオブジェとしての官能的刺激、かって八十年代だったと思うが官能的マーケティングなんてオコトバが流行りましたナ・・・、はポストモダン前期消費経済アイテムのシンボリックなプロトタイプといわざるをえない。まさに時代がバブリーな弾みに上下するリスキーな遊び道具、とでもいったらいいのだろうか。
そして今や熟成した消費アイテムは、アイロニカルなコンテンポラリーアートジャンルにすら揶揄されかねない「複複製に進路をとれ」のムービー指南どおりの爛熟ぶりを発揮しつくしている。
そんなポスト構造主義を喝破したジャンボードビリアールセンセイの予言どおりといわざるをえない。
その申し子たるジェフクーンズセンセイのレディーメイド、の複写を何点か日本橋のギャラリーショウで拝見した。アメリカナイズドされた、大きく膨らんだレディーメイド作品のオブジェドールは、まさに破裂寸前の爛熟消費経済のシンボルだろう。だからこそ、全世界に向けてこれ見よがしの、浪速弁でゆうたらホンマ、連動高値を付けたのがホンネだろう。
そんなアメリカナイズドされた爛熟経済システムをキャッチアップしつつある新興国連合あたりが、そう遠くはない射程距離でトリガーを、そして牙を剥く日こそさらなるビッグツナミかもしれない。
それにしても市井のチマチマしたウロチョロして、予言力のヨノジもないエセウラナイシたちが寄ってたかって右往左往している様は、ホントなにひとつ予言デキナイムノウブリだけを予言したことはこれまたガラパゴスのヘイソクであり、拙者も久々にキャツラに尻向けてヘイコクしたのであったのだ。以上ッ。


2011/06中旬日曜日
雨模様の合間を縫って竹橋の近代美術館に趣いた。ま、毎度おなじみのパウルクレーだ。
平日だったのにもかかわらず相当の人出に驚いた。老若男女で、クレーアートが日本人にどうもフィットしてるらしい。素晴らしいことである。
で、ちょっと話はアングルが逸れるが、ネルソングッドマンというアート哲学者がいる。リチャードセラの、そう拙者のリスペクトするジョセフアルバースの弟子だが、かってアイアン作品、あまりにもリスキーでその場からクレームがつき取り外さざるをえないはめになった。そのサイトスペシフィックアート、と専門用語ではいうが、その時グッドマンは、それを評論して名言を残した。「いつまでアートか」。
さしずめクレーのキャンバスの裏にも描いた仕事は、「どの場所でアートか」だろう。クレーは、実際ドビンボウでキャンバスを買うカネがなかったに違いないだろう・・・、理由で裏に描いたとおもうのだが・・・。
そんなアーティストたちがヒンコンにあえぎながら仕事を持続していた時代から遠のき、今や「発注芸術」の大流行りである。元はコマーシャルアートがルーティン化した手法だし、様々なジャンルのビジネスが国外に発注するシステムはもはや当たり前になった。
つい最近まで、メイドインチャイナ、になった仕事が多々あるが、これからはチャイナのだれそれ、は記名するほうがフェイスブック的信頼は高まるだろう。すでに共同制作者としてキャンバスの裏に記名するアートディレクター的アーティストがいると聞いて素晴らしいかと・・・。
で、今年はすでにいつもの大手出版社コンペに出品しているが、また、来年のアートノベルにとりかかっている。テーマは、マッチポンプだ。某業界のそのシステムとアートが絡む、ちょっとオカルト的な物語だが・・・。そうくると例のブラックスワンのような物語に聞こえるが、ま、オカルト注入と古典業界の破壊、は誰しもワクワクドキドキのスタイルかと・・・。

2011/05下旬日曜日
自粛ムードもひと段落して、チェルシーにアートギャラリー巡りを楽しんできた。雨模様か曇り空の日々ではあったが、この400近いギャラリーがある中10 ギャラリーくらいを急ぎ足で拝見した。まさにコンテンポラリーアートの遊園地のような楽しさでもあつた。マシューマークスギャラリーのジャスパージョーンズだが、今でもしっかり活躍していた。
サムネール的ドローイングあり、スカルプチャーありの素晴らしい作品である。もちろんギャラリーだからロハである。
ガゴシアンギャラリーではピカソの未だ見たことがない作品が多く展示してあり、
これまたミューゼアムのような、いやそれ以上かもしれない数に驚いた。
さらにはキースヘリングのグラッドストーンギャラリーだが、サムネール的ドローイングが、見たことない仕事だったが、それだけのノートタイプのブックがなんともチャーミングで、つい25ドルふんぱつした。もちろんこれまたロハなんです。
その他いろいろなギャラリーを廻ったがこの30年間くらいの様々なイズムが表現されたアーティストたちのコンテンポラリーアート群が発表されていた。
どの仕事もまた見るひとたちが楽しむアートではない。しかし、そのアイデアプレゼンテイシヨンは、その見る者が起業家志望の青年であればきつとまた何かのきっかけになるひらめきを想起させてくれるに違いないだろう。もし医者志望の女性ならきっと医学研究の礎になるようなアイデアが凝縮されているような幻覚すら覚えるに違いないだろう。
抽象表現主義から民族多元主義的アート、ネオポップアート、ミニマルアート等々あらゆる表現が会話するひとたちにどう話しかけるかはまつたく自由である。
見終わったあとリンカーンセンター近くの階段に、拙者の好きなアプロプリエーションタイプアーティストであるジェニーホルツァーの哲学的メッセージが電光掲示板風に設えてあつた。いたく感動した。
そのちかくのイタリアンバール風レストランで乾杯がひときわ冴えたのは言うまでもない。
アメリカ経済もまた浮上しきれないもどかしさが漂って空模様とリンクしていて、今ひとつさえない作品表情と感じたのは拙者だけではあるまい。しかし、コンテンポラリーアートの役割は、経済と握手しなければ価値がないとはどの資本家もどのビジネスマンたちも思ってはいない。あるストラテジーのもと大いなる優位的経済システムや理論がその作品から読み取れれば、一致団結して大いなるズルコネグル根性が働くのもまたアメリカ的経済人の技でもある。
まぁ、当分は日米以外の同盟国あたり、つまり東南アジアあたりの熱くなってきたアート環境が注目の的になるのではないだろうか。もちろん何も経済と握手しなければコンテンポラリーアートとは言わない、なんてそれこそ誰もそんな視野狭窄の21世紀ではないだろう。
この手のアートは、見るものたちが「考える時間」をプレゼントしてくれる形態的色彩的会話の相手なんである。難しい、なんて言わずにお気楽にカンガエルことが楽しむコツでんがなまんがなおまんがなぁー。とそんなお気楽志向と思考が苦痛のエコノミック症候群に陥らないコツかもしれない。以上ッ。

2011/03月下旬日曜日
シンディ・シャーマンという八十年代のアーティストですが、広告イメージを通じて何気なくアピールされる、たとえば「女性はこうあるべき」というようなメッセージを模倣することで暴露する手法を多用したアーティストがいた。専門用語でいうとアプロプリエーションタイプアートというが、拙者の広告アートポスターをウェブ上で縮小トリミングすることで暴露することもまた「アプロプリタイプアート」といっても過言ではない。
強烈なツナミウェーブが「ウェブ動画」で世界に配信されるようなインパクトこそアプロプリエイトタイプアートの、まさに3.11M9クラスのコンテンポラリーアート典型ではないだろうか。
それにしてもアメリカの「ともだち作戦」の友好的輪こそ世界に拡がって、これぞ平和であることの証だろう。まずは感謝したい。メッセージアートの効用は、単なるクリティカルなアプロプリタイプのみならず、あらゆる電源開発の選択方針を再度見直すきっかけになればいいのではないだろうか。もはや供給パワーの約40%くらいは原発なんだから・・・。ま、ある程度はこころの奥底で納得してることだろうに・・・。
アートなんてサイエンスの足元にも及ばない、なんて思ってるひとたちがほとんどかと思われるが、いやっ、そんなことはない。これをきっかけにライフスタイルのコンセプトイメージを考える大いなる議論のきっかけになるようなセンスの民度であって欲しいのだが・・・。
ハル・フォスターという批評家がいますが、八十年代のアートクリティシズムの最先端を走っていたわけですが、ポスト構造主義への信念と現場アートとの「ズレコミ」に押し切られて弱腰になっていった経緯があります。しかし、このM9をきっかけに、浦安の地盤が大きくズレコミながらクラッシュする動画をまざまざ見せつけられて、再度このチャンスに「ズレコミ」論争を再燃して大いに盛り上がることが可能なんではないだろうか。
で、話は変わるがそろそろ今年中には電子書籍サイトをキンドルあたりかソニーリーダーあたりで購入できるように「Amazon DTP」で作成して配信したい欲望がもたげている。もちろんJ-PaymentやPaypalあたりで課金システムをつくりいよいよ拙者のアートノベルをワールドワイドで配信すればコンテンポラリーアートとしての宣教師がより輝きを配信するだろう。なにせもう20本を超えてストックがあるのだから・・・。


2011/03月上旬火曜日
いろいろと世間や世界が騒がしい。まずは平和であることの穏やかさに感謝したい。
で、若きイタリアンアーティストの展示に銀一の某化粧品メーカーギャラリーに趣いた。イタリアもまた若い人たちが苦悩しているらしい、ことが作品を通じて伝わってきた。かってイタリアンポップアーティストのバレリアアダミが素晴らしかったことはいまだに拙者の印画に焼き付いている。イタリアもまた「グルコネ」社会システムが行き渡っている。その蚊帳の外にいるその他大勢の大衆が元気をそがれているような展示だったことは拙者だけの感慨でもあるまい。
で、話は変わるが某大手出版社ノベルコンペに例の如くアートノベルを出品した。ま、それはいいとして・・・。今月はローアーイーストエリアとチェルシーエリアにギャラリー散歩の予定だ。帰国後またリポートしましょう。「いい物件」に一期一会したいものであるが・・・。

2011/01月中旬火曜日
昨年の真夏がうそのような厳しい寒さが続いている。あの頃は地球が溶けるかと思ったが今は凍るかと・・・。
で、年明けはギロッポンミッドタウンにセミナーを聞きに行った。九州大学芸術工学の東京サイトだ。福岡市のメトロサイン計画や大学病院の落成サイン計画、公園のサイン、港湾サイン等々、さらに景観問題まで公共デザインについて
大学院の先生らしい妥協の産物であるデザインレクチャーだった。
ただひとつ気になった問題点があった。病院の大きな壁画である。博多どんたく祭りの絵である。病魔厄除けの祭りらしいとの理由で多くの支持を得て採用になったとのこと。サイン計画全体のモダンな整合性から大きく逸脱している。科学的デザインと呪術的デザインとの融合、なんて解説すればカッコイイような議論だが、このようなまるで古美術としてしか機能しなかのような日本絵画や彫刻が堂々と蔓延る様は、病院だけでなくあらゆる施設によく見受けられる光景だ。想像するにこうゆう絵の作者はえてして著名だったりして・・・、まことに始末が悪い。プレゼンテイション時に解決されててしかるべきレベルだが・・・。
話は変わるが港湾デザインあたりに、つまりデザインが欠如していた場所だが、こうゆう場所に積極的にデザインパワーを注入してゆく姿勢は大いに好感されるところだ。
それにしてもまたまた欧米景観と列島ミガッテ極彩色との対比があり、苦々しい思いであった。「よろけジマ」シリーズのクリティカルアートがコミュニケーションする日はまだまだ遠いかもしれない・・・。
で、ミッドタウンだが、夜七時ごろだったが各テナントの飲食あたりであるが、ひとが相当少なし、だったのは別に寒いだけのせいでもあるまい。ここだけはデフレしてないプライスだった・・・。


2010/12月中旬金曜日
いささか小春日和のような陽だまりの坂道が穏やかである。
師が走る時節であるが、現代はもはや一年中、師たちは多忙である。混迷の時代が故に、国師たちの策アイデアに耳を貸す為政者たちが右往左往しながら、海の向こうの東海岸の指図には平身低頭して即座に策に従う。そんな年中慌ただしいコンピュータ世界の一年もまたいろいろな事件が解決しないまま終わろうとしている。
久しぶりに広尾の商店街を抜けて右に折れて瀟洒な戸建たちとレトロな街灯の先にチェコ大使館ギャラリーがある。電信柱とその線がなければ、この坂道もまた空との会話がより楽しいものになっていたに違いないだろう。ポツリポツリと行きかう界隈の住人だろう、センスがひと際映えるはずの主婦、アラフォージェネだろうか、こころなしか八十年代あたりの、この界隈のアラフォー主婦たちよりうつむき加減だった印象はぬぐい去れないのは拙者だけの感慨でもあるまい。
で、タイポグラファーの仕事を拝見した。二次大戦終盤にまもなくゲシュタポ捕虜になり収容所にて銃殺された方もいた。そんな表現することに不自由しながらアイデアデザインを志向した苦悩が垣間見れて素晴らしかった。概ねフランスドイツスイスデザインの影響もあるが、なんといってもプラハの見事なアーキテクトデザインに呼応するような洗練された仕事だ。
「民度」のグレードセンスがワンランクアップ、いやさらなるツウランクアップ以上は感じられるような、そこはかとない溜息まじりの、帰りであった。年明けには自由主義になってからの映画が上映されるとのこと。また赴きたい気分に誘われた。


