(個人映画)というジャンルがあった。狂気・逸脱・奇形。孤立を恐れることなく前衛するスタンス。そこから非構造が生産される。それは日記として記録される。制度的な色眼鏡から離れる。2025.01.10新着情報
オオタニサンがホームランを打つたびに何度も何度も繰り返す報道。膨大な大衆欲望は右肩上がりの経済的ミニマリズムの幻影を植え付けられる。60&70年代の。まさに洗脳報道だ。微々たる成長からの脱。しかし笛吹けども踊らず。既存メディアからの脱でもある。かってはシンプルな(疑似イベント・幻影)ではあったが、SNSメディアでは多様な疑似イベントつまり報道や事実が交錯して(いいね。を沢山貰っても交通事故の多発化)を生産してる。だから事故を避けるためには青信号でもキョロキョロ注意深く渡らねばならない。まさにブーアスティンもマボロシ〜。(脱&反)こそリレーショナルARTS表現手法の時代だろう。2024.12.27新着情報
かって70年前後に新宿で石を投げればカメラマンに当たる、と揶揄された時節があった。今、小説がさっぱり売れないという。何故か。小説家から小説屋になったからだという。数字が全てを決める。2024.12.25新着情報
モノトーンが流行り男女の境目がなくなりつつあった。経済的な豊かさとは裏腹に時代の先がなんとなく見えないふりをしていたかのようだった。「朧気で見えない」が集大成する時節が80年代の半ばくらいだろう。2024.12.24新着情報
「地域デザイン科学部」「芸術デザイン学部」「地域資源創生学部」のような新学部がラッシュしているらしい。国立大の学部再編事情。卒業してその地域に根付いてリノベーションする人材になって頂ければ結構だが・・・。2024.12.22新着情報