2010/11月中旬水曜日
読書の秋である。久しぶりにペシミスティックな考えが伝わり熱くなった。
ニュージャージーに住む人物だ。神谷秀樹という元ゴールドマンサックス金融マンからのメッセージである。いくつかのキーワードが印象的だ。「強欲」、「倫理」、「箱入れ産業」、「デトロイト」、「ブラジル」、「イスラエル」、「マキャベリ」、「ルネッサンス」などなどさすが最高の美味しいジョブアンドライフを味わった御仁らしい実感のこもったリポートである。
57歳である。このキーワードエイジこそ真実味溢れる神の谷からの叫びのような・・・。霞が関の未来産業リポートを絵にかいた餅といい、ガラパゴス民族を憂える。それにしてもかの君主論で有名なマキャベリという哲学者だが、ノンキャリつまり高卒の役人だったそうな・・・。そういえばヘイコクの大手金融シンクタンクにいた水野さんという方が某新聞で述べていた。変革の旗手はゲイジュツカだと・・・。ココロ豊かなビンボウニンたちよ、アトリエから出でよ。ワカキアーティストたちよ、モイチド「シンジュクソウラン」節の季節が嵐とともに吹き荒れる日が待ち遠しくないか。どうせ草食だから、と言わせておく手はない。天高く馬マラいきり立つ時節にこそ。
と秋の夜長はおもむろに更けてゆく。


2010/11月初旬金曜日
庭園美術館の帰りに汐留にあるパナソニックミュージアムによった。「青春の復習」になるがバウハウス回顧だが、今回は、キッチンプロダクト中心の少しアングルが新鮮ではあった。それにしてもガスレンジの点火レバーだが、なんともセンスがグーだ。およそ百年前のデザインとはとても感じられない・・・。
なんとも虚しい思いを晴らすには、スタンディングバーアンドカラオケバーに限る。その日は、スッキリとカラッポの時間に乾杯して秋の夜が更けていった。
で、話は拙者のダイスキな中村不折の展示を拝見したいと思っている、根岸の台東区書道博物館だ。
で、また話は変わるが名古屋が沸騰している。環境、生物多様性等々の新時代幕開けに相応しい意識と覚悟と妥協がひしひしと伝わってくる。金融資本主義の行き過ぎへの大いなる反省をバネにして、「エシックス」というキーワードが脚光を浴びだしている。倫理感、という意味だが、エシックスコンシューマー、なんてコトバあたりがフレッシュな輝きを放ちだしてく時代なんだろう。

10/10中旬木曜日
香りの世界を専門に学ぶ大学が初めてオープンしてるらしい記事があった。
都庭園美術館で香水ボトルアートデザインの展示を拝見したいと思っている。
秋が深まりゆく時節にこそグータイミングな企画だろう。
で、今年もハーベストが逞しい。新作の板作業とノベル作業だ。某美術大の女性先生の現代美術入門のような解説本があるが、美術史に「一行」でも残る仕事に邁進努力することこそ生きる証と少々大袈裟に思う今日この頃ではある。しかし、この女史ののべるようにその一行がこのシマグニあたりでは失われた百年だからだろう。久しぶりに勇気溢るる「解説本」ではあるが、戦略的アートととしての批評になるには、自ら「商品」ではなくて「作品」を創る以外にはなかなか一行にはなりえないだろう、かのドナルドジャッドのように、そしてジョセフアルバースのように。

10/09中旬金曜日
「何も足さない、何も引かない」とゆうキャッチフレーズがあった。久しぶりにミニマルアートを拝見した。千葉の河村記念美術館だ。もうこれ以上「引くものがない」ほど余計な装飾や虚飾をぬぐい去り、まるで今風のダイエット施術に通じるような仕事だ。
パックスアメリカーナオブアート。アメリカアート覇権主義の全盛時に活躍したバーネットニューマンの展示だ。もうかれこれ三十数年前のこと。ときを同じくして幣国ではひととおり地ならしが終わり、あらゆる商品の洪水が溢れだしていた。それと呼応するようにデザインが溢れだしていた。
ミニマルアートイコールデザイン、とゆうしたたかな経済戦略でもあったのだ。
だからこそ「アートの終焉」が叫ばれ、アキテクチャーはコンダクターを見失った。まさに大衆ギャグアートの時代に突入していった。
アメリカ「戦略アート」が、何の疑念もないかのようにひとびとの栄養になり、雑多なモノで身の周りを飾りたてた暮らしに邁進していった。
アメリカでダイエットコンセプトの戦略アートは、その余計なモノやヒマンシボウをすべて幣国にしわ寄せしながら並走してきた。
そして、その後アメリカに勢いのある戦略アートが続かないまま冷戦構造の崩壊が始まり、あらゆる先進国で、汚れた空気環境をリセッシヨンするリサイクル覇権主義の時代になりつつある。
時代は繰り返しつつある。「反復」アートしながらひとびとは学習能力をエクセレントしていくだろう。
ニューマンのスタイルは、ジップとゆう画面を区切るラインが特長だが、それこそ後の時代を予見した「パックスアメリカーナオブアート」を推進してゆく後進国への暗示ライン、といっても過言ではないだろう。
それにしてもこの企画を立案した学芸員に花束をプレゼントしたいくらいのグーセンスといわざるをえない。


10/08月中旬火曜日

酒に混ぜる香り草、とはなんと粋なそしてセンスのよい食文化なんだろう。
その器が紀元前10世紀ごろにすでに中国ではあったらしい。奥ゆきの深いいとなみが行われていたのだろう。
また、名前の漢字が素晴らしいデザイン的な設えで見事だ。「ゆう」という。パソコンでは出てこない。
久しぶりに上野に出て、東京国立博物館の「誕生! 中国文明」展を拝見した。
香りの漂ういとなみやしぐさはとてもエレガントに映ってなんともこころを惹きつけられる。幣国にも「聞香」という文化があるが、これもまた見事なアートデザインと感じざるをえない。もちろんふぐのひれ酒なんてのも粋といい、酔といい楽しいものであるが・・・。猛暑すら吹っ飛んでしまうような涼しい時間でもあった。



10/07月初旬水曜日

テレンススタンプのコレクターという見事な猟奇的性差別的そしてこれ以上の、はまり役はないといっても過言ではない過去の映画があった。ま、コレクシヨンするモノや嗜好性は雑多だが、現代アートを、それもパトロンとしてのコレクターがこのシマグニにいることを発見して大きく世間に知らしめた某新聞の記者及びその記事をゴーした責任者に拍手せざるをえない。佐藤辰美さんという会社経営者のコレクター行為そのものがすでに大いなる表現であり、また、その記事そのものが大いなる表現である。
そして、久しぶりに河原温の名前が記されていた。高松次郎の名前も・・・。今年、京橋の半世紀以上続いた現代アートギャラリーが倒産した。そして、そこに高松次郎もまた消え去った。そんなマイナスのシグサを払いのけるかのような、アッパレの記事こそ「現代アート」そのものかもしれない。虫が二匹飛んでいる、つまりムシムシする暑苦しい気分を思いっきり素っ飛ばしてくれたお知らせだったぜットーッ。


10/06月中旬日曜日

表現者ということばが最も似合うような表現者を印画した細江英公さんの仕事を拝見した。四谷三丁目のルーニィ247というギャラリーだ。その表現者は土方巽だ。その中の一番弟子がいい。芦川羊子だ。年輪を重ねて幾層からも放たれる眼力と圧力が圧巻だ。その舞踏に吹き荒れる嵐のような気分や空気感こそまさに最先端以外のなにものでもないような幻覚が漂っていた。
そして、大野一雄が亡くなった。103の中から放たれた圧巻の空気感に拙者もわなわなと震感した。このような数値で数えられない「コンピュータ外」の表現が、縮められることこそ憂慮しなければ・・・。
そしてなんとも胸が詰まる死にまたわなないた。デニスホッパーが亡くなった。この表現者もまた「コンピュータ外」の青春の復習だ。奥行きのないような表現が幅を利かせる時世こそ葬りたい気分に晒された。

10/05月下旬日曜日

モンドリアンが自ら発行してた雑誌に「ステイル」とゆう先鋭的な雑誌らしいが、その中で「アーティストのうしろから建築デザイナーたちはついてくる」とゆうようなことをのべていたらしい。で、荒川修作が亡くなった。奥様がユダヤ人で大金持ちだったらしい。多くのアーティストが羨望していた。こころよりご冥福をお祈りいたします。
そして、針生一郎が亡くなった。もうとっくに通用しないヒダリキキの名手だった。そして、某新聞で久しぶりに荒井晴彦さんの名があった。かってゴー街のとの山という殿山泰次のニゴウが営んでいたバーで「映画は本だよ」なんて直球をしゃべっていたのを思い出す。池の上のとあるロックバーでもよく語った印画が古ぼけていない。
それにしてもあらゆる視座があるが、なんとも座り心地のよくない最先端風情が続いている錯覚こそ葬りたいよね、と世界の墓場からツイッターリングしてるようでも・・・。しかし、チャラけてないチャラヤンなんて名前のデザイナーあたりもいるわけだし、決して捨てたもんじゃないよね。
で、今年も地道な板作業と描かれたことば作業が達成感を逞しくしている。

10/05月下旬月曜日

「青春の復習」が続いている。久しぶりにヨシダヨシエさんの名前を拝見した。末広町の、廃校になった中学校をリデザイン再利用してギャラリーやアートデザイン関係のオフィスに蘇らせたとこに惹かれていってみた。この3331Art Chiyodaでの開館記念作家展でのことだ。前衛作家の佐々木耕成さんという老表現者の仕事で対談者として名前が記されていた。かって、アンダーグランドやアウトローたちがまだそのとおり潜っていた時節のころに活躍されて拙者の記憶に印画されていた。まだ「前衛」が、文字通り先頭を粋がってつっぱしっていた時節にはワクワクドキドキする気分が漂っていた。
そしてまた、このワクワクドキドキの鼓動とともに活躍されたバイプレイヤーが逝ってしまった。北林谷栄と佐藤慶だ。強烈な個性キャラがその存在感が、銀幕というよりは物語の表現者として非具象的なアーティストのようになくてはならないアートの世界では異彩を放っていた。最近のいろんな表現に「奥行き」が感じられないのはこうゆう表現の欠如だろう。こころしてご冥福を祈りたい。

10/05月中旬月曜日

前々から拝見したいと思っていた。その作品は、ジョルジュルオーの「ユビユシリーズ」だ。
汐留にあるパナソニックミュージアムで存分に拝見してきた。ちょっとテーマは、当時のフランス覇権主義が引きずる、今風に言えば「上から目線」の風がたっぷりと熱いまなざしで席捲していた時分のゆゆしさが漂ってはいるが、その「ナンセンスなからかい」が、ルオーとしてはこうゆう気に入らなかったに違いない。もっと「軽やかなストロークでなぶり描く」とすればより黒人たちをコバカにするような表現になっただろう。原作者ジャリの戯作劇がフランス上流階級たちに受けた趣がいささか批判めいたタッチと暗い色彩で、あまりにも本質をえぐり出した表現になっていて、悲しさが漂っていた。
しかし、そうゆう時代背景を抜きにして、そのまんまのアートセンスは、まさに「またカコに恋してる」に相応しいというよりは失われた百年を通り越して「今風のアートよりも遙かに新しい」と感じるのは拙者だけではあるまい。よく巷のエセアートデザイン業者あたりが、最近の作品はないのかね、なんて嫉妬心に満ち満ちて尋ねるセンスと重ね合わせても、そんなタワゴトをはねのける見事さがココロに染みてくる。
マチスがいちばんの友達だったらしいが、そのココロがよくわかるような気がしてくる。
久しぶりに薫風がカラダの中を吹き抜けていく痛快さがたまらなく嬉しい。



10/04月下旬火曜日

先般某雑誌に記事が出てたので印象深い感じだったのが、最近のヤングたちに評判なトレンドが「過去」というキーワードらしい。
で、某新聞社ホールでの講演会に参加してみた。都庭園美術館で開催している、ロドチェンコ&ステファノーバ展でお孫さんで評論家の方が講義された。久しぶりに「青春の復習」だったが、とても若返ったような時間が漂った。かってアートデザインスクールのプロフェッサーだった小野雄一先生のその名もロドチェンコという評論本があるが、改めてカコに進む成熟さ加減が、若い人たちに好感されるわけがやっと漂い始めてきたらしい。
もひとつカコの勢いは、かってのシンガーの曲をカバーしてる流行り歌が、これまたヤングたちに評判がいいらしい。まさに「カコにまた恋してる」というサイクルだろう。
熟しに熟した、官能の「悦」という新刊雑誌が発行され、団鬼六センセイというカコが進行する勢いは歓迎だが、中途半端な「コンクリとヒューマン」のクンズホグレツほど始末に悪いものはないだろう。
ウツワのチイサイひとたちが寄ってたかって我田引水してる光景は、もはや熟しているを通り過ぎて腐臭が漂い始めているのではないだろうか。以上。


10/04月上旬木曜日

春がなかなか遠いような肌寒い日々が続いている。
しかし、ジヤイアンツの松本選手が素晴らしい活躍だ。野球スポーツの三拍子揃った青少年たちに見本となるような仕事ぶりだ。そして、また嵐の松本が素晴らしい。ミュージックジヤンルの記録をたくさん塗り替えてニューエイジの爽風を発信している。
で、拙者の愛読新聞の系列週刊誌が妙に個性的な記事を配信しだした。ようやくタブロイド紙のようなカゲキタッチの見出しが踊り出した。
すべて横並びの気分がクラッシュしつつあるような心地よさが漂い始めた。
しかしまだまだカイカクは始まったばかりだ。相変わらず旧態然としたような業界が大勢をしめている。持てるものたちと自負していたものたちが相変わらずドンカンなのはいたしかたないにしても、であるが・・・。
話は変わるが先般脳細胞の精密検査をしたが、拙者の場合三十代の細胞に匹敵するとの診断だった。浪花恋しぐれ、の歌詞ではないが
芸のためなら何でもコヤシにできるエネルギーが、桜とともにお満開でっせ。アラサー、サッサーホイサッサーっと。
あっ、それからもひとつ。やっぱ芸の話よ。久しぶりにカタッタひとがいた。「ふくろうの河」という短編映画よ。ロベルトエンリコ監督の、そうよジョアンナシムカスの「冒険者たち」の監督ですよ。久しぶりに青春と並走した映画が、某愛読新聞から飛び込んできたよ。
以上ッ。


10/03月中旬土曜日

「でたらめなエネルギー」が、「政治や経済が少し崩れて今再び有効になってきている」らしいとの考えを密かに信じている劇作家の川村毅さんが久しぶりにセンスが輝いている。「軽やかなからかい」に射程距離がピッタリする批評の話だ。
それに引き換えアートはどうもマトモに構えるクセのあるアーティストが多いのは少々気になるのは拙者だけではないだろう。ぐっと肩の力を抜いて軽妙洒脱な演技力と人間力がギャラリーで踊ってないのは春の到来に相応しくない。
ピカソとの間にふたりの合作だが、見事な子たちを創作したフランソワジローさんのギャラリーにはアート作品そのものよりしぶとく生きながらえてる彼女のしたたかさが輝いて、シャネルの生き方に相似していて心地よい春風が吹いていたと思う。
話は変わるが、某週刊誌のタイトルで、ちょっとクスっとしてしまったよ。その時節柄かもしれないが、「東大までのひとと東大からのひと」らしいタイトルがあった。いやはやよく子細に拙者の拙著をお読み頂いてありがたく候、テナモンヤサンドガサ。デンガナマンガナ。以上。



10/02月中旬水曜日

「夜が明けたら一番列車に乗って・・・」という出だしの詩は、まさに「自分史に少しはかすめて過ぎる」響きがある。青春と並走した
浅川マキが逝ってしまった。それも夜が明けるのを待たずして・・・。ガクエンソウラン節が見事なこぶしの唄いまわす時節に
「紫煙と夜霧のハウスマヌカンスタイル」が、ソウラン節以上に届いたのは、今でもずっとヘイソクなんてコトバで語るひとたちにはひとつのささやかな新聞記事だったに違いない。
スポーツ音楽ライターの玉木正之さんの記事には妙に青春のバイブレーシヨンがあるだろう。
で、「堂々たる洟垂れぶり・・・」なんて見出しに誘われて京橋の某画廊に出向いてみたがなんのことはない。デサインとアートの境界型に
犯されたかのような仕事にあまり感動しなかつたのは拙者だけではあるまい。洟を垂れようが花(おんな)を摘まもうが、ノビノビとしたラインで描くスパニッシュイラストレーターのジョルディ・ラバンダさんのほうがまだ気分に乗せてくれた麹町のギャラリーでしたよ。
「社会学が流行り」とはいっても、景観セミナーで、結局はセイジに行きつくなんてしみじみ語る大学の先生にこそ、まさに
「一億総不信のソウラン節」が流行る前兆のような気がしてきた。
で、それはいいとして・・・。今年の板作業が二点アップしつつある。タイトルは「アメニティの始まり、だが・・・」である。う~ん、なんとセイジ的
なバイブレーションだろうか。進行中のアート小説にも絡むテーマでもあるのだが・・・。以上。


10/01月下旬月曜日

今年こそト~ライの予感がすると思いきや、あにはからんや毎度おなじみの、「江戸時代から延々と続いてる」ヒソヒソグルの事件でんがな。
ヤラレッパナシだとたとえ大岡越前コウセイテンビン仕事でも少しはこころが動転するのはやむなしかも・・・。
ま、それはともかくとして。慶応大学アートセンターでの講演に久しぶりお勉強してまいりました。
アートイベントの著作権、考え方と留意点。女性弁護士の解説だった。それにもうひとつの講演は、アートリスクマネジメントの講義だった。大手損保会社から独立した方の、これは少々退屈な難しい話だったが、ひとつ誤解してたのは元締めのロイズはシンジケートブローカーで普通の保険会社と同列ではなかったということだ。
お勉強から始まった今年の「考え初め」ではあった。来月初旬には県の景観整備課実施のシンポジュウムがある。いろいろ観覧したいアート展示があるが、特に上野博物館のDOGUに行きたいと・・・。
古井由吉さんの「アート作業に邪魔になるものをひとつずつ捨てて・・・」というセリフに妙に味わいがこもっていた。ただひたすら無心になってコツコツジミな仕事に邁進する。邪悪なるものが足を引っ張ってナカナカ・・・。
で、またまたアート小説がスタートした。夢の途中、というか道筋の難儀というか。それがテーマではあるが・・・。
ま、気分を変えて板作業といこう。じゃあね、以上。

09/12月下旬月曜日

鈍牛時代かと思われた今年は、見事なアート作品が誕生した時節であった。まさにスピードとチェンジに包まれた時節だった。
ヨーゼフボイス流の定義でしゃべると、境界のないアートが炸裂した最も忘れられない年になったわけだ。
つまり、労働から政治から経済活動あたりまで何でもアートに乾杯である。今までの長い時節に呪われた他人の尻拭いや棚卸や大掃除にほとほと疲労感がこんなにも心地よい師走を迎える年はそうやすやすとはないであろう。
とにかく急いては事をし損じる。アルコールメーカーの元社長じゃないですが、やってみなはれ、これでいきまひょがな、当分は。そんなことしたらコミュニケーション業界は、オマンマの食いあげでんがな。ダイスキなひとには、ちょっとイジメしてみたいもんでんがな、まんがな、おまんがな。
しかし、ほどほどにせなあかん。衆愚アートは、壊れやすいもんでんがな。すぐ文句いうヤカラが付和雷同するでんがな。で、オマンマのことだすねん。どうでっしゃろ。いっそのこと、普通のアートニュースや番組、PR、イベントあたりを思いっきり国家的キャンペーン張ってもうたら如何でっしゃろかいな。
で、来年の秋締切の某大手出版社コンペに提出するアート小説が、脱稿したよ。ま、それはいいとして・・・。
それにもまして来年の板作業のドローイングがはかどっているよ。タイトルは、コンファタブルな、始まり。で、以上。


09/11月下旬日曜日

ファッシヨンスタイルアートの極みとでもいったらいいのでしようか。
ジュエリーのオートクチュールとでも表現される洗練さでしょうか。百年経ても少しも輝きが衰えるどころかますますきらめきがスピリットとして
放たれる喜びや精緻な荘厳さに平日の切り取られたディスプレイ空間にうつつを抜かす至福のひとときに浸ってまいりました。
森アーアーツセンターギャラリーでの「おとなの絵画」を拝見させていただきました。ヴァンクリフ&アーペルというご夫妻アーティストがプレゼンテイションしてくれるテイストは、ニューヨークやロンドンやトキオやシンガポールやシャンハイやホンコンあたりの金融工学的錬金術師たちが束になって競争してもなんともびくともしない、・・・。
もちろん不景気だから、やっぱりGDPアップが相変わらず大事なんてほざいてるその方面のひとびとたちに、
これでもかと美味なる奥深い「景色の気分」の先にある世界をかいま見せてくれて、ほんとに心地よいひとときであった。
平日の昼間だったかもしれないが、あまりにも女性ばかりが拝見されてて残念ではあるが・・・。背広が似合わないノンセンシティブ紳士たちよ、凡百の議論や企画書そのものが目的化した企画書造りも大事かもしれないが、百聞は、何もオーバーシーばかりではござらぬぞ。
トキオは、伊達にカタカナではござらぬぞ。アジアの、そして世界の目線が注がれておるのじゃ。
センスアップ政策に舵を切れば、あらゆる五里霧中であった箇所に新規な雇用や仕事が創造されるのじゃ。以上。

09/11月中旬金曜日

19世紀中頃から20世紀にかけて活躍したタイルアーティストのウイリアムモーガンというひとの作品展を拝見した。
絵柄そのものの植物や花柄デザインは落ち着いていて素晴らしかったが、拙者がいたく興味をそそられたのは晩年になってそのアーティスト活動をきっぱり止めて、小説を書いていた、ということだ。
今般の展示にはその小説の中身がなくて残念だが、なんともおもしろい人生だろう。日本語に翻訳されてるものがないそうだが、ぜひ読んでみたいものである。
で、来年の六月締切の某出版社コンペのアート小説がそろそろラストスパートになってきた。ま、それはいいとして・・・。
話は変わるが、「世直しウェーブ」にチェンジするとこうも様々なやり方というか主導によってはこうも違う手法があるというか、あっぱれ、である。チェンジしたばかりで、長い明治以降の手法やヨロケや人材を、ま、少しずつ掃除整理整頓して、なんとかデザインらしく見えるまでにするにはかなり時間が必要なのは致し方ない。せっつかれる焦りもわからないではないが、ま、着実に一歩ずつ前進するしか道はないのである。


’09/10下旬土曜日

豊かな恵みの真っただ中に健康であることをこころより感謝してやまない。
そんな有難い収穫時期にいつも感じることばがある。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
ちょっと最近までこの世の春を謳歌した世界の会社たち及び経営者たちも、改めてこのことばのセンスを感じて頂きたい。
で、庄野潤三が逝ってしまった。拙者の好きな小島信夫のセイムジェネレーシヨンだ。例の文字校正なしでそのまま印刷して出せ、という台詞で有名だが。もちろん大島の「日本の夜と霧」もまた役者が台本と違った台詞でしゃべろうともそのままノーカットで上映しろ、もまた有名だが・・・。
日常の作り話、に徹した作家、でも有名だが、小説そのものが非日常的アートであるなら日常的アートがあってしかるべきである。だからその間をいったりきたりする、ま、境界型アートもまたしかりであることは当たり前だろう。
日常的な持空間にこそ「小さな説得」にたるささやかな納得もまた宿ることもあるに違いない。
景観への前向きなひとつの結論がお上から舞い降りた以上、日常的な「小」さな「説」得は、ますます大きな意味を持つに至るだろう。
で、今年の板作業がほぼ完成しつつある。また来年の六月出品の某出版社コンペアート小説がそろそろ脱稿しそうだ。まさに拙者のダッコクキも収穫時期なのだ。今年もアーティストイチロー選手のゆうとおり、一歩ずつコツコツ進む以外に道はない、を実行した達成感に新蕎麦の香りが芳しい。以上


’09/9月中旬月曜日

冷夏の涼しさがそのまま続いて中秋の名月が出迎えてくれる時節になった。
しそて、来年春オープンの丸の内にできた某美術館に出向いた。
プレオープン記念としてのショップのみ先行お披露目である。ファッションからフラワーから雑貨からおきまりレストランからバー、カフェまでその界隈でそこそこハイソ志向のOLたちやオヤジ上司とつい最近まで夜のお付き合いをさりげなく拒否していた洗練ヤンビジまで、コミュニケーションしたいのかどうかは定かではないが、丸の内の他エリア再開発となんら変わり映えしないショップソースであり、いささかアートシーンを演出するにはもう少しノンビジネススタイルというかポストビジネスシーンというか、もすこしアバンギャルドなモノ売りショップが展開されると思いきやあまりミンシュマクアケ的センスというか百年の幕開けに相応しいとは言い難い気分であった。
鉄とコンクリートとガラスのカタマリの林の中で埋もれているかのような印象があるレンガの館。緑色と水色と褪せたレンガ色がしつくり馴染むコッツウォルズあたりに景観するような絵画的風景には程遠いかも・・・。
そんな愚痴めいた独り言でもブツブツ言いながらその場を後にした。
で、またまた走り出したアート小説が快調だ。
ま、それはいいとして久しぶりにバードウォッチングでも出かけてみよう。




’09/8月下旬月曜日

残暑厳しい中、アピールカーの街中に騒ぐ音も今回は妙にコミユニケーションしていてそれほどざわめきに感じられない。
で、篆刻アートが見事であった。千葉県立美術館に出向いた。石井そう石の展示だ。もちろん元は中国の古字ではあるが、アーティスティックな気分はすっかり消化されていて心地よい。
小さな画面の中に墨と朱が洗練されていた。ただ惜しむらくは古びたデザインの額縁や掛け軸に装飾されていて残念。
今風のアクリル額なし装飾とかセンスの良い額装とかだと、さらには真っ白い展示空間ディスプレイであれば、もっと素晴らしかっただろう。
千葉の出身アーティストで調査対象であろうが、企画した学芸員の目利きに敬意である。


’09/8月中旬水曜日

いよいよ真夏日の連続だ。まさに境界のないアートと同じようにギラギラとした眼差しが痛い時節である。
かってウォーホールが台頭してきたときに、そうあまり注目されなかった作品があった。子供たちの情操教育として使用したり遊びとして楽しむキットで、「ぬり絵」遊びがある。そのぬり絵を番号に従って塗ってゆくそのまんまを作品にしたものだ。いっけんコノーテイション、つまり外部からの引用であるが、彼はチェルシーガールという八時間もの長時間映像作品があるように、なにかしらそこに「意味作用を問いかける操作」を表現手法としてプレゼンテイシヨンした。ちなみにリーウーハンのゆう「カンバス領土」といってるが、引用したり意味を操作したり外部とのコミュニケーシヨンを多彩に浴びせかけたひとりである。そのユサブリに「ハットシテグー」した過去の「チヤンチキおけさ」盆踊りだったわけだが・・・。
あるいはまたバスキアのようにラクガキを通じて「外部との対話」を楽しむこともまたひとつの大いなる表現かもしれない・・・。
そして、グラフィックデザイナーのサイトウマコトさんもまた「外部との対話」に懊悩しているかもしれないのである。ひょっとしたら
「自然体で表現できるデザイナーとそこから抽出されたもの」との「橋渡し」もまたそこそこ魅力的なのかもしれない・・・。
この三人の表現者に何か共通するものをこのギャラリーはプレゼンテイションしたのだろうが、拙者にはまったく共通してるものは感じられなくて、むしろお盆ですが、三途の川に向かって呼び寄せられる、閉塞感こそ漂い、そう「東京漂流」ならぬ「表現漂流」として感じられ胸が痛む時間ではあった。
で、来年三月に某大手出版社コンペ出品するアート小説が脱稿した。そして来月末締切の別の出版社コンペの校正をしている。



’09/7/月中旬木曜日

いよいよ灼熱の日々到来である。
しかし、また衝撃が走った。青春と並走した方が逝ってしまった。平岡正明である。この表現者のシュールでありながら異ジャンル合体っていうか、いまでいうならコラボレーションとでもいおうか。たとえばジャズと演歌歌謡曲あたりの通底する情念を灼熱する激しさで疾駆するワザは今のビジネスで異業種交流あたりが盛んであるが、先駆的コンセプトではなかろうか。
その激しさとは裏腹にしゃべる様子やトーンはじつに穏やかでソフトでマイルドであった。そもそも今時新しいことかのように語る雑誌とか映像とかあるが、ま、こうゆうひとをないがしろにしてきたどこかの幣国の閉鎖的風土にはこの灼熱光線あたりで焼き焦がしてしまいたいくらいの情熱はもうないが・・・。
しかし、地殻変動が起こりそうな気配ではあるが・・・。交代が起こるとアメリカのようにすべてスタッフ部下たちが退き、もちろんあらゆるジャンルで染まった、当然既存のアート業界でヨロケた人種たちも退場するハメになるだろう。
まさに後退である。今年は未来の教科書に残る歴史的イヤーになるだろう。
さあ、諸君ッ。「バイバイキ~ンッ」。以上ッ。
で、来年の板作業のドローイングがはかどっている。以上。 



’09/6/月下旬火曜日

まだ、好きな向日葵が太陽の恵みを浴びせてくれるには若干の時間が必要かも・・・。
先般、銀一のプランタンデパートギャラリーにて仏の某アーティスト遺作展があり拝見した。
マチスっぽいタッチと気分がたっぷり溢れてそこそこチャーミングでした。価格もそのタクエツ上手な実績と才に相応しいようなそこそこのオネダンでした。
また、千葉市美術館のクレー展とブリジストン美術館のマチス展があり、ともに復習の意味もあってチャーミングな時間でした。
で、またまたま、拙者のアート小説が走り出した。来年の三月末大手出版社コンペに出品するものだ。テーマはアンフォルメルだ。よろけ過ぎるワールドマネークラッシュに、もはや右主義も左主義もなく、まさに右往左往ではないか。「ゆらりよろけ主義」、とでもいいたいくらいだ。
かって表現主義ジャンルでは颯爽と登場したアンフォルメルだが、先見の妙がアート業界にあったということだ。
ま、それはいいとして・・・。それにしてもマークロスコ、マチュー、そしてラウルデュフィー・・・、拙者が好きなアーティストだ。三鷹市美術館で先般デュフィー展を見たかったが・・・。
そして、板作業がまた二点アップした。「よろけシャリ」シリーズである。それは生きてるのか死んでるのか、死んでるふりをしておっとどっこいしたたかに、ハザマカンペイちゃんではないが、「チィ~スータロカ~」のような目覚める台詞が好きである。ま、言って見ればシャッキリするがごとく白いアーティスティックなしゃり、である。


’09/5月中旬金曜日

アートとコマーシャル商品とのコラボはよくあることだが、
たとえば最近では某携帯の水玉とかあるいはちょっと前のルイビイトンバッグとか・・・。ま、どちらかというとアートとデザインとの垣根がなくなった今、どちらにころんでも成り立つような仕事の場合そこそこアピールできるような仕事になるケースがある。
心地よい温度に誘われて久しぶりに表参道の新規ファッションリテールショップたちができたあたりに出かけた。するとそこにひとつのファッションとアートとのコラボが成り立ったギャラリーに遭遇した。
商品はすべて塩ビの筒状のボトルに陳列されている。壁際に。商品サンプルはセンターに吊るされている。
ディズニーアートやもろもろキャラクーたちの中にこのアートが多岐たくさんあった。ジャンミシェルバスキアである。
はたしてその商品と彼のアートがフィットするかどうかはさておいて、エイズで早死にしたアーティスト、それもラクガキアートであり、ガキアートのようなアウトローアートが、「陽のあたる坂道」にでしゃばりでてきてほほ笑むスタイルは何かいつか坂道を転げ落ちそうで、好きだ。
もちろんキースヘリングあたりもあったりして、美術館で回顧展あたりを繰り広げるにはいささか気が引けるし、まさにこの布地メディアこそ最もフィットしてるような気分だ。


’09/4月下旬火曜日

一年でいちばん過ごしやすい、そしてお散歩日和の時節である。
ふたつばかり某画廊に出向いた。
そのひとつ。長い間、規制の中で精神的に無意識のうちだろう、抑圧とまではいかないにしても何かしらストレスめいたプレッシャーのようなものに常に囲まれているのがたいがいのひとたちの人生だろう。そんな人生をいとも軽く突破してくれたかのようなアーティストである。
だからだれしも拍手したくなるのである。
夢の中をほじくり出してきて見せてくれるような・・・。夢想していてそれは自慰をしてくれてるような・・・。自分で自慰するのじゃなくて・・・。
そのアーティストにしてもらってるような・・・。恥ずかしいやら図ずしいやら、何かとてもスッキリ、シャッキリするのである。
何かとてつもなく大きいレジスタンスを獲得したような、一気に靄が晴れたような。
そんな長年のモヤモヤを吐き出してくれたおとこだ。だから、そんなおとこがそんな気分を代弁してくれるおとこが大好きになるのだろう。
新自由主義のもろさが露呈したアメリカの、もうひとつの側面かもしれない。しかし、何かこのあやういアンチドリーミーなもろさにとても感じたりするのもまた日本人だろう。
このアーティストの名は、ジヨン・ルーリーという。ミュージシャンでもあるらしい。画廊は日本橋ギャラリーショウという。
もうひとつは、まぎれもない日本の老婦人画家である。
フランスに長年いたらしい。だからじゃないがマティスに画風が似ている。
しかし、である。どうころんでも何の説明もなしに拝見しても、その絵は、日本人の絵であることが概ねわかる。
そしてさらにゆうなら、サイズが三まわりくらい大きい。プロはサイズに厳しくあってほしい。
別の部屋に陶板画があったがはるかに素晴しかった。
この画廊もまた日本橋である。
やはり日本人は恵まれているのかもしれない。ルーリーさんの厳しく生きねばならない人種の坩堝的世界とは、たとえドローイングであっても何か閉塞したような気分に抗うセンスと力強さを携えている。戦うといことがにじみ出ている。法外な給料やボーナスを頂くということは意外とそんな意識下の世界で逞しく生きるからかもしれない・・・。


’09/4月中旬月曜日

晴天が続き一足早く皐月の風がたなびいている。
九月出品の某出版社文学賞コンペがそろそろ大詰めの仕上がりだ。ま、それはいいとして・・・。
そんな前向きなマイキャラを打ち崩すような批評が某新聞に掲載されていたのが印象的だ。「文学に何ができるか」をまたまた問うような小説の批評がでていたからである。
引用の言葉と哲学者アドルノが強烈といえばパンチがあろう。「アウシュビッツを経た今、詩を描くことは野蛮である」というメッセージだ。
かって、「アートやデザインに何が可能か」あたりのセリフが流行った時代からすでに三十数年経過している。
しかし、それ以後着々とお上のグランドデザインは、これ見よがしに列島をよろけながらも成果を上げているではないか。何もしないことこそ見事なアートである。なんて多くのアート関係者たちがいたが、その何も、に抗うかのような成熟的成果に至ってるではないか。
そんな斜に構えたかのような評者の鴻巣友季子という翻訳家の久々の鋭さが妙に印象的だ。
もちろんこの評に取り上げられたドン・デリーロというアメリカのベテランアーティストが描いた小説もさることながら、文学が、ま、芸術全般だろうが、社会に提案したり先読みしたり回答したりの僭越なメッセージこそ滑稽であり野蛮であると言い切る。まさに緊張の緩んだハワイアン腰ふりダンスに流し目で仰ぎ見る「投げやりなとこが好きでんねん・・・」と言わさせしめる気分が漂っていて好きである。
久しぶりに「よかおなごたい・・・」とお返ししたいまんがな、でんがな、おまんがな。以上。




’09/3月下旬月曜日

さくらがそろそろ満開になる時節である。しかし、大方の民それも世界的な規模であるが、たとえばフランスあたりもバカンスにかなりのブレーキがかかるらしいとテレビが伝えていた。春なのにサブ~イ時節は連続してる模様なのだ。
そして、ついに予想はできたのだが、センスの悪い某政党の親方が、カオもワルイのだが、とうとう馬脚を表した。牛の時代にこれまた早い失脚となるのだろうか・・・。そのあたりが今年のイチバンテーマらしいとマスコミたちは騒がしい。
で、それはさておいて、某新聞の文化的ニュースにいささか驚いた。最先端アートニュースの紹介記事である。それもきわめてコンサバ美術ヒョウロンカセンセイの報告である。相も変わらずアメリカリポートである。それもかの国で話題になったジャパンアーティストの紹介である。かの国のジャーナリズムに「鰹節ねこまんま」的一膳方向の話である。自分の目と足と感性で稼いだ話題ではないのである。そうゆうコンサバジジに書かせるほどアートジャーナリストがいないのだろうか。サバは腐臭が漂い始めると始末に悪い。オダブツになりかけないからだ。
まして今やアメリカは沈みに沈んでいる。新自由主義経済システムの光と影があるだろうが、もはやニューディール的経済システムがプレゼンテイションされてない。そんなエリアからの過去の実績に光があったからといってなんの意味もない紹介である。コンサバであろうが、前衛であろうが、この日のいづるくにから新しいイズムの提案があってしかるべきじゃなかろうか。
もちろん粋の良いブンゲイヒョウロンカのお姉さまあたりが、エンタメ系とジュンブン系の違いなんかとうとうとしゃべる報告もあり、これまたニューディール的提案が垣間見られないのでござる。まさに「鶴田浩二の歌」が流れる桜吹雪の時節ではある。


’09/2月下旬金曜日

まだまだ寒い日々が続いている。しかし、天気の良い日なぞは光が春の匂いとともに輝いているような気分にさせてくれる。
そしてまたまた、アート小説を某大手出版社コンペに出品した。ま、それはいいとして・・・。次の作品に走っている。すでに20枚近く走った。
もちろんアートである。描く言葉、である。
春はいろいろ展覧会も活発になってきた。好きなアートがまたまた来る。ホアンミロである。某デパートでの展覧である。たしか二年前だったと思うがパウルクレーが来た。トートバックにクレーのサインが入ったアートしたバックを連れに買った記憶がある。
来月が楽しみである。

’09/1月上旬金曜日

正月早々にサブ~イニュースが連続している。そして、なんともショッキングな知らせが購読新聞から届いた。
またもや昭和の異端的偉大なアーティストが逝ってしましった。木村恒久である。その弟子である大久保隆史さんと組んだ仕事は素晴らしかった。1970年代の雑誌「デザイン」の表紙デザインである。このシリーズの仕事は大いに触発された記憶が残っている。もちろん他にも見事な異色の仕事が際立った方だった。
広告表現アーティストから出発して自らの領域表現を確立したといっても過言ではない。この師の生き方はひと言で
カバコフ風にいうなら「別の島」で活躍できるしくみがあればもっと活躍できたように思えてならない。「デザインねた」が資本主義経済から共産主義経済にいたるまで幅広く政治的ではあった。対談なんかでも「からかい揶揄」するようなことばが多々あつたことを推測しても明らかだろう。昭和の知識人のひとりでもあった。
かってあるシンポジウムに参加したときだが、パネラーとしていらっしゃっていて、その服装にいささか驚いたことがあった。少し泥まみれの長靴で薄汚れたジャンパーで、そのいでたちで街中をすれ違えばまさに山谷のオッサンと見まがえる風情であった。ま、別に自信に満ち溢れていたからでもなかろうが、その極貧デザイナーとしての覚悟のような趣が伝わってきた記憶がある。サンドイッチの差し入れよりは握り飯の差し入れにこころが動く、ような気分を携えていたのだろう。デザインていう仕事が正のイメージしかないとするなら負のイメージこそより強烈にデザイン化できるすべを技を磨いてきた人生だったのだろう。こころよりそしてこころしてご冥福をお祈りいたします。

’08/12月中旬月曜日

今月は「いい物件」が購読新聞のアート情報に出てるのが心地よい。
ソニアドローネのプリンティングアートが真っ先に目に入った。この一見雑なコンポジションが好きである。さっそくそのギャラリーに出向いた。慶応大学の中にあるギャラリーだ。コレクション作品とのこと、アートセンターを施設として所有とのこと。コレクションの傾向と趣味がいい。パウルクレーがいた。ヨゼフボイスのシニカルな解説付きの作品がいいよ。「スープの素に」に経済価値を与える。日常茶飯事の中に消費されるスープ商品のパッケージに高名な芸術家がサインを入れた瞬間にその何の変哲もないありふけたパッケージはたちまち芸術作品に変貌すると解説している。1977年の作品である。このアートこそまさにエポックメーキングと言わざるを得ない。このころやはりアメリカの小説家トムウルフは、アートは描かれた言葉として解説している。一流のアート評論家がお墨付きを与えるとたちまちその作品は経済価値が高騰するわけだ。
別のスープであるが、ウォーホールの「キャンベルスープ」は逆にアートとして大量生産されて初めて経済的価値を日常茶飯事のスープとして世界的に流通することになったわけだが・・・。

’08/12月中旬月曜日

今年もあっとゆう間に師走である。先生たち、特に永田町あたりのセンセイたちであるが、よろよろよろけながらの木枯らしが全方位から槍のように吹きすさぶサブ~イ時節である。
ま、自業自得であろう。
で、それよりも何と遠藤実センセイがお亡くなりになった。「高校三年生」、「北国の春」、そして「センセイ」・・・と。昭和の世相風俗と共に並走した歌ばかりである。もちろん拙者の歩み走りの大いなる伴奏でもあった。そうゆう意味あいで遠藤センセイを拙者は大いに尊敬申し上げていたわけである。もちろん輝かしい歌い手たちもまた尊敬していたのである。たとえば千昌夫の大いなるアップダウン人生もまた近頃の小室哲也のアップダウンに勝るとも劣らず「太い人生」なのである。そんな昭和の忘れられないレールを惹いた遠藤センセイにこころよりご冥福をお祈りいたします。
で、話は変わるが世田谷美術館分館で展示していた清川泰次なるアーティストの作品をぜひ拝見したかった。しかし、時間がなくて残念ながら見損なった。「自由な絵画と自由な言葉のストローク」の二刀流が、そこそこいい切れ味らしいと展覧会チラシに書いてあった。この清川を「目利き」した学芸員もまた素晴らしい切れ味の持ち主だ。チャンスがあればお話しをお聞きしてみたいものである。

’08/12月上旬金曜日

言葉も世間も地球規模でサブ~イ時節に突入でしょうか。
連鎖してスポーツアートが走らなくなってしまった。いろんなアートビジネスにも飛び火して「アート連鎖倒産」が長い時間冬の時代を迎えるにはそう遠くないだろう。
先般某新聞でカバコフ夫妻がしゃべっていたことだが、元来アートステージとアートビジネスステージとはまったく別個の島に住んでるものだ、と語っていた。同感である。その島とあの島との間を行ったり来たりしている連中たちを痛烈に揶揄するものだろう。エネルギーを使いすぎて、フラフラになり、「よろけ」過ぎてる模様は、地球規模でビジネスクールダウンさせられ、チューチューとフトコロを吸い上げられた、大きなくしゃみのツバキが飛び散って肺炎から、来年あたりには肺がんまで至りそうな、ビシネス空チュー分解しそうな年である。
ビジネス「チャラ坊&チャラ子」たちの遅々として進まぬ「鈍牛」時代の幕開けになるだろう。もちろんそうゆう輩たちを院政リードしてきた「ジジチャラ&ババチャラ」たちもまた近い将来を待たずして引退に追い込まれるハメ技が決まるだろう。
で、オチャラケ列島に雪が降る、とはこれまたサブ~イジョークでんがなまんがなおまんがな。白い粉でオチャラケカラーが少しでも消えることを拙者ごときでもアーメンソーメンヒヤソーメン。以上でござりまする。

’08/11月下旬土曜日

少しばかり空気は冷えているが小春日和が続いている。
で、アート小説の新作を某コンペに出品したはいいのだが、そのコンペの出品時期が変更になっていたのを気がつかず、従来どおり今月出品してしまつた。ま、来年の六月末が締切だが、ちょっと早めの出品ということになる。
で、次のアート小説がスタートした。これは来年の秋出品する作品である。いろいろリスキーな出来事が頻繁ではあるが芸術家もまたそれにリンクしてリスキーな事態でもある。そんなアート小説であるが・・・。
ま、それより来年のドローイングが完成している。「ヨロケ島」シリーズの中の笑福シリーズである。笑う門には福来たる、ということだ。といってNY発の経済ショックがトリガーとなってどこかの誰かがゼロサムゲームの中高笑いしてるような仕事ではない。
ところで今年の板仕事はほぼ完成しているが、来年そうそうにはお披露目したい。

’08/10月中旬月曜日

わが青春と並走したアートたちが迎えてくれた。
上野の森美術館に誘われて・・・。
ジャスパージョーンズ、ラウシェンバーク、ブリジットライリー、マックスビル、デビットホックニー、リチャードセラ、そしてイリアカバコフである。
このロシアのアーティストに拙者の近々のアートワークが通底する。いやもっと若かりし頃からその気分は表現されてたような錯覚がある。コマーシャルベースではあるが・・・。このビデオフレームからじわじわと伝わる意味こそ注目されつつある証らしい。
で、話は変わるが、今月下旬にまた新しいアート小説を某大手出版社コンペに出品する。

’08/10月上旬月曜日

天高く馬肥ゆる秋の到来である。
いろいろもろもろ騒がしい世界的規模の世間ではあるが、ま、収穫の時節に感謝ではある。
で、来年の春出品のアート小説がそろそろ70枚近く走った。そして、来年の板作業であるアートそのものもまた心地よく走っている。ドローイングがいよいよシンプルイズベストなる滑りになってきた。
それは、ま、いいとして・・・。
近々上野の森美術館に出向こうと思っている。
拙者の生きてきた、共に走ってきたそのもののアート展示があるからだ。
時代を駆け抜けた、青春の輝きと影、がここに宿している。その残像こそ拙者の人生の証かもしれない。楽しみにしている。

’08/9月下旬月曜日

暑さ寒さも彼岸まで、そのとおりにいよいよ秋風が心地よい。
で、先般古の隣の大国から届いたドローイングアートが展示されてるのを拝見した。
墨1色である。しかし、その長い年月熟成されたそのブラッシュストロークは、いささかも色あせてないかのような趣を呈していた。もちろんテレビもクルマも温暖化もない時代である。澄み切った川のほとりにはさぞや美味しい水と空気が漂っていたに違いないだろう。
今風のストロークのようなヒュッ、ヒュッというような音色はないにしても奏でられた音色には
詩情あふるるこころの琴線が流れていたに違いない。遥か遠くを見つめる鋭い眼光のゲイジツカたちが集うひとときの酒宴は何ものにも変え難い趣向である。自ずとこころが開かれて気分は絶好調ではなかっただろうか。
今、その趣を所望しても所詮無理な話ではある。しかし、その伝わる様子は嗅ぎ取れるかも知れぬ。
様々な魂たちが彼岸の彼方に舞い降りて、愚言、愚行を苦々しく見ていることだろう。まことに耳の痛い時節である。

’08/8月下旬金曜日

お盆明け以降涼しい日々が続いている。
しかし、夏ばてだろうか、少々カラダがダルイのは否めない。
で、文化庁主催の某芸術コンペに出品した。また、大手出版社某コンペに出品した。ま、それはいいとして・・・。
先日東京ミッドナイトの富士フイルムギャラリーに出向いた。
1936年生まれのアーティストだ。ギリシャ生まれ、イタリアで育ったらしい。イタリア育ちだとさもシャレた気分のように感じられるが、たとえばデザインの風が粋に吹くような。センシティブではあるがそんなモダンタッチとは反対方向にある。イタリアアーティストだってひたすら地味に自身を追及するタイプもいるのだ。シルクスクリーンだが、そのコアの魂というか宗教的テーマではあるが、いろいろ現代アートの迷路を潜り抜けて、試行錯誤の末だろう。最終着地的アートである。別に年齢とは関係ないと思うが・・・。伸び伸びと大らかで厳粛である。ドローイングのような気分が漂い心地よかった。ただ惜しむらくはサイズがふた回り小さいとグーだろう。

’08/7月下旬月曜日

ママスアンドパパスの夢のカリフォルニア、という有名なポップスがある。そのカリフォルニアアートの展示が素晴らしかった。日本橋のギャラリーショウである。ここはコレクショントレンドが趣味良しだ。
かって西に進路を取れとばかりにこの地に大勢のひとびとが向かった。輝く太陽のもとプラスシンキングー、だ。
そんな光りが眩い地であろう。しかし、この光りに逆らうかのようなアートもまた輝いている。キムマッカーティという女性の描く人物の顔はこころなしか表情が翳り暗い。ロバートベクトルのアップダウンしたこの街の景観をフォトシルクスクリーンであるが、ザラザラとした真昼間のB級ムービーのようなタッチが何か不安げな時間を炙り出したようで怖い。
そして、デビットホックニーのリトグラフだ。プチブルなプールサイドの光り輝くシーンが雑なブラッシュストロークでヒュッ、ヒュッと滑るように流れる。好きだ。ただ雑であるだけそのシーンの影が強烈に光りのインパクトに跳ね返る怖さがある。
この国の光りと影、が錯綜する雑な表情が吸い込まれるように記憶された。

’08/7月下旬火曜日

来年の春出品する新作アート小説がスタートした。ま、それはいいとして・・・。
それより久しぶりに某新聞書評に驚いた。熟達した作家が某女性作家の書評をしていたからだ。その女性作家の本はどうやらあまり売れてないらしい。それをその某熟達作家は、ある編集者からのアドバイスであるが、本は三万部以上売れると小説の中身が甘くなる、というようなことを言われたと書いていた。
ま、今時オオマジメに芸術作品が売れるとか売れないとかの話が囁かれていないのは久しい。もはや芸術作品の中身よりはどうしたら売れるかをその策の良し悪しが大いに囁かれてるわけである。まさに踊るアホウに見るアホウである。見事なアーティスティクなダンシィングは得てして見るアホウたちが少ないらしい。夏に限らず踊りは盆踊りあたりが黒山のたかりになる騒ぎであろう。泡が膨らんでは消えるような・・・。といって武士は食わねど高楊枝なんて・・・、ほざいてる場合でもない。ほどほどに豊食の時代にフィットしていきたいのは本音であろう。

’08/7月中旬月曜日

かって拙者が青春時代に流行った写真があった。新宿が「ソーラン」節で賑った時代の後に登場してきた。政治表現がひと段落してその表現はザラザラとしたブレた感覚でボケていたのだろう。すっかりコマーシャル表現からおよそほど遠い表現ではあった。そろそろネタにゆきづまったコマーシャル表現もまたアングラ的表現を日の当たる坂道あたりに連れ出すほど焦っていたのかもしれない。
そんな懐かしい森山の渇いてた新宿の気分を久しぶりに拝見した。といっても展示されてる場所ではない。その告知がしてあった新聞の写真である。当時、中平の植物図鑑的写真もまた対極にあったがなぜか同じ感性線上のベクトルとして記憶されている。
ま、それはとにかくとして・・・。アート小説が脱稿した。この秋出品する二本目である。
そして、来年の板作業への設計図にとりかかっている。このドローイングもまたよろけ縞である。景色の趣はもちろんBONSAIテーマであるが、たまに無に還って「非BONSAI」したような結果の一枚があったりする・・・。つまり松が奏でられる「二十六日夜待」の賑わいだろうか。高輪あたりの月見でさぞやその一枚が輝くことだろう。

’08/6月中旬金曜日

梅雨の合間を縫って晴れ間の一日である。
着々と荒唐無稽アート小説が進んでいる。すでに六十枚近く走った。ま、それはいいとして・・・。
板作業が気分がいい。
よろけ縞手法が深く潜行して、奏松のテーマは、アート的ではあるがリデザイン的に向けて
匠の異視になりつつある趣が気分よく仕上がっている。
アート小説とアートそのものの達成感が地味なる進展ではあるが嬉しい。
いろいろ展観したい美術館やギャラリーもあるがなかなか見逃して残念である。
今月末からスタートする確か東急ブンカムラの「青春のロシアアギャンバルド」は多分企画した会社も素晴らしいが学芸員に乾杯である。
これまた、打てば響く、この、青春の・・・、がいいよね。じつに気分がよい。
若いひとびとたちが響いてくれる、記憶の中にいる。
ここまで「生きて」来て、「活きた」実感が嬉しい。

’08/6月上旬金曜日

先日久しぶりに某シンポジウムに参加しました。かねてからいたく興味をいただいていたテーマでしたからです。地域の歴史的維持向上を目指す新しい法律ができた。という報告とシンポです。とても前向きで市町村のプランに銭を支援するというものです。風致景観を積極的にリデザインして醜いカタチ、イロ、テクスチャーを除き、たとえば電線、看板、非意匠的公園等々・・・、です。お上のヤル気マンマンなプラスシンキングがじつにグーなシンポでした。従来の規制中心の景観法とあわせてセンスあふれる街創りにしたいものです。大いに感動しました。
パネラーの某大学の老先生がしゃべっていたことが大切です。その地域で多彩な景観リメイクの案件を相談できる「リメイクアートデザインセンター」のような役所の外郭財団組織を各地につくって、民間からその手にセンシティブな年輪を重ねた人材を集めて、生涯学習施設ならぬ生涯景観意匠施設のような趣を早急につくるといいですね、とおっしゃっていました。大賛成です。
打てばすぐ響く、いやぁ、何かとても気分いいですな。
いよいよ人生が面白くなってきましたよ。

’08/5月下旬金曜日

久しぶりに訪れたギャラリーである。日本橋のデパート前にあるイタリア系インテリアショップの地下にある、ギャラリーショウだ。好きなアートたちが比較的多いのがチャーミングである。あるじのセンスに敬意だろう。
そこでドイツの最近アートに触れた。まさに五感の中でも赤ちゃん的感覚に優れている見事なアートに感動した。何か厳しさに抑圧されたような気分から解き放たれたような自由さが、雑でいい。のびのびしてるようで、しかしまだ何かにちょっぴり見取られてるような鋭さが、雑な表現でしか出来ないのがさらにいい。マティス・ウェイシャーさんやインゴ・ギュンターさんの雑さが気に入った。
しかし、価格がいかにもアートマーケットを睨んだロープライスなのが残念である。この手のアートたちがかの国でものびのびと流通する日が来てもらいたいものであるが・・・。閉じ込められたマガジンコーナーカットイラストだけにはしたくないと思うのは拙者だけではないだろう。
その手のアートたちが跋扈流通するご時勢なのに少しも「細菌」してなくて「最近」でもなくて、そんな異常ならぬセンスが流通する時代ではあろう。

’08/5月下旬月曜日

絵に描いたような薫風かおる時節に仕事が着々と進んでいる。今年の秋某出版社コンペに出品する作品である。このアート小説は、荒唐無稽な、奇想天外な展開がじつにわかり易いものになるだろう。ま、それはいいとして。
ところで昨今、景観改革ムーブメントが起こりつつある気配がする。じつにいいことである。景観とはなんぞや、からスタートして頂きたいものである。つまり景観は経済活動と大いにリンクしているからだ。たとえばひとびとのファッションもまた景観であることをしっかり認識してもらいたいものである。隠居したひとびとたちが大勢街なかを闊歩するような時代である。過去の現役時代の背広に革靴なんぞで煮締めたような色合いの、ラフな格好で塊として景観されるような街なかにはしてもらいたくないのである。大正から昭和始めの殿方たちの中折れ帽が粋だった景観にどうしてセンスが頑固されないのだろうか。景観が経済とリンクしてはいるが一方でマイナスになるが一方では大いなるプラスになるようなバランス経済とリンクして頂きたいものである。また概ね外側が議論の的になる模様ではあるが内側もまた大いに議論してしかるべきだが・・・。たとえばオフィスのインテリアから公園のトイレの中まで、大いなる改革の議論にしたいものである。
この国では景観というとまだ稚拙な外観問題に執着するきらいがあるが、建物の色合いである。もちろん大切ではあるが・・・。ことはなにか始まったばかりのようでもある。ムーブメント大賛成ではある。

’08/4月中旬月曜日

ようやく時間が空き、八重洲のブリジストン美術館に出向いた。どうしても拝見したかったフェルナンレジェのコンポジションである。「好き」である。ま、時代は大きく違うが、好きである。稀才であろう。しかし、洗練されたひとたちに好感されるであろう、この仕事は。マチスとも通底する気分が好きである。いいアートに出会うと酔いたくなる。
中通り商店街のはずれにあるコの字型の、例の居酒屋に少々時間が早いが出向いた。カウンターには三、四人が座り黄昏時のじつに豊かな時間に酔いしれていた。「やッ、久しぶりだね」と托鉢のオヤジがいいながら中に戻っていった。と、その時別の見知らぬオヤジがカウンターの中に入ってきた。最近定年してここにやっかいになっているらしいとのこと。ま、ここの気分を熟知してるような素振りではあった。壁に並んである地酒の銘柄からひとつ選び、ぬる燗を頼み、おでんがでてきた。とうふ、がんも、こぶ、だいこんである。いわなくともそんな気の利くとこである。カウンターのひとの数といい、オヤジの気分といい、摘まみの趣といい、居どころのわびた住まいといい、ほぼ教えたくないとこである。ここの近くにアトリエ兼住にて住まいたいものである、許されるならば・・・。しかし、ここも近いうちになくなるような気がしてならない、・・・。
レジェも遠い昔の欧州気分が芳しいような、異国に外遊した時代がハイカラだった時代の趣なのかもしれない、・・・。たまには鑑賞ならぬ感傷もいいものだ。
今月は板作業が気持ちいい。すでに二点アップした。そして勧善懲悪ストーリーアートがスタートした。いいアーティスティックなファンタジーになるであろう。

’08/3月下旬月曜日

寒い日が続いてなかなか遅々としてしか進まなかった表現作業ではあるが、いよいよ秋の某出版社コンペに出品するアートが脱稿しそうだ。ま、始めてのラブストーリーであるらしい。とまあ、らしいと言ったのはこの物語がラブになるのかは筆者もよくわからないからである。
ま、それはいいとして。次なるアートの構想が出来上がっている。勧善懲悪的なファンタジー物語であろう。やはり秋に某出版社に出品予定である。
そして、暖かくなってきたので板に描く作業をスタートしたい。昨年ドローイングしてたテーマである。
「笑う角には福来る」というテーマだ。もちろん手法はよろけ縞になるであろう。
明るい青空にいよいよの時節が眩い輝きを放つ日を期待してのことだ。

’08/2月下旬月曜日

ぜひ拝見したいアート展がある。しかし、もう少し春が弾む頃にしたいと思っている。八重洲にある某タイヤメーカーの美術館である。ま、それはさておき某出版社の小説コンペに出品した。もちろんアートである。アート小説である。文字で描いた・・・。
話は変わるが、よろけ縞ならぬよろけ島列島に、「またまたよろけ」が走っている。当分あらゆるジャンルにて炙り出されることであろう。
で、某新聞のコラムにその新聞社に石川啄木が勤務していた話がいい。信号が輝けるがごとく伝わってくる。この新聞社も今やコンサバではあるが・・・。だってコンサバなひとたちがこの新聞の読者層だからである。もはやコンサバを死守出来なくなる日がくるのかも・・・。それは一大事である。なぜなら富裕層とまではいかなくともかなりのそこそこ層が、よろけ島列島ではご機嫌なライフ&ジョブスタイルを享受できるからである。解り易くいえば「この安泰状態」のナニナニボケが持続することが、彼らにとって「幸せ」なのだから・・・。失礼。

’08/1/年初め水曜日

いよいよ来るべき年がやってきました。
十二年の初めの年ですね。道中挫折せず日々「チュー誠」なる成果を上げるような
「道」にしたいですな。
敵は、自らの魂にあり、とこころして進むべし。
とまぁ、いつも気張る年明けではあるが、ま、自分の身の丈に合った筋道の
進み具合が大切であろうか。
そんな妙に東洋的なる静けさに裏打ちされた都心のひと気の無さこそ嬉しいかな。
ガソリンを気にせずドライブもまた朝日に輝やける嬉しさかな。
ひとつ天からの御響きが届きましたでござる。
人間万事塞翁が馬、だそうな。己の卑しい我を張らず、邪悪なひと、ものもまた
見方次第によっては大きく逆なるべし。
チューくらいなほどよい距離感こそで出しの年に相応しいかも・・・。
中庸なる思想やひとびとたちが削られる時勢故にこそ、
「リデザイン」のリニューアルが大切なんである。何であるアイデアル、なんちゃって。


’07/12/下旬火曜日

年末とゆうのになんと暖かいことだろう。
東京は久しくホワイトクリスマスを楽しんでない。そのかわり「電飾」がお盛んである。大幅な省エネタイプの熱源が開発されたかららしい。しかし、「電飾」ということばがなんともアジアらしい。拙者なら
「レインボークリスマス」なんてどうだろうか。
ま、それはいいとして。今年は、どちらかというと表現者たちが多く亡くなられた。城山三郎、青島幸雄、植木等、今村昌平、阿久悠、そして神様稲尾様である。ジャンルを問わず大きな足跡をプレゼントしてくれました。大いなる表現者たちにご冥福をお祈りいたします。
しかし、である。今年は、またとんでもない「嘘と偽」の年でもあった。江戸の昔、滑稽本という小説ジャンルがあつたが、会話文中心で絵がメインの、今でいうならマンガジャンルになるだろうか。たとえば作者は式亭三馬のその名もズバリだが、「人間万事虚ばかり」なる小説があった。それにしてもつい最近までマンガ本の表三の通版広告に上げ底靴の背が高くなる靴を記憶しているのだが・・・。もちろんアデやかなヨゴザンス、なるハゲカクシも大いに活躍しておるではないか。
昔から嘘も方便というではないか。それでお付き合いやコミュニケーションが潤滑にゆくなら
「これまたけっこうねこはいだらけ」ですな。といってしまえばミソモクソモミナオナジになる。行燈のまわりに人がコソコソヒソヒソとグルリと囲んでにやついてる様はやはり「グル」なるしぐさではないか。今も昔もあまり変わってないというなかれ。
来年こそ神様に「チュー誠」を誓って初詣したいですな。元旦くらい白い気持ちになって・・・。

’07/11/中旬金曜日

穏やかな小春日和が続いてて気分の良い時間かと・・・。
またまた、アート小説がスタートした。来年の秋出品作だ。初恋がテーマだが、いささか恋する相手が難解かも知れぬ。しかし、ま、青春の彷徨は、得てして解りづらいかも・・・。ま、いいとして。
ドローイングがゴキゲンだ。好きなラインとカタチが気分が良いな。これでいい。
胸がスッとして、何か墓参に来てるような気持ちで・・・。いや、神社かも・・・。表現することの自由に
表現出来ない不自由があってはならぬ。のびのびとストレートがあり、間を突くフォークボールがある。
センスが悪いといくら達者でも空振りするかも・・・。
何でもあり、の表現活動が、横溢している。あらゆるシーンにて。

’07/10/中旬水曜日

実り豊かな秋が真っ盛りでしょうか。
九月には某出版社コンペにアート小説を出品した。また、今月も他の某出版社にアート小説を出品した。もっと多くのひとたちに頂いてもらう喜びに早くなりたいものであるが・・・。来年春出品のアート小説がそろそろ脱稿する。
ま、それはさておいて。来年制作予定の新しいアートテーマに向かって発車した気分は上々だ。今年いっぱいはドローイングになるだろう。
で、今年のアート展示は如何でしょうかな。

’07/8/中旬月曜日

真夏がせり出して向日葵が思いっきりオープンしている。
しかし、拙者の面の皮よりアツイものは他にはない、という台詞がこの時節の決まり文句だ。
で、またまた新しいアート小説がスタートした。テーマは、写生だ。というよりは写し取り、という方が
適切だろう。来春出品予定である。ま、それはいいとして・・・。
それより世間が久しぶりに騒々しくなってきた。信頼、安心しきってたことやものが崩れると
一気に失う。まさに先般のかの国のブリッジである。こころとこころのブリッジが外れると形勢は逆転
する。ま、あらゆるものをゼロベースもしくはガラポンすべし、と数多くの賢人たちが
口をすっぱくして吠えてるのに耳をかさなかったテンバツなんだろう。しかし、まだことはようやく
タートしたばかりのような・・・・。コチトラ結構気が短けえっつうのよ。
それにしても猛暑日とはいうものの民度は低いのでござりまする。以上。

’07/7/中旬の金曜日

台風が九州をバケツの中に閉じ込めたような勢いだったらしい。その勢いはこの列島に沿って北東に上るらしい。ま、この列島では、ここのところ激しい水をかけたほうが目が覚めるような輩が多過ぎるからだろうか、神のお仕置きに違いないだろう。
ところで、秋に出品するコンペ用の、二本目のアート小説がそろそろアップしそうだ。約七十枚位。ま、それはいいとして・・・。
先日竹橋にある国立近代美術館に趣いた。アンリ・ミショーのアート展だ。この素晴らしいアート小説なのかアートなのか判断がつきかねるなんて言ってる輩たちには無用の長物的作品の羅列だろう。まず、伝わる、喜びに震えた。届く感激にわなないた。通底する触覚に勇気づけられた。かって、小説家のトムウルフがいったようにそれはまさに「描かれた言葉」だ。プリミティブな言葉(アート)が注目されるにはやはり列島再生が期待される今の気分からだろう。
拙者の「よろけ縞」シリーズが、輝きを放った一瞬だ。
この列島が、「よろけ島」になりつつある景観こそ最も改善すべき志しだ。何も景観のみならずもろもろ合わせて一本締めたいね。そこに照準が合致したとはこりゃまた偶然の悪戯か神の悪戯か定かではない。

’07/6/中旬の月曜日

梅雨にまだ入ったわけではないが、雷雨が時折落ちたりしていささか肌寒い曇り空ではある。先月アップしたアート小説の後、早速次ぎの作品を打ち始めた。すでに三十枚位進んでいる。
「もどきよろける」様のゆるさをテーマにしている。この作品は、やはり秋に別な某出版社のコンペに出品予定だ。
ま、それはいいとして、先週、高輪の畠山記念館に趣いた。見事な邸宅と庭園である。パイプの製作で大儲けした金沢出身の創業者の住まいだったそうである。その前は薩摩藩の所有地だったそうな・・・。都会の真ん中でありながら閑静な雫が滴る音色すら届きそうな気配である。展示室の中に茶室があり、また、抹茶あたりも所望できて中々趣きのある美術館である。万が一、こんなアトリエだったら仕事はまったく進まずだろう。
で、この創業者の趣味コレクションが展示されているのを拝見した。尾形乾山の焼き物や酒井抱一のアートや本阿弥光悦のアート等々琳派のアートが素晴らしい。アート性とデザイン性の編み込み具合、塩梅がほど良くて落ち着いた世代には実に心地良かろうと思う。
さて、拙者の今年のアートが順調に仕上がって、すでに六点アップした。今年も十点位を目安にしている。さらに「よろけ縞」シリーズの後のテーマが創造されて、また、来年のシリーズ制作が楽しみになってきた。

’07/5/初旬の金曜日

夜半から雨がからりと上がり素晴らしい初夏を思わせるかのような爽やかな日になった。
着々と地道だがアート作品が上がっている。
アート小説とアートそのものだ。描く道具は違うが、どちらもアート表現である。
そのアート小説がまた、アップした。約90枚。今年の秋、某大手出版社の中間小説雑誌に応募するものである。ひとつの経済的活性化アイデアがみそである。
そして、次のアート小説に取り掛かった。いよいよBONSAIに拘るアート小説になるだろう。
江戸の昔、歌舞伎役者が好んだ柄があった。たとえば、松本幸四郎なら「こうらいやごうし」柄、市川団十郎なら「かまわぬ」柄等々。そんな着物柄の中に拙者がことの他好む柄がある。「よろけ縞」柄である。いわゆるストライプである。この定番の縞柄に異常に執着している。あのリキテンシュタインが拘ったように・・・。ひょっとしたら彼のブラッシュストロークがあるように江戸のアートデザインを相当研究していたのだろう。
拙者の場合は、少々拘りが社会的である。たとえば、このふぞろいの縞模様こそ日本の現実かも知れないし、また、そのふぞろい差加減が大きくなるような近頃の社会でもあるからだ。もちろん過去から好まれた「よろめき」ドラマあたりにも活かされたかも知れない・・・。
そんな「よろけ縞」アート小説とBONSAI「よろけ縞」シリーズアートが心地よく発車した。
「盆栽」という美しき定番が、よろける模様に儚さや無常さを感じ入るのは拙者だけではなかろう。


’07/3/初旬の月曜日

久しぶりに寒い中を押して美術鑑賞とシャレこんだ。
ギロッポに出来た、防衛庁跡地の前であるが、新国立美術館だ。ちょっとコンパクトな建物に少々驚いた。曲線が自慢らしい。しかし、印刷物でトリミングされたモノ程大きくはない。
多分「曲線にしている」らしいだけで実際は直線の継続、である。なぜ今風のガラステクノを大いに活かさなかったのだろうか。大きなガラス面が波打つ技に感動予想していたのは拙者だけではないだろう。ま、残念である。たぶんアーティストとして過去の遺恨が過ぎったのがも知れない。後でトラブルが起こるのを避けたかったのだろう。東京の親方に挑戦するのだから・・・。
そして、ポンピドーアートセンターのコレクション傾向の良い趣味に感動である。拙者の好きなグリス、そしてイタリアンポップアーティストのバレリオ・アダミだ。もうかれこれ三十数年前になるだろうか、神田のアート系古書店で偶然見つけた彼の画集である。アメリカンポップアートなら別に驚くまでもないだろう。あの頃のアートデザインに生活の全てを捧げていた、青二才の拙者が走馬灯のように頭を過ぎった。
ま、それはさておいて。白金の庭園美術館が、やはり見事である。いいものはいつまでも素晴らしく魅力的なのだ。また、アーティストの選択眼が見事だ、この学芸員の姿勢のことだ。七十を過ぎてアーティスト活動始めた、イギリスのアルフレッド・ウオリスだ。船乗りだった。かって船乗りだったゴーギャンがいるが、ウオリスは、軽妙洒脱な、今風のイラストタッチの風情が素晴らしい。
人生の大半をさんざん仕事で費やし、余生をたっぷりアートする姿勢に乾杯である。女性では、アメリカのフォークアートであるグランマ・モーゼスも素晴らしい。やはり七十から絵筆を取った。農業からの余生である。
抽象アートのベンニコルスンが、ロンドンの南西にある海辺、セントアイブスにある自宅兼アトリエの前を通りかかった折、このチャーミングな絵が飛び込んで来たらしい。個展なぞしなくともいいものは必ず神が出会いを創る。
もう一度言う。ジタバタするな。神は、必ずいいものに舞い降りる。以上。


’07/2/下旬の月曜日

約七十枚の「アート小説」がまた、脱稿した。
もちろんアートに纏わる小さな説得、である。ほんのちょっぴりサスペンスタッチの、気分の良い出来である。
そして、某大手出版社の中間小説雑誌コンペに出品した。ま、それはいいとして、次のアート小説が滑り出した。大学全入時代の、ちょっぴり先の時代の「青春ドタバタコメディ」風アート小説である。
話は変わるが、世間にはドンカンな輩たちが相変わらず多い、のにはほんとに辟易するばかりである。それも会社の社長たちである。どうしてこの国は「目利き」が消えてしまったのだろうか。
ま、それ程嘆く程ではないが・・・。温暖化のわりには、民の温度、は上がってはいないのである。
以上、でも以下でもない冷静さがこの先もずっと必要携帯なのだ。


’07/1/中旬の水曜日

そぼ降る雨の中、春の新しさが濡れてゆく「いのいちばん」の書初めである。
明け行く朝靄の中に白い煙る息筋の道すらない、暖冬である。
意匠的言の葉が導くことが無いお天気模様に情けなさすら感じさせしめる年始めでもある。
真冬の、少ない太平洋側の雨に樹木たちの心地よさすら通り過ぎてゆく「乾いた人並み」に
何か遣る瀬無さよりも安らぎすら感じるのは、拙者のみだけではないだろう。
で、書初めならぬ打ち初めも何か「乾いた花」より程鮮烈さに欠けるのは当たり前だろう。
そんな気負いも今年はない。
なぜなら、「ぶれる心意気」がまるで呆けてないからである。
ほんとに「心臓から涙が零れない」年輪が暖冬すらさらに燃やしてくれる程
厚いのかも知れない、面の皮よ。
で、いいで出しである。
何が。
もちろん、アート小説、である。
今秋出品のものである。
書くことが、打つことが心地よい。
相対的なる心細さよりも絶対的心地よさに裏打ちされた、地道な繊細さが逞しいからである。
以上、これまで。

’06/12月初旬小春日和の月曜日

暖かい日々が続き暖冬の予報である。
今年も最後の月に入った。年年歳歳時間があっとゆう間に過ぎてゆく。しかし、今年は試練の年だったかも知れない。そのせいかどうかは計り知れないが、とにかくいい作品が出来上がったことはやはり感謝したい。
アートの「BONSAI」シリーズの、ほぼ完成形が設計された今年である。ドローイングの成果が上がったのはまぎれもなくいい年といいたい。
また、アート小説は、アレンジャーの趣に着々と筆が進んでいる。こんな中高年の職業があったら素晴らしい、と皆が思える話だ。永井荷風のような散歩小説があるようにアート小説が確立される日々が来る、きっと。




’06/10月月末某日月曜日

まさに「景色の気分」が、真っ盛りの染まった秋である。
真っ白いお召し物に赤く意匠された紅葉柄が、鮮やかである。
誘うおとなのおんなごころが、恋しい、でしょうか。
秋空に恥ずかしいほどの艶やかなふたり、に浮世絵が、それも肉筆の、生々しい限りでしょう。
朱雀の眼差しに、燃える肌の桃色らしき戯作じみたいとなみにおとなの狡さこそ感じさせしめる
八曲屏風の高さの厭らしさに、我が頬が年甲斐もなく染まる今日この頃でしょうか。
お着物姿が増えてる秋の芳醇な展覧会こそ、実り多き熊手のご利益かも、さもありなん。
いい台詞が浮かびましたぜ。「たまにふたりよ」、まさに銀杏が欲しくなりにけり。

’06/10月某日火曜日

艶やかな色づきが輝きつつあります。しかし、仲秋の名月の日は大雨だったが、その翌日が強風にて、まさに次の日こそ全ての濁りを払ったかのような一日になった。そして、その夜にほぼ満月が拝めたのだ。
あまりの透き通る闇の空気感に何かしら幸せな予感すら漂った夜でしたね。
で、次のアート小説第六弾の筋道が沸いてきましたよ。
月見酒に感謝ですね。主人公は、アレンジャーです。作曲家にとって、その仕事の決め手になるひとがアレンジャーなのです。このアレンジメントについて物語が想像されました。アート、デザイン景観のアレンジメントにフックしながら、物語の展開が進むでしょう。そのアレンジャーの仕事をしている知人からいろいろ取材しなければなりません。ま、来年の春頃、某文学賞コンペに出品しようと思っています。

’06/10月某日日曜日

穏やかな秋の日々が続いている。先日埼玉の知人が、コヤツは、細々と一家で農業を営んでいる。そこのうちの長男である。見事に垂れ下がった今年の今年「一番米」の稲穂の恵みを収穫したそうだ。会ったときに一袋頂いた。こころから喜ばしい贈り物であった。感謝である。
こんな諺がある。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
この歳になってもなかなかそんな心境にはなれないのは、拙者まだまだ修行が足りないせいだろう。
江戸時代の中期以降はめったに刀を抜かないような穏やかな落ち着いた環境だったらしい。すれ違う時に万が一鞘が触れた時、やはり殺気が走ったという。
さて、恵みの収穫はもうひとつある。
新作である。まだ垂れるほどにはいかなくとも兆しが見えてきた作品が二三あった。さらには来年発表の、ドローイングが、大きな収穫ともいえる喜びである。
「BONSAI」シリーズではあるが、「TENSAI」シリーズを反転させしめるかのような気分に酔いしれたこの一年の収穫かも知れない。
さらに、もうひとつのアートであるアート小説が脱稿した。今年は、春と先月にそれぞれ文学賞コンペに出品している。必ず収穫の秋を迎えるときがくるであろう。

’06/9月某日水曜日

ようやく真夏の暑さも遠のき、時節は、まさに暑さ寒さも彼岸まで、のその彼岸に入りました。
実り多き恵みの秋こそひとびとのこころも和むことかと・・・。景色の気分が、ゆとりある故でょうか。秋の始まりの芸術展覧会は、敬老世代に優しいリーズナブル価格の入場料にて盛況のご様子でありまする。
久しぶりに、門中からバスに乗って清澄の現代美術館に赴いた。展覧してたのはディズニーアート展である。こんなに「有名で解り易い」アートが、この美術館で開かれることにいささか吃驚している。全てのアート、もう小説や解説等々の文章領域も含めて、アートが境界のない、雑煮のような世界に突入している証でもある。と、言えば「カッコイイ」わけだが、多分推測するに「商い」が大変だということに他ならないのであろう。
ま、それはともあれ拙者は先日図書館にお世話になったのであった。
我が青春の学の里程標、とでも言おうか。
バウハウスアートの代表選手である、ヨゼフアルバースについてひさしぶりに調べにいったのである。
スタッフの女性たちが中々魅力的な方々がいるのには少々綻んだ。なにせ昔はこうゆうところにはス~ブのお姉さんしかいなかったものだ。それだけでも赴いた価値があった。
帰りは、メトロの清澄へ向かいながらちょっとレトロな通りであんみつを頂いた。前払いのいかにも下町らしい無骨な気さくさが気に入った。
そんな「下町景色の気分」と「境界のないアート」が、合体した、程よいひとたちの数がふれあいすら巡り合わせてくれそうな予感すら感じさせしめる、秋の午後の昼下がりだった。

’06/7月某日土曜日

ワールドカップサッカーも無事に終わり、何かさびしい思いも残る日々ではある。しかし、ジェフ千葉のオシム監督が次期ジャパンの監督らしい。また、ますます千葉幕張がクローズアップだ。
で、それはさておいて、アート小説第4弾が脱稿した。乗り物に託すロマンティックな物語、である。秋締め切りのコンペもしくは来春のコンペに出品しよう。
そしてまた、早速第5弾にとりかかった。膨大な数が引退しようとしている。熟れ切ったス~ブのメディアプロデューサーとかなんとかのおなごが、こんなことをいっていた、某新聞で。「蕎麦打ち仕事だけが定年後の仕事か。」ま、TV好きのおばんである。しかし、肉は腐りかけが旨い・・・。すんずれいいたしやした。ケシカケルひとがいて、ナビクひとたちがいる。また、往年のセイシュンバントにうつつを抜かすおやじたちが相当いるらしい。
そんなおやじ&おばんたちのひとたちにスポットを当ててみた。引退後のおやじたちの、四つの代表的な仕事を通して、社会制度とまだ元気過ぎるおやじたちのギャップ、を具体的に描く小説だ。もちろんいつもどおりテーマは、骨太のアートデザイン景観改革である。イワズトシレタコトカ。
そして、昨日銀座に赴いた、暑い35度らしい日中の中を・・・。まず、「富」にお参り。甘味やにて氷小豆を喉元あたりを通らせて、冷えっ、を注入。拙者は大幸運じゃ。月中あたりは特別に。気分を良くして銀へと向かった。そこは、フランスで人気作家らしいとのことじゃが、なかなか軽妙洒脱なパリジャンおやじのマチスっぽい気分と息遣いが嬉しい作品だった。なかなかこの手のタイプの作品は、このアジアの国ではファンが少ない、・・・と思う。しかし、こんなエスプリと暮らす表情が好きだ、私は。価格もこの画廊は的確のようだ。一千万近いものがあったが、私なら二千万近い気分だ。60代後半らしいが、モノクロ写真があったが、ちょっとがっかりした、普通のおやじだったから。「シボウツケルヨリハカッコツケロ」といいたいが・・・。パリジャンだから。それともアジアならではのドブネズおやじだけにハッパかけることばか。ま、それにしも久しぶりテイスティな画廊だった。

’06/6月某日土曜日

連日ワールドカップサッカーにて少々寝不足気味ではある。
それにしても硬くいけば勝てる相手に最後の数分の油断でやられてしまった。
勝負の世界は舐めてはいけない。いい教訓である。ハングリーな根性が今時の青年たちにはない。
何せスポーツは「楽しむ」ための遊び道具なのであろう。そして、スポーツ経済が大いに活性化している現状からすれば当たり前なのかも・・・。このフィールドの選手たちは「アーティスト」気取りでいられるのは、支えるひとたちのお陰であることを忘れてはいけない。
「驕れる者は久しからず」とは良くいったものである。肝に銘じるべし。
アート小説が着々と進んでいる。なぜならこのアジアの猫の額程の小さな国にはカイゼンすべきアートデザイン景観たちが山ほどあるからだ。つまり、「口でしゃべるアーティスト、デザイナー」になることが今大切なのだ。かって、すでに逝去したデザイン評論家で、口でデザイン、したひとがいた。拙者は原稿用紙、でアートデザインするひとになるであろう。未来を切り拓くパワーが炸裂する最強運だからだ。いよいよ大器晩成の暁の超特急がグングン進む姿勢が眩しい。

’06/5月某日水曜日

ゴールデンウイークの名に相応しい、輝いたリフレッシュをされた方も多いことだろう。
ま、それはともかくとして・・・。アート創作、つまり、アクリル画のタブローであるが。我ながら自負するわけではないが、感謝している。このテーマに巡り合えたことを。終の棲家ならぬ「生涯テーマ」である。人生の年輪と共に、このテーマと歩む。若くしてもなかなか届かない、であろう。
江戸川区の小岩からバスでちょっと行ったとこに、前々からお伺いしたい盆栽園がある。以前電話で問い合わせた折にご婦人が出られた。私の常日頃からの持論をついしゃべった。ところが、何と以心伝心されたのであろうか。ここのオーナーの主もまた、その考えを常日頃おっしゃっているそうだ。
その持論とは、「いつも盆栽と向き合うとき耳を澄まして鑑賞する」。まさに「聴松と奏松」である。私はすっかり嬉しくなり、ついつい長電話になってしまったことを憶えている。時節があまり暑くならないうちにお伺いしたいものである。


’06/2月某日金曜日
暖かい日があると思えば一転して真冬のような寒さになったりする今日この頃ではある。ま、暑さ寒さも彼岸まで、かと・・・。
久しぶりに上野まで出かけた。
国風盆栽展を拝見させて頂いた。ひとことでいうなら「見事である」というべきでしょうか。
この品格と風情に感謝である。世界の好事家たちの垂涎の的以外のなにものでもない。国の誇るべき姿勢がここにある。しかし、拝見されてた方々が概ね年配者たちである。平日ではあるが・・・。
それはさておいて、「栽」の素晴らしさもさることながら、「盆」の風情に関心がいく。いずれ拙者もこの
盆陶芸創作にチャレンジしたいものであるが・・・。
もうひとつチャーミングな展を拝見しました。というよりは聴きました。
モーツアルトイヤーにちなんでるのだろうか。その創造的な調べは、身体の中に十分ペネトレートしていた至福の時間でした。パウルクレーである。ベルンに彼の美術館が建設されたのをお祝いしてのパレードのような展である。彼はご両親とも音楽家だったらしい。その軽やかな線と色たちに心から感動した時間だった。
こんな美味なる時間こそ耳心地の良い、まるでモーツアルトを聞いてるような・・・。ふたつのコンサートに機嫌よく誘われて・・・。


’06/1月某日土曜日
とにかく寒い日々が続いてる。
そして、都会に大きな「白い粉」が降り続いた。まさに粉飾の景観ではある。こんなご時勢だからとは言いがたいが、「腹黒い」輩たちの画面が今年も新年から続いてるのを若干薄めてくれたかも知れない・・・。
そんなこんなで久しぶりに雪見酒、とシャレこんだ。
ゴキゲンな心地よさで近くのギャラリーにクロアチアのアーティスト、年のころ50代の初めらしいが、
見事に洗練されたドライポイントの銅版画を「聴き」ました。
抽象に近い非具象アートといえばいいのだろうか。色使いがまた、じつにチャーミングなモダンさ加減で落ち着く。しかし、価格は、あたりにも良心的すぎる。経済システムが違いすぎるのだろうが、たかだか数万とは・・・。それも刷り数は数枚程度。このギャラリーの情けなさにはほとほとまいる。
それからもうひとつ。九段のかってFホテルが取り壊されていた。インド大使館沿いの、春には桜並木が見事な景色だった。そこに某大手不動産のマンションが建っていた。その一階のガラス張りのギャラリーでアブストラクト立体アートを拝見した。ま、作品はうちの近くのトレンディバーのインテリアには心地よいかも知れない。ま、それはいいとして・・・。そこに編集工学者の初老の紳士がいた。この画廊のプロデュースを手がけたらしい。彼はたしか九段高校卒だった模様。なかなか小難しい書籍たちが売れないのだ。とにかく食べていくのはタイヘンなのだ。
12月某日土曜日

小春日和の
穏やかな一日である。
愛犬とのお散歩の後、お掃除にじっくりと丁寧に時間をかけた。
そして、緩やかに銀一の近くではあるが京橋よりに足を向けた。この秋の最終章であるが、某画廊あたりに眼差しを垂れてみた。
枯葉が舞い散る公園の黄昏時あたりのベンチに座って瀟洒な池を静かに眺める余裕がないのだろうか。お互い熟年の趣に語るものもさほどない、・・・。しかし、心のうちでは「いやなものはいやよ」といわんばかりの、しかし、何か気持ちの整理が整わない、・・・。乱れてるのに、妙に落ち着いてる様子、とでも説明したらよいのだろうか。そんな何をアピールしてるのかさっぱり伝わってこない。もちろん本人は、一生懸命なのだろう。何がヘタなのだろうか。そこそこ卓越した技術力あたりが邪魔かもしれない。ローコストとスピードのケイザイシステムのせいだろうか。飲み込まれてしまったかのような作品ばかりが目立つ。また、その一方で飛び切り「アートエリート面」した一部のワケノワカラナイ連中に翻弄されているヤカラも多々いる。
そして、某美術評論家が逝ってしまった。
ま、それはさておいてケンチクカはいないのだろうか。まったくクチヲツグンデイル。ま、たいしたことでもないか・・・。で、今年も実に速い。
あ、そうそう、ファクシミリアート展で賞を頂いた。感謝である。

11月某日金曜日

ジェフチバが元気である。タイトルを獲得した。私はリトバルスキーがいる頃からサポーターだった。そして、清清しい感じの、かの監督時代も好きだった。いい「東からの風」が、心地よい。
先日幕張のパレットタウンにてマリーンのバレンタイン監督夫妻を見かけた。このオシム監督もチバに住んでるらしい。改革の風がスピードアップしつつあるような予感がした週末の幸せである。
そんな思いを抱きながら知人の個展にオヨバレした。
手ぶらで鑑賞するのも失礼のような気がしたので銀五の九州焼酎専門店によってなかなかの逸品をギフト用にしてもらった。鹿児島の芋焼酎である。何が輝いていたかというとラベルの意匠である。
白地に墨一色である。ここまでは、よくあるパターンである。筆文字が見事だったのである。
その拙い描き文字が妙にぎこちなくてバランスなんかまったく気にしてなくて・・・。ぶっきらぼうなのに、なんか恥ずかしそうな趣、である。品格なんかコレッポチもないのに、なぜか上手な品性が漂ってたりして・・・。質素なのにきりっとしてたりするのである。
中身も大切ではあるがカタチの息吹はもっと大切ではある。
またもや作文とイラストとエイゾウがプレゼンスされた鑑賞会だった。
このサッカは私より老境らしい。
それにしてもイラストレーターや画家たちが積極的に文字にこだわりつつあるようだ。
80年代から盛んにアピールしているトレンドではある。確かに達者な文字運びではあるが、結局何
を言いたいのかさっぱり、のような文字たちの筋である。
70年代の半ば頃だったと思う。アメリカの小説家トムウルフだったと思う。
アート作品は著名な卓越したアート評論家たちによって一流のアートとして流通する、というようなことを書いていたと思う。たしかタイトルが「描かれた言葉」だったかどうかうる覚えではあるが・・・。
ただお涙頂戴、やモツ煮込みのような整理されてない、文字運びのみの羅列たちが多いのが少々気がかりではあるが・・・。
いろいろやりばのない不満が多い時勢ではあるが、ナミダとかナサケとかキノドクとかカワイソウとか
多彩な二次、三次情報が縺れに縺れて、どれが「自分の言葉」なのかはっきりしないのではなかろうか。

10月某日土曜日


ロッテが張り切っている。調子は本物のようだ。特に26たちの応援の仕方がじつに雰囲気が出てる。サッカーのサポーターのような応援の仕方である。たぶん野球の改革がスピードアップして欲しいからサッカースタイルの応援なんだろう。
幕張が今、そんなワケでヒートアップしている。自動車ショーも始まり、まさに恵みの秋である。
そんな騒がしい日ではあるが、土曜日の午後に日本橋室町あたりの、ちょっと神田駅に近いところであるが、とても気分がいいというかレトロな大正ロマン風なビルヂングがあった。元自転車メーカーの会社だったそうである。実にグーである。気に入った。
このビルに某画廊があった。オーナーの主は品の良い女性である。冗談なんか一切通じないそぶりのレディである。ナイスなミドルエージです。
そこで、オーストリアの精神的不具合の画人のドローイングを拝見した。
ペンで自画像を描いたような・・・。ちょっとご自身の指と錯覚しそうな細長い顔のような・・・。
ずっとこの病院に暮らしているということのようだ。すでに老境の域らしい。
シンプルで小さなサイズが、また、なんともいえないくらいチャーミングである。色もほんのちょっとダケの様子がじつにいい、・・・・。
ふとパウルクレーを思い出した。晩年、限りなく夜の闇が降りて、ただひたすらデスクに向かって
ドローイングしてたらしい・・・。
私のひとつの理想的なスタイルなんだが・・・。
そこには、サイズは小さいが、ほんとのこころの気分、があるような・・・。時代は違ってもチャーミングアーティストたちの息遣いこそ、今のアートかも知れない・・・。
何の邪念もないジュウスウセンチ四方の中に「穏やかな、たおやかな風」が流れていた土曜日の午後だった。幸せとはこんなことをゆうのだろう・・・。この画廊に感謝である。神田駅の猥雑な空気感にあきれ果てた気分もすっ飛んだようだ。

10月 某日木曜日

とんでもない大型のハリケーンがアメリカ南部を襲い、極めて大きな被害をもたらした。また、わが国でも今年も大きな台風が各地を襲った。甚大な被害にあわれた方々にはこころからご同情の念を禁じえない。
人という字はお互い支え合ったカタチになっている。
時同じくして「赤い羽根共同募金」の時節でもある。毎年多くの福祉関係の方々への支えに貢献している。このことはどんなシステムの国や社会であろうと「支え合う」行為はほぼ同じであろう。
その赤い羽根募金の羽を胸に着けてるひとが少ない。特に若いひとに少ない。カッコわるいと思っているのだろうか。黒いスーツの襟や黒いセーターの胸元あたりに赤がポイント的にあればチャーミングかと思われるのだが・・・。ファッションブティックあたりのマヌカンたちが率先してアピールしてみたら如何だろうか。
販売店経営会社の方針が違うのだろうか。よくユニバーサルデザインなんてことばが最近使われるようになってきた。心地よい、耳障りのよいコトバでオブラートに隠して「なにがなんでも商い」の方針で悪までも売るような方針だけは遠慮したいのだが・・・。
バブルが弾けてすでに十数年が経過しようとしている。株取引の総金額もバブル期を上回る勢いである。様々な商人たちが多彩な市場で跋扈する「景色」は、ひとによっては心地よいだろう。しかし、また別のひとによっては機嫌が良くないかと・・・。歴史は繰り返される。つい最近まで傷の痛みにヒィヒィ泣いてたのに、咽喉元過ぎればすっかり「ハツラツナニヤツ」だけにはなりたくないのだが・・・。
小生と同じ世代であろうか。中心メンバーになって若い世代の女性アーティストたちとのグループ展を拝見した。神田神保町のすずらん通りにある老舗の画材店経営の画廊で。すっかり大きなビルになって、多分商いが繁盛したのだろう。なにせアートを趣味にしてるひとびと、またはアート学生たち、またはアート的ステイショナリー、アート的グッズ等々。とにかく「かわいい」ものがつい最近までなさ過ぎたキライがある。おんなたちが「かわいくない」といってしまうからである。全ておんなたちのおもむくままに商いが蠢いている。
おんなから、あなたは「カワイクナイ」と言われば「噂はそこそこ広がり」もはやそのおとこはモテナイひとに成り下がってしまうのである。繁盛するもしないもすべておんなの「ジメジメヒソヒソイドバタカイギ」風ネット話によって始まる。ちなみに、なにせ江戸末期の徳川最後の慶喜殿は大奥のおんなたちから「かわいくない」と言われていたそうだ。改革好きの慶喜殿はおんなたちの贅沢三昧を忌み嫌っていたそうだ。他にも慶喜殿はいささか「アチラがヨワシ」だったそうでもあるらしい。
だから、おんなたちはクワバラクワバラなのである。
そんな神保町の画廊で古典的抽象絵画を拝見した。この数十年飽くなき映像画像情報の洪水台風の連続である。すっかりアート以外のひとびとでも見飽きた感は否めない。つまり「いい物件」でも感動が少ないのである。もっと踏み込んで言えば「心地よくない」とか「癒されない」とか、日差しの強い紫外(死骸)線からお肌を守るエステとは程遠い商いの場所、なのである。
これからアーティストたちは、画廊を選らばなくてはいけないだろう。豊かな資産家の顧客リストを密かに携えてる画廊オーナーを。豊かな顧客を抱えた商人であれば画廊という店舗はいらないのである。商品カタログもしくはネットで十分である。
時代は欧米スタイルをキャッチアップし、大いに豊かになった。もはや多くの民たちに啓蒙は、過ぎたるは及ばざるが如し、になった。なにごとも腹八分目が、よろしいようで・・・。
そんなことをつらつら思いふけりながら、この街を後にした。それにしてもかってのように古書のあふるる、渋い街並みの風情はどこへいったのだろう。スポーツショップとかカデンヤとか賑やか過ぎるデカイ看板が跋扈している。
昔の漫才師の銘セリフだった。「責任者、デテコ~イ」・・・